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手塚治虫本

創作二次小説どろろ

2019年4月20日 (土)

次回予告 どろろの巻

 死が愛しき人と分かち、心は死んだ。
 奪われた体を取り戻すために、空っぽの心を抱えて百鬼丸は独り憂き世を彷徨う。
 誰も愛さず、誰からも愛されない――はずだった。
 だが、運命の半身との出会いが、本当の旅の始まりだった。
 この出会い、凶か吉か。

 

 次回、『どろろ百鬼繚乱草紙』まれびとの章 どろろの巻

 

  さだめとも知らぬままにてめぐり逢ふどろろとはいかなる契りあるのやら

 

「おいらは天下一の大盗賊だぜ。一旦狙った獲物は、雨が降ろうが、槍が降ろうが、盗らなきゃ大盗賊の名が廃るんだい」

 

 

無残帳の巻あとがき

 もう一人の主人公、生い立ちの巻である。
 1月から始まったアニメは、とっくに主人公二人は出会って、魔物を退治しまくっているのに、この創作二次小説では、まだ出会ってない……

 

 無残帳の巻は、原作でどろろの回想により語られる。
 創作二次小説では現在進行形で進行しているので、話を膨らませるために、オリジナルキャラクター、オリジナルエピソードを挿入した。
 手塚治虫のスターシステムを利用して、創作二次小説に登場するオリジナルキャラクターを演じてもらった。

 

 黒阿修羅の豊作は、前巻のあとがきで紹介済みのヒゲオヤジ。
 恵太はヒゲオヤジの甥役で登場することが多いケン一。

 

 百舌鳥の力蔵は力有武、女房のお駒は『0マン』のリッキーの母、力弥は『0マン』のリッキー。

 

 草薙ぎの竜木は『ブッダ』のタッタ(成人後)、美葛は同じく『ブッダ』のミゲーラ。

 

 くゆりは『火の鳥』太陽篇のおばば。

 

 玉虫は特に手塚キャラの誰とは決めずに書き始めたが、善人ぶって腹黒く欲深いところが『ブラック・ジャック』のBJの父の後妻、蓮花に似ていると思い、蓮花を玉虫役にした。

 

 代官の義弟として登場する東名新兵衛は、『ロック冒険記』などに登場した東南西北(トンナン・シーペイ)を侍らしく命名。

 

 原作で代官の名前は書かれていなかったので、演者のアセチレン・ランプを無理矢理漢字にして「安西蘭風」と命名した。
 鳥海版小説では、森歳貞と命名されていた。

 

 原作でお自夜が殺した侍は無名だが、『バンパイヤ』第二部に登場した檜垣絃斉、九十郎親子の先祖という設定にし、檜垣絃十郎と命名。
 檜垣絃十郎の息子たちが物語にどう関わるかは、読んでからのお楽しみ。

 

 火袋と豊作の会話に出てきた勇魚が何者なのかは、無情岬の巻まで待ってほしい。

 

 原作では、火袋はイタチと手下の全員が火袋を裏切ったが、創作二次小説では、まほろ村の生き残りが野盗になったという設定なので、火袋の考えに賛同している仲間を多くし、斎吾と男たちの一部が、己の欲の為に火袋に反感を抱いた末、裏切ったということにした。

 

 豊作が酒宴で歌っていた歌は、『閑吟集』一九〇番歌「赤きは酒の咎ぞ」の歌をアレンジ。

 

 どろろの名前は、原作もアニメも両親が「どろろ」と呼んでいるので本名であることは判明しているが、子供の名前にしては変わった名前である。
 手塚治虫は単行本サンデーコミックスのコメントで「友達の子がドロボウと言えなくて、ドロロウと言ったのが面白かった」ので、どろろと名づけたとある。
 古代から子供にわざと変な名前をつけて厄除けにする風習はあるが、野盗の両親から生まれたから、泥棒という意味でどろろという名前をつけたのか。
 鳥海尽三版小説では、孤児となって売られた先で、泥棒を「どろろう」と言ったからどろろと名づけられた、親からつけてもらった名は知らないという設定だった。
 実写映画では、どろろは南の国の言葉で化け物小僧という意味だった。
 百鬼丸もそう呼ばれ、名無しの盗人として生きていたどろろが、その響きを気にいってどろろを名乗ることにした。
 一緒に旅をしていく中で、どろろは百鬼丸にとって、特別な名前になったという映画の設定が気に入ったので、創作二次小説では、どろろは本名とはせず、百鬼丸に会うまでは親から名づけられた名で呼ばれていたとした。
 篝火という名前は、火袋の子であること、姉の朧火と蛍火と語感を同じにしたこと、将来人々のリーダーとなる意味を込めて名付けた。
 ガンダムSEEDのカガリと名前が似ているなと思ったが、他にいい名前が思いつかなかったので、篝火に決定。

 

 原作、虫プロ版・カラー版アニメでの無残帳の巻は、どろろの回想、独白という形であったので、展開が早かった。
 私の書く創作二次小説は、現在進行形で執筆しているとはいえ、もっとシンプルな構成にするべきだったかとも思ったが、百鬼丸と出会う前のどろろの生い立ちや、火袋やお自夜、鼬の斎吾の心理などを描きたかったので、予定をはるかに上回るページ数となった。
 伏線を張りまくったが、原作ともアニメとも映画とも違う完結のために、必要だった。

 

 とりあえず、平成が終わる前に無残帳の巻を完成できた。
 令和になったら、主人公二人は出会う。
 そして、物語が始まる。

 

 

*参考文献
手塚治虫文庫全集『バンパイヤ』手塚治虫 講談社

 

手塚治虫文庫全集『火の鳥』手塚治虫 講談社

 

手塚治虫文庫全集『ブッダ』手塚治虫 講談社

 

手塚治虫文庫全集『0マン』手塚治虫 講談社

 

『閑吟集 宗安小歌集』新潮日本古典集成 北川忠彦校注 新潮社
「閑吟集」一九〇番歌「赤きは酒の咎ぞ」の歌

 

『捜神記』東洋文庫 竹田晃 平凡社

 

『イラストでわかる日本の仏さま』中経の文庫 日本の仏研究会 KADOKAWA

 

『闇の日本美術』ちくま新書 山本聡美 筑摩書房

 

『図解戦国武将』 池上良太 新紀元社

 

『応仁の乱』中公新書 呉座勇一 中央公論新社

 

『戦国時代前夜 応仁の乱がすごくよくわかる本』じっぴコンパクト新書 水野大樹 実業之日本社

 

『中世武士選書23巻 朝倉孝景 戦国大名朝倉氏の礎を築いた猛将』 佐藤圭 戎光祥出版株式会社 

 

『富樫物語』 北國出版社

 

どろろ百鬼繚乱草紙 まれびとの章13

   無残帳の巻後編


「お自夜ーっ! お自夜、片づいたぞーっ! お自夜―っ!」
「お自夜さーん! 篝火―っ!」
 風の音に交じって、峠に火袋と竜木の声が響く。代官屋敷での死闘を制し、火袋と竜木が、お自夜と篝火の後を追ってきたのだ。
 部屋で就寝中の代官、安西蘭風を殺し、主を殺されて激怒した役人どもと傷を負いながらも戦った。そして、お自夜と篝火が安全なところまで逃げ延びたと思った頃、火袋と竜木は代官屋敷から脱出した。
 砂が混じる風が強く吹いているせいで、朝になっても視界がきかない中、火袋と竜木は約束した峠でお自夜と篝火の姿をようやく見つけた。
 良かった、無事だったと思う間もなく、二人の置かれている状況に、愕然とした。
地面に座って抱き合うお自夜と篝火は、胴丸を身に着けて武装した男二人に刀を突きつけられていた。その傍には斎吾と玉虫が平然と立っている。
 お自夜と篝火だけではない。美葛やお駒の他、十人の女たちと幼い子供たちも、中央に集められ、男たちに刀を突きつけられて震えて座っている。
 しかも、彼女たちに刃を向けているのは、町に出かけて隠れ里を留守だった仲間たちだ。
「何をしている、斎吾! お自夜と篝火を、どうする気だっ?」
「美葛! なんで、こんな――」
 火袋と竜木は信じられないものを見た衝撃に、絶句した。どうして仲間が女子供たちに刀を向けているのだ?
「刀を捨ててもらおうか、火袋」
 斎吾は勝ち誇った顔で火袋を呼び捨てにした。その瞬間、火袋と竜木は全てを悟った。
「斎吾! 裏切ったのは、てめえか!」
「この裏切り者!」
 隠れ里の場所を代官所に密告したのは、斎吾だったのだ。警備の責任者であった斎吾は、隠れ里に入る道を知り尽くしている。その斎吾が密告したから、道理で代官所の連中が見張りの目をすり抜けて隠れ里を襲撃できたはずだ。
 火袋も竜木も、憤怒の形相で斎吾を、斎吾についた裏切り者たちを睨む。
 しなだれかかる玉虫の腰を抱き寄せ、斎吾は宣言する。
「気の毒だが、おまえさんには頭を下りてもらう。豊作も、力蔵も、俺に逆らう奴は始末した。男で生き残っているのは、俺の子分になった奴らばかりだ。うるさいことをほざくばばぁもぶっ殺した」
「な、なんだと?」
「豊作さんや力蔵さん、おばばさまを殺した?」
 斎吾の言葉を、火袋も竜木も俄かに信じられなかった。
「そ、それじゃあ、大作が見つかったって話は……嘘だったのか?」
 火袋は呆然と呟いた。倅が見つかったと、あんなに喜んでいた豊作だったのに――それは嘘で、しかも、豊作は斎吾に殺された? 力蔵も、くゆりも、他の仲間たちも?
「本当よ。竜木! 火袋さん! こいつら、おばばさまを……力蔵さんを……恵太を! 皆を殺したんだ!」
 美葛が泣きながら斎吾たちの所業を訴えた。
 お駒も力弥も、他の女子供たちも、亭主や父親、兄弟の仇である斎吾を、裏切り者たちを、強い怒りと悲しみと怨みに満ちた目で睨む。
 だが、斎吾と裏切り者たちは、せせら笑うだけだ。
「豊作も力蔵も、俺の仲間になれと言ったところで、あんたと同じ頑固で聞くわけがない。邪魔するに決まっている。だから、まずは豊作を始末するために、大作が見つかったと言っておびき出し、途中で待ち受けて襲ったんだ。その後、代官所に密告して隠れ家を襲撃させた。あんたに味方する奴の数が少なくなったところで、残りは俺らで始末した」
 得意げに話す斎吾に追従するように、裏切り者たちは笑いながら言う。
「女子供は売れるから、生かしておいたよ」
「俺たち皆で楽しんでから、売ってやるさ」
「ばばぁは売れないから、死んでもらった」
 非道な言い草に、火袋も竜木も言葉がない。
「この……この大馬鹿野郎どもめ!」
「仲間を殺したおまえらは、侍よりも悪党だ!」
 心の底から振り絞った言葉も、かつての仲間――裏切り者たちの心には届かない。嘲りの目で、火袋と竜木を眺めるだけだ。
 火袋も竜木も、我慢の限界だ。だけど、下手に手を出して、裏切り者たちが女子供たちに危害を加える恐れがある。歯を食いしばって爆発しそうな怒りを抑える。
「今の世の中、おまえさんのように、融通がきかなくちゃ、食べていけねえんだよ。野盗だって、侍につきゃ、出世できるんだ」
 斎吾は自分こそが正しいと勝者の余裕で語る。火袋には斎吾が堕落したとしか思えない。
「きさま……この外道め!」
「何とでも言いな。刀を捨てなよ。女房と子供が死んでもいいのかよ」
 斎吾が一言命じれば、お自夜と篝火の命は無い。この間まで、火袋に頭を下げていた男たちが、今では斎吾の子分として、刀を突きつけている。
 首に刀を向けられているお自夜と篝火の不安そうな眼が、火袋を見つめる。自分の命より大事な女房と子供――どちらを取るかなんて、火袋はわかっていた。
 火袋の両手から、刀が落ちた。
「お頭!」
 竜木が悲痛な声を上げる。
「おめぇも刀を捨てな、竜木」
 斎吾の宣告に、
「誰が捨てるか!」
 と竜木は叫んだが、
「美葛がどうなってもいいのかい?」
 玉虫が竜木の痛いところを突く。玉虫は斎吾から離れて美葛の傍にしゃがむと、小刀を抜き、美葛の左頬に切っ先を向けた。
「竜木、あたしにかまわないで!」
 美葛はそう言うが、これでは竜木も刀を捨てるしかなかった。
「ちくしょう!」
 二人が丸腰になったところで、子分たちが矢をつがえる。標的は、火袋と竜木。
「さあ、おとなしくあの世へ行ってもらおうか」
 斎吾がにたりと笑う。
 ぎりぎりと、限界まで弓の弦が張られた――その時、
「うおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉーっ!」
 獣の咆哮のような声が、女子供たちを取り囲んでいる野盗の背後から近づいた。
 全身血まみれで、両手に刀を持って駆けてくるのは、黒夜叉の豊作だった。
「髭のおっちゃん!」
 篝火の歓喜の声が上がる。
 豊作は女子供たちに刀を向けていた権六に双剣を振り下ろした。権六の両腕が、肩から切断された。
「ぎゃあああっ!」
 両肩から血飛沫を吹き出しながら権六は絶叫し、そのまま両眼を見開いたまま倒れ、絶命した。
「豊作?」
「な、なんで生きてるんだよ!」
「不死身か、おっさん!」
 野盗たちは殺したと思っていた豊作が生きて戻ってきたので、狼狽えた。
 豊作は咆えるように叫んだ。
「てめぇらに殺される豊作さまじゃねぇ! 倅を見つけるまで、簡単にくたばってたまるか!」

 

 斎吾たちに襲われ、崖から落ちた豊作は、崖の途中に生えていた木の枝に必死に捕まり、転落を免れた。そして、満身創痍の体で戻れば、代官の襲撃で隠れ里は焼け落ちていて、避難場所と決めていた洞窟に行ってみれば、くゆりの、力蔵の、仲間たちの斬殺された骸が転がっていた。
 累々と転がる骸の中で、生き残っていたのは、恵太だけだった。
「しっかりしろ、恵太! 何があったんだ? 誰がおまえたちをこんな……」
「おじさん……よかった……無事で……」
 恵太の顔は血の気を失い、死相が現れていた。それでも必死に口を開き、豊作に伝えようとした。
「代官が攻めてきて……お自夜おばさんと……篝火がさらわれて……火袋おじさんと竜木さんが……助けに……行ったけど……」
「じゃあ、おまえたちをこんな目に合わせたのは、代官?」
「ちが……鼬が……裏切った……みん……な……鼬に殺された……」
 恵太が今際の際に最期の力を振り絞って話した出来事は、豊作の身を怒りで震わせた。
 そして、恵太が息を引き取ると、仇をとろうと洞窟を出て、斎吾たちの姿を探し歩いていたところ、火袋と竜木を殺そうとしていた現場に出くわしたのであった。

 

「斎吾! 恵太が死ぬ前に教えてくれたよ。おまえらの悪行をな! 絶対に許さねぇ。恵太の、おばばさまの、仲間たちの仇!」
 怒りの形相で咆えて襲いかかる豊作に、野盗たちは怯んだ。
 そこに隙ができた。
「やぁっ!」
 美葛は体当たりして玉虫を突き飛ばした。そのはずみで玉虫の握っていた小刀が、美葛の頬を斬る。それでもかまわず、美葛は玉虫に掴みかかった。
「この女狐!」
 美葛は容赦なく玉虫の両頬を掌で打った。
 火袋と竜木も、捨てた剣を拾い、裏切り者たちに襲いかかった。
「うぉおーっ!」
 火袋はお自夜と篝火に刀を向けていた男二人を斬り捨てた。
「あんた!」
「おとっちゃん!」
 お自夜は篝火を抱いて火袋の傍に駆け寄った。
「皆、逃げろ! 逃げろーっ!」
 火袋の呼びかけに、女子供たちは我に返った。そして、脱兎のごとく走り出した。逃がすまいと女子供たちに刀を向ける輩には、火袋と竜木、そして豊作の刀が容赦なく斬る。
 竜木は枯草を薙ぎ払うように邪魔する輩を斬り払いながら、上に下にとなりながら玉虫と殴り合う美葛の元に駆けつけると、玉虫の襟を掴んで美葛から引き剥がし、地面に放り投げた。
「大丈夫か、美葛!」
「平気!」
 竜木の呼びかけに威勢よく答えると、美葛も玉虫から奪った小刀で、裏切り者たちに斬りかかった。
 混乱の中で、お駒は転がっていた刀を拾い、火袋と斬り合っている斎吾に刃を向けた。
「うちのひとの仇!」
「ええい、邪魔だ!」
 お駒の怨みの一撃は、斎吾には通じなかった。
 斎吾は、お駒の刀を弾き返し、そのまま流れるように刀をお駒の身に喰い込ませる。
 獣の牙のように、白銀の刀がお駒の胸を斬り割いた。
 曼殊沙華の花が、お駒の胸に咲いた――
 篝火の目には、そんな風に見えた。
「おっかちゃーん!」
 泣きながら、力弥は倒れたお駒にすがった。斎吾はその小さな背中にも、容赦なく刀を突き刺した。
「ぐっ……!」
 父と同じく心の臓を一突きにされた力弥は、悲鳴を上げる間もなく、そのままぐったりとなった。
「力弥! おばちゃん!」
 友とその母に、篝火は声を限りに叫んだ。だけど、二人とも動かない。目を見開いたまま、怨みの表情を顔に貼りつけて死んだ。
「斎吾ぉぉっ!」
 女子供を無残に斬り殺した斎吾に、火袋は挑みかかった。かつての弟分は、もういない。今の斎吾は、外道の鬼だ。許すわけにはいかない。
「火袋!」
 斎吾も火袋に襲いかかった。たとえ裏切り者と呼ばれても、己の明日を懸けて動いたのだ。ここで諦めるわけにはいかない。
 互いに譲れない思いが、二人を一歩も引かせなかった。
 火袋と斎吾の刀がぶつかり合い、火花を散らす。
 何度か斬り合って、渾身の力で火袋は斎吾の刀を叩き折った。斎吾の刀が根元から折れる。
 これで終わらせる――火袋は斎吾にとどめを刺そうと、刀を振り上げた。

 

 ひゅん――

 

 風が鳴ったと思った途端、火袋は左足の膝に激痛を感じた。続いて右足の膝も。火袋の攻撃の手が止まる。
「――ううっ」
 傷みに呻き声を洩らしながら、火袋の手から刀が落ちた。がくんと、足が膝から崩れる。
「あんた!」
「おとっちゃん!」
 お自夜と篝火の悲鳴が風を裂く。
 火袋の両足に、それぞれ一本ずつ矢が撃ち込まれていた。強い風が吹く中で、的確に急所に打たれた矢は、火袋の戦闘力を確実に奪った。
 誰が矢を射た?
 火袋は痛みをこらえながら膝に刺さった矢を抜いき、矢が飛んできた方向を見ると、弓矢を構えた玉虫が立っていた。
 芸事に秀でてはいても、とても武芸などできそうにない女と思っていたのに、意外な伏兵に火袋も驚きを隠せない。
「さあ、火袋さん。刀を捨てて。でないと、お自夜さんと篝火が、死ぬことになりますよ」
 玉虫はそう言うと、お自夜と篝火に矢を向けた。お自夜は顔を青ざめながら篝火を抱きしめて玉虫に背を向け、矢から庇おうとする。
「よくやった、玉虫」
 斎吾が褒めると、玉虫は艶然と微笑んだ。
「ひ……ひ、卑怯者め!」
 激痛に耐えながら、火袋は斎吾と玉虫を罵った。
 豊作と竜木、美葛が玉虫を取り押さえようとじりじりと近づいたが、
「あんたらがあたしを殺すのと、あたしが二人を射るのと、どちらが早いと思う? さあ、あんたらも刀を捨てるんだ。早く!」
 玉虫の言葉になす術がない。

 

 

 日が高く上る頃、風が嘘のようにやんだ。
 雲ひとつない空は青く晴れ渡り、明るい秋の日に照らされた峠には、爽やかな秋には似つかわしくない骸がいくつも転がっていた。
 血だまりの中に沈むお駒と力弥、そして五人の子分の骸を一瞥すると、斎吾は火袋たちに目を向けた。
 両足を傷つけられて、豊作に支えてもらって立っているのがやっとの火袋。
 篝火をしっかり抱きしめるお自夜。
 竜木と美葛は固く手を繋いでいる。
 断崖絶壁の崖の縁に立たされた彼らは、処刑の時を待っていた。
 斎吾の子分で、傷だらけになりながらも辛うじて生き残った八人が、かつての首領、かつての仲間に弓矢を向けていた。
「女たちは、皆逃げちまった。大損だ」
 斎吾は悔しそうに言う。お駒と力弥以外の女子供たちは、この混乱で皆逃げることができた。斎吾たちには商品となる女子供が逃げて惜しいが、火袋たちには幸いなことだった。
「そいつはよかった」
 と火袋は満面の笑みを顔に浮かべ、
「何もかもおまえの思い通りにいくか。甘い奴だ」
 豊作は肩をすくめ、
「ざまあみろ」
 竜木は斎吾を嘲笑った。
 お自夜と篝火、美葛は心の底からほっと安堵の表情を浮かべる。
 そんな火袋たちに、斎吾は非情な宣告をした。
「あんたの女房子供に、損を取り戻してほしいところだが、俺もそこまで情け知らずじゃねぇ。親子仲良く、殺してやるよ」
「斎吾……」
 火袋は斎吾を睨みつけ、これが最後の忠告とばかりに訴えた。
「本気で侍と手を組んで、うまくやれると思っているのか? あいつらは、俺たちを虫けらのように思っている。利用するつもりが、利用されるだけだ」
「俺はそんなへまはしねぇ」
 火袋の真摯な言葉も、斎吾には届かなかった。
 他の者たちも、斎吾に言ってやりたいことは山ほどある。だが、言っても無駄だとわかった。だから、もう何も言わなかった。
 今やるべきことは、生き延びるためにどうするかだ。
 逃げる機会をうかがう火袋たちに、斎吾はただ一言、言った。
「あばよ」
 弓の弦が半月のように張られ、
「撃ちなっ」
 玉虫の一声で、八本の矢が射られた。
 火袋と豊作はお自夜と篝火を、竜木は美葛を庇った。
 男たちの体に矢が刺さる。それでも愛する者を守るために、身を盾にした。
 次々と矢が降ってくる中、彼らの足元の土が崩れた。ぐらりと体が傾いて、次々と崖から落ちていく。
「わぁ――っ!」
「きゃぁっ!」
「あーっ!」
「うわーっ!」
「きゃああああぁっ!」
「わあああああぁ――」
 六人の哀れな犠牲者の悲鳴が、その身と共に地上に吸い込まれるように落ちるのと同時に、小さくなり、やがて聞こえなくなった――
「あーはっはははははは」
 玉虫の高らかな笑い声が、峠に響いた。斎吾はかつてあにきと慕っていた火袋が堕ちた崖の下を、じっと見つめる。
 崖の下は、川が流れている。落ちたら河原に叩きつけられて即死か、川で溺れて死ぬ。到底助かることなどできないだろう。
 邪魔者は消えた、これでいいと思うのに、なぜ喜べない?
 むっつりと黙っている斎吾に、玉虫と子分の一人が声をかけた。
「斎吾さん」
「お頭」
 呼ばれて斎吾は気を取り直す。いつまでも済んだことに捕らわれているわけにはいかない。これからどこの領主と手を組むか、見定める必要がある。金ももっと入用になる。死んだ子分の代わりに、人を集めなければ。やることはいっぱいある。忙しくなるのだ。昨日までのことは忘れて、明日のことを考えなければ――
「野郎ども、行くぞ!」
 首領として、鼬の斎吾は命じた。

 

 これ以後、火炎夜叉の火袋の名は加賀から消え、代わりに鼬の斎吾の名が、残忍無慈悲の野盗として広まることになる。

 

 

 どこまでも暗く、深い闇の底に沈んでいた。
 苦しみも悲しみもなく、夢も見ないくらい穏やかな眠りに身も心も浸っていた。
 目覚めたくない。
 このまま眠っていられたら、どんなに楽か。
 だけど、自分を呼ぶ声がする。それは愛しい――
「……ちゃん……おっか……ちゃん……おっかちゃん!」
 篝火の声に、気を失っていたお自夜は意識を取り戻した。
「起きて、おっかちゃん。起きてよぉ」
 泣き出したいのを堪える我が子の声に、お自夜はこじ開けるように瞼を開けた。
 目の前には、大きな黒い目に涙を浮かべている篝火の顔があった。
 篝火は横たわるお自夜の傍にしゃがんで、母を起こそうと名を呼んでいた。お自夜が目を覚ましたので、ほっと安堵の笑みを浮かべる。
「か……が……り……び……」
 お自夜は上半身を起こし、篝火を抱き寄せた。
「大丈夫、篝火? どこも痛くない?」
「おいらは平気だよ。でも、おとっちゃんが……」
 篝火の視線の先には、体中矢を受けて、傷だらけの火袋が倒れていた。
「あんた!」
 お自夜は這って火袋の傍に近寄った。
「あんた、あんた。しっかりして」
 ぺしぺしと掌で頬を叩くと、火袋は軽く呻いて、意識を取り戻した。
「お……お自夜……」
 火袋が息を吹き返したことに、ほっと息を吐くと、お自夜は周囲を見回した。
 今自分たち親子がいるのは、秋草が茂る河原だ。他に人気はない。
「豊作さんは? 竜木と美葛はどこなの?」
 お自夜は豊作たちの姿を求めて、視界の届く限り河原を見たが、一緒に崖から落ちた彼らの姿はどこにもなかった。
 傍を流れる川は、急で流れが速い。まさか、三人は川に落ちてしまったのか?
 三人のことは心配だが、お自夜は不思議に思う。あんな高い崖から落ちたのに、お自夜も篝火も無傷だ。打撲の痕もない。二人を庇って矢を受けた火袋だけが、傷を負っている。
「……どうしてわたしたち、助かったのかしら?」
 疑問を口にすると、篝火が母に答えた。
「鳥だよ。でっかい鳥が、おいらたちをここまで運んだんだ」
「なんですって? 大きな鳥ですって?」
「そうだよ、おっかちゃん。金色に光るでっかい鳥が飛んできて、落ちたおいらたちを背中に乗っけたんだ」

 

 崖から落ちて、意識を失いかけた時、篝火は鳥の羽ばたく音を聞いた。
 その目に映ったのは、金色に光る羽根を持った大きな鳥だった。
 山鳥に似た姿の鳥は、大きな翼を広げて落ちていく篝火を背に乗せた。続いて気を失った火袋とお自夜も背に乗せて、悠々と飛んでこの河原まで舞い降りた。
 そして、三人を下ろすと、鳥は虚空に飛び去っていった……

 

「ああ……!」
 篝火の話で、自分たちを助けた鳥は神仏の化身だと、お自夜は確信した。四年前、篝火を産む時に仏の化身が助けてくれたように、今回も助けてくれたのだと、お自夜は信じた。
「だから、おいらたち助かったんだ。髭のおっちゃんや竜木にいちゃん、美葛ねぇちゃんはどうなったのかわからないけど……おいらたちが助かったんだ、きっと助かってるよ!」
 豊作たちの無事がわからないので、篝火は一瞬顔を曇らせたが、すぐに明るく笑ってお自夜の憂いを晴らそうとする。
「そうね……豊作さんも、竜木も、美葛もきっと無事よ。きっと……御仏のご加護が……」
 お自夜は曇天の空を見上げた。雲の隙間から、柔らかな光が差し込んで、生き延びた親子を祝福するかのように照らした。

 

 

「なぜ助けた?」
「なぜ助けた?」
「なぜ親も助けた?」
 命拾いしたと喜ぶ親子の上空では、風がごうごうと吹いている。
 人には風の音としか聞こえないが、魑魅魍魎、妖怪変化の類が発する怒号が、虚空にいくつも響く。
「助けるなら、あの子供だけでよかったのに」
「子供だけでよかったのに」
「子供だけでよかったのに」
 妖怪どもは、親子を助けた金色に輝く鳥を非難した。
 鳥は光る尾羽を持ち、孔雀に似ていた。だが、並の孔雀よりはるかに大きく、人を背に乗せられるほど巨大な体躯と翼を持っていた。
 仲間に裏切られた哀れな親子を助けたのは、神仏などではなく、金色の孔雀の姿の魔物だったのだ。
「このまま親と一緒にいたら、いつあの小僧に会えるかわからん」
「わからん」
「わからん」
「今からでも行って、親を喰ってしまおう」
「それがいい」
「それがいい」
 意気込んで下界に下りようとする妖怪どもだが、
「まだだ」
 金色の孔雀の魔物は、同類を止めた。
「我が君の命だ。あの子はまだ一人では生きられぬ。あの子が一人でも生きられるようになるまで、親も一緒に助けよと仰せられた。それに、親はあの子を生かすために、我と我が身を犠牲にするであろう。わざわざおまえらが喰らわなくても、いずれ死ぬ――見ておれ。美しい思い出が多ければ多いほど、失った後の悲しみの味は、極上のものとなるであろう。さすれば、我が君はお喜びになる」
 人の不幸は蜜の味。
 金色の孔雀の魔物の言い分に、妖怪どもは納得した。
「それもそうだ」
「それもそうだ」
「それもそうだ」
 そうしてこれから始まる悲劇を、まるで喜劇でも見るように、笑い始めた。
「あっはっは」
「かっかっか」
「はっはっは」
 邪な笑い声は、虚空にいつまでも響いた。

 

 

 雲に覆われた空は、月も星も隠れてしまった。光のない夜の森は、どこまでも暗くて恐ろしい。
 焚き火をして火を絶やさないようにしているが、それでも心細い。
(しっかり、お自夜。火袋と篝火を守れるのは、わたしだけなんだから)
 弱気になる心を叱咤しながら、お自夜は眠る火袋と篝火を見つめる。
 足に傷を負った火袋は、一人では歩けない。そんな火袋を支えながら、お自夜と篝火はなんとか森に入って身を隠した。
 本当は医師に見せたかったが、町は遠いし、たとえ医師の所に運んでも、牢から脱走して代官を殺した重罪人となった火袋を、手当てしてくれるとは思えない。即刻通報されて役人に捕まる。お自夜は森に生えている薬草を摘んで、火袋の傷の手当てをするしかなかった。
 薬草が効いているのか、火袋は傷の手当てをするとすぐに眠りについた。逆に篝火は、夜が更けても眠ろうとしなかった。昨日からろくに食べられなかったし、今夜もお自夜が摘んできたほんの少しの山葡萄の実しか食べてないから、空腹でいつまでもぐずり、お自夜が抱いて子守歌を歌っても、中々寝なかった。
 やっと寝たと思っても、安らかな眠りとはいかないようだ。篝火は時折うなされ、
「……力弥ぁ……恵太にいちゃん……竜木にいちゃん……美葛ねえちゃん……おばば……髭のおっちゃん……」
 殺された友や、大好きだった人たちの名を呼ぶ。
 悪夢は当分続くだろう。お自夜は自らの経験から、篝火が哀れでならなかった。友を、親しい人を失う悲しみを味あわせたくなかったのに。
 お自夜は揺れる炎を見つめながら、これまでのこと、これからのことを考えた。
(斎吾がまさか裏切るなんて……! 裏切ったやつらも、子供の時から知っている。信じていたのに……どうして?)
 お自夜の脳裏に、斎吾に甘える玉虫の姿が浮かんだ。
 人買いから助けた時、ただ一人だけ仲間になると言った女。
 侍が憎いと言った言葉を信じて仲間にしたが、正直言って、玉虫は疫病神だとお自夜は思っていた。男に媚を売り、女とは揉め事ばかり起こした。そうして玉虫は品定めしていたのだ。自分の言いなりになる男を。
 思えば裏切った奴ら全員、玉虫と噂があった男ばかりだ。斎吾とはいつからそうなったのか気がつかなかったが、恐らく最近――きっと火袋と斎吾が言い争ったあの夜の後からだ。
 火袋に意見をしたが、聞き入れられなかった斎吾を、玉虫は甘い言葉で誘惑し、裏切るように唆したのだ。
「あの女……!」
 お自夜は手にしていた小枝をへし折った。ぱきっと乾いた音を立てて小枝が折れる。
(殺してやる……あの女の顔を八つ裂きにして、息の根を止めてやる。あの女だけじゃない、斎吾も、裏切った連中も、殺してやる。きっと皆の仇を……)
 凶暴な獣の心がお自夜の内に沸き上がった。今、お自夜は自分の顔に夜叉の表情が浮かんでいることに気づかない。それほど真っ黒な感情に心が染まったその時、
「お自夜」
 ふいに火袋の声がして、お自夜は物思いから覚めた。
「あ、あんた」
 火袋は横になったまま、顔だけこちらを向いてお自夜を見ている。不思議とその目は穏やかだった。斎吾に裏切られて悔しいとか、傷が痛いとか、そんな感情の揺れは一切なかった。
 そこにあるのは、強い決意の光。ただそれだけ。
「俺は、諦めない」
 火袋は傷の痛みをこらえながら、力強く言った。
「足の傷が治ったら、俺はまた仲間を集めてやり直す。必ず侍どもを追い払って、百姓の国を作る。子供たちが腹いっぱい食えて、安心して暮らせるようになるまで、俺は戦う。こんなことで、諦めやしない。負けてたまるかっ!」
「あんた……!」
 裏切られても、仲間を失っても、傷ついても、立ち上がろうとする火袋に、お自夜はどす黒い感情が洗われる思いがした。
(そうだわ……もっと大事なことがあった……篝火のために……どこかにいるはずの朧火のために……私がやるべきことは……)
 お自夜は火袋の思いに応えるように、火袋の右手を取り、両手で握った。
「豊作さんたちも、探さなくちゃね。きっと、心配しているわ……」
「ああ」
 火袋は守るように、お自夜の手を握り返した。

 

 

 だが、思うようにはいかないのが人生というものだ。
 傷が癒えても、火袋の足は立てなかった。膝は不自然に曲がり、杖無しでは立つことも歩くこともできなかった。これでは侍と戦うなんて無理だ。
 森を出て河原を歩いて豊作と竜木と美葛を探したが、行方は知れなかった。
 彼らが生きているのか、死んでいるのか。
 それでも、悲しみを堪え、新たな仲間を集めようと、前から火袋の考えに賛同し、協力してもらっていた者が住む村を訪ねた。
 だが、戦に巻き込まれて村は全滅していた。人っ子一人いなかった。
 どこの誰との戦いに巻き込まれたのか、火袋たちにはわからない。
 わかっているのは、当てにしていた者が死んでしまったことだ。
 火袋たちは途方に暮れた。
 代官を殺したお尋ね者として加賀の国中手配されている火袋に、協力してくれる者などそうはいないだろうし、生きていることが斎吾に知られたら、身の危険だ。
 まずは、生き延びることが先決だ。戦うのは、それからだ。
 安住の地を求めて親子はさまよった。
 春の麗らかな日も、夏の日差しが暑い日も、秋風が吹く日も、冬の雪降る日も、ただひたすら歩いた。
 生きていくために、お自夜は金持ちの家に押し入って、金や食べ物を奪った。
 でも、すぐにやめてしまった。足の不自由な亭主と、育ち盛りの子供を抱えていては、お自夜一人では、十分な稼ぎにはならなかったし、危険だった。
 そうして一年……二年……時が過ぎていく。
 旅の空の下で、篝火もひとつ、ふたつと歳を重ねた。
 山の中の隠れ里にいたころは知らなかったが、世の中というものは、血の匂いと死の気配に満ちていると、篝火は子供心に思った。
 行く先々の村、どこも戦火に焼かれ、大勢の人が死んでいた。

 

 文明六年、加賀の守護、富樫政親と弟の幸千代が、家督を巡って争っていた。
 その頃、政親は応仁の乱において東軍に与したが、幸千代は、兄が長年の敵赤松政則と同じ軍に身を置いていることに不満を抱き、西軍に身を置いていた。
 幸千代は守護代の額景春(ぬかかげはる)の支援を受け、越前の守護代、甲斐敏光(かいとしみつ)とも組んだ。さらに真宗高田派の門徒まで動員して兵を挙げた。
 政親は加賀を追われたが、そのまま諦めはしなかった。西軍から東軍に寝返ったことで越前の守護の座を手に入れた朝倉孝景に協力を要請し、本願寺の蓮如に、加賀での布教を認める代わりに門徒を加勢させた。
 こうして血で血を洗う激しい戦いが、加賀の全土に広がった。

 

 篝火が七歳の年の夏は、酷暑だった。空からは一滴の雨も降らず、蝉の鳴き声が暑苦しさを煽るようだ。
 ただでさえ戦で畑は荒らされ、作物が採れないのに、あまりの暑さに草も木の葉も枯れ、田んぼの水は干からびて稲は育たない状態だった。
 飢饉で何万、何十万、何百万もの民衆が飢え死にした。
 骨と皮だけになった骸が、あちらこちらに、いくつも転がっていた。
 この光景に、篝火は火袋に聞いた。
「おとっちゃん、地獄って、こんなとこかい?」
 火袋は言った。
「地獄なんて、もっともっとましな所だ!」
 どうして地獄がこの世よりましなのか――それは、この世に鬼が全て這い出てきて、地獄の底は、からっぽだから。

 

 どこに行っても、食べる物は無かった。
「おとっちゃん、おっかちゃん、お腹空いたよう」
 腹が空きすぎて、泣くこともできない篝火は、か細い声で父母に訴えた。
「よしよし、あっちに村がある。何か採ってきてやろうな」
 火袋は篝火を元気づけるように言い、
「瓜でもなっていればいいんだけど」
 お自夜は疲れたように、呟く。
 その村は、他の村と同じく荒れ果てていた。人の気配はなく、ここも戦か飢饉のせいで全滅したかと思ったその時――
 道の向こうのあばら家の前で、腹だけは膨れた痩せ細った男が立っているのが見えた。
 男は手に持っている物を口に持っていき、噛み切った。口をもぐもぐと動かし、何か食べているように見えた。
「おとっちゃん、あの人なんか食べてるよ!」
 篝火は食べ物が見つかったと、嬉しそうに声を上げた。
 火袋は必死に杖を突いて男に近寄った。
「そこの人! 後生だ。この子に食い物を分けておくんなさい。もし……そこの人!」
 懇願する火袋に、男は嫌々と首を振り、持っていた食べ物を大事そうに胸に抱えて、あばら家に入ってしまった。
「ほんのちょっぴりでいいんだ。ただでくれろとは言わねぇ! 薪割でも畑仕事でもやるよ。俺も昔は百姓だったんだ」
 諦めきれず、火袋は男が入ったあばら家に入った。
「うわっ!」
 家の中を一目見た瞬間、火袋は思わず声を上げた。
 なんてことだ、なんてことだ、なんてことだ!
 火袋は男が食べていた物の正体を知って、呆然となった。
 家の中には、女が横たわっていた。血の気のない、青ざめた顔から、女はこと切れているのは明らかだ。男は女の躯の前に座って、小刀で骸の胸の辺りから干からびた死肉を削ぎ切り、そのまま口に運んだ。
 美味そうな表情を浮かべて、男はくちゃくちゃと肉を咀嚼する。
 目の前の光景に、頭の中が真っ白になって、火袋はただ突っ立っているしかできない。
 肉を飲み込むと、男は火袋に向かって叫んだ。
「これはおらのだ! やらんぞ! 喰いたいのなら、外にいくらでも転がっているから、それを喰え」
 吐き気を堪えながら、火袋は黙ってあばら家を出てお自夜と篝火の元に戻った。
「おとっちゃん、食べるものは……?」
 手ぶらで戻ってきた火袋に、篝火は悲しそうな目で見つめる。
「あ……諦めな、篝火……あいつの喰っているもんは……」
 火袋は、叫ぶように言った。
「人だ!」

 

 親子は再び歩き出した。だが、ついには歩く力も無くなって、道に座り込んでしまった。
「おなか減ったよう!」
 篝火はお自夜の膝に縋りついて、空腹を訴えた。だが、火袋もお自夜も、篝火の飢えを満たしてやることはできない。
「……俺の足さえ達者なら……おまえたちをこんな目にあわせはしねぇのに……なさけねぇ……」
 女房子供を喰わせてやれない悔しさに、火袋は自由にならない己の足を怨んだ。足をこんな風にした玉虫を、裏切った斎吾を怨んだ。
 しかし、今は怨み言を言っている場合ではない。生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
 今すべきことは、食べ物を手に入れることだ。
 飢えを満たせるのなら、なんだっていい。鳥でも、虫でも、草でも、腹に入るのなら、たとえ人の肉だって……
 極限の飢餓(うえ)は、火袋に尋常ならざる行動を起こさせた。
 火袋は小刀を抜いて、近くに転がっている骸のほうに這っていった。死んだばかりの、まだ新鮮な……
「肉……肉……」
 そう呟く火袋の眼は、血走って焦点が合っていなかった。
 火袋の意図に気づいたお自夜は、火袋の背に縋って引き止めた。篝火も火袋に追い縋る。
「あんた! やめて! それだけはやめて!」
「おとっちゃん! やめろーっ!」
 お自夜と篝火の声に、火袋は正気を取り戻した。そして、自分がしようとしたことに、身を震わせた。お自夜と篝火の静止が無かったら、人肉を喰らっていたかもしれない。
 火袋は、がっくりと大地に手をついて項垂れた。その姿に、野盗の首領として侍を相手に戦っていた義賊の姿は無い。今の火袋は、乱世の波に呑まれ、消されていくその他大勢の一人でしかない。
 あれほど大きく見えていた火袋が、篝火の眼に小さく映った。それが篝火には、とても悲しい。
 結局、食べ物は見つからなかった。
 しかし、もはや人の肉を喰らう勇気は無く、親子は萎れた草を毟って食べ、川の水を飲んで飢えを凌いだ。

 

 火袋が外道に堕ちかけた日から、何日が過ぎたのか、篝火にはわからない。
 河原で休んでいると、牛車が通りかかった。
 牛車には、護衛の侍と牛飼童が大勢付き従っていた。篝火たちとは別世界にいる、身分の高い人が乗っているのだ。おそらくこの辺りの領主の身内だ。
 篝火には、そんなこと知らなかったし、関係なかった。飢えた腹は、肉付きの良い牛を焼いて喰らいたいという欲求を訴えて、ぐうぐう鳴る。
(うまそうな牛だなぁ。喰いたいなぁ)
 篝火が物欲しそうな眼差しで牛を見ていると、牛車の中の者が、牛飼い童に車を止めさせた。牛舎の前簾の隙間からほのかに見えるのは、色鮮やかな絹の衣を着た女。
 女は従者に二、三言づけ、包みを渡した。従者はうやうやしく女主人から渡された物を受け取ると、篝火の前に来て差し出した。
「奥方さまからのお恵みだ。食えっ」
 慇懃な態度で差し出したものは、白い饅頭。
「うわぁ!」
 久しぶりのまともな食べ物に、篝火は歓声を上げて受け取った。饅頭なんて、本当に久しぶりだ。
 だが、
「そんなものを食うのは、よしなっ!」
 火袋がそれを止めた。
 火袋は篝火から饅頭を取り上げると、杖を突いて牛車の女に饅頭を返した。
「どこのどなた様か知らねぇが……せっかくだが、お返ししますぜ。人が飢え死にしている時に、うめぇものを喰っているのは、おまえさんたち侍だけだ。そんなやつから、施しなんか、いらねえ!」
 叫んで火袋は饅頭を牛車の中の女に向かって投げつけた。
 火袋の拒絶に、侍たちは激怒した。
「こ……この無礼者めっ。奥方さまに何をする!」
「切り捨てい!」
 民を自分と同じ人と思っていない侍たちは、問答無用と刀を抜いて火袋に斬りかかった。
「うおおおおっ!」
 火袋は獣のように吠えながら応戦した。歩くことはできなくとも、杖無しでも立ってはいられる。火袋は斬りかかってくる刀を、杖を槍代わりにして払い除けた。
 侍の一人が、頭を割られて頭蓋骨が剥き出しになり、血が噴き出す。
 鳩尾に杖が入ってもんどりのたうつ者、肩を砕かれ刀を落とす者と、一人、また一人と侍が倒されていく。彼らの主人である奥方とお付きの侍女、牛飼童は、とっくに逃げ出した。
 そして、たった一人残った侍が、震えながら火袋に問うた。
「きさま……何者なんだ?」
 たかが百姓とは思えぬ戦いぶりに、怖じ気づいた侍に、火袋は高らかに答えた。
「俺は、火炎夜叉。野盗火袋だ!」
「火袋? 深雪野の代官を殺した野盗かっ!」
 火袋の名を聞いた途端、侍の顔が青ざめた。安西蘭風を殺して以来、姿を消した火袋の名は、三年たった今でも加賀の侍にとって、恐怖と憎悪の対象だったのだ。
 火袋は顔をひきつらせる侍を杖の一撃で叩き殺した。
 久しぶりに見る火袋の荒々しい姿を見て、篝火は胸が熱くなった。昔の火袋と変わりなく、いいや、それ以上の雄々しさに、父への誇らしさが蘇る。
 もはや、侍は全てやっつけた――火袋も篝火も、そう思ったその時、
「あんたーっ。危ないっ!」
 お自夜が気づいて叫んだ時には、遅かった。
 牛車の陰に隠れていた侍が、背後から火袋を槍で一突きした。
「……っ!」
 火袋の腹を貫いて、槍が血塗れの鉾先を現した。
 串刺しになった火袋は、ゆっくりと後ろを振り返り、自分を刺した侍を見た。そして、震える足で侍のほうに近づいていく。
 腹を串刺しにされているのに、萎えた足で近づいてくる火袋を幽鬼でも見るように、侍は凝視する。逃げたいのに、鬼気迫る火袋が怖くて、逃げられない。
「下手糞め! 槍というものは……こう刺すんだ……!」
 火袋は侍と真正面に向き合い、両腕を伸ばした。そのまま肩を掴んで侍を抱き寄せる。
「ぎゃあああぁっ!」
 甲高い断末魔が、侍の喉から漏れた。
 火袋の腹に突き刺さった槍は、火袋だけでなく、投げた相手も貫いた。
 そのまま火袋は、侍の体に覆いかぶさるように倒れた。

 

 火袋の墓の前で、お自夜と篝火は手を合わせた。
 河原に生えている桜の木の根元に穴を掘って、火袋を埋葬した。暑さのために葉が全て枯れて落ちてしまった桜の枝は、骨のように空に広がっている。
 お自夜は声もなく涙を流していた。硬い表情で墓を見つめるお自夜の横顔には、哀しみと決意の色が浮かんでいた。
(あんた……わたし一人でも、きっと篝火を守ってみせるわ……だから、あの世で蛍火と一緒に見守って……)
 篝火は土饅頭のような墓を見ていると、止まったと思っていた涙がまた零れそうになった。
(泣いちゃ駄目だ。これからは、おいらがおっかちゃんを守らなくちゃ――おとっちゃんみたいに)
 泣くまいと自分に言い聞かせる。
(おとっちゃん、おっかちゃんは、おいらがきっと守るよ)
 亡き父に心の中で誓うと、篝火は空を見上げて泣くのを我慢した。美葛も泣きたくなる時はそうしていたと、思い出しながら。
 桜の枝の隙間から見える空は、既に日が沈んで濃い藍色から漆黒の闇が広がっていた。
 その闇に、煌めく星がいくつも瞬いていた。

 

 

 父に先立たれ、母子二人旅となった。
 灼熱地獄の夏が終わり、涼風が吹く秋が来ても、お自夜と篝火に、この世はどこまでも厳しかった。
 よそ者を嫌う村人に、野良犬のように追い払われたりした。
 荒くれ者に言いがかりをつけられて、理不尽な暴力を振るわれた。
 甘い言葉を囁いて、お自夜に体を売らせようとする輩や、篝火をかどわかそうとする輩から命からがら逃げた。
 それでもお自夜は篝火を育てるために、どんなことでもした。
 木の実を採った。
 食べられる草を毟った。
 川で小魚や海老を獲った。
 裕福な家の残飯を漁った。
 道で物乞いまでした。
 そうして手に入れた食べ物を、全て篝火に与えた。
 そして、冬……

 

「さあ、一杯のお粥にも、御仏のお慈悲があるぞ。並んだ並んだ」
 大地が凍り、厚く垂れこめた雲が空を塞ぐ冬の初め、戦によって住む所を失った貧しい人々のために、国分寺で施行が行われた。
 僧たちが、大きな釜で粥を炊く。一杯の粥を恵んでもらうために、大勢の人が並んだ。
 その列に、お自夜の姿があった。
 粥をもらうために、列は絶えることなく続く。
 そうしてようやくお自夜の番になった時、
「入れ物は?」
 そう聞かれて、お自夜は無いとしか言えなかった。
「椀が無ければ粥はやれぬ」
という僧に、
「お願いです、子供が腹を空かせているんです。どうかお粥を……!」
 我が子に粥を食べさせたい母は、必死だった。そして、両手を差し出した。
「こ、この手の中に盛ってくださいまし!」
「馬鹿なこと……掌にこの熱いお粥を盛れるものか。焼けただれてしまうぞ」
「いいえ! かまいません。どうぞ、どうぞお願いします」
お自夜は怯まずに懇願した。我が子の飢えを満たしたい。火傷など、恐れはしない。
 お自夜の覚悟に、僧は粥を掌に盛った。熱い粥は、柔らかな女の掌を赤く焼いた。それでもお自夜は手を放したり、無様に叫び出したりしなかった。一滴も粥をこぼすまいと、熱さをこらえた。
「あ……ありがとうございます」
 激痛に耐えながら、粥を盛ってくれた僧に感謝の言葉を言った。微笑みながら。
 僧は思わず手から杓子を落としそうになった。お自夜の微笑みに、菩薩を見たような思いがしたのだ。
 我が子の元へ戻るお自夜の後ろ姿に、僧は両手を合わせた。この荒んだ世の中に残っていた最も美しく尊いものを見たと、胸を震わせながら。

 

「さあ……篝火……おいしいお粥だよ……」
 お自夜は篝火に両手に盛った粥を出した。
「おっかちゃんの分は?」
「おっかちゃんは、先に食べたから……全部お食べ……」
「うん!」
 篝火はお自夜の掌から粥を啜った。凍えた体を温かくしてくれる粥は、どんなご馳走よりもおいしかった。
 喉を鳴らしてうまそうに粥を啜る篝火を、お自夜は心の底から嬉しそうに見つめた。
 篝火が粥を食べ終わると、赤く焼けただれたお自夜の掌が見えた。
「おっかちゃん、手……!」
 赤く焼けただれた掌に、篝火は息を飲んだ。そうだ、こんなに熱い粥を掌に盛ったら、火傷するに決まっている。そのことに気づかず、粥を食べることばかりに夢中になっていた自分を、篝火は罵倒したくなる。
「……大丈夫よ……こんなの、平気。なんでもないわ」
 お自夜は我が子の罪悪感を和らげようと、微笑んだ。火傷の痛みよりも、我が子が飢えるほうが辛かった。だから、篝火の飢えが少しでも癒されるほうを選んだ。それだけのことだ。
「でも……!」
 篝火が泣き出しそうになった時、
「もし……」
 母子に声をかけるものがあった。
 お自夜の掌に粥を盛った僧が、こちらにやって来た。そして、お自夜に小さな壺を差し出した。
「火傷に効く薬です。塗ってください」
 お自夜の火傷の手当てをし、自分にはこれくらいしかできないと、申し訳なさそうに頭を下げて、僧は寺に戻っていった。
 お自夜と篝火は、その後姿に何度も感謝の言葉をかけた。

 

 戦乱の世に、わずかに残っていた人の慈悲にすがって、母と子は生きた。
 だが、篝火に手に入る食べ物をほとんど与え、お自夜が口にするのは、ほんの僅か。
 お自夜は、日に日に痩せ衰えていった。
 そして、雪降るある日……

 

 

 その年の冬は、いつに増して雪が深かった。
 天も地も雪に覆われて、白だけの世界だった。戦の傷跡も、何もかも全て覆い隠した。
 雪が方向を誤らせ、お自夜と篝火は吹雪が吹きすさぶ冬山に迷い込んでしまった。
 古びた文殊堂がぽつんと建っていた。せめて雪がやむまではここで泊ろうと、中に入った。
 お自夜は篝火の雪を払い、掌で冷たくなった頬や手を摩って温めようとする。
 お自夜の掌は、火傷の痕が残ってごわごわしている。それでもくすぐったくて、篝火は声を立てて笑った。
「あははは。くすぐったいよ、おっかちゃん」
 こんな寒くて凍えそうな時でも、我が子の笑い声はお自夜の救いだった。
 それからお自夜は篝火の髪を手櫛ですくと、己の髪を縛っていた紐で結い直した。
「おっかちゃん、いいの?」
 篝火が欲しがっていた曼珠沙華の花びら染めの紐。
 前は男の子が着けるものではないと叱られたので、お自夜の手で結わいてくれたので、篝火はびっくりする。
「朧火は……あんたの顔知らないからね……これを着けていれば……あんたが弟だってわかるから……朧火も、同じ紐持っているから……」
「そうだね。おいらもねぇちゃんの顔知らないから、すれ違ってもわからない。これ着けてたら、ねぇちゃん、おいらのこと弟だってわかるね」
 篝火はにっこり微笑んで、お自夜に言った。
「な、おっかちゃん。春になったら、ねぇちゃん探そう。ねぇちゃんも、おいらたちのこと、探していると思うよ」
「そうね……春になったら……朧火を探そうね……」
 いつ終わるとも知れぬ雪の中で、遠い春を待ち焦がれる母子だった。

 

 三日三晩続いた吹雪は、昼になってやんだ。雪がやんでいるうちに麓へ降りようと、母子は文殊堂を出た。
 しかし、冬の山を舐めてはいけなかった。
 歩き始めていくらもしないうちに、再び雪が降り始めた。初めは粉雪だったが、すぐに大きな牡丹雪になる。風も吹いてきた。文殊堂に戻ろうと思っても、吹雪で方角もわからなくなってしまった。
 夜になり、暗闇と寒さの中で、母子は立往生する。
 古ぼけた蓑と笠では、風雪から身を守りきれない。
 吹雪の中、とうとうお自夜は力尽きた。もうこれ以上歩けない。柔らかな、だけど冷たい雪の上に座り込んだ。
 だが、篝火を凍えさせはしまいと、懐深く篝火を抱いて、身を挺して吹雪から庇った。
「さあ、おっかちゃんの懐へ、顔を突っ込んでおいで……あったかいよ……」
「うん、おっかちゃん」
 篝火はお自夜の胸にすがって、その温もりを感じた。
「なあ、おっかちゃん。戦はいつ終わるんだろ……」
「すぐ終わるよ。きっと、すぐ終わるよ……それまで生きていようね……篝火……」
 お自夜はそう言うと、それっきり黙ってしまった。
 しばらくして、篝火は母がちっとも温かくないことに気づいた。お自夜の体が氷みたいに冷たくなっている。
「おっかちゃん……どうしたの?」
 お自夜の異変に気づいた篝火は、身を起こした。お自夜の体を揺さぶると、ゆらりと揺れ、そのまま雪の上に倒れた。
「おっかちゃん、起きて。起きてよう!」
 篝火はお自夜を起こそうと、声をかけ、体を揺さぶった。篝火のなすがままにお自夜の体が揺れる。
 まさか――嫌な予感が篝火を襲った。死の気配は、この乱世では身近なものだった。大好きだった人も、そうでない人も、皆死んだ。だけど、お自夜だけは、お自夜だけは違うと篝火は思っていた。そう思おうとしていた。
「おっかちゃん。死んじゃいやだ! おっかちゃん!」
 だが、篝火がどんなに呼んでも、お自夜の閉じられた瞳は、二度と開かれなかった。
 雪は、我が子のために命を削って死んだ母と、母の死を嘆き悲しむ子を共に葬り去ろうとするかのように、降り積もる。
「おっかちゃん! おいら、もう飯なんかいらん。食べ物なんかいらん。だから、死なないでおくれよう。おっかちゃん! おっかちゃん!」
 凍てつく空の下、篝火の慟哭は吹雪に呑み込まれ、消えていった。

 

 

「誰かが泣いている……」
 誰かの声が聞こえた気がして、あこ丸は目覚めた。
 ここ数日やむことのない雪が、音もなく降る夜のことだった。
 医師寿海の庵であこ丸は眠っていたが、叫び声を聞いて眠りから醒めた。
 実際に聞いたのではない。聞こえたのは、あこ丸の心の中だ。生まれつき耳の聞こえないあこ丸は、常に静寂の中に身を置いている。隣に眠っている寿海のいびきさえ、あこ丸には聞こえない。
 だけど、あこ丸の心に誰かの声が聞こえてきた。誰なのだろうと、心の目で周囲を見回すが、この庵には、寿海の他には誰もいない。
 誰が泣いていたのかわからないが、あこ丸は胸が痛んだ。とても悲しみに満ちた声だったから。
「誰なの? どこにいるの?」
 呼びかけても、答える者はいない。
 あこ丸は途方に暮れた。どうしたらいいのかわからない。あんなに悲しい声で泣いているのに、答えてあげられない。助けてあげられないのが、とても、辛い。
(会いたい――)
 誰だかわからないけれど、声の主に会いたいと、あこ丸は切に願った。
 その願いは、今はかなえられることはない。

 

 

 

2019年4月19日 (金)

どろろ百鬼繚乱草紙 まれびとの章12

   無残帳の巻中編


 長月も十五日になった。
 東名新兵衛の屋敷を襲ってから十日余り。盗品を金に変えるためと、偵察もかねて、火袋は斎吾と十三名ほどの部下を麓の町に送り出した。
 その中に玉虫もいた。
 商人の家で働かされたことがあるという玉虫は、物の真贋を見極めることができた。
 玉虫の見立てで、商人に安値で買い叩かれていたものが、一見すると地味でも、実は値打ち物であったことがわかった。以来、盗品の売買をする際は、商人との交渉役に玉虫も同行することになったのだ。
 残った女たちは、くゆりの家の周りに集まって、先月摘んだ曼殊沙華の花びらで染めた糸で、髪を飾る紐を編んでいる。
「ああ、やっぱり村で染めたようにはいかないねぇ」
 くゆりは手にした糸の染まり具合に、溜め息をついた。
 まほろ村で染めていた頃は、燃えるように鮮やかな紅だが、今年出来上がった糸は、桜の花びらのように淡い紅だ。
「しかたないわ、おばばさま」
「曼殊沙華の花、少ししか咲いてなかったから、とても村にいた頃みたいな色には染まらないわ」
「来年は、もっとたくさん摘みましょう。そしたら、濃い色に染まるわ」
 女たちは口々にくゆりを慰める。
 村を出てからこの隠れ里に腰を落ち着けるまで、曼殊沙華の花びら染めをする余裕などなかった。
 今年は山に咲いていた曼珠沙華の花を摘み、五年ぶりにまほろ村の特産である花びら染めをすることができた。花びらの量が少なくて、思ったような濃さに糸は染まらなかったが、まほろ村の女たちは、皆嬉しくてたまらない。
「一本だと薄い色だけど、編んだら濃く見えるわ。きれいねぇ」
 他の村の出身のお駒は、初めて曼殊沙華の花びら染めの糸で紐を編んで、感嘆の声を漏らした。
「ほんと。きれい」
「きれいきれい」
 幼い子も、村が襲われた時は赤子だったから、お駒同様、編みたての曼殊沙華の花びら染めに目を輝かせ、はしゃいだ。
「今年は五つのお祝いできるわね。今までお祝いできなかった子の分も、編んであげるわ」
 お自夜は女の子たちに微笑んだ。
 まほろ村の女の子は、五歳の年の秋に成長を祝って曼殊沙華の花びら染めの組み紐で髪を結う。だが、四年前に醍醐景光によって村を追い出されて、流離う日々では、とても曼殊沙華の花びら染めで紐を作り、髪を飾って祝うことができなかった。
 五歳の祝いをしてもらえなかった女の子たちは、母や姉のような美しい紐で髪を結わけることに、嬉しい悲鳴をあげた。
「ほんと? 嬉しい!」
「ありがとう、おばさん!」
「おねぇちゃんたちと、お揃いね!」
「さあ、編むわよ」
 美葛は張り切って花びら染めの紐を持っていない妹分の女の子たちのために、紐を編み始めた。
 他の女たちも、丁寧に、心を込めて紐を編む。

 

 女たちがせっせと紐を編んでいる一方、男衆は、のんびり秋の昼下がりを過ごしていた。
 家で昼寝している者、双六に興ずる者、相撲をとる者、それぞれだ。
 火袋と豊作は、切り株に座り、山で採ってきたあけびの実を食べながら、広間で男の子たちが竜木に剣の稽古をつけてもらっているのを眺めていた。
 今、竜木と木刀を交えているのは、恵太だ。両手でしっかり木刀を握りしめ、右に、左にと竜木に打ち込む。
 一方、竜木は右手だけで木刀を握り、余裕で受け止める。
 かーん、かーんと打ち合う音が響き合う。
「がんばれー恵太!」
「竜木にいちゃん、負けるなー」
 子供たちの元気な応援の声が隠れ里に響く。
 火袋と豊作は、子供たちの成長に目を細めながら、あけびをひとつ、ふたつと食べる。
「なあ、火袋」
「なんだ、豊作」
 最後のあけびの果実を口に含んで、たっぷり甘い汁を吸ってから種をぷっと吐き出すと、豊作はこの数日の思いを吐露した。
「斎吾のことなんだが……本当に、考え直したと思うか?」
 侍と手を組むべきだ――酒盛りの夜、そう言った斎吾の強い眼差し。あれは本気の目だった。だから、翌朝あっさり自分の考えを翻して、火袋に謝罪した斎吾に豊作は不信を抱いた。
「斎吾はたった一晩で考えを変えるくらいの、軽い考えで言ったとは思わねぇ。あいつは、諦めていねぇよ」
 火袋もあけびの実の種を吐き出して、言った。
「俺は……信じてぇ。斎吾は昔からの弟分で……仲間だ」
「だがよ……火袋……」
 弟分を、仲間を信じたい火袋の思いはわかるが、子供の頃から知っているからこそ、豊作は斎吾に対する警戒心と漠然とした予感を消すことができない。
 豊作は声を潜めて提案した。
「……白骨岬(はっこつみさき)のあれ――場所を変えたらどうだ? 篝火に痛い思いさせちまったのに、すまないが……いずれ斎吾も勘づくだろう。今、あいつに知られるのは、まずい」
「そうだな。今度、勇魚(いさな)とも相談しよう……」
 豊作の提案を、火袋は拒否しなかった。
 二人だけの相談がまとまった時、
「やあぁっ!」
 恵太の気合の籠った剣が、竜木の木刀を叩き落とした。
「やった……!」
「参った、恵太」
 恵太に一本取られた竜木は、潔く負けを認めた。
「恵太、すげぇや!」
「恵太にいちゃんが、竜木にいちゃんに勝った!」
 子供たちが二人を取り囲んで、称賛の声を上げる。
「強くなったな、恵太」
「よくやった」
 火袋も豊作も、恵太の成長を頼もしく思って微笑み、感嘆の声を漏らした
「ね、おじさんたち! 今度は俺も仕事に連れてって!」
 恵太は火袋と豊作の元に駆け寄ると、野盗の仕事を手伝わせてほしいと懇願した。
 だが、豊作は首を振って反対する。
「駄目だ駄目だ。おめえはまだ十三じゃねぇ」
「竜木にいちゃんが初めて仕事したのは、十四だったよ。俺といくらも変わらないじゃないか。それに、竜木にいちゃんに勝てるようになったら、一緒に仕事に連れて行ってくれるって、豊作おじさん言ったじゃないか」
「一回ぐらい竜木に勝ったからって、自惚れるんじゃねぇ。竜木は手加減していたんだぞ。それに、木刀での勝負なんざ、お遊びだ。真剣で命のやり取りしたことのない小童が一緒じゃ、足手まといだ」
「そんな!」
 叔父と甥の言い合いに、火袋は静かに言った。
「俺たちが留守の間、誰が皆を守るんだ?」
 火袋は諭すように恵太に告げる。
「おまえは強くなった。だからこそ、留守を任せられる。おまえが女子供たちを守らなくて、誰が守るんだ? 外に出て侍どもと戦うだけが、仕事じゃねぇ。女子供たちを守ることも、大事な仕事だ。恵太、わかるな?」
「……はい」
 火袋の説得に、恵太は素直に頷いた。
「さあ、次は誰だ? かかってこい!」
 話が着いたところで、竜木が子供たちに呼びかける。
「よーし、竜木にいちゃん、勝負だ!」
 篝火が小枝を剣代わりに竜木にかかってきた。
「俺も!」
「おいらも!」
 篝火に続いて力弥ら、男の子たち五人が、いっせいに竜木にかかってきた。小枝でぺしぺしと、竜木を叩く。
 幼い子とはいえ、一度にかかってこられては、竜木もかなわない。
「いて、いてて――うわぁ、勘弁してくれ」
 たまらず、竜木は逃げ出した。
「待てーっ、竜木にいちゃん!」
 篝火を先頭に子供たちに追いかけられた竜木を、皆は笑って見ていた。

 

 曼珠沙華の花びら染めの紐が編み上がり、女の子たちはさっそく髪を紐で結ってもらう。
「嬉しいな。おっかちゃんとおねぇちゃんたちとお揃い」
 髪をきれいに結ってもらって、女の子たちはご機嫌だ。互いに髪に結わかれた紐を見せ合う。
 それを見て、お自夜の目にうっすらと涙が浮かんでいるのに気づいたのは、くゆり一人だけだ。
 お自夜は娘たちのことを思い出している。
 同じように我が子を亡くしたくゆりには、それが痛いほどわかる。
 くゆりが気づかわし気に見ていることに気づいたお自夜は、慌てて涙を拭い、朗らかに言った。
「さあ、おやつにしましょう。美葛、他の子供たちも呼んできて」
 お自夜の提案で、女たちは、おやつの支度を始めた。美葛は急いで広間の方に駆けて行き、剣の稽古をしていた男の子たちにも声をかけた。
「皆―っ! おやつよー! おばばのうちに集まってーっ」
 美葛が呼ぶと、竜木を追いかけていた篝火たちは、小枝を放り投げ、歓声を上げてくゆりの家の前に向かった。
「ふう、助かった」
 追い回されていた竜木は、やっと子供たちから解放されてほっと溜息をついた。
 皿に盛られた団子に、子供たちは我先にと手を伸ばした。男の子たちは稽古の合間に火袋たちが採ってきたあけびも食べたが、体を動かしたから、すぐに腹が減る。女の子たちも、母たちに教わって拙いながらも紐を一生懸命編んだから、やっぱりおやつが食べたくなる。
 子供たちの相手をしていた竜木も腹が減っているから、団子に手を伸ばして頬張る様は、大きな子供だ。
 あっという間に皿は空になり、子供たちは黙々と団子を食べた。
 食べている時だけおとなしい子供たちを眺めながら、大人たちも団子を食べた。
「どう、竜木? 綺麗に編めたでしょ?」
 美葛は団子を食べる竜木に、編み上がったばかりの紐を見せたが、
「うん、うまいうまい」
 団子が美味いのか、紐が上手いのか、どちらかわからない言い方をするので、むくれた。
「竜木ったら!」
 怒って美葛は竜木から離れたが、竜木のほうは、何故美葛が怒ったのかわからず、目を丸くする。
「なんで? なんで怒るんだ?」
 我ながら綺麗に編めた紐を竜木が褒めてくれなかったのが面白くない美葛は、ふと、団子を食べ終わった篝火に目を向けた。
 縄で結わいている黒く艶やかな髪が、頭の上で揺れている。縄なんかより、曼殊沙華の花びら染めの紐で飾ったら、きっと篝火に似合う――いいこと思いついたと、美葛は微笑んだ。
「篝火、ちょっとじっとしてね」
 美葛は篝火の髪を解くと、編んだばかりの紐で結い直した。
 薄紅の紐で髪を結ばれた篝火は、美葛の思った通り、可愛く見えた。
「篝火、可愛い。似合うわ」
「ほんと? 美葛ねぇちゃん」
 褒められてまんざらではないので、篝火は得意そうに微笑んだ。
「ほんとだ。篝火、似合う」
「似合うね」
「髪に花びら染めの紐がよく映えるねぇ」
 子供たちも、女たちも、髪を結った篝火を可愛い、似合うと口々に褒めたが、
「女の子みたい、篝火」
 力弥が何気なく言った一言で、のどかな雰囲気は一変した。
「駄目よ、篝火!」
 お自夜が立ちあがり、子供たちの輪にいる篝火の前に立った。恐ろしい物を見たかのように、顔を真っ青にして叫ぶ。
「曼殊沙華の花びら染めは、女だけが着けるものよ! 男の子は駄目!」
 優しいお自夜が、いつになく厳しい口調で叱るので、篝火だけではなく、この場の者全員が団子を食べるのを止め、凍りついた。
「ほどきなさい、篝火!」
「やだ!」
「男の子なんだから、駄目!」
「なんで着けちゃ駄目なんだよ、おっかちゃん! おいらもおっかちゃんたちとお揃いの紐、着けたい!」
「駄目なものは駄目!」
 紐をほどけと言うお自夜と、素直にほどかない篝火。
「お自夜、そんなに怒らなくても……」
「ご、ごめんなさい、お自夜さん……篝火、紐ほどくね」
 火袋が庇い、母子の言い争いの種になった自覚から美葛も謝るが、お自夜も篝火も聞いていない。
 確かに曼殊沙華の花びら染めは、まほろ村では女が身に着ける風習だが、お自夜が激怒するほど厳しい決まりでもない。戯れに男が着けることなどよくあった。だから、お自夜の怒りの理由がわからず、皆が途方に暮れる中、くゆりが助け船を出した。
「おっかさんが怒るのも無理ないよ、篝火」
「どうしてさ、おばば」
 くゆりがお自夜の味方をするので、篝火は頬を膨らませた。
「女の子ばかりきれいな紐で髪を結ってさ。ずるいよ」
 篝火の抗議に、くゆりは説明した。
「男が曼殊沙華の花びら染めの紐を結ぶのは、夫婦(めおと)約束した女から貰った紐でないと駄目だ。まほろ村の男は、みーんな女房になるって約束した女から貰った紐を着けて、祝言をあげるもんだ。このおばばの亭主も、おばばがあげた紐を着けて祝言した。篝火、おまえのおとっちゃんも、じいさまも、そうだった。おまえが美葛から貰った紐着けたら、美葛と夫婦約束したことになるぞ」
「そっか……そうだよね」
 くゆりの言うことに納得した篝火は、うんうんと頷いて、自分で紐をほどいた。そして竜木の方に近寄り、「はい」と紐を差し出した。
「美葛ねぇちゃんの紐は、竜木にいちゃんが着けないとね」
 にっこり笑う篝火に、竜木も同じくらい笑顔で紐を受け取った。
「おう。ありがとな、篝火。美葛、ちゃんと貰ったぞ」
 この成り行きに、美葛は顔を真っ赤に染めて怒鳴った。
「馬鹿! あんたからまだ夫婦になろうって言われてないわ! 順番が逆でしょ!」
「あれ? そうだっけ? 前に言ったと思ったけど」
「言ってないわよ!」
「じゃあ、今言う――」
 竜木は美葛の前に立つと、言った。
「美葛、この紐、俺にくれ。俺と夫婦になってくれ」
 真剣な表情の竜木を前にして、美葛の頬はますます真っ赤になった。
「……そこまで言うんなら、その紐あげてもいいわよ。あんたの女房に、なってあげるわ」
 ぶっきらぼうに、でもはっきりと美葛は答えた。
 その場にいた全員が、わぁっと歓声を上げた。
「めでてぇめでてぇ。立木と美葛が一夫婦になるぞーっ」
 豊作が手を叩き、若い二人が夫婦約束したことを声高に知らせる。
騒ぎを聞いて、何事かと隠れ里の者があちこちからくゆりの小屋の前に集まった。
「どうした? 何があった?」
「二人が祝言あげるぞ」
「誰と誰が夫婦になるって?」
「竜木と美葛だ」
「それはめでたい!」
 竜木と美葛が夫婦になると聞いて、誰もが口々に若い二人を祝す。
「おめでとう!」
「おめでとう、竜木! おめでとう、美葛!」
「にいちゃん、ねぇちゃん、おめでとう!」
 皆が竜木と美葛がいい仲だと知っていても、まほろ村を失ってから、そうした祝い事など一切できなかった。この隠れ里に落ち着いて、ちゃんと祝言を上げて若い二人を祝えるようになったことに、歓喜した。
 ただ一人、お自夜は気まずさから、そっとその場から立ち去った。
「お自夜……」
 後を追おうとする火袋を、くゆりは止めた。自分に任せろ――眼差しでそう告げると、お自夜の後を追った。

 

 歓びの輪から離れ、一人林の中に入ったお自夜は、嗚咽を堪えようと掌で口を覆った。
「う……っ……うう……」
 何かに耐えるように肩を震わせるお自夜の背に、くゆりはそっと声をかけた。
「大丈夫かい、お自夜?」
 労りと慈愛に満ちた優しい声に、お自夜はこらえきれなくなった。
「おばばさま……!」
 くゆりに縋りつき、声を上げて泣いた。
「篝火は、男でなくちゃいけないの――でなければ、死んでしまう! 鬼の子に殺されてしまう!」
「よしよし。わかっているよ。篝火のために怒ったんだよね。あの子のために、おまえはよく頑張っているよ」
 篝火には秘密があった。どうしても知られてはならない秘密が。
 四年前、お自夜は篝火が生まれてから、おしめが外れるようになるまで、火袋以外の誰にも篝火を触らせなかった。世話を手伝おうとする女たちの申し出を、頑なに断った。
子供を失うという惨い経験をしたのだからと、お自夜の警戒心を不快に思う者はなく、お自夜の気持ちを慮って、あえて赤子の世話を手伝おうとはしなかった。
 それでも村を追い出されて流離う中、一人で赤子の世話をするのは大変だ。お自夜が疲れ切ってうとうとした時、くゆりはお自夜を休ませてやりたくて、そっとお自夜の腕からぐずる赤子を抱き上げ、おしめを変えてやろうと産着を脱がせた時、悟ったのだ。お自夜の警戒の理由を。
篝火は、男と女、ふたつの性をその身に刻んでいた。このような体の者を、二形(ふたなり)ということをくゆりは聞いたことがあるが、見るのは初めてだった。
 二形に生まれると、前世の罪の報いだとか、世が乱れるとか言われている。村が攻められたのは、異形の子供が生まれたせいだと言い出す者も出かねない。だから、お自夜は誰にも赤子を触らせなかったのだ。
 秘密をくゆりに知られて、お自夜は泣きながら話した。篝火が生まれた夜の出来事を。

 

「篝火は、女の子として生まれるはずだったの。でも、女の子のままで生まれると、篝火は死ぬって……だから、お坊さまに言われた通り、男になれって願った――願ったのに、私のせいで、こんな体で生まれてしまった……鬼の子を退治しなければ、男になれないのよ!」

 

 御仏の化身のような若い僧侶の予言と、天女のようなあやかしが見せた惨い未来の幻。そして、篝火に背負わされた宿命。
 長く生きていても、仏にもあやかしにも会ったことのない――鬼のような侍には、大勢会ったが――くゆりは、お自夜の話を夢物語のように聞いた。
 だけど、実際に篝火は、男でもあり女でもある、男でもなく女でもない体だ。
 娘二人を失っているお自夜が、一人残った我が子を守ろうと、篝火が男であることを強く願うのも、無理はない。
 くゆりはひたすら我が子を思う母親を、責めることができない。
 泣きじゃくるお自夜の背中を、くゆりは優しく撫でてやる。
「大丈夫。篝火は強い子だ。生き延びることができる。きっと……強い大人になるよ」
 我が子の将来に不安を抱いているお自夜の心を少しでも軽くできればと、くゆりは大丈夫と言い続けることしかできなかった。

 

 

 皆で竜木と美葛を祝福している中、馬の蹄の音が荒々しく隠れ里に響いた。
 馬に乗っているのは、権六だった。
 権六は斎吾と一緒に町に出かけていた筈だ。それが一人馬を飛ばして戻ってきた。ただならぬ様子に、大人も子供も不安と心配な面持ちだ。
「どうした? 何があったんだ」
 火袋が問うと、息を乱しながら馬から降りた権六は、誰もが信じられない言葉を紡いだ。
「み、見つかった……倅……豊作あにきの倅が、見つかった……!」

 

 その夜、火袋とお自夜は恵太を呼んで一緒に夕餉を食べさせた。このまま豊作と住んでいる小屋に帰らせないで、自分たちの小屋に泊らせるつもりだ。
「恵太、ちょっと背中貸して」
 夕餉の後、お自夜は恵太を立たせて、肩幅や背丈を測った。
「大作ちゃんは、どのくらい大きくなったかしらねぇ」
「大作は俺よりふたつ下だけど、昔から体が大きかったから、俺と同じくらいでいいと思うよ、おばさん」
「そうね。男の子はすぐに大きくなるし。恵太と同じ大きさでいいわね」
 母や姉を亡くした子のために、隠れ里の女たちは、衣類の繕い物などを引き受けている。
 今夜、お自夜が縫うのは、豊作の倅、大作の為だ。
 豊作は町から慌てて帰ってきた権六と共に、町へ向かった。理由は、豊作にとってずっと待ち望んでいた情報を得たからだ。
 権六の話によると、麓の町外れの寺に下働きとして来た子供が、まほろ村の生まれだという噂を馴染みの商人から聞いたそうだ。

 

「年の頃や背格好とか聞いてみると、豊作あにきの倅に似ている。しかも、元の名前が大作っていうじゃないか。これは豊作あにきの倅に間違いないって」

 

 四年間探し続けた倅の行方を知って、豊作はさっそく権六と共に山を降りた。すでに時刻は夕暮れ間近で、馬で走っても麓に着くのは夜遅くなる。朝になるまで出発は待つように皆が言ったが、一刻でも早く倅に会いたい豊作は、馬を飛ばして隠れ里を出た。
 恵太も一緒に行きたがったが、火袋が引き止め、豊作が大作を連れて帰るまでは、火袋たちが面倒見ることにしたのだった。
「苦労したでしょうね、大作ちゃん。この四年、どう暮らしていたのかしら……」
 子供一人、人買いに売られ、虐げられただろうと思うと、お自夜は大作の苦労を思って、涙が零れる。
「おっかちゃん、泣かないで」
 篝火は小さな手を伸ばして母の涙を拭った。
「そうだよ、おばさん。これからは、皆で暮らすんだ。大作は、もう独りぼっちじゃないよ」
 恵太もお自夜を慰める。
「そうね……大作ちゃんが見つかってよかったわ」
「そうだ、大作が見つかって、本当によかった」
 火袋は我が事のように、嬉しそうに何度も何度も頷いた。
「うちのねぇちゃんも、早く見つかるといいな」
 篝火が無邪気に言った言葉に、三人とも微笑んで頷いた。
「ああ」
「大作ちゃんと一緒にさらわれた朧火の行方も、これでわかるかもしれない」
「そうだよ、おじさん、おばさん。きっと朧火も見つかるよ」
 明るい光が前途に灯った。
 誰もがそう思った夜も更けてゆく。
 だけど、明日をも知れぬのが、人の世――乱世だった。

 

 漆黒の空に浮かんでいた月が、雲に隠れようとしていた。
 雲が月の光を覆ったのを、馬上の豊作は夜空を見上げて確かめると、舌打ちした。
「急ぐのに、ついてねぇ」
 隠れ里を出て、もうすぐ麓に着く頃だというのに月が隠れてしまっては、山道を歩く馬の足がますます遅くなる。こんなに足の遅い馬だったかと、倅に早く会いたい豊作は、焦る心を抑えられない。
「ほ、豊作あにき、落ち着いて。斎吾のあにきが先に寺に行って、大作を引き取る話をつけているはずだから」
 後ろから突いてくる権六の声さえも、呑気に聞こえてしまう。
 実際は、緊張に権六の声が震えていたのだが。
「そうは言ってもなぁ、やっぱり親父のわしが和尚に会って話さねぇと――」
 その時、前方に気配を感じて豊作は口を噤み、馬を止めた。
 行く手に何者かの影が見える。それも、一人二人ではない。

 

 

 天まで届くような雄叫びが、夜明け近くの隠れ里を揺るがした。
 眠っていた火袋は飛び起きて枕元に置いてあった刀を掴むと、小屋の戸を開けて外を見た。
隠れ里の西の方が、赤々と明るい。揺れる光。あれは、炎の光だ。誰かの小屋が燃えている。失火? 違う!
「野盗どもは、皆殺しだーっ。一人残らず殺せーっ!」
 非情な命令が、火が燃えている方から聞こえてくる。続いて女の悲鳴と、幼子の泣き声が夜空に響いた。
 野盗火袋の一党を抹殺したいと思っているのは、侍や役人。怨みを買っているのは自覚している。どこのどいつがなんて、心当たりがありすぎるが、今日襲って来たのは、この前襲撃した東名新兵衛の義兄で、代官の安西蘭風か。
 どうしてこの隠れ里がわかったのか――その答えを出す前に、火袋は起きたばかりのお自夜たちに向かって叫ぶ。
「逃げるぞ! 代官の兵が来やがった!」
 お自夜はすでに刀を腰に差し、篝火を腕に抱いている。恵太も固い表情で身構えている。
 火袋が先に小屋を飛び出し、先頭を走った。篝火を抱いたお自夜と恵太も後に続く。
 近所の者たちも、慌てふためいて小屋から逃げ出した。
 小屋から飛び出した途端、雨霰のように火矢が飛んできて、小屋の屋根や壁に当たった。すぐに火は小屋に燃え移り、灼熱の舌を伸ばして焼き尽くそうとする。
 続いて武装した雑兵たちが、太刀や槍を手に追いかけてきた。騎馬兵もいる。
「邪魔だ! どけっ!」
 退路を開かんと、火袋は刀を振るった。炎の赤に負けない鮮やかな血が、地面を染めた。
「この侍どもめ! 串刺しにしてやる!」
「どきやがれ!」
 力蔵や竜木たちも、得意の獲物で応戦する。 
 加賀に名の知れた野盗火袋一党は、女子供たちを守り、生き延びようと、必死で戦った。
 しかし、豊作や斎吾ら、戦える男が留守で、隠れ里に残っているのは年寄りがほとんどだ。火袋たちは、数の上で不利だった。
 次から次へと湧いてくる雑兵相手に、斬っても斬ってもきりがなかった。逆に、斬られ、絶命するのは野盗のほうだった。
 男だけではない。女も子供も、野盗の身内ということで、問答無用に殺された。
 そして、襲撃から半刻もしないうちに、隠れ里のほとんどが灼熱の炎に包まれた。
 四年前と同じだ――
 火の粉が降り、黒い煙が充満する中、お自夜はまほろ村が襲われた時と、今の惨劇が同じだと感じていた。
 あの時も、侍が突然攻めて来た。愛しい人、親しい人が大勢殺された。
だけど、今度は守ってみせる。今度こそ――
 お自夜は腕の中に抱いた篝火を一層強く抱きしめながら、火炎地獄と化した隠れ里の中を駆けた。
「お自夜、子供たちを連れて先に洞窟へ逃げろ。俺は侍どもを食い止めてから行く。恵太、お自夜と篝火のこと任せたぞ」
 なんとか追手を振り切って、山の入り口まで来ると、火袋は先に行くよう指示した。
山の奥には、敵が攻めて来た時の為に隠れる洞窟を見つけてあった。そこには食料や武器も隠してある。洞窟に避難すれば、ひとまず安心だ。
 火袋は一人でも多くの仲間を助けるために、隠れ里の方に戻った。
「あんた……無事でね」
 お自夜は亭主の背中を見送ると、篝火をしっかり抱いて山を登り始めた。篝火を抱いているので、次第に歩みが遅くなる。
「おばさん、篝火は俺が背負うよ」
「いいよ、にいちゃん。おいら、歩くよ」
 お自夜を気づかって、恵太は自分が代わりに篝火を背負うと言い、母と恵太の負担になるまいと、篝火はお自夜の腕から降りようとした。
しかし、我が子を守ると固く決意しているお自夜は、首を横に振った。
「大丈夫よ。洞窟まではすぐなんだから」
 手放すまいと、お自夜は篝火の小さな体をいっそう強く抱きしめる。
 お自夜の強い目の光に、篝火も恵太も母親の強さを感じた。
「……わかった。おばさん、がんばって。洞窟まであと少しだよ」
 恵太はお自夜たちを守るように、先に立って歩き出した。篝火は自分の非力さが悔しくて、お自夜の胸に顔を埋めた。
 その時――夜明け前のほのかに明るくなってきた山の中、きらりと光る銀の刀と共に、黒い影が木の影から飛び出した。
「うわぁっ!」
 左肩から二の腕の皮膚が裂け、肉が斬られる痛みに、恵太は絶叫した。斬られた――そう感じながら地面に倒れた恵太が見たのは、自分を見下ろしている雑兵。
「恵太!」
「にいちゃん!」
 すでに山にまで敵が入り込んでいたなんて――お自夜と篝火は悪夢を見ている思いで左肩から血を流して倒れている恵太と、血まみれの刀を持った雑兵を凝視した。
 お自夜は篝火を下ろして後ろにかばうと、腰の刀を抜いた。
「その子から離れろ!」
「女だてらに刀を使う――おまえ、火袋の女房だな?」
 雑兵はお自夜を火袋の女房だと見抜くと、にたりと笑い、呼子笛を吹いた。

 

 ぴぃーっ――

 

 笛の音を合図に、どこからかともなく雑兵が集まってくる。
 五人の雑兵が、お自夜と篝火を囲んだ。
「さあ、刀を捨てておとなしく来い!」
 偉そうに怒鳴りつける雑兵に、お自夜は反撃しようとした――が、
「おっと。この小僧がどうなってもいいのか?」
 恵太の首に刀の切っ先を向けられて、お自夜は反撃できなかった。
「おばさん! 俺に構わず、逃げて!」
 恵太は痛みをこらえながら必死に叫んだ。雑兵が「黙れ!」と怒鳴って、刀の先で首の皮膚を切った。ほんのわずかだが、血が滲む。
「やめて!」
 恵太の血を見て、お自夜は叫んだ。
 篝火を守りたい。だけど、恵太も大事だ。恵太を見捨てることなどできない。
 お自夜の手から、刀が落ちた。
「よーし、おとなしく縛につけ」
 雑兵たちはお自夜と篝火を後ろ手に縛りあげた。
「痛い! 離せよ! こんちくしょうめ!」
 ぎりぎりと容赦なく縄で締められて、篝火はたまらず声を上げた。幼子の柔らかな肌と肉に荒縄の痛みは涙が零れるくらいだ。
 お自夜も縄の痛みに顔を歪ませたが、侍どもに無様な姿を見せるものかと、歯を食いしばり、一言も声を漏らさなかった。
「ううぅ……おばさ……篝火……」
 苦痛に耐えながら、恵太は二人を助けようと、出血する左肩を抑えながら、よろよろと立ち上がった。
 そんな恵太を、兵は槍尻で突いて突き倒した。
 あっけなく飛ばされ、倒れた恵太を、雑兵たちが嘲笑う。
「小僧、代官さまからの伝言だ。火袋に伝えろ――今日の日が沈む頃までに代官屋敷に一人で来い、とな。一人で来なかったら、女房倅は殺す!」

 

 

「代官の屋敷に行ってくる」
 安西蘭風の襲撃から逃れ、洞窟にたどり着いた隠れ里の住人は、火袋を始めとして、くゆり、竜木、美葛、力蔵一家の他、老若男女合わせて二十人足らず。男たちは代官の兵と必死に戦ったが、多くが傷を負い、女子供も含めて仲間のほとんどが殺された。
 そして、火袋の女房倅もまた、安西蘭風に人質にとられ、風前の灯火だった。
 重傷を負いながらも必死に洞窟までたどり着いた恵太から、お自夜と篝火が代官の雑兵たちに連れていかれたことを聞いて、火袋は迷わず一人で代官屋敷に行くことを決意した。
「力蔵、豊作たちが帰ってくるまで、皆を頼む」
「お頭!」
「そんな! 無茶だ!」
「豊作あにきたちが帰って来るまで、待った方が――」
 力蔵も竜木も、他の仲間たちも、火袋を行かせまいと、必死に止める。一人で代官屋敷に行くなんて、殺されに行くようなものだ。
しかし、火袋は、無茶は承知だった。麓の町に行っている豊作や斎吾たちが帰ってくるのを待っていたら、日没まで間に合わない。火袋が指定の時間までに来なかったら、蘭風はきっとお自夜と篝火を殺す。
どんな宝よりも、自分の命よりも、お自夜と篝火が大事だ。火袋は、蘭風と刺し違えてでも二人を助け出す決意だった。
「おじさん……ご……ごめ……ごめんなさい……おばさんと篝火……守れなくて……」
 傷を手当てしてもらった恵太は、起き上がろうとして美葛に止められた。恵太の傷は深く、出血も多かったので、絶対安静にしていなければならない。
 傷の痛みではなく、申し訳なさで泣き出しそうな顔で、恵太は火袋を見上げる。涙で滲んで、火袋の顔がよく見えない。
「大丈夫だ。おまえは傷を治すことを考えろ。おまえを怪我させちまって、豊作にも申し訳ない」
「おじさん……」
「ちょっと代官の野郎と遊んでくるだけだ。なぁに、すぐお自夜と篝火連れて戻ってくるから、心配すんな」
 恵太や心配する仲間たちに、なんでもない風に言って、火袋は笑った。
 火袋はくゆりを始めとする女たちに怪我人の手当と看病を任せると、洞窟を出て行った。
「おじちゃん、気をつけて」
「おばちゃんと篝火、きっと助けてね」
「まってるね」
 篝火の遊び友達の子供たちが、心配そうに、しかし火袋を信じて声援を送った。

 

 火袋が出て行ってすぐ、
「俺も行ってくる」
 そう言って、竜木が立ち上がった。
「あいつらの言う通り、お頭は一人で代官の屋敷に行った。俺は俺で、勝手に行くんだ」
 刀を手に、屁理屈みたいな主張で火袋たちを助けに向かった。
「気をつけて、竜木!」
 お自夜と篝火を助けたい気持ちは同じだ。美葛は竜木を止めなかった。
「俺たちも豊作たちが帰って来たら、助けに行く。それまで無茶するな!」
 力蔵たちも今は一緒に助けに行きたい気持ちを堪えて、竜木を送り出す。
「……神仏がおわすのなら……どうかあの子たちを助けて……」
 くゆりはそっと、火袋親子の無事を祈った。その声は、いつものような元気も威勢の良さもなかった。
 そうして怪我人の手当てや代官屋敷襲撃の準備にてんやわんやしている洞窟内に、誰かが入って来た。
「あ、斎吾おじちゃんだ」
 最初に気づいた力弥が、入り口の方を指さした。
 皆一斉に入り口を見ると、力弥の言う通り、斎吾が入ってきた。
 斎吾だけではない、斎吾と一緒に麓の町に出かけていた玉虫や十三人の仲間たち、豊作と寺に行っていた筈の権六の姿もあった。
 だが、豊作の姿だけがなかった。
 豊作は倅のいる寺に残っているのだろう――恵太も他の者も、そう思い、豊作が一緒に帰ってこないことを疑問に思わなかった。
 ただ、小袖で出かけたはずの斎吾たちが、胴丸を身に着け、刀を腰に下げて武装していることに、違和感があったが、お自夜と篝火が安西蘭風の人質になり、火袋が一人で代官屋敷に向かった一大事の時だ。誰もが素直に斎吾たちが帰ってきたことに安堵した。
「斎吾、大変だ。お自夜さんと篝火が代官の野郎にさらわれて、お頭が――」
 無防備に斎吾に近づいた力蔵は、留守の間に起こった出来事を告げようとした。
だが、最後まで話すことはできなかった。
 斎吾は黙って刀を抜くと、力蔵の胸を刺した。
 力蔵は何が起こったのかわからない、という顔で斎吾を見た。
 にやりと斎吾は力蔵に笑いかけ、さらに刀を深く突き刺した。
「ぐっ……」
 力蔵の背中から血に濡れた刀身が現れる。心の臓を貫かれた力蔵の唇から、呻き声と共に血が溢れた。
 斎吾が刀を抜くと、力蔵は力なく倒れた。
 目の前の出来事が信じられなくて、洞窟内の者は蒼白になり、声も出ない。
 いや、斎吾と、斎吾と一緒に麓から戻ってきた玉虫と仲間たちは、平然と、むしろ楽しそうに喉を鳴らして笑った。
 凍りついていた時を動かしたのは、お駒の絶叫と、力弥の悲鳴だった。
「いやーっ! あんたぁーっ!」
「おとっちゃん!」
 お駒と力弥は力蔵の体にすがり、揺すった。だけど、声を限りに呼んでも力蔵は返事をしない。
「なんてことしやがるんだ、斎吾!」
「気でも狂ったか!」
 男たちは斎吾に罵声を浴びせた。女たちは悲鳴を上げ、子供たちも怯えて泣き出した。
「斎吾! おまえ、おまえは……なんてことを!」
 くゆりが声を震わせながら、斎吾に詰め寄った。
 だが、斎吾の答えは無く、ただ一言、
「うるせぇ、ばばぁ」
 そう毒づき、力蔵の血で赤く染まったばかりの刀を振り上げた。

 

 

 時刻は酉の刻。東の空が暗くなる代わりに、西の空が茜色に染まり始めていた。
 代官屋敷の表には、代官の安西蘭風、義弟の東名新兵衛の他、武装した雑兵たちが待機している。野盗火袋を捕縛するために。
 もうすぐ日が沈む。日が沈んでも火袋が来なかった場合、人質を処刑する段取りだ。
「義兄上、あいつらの処刑を」
 待ちきれず、新兵衛は蘭風に人質の処刑を急かす。財宝を奪われた挙句に屋敷を焼かれて、たとえ女子供でも、野盗は許せない。
 だが、馬の蹄の音が聞こえてきて、新兵衛の望みはかなえられないことを告げる。
 荒々しく走る馬の姿が蘭風たちの視界に入った。馬を操るのは、野盗の火炎夜叉の火袋。
「一人で来たか……」
 蘭風は唇の端を少し上げて笑った。
 代官屋敷の前に馬で乗りつけた火袋は、馬上から怒鳴った。
「糞代官! 俺の女房と子供を返せっ! どこにいるんだーっ!」
「おまえの女房と子供か? 牢の中で震えて泣いているわ。抵抗すると、女房子供を一太刀で斬り捨てるぞ!」
 火袋は蘭風の脅しに従うしかなかった。馬から降り、刀を捨てた途端、一斉に兵たちが飛びかかり、縄をかけた。
 刑場に引きずられた火袋は、今までの襲撃のお返しとばかりに、牛馬の如く鞭で打たれ、棒で叩かれ、拳で殴られ、石を抱かされた。
 鞭が皮膚を裂き、石の重みで骨が軋む。
「ううううぅーっ!」
 呻き声を上げた火袋を指さし、新兵衛は細い目をいっそう細めて、愉快そうに笑う。
「は、は、は! 野盗め! 天に代わって罰してやろう! 義兄上、もっと懲らしめてやりましょうぞ!」
 だが、蘭風は一度拷問を止めさせ、火袋に言った。
「火袋、手を握らぬか?」
 思いがけない言葉に、火袋は自分の耳がおかしくなったのかと思った。
「誰が? 誰とだ?」
「おまえは百姓どもに奪った金を与えているな? 百姓を煽って一揆でも起こすつもりだろうが、わしの配下になったほうが、我らに歯向かうより、得る物は大きいぞ。野盗では、いつまでたってもお尋ね者だ。そうして野垂れ死にするのが関の山だ」
 蘭風は、火袋が百姓に義賊として慕われていることを知っていた。火袋の人望に目を着けて、手なずけたほうが理になると踏んでいた。
「わしと手を握れ、火袋」
「だっ……誰が……」
 蘭風の誘いを聞いて、火袋は耳が穢れたという風に顔を歪ませた。
「おまえらの手下になるもんか! 俺はな、一人になったって、戦うぞ!」
「そう強情を張るな。うんと言えば、女房子供も許してやるぞ」
「いやだ!」
 懐柔しようとする代官の言葉に息も絶え絶えになりながらも、火袋の返事は否、であった。
 断固誘いを拒否する火袋に、蘭風は再び拷問を加えた。

 

 暗く冷たい牢の中で、お互いの温もりだけが寒さと心細さに耐える唯一のものだった。
 捕まってから拷問はされなかったが、石牢の中で母子は不安と恐怖でいっぱいだった。
 火袋が来なかったら、お自夜と篝火は処刑される。
 火袋に助けに来てほしい、でも危険だから来ないでほしいという、相反する思いがお自夜と篝火を苛む。
 お自夜と篝火は、牢の中で身を寄せ合っていたが、夜になって、荒々しい足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
 牢番が扉を開け、誰かをお自夜と篝火がいる牢の中に入れた。
 牢に入ってきた途端、倒れた男は、火袋だった。
 お自夜と篝火を助けに投降した火袋が、代官にどんな酷い仕打ちをされたか、明白だった。顔も体も傷だらけで、意識も朦朧としていた。
「しっかり! あんた!」
「おとっちゃん! おとっちゃん!」
 お自夜と篝火の呼びかけに、火袋は腫れあがった瞼を薄く開け、微笑んだ。
「ふ……ふ……たいしたことはねぇ……あんな程度の拷問で、まいる火袋さまじゃねぇ」
 二人を心配させまいと、強がりを言う火袋だが、心身ともに応えている様子だ。
「なんて酷い仕打ちを……あの代官の奴――」
「おとっちゃん、大丈夫? 痛い?」
 手当をしたくても、牢の中では、ろくに手当などできない。お自夜は悔しそうにその美貌を歪ませ、篝火は心配そうに父を見つめる。
 そんな親子の様子を、嘲る者がいた。
「こうなると、野盗火袋もおしまいだな。女房子供可愛さに、のこのこ捕まりに来たとは、末代までの語り草だ」
 牢番の嘲笑が、牢屋に響く。
「代官さまは、もう貴様らには用はないとよ。明日にも処刑だろうぜ。親子三人、仲良く地獄へ堕ちな」

 

 

 その夜、風が強く吹いた。
 秋の嵐に激しく砂塵が舞う。
 夜が明けて嵐が収まれば、親子三人処刑される。何とか牢を破って逃げ出そうと、火袋とお自夜は考えをめぐらした。しかし、石を積んで造られた牢は頑丈だった。試しに篝火が戸や壁を力いっぱい押してみても、子供の力ではびくともしない。たとえ火袋でも、傷ついた体では牢を破ることはできないし、すぐに騒ぎを聞きつけて、役人どもが駆けつける。力任せでは逃げられない。
 八方塞がりの状況に、火袋は歯ぎしりし、お自夜は我が子だけでも助けたいと、篝火を抱きしめた。

 

 加賀を暴れまわっていた野盗火袋が、囚われの身となっている。
 火袋は徹底的に痛めつけたから、逃げ出すことはできないだろう、仲間もほぼ全滅したから、助けに来ることなどできないだろう――安西蘭風を始めとして、代官屋敷にいる者全員が、そう考えて、油断していた。
 牢番一人に見張りを任せて、蘭風以下の役人たちは、嵐が収まるまでの間、部屋で休んでいた。
 牢番は槍を持って火袋たちの入る牢の前を見張っていたが、壁に寄りかかって立つ姿は、まるでやる気がない様子だ。
 すっかり油断しきっている牢番は、侵入者の気配に気がつかなかった。
 牢の入り口から夜の闇に紛れて入ってきた侵入者は、背を向けていた牢番を羽交い絞めにし、逞しい腕で首を絞め上げた。
「う、ううううぅ……」
 首を絞められて、牢番は蛙が潰れたような声を低く上げた。その声は、風の音にかき消されて外には届かない。
 牢番はそのまま首を絞められ、気が遠くなった。体から力が抜けていく牢番の首を、侵入者はへし折った。

 

 ごきっ――

 

 首の骨が折れる音がする。
 侵入者が腕を離すと、牢番は糸の切れた人形のように転がった。
 牢番の腰にぶら下がっていた鍵を掴み、侵入者は火袋たちが囚われている牢の扉を開けた。
「お頭! お自夜さん! 篝火! 無事か?」
 侵入者は竜木だった。外から代官屋敷の様子を覗い、救出の機会をうかがっていた。そうやって仲間たちが来るのを待っていたが、中々来ない上、火袋たちの処刑が決まってしまった。これ以上待てないと、単独で代官屋敷に侵入したのだ。
「竜木にいちゃん!」
 嬉しくて、篝火は竜木に抱きついた。大きな掌で篝火の頭を撫で、竜木は言った。
「遅くなってすまねぇ。さあ、逃げるぜ!」
 竜木の助けで牢を出た火袋は、倒れている牢番の腰から刀を抜くと、
「お自夜、篝火つれて先に逃げろ。峠で待っているんだ。俺は代官の野郎に礼をしてから行く。竜木、お自夜たちを頼むぞ」
 一人代官屋敷のほうに歩いていった。
「駄目よ、そんな傷で! あんたも一緒に行きましょう!」
「そうだよ。おとっちゃんも行こうよ!」
 お自夜と篝火が止める声は、風が消してしまった。火袋の姿は闇に消えていった。
「俺もお頭と残る。死んだ仲間たちの分も、奴らに礼をしてやらなきゃあ、気がすまねぇ」
 竜木には火袋の考えがわかっていた。お自夜たちが逃げられるまで、火袋は追手を食い止めるつもりだ。拷問を受けて傷だらけの火袋一人では、勝ち目がない。竜木は火袋と共に戦う決意だ。
「先に行ってください、お自夜さん。篝火、美葛にちょっと遅れると言っておいてくれ」
 竜木は篝火に微笑んで言うと、火袋を追って行った。
「あんた……竜木……無事でね。必ず生きて戻って……」
「おとっちゃん……にいちゃん……」
 お自夜と篝火は姿の見えなくなった火袋と竜木に呟いた。

 

 びょうびょうと吹きすさぶ風の中、お自夜に抱かれながら篝火は代官屋敷を見た。
 代官屋敷は嵐にびくともせずに悠然と建っていた。だが、火の手が上がり、強風に炎が屋敷を包むのが目に映った。
 風に乗って、火袋の、竜木の雄叫びが聞こえてきたような気がした。

 

 安全な場所まで逃げなくては――お自夜は必死に歩いた。だが、向かい風が幼子を抱いたお自夜の歩みを遅くさせる。先を急ごうと思っても、思うように足は速まらない。
 一歩一歩、大地を踏みしめるように、お自夜は歩いた。
 そのお自夜の前に立ち塞がったのは、胴丸を身に着け、刀や槍を手にした男達だった。
 敵かと思ったが、男達の先頭に立っていたのは、鼬の斎吾だ。
「斎吾!」
「斎吾のおっちゃん!」
 斎吾の姿を見るなり、お自夜と篝火は張り詰めていた糸が、緩むような安堵を覚えた。斎吾が仲間を連れて、自分達を助けに来てくれたのだ――そう思った。
 だが、
「そこに座ってもらうぜ」
 斎吾が腰の刀を抜いてそう言った時、最後の希望さえも奪われた。

 

 

 

2019年4月18日 (木)

どろろ百鬼繚乱草紙 まれびとの章11

   無残帳の巻前編

 

 嘆きの声を聞いたのは、ただ一人。

 

 

 誰かを殺し、誰かに殺される――戦はその繰り返し。

 いつになったら戦は終わるのだろう。

 その問いに、答えられる者はいない。

 

 時は文明三年長月の初め。応仁の乱が始まってから、四年の月日がたっていた。

 四年もたったというのに、戦は終わっていなかった。飽きもせず、いや、飽きてはいるが、終わることができずにいた。

 秩序は失われ、乱れに乱れたこの世の中、持たざる者が生き延びるためには……

 

 

 星が煌めく漆黒の夜空に、月が昇った。

 透き通るような光を放っている細身の銀の月だ。

 地上を照らすには、あまりにささやかな月の光。地上には闇が満ちている。

 昼間は残暑が厳しいが、長月にもなると、夜は涼しい。涼風と闇に包まれて、人々は秋の夜の静けさの中で、夢を見ないくらい寝入っている。

 だが、どこからか馬の蹄の音だけが、静かに聞こえてきた。

 暗闇から現れたのは、馬に乗った男たちだった。

 その数は二十人。

 歳の頃は二十から三十の半ばくらい。一人だけ頭巾を被って顔を隠しているが、どいつもこいつも目つきは鋭く、獰猛な面構えだ。無精髭を生やした顔には切り傷があちこち刻まれ、髪は伸び放題で荒縄で無造作に結んでいるだけ。

 装束も小袖に動きやすい裁付袴をはき、脚絆を着けているのは一緒だが、他はてんでばらばらだ。胴丸を着けている者、女物の派手な色と柄の小袖を着ている者までいる。

 獲物も太刀や槍の他、斧や鎌を手にしたり、金砕棒を背に背負っていたりする。

 どう見ても、荒くれ者の集まりだ。

 特に先頭の馬の男は、身の丈六尺はある、岩のような逞しい体躯の大男だ。年は三十前後。鋭い眼差しは、いかつい容貌をさらに凶暴に見せている。

 やがて、町外れで先頭の馬が止まる。後続の馬も皆止まった。

 そこからは、正面の門に松明を立てた武家屋敷が見える。

 武家屋敷は、加賀の国の南部、深雪野(みゆきの)一帯を治める代官、安西蘭風(あんざいらんふう)の妹婿、東名新兵衛(とうなしんべえ)の屋敷だ。

 応仁の乱以後、年貢の取り立てが厳しくなったが、蘭風は他のどの代官よりも百姓から年貢を搾り取った。そして、守護に納めるはずの米の一部を、密かに隠して懐を潤した。

 代官の義弟ということで、新兵衛もうまい汁を吸っているともっぱらの評判だ。

 男は後ろを振り返り、言った。

「おまえら、女子供には手を出すなよ。男は侍じゃなかったら見逃せ。それ以外は皆殺せ」

 先頭の男は、荒くれ男たちを率いる野盗の首領だ。仕事の前、部下に掟を言うのが、いつもの口癖だった。

「はい」

「ああ」

「わかりました」

 口々に答える部下たちに、首領は頷き、太刀を抜いて叫んだ。

「いくぜ、野郎ども! 盗られた物を、盗り返せ!」

「おう!」

 歓声を上げながら、野盗の群れは正面の門に向かって馬を一斉に走らせる。

 遠くから聞こえてきた突然の蹄の音に、門前で見張りをしていた兵たちが、何事かと槍を構えた。怒涛のように騎馬の一団が、夜の闇に浮かぶのが見えてくる。

「何者だ!」

 門を破らせまいと、兵たちが槍を構え、弓を引いて守りを固める。だが、兵たちの矢が放たれる前に、馬上から雨霰のごとく矢が降ってきた。体中に矢を射られた門番の兵たちは、反撃する暇も与えられずに、ばたばたと倒れた。

 門番を倒すと、細身の男が一人馬から滑り降りた。軽々と塀を乗り越えると、内側から門扉を開け放つ。

 途端、仲間の馬が、一塊になってどっと屋敷内に押し入った。

「曲者!」

「出会え! 出会え!」

 夜襲に気づいて、屋敷の内から、ある者は鎧に身を固め、ある者は寝間着で、侍たちが叫びながら蜘蛛の子を散らしたように、飛び出してきた。侵入者に向かって槍を、刀を構える。

「ここを東名新兵衛さまのお屋敷と知っての狼藉か? 早々に出て行けっ!」

 恫喝する兵たちに、首領は動じることなく、血に飢えた獣のように凶暴な表情で薄笑いしながら名乗った。

「俺は、火炎夜叉(かえんやしゃ)の火袋だ! この世にのさばるおまえら悪鬼どもを、退治しにきたのさ!」

 

 火炎夜叉の二つ名を持つ首領――その前身は、四年前、加賀の守護、富樫政親の家臣である醍醐景光に攻め滅ぼされたまほろ村の火袋だった。

 まほろ村の村人たちは、そのほとんどが殺され、捕らえられた若い女や子供は、人買いに売られた。

 辛うじて逃げて生き延びたのは、老若男女合わせて百人ばかり。これだけの数の人間がまとまって焼け出されても、誰も助けてくれはしない。他の村も、まほろ村と同じくらい貧しかったから、よそ者の面倒を見る余裕はなかったのだ。

 生きるためには、食べ物を求めて、ただ流離うしかなかった。

 流離いの中で、故郷を追われた一団は、理由は様々だが、その数を減らしていった。

 焼き討ちの際に負った傷が治らずに、落命した者。

 持病が悪化して命尽きた者。

 食べるものがなくて餓死した者。

 冬の寒さに凍え死んだ者。

 明日に希望を見いだせず、自ら命を絶った者。

 我と我が身が生き延びるために、自ら袂を分かって去った者……

 最終的に残ったのは、半分にも満たない。

 このままでは全滅する。

 惨めな暮らしから脱するために、生き延びるために、野盗になるしかなかった。

 野盗となっても、貧しい民百姓からは盗らず、狙うのは武家屋敷ばかりだった。

 まほろ村の者たちにとって、一番憎いのは村を攻め滅ぼした景光と、その主人である富樫政親。そして、自分たちの都合で勝手な理由で戦をし、民百姓に迷惑かける侍全てだ。

 自分たちは大事な物を侍に盗られた。盗るのなら、盗った相手から盗る。

家族を殺され、故郷を、家を、田畑を無くし、誰に頼ることもできない者たちが、恨みと憎しみと悲しみと貧しさの末に出した結論が、これだった。

 いつしか金目の物を奪い、人を殺すことに何の抵抗も無くなっていった。

 そうして火袋を首領とした野盗の一団は、四年たった今では、加賀中に名を知られ、恐れられるようになった。

 

「火炎夜叉?」

「ひっ、火袋?」

「あの野盗の!」

 火袋の名を聞いて、侍たちが怯んだ。その隙をついて、火袋は馬から降りるや、白刃を閃かせた。

 健気に火袋に向かって来た若い侍の左肩から腹にかけて、斜めに斬った。

 驚愕の表情で、若侍が崩れ倒れる。すかさず火袋は、若侍の後方の侍の胸を突く。心の臓を貫かれた侍は、刀が引き抜かれたと同時に、同輩の亡骸の上に倒れた。二人の血が混じり合い、地面を濡らす。

「うわあああぁつ」

 怒号と悲鳴――野盗と侍、どちらからともなく上がった。

 それが合図だった。

 戦いが始まった。いいや、虐殺だ。

 野盗たちは、火袋に言われたとおり、女子供には手出しをせず、近隣の村から雇われた下男たちは、見逃した。

 だが、侍には、勇猛果敢に立ち向かった者も、命惜しさに逃げ出す者も関係なく、容赦しなかった。

 恰幅の良い体に黒装束を纏い、両手に握った刀を振るうたびに鼻から下に伸びた二股の黒髭が揺れるのは、黒阿修羅(くろあしゅら)の豊作。火袋の右腕で、野盗の副首領だ。

 細身の体で、獲物を狙う獣のように素早く動き回り、にたにたと笑みを浮かべながら人を斬るのは、火袋の一の弟分、鼬(いたち)の斎吾。

 逞しい腕で槍を操り、一度に三人もの侍を串刺しにしたのは、百舌鳥(もず)の力蔵(りきぞう)。

 両刃の大剣を軽々と振り回し、草を薙ぎ払うように侍を斬殺する若者は、野盗の中で一番若い十八歳、草薙ぎの竜木(たつき)。

 他の野盗たちも、牙を剥いた獣のごとく、暴れまくる。

 恐怖と断末魔の悲鳴が絶えることなく響く。

 闇の中で刀がぶつかり合う音が響き、火花が飛ぶ。刀で斬られ、槍で突かれ、金棒で殴られた侍たちの死骸が、ごろごろと転がる。血の匂いが充満し、野盗たちの凶暴な心を煽った。

 土足で屋敷の中に入り込むと、男たちの怒号と、女たちの甲高い悲鳴と泣き声が、ますます大きくなる。

「おらおらおら! おまえらが盗っていったお宝返しやがれ!」

「俺たちから年貢を搾り取って、自分たちはいい生活たぁ、盗人猛々しいとはこのことだ!」

「返してもらうぜ!」

 返せ、返せと叫びながら、部屋の棚や箱にしまってある貨幣や絹の衣、宝石、目についた品物は、手あたり次第奪っていく野盗たち。

「お、いい女だな」

「嫌―っ! 助けて―っ!」

 野盗の一人が、逃げ遅れた若い侍女の腕を掴んで引き寄せた。

「よせ!」

 すかさず火袋が怒鳴りつけ、狼藉を働こうとした手下を、問答無用で張り倒した。手加減ない張り手に、手下の体格のいい体が部屋の奥の方まで吹っ飛ぶ。

「女子供には手を出すなと言っただろう! 権六(ごんろく)!」

「お、お頭――すんません。もうしません。許してください」

 打たれた頬を摩りながら、権六は平謝りした。だが、火袋の激怒はすさまじく、抜身の刀の切っ先が、権六に向けられた。普段の火袋は、大らかで細かいことにこだわらないが、掟を破った者には容赦ない。以前も女を手籠めにした手下が、火袋に問答無用で斬り殺されたことがあった。

このままでは、殺される――権六の恐怖が頂点に達した時、

「お頭、後で俺がきつく言っておきますから、許してやってくださいよ――」

 向こうの部屋からやって来た斎吾が、火袋をなだめた。

 一の弟分の言うこととはいえ、火袋は、はいそうですかと言わなかった。

「見逃すわけにはいかねぇ。おふくろを、女房を、娘を、姉を、妹を侍どもにさらわれ、嬲り者にされた俺たちが、女子供に手を出すなんざ、下の下の下だ! たとえ野盗に落ちぶれたとしても、やっちゃあいけねぇことなんだ!」

「これで本当にやっちまっていたら、お頭が手出す前に、俺が権六のことぶっ殺してまさぁ。だけど、ちょいと女の腕を掴んだだけで殺していたら、仲間は一人もいなくなっちまう。権六も独りもんだから、つい魔が差しただけだ。嫁でも貰えば、こんな真似しねぇよ」

「そ、そうです! だから、勘弁してください、お頭!」

 怒鳴りながら怒りを募らせる火袋だったが、斎吾の言い分に耳を傾ける理性はあった。

 斎吾の言い分も一理ある。

 斎吾の仲裁と、顔を青ざめながら必死に謝罪する権六に、先程よりは冷静になった火袋は、ちっと舌打ちし、

「次はないぞ」

 と言い捨てた。そして、部屋の隅で震えている女に早く行けと声をかけ、その場を去った。

 女は見逃してもらえると理解すると、脱兎のごとく部屋を飛び出した。

 部屋には権六と、斎吾だけが残された。命拾いし、ほっと安堵の息を吐く権六だが、その顔には不満の表情が浮かんでいた。

 そして、斎吾の目にも……

 

「た……た……助けてくれ! 助けて……」

 乱闘の中、一人の男が喚きながら屋敷から庭に飛び出してきた。髷は解けて髪はばらばら、小袖は乱れ、袴は脱げてしまっている。

 乱闘の最中、刀は折れた。それなりに武術の心得があるといっても、刀を失っては、めちゃくちゃ暴れまくる野盗にはかなわない。

 主君の東名新兵衛は、妻子とともにさっさと屋敷から逃げ出した。残っているのは家臣だけ。助けが来るまで主不在の屋敷を守るほどの忠義心は――ない。

 命あっての物種だ。這うように逃げる男の前に、頭巾を被った野盗が立ち塞がった。

 頭巾から覗く冷たい目が、侍を見下ろす。

「こ、殺さないでくれ!」

  刀を構えた頭巾の野盗に、男は神仏に祈るように両手を合わせ、哀れな声を出しながら命乞いした。

「頼む。お願い申す! わしは、まだ死にたくない! わしには家内と二人の子供が待っている……死ぬわけにはいかないんだ! 子供は、まだ十にもならないんだ! 命だけは、お助けください。お助けくだされば、この檜垣絃十郎(ひがきげんじゅうろう)、必ずご恩返しいたします! わしも……家内も、子供たちも……きっと、あなたのご恩は忘れません。だから……」

 地面に手をついて頭を下げて命乞いを続ける男に、

「わたしの子供も、十にもなっていなかった……!」

 頭巾の野盗は、絞り出すように呟いた。

 その声は、女の声だった。

 頭巾の野盗が男だと思っていた男は、驚いて顔を上げる。

 頭巾から覗く黒く濡れたような両目は、強い炎に揺れていた。

 深く怨み、強く憎み、熱い怒りの眼差しに、男の体は凍り付いた。

「わたしの娘は、まだ五つだったのに、殺された……」

 頭巾の野盗は、一歩踏み出した。

 逃げねば――男は尻をついたまま後ずさりしようとした。でも、足に力が入らない。動けない。立てない。

 沸き上がる恐怖が男の全身から力を奪っていた。こんなに凄まじい殺気を、憎悪をぶつけられたことなど、戦場でもなかったから。

  男は上ずった声で、必死に叫んだ。

「あ、あなたの子を殺したのは、私じゃない!」

 そう、この頭巾の野盗とは、初めて会った。だから、恨まれる筋合いはないのだが、

「同じだ!」

 頭巾の野盗は聞く耳を持たない。

「娘だけじゃない、わたしのおっかさんも、兄弟も……おまえたち侍に殺されたんだ!」

 絶叫と共に、頭巾の野盗は刀を振り下ろした。

 白銀の刃がきれいな光の弧を描く。

「うわああっ! お綾(あや)! 玲瓏丸(れいろうまる)! 蜜王丸(みつおうまる)!」

 妻子の名を呼ぶ男の首に、刃が喰い込んだ。

 肉を斬り、骨を断つ音が鈍く響き、

 

 ごろん――

 

 地面に重たい音がした。

 斬り落とされた侍の首が、地面に落ちて転がっていった。悲しみと無念の入り交じった表情を浮かべる首。その目には、血の涙が滲んでいた。

  首を失った胴体は、切断面から勢いよく血飛沫を上げながら前に倒れた。

 

 襲撃から半刻もたたぬうちに、屋敷のあちらこちらから火の手が上がった。

 屋敷の灯火が倒れたせいなのか、それとも野盗が放火したのか。

 真っ赤な炎が真昼のように辺りを照らし、黒い煙が竜の如く夜空に昇っていく。

「さあ、引き上げるぞ」

 米や金目の物などを奪うと、野盗たちは紅蓮の炎に背を向けて、夜の闇の奥へと消えていった。屋敷の女子供、下男たちも、我先へと逃げ出す。

 燃え上がる屋敷に残ったのは、物言わぬ骸だけ。

 惨劇の起きた地上を見下ろす月は、笑っていた。

 

 

 深雪野の人里離れた山奥の谷間に、木々を切り開いて建てた小屋があった。

 地面を少し掘り下げて柱を立て、壁のない、茅葺きの屋根を乗せただけの小屋だ。

 小屋は、あちこちに三十軒ほど建っていた。小屋の前では、子供たちが鬼ごっこや石けりをして遊んでいる。無邪気な笑い声が、小さな集落に響く。

 そろそろ日が沈みかけ、西の空が茜色に染まり始めた頃、どこからか歌声が聞こえた。

 

  ひとつ摘んでは父のため

  ふたつ摘んでは母のため

  みっつ恋しいあの人に

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

 明るく、朗らかで、元気な澄んだ歌声は、集落の上空の方から聞こえてくる。

 高く伸びた木の上に、歌声の主はいた。

 枝に座って失われたまほろ村の子守歌を歌っているのは、四、五歳の子供だった。

 膝までの丈の短い麻の小袖を纏い、長く伸びた髪を頭のてっぺんで結わき、前髪を額に垂らしているので、可愛い顔立ちがより引き立っている。だけど、黒い大きな目は、やんちゃ坊主であることを物語っている。

 

  なぜに血の色 曼殊沙華

  天に在りては白き花

  地に在りては赤き花

  ほんに不思議な花の色

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

 足をぶらぶらさせながら、子守歌を歌っていた男の子は、木々の向こうに見える山道を見つめていた。

 彼は待っているのだ。この世で一番好きな人たちが帰ってくるのを。

 

  闇路を照らす 曼珠沙華

  これよりいづこへ参るのか

  奈落の底か まほろばか

  行ってみなけりゃ わかりゃせぬ

  摘んでゆこかな……

 

 おしまいまで歌い終わる前に、男の子は歌うのを止めた。遠くにちら、と動く影を見たからだ。目を凝らし、影が近づくのを見つめる。影はひとつふたつではない。群れだ。そして、集落に通じる山道を走るのが、騎馬の一団だとわかるや、男の子は満面に笑みを浮かべ、小猿のようにするすると木の幹を伝って降りた。

 軽やかに地面に着地し、

「おーい! みんな! おとっちゃんたちが帰ってきたぞー!」

 遊んでいた子供たちや、小屋に向かって叫ぶ。

「ほんと?」

「うわぁーい!」

「おとっちゃんが帰ってきた!」

 子供たちが歓声を上げる。

 夕餉の支度をしていた女たちや、のんびりくつろいでいた老人たちも、呼びかけに小屋から出てきた。

「ほんとかい、篝火(かがりび)!」

 小屋から出てきた一人――十六、七の若い娘が、よほど驚いたのか、黒い大きな眼を見開き、夕餉の支度に持っていた木のしゃもじを右手に握ったままだ。

「ほんとだよ、美葛(みくず)ねえちゃん。おとっちゃんたちの馬が、見えたんだ」

 そう答えると、男の子――篝火は出迎えの為に、広場のある方へと向かって駆けて行った。

「おれたちも行こう!」

 篝火の後を追うように、子供たちも走った。

「竜木……やっと帰ってきた」

 美葛も微笑んで、しゃもじを放り投げて走り出した。

 皆が揃って出迎えるのは、昨夜、麓の東名新兵衛の屋敷を襲った野盗火袋の一味。

 この者たちは、まほろ村の生き残りで、野盗の家族だ。

 ここは野盗たちの隠れ里だった。男たちが野盗稼業をしている間、女子供や年寄りが待つ場所として、樵や猟師さえ近づかない深い山の奥に、小屋を建て、去年から住み着いていた。

 留守番をしていた者たちが広場に来ると、既に野盗たちが馬で帰還していた。武家屋敷から奪った金銀財宝、絹の反物などを馬から降ろし始めている。

「おかえり! おとっちゃん! おっかちゃん!」

 馬から降りてきた火袋と頭巾の女に、真っ先に駆け寄ったのは、篝火だった。

「おう、篝火。帰ったぞ」

 火袋はその大きな掌で、篝火の頭をがしがしと乱暴に撫でた。髪がくしゃくしゃになりながらも篝火は嬉しそうに笑う。

「ただいま、篝火。いい子にしてたかい? おばばさまの言うこと、ちゃんと聞いていた?」

 女は頭巾をとった。火袋の女房、お自夜の顔が現れた。昨夜、命乞いをした侍の首を無慈悲にはねたとは思えないほど、優しく慈愛に満ちた眼差しでお自夜は篝火を抱きしめる。

「してたさぁ、おっかちゃん」

 篝火は大威張りで母に報告する。

 

 月が血の色に染まった四年前の八月十五夜の夜、篝火はお自夜が絶望と悲しみの中で産み落とした子だ。

 姉娘は、雑兵にさらわれて助けることもかなわず、行方知れずになった。

 妹娘は、祖母と共に無残に殺された。

 だから、たった一人残った我が子を、火袋もお自夜も愛おしんでいた。篝火がいなかったら、絶望のあまり死んでしまっていたかもしれない。

 この子を守るためだったら、盗賊だろうが人殺しだろうが、なんにでもなってみせる――

 強い決意が、善良な百姓だった火袋を野盗の首領にし、優しい女だったお自夜を、人を殺すことを厭わぬ夜叉にした。

 

 篝火と同じように、子供たちは父を、女たちは夫を、恋人を出迎える。

 

「ただいま、お駒(こま)、力弥(りきや)」

「おかえりなさい、おまえさん。無事でよかった」

「おとっちゃん、おかえり!」

 土産を手にした力蔵を、女房のお駒は安堵の表情で、六歳の息子の力弥は満面の笑みで迎える。

「ほら、お駒。この反物で一張羅でもでも縫いな。力弥、土産は菓子だぞ。うますぎて頬っぺた落ちないようにな」

「うわぁ。おとっちゃん、ありがと!」

 

 威風堂々と馬から降りてきた竜木を、美葛は眩しそうに見つめていた。だが、目が合った途端、竜木がにやりと笑ったので、はっと頬を赤らめ、ぷいと横を向いた。

「ずいぶん遅かったのね。下手をしたんじゃないかと思ったわ」

 無事に帰ってきた恋人に、嬉しいけれど素直になれない。美葛は憎まれ口を叩く。そんな美葛に、竜木は笑って言う。

「そんなわけないだろ、美葛――俺を誰だと思っている? 草薙ぎの竜木さまだぜ」

「はっ――それより、獲物はどうだったの?」

「昨夜の獲物は、代官の弟の屋敷だったから、随分貯めこんでいた。ごっそりお宝頂いてきたぜ。おまえに似あいそうな櫛、見つけた」

「見せて!」

 恋人に素直にはなれないけど、綺麗な物には弱い美葛だった。

 

「豊作おじさん、おかえりなさい!」

 女房を亡くした独り身の豊作は、子供たちの中で年長の十三歳の少年が出迎えた。豊作の姉夫婦の忘れ形見、恵太(けいた)だ。

 四年前、両親を醍醐景光の兵に殺された恵太は、同じく女房を殺され、息子をさらわれた叔父の豊作に引き取られた。姉夫婦が遺したたった一人の甥で、息子の大作と歳が近く、兄弟のように仲良しだった恵太を、豊作は慈しみ、親代わりとして育てた。恵太も、もとからあった豊作への親しみと感謝の念が強くなり、今では二人は本当の父子のようだ。

「あーくたびれた。一杯飲みてぇ。恵太、酒くれ、酒」

 昨夜の盗賊稼業で疲労困憊の豊作は、出迎えてくれた甥にさっそく酒を要求する。

「ちゃんと用意してあるよ。でも飲みすぎちゃ駄目だよ」

 恵太は苦笑しながら叔父の飲みすぎを心配する。

 

「お疲れ様です、斎吾あにき」

 親兄弟も女房子供もいない斎吾は、留守役からの出迎えに、「おう」と答えた。

「留守中、変わりはなかったか?」

「はい、あにき」

 火袋の一の弟分として、豊作に次いで信頼されている斎吾は、里の警備も任されていた。自分が留守の間の確認も怠らない。

 

 そうやって無事の帰還の喜びを、水を差すような嘆きが遮った。

「情けないねぇ。他人の物を盗んで喜んでいるとは。落ちぶれたもんだい」

 曲がった腰に、杖を突きながら憎まれ口を叩いてやって来たのは、皴だらけの顔を不愉快そうに歪ませる白髪頭の老婆だった。

 すでに七十には届こうとしている老婆は、まほろ村の最長老、くゆりだ。

「おばばさま、篝火が世話になったな」

「お世話さまでした、おばばさま」

 火袋とお自夜は、くゆりに留守の間の礼を言った。

 火袋とお自夜が留守の間、くゆりが一人になる篝火を預かっていた。年寄りが小さな子供の面倒をみるなど大変だが、殺しても死なないと言われるほど気力と丈夫さが取りえのくゆりは、親たちが忙しい時は、すすんで篝火や他の子供たちの世話を買って出ていた。

「ふん、今日も殺されずに帰ってきたかい。運がいいことだ。でも、いつか神様仏様の罰が下るよ」

 くゆりの言うことはもっともなので、火袋もお自夜も神妙な顔になる。

 だけど、若者には、年寄りの小言はたまらない。

「俺らは盗られたもん盗り返しただけだぜ、おばばさま」

 竜木がくゆりに反論する。

「盗られたもんは、盗り返す。それのどこが悪いんだ」

「そうよ、おばばさま」

 竜木の言い分に美葛が頷き、他の者たちも同意する。

「先に盗ったのは、あいつら侍なんだから」

「悪いのは、侍どもだわ」

「そうだそうだ」 

 若者たちの言い分に、くゆりは天を仰いだ。

 侍を恨む気持ちはわかる。長い人生の中で、くゆりも親兄弟を始め、亭主も、息子も、娘も、孫、曾孫、玄孫全て侍に殺されてしまった。身内を喪い、生まれ育った村さえ追い出されて、恨みがないわけではない。だからといって、野盗に落ちぶれてもいいものか。

「まったく! 他人様の物を盗ったら、罰が当たるぞ!」

 生まれた時から知っている、孫のような若者たちが悪事に手を染めることが、くゆりはどうにも我慢できない。

 しかし、生きるためと、復讐のための道を選んだ者たちに、年寄の言葉は耳に届かない。 聞いていられないとばかり、舌打ちしたり、横を向いたりする。

 なおも言い募ろうと、くゆりが口を開いた時、

「うん、おばばさま。おばばさまの言うことは、ごもっともだが、話は後にしてくれよ。わしたち、腹が減ってしかたがないんだ」

 豊作がくゆりをなだめ、

「さあ、飯だ飯だ。今夜は酒盛りだ!」

 火袋が酒盛りを宣言すると、男たちの歓声が上がった。

「やったぁ!」

「飲むぞー!」

 その声に応えるように、

「酒の用意は、できているわよ!」

「子供たち、運ぶの手伝って!」

 女たちも、支度に忙しく動き回る。

 皆、くゆりの説教から逃げるように酒盛りの準備を始めたので、くゆりは苦虫を噛み潰したように口をへの字に曲げてむくれたが、それ以上何も言わなかった。

 

 日が沈んだ広場に、薪がやぐらに組まれた。火を着けると夜空を焦がさんばかりに赤い炎が燃え上がる。

 火の周囲を皆で囲んで、遅い夕餉が始まった。

 川で採って来た鮎や山で捕まえた兎の肉を焼き、山菜の和え物、茸汁、握り飯を腹いっぱい喰う。それから男たちは酒を飲み、女子供は、武家屋敷から奪って来た珍しい菓子に舌鼓を打つ。

「おっかちゃん。うめぇな、この餅。甘いや」

 篝火はにこにこしながら、中に蜜をたっぷり包んだ餅菓子を頬張る。そんな篝火に、お自夜は嬉しそうに微笑む。

「喉に詰まるわよ。ゆっくりお食べ。たくさんあるから、慌てなくてもいいのよ」

 我が子に好きなだけ菓子を食べさせてやれる。それがお自夜にはとても嬉しい。上の二人の娘たちには、できなかったから……

 火袋も、篝火の旺盛な食欲を肴に、機嫌よく酒を飲む。

 他の親たちも、同じだ。野盗に落ちぶれたが、我が子に腹いっぱい食べさせられる今の暮らしに、まほろ村の生き残りの彼らは満足していた。

 まほろ村での暮らしは、田畑を耕し、心身を磨り減らすように働いた。

 それでも暮らしは楽ではなかった。この戦乱の世だ。何度も戦に巻き込まれては、村は焼かれ、田も畑も踏み潰された。親兄弟、子供達も虫けらみたいに殺された。

 戦に怯え、いつも腹を空かせていた頃に比べたら、今の暮らしは極楽みたいだ。

 男たちは、酒が入ってほろ酔い気分だ。とくに酒豪の豊作は、酒を飲む量が誰よりも多いので、最初に顔が真っ赤になった。

 そんな豊作の顔を指さして、篝火が笑った。

「髭のおっちゃん、赤鬼になってらぁ」

 篝火の指摘に、皆がどっと笑う。

「そうね」

「そうだな」

「黒阿修羅の豊作が、赤阿修羅の豊作になっているぞ」

 皆で笑って、笑って、もっと気分が良くなってきたところで、豊作が歌いだす。

 

  我が赤いのは酒の咎ぞ

  赤鬼と思うなよ

  怖がらずに我に馴染んでくれませば

  面白い奴と思し召せ

 

 他の者たちも、手を叩き、豊作と一緒に歌う。

 男も女も、大人も子供も、今が楽しければいいじゃないか――そんな風に、強く、したたかに、だけどどこか悲しみが垣間見える笑みで歌っていた。

 家族を奪われ、生まれ育った村も追い出され、流離った日々。

 死んでしまえばよかったと思うほど辛くても、やはり死にたくなくて、この憂き世を生きる。

 生きるのならば、楽しまねば。

 そうでなければ、生きていけないとばかりに、声を張り上げて歌う。

 

  我もそなたの姿見りゃ

  姿見りゃ

  恐ろしげなれど

  可愛い我が女房殿

 

 歌が一段落したところで、それまで黙って座って見ていた女が立ち上がり、焚き火の前に進んだ。

 女は燃え上がる炎を背に、歌い、踊り始める。

 

  遊びをせんとや生まれけん

  戯れせんとや生まれけん

  遊ぶ子供の声聞けば我が身さえこそゆるがるれ

 

 艶やかな声で歌いながら、緩やかに袖を翻して舞う女は、二十歳をひとつかふたつ超えたくらいか。日に焼けた他の女たちとは違い、手入れの怠っていない白い肌は透き通るくらい眩しく、髪は黒く濡れているようだ。三日月のように形の良い細い眉の下に、切れ長の目が艶めかしく光る。

 ちら、と誘うような眼差しを向けられた男たちは、とろんとした目で見つめ、鼻の下をだらしなく伸ばした。女房持ちは、亭主のだらしなさに怒った女房にどつかれて正気になるが、またすぐに女に見惚れる。

「何を惚けているのさ!」

 肘鉄を喰らわせたばかりなのに、また女に見惚れた竜木の腕を、美葛は思いきりつねった。

「いて、てててっ!」

 あまりの痛さに、竜木は半分涙目になり、

「侍よりも、美葛のほうが怖いよ」

 と余計なことを呟いて、平手で両頬を叩かれた。

 男たちが見惚れるのも、無理はない。

 女の美貌は、器量よしと言われるお自夜や、美葛に負けぬほどだ。

 女はまほろ村の者ではなかった。今年の春、人買い商人から火袋たちが助けた女だった。

 四年前、醍醐景光に襲われたまほろ村の者たちは、生き残った男衆を集め、山小屋に隠してあった武器を手に、さらわれた女子供たちを取り戻そうした。

 だが、富樫の軍の中でも最強を誇る醍醐景光の軍に隙は無かった。堪え切れずに、無謀にも攻撃をした者は、犬死した。

 結局、人買いに売られる女子供たちを助け出すことはできなかった。

 野盗となってからは、あちこちの町で、村で、まほろ村の者がいないか聞いて回った。時には人買い商人を襲ったが、家族を見つけることも、行方を知ることもできなかった。

 その代わり、捕まえられていた者たちが、親元や故郷に戻れる手配をしたのだが、この女一人だけが、野盗の仲間になることを望んだ。

 

「童の時、二親(ふたおや)を亡くし、人買いに売られて十年以上国を離れて、あたしには、もはや帰る家もありません。親を殺した侍が憎いです。侍と戦うあなたがたと、一緒にお連れください。」

 

 そういうことならと、火袋たちは女を受け入れた。野盗稼業を始めて四年もたつと、仲間の半分は、まほろ村以外の村の出身だった。

 侍を仇と思う者なら、誰でも仲間。

 その考えの下に、百舌鳥の力蔵一家のように戦で村を焼け出された者や、家族を殺された者らが、仲間に加わったのだ。

 女は玉虫(たまむし)と名乗った。

 それが本名なのか、誰も知らない。

 

 食べて、飲んで、歌って、踊るうちに夜も更けた。子供たちは、そろそろ眠る時間だ。父親におやすみを言って、母親に付き添われて先に小屋に帰って眠る。

 篝火もお自夜に言われて床に入ったが、横になってもすぐには眠れなかった。

 大人は皆が起きているのに、子供だという理由で寝かされるのは、つまらない。

 添い寝してくれているお自夜に、篝火は尋ねる。

「大人はいいな。おいらも早く大人になりたい。そしたら、夜も起きていてもいいし、侍をやっつけに行けるのに。ね、おっかちゃん。おいら、いつ侍やっつけに行ってもいいの?」

 侍は皆を虐める悪い奴。だからやっつけに行く。

 篝火は両親の野盗稼業をそう聞いていた。くゆりは、野盗稼業を悪いことだと言っているが、悪い奴らをやっつけるのが、どうして悪いのか、篝火にはわからない。

「駄目。もっと大きくなってから」

 もっとも、まだ幼子の篝火が野盗稼業に加わることなど、お自夜が認めるはずがない。

 それでも篝火は食い下がる。

「どのくらい大きくなったらいいの? 竜木にいちゃんくらい?」

「そうね……鬼の子を退治できるくらい……強く……大きくなったらね……」

 お自夜は静かに呟いた。

 鬼の子を退治しなければならない。

 いつの頃からか、ずっとお自夜から聞かされていること。

 何故鬼の子を退治しなければならないのか、篝火はわからなかったが、母に繰り返し聞かされてきた言葉を疑うことはなかった。

「……うん……わかった……」

 お腹いっぱいになって、そろそろ眠くなってきた篝火は、素直に頷いた。

「おやすみ、篝火」

 お自夜はそう言って話を打ち切り、静かに子守歌を歌い始めた。

 

  ひとつ摘んでは父のため

  ふたつ摘んでは母のため

  みっつ恋しいあの人に

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

 お自夜の歌声を聞きながら、篝火は眠りに落ちていった。

 

 

 子供たちが眠った後も、大人はお楽しみの時間は続く。

 歌い踊り、どんちゃん騒ぎは終わらない。

 篝火を寝かしつけたお自夜は、広場に戻って火袋の隣に座った。あまり飲みすぎないように、見張るためだ。

 案の定、火袋は大きな鉢を盃代わりに、ぐびぐびと濁り酒を飲んでいた。

 その隣に、存分に歌って踊って、酔いが回った斎吾が、足を伸ばしてぺたんと座る。

「あーいい気分だ、お頭」

「なんだ、斎吾。もう降参か」

「まだまだ」

「よーし、なら飲め」

 火袋は持っていた鉢を斎吾に渡し、酌をしてやる。

「おっとっと」

 たっぷりと注がれた酒が零れないように鉢を両手で持ちながら、斎吾は口元に運び、ぐいっと一気に飲み干す。

「いい飲みっぷりだ」

「お頭もどうぞ」

 斎吾も鉢を返して、火袋に酌をする。

 喉を鳴らして火袋が酒を飲み干したところで、斎吾が呟いた。

「お頭……ぼつぼつ心を決めたらどうで?」

 いつもは飄々とした喋り方をする斎吾が、真面目な声で言うので、火袋は目を丸くした。

「心を決める? どういうことだ?」

 心はとっくに決まっている。侍を倒し、民百姓が暮らせる国を作る。四年前に決めたことだった。何を今さらと、火袋が訝しく思うと、斎吾はじれったそうに言った。

「こんな野盗なんかでくすぶっちゃいねぇで、天下をとる気になったらどうなんで……」

「何?」

「お頭なら、天下をとれる力も度胸もある。なのに、いつまでも野盗のままでいいんですかい?」

「それは、おめぇ……俺に侍になれってことか?」

 斎吾の言葉に、即座に抗議したのはお自夜だった。

「何を言うの、斎吾!」

 お自夜の声に驚いて、歌が止み、踊っていた皆の動きが止まる。広間はしん、と静かになった。何事かと、お自夜の方に注目が集まる。

「おまえって、昔のことを忘れたの? 皆みじめで、苦しかった頃のことを……」

 お自夜は皆の注目に気づかず、わなわなと体を震わせながら、信じられないといった表情で、斎吾に言い募る。

「わたしは覚えている。あんたのおっかさまや、わたしのおっかさん、蛍火、下枝さん、皆がむごい殺され方をされたかを……」

 目を閉じれば、お自夜は思い出す。愛しい人たちの死に顔を。

「う……ううっ……」

 お自夜の言葉に、豊作が真っ先に涙をこぼした。酔っているから余計涙もろくなっているわけではない。豊作は素面の時も、殺された女房を思うと、泣かずにはいられないのだ。

「……おっかさん……ねえちゃん……」

 竜木も母と姉を思い出して俯いた。竜木も四年前、まほろ村が襲われた際、母と姉を殺された。

 美葛は涙をこぼさないように、顔を上げて夜空を見上げる。親兄弟皆殺しにされた悲しさを、歯を食いしばり、両手を握りしめてこらえた。

 両手で口元を抑え、身を震わせるお駒を、力蔵は優しく肩を抱いた。

 まほろ村の出身の者も、そうでない者も、侍に殺された家族を思って悲しみと怒りを必死にこらえていた……

 母親のことを言われて、斎吾も一瞬だけ顔を強張らせた。だが、すぐに何でもない顔になって、呑気な声で言った。

「もう忘れてしまいましたなあ……姐さん」

 責めるような眼差しのお自夜を横目に、斎吾は盃を傾ける。

 あまりの無情さに、四年前、母親の亡骸にすがって泣いていた男だとは、思えない。息子がこれでは、斎吾の母親は草葉の陰で泣いているだろう。お自夜はあきれて涙も出ない。

「なさけないねぇ。あの頃、何度戦に巻き込まれて、侍たちにひどい仕打ちをされたか……覚えてないの? 村は焼かれるし、田も畑も踏みつぶされるし……わたしたちは逃げ回るだけだったわ。このままでは皆死んでしまう、何とか生きのびなくちゃ、村を取り戻さなくちゃと、皆で立ち上がって、誓ったんじゃないの。侍と戦うって……皆、侍を憎んだわ。仇だもの……だから、わたしたちと同じように、侍に生まれた村から追い出された力蔵さんたちが、仲間になってくれた。なのに、おまえはおっかさまのことも、村のことも、もう心の中にないのね」

「悲しむな、お自夜。俺たちの初めの気持ちは変わらねぇよ。なあ、斎吾?」

 嘆くお自夜を慰め、火袋は斎吾に同意を求めるが、斎吾はつまらなそうに舌打ちする。

「姐さん、いつまでも泣いていたって、仕方ないでしょうが――お頭も、古い考えは捨てて、これからは、侍と手を組んで、出世しなきゃあ……」

「やかましい!」

 斎吾の言葉に、とうとう火袋は怒りを爆発させた。

 火袋は持っていた鉢を斎吾に投げつけた。斎吾が避けて地面に落ちた鉢が、大きな音を立てて割れる。

 火袋は斎吾の襟元を掴み、引き寄せた。

「もう一度言ってみろ! 斎吾っ! 侍と手を組むだと? ふざけるな! この恥知らずめっ。二度とそんなことを言ってみろ。その口に刀をぶち込んでやるぞ!」

「何度でも言いますわ! 侍と組んで、出世するべきだ! 死ぬまで野盗なんざ、俺はごめんだ!」

「何をっ!」

 火袋は、野盗に落ちぶれた身を恥じてはいなかった。他人の物を盗み、刀を振り回しても、百姓には手を出さない、襲うのは武家屋敷だけと決めているのも、初めの頃の気持ちが変わっていないからだ。

 火袋の心根を、民百姓は知っていた。だから、野盗といえども、火袋を恐れてはいなかった。むしろ、横暴な侍を懲らしめてくれている恩人と、崇めているくらいだった。

 生きるためだけではなく、人々の支持があるから、火袋は野盗をしていられる。ここに集う仲間は、自分と同じ志を持っていると思っていた。なのに、他でもない、弟分の斎吾が、出世のために侍と手を組めという――

 信じられない思いが火袋の胸に広がる。

(こいつは誰だ? 本当に斎吾なのか? 斎吾にそっくりの誰かなのか?)

 子供の頃からの可愛い弟分、頼りになる仲間だったはずの斎吾。

 しかし、今火袋の前にいるのは、火袋とは違う考えを持つ――敵か?

 火袋の憤怒の眼差しに、斎吾は目をそらさずに睨み返す。

「この大馬鹿野郎っ!」

 火袋の拳が斎吾の頬を殴った。斎吾の右頬が赤く腫れ、唇の端から血が滲む。殴られて頭がくらくらしているはずだが、怯まず、斎吾も火袋に掴みかかる。

「やめて、あんた! 斎吾!」

 お自夜の静止も聞かず、火袋と斎吾は取っ組み合いの殴り合いを始める。それまで息を飲んで見守っていた女たちの喉から、悲鳴が上がる。いつになく激怒している火袋と、本気で火袋に反抗している斎吾に、度肝を抜かれて男たちは唖然とする。

 しかし、殴り合いのあまりの激しさに、これはただ事ではないと、豊作が割って入り、力自慢の力蔵と竜木が二人を引き剥がしにかかった。

「二人とも、やめろ!」

「斎吾、やめるんだ!」

「落ち着いてください、お頭!」

 ようやく火袋と斎吾を引き離すことに成功したが、二人はおとなしくならない。渾身の力で押さえつけていないと、また殴り合いをしかねない。

 歯をむき出し、目をぎらぎら見開いて、火袋と斎吾は睨みあったままだ。

「ああ……どうしよう……」

 お自夜たちを始め、誰もがおろおろとしている中、一人くゆりだけ冷静だった。

「美葛、桶に水を汲んでおいで」

「は、はい!」

 水瓶から桶に水を汲んできた美葛は、それからくゆりに言われたとおりに行動した――

 

 ぎりぎりと歯ぎしりをし、燃えるような目で互いを睨みあう火袋と斎吾。

 そんな二人に、文字通り水が差された。

「うわっ!」

「つ、冷てぇ!」

「酒じゃねぇのかよ」

「水だぁ」

「ひでーよぉ、美葛ぅ」

 対峙していた火袋と斎吾に、美葛は桶の水を思いっきりぶちまけたのだ。

 頭から水をかけられて、火袋も斎吾も全身びしょびしょだ。巻き添えで、豊作と力蔵と竜木も、濡れ鼠となる。

「頭を冷やしな、小僧ども」

 くゆりは世間では恐れられている野盗の火袋たちを、幼子に対するように一喝する。

「喧嘩するなら、素面でおやり。さあ、帰って着替えな」

 濡れて冷たいし寒い上に、最長老のくゆりの命令に、誰も逆らえない。

「さあ、帰るわよ、あんた。濡れたまんまじゃ風邪ひくわ」

 すかさずお自夜は火袋の腕を引っ張って、帰宅を促す。

 火袋はまだ斎吾に言いたいことがあったが、寒いのと、酔いも醒めていたので、おとなしくお自夜に従って、広場を後にした。

「う~冷たい」

「あんたも着替えなくちゃ――」

「あーあ、ひでぇ目にあった」

「ごめんね、竜木」

 力蔵も竜木も、それぞれ女房恋人に連れられて、着替えに帰った。

「ああ、すっかり酔いが醒めちまった。飲み直すか」

 豊作は焚き火の近くに寄って、濡れた小袖を乾かしながら酒を飲もうとしたが、くゆりに叱られた。

「おまえも家にお帰り! 恵太は、きっと寝ないで待っているんだから。叔父思いの孝行者を、心配させちゃいけないよ!」

 杖でぺしぺしと尻をひっぱたかれて、豊作は「わかった、帰る。帰るよ!」と、逃げるように帰って行った。

「斎吾――」

 おまえも家に帰れとくゆりが振り返った時、すでに斎吾の姿は広場から消えていた。

 焚き火の炎は変わらず紅蓮に燃え上がり、残った者たちはまだ不安げな表情を浮かべていた。

 ただ一人、玉虫だけが舌で唇をぺろりと舐めると、微笑んだ。

 その微笑みは、獲物を見つけた獣に似ていた。

 

 

「おお、いてぇ……馬鹿力で殴りやがって、お頭のやつ……」

 自分の小屋に戻った斎吾は、濡れた小袖を脱ぎ、手拭いで体を拭きながら、ここにはいない火袋を罵倒する。

「せっかくの力を使わずにして、なにが火炎夜叉だ。宝の持ち腐れだ」

 しゃべると切れた口の中が痛い。殴られた頬も、冷やさなければ腫れたままだ。水を汲んで手拭いを濡らそうと思った時、小屋の入り口に人の気配がした。

 振り返ると、入り口には女の影が見えた。

 立っていたのは、玉虫だった。小屋の中の灯台に照らされて、不思議と輝いて見える女の立ち姿に、斎吾は思わず見惚れた。

「斎吾さん、大丈夫? ずいぶんひどく殴られたけど」

優しい、甘い声で囁きながら中に入って来た玉虫に、斎吾は戸惑った。玉虫は斎吾と特に親しいわけではないのに、どうして来たんだ?

美形の玉虫に言い寄る男は多い。しかし、玉虫は誰の女房恋人になってはいない。誰のものにもならないが、気に入った男とは、誰でも寝る。

 独り者ならともかく、女房持ちとも寝たとか寝ないとか――そんな話が絶えない。

 だから、玉虫に対する女たちの評判は、すこぶる悪い。

 女の美貌に興味がないわけではなかったが、斎吾は玉虫を口説こうとも、親しくなろうとも思わなかった。この女は危険だと、初めて会ったときから感じていたから。

 警戒する斎吾の頬に、玉虫は両手で触れた。女の細く滑らかな手は、冷たくて腫れた頬に心地よかった。

「お頭もひどいわ。こんなに殴らなくてもいいじゃない。斎吾さんは、お頭や皆の為を思って言ったのに……」

 玉虫の言葉に、斎吾は驚きと共に、喜びが沸き上がった。

「わかってくれるか、玉虫」

 玉虫が微笑みながら頷く。

「お頭の志は立派だけれど、野盗は野盗よ。今日は無事でも、明日はどうなるか……」

 俺と同じ考えだ――

 そう感じた瞬間、斎吾の中から玉虫への警戒も不信もどこかに吹き飛んでしまった。

「そうだ。いくら綺麗ごとを言ったって、このままじゃ、ただのお尋ね者だ。役人に捕まったら、牢にぶち込まれるだけじゃねぇ、処刑される。そんなの、俺は嫌だ!」

 熱く語る斎吾の胸に、玉虫はしな垂れかかった。

 その時、灯台の油が切れたのか、ふっと灯火が消えた。

 暗闇の中で、甘い匂いのする女の肉の柔らかさを衣越しに感じ、斎吾の体が熱くなる。

「何とかお頭を説得しないと……」

 熱に浮かされて、斎吾はうわごとのように呟いた。醒めたと思っていた酒の酔いが、まだ残っていたのか、それとも獣の欲が目覚めたのか、斎吾にはわからない。

 そんな斎吾の耳に花びらのような唇を寄せて、玉虫が囁く。

「それよりも……ねぇ……斎吾さんがお頭になったほうが……うまくいくんじゃない?」

 女の囁きは、甘くて、心地よくて、斎吾は抗うことなどできなかった。

 

 

 翌朝、斎吾は火袋に謝罪した。

「頭を冷やして一晩考えた。俺が間違っていた。お頭、すまなかった」

 率直な謝罪に、火袋も怒りを鎮めた。

 火袋と斎吾は和解した。

 誰もがそう思い、穏やかな日々が過ぎた。

 

2018年9月24日 (月)

次回予告 無残帳の巻

 故郷を追われた者たちは、立ちあがった。

 奪われたものを取り戻すために。

 だが、まつろわぬ者に待っていたのは、裏切りと生き地獄であった。

 親子はまほろばを求めて戦乱の世を流離う。

そして、灼熱の夏と極寒の冬に訪れた永遠の別れ――

 

 次回、『どろろ百鬼繚乱草紙』まれびとの章 無残帳の巻

 

限りなく悲しみ記す無残帳別れの嘆き絶えることなし

 

「おっかちゃん! おいら……もう飯なんかいらん。食べ物なんかいらん。だから、死なないでおくれよう。おっかちゃん!」

 

変成の巻あとがき

 難産の巻だった。

 いろんな意味で。

 

 もう一人の主人公誕生の巻である。

 変成の巻は、原作の無残帖の巻で明らかになるどろろの生い立ちを元に執筆したオリジナルである。

 村の名前は原作で明記されていないので、創作した。

 どろろの両親は火袋とお自夜で、戦に巻き込まれて村は焼かれ、親兄弟も殺されたという設定は原作と同じである。

 どろろは一人っ子ではなく、兄か姉かは不明だが、原作で「私のかあさんも兄弟も上の……ふたりの子供も……おまえたち侍にころされたんだ!!」と言うお自夜の台詞から、お自夜の母とどろろの姉二人を造形した。

 火袋、鼬の斎吾の家族の設定は、創作である。

 

 村人の豊作は、ヒゲオヤジのつもりで執筆した。

原作には出ていないが、手塚治虫のスターシステムを利用した。

 『ブラック・ジャック』25話「灰とダイヤモンド」で百鬼丸とヒゲオヤジは百鬼博士と松方として共演しているが、『ヤング ブラック・ジャック』無残帳編で、百鬼丸演じる百樹丸雄とヒゲオヤジの共演に歓喜した。

あの感動をもう一度、というわけではないが、『どろろ百鬼繚乱草紙』にも、ぜひヒゲオヤジを出したかった。

 ヒゲオヤジには、活躍してもらうつもりである。

 

 豊作の女房の下枝と息子の大作は、『ロック冒険記』のヒゲオヤジの妻シズエと息子大助である。

 

 原作では、景光と火袋たちには直接の関わりはない。

景光が火袋たちの村を攻めた設定は、映画と映画ノベライズを参考にした。

強いきずなで結ばれていたどろろと百鬼丸が、実は仇であったという因果を本小説でも使いたかったからである。

 

 四十八の魔物が百鬼丸から奪った体で作った子供がどろろだという設定は、『冒険王』版の設定からである。

 まさに一心同体とも言うべき主人公たちの結びつきを示す設定は、ゲーム版でも使われたが、いざ執筆する時、疑問が浮かんだ。

 男の子の百鬼丸から、どうして女の子のどろろが生まれたのか。

 単純に考えれば、男の子の体から作られたのなら、男の子が生まれる筈。

 陰陽の乱れのせいとか、色々考えてみたが、手塚作品には『リボンの騎士』や『人間ども集まれ!』などのように、両性具有のキャラクターが登場する。

 どろろも両性具有的存在であることは、中島梓を始め、多くの漫画評論家からも指摘されている。

 という訳で、どろろを両性具有者とした。

 どろろの秘密を百鬼丸が知るのは、ずっと後のことである。

 

 作中歌は、七草の歌は『万葉集』巻八の山上憶良の1537番歌「秋の野に咲きたる花を指折り数ふれば七種の花」と1538番歌「秋の花尾花葛花なでしこの花をみなえしまた藤袴朝顔の花」をアレンジした。

 まほろ村の子守歌の方は、一応オリジナルではあるが、『梁塵秘抄』や『閑吟集』、地蔵和讃などを参考にした。

 どこかで聞いたことがあるような歌詞なのは、過去に似たような歌を聞いたのだろうか。

 

 原作では無残帳の巻に1カットだけしか描かれていないが、『どろろ』といえば曼殊沙華である。

 『ヤング ブラック・ジャック』無残帖編のラストや、ウェブでファンがアップする『どろろ』のイラストで、曼珠沙華の花は、世界観を表すのに効果的に使われている。

 みをこがしの巻でも曼殊沙華は出したが、変成の巻では親子の絆を結ぶ小道具として、曼珠沙華の花びら染めをまほろ村の特産品とした。

 曼珠沙華の花びら染めについては、ネットで検索した彼岸花の草木染めを参考にした。

作中、曼珠沙華の花びら染めで真っ赤に染まるというのは、創作である。

実際は、彼岸花の花で染めると、透明感のあるピンク色となるそうだ。

 

 

 前の巻からずいぶん時間がたってしまったが、なんとか変成の巻を書いた。

 みをこがしの巻までは原作を参考にできたが、ほとんどオリジナルの話の変成の巻は、試行錯誤した。

 その最中に『どろろ』のテレビアニメ化が発表された。

 原作には書かれなかった結末まで描くという。

 となると、二次創作小説で勝手に書くことは、余計なことをしているのではないかと迷った。

書いてはやめ、やめては書いての繰り返しを続けて時間がたってしまった。

だが、先日発表されたあらすじや設定を読んでみて、心は決まった。

来年1月に放送されるアニメも、『どろろ』のファンである一流のクリエイターが手掛けるのであるから、視たら面白いと思うだろう。

だけど、満足はしない。

 これまで制作された虫プロ版アニメ、小説、ゲーム、映画、どれも面白かったが、完全に満足することはなかった。

 続編的漫画『どろろ梵』も『どろろとえんまくん』も同様である。

 10月から月刊チャンピオンREDで連載開始されるリメイク漫画『どろろと百鬼丸伝』は期待大だが、実際は読んでみないとわからない。

 そもそも、伏線を回収していなくても、話が中途半端であろうと、原作者本人が完結宣言したのだから、読者はそれを受け入れるべきである。

 それでもあえて続編を、白黒つけた結末を望む心は、どうしようもない。

 だから、私が想像した『どろろ』の物語を最後まで書き続けよう思う。

 

 

 

*参考文献

手塚治虫文庫全集『リボンの騎士 少女クラブ版』手塚治虫 講談社

 

手塚治虫文庫全集『リボンの騎士』全2巻 手塚治虫 講談社

 

手塚治虫文庫全集『人間ども集まれ!』手塚治虫 講談社

 

『捜神記』竹田晃 東洋文庫 平凡社

 

『新版万葉集 現代語訳付き』二巻 角川文庫 伊藤博役注

一五三七番・一五三八番 山上憶良の秋野の花を詠む二首より

 

『新版古今和歌集現代語訳付き』角川文庫 高田裕彦訳注

 

『梁塵秘抄』新潮日本古典集成 榎克朗校注 新潮社

 

『閑吟集 宗安小歌集』新潮日本古典集成 北川忠彦校注 新潮社

 

『図解日本の装束』井上良太 新紀元社

 

『源氏物語図典』秋山虔・小町谷照彦編 小学館

 

『イラストでわかる日本の仏さま』中経の文庫 日本の仏研究会 KADOKAWA

 

『宙ノ名前』林完次 光琳社出版

 

『「空のカタチ」の秘密』武田康男 ビジュアルだいわ文庫 大和書房

 

 

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章10

   変成の章後編

 木の洞は、暗く静かだった。

 日が高くなっても、光は射しこまず、外の騒々しさから完全にお自夜を遮断している。

 時折、荒々しい足音や、「こっちだ」「あそこだ」という怒鳴り声がした。遠くで女の悲鳴や、子供の泣き声も聞こえた時は、助けることができない申し訳なさと、見つかりたくないという気持ちが交互にお自夜の胸によぎった。

 赤子の為に、待っていてくれる母と娘たちの為に、今見つかる訳にはいかない。

 そんなお自夜の胎の赤子は、もう生まれたいと主張しているかのように、蠢いている。

「まだ……まだよ……まだ生まれては駄目……」

 胎の赤子に言い聞かせるように、お自夜は呟いた。今生まれたら、泣き声で雑兵どもに見つかる上に、生まれるには、ふた月も早い。命の危険が母子ともにあった。

 お自夜の願いと裏腹に、陣痛は鎮まるどころか、酷くなる一方だ。全身汗が吹き出し、痛みに意識が遠くなる。何刻たったのか、それとも何日か――時の感覚もわからなくなる。

 

「助けて! おとっちゃん! おっかちゃん!」

 

 朦朧とする意識の中で、幼い女の子の声が聞こえたような気がした。あれは朧火の声? それとも蛍火?

 気になりながらも、お自夜の意識は闇に堕ちた――

 そうしてどのくらいの時間がたっただろうか。

 お自夜が目覚めた時、不思議なことに、あれほど苦しかった痛みが嘘のように引いていた。早産にならなくてよかったと、お自夜はほっと息を吐いて安堵する。

お自夜は枝の隙間から外を覗った。

 外は日が落ちている。夜の闇が辺りを覆っていた。雑兵たちの気配もない。もう山から下りて行ったのであろう。

お自夜はそっと入り口を塞いであった枝と枯れ葉をどかし、木の洞からそろそろと這い出した。

冷気が肌を刺す秋の夜の山は、静かだった。だから、風が葉を揺らす乾いた音、梟の鳴く声、茂みの中を通る野鼠の足音が、やけに大きく聞こえる。

見上げると、天高く伸びる木々のさらに上、東の空にかかる十五夜の月は、半分雲に隠れている。地上に月の光はほとんど届かない。

 雲に隠れた月は、今のお自夜の心を表しているかのようだ。

 本当なら、今夜はお月見をして、家族そろって団子を食べていたのに――

(朧火と蛍火に団子作ってやれなかったわ。うちの人にも久しぶりにお酒飲ませてあげたかったのに)

 戦はいつも突然始まる。こちらの都合などお構いなしだ。勝手に村に入り込んで戦い、争う。巻き添えになるのはこっちだ。

 家は焼かれ、収穫前の稲は奪われ、挙句、命までとられたらたまらない。

 富樫でも赤松でも、誰が領主でも構わないから、自分たちの喧嘩に巻き込んでほしくないのが本音だ。

 ささやかな幸せを奪った侍たちを、お自夜は憎らしく思う。

(おっかさんたちは、無事に山小屋に着いたかしら。うちの人はどこにいるの? 血の気が多い人だから、雑兵たちに向かっていって、怪我してなければいいんだけれど)

 無事に逃げていて――家族の無事を祈りながら、お自夜は暗い夜の山を登り始めた。

 大きな腹を抱えて暗がりを歩くので、足元がおぼつかない。それでもお自夜は山小屋にたどり着こうと、歩き続けた。早く娘たちに、母に会いたかった。

 ふと、どこからか漂ってきた臭いに、思わずお自夜は足を止めた。

 決して心地よい匂いではない。生臭い、嫌な臭い。お自夜は掌で鼻と口元を覆った。

 わずかな月明かりを頼りに周囲を見回すと、臭いの元は、すぐそこの草むらの中にあった。

 草むらに、あおむけに倒れている老婆がいた。

「おばさ……」

 お自夜は呼びかけて、絶句した。

 暗闇の中でも、恐怖に顔をゆがめ、白く濁った両眼を見開いたまま動かない老婆は、すでにこと切れていた。

この老婆を、お自夜は知っている。火袋のことを「あにき」と呼んで慕ってくれている斎吾の母親だ。二、三年前から寝たり起きたりだったから、お自夜も腹が大きくなる前は、時々家に寄って看病をしたり、家事を手伝っていた。

 斎吾も火袋と一緒に見回り役だったから、斎吾の母は一人で山に逃げても登り切れず、追ってきた雑兵に斬られたのだろう。

(こんなことになるなら、おばさんも一緒に泊まろうって誘えばよかった……)

 斎吾の母に声をかけなかったことを、お自夜は後悔した。母の死を知ったら、斎吾はどんなに嘆くだろうと暗い気分になる。

 そして、それまで抑えていた不安が、お自夜の胸に一気に広がった。万が一、斎吾の母のように母と娘たちが雑兵たちに見つかっていたら――

(そんなことない。おっかさんたちは、ちゃんと山小屋に逃げている。無事だわ)

胸の奥から沸き上がる嫌な予感を何度も何度も否定するが、母と娘たちの顔を見るまでは、お自夜は不安を募らせずにはいられない。

お自夜は再び山小屋を目指して歩き出した。できれば思いっきり駆けて行きたいが、腹が重くて走れない。

 山小屋に向かっているうちに、風が緩やかに吹き始めた。

風に雲が流されていくと、月の光が地上を照らし、木の一本、草の葉一枚まではっきり見えるくらい明るくなっていく。夜の山道を歩くお自夜の行く手を照らすように、雲隠れの月は、徐々にその姿を見せ始めた。

 そして、黄金の月が冷たい光を放って全身を現した時、お自夜は地獄を見た。

 

 月明かりの下にあったのは、人の屍だった。

 それもひとつふたつではない。道の途中、木々の間と、あちらこちらに倒れ転がる屍の数々は、苦悶、驚愕、唖然と、様々な表情で顔を歪ませたまま、無造作に手足を投げ出し、全身血まみれになって倒れている男、女、老人、子供たち。

小さな村だから、お自夜はここに倒れている人たちを、皆知っている。幼馴染みや顔なじみ、隣人に、娘たちの遊び友達、親戚のあの人この人――

そして、見慣れた柄の小袖を着た女が倒れているのを見つけ、お自夜は目を見開いた。

まさか、嘘だ――お自夜は頭で否定するが、すぐにそれが誰かわかった。

「おっかさん!」

 倒れていたのは、お小夜だ。

 お自夜はお小夜の傍に駆け寄った。助け起こすと、お小夜の腕には、蛍火がしっかりと抱かれていた。

「おっかさん、蛍火、しっかりして!」

 お自夜は母の体を揺さぶり、血の気のない娘の頬をさすった。二人とも、無傷ではなかった。二人の着ている小袖は、刀で切り裂かれており、ところどころ赤黒く染まっていた。どんなに名を呼んでも、眼を開けることは無かった。

「起きて、おっかさん! 蛍火! 今年は蛍火の髪結いよ。綺麗な紐染めようねって、言ったじゃない! 蛍火も、朧火とお揃いの紐がいいって言っていたじゃない! だから……だから……死んじゃ駄目っ! 駄目よぉっ!」

 後で会おうねと言って別れたのに。

 もうお小夜も蛍火も、お自夜に笑ってくれない。それが信じられない。

 お自夜は何度も何度も首を振った。目の前の現実が悪い夢としか思えない。

「いや……いや! いやぁああああああああああああああああああああああああああっ!」

 闇と静寂を引き裂く叫びが、お自夜の喉から漏れた。お小夜と蛍火の亡骸にすがって、我を忘れて泣き叫ぶ。

 ――朧火は何処だろう。

泣き叫びながら、お自夜は朧火の姿がここにないことに気づいた。無残に殺された村人たちの亡骸の中に、朧火はいなかった。それならば、朧火はどこかに隠れている?

「あ……あ……おぼ……朧……火……朧火、無事なの? 出て来て! おっかさんよ!」

 お自夜は周囲を見回し、泣きながら朧火の名を叫んだ。母である自分が呼べば、娘はきっと出て来てくれる。

 だけど、お自夜の呼びかけに答えたのは、娘の声ではなかった。

「う……うぅ……お……じ……や……さ……」

 苦しげに呻きながら、でも必死なか細い声が、お自夜を呼ぶ。

 声が聞こえたほうに目を向けると、向こうの草むらに下枝が倒れていた。

「下枝さん!」

 お自夜は下枝の傍に駆け寄った。下枝もまた、全身刀に斬り刻まれていた。青ざめた顔に死の影が浮かんでいる。迫りくる死から引き止める術のないお自夜は、下枝の手を握ってやるしかできない。

「何があったの? どうしてこんな……」

「雑兵どもが……」

 虫の息の下で、下枝はお自夜と別れた後、何があったのか話した。

「……先に登っていた人たちを……お小夜さんと蛍ちゃんを殺した……大作と……朧ちゃんを捕まえて……若い娘さんたちや……他の子供たちも一緒に……連れて……」

 雑兵たちの人狩りに出くわしてしまったなんて――下枝の話に、お自夜は背筋が凍る思いがした。だけど、連れていかれた朧火は、大作は、他の子供たちは、まだ生きている。残された望みに、お自夜の心は絶望の淵から這い上がった。

「じゃあ、朧火は、大作ちゃんは生きているのね? 他に生きている人たちはいるのね?」

 お自夜の問いかけに、下枝は必死に頷いた――頷こうとした。そして、縋るようにお自夜を見つめながら、囁いた。

「ごめん……なさ……守れ……なく……て……」

「下枝さん……」

「おねが……い……大作を……助けて……」

 声にならない声。しかし、お自夜にははっきりわかった。

「わかったわ、下枝さん。きっと子供たちを、皆を助けるわ!」

 お自夜の言葉に、下枝は謝罪と感謝の眼差しを向けた。光を失いつつある瞳から、涙が一滴零れた。

「……あんた……大作……」

 命の灯火が消える寸前、亭主と息子の名を呼ぶと、下枝は静かに目を閉じた。それきり、その瞳を開くことは無かった。

 

「助けに行かなきゃ……朧火……待っていて……」

 下枝を看取ると、お自夜は立ちあがった。木の洞に隠れていた時、聞こえた子供たちの声。あの中に朧火がいたのかもしれない。人買い商人に売られる前に、救い出さなければ。

 身重のお自夜が単身で行っても、助け出すことなどできない。逆に捕まって、奴婢として売られてしまう。しかし、今のお自夜には、娘を助けるという思いしかなかった。

 今、頼りになる火袋はいない。助けに行けるのは母親である自分だ――

 行く前に、お自夜はもう一度お小夜と蛍火の亡骸に視線をむけた。物言わぬ骸と成り果てたその姿を目に焼き付けると、歩き始めた。

 村に戻ろうと、来た道を引き返す。急ぎたいが、気ばかり焦って、足がもつれる。よろめき、転びそうになり、山の斜面の方にお自夜の体が傾いた。

 

 とん――

 

 その時、お自夜は誰かに背中を押された。

「えっ?」

 誰が押したのか、わからない。ここに、生きている人間は、お自夜しかいないはずなのに。

 困惑の中で、お自夜は押されたはずみで山の斜面に倒れた。

「きゃあああっ!」

 そのまま悲鳴を上げながら、お自夜は奈落へと滑り堕ちていく――

 それを薄笑いしながら見つめているのは、異形の者であることを、お自夜は知らない。

 

 

  なぜに血の色 曼殊沙華

  天に在りては白き花

  地に在りては赤き花

  ほんに不思議な花の色

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

 歌が、聞こえる……

 あれは、母が歌っているのか?

 どこか遠くで子守歌が聞こえたような気がして、お自夜が目を開けると、最初に見えたのは、月明かりの下で咲く、血のように赤い花びら。

 お自夜は曼殊沙華の花園の中で倒れていた。

滑り落ちた所は、この山が曼珠山と呼ばれる所以の花園だった。

 なんでもない時なら、月の光に照らされて咲く曼珠沙華を美しいと思えただろう。我が子を奪われたお自夜には、花を愛でる余裕などなかった。

 どのくらい意識を失っていたのか。先程は東の空にあった月は、南の空高く昇り、いつもより大きく見えた。そして、月の光は、真昼のように明るく金色に地上を照らしている。

 早く朧火を助けに行かなくては――体中、打ち身と擦り傷で痛い。腕や足にも血が滲んでいる。それでもお自夜は苦痛を堪え、上体を起こした。

「う――ううっ!」

途端、胎の中で赤子が暴れた――いいや、何か別の生き物が入り込んで、赤子に狼藉を働いているのではないかと思うくらいの激痛に、みぞおちの辺りが押されるように痛くなり、呻きながら腹を抱えた。

心の臓が早鐘を打つ。息が苦しい。脚の間から濡れた感触がする。破水したのだ――続いて赤子が胎から産道のほうに下りてくるのも感じた。

 まさか、滑り落ちた衝撃で産気づいてしまったのか。

 産み月には早い。産婆もいない。山の中で、たった一人で赤子を生むなど、命が危ない。

「まって……駄目……まだなのに……」

 母の願いも聞かず、生まれたいと主張するかのように赤子は胎で蠢く。

「あ……あ――ううぅっ!」

 赤い花びらの褥の中で、獣のように喉の奥で唸り、呻きながら、涙を流しながら、お自夜は生みの苦しみに悶えた。

 お自夜の苦痛と呼応するように、黄金色の月が、左下の端から黒く欠け始めた。

 黒い影は、ゆるゆると月を侵食していった。黄金色の丸い月は半月となり、猫の目のように細い三日月へと姿を変えた。

月が欠けていくにつれ、山は暗く、闇が深くなる。

 闇に包まれながら、お自夜は我が子の無事を願った。

(お願い……無事に生まれて来て……)

 そんなお自夜の耳に聞こえてきたのは、笑い声だった。

「うふふふふ」

「あははは」

「くっくっくっ」

「きゃはははは」

「くすくすくす……」

 笑い声は、空から聞こえる。無邪気な調子の笑い声は、幼い子供のようでもあり、若い娘のようでもあった。

 空を見上げると、闇に白いものが浮かんでいるのがぼんやり見えた。

ひとつ……ふたつ……全部で五つ。

それらがゆっくりと降りてきて、大きく全体がはっきり見える程近づいた時、お自夜は愕然なった。

 虚空から降りてきたのは、人だった。

透き通るような薄い白い衣を豊満な体に羽織った五人の乙女たちが、夜空から舞い降りてきたのだ。

 月の光をそのまま写し取ったかのように輝く黄金色の髪を靡かせながら、乙女たちは白い腕を振り上げ、袖を翻した。

 ふわり。

 ふわり。

羽根のように軽やかに、右へ、左へと宙を舞う。

 乙女たちの動きに合わせて、透ける単の下の豊かな胸が揺れ、袴を履いていない足が、裾から覗く。

 歳の頃は十四から十八くらい。あどけなさが残る顔に、笑みを浮かべながら、可憐に、淫らに、艶めかしく舞う乙女たち。

 空から人が降りてくるなんて――お自夜は自分の正気を疑った。

 悲しみと苦痛のあまり、夢を見ているのか?

だけど、夢でも幻でもない証拠に、舞い踊る乙女たちは、地上から五尺ばかりの高さまで降りると、お自夜を囲むように見下ろした。

乙女たちは、皆咲き誇る花のように美しい。だが、お自夜を見つめる翡翠のように艶のある鮮やかな緑色の瞳には、氷のような光が浮かんでいた。冷ややかな眼差しに慈悲の欠片はない。

そして、嘲りの笑みを浮かべながら、乙女たちは口々に、小鳥が囀るように囁いた。

「生まれてきても、無駄だよ」

「この子は女の子だ」

「弱い女の子だ」

「女だから、男に嬲りものにされる」

「女だから、簡単に殺されるよ」

 赤い紅をひいた唇から漏れるのは、鈴の音を転がすような声で赤子を呪う言葉。

 意地悪な言い様に、お自夜は怒りを覚えた。

「ご覧」

 一人の乙女が闇の彼方を指さして示した。

 闇の中に、ぼうっ……と、何かが朧に浮かんで見えた。

 お自夜が見たのは、薄汚れて、襤褸(ぼろ)のような小袖を着た十歳くらいの女の子の姿だった。

 知らない女の子。だけど、目の大きな可愛い女の子は、朧火にも蛍火にも似た子だった。

(あの子は、わたしの娘?)

 幻に見える女の子は、今生まれようとしている赤子の成長した姿だと、お自夜はわかった。

 女の子は腹を空かせているようだった。食べ物を探して道をうろつき、どこかの屋敷の裏に捨てられていた残飯を拾って、貪るように食べた。そこへ、下卑た男がやってきて、にやにやと嫌な笑いを口元に浮かべながら女の子を見下ろす。そして、女の子に手を伸ばして捕まえると、地面に押し倒し――

「やめて! わたしの娘に触らないで!」

 お自夜は幻に向かって叫んだ。だけど、悪夢は止まらない。

「あ……あ……あ……」

 お自夜に止める術もなく、女の子は無残にも辱められ、壊れた人形のように地面に打ち捨てられた。

 次に見えた幻は、走っている女の子だった。

 必死の形相で走る女の子の後ろを、男が追いかけている。まだ少年といってもいい。黒い絹の小袖を着た少年は、信じられないことに、その両腕から刀を生やしていた。そして、泣きながら逃げるその小さな背に、少年は腕の刀を振り下ろした――

 切り裂かれた女の子の背から、鮮血が花びらのように闇に散る。

「いやぁっ!」

 お自夜は絶叫した。

 惨い。

 惨すぎる。

 まだ幼いのに、あんな目にあうなんて。

 こんなの見たくないと、お自夜は両手で目を覆った。

「ほ、ほ、ほ」

「これでもまだこの子を生むの?」

「この子も姉たちのように嬲られ、殺される運命だ」

「だからね、生まれてこない方がいいよ」

「生まれる前に極楽浄土に行く方が、幸せさ」

 嘲笑う乙女たちの言葉を聞きながら、お自夜は気が遠くなりそうだった。

(こんな惨い運命が、この子を待っているの? それなら生まれないほうがいい? このまま一緒に死んでしまったほうが、この子には幸せなの?)

 苦痛と疲労の中で見せつけられた未来に絶望し、子を生むことを諦めかけたその時、

 

 しゃらん――

 

 涼やかな音が響いた。

 その音を聞いた途端、乙女たちは笑うのを止めた。

「あ、あ、あ」

「ひぃっ」

「きゃあっ」

「いやっ」

「こわぁい!」

 傲慢な美貌を恐怖に引きつらせながら、悲鳴を上げる乙女たち。

 

 しゃらん――

 しゃらん――

 しゃらん――

 

 苛立たしそうに何度か金属の音が鳴ると、短く叱咤する声が聞こえた。

「去れ!」

 途端、鞭打たれたように、乙女たちの体は季節外れの桜の花びらと化し、散った。

断末魔の悲鳴と共に、花びらは夜空に舞い上がり、儚く消えた。

「願いなさい」

 乙女たちを追い払った声は、続いてお自夜を激励する。

「男になれと願いなさい。男に変成できれば、その子は助かりましょう」

 優しく、凛とした声は、聞き覚えがあった。それが誰かは、今のお自夜には思い出せなかった。だが――

 男になれと願えば、娘は助かる――絶望の中で聞いた声は、一縷の望みとなった。

我が子を守るため、迷わずお自夜は願いを口にした。

「お願い――男になって……男に生まれて……誰にも負けない、誰にも殺されない強い男に……!」

 その瞬間、お自夜は見た。月が完全に影に侵食されて、闇が地上を覆ってすぐ、赤黒い月が虚空に現れたのを。

 今宵の惨劇の証のような、血の色の月だった。

 

 血の色の月の下で、力強い産声が天に響いた……

 

 

(生まれた――)

 赤子の泣き声を聞きながら、曼殊沙華の褥に横たわったお自夜は、精も根も尽き果てていた。だけど、赤子の体を清めてやらなければ。臍の緒や後産の処理もしなければ、母子とも死んでしまう。

お自夜は眠っては駄目だと自分を叱咤し、起き上がろうとした。しかし、力が入らない。意識も遠くなる。

 だから、曼珠沙華の花をかき分けて、誰かが近づいてきたのをお自夜は気がつかなかった。

 意識を取り戻した時、赤子の泣き声は生まれた時よりも、いっそう激しかった。

(どうしてそんなに泣いているの?)

お自夜は不思議に思う。恐ろしい現世へ生まれてきてしまったことを、我が子は嘆いているのか?

 お自夜はなんとか半身を起こすと、傍には昨日、あの不吉な予言をした若い僧侶が立っていた。

 あの時はみすぼらしい僧服だったが、今は高位の僧が着る僧綱襟(そうごうえり)の法服に身を包み、金糸で刺繍された絹の袈裟を纏っている。

 十五夜の月は、すでに血の色ではなく、黄金色に戻っていた。清らかな月の光に照らされた僧侶は、輝いて見えた。まるで神仏のように犯し難い雰囲気だ。

そうしてお自夜は気がついた。

さっき五人の乙女たちを追い払った声が、お自夜に願えと言った声が、この僧侶の声だということを。

助けてくれた恩人だとわかると、昨日、僧侶のことを忌まわしく思ったことを、お自夜は恥じた。

(わたしったら、失礼なことを)

 僧侶の腕の中には、身を清められた裸の赤子が抱かれていた。赤子は泣き叫びながら身をよじり、手足を蠢かせている。僧侶に抱かれているのが、嫌がっているように見える。

「わたしの子――」

 お自夜は両腕を伸ばした。僧侶が赤子をお自夜に渡すと、赤子はたちまち泣き止んだ。母の温もりに安堵したのか、おとなしくなり、すやすやと眠り始める。

 赤子の重みを腕にして、お自夜は思わず涙が零れた。月足らずで生まれてきたが、赤子は月満ちて生まれた子と同じように――朧火と蛍火が生まれた時と同じように――大きく、元気な赤子だ。無事に生まれてきてくれて良かったと、安堵してほっと息を吐く。

 お自夜は性別を確認しようと、赤子の股間を覗いた。

 小さいながらも男の印がついている。男の子だ、と思ったが、小さな男根とみつぶくろ)の後ろに、男にはあるはずがないものが見えた。

「この子は……」

 お自夜は戸惑った。女にしかないはずの花弁が、赤子の身に刻まれていた。

 何度見ても、赤子には男の印と女の印が両方ついている。

 我が子は男なのか? 女なのか?

 答えを探すように、お自夜は顔を上げた。憂いに満ちた表情の僧侶と視線が合う。僧侶は憐みの眼差しでお自夜と赤子を見つめていたが、痛ましそうに呟いた。

「変成し損ないましたね」

 僧侶の言葉が、お自夜は理解できない。し損なった? 何を?

 僧侶はお自夜が求める答えを告げた。

「あなたが願ったので、この子は変成男子して生まれる筈でした。しかし、祈りが足りなかったのでしょう。陽の気が陰の気に打ち勝つことができず、このように未完の体で生まれてしまいました」

 だから、男でもあり女でもあり、男でもなく女でもない。

「そんな……」

 お自夜は蒼白になった。あんなに一生懸命、必死に願ったのに――

「わたしのせい? わたしのせいで、この子は……」

 異形の身となった我が子に、お自夜は自分を責める。

そんなお自夜に、僧侶はにっこりと笑って言った。

「安心なさい。鬼の子を倒せば、大丈夫です」

「鬼の子?」

「そうです。この世に生まれた悪しき心の鬼の子、長じれば人々を不幸にし、この世を乱すことになるでしょう。鬼の子を倒せば、その功徳によって、女の印は消え、この子は男になります」

 鬼の子を倒せば、この子は男となる。

 僧侶の言葉は、お自夜には天からのありがたいお告げに聞こえた。

「して、その鬼の子は、どこに?」

 お自夜が尋ねたその時、

 

「お自夜―っ!」

 

 どこからか、自分を呼ぶ声が聞こえた。

「あんた?」

 あれは、火袋の声だ。

 お自夜は声の方に振り返り、それから再び僧侶の方に視線を戻した。

 だが。

 僧侶の姿は跡形もなく消えていた。

 月明かりの下の曼殊沙華の花園の中で、ぽつんとお自夜は赤子と残された。

 

 

「お自夜―っ! 朧火―っ! どこだぁ!」

 火袋は声を限りに女房と娘の名を呼びながら、夜の山を彷徨っていた。

 その目は血走り、凶暴な獣のように獰猛な表情だ。

朝からずっと歩き通しで、岩のように屈強な体を持つ火袋でも、疲労の色が浮かぶ。だけど、火袋は立ち止まるわけにはいかない。女房と娘の姿を見るまでは。

 夜明け前に、醍醐景光率いる軍の突然の襲撃を受けてから、火袋は一緒に村を見回っていた豊作と斎吾、他の男衆と共に、女子供や老人病人を逃がすために雑兵たちと戦った。そして、弱き者たちを守りながら曼珠山の山小屋に逃げ延びた。

 だが、山小屋には何人かの村人が逃げていたが、お自夜と娘たち、義母の姿はなかった。豊作の女房も息子も、斎吾の母親の姿もなかった。

 他の山小屋に逃げているのかもしれない。

 そう思って、火袋は豊作と斎吾と共に、他の山小屋を見て回った。だが、彼らの家族の姿はなかった。彼岸寺にも行ったが、そこは無惨な現場だった。

 火袋たちが見つけたのは、彼岸寺の和尚や弟子の僧たち、そして寺に逃げ込んでいた村人たちの亡骸だった。

 和尚を始めとして、全員首が無かった。

 村の男だけではなく、女子供も、出家者も無残に斬り殺して首をはねた醍醐の兵の残忍さに、火袋たちはさらに怒りを募らせた。

 

 火袋たちがよくよく亡骸を見たならば、体には傷は残っておらず、首は刀で斬られたのではなく、大きな獣の牙で食いちぎられた痕だと気がついたであろう。だが、その時の火袋たちには、そんな余裕は無かった――

 

 それから火袋たちは彼岸寺を後にして、行方知れずの家族を探して山を歩いた。

 そして、夜になって最初に見つけたのは、斎吾の母だった。

 

「おっかぁ!」

 

全身血まみれになって草むらの中に倒れていた老母を見て、斎吾は一瞬呆けていたが、すぐに一声叫ぶと、転がるように駆け寄った。

助け起こした斎吾の母は、すでに冷たくなっていた。

 まさか、うちの女房子供も――

 不吉な予感に火袋と豊作は、母の亡骸にすがって泣く斎吾をそこに残して、まだ行っていない山小屋の方へ向かった。そして、間もなく見つけたのだった。村人たちの亡骸の中に、家族を。

 

「蛍火――おっかさま!」

「うわあああっ! 下枝ぇーっ!」

 

 情け容赦なく斬殺された惨い姿に、火袋も豊作も号泣した。

 だが、火袋は気づいた。

 

「……お自夜――朧火は、どこだ?」

「あ……大作は?」

 

 お自夜と朧火は、この凄惨な現場にいなかった。豊作の息子も、母親の亡骸の傍にはいなかった。

 お自夜も朧火も、豊作の息子も、逃げることができた――まだ生きていると確信し、手分けして行方を追おうと、火袋は豊作と別れて山を彷徨い歩いた。

 真夜中になった頃、丸い月が喰われるように急速に黒く欠けていったが、身を隠すこともせず、立ち止まらずに歩き続けた。

月が影に喰われる不吉さなど恐れなかった。火袋が恐れていたのは、お自夜と朧火の亡骸を見つけてしまうことだけだった。

 火袋の父も母も兄弟姉妹も、飢餓や流行り病、戦で一人残らず死んでしまった。今、火袋の家族と言えるのは、お自夜と娘たち、そしてこれから生まれてくる赤子だけだ。それなのに、一人だって失いたくないのに、幼い娘は殺された。これ以上家族を失いたくない。

「お自夜―っ! 朧火―っ! どこだーっ! 頼む、返事してくれ!」

 暗闇の中で火袋は叫び続けた。

 そして、虚空に赤い月が浮かんだ時、遠くの方で赤子の産声を聞いた。

 俺の子だ――

 火袋は直感した。

 産み月には早いけれど、あの泣き声は我が子だと、頭で思うより先に火袋の足は産声が聞こえてきた方に駆けていた。

 赤い月は、いつしか端の方から光を取り戻し、不吉な血の色から清らかな黄金色に戻った。

「お自夜―っ!」

 女房の名を呼びながら木々を抜けると、曼珠沙華が咲き乱れる花園に出た。

 血を吸ったかのように赤く、燃える篝火のように花開く曼珠沙華の花園の真ん中には、黄金色の月光の下で、裸の赤子を抱くお自夜が立っていた。

 生きていた……!

 お自夜は無事だった。眠っている赤子も大きくて、元気そうだ。

 嬉しすぎて、火袋は涙が出そうになった。せっかくのおめでたに不吉だから、泣くもんかと、我慢し笑おうとした。

「お自夜……」

 泣き笑いの表情で顔を歪ませながら火袋が呼びかけると、

「あんた……」

 お産を終えたばかりのやつれた顔のお自夜は、火袋を見て微笑んだ。

微笑むお自夜の顔を見た瞬間、火袋は笑みを消し、思わず息を飲んで立ち止まった。

この世の者とも思えないほど、美しい女がそこにいた。

着ている麻の単衣は粗末なもので、顔も汗と血と泥に汚れていたが、それでも女の美貌を損なわせない。

(これは……お自夜か? 本当に俺の女房か? 天女の化身じゃねぇのか?)

 もともとお自夜は村一番の器量よしと評判で、自慢の女房だ。だが、一晩会わない間に、お自夜はさらに美しくなっていると火袋は感じた。

ただ美しいだけではない。優しく、慈愛に満ちた微笑みには、何か決意を秘めた強さが滲んでいた。それが誰よりも綺麗で、強くて、怖くて……近づきがたい。

女房に、我が子に会えて嬉しいのに、会えたら抱きしめたいと思っていたのに、火袋はお自夜に近づけなかった。

お自夜は誇らしげに、だけどどこか悲しげに言った。

「生まれたよ……あんたの息子……朧火と蛍火の弟……本当は女の子だったけど、あのお坊さまの言った通り、願ったら男の子になったんだよ……でもね――わたしのお祈りが足りなかったせいで、生まれ損なってしまったの……だから……鬼の子を退治しないと……この子は男の子になれないのよ……」

火袋は、お自夜の言っていることの意味がわからない。生まれた子が男の子であることは理解したが、素直にそう思えない。

 何があった?

 自分がいない間にお自夜の身に何があった?

 朧火はどこだ?

 赤子は本当に男なのか?

 いくつも聞きたいことがあった。しかし、愛おしそうに赤子を抱くお自夜を、火袋はただ黙って見つめるしかできなかった……

 

 

 

 

2018年9月23日 (日)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章9

    変成の章前編

 地獄のような娑婆に、龍女が生まれ堕ちた。

 

 

 話は遡る――

 時は応仁元年三月の晦日。醍醐景光が地獄堂で四十八の魔物と契約してから、四年の月日がたっていた。

 仏師運賀が彫った木彫りの像に封印されていた魔物たちは、生贄の赤子の体から生きた血と肉を得てから、それぞれが好きな場所で自由を謳歌していた。

 再び会うのは、ずっと先か、あるいは永遠にこないはずであった。

 しかし、見過ごせない問題が起きた。そうして虚空の闇の中、四十八の魔物たちが四年ぶりに集った。

「皆、揃ったか?」

 魔物の一体が呼びかけると、残りの四十七体の魔物が一斉に答えた。

「揃った」

「揃った」

「揃ったぞ」

 久方ぶりに会った仲間への挨拶もそこそこに、本題に入る。

「赤子のこと、聞いたか?」

「聞いた」

「聞いた」

「聞いたぞ」

「余計なことをした男がいるとな」

「約束を破りおって!」

「けしからん!」

 怒号が闇を揺るがす。同時に獣のような唸り声や、歯ぎしりする音も響く。

「あの赤子の体は、わしらと景光との約束で貰ったものだ」

「それを我らに断りもなく、代わりの体を勝手に与えるとは」

「許せん!」

 契約の証として体を奪った赤子が、景光に捨てられた後、医師に拾われて命を救われた。

 それはいい。命まで奪うとは魔物たちは言わなかった。封印を解くために生きた血と肉が得られれば、赤子が生まれた後、生きようが死のうがどちらでも構わなかった。

 だが、あろうことか、医師は赤子に作り物の手足を与えて、自由に動けるようにした。

偽物の体とはいえ、五体満足の姿を生贄の子が取り戻すということは、魔物たちには、許しがたい契約違反だった。

「罰を与えねば!」

「その男、八つ裂きにしてくれよう!」

「おお!」

 今すぐ医師を殺そうと意気込む魔物たち。

「まあ、待て」

 それを、ある魔物が止めた。上半身は人の若い男の姿だが、下半身が白銀の鱗に覆われた蛇の魔物だった。

「我らと約束したのは景光。その男は、我らとは何も約束を交わしていない。与えた体も、所詮偽物。本物は、我らの元にある」

「だから、何もするなと言うのか?」

「知らぬとはいえ、勝手をしたからには、仕置きが必要だ」

「そうよ!」

 許すなと言う仲間たちに、蛇の魔物は、

「そうとは言っておらん」

 やんわりと言って、提案する。

「まずは、警告をしてやろう。その男の周りに住む小物どもに、脅かしてやれと命じておく。それであの子を生まれたままの姿に戻すのならよし、そうでないなら、我らの元にある体で、面白い物を作ろう」

「面白い物とはなんだ?」

「我らが貰ったこの体、くっつけてひとつにしたら、一人の子供になる。そうして生まれた子と、あの子が出会ったら、どうする?」

 にたり。

 蛇の魔物は、思わせぶりに笑った。

すぐに言わんとすることを察して、魔物たちに喜びの声が上がった。

「おお! いいぞ!」

「なんて素敵!」

「面白い! 実に面白いことになる!」

体を奪われた子供と、奪った体を与えられた子供。

 奪われた子供は、体を取り戻そうとし、与えられた子供は、体を取り戻されまいとする。

 二人の間に争いが生まれるはずだ。血で血を洗う、殺し合いが。

 それこそ魔物たちが好むものだった。

「よし、皆、体を出せ。子供を作るぞ」

 そうして各々所収している体の一部を出し合い、くっつけた。

だが、奪った体をくっつけてみても、数が足りないのだから、一人前の人間の子供に作り上げるのは難しい。しかも、魂もないのだから、たとえこの世に生まれ堕ちても、心のない、生きているだけの人形にしかなりえない。

「そこらに転がっている死体から、体を足してみようか」

「生きた肉に死肉を足しても、腐ってしまうぞ」

「魂は、その辺に漂っている霊魂を捕まえて体に入れてみようか」

「死霊を入れても、体は腐る」

 そうして思案し、話し合った結果――

「ならば、これから生まれる赤子に体をやろう。さすれば、魂を持った人の子となる」

 奪った体を他の赤子に与えることにした。

「どの子にあげましょうか」

「あまり遠くでは駄目だ。あの子供と出会うことができぬと、意味がない」

「どこがいい?」

「どの子がいい?」

 四十八の魔物たちが闇の中から下界をあちこち見下ろす。そして、一人の女に目を止めた。その身に小さな命を宿した女を。

「見つけた」

「見つけた」

「見つけたぞ」

「なんと可愛らしい子」

「あの女の胎の子がいい」

「あの子に体をやろう」

「ぐふ」

「ぐふ」

「ぐふふふ」

 思い通りに弄ぶ人形を見つけて、満足しそうに喉を鳴らして笑う声が、小波のように闇を揺らした。

 

 四十八の魔物に魅入られたことを知らず、無垢な赤子は母の胎内で育ち――

 

 

  秋の野に咲きたる花を 咲きたる花を

  指折り数えれば 七草の花

 

頭を垂れて秋風に揺れている稲穂が、夕日に照らされていっそう黄金色に輝いていた。

 水を抜いて稲の収穫を待つ田んぼの傍の畦道には、茎を伸ばした曼珠沙華の花が、いくつも咲き乱れている。

深紅の花は、着古した小袖を着て、仲良く手を繋いで歌いながら歩く姉妹を導くようだ。

 姉は六、七歳くらい。腰まで伸ばした髪は、紅色に染められた紐でひとつに結われ、背中で揺れている。

 姉に手を引かれている四、五歳くらいの妹は、肩の辺りまで伸ばした髪が、扇を広げたようにゆらゆらと揺れているのが何とも可愛らしい。

 幼い姉妹の後ろを、少し離れて女がゆっくりと歩いていた。

 女の腹は、膨らみが目立ち始めている。女は愛おしそうに腹を撫でながら、先を歩く姉妹を見つめていた。

 

  ひとつ 萩の花

  ふたつ 尾花

  みっつ 葛花

  よっつ 撫子の花

  いつつ 女郎花

  むっつ 藤袴

  ななつ……

 

「えーと、なんだっけ?」

「おっかちゃん、ななつは、なぁに?」

 秋の七草の数え歌を歌っていた姉妹は、最後の草花がわからなくなって、立ち止まり、後ろを振り向いて女――母に尋ねた。

「朝顔よ」

 母は優しく微笑んで、娘たちに教えた。

「朝顔!」

「そうだ、朝顔だ!」

 姉妹はにっこり笑って続きを歌う。

 

  ななつ 朝顔

  これが秋の七草の 七草の花

 

 ここは加賀の国にある小さな村。

村の名を、まほろ村という。

 二十四歳の若い母は、まほろ村の百姓、火袋(ひぶくろ)の女房のお自夜(じや)だ。

姉妹は娘の朧火(おぼろび)と蛍火(ほたるび)。

お自夜の胎には、あとふた月で生まれる三人目の子供が宿っていた。体が重く、歩くのも億劫になってきたが、胎の赤子が順調に育っていると思えば、嬉しい。これから実家に帰って、母に会えるのも楽しみだ。

 この数年、日照りや冷害が続いて米の収穫は乏しかった。今年はかろうじて稲の実りはよかったが、そこで安心はできない。収穫前の稲を狙う輩は、毎年のようにやってくる。

雀なんかは可愛い方だ。やっかいなのは、人間の方だ。

とくに今年は京の都で大きな戦が始まってからは、領主からの年貢米の要求が去年よりも厳しくなるわ、盗賊や近隣の村の者が米を狙うわ、油断大敵だ。命の糧である米を根こそぎ略奪されたらたまらない。

そういうわけで、収穫の前後には、まほろ村の男衆は交代で何人かが村を見回りすることに決めていた。今夜、火袋は仲の良い豊作(ほうさく)と弟分の斎吾(さいご)と一緒に見回ることになっていた。

 盗賊が忍び込むかもしれない物騒な夜に、家に妊婦と幼い子供たちだけでは危ない。お自夜の実家も母のお小夜(さよ)一人だけだ。せめて母子が一緒の方が安心だからという訳で、火袋が留守の今日、お自夜は娘二人を連れて実家に帰るところであった。

お自夜が先を行く娘たちの見つめながら、ゆっくり歩いていると、

 

しゃらん――

 

どこからか、涼やかな音が鳴った。

音のした方に目をやると、道の向こうの方から誰かが歩いてくるのが見えた。

右手には錫杖を持ち、頭には笠を深く被って顔は見えないが、着ているのは墨染の衣だから、僧侶らしい。

錫杖が地面を突くと、先端の輪が揺れて音が鳴る。

 

しゃらん――

しゃらん――

 

錫杖を突きながら痩身の僧侶は姉妹とすれ違った。そして、そのまま歩いていって、お自夜の横を通り過ぎるかと思われた。

 だが、僧侶はお自夜の前に立ち止まると、笠を上げて顔を見せた。

 歳の頃は二十歳前後の若い男だ。色白で、鄙には稀な眉目秀麗の涼やかな顔立ちをしている。夕日に照らされた顔は、神々しいまでに美しく見える。思わず見惚れたお自夜に、僧侶は柔和な笑みを浮かべて尋ねた。

「お尋ねいたします。彼岸寺(ひがんじ)へはどの道を行けばよろしいでしょうか」

 彼岸寺は、村の西のはずれ、曼珠山(まんじゅやま)にある寺だ。それではこの若い僧侶は、寺に修行に来た旅僧なのだろう――そう思ってお自夜は道を教える。

「お寺は、この道をまっすぐ行ったお山にございますよ」

 僧は「ありがとうございます」と礼を言って、頭を下げた。

 だが、頭を上げた途端、僧侶の顔から急に笑みが消え、両の眼から大粒の涙がほろほろと零れた。

「ど、どうなさいましたか、お坊様」

 突然泣き出した僧侶に、お自夜は困惑した。僧侶は慌てて袖で涙を拭い、謝罪した。

「し、失礼を――ただ、あなたのお子の運命が、痛ましくて……」

 痛ましい?

僧侶の言葉に、お自夜は何が痛ましいのかわからなかった。

 さらに僧侶が涙に目を潤ませながら言うことに、お自夜は絶句する。

「あなたの胎の子は、この世に生まれると、辛く、惨い目に逢う運命が見えました。命数も短くて……それがあまりに哀れで……」

「何を……!」

 お自夜は僧侶の言葉を遮ろうと、口を開いた。

 初めて会った人間――いくら修行を重ねている僧侶といっても、我が子の人生にいいことがない、短命だと言われれば、母として唖然とし、怒りもするのも当然だ。しかし、お自夜の怒りをよそに、

「お子は、女です」

 僧侶は胎の子の性別まで断言し、さらに言った。

「せめて、男であれば、この憂き世を生き延びることができましょう」

 ですから――僧侶はお自夜の眼を覗き込むようにじっと見つめて、真剣な表情で言った。

「この子を生む時、強く願いなさい。男になれ、と――男として生まれよとあなたが願えば、子は龍女のごとく、男に変成(へんじょう)できましょう」

「龍女……ですって」

 『法華経』に曰く、竜宮の主である娑竭羅竜王(しゃかつらりゅうおう)の娘、龍女は、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の教えにより、罪障深いとされる女の身でありながら悟りを開き、男に変じて仏になったという。

 尊い仏の教えだが、願えば簡単に女が変成男子できると、本気で言っているのか?

 驚愕と疑念の眼差しで見返すお自夜に、僧侶はさらに念を押すように言った。拒絶することなど、許さぬと言うように。

「よろしいですね? 必ず願いなさい。さもなければ――」

 そして、恐ろしい予言を告げた。

「この子は死にますよ」

(死ぬ? この子が? 女だから? そんな馬鹿な!)

 我が子の死の宣告に、お自夜は嘘だと叫びたかった。でも、お自夜は何も言い返せなかった。僧侶があまりに真剣で、あまりに美しかったから。

「この子を助けたかったら、あなたが祈り願うことです。それが、この子が助かる唯一の方法です」

 そうして一礼し、曼殊山の方に向かって歩く僧侶の後姿を、お自夜は呆然と見送るしかできなかった。

 

 しゃらん――

 

 錫杖の輪が再び鳴る。

 それまで黄金色だった日の光が、茜色になった。

日が沈む前の空は、燃える炎のように、血のように赤い。夕焼けに照らされた僧侶の後姿は、先程感じた清らかさは微塵もなく、禍々しく見えた。

僧侶の姿が見えなくなり、錫杖の音が聞こえなくなっても、お自夜は動けなかった。

「おっかちゃーん、どうしたの?」

「はやくー。ばぁちゃんのうち、いこうよー」

 母が来ないことに気がついた娘たちが、声をかけるまで、お自夜は立ち尽くしていた。

 

 

 粟の飯に、鍋いっぱいの山芋と茸の煮物。山菜の和え物。それと、黄金色に焼き上がったふわふわの卵焼き。

 里帰りしてきた娘と孫たちに食べさせようと、お小夜が作った精一杯のご馳走が、お自夜たちの前に並べられた。

「さあ、たんとお食べ」

 お小夜が勧める夕餉を、朧火と蛍火は歓声を上げて食べ始めた。育ち盛りの子供は、粟飯を頬張り、煮物に舌鼓を打つ。

 そんな娘たちをよそに、お自夜は一口、二口と箸を動かすが、量は減っていない。

「お自夜、食べないのかい? 食べなきゃ胎の赤子が腹空かせるよ」

 身重のお自夜を気づかって、お小夜は自分の卵焼きをお自夜の前に置いた。

「おっかちゃん、食べて」

 朧火も半分食べた卵焼きを差し出す。蛍火は、三分の一まで食べた卵焼きを見つめていたが、決心して「はい」とお自夜の前に差し出した。

 母と娘たちの気づかいに、お自夜は慌てて言った。

「だ、大丈夫よ。朧火も蛍火も、食べなさい。おっかさんも――」

 心配する母と娘たちを安心させるために、お自夜は山芋の煮物を頬張った。口の中に広がる煮物の味は、子供の頃から食べ慣れた味だった。懐かしく優しい味に安堵し、食欲がわいてきた。

「赤ちゃん、ごはんおいしい?」

 蛍火がお自夜の腹に向かって話しかける。

「そうね。あんたたちの弟か妹も、おいしいって言っているわ」

 お自夜がそう言うと、

「わたし、弟がいい!」

「ほたるは妹がいい!」

 朧火と蛍火は、目をきらきらと輝かせながら、赤子の性別について、やいのやいのと言い始めた。

「妹は蛍火がいるから、今度は弟がいい」

「ほたるも妹ほしい」

「弟の次にしなさいよ」

「いやー」

 食事もそっちのけで、言い争う孫たちに、お小夜はやめな、と止めた。

「今から騒いでも、しかたないだろ。神様仏様がお決めになることなんだから。どっちでも、あんたたちの弟か妹に違いないんだからさ」

 お小夜の言うことはもっともなので、「はい」と返事して、朧火と蛍火はまた食事に戻った。お自夜も箸を動かす。本当は、喉が通らないほど気がかりなことがあるけれど、母と娘たちを心配させまいと、おいしいと言いながら食べた。

 そして、お小夜の心のこもった夕餉を食べ終え、夜もとっぷり暮れた頃、お自夜は娘たちを寝かしつけた。

 娘たちは床に就いたが、中々寝つけない。布団の中でもぞもぞと身じろぎ、目をぱっちり空けている。まだ甘えたい盛りの蛍火だけではなく、姉としていつもはしっかり者の朧火まで、祖母の家に泊まる嬉しさに興奮しているようだ。

「眠くない、おっかちゃん」

「まだ寝たくなーい」

 朧火も蛍火も口々に眠れないと言う。

「今夜寝てないと、明日眠くなって、お月見の団子が食べられないわよ」

 お自夜の言葉に、姉妹は慌てて目を瞑る。明日の晩は八月十五夜だ。一年に一度のお月見は、ご馳走を食べられる数少ない機会だ。寝てしまって団子を食べ損ねる訳にはいかない。

 そんな娘たちのために、お自夜は子守歌を歌い始めた。

 それは母から子へ、代々歌い継がれたまほろ村の子守歌だった。

 

  ひとつ摘んでは父のため

  ふたつ摘んでは母のため

  みっつ恋しいあの人に

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

  なぜに血の色 曼殊沙華

  天に在りては白き花

  地に在りては赤き花

  ほんに不思議な花の色

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

  闇路を照らす 曼珠沙華

  これよりいずこへ参るのか

  奈落の底か まほろばか

  行ってみなけりゃ わかりゃせぬ

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

 眠くないといいつつも、お自夜が最後まで歌わないうちに、幼い姉妹は揃って眠りについた。娘たちの寝顔を可愛く思いながら、お自夜はそっと二人から離れた。

 子供たちが眠ると、お自夜はお小夜と縫い物を始めた。小袖や帯を縫って市で売れば、家計の足しになる。母子は灯火のほのかな明りの下で、一針一針、丁寧に小袖を縫う。

狭い家の中で、灯火がじじ……と燃える音と、外で風が草木を揺らす音だけが聞こえる。

 黙々と縫い物をしているのも疲れるから、子供たちを起こさないように、小声でお喋りを始める。

「曼殊沙華の花も、咲いたねぇ」

「そうね……」

 母の言うことに、お自夜は短く答えた。

 縫い物をしながら、お小夜は嬉しそうに言う。

「蛍火も、今年は髪結いだ。曼殊沙華の花、たんと摘んで、糸を綺麗に染めてやらなきゃな。朧火とお揃いがいいって、言っていたし」

 まほろ村では、秋になると曼殊沙華の花を摘み、鍋で煮て布や糸を染める。曼殊沙華の花びらで染めた糸は薄紅色だが、まほろ村の曼珠沙華だけは、鮮やかな紅色に染まるのだ。

 美しい紅に染まった糸や布は、まほろ村だけでなく、近隣の村や町でも人気だから、結構な高値で売れる。曼殊沙華の花びら染めは、まほろ村の貴重な収入源であった。

そして、まほろ村の女の子は、五歳の年の秋に、曼殊沙華の花びらで染めた糸で作った紐で髪を結んで成長を祝う。

 今年は蛍火の髪結いだ。だけど、娘の晴れの日のための相談をしているのに、お自夜は母の言葉を聞いているのかいないのか、心ここにあらずといった様子だ。

「どうしたんだい、お自夜?」

 さすがに娘の様子がおかしいと、お小夜は不信に思い、尋ねた。我に返ったお自夜は、大丈夫だと答えた。

「別に、なんでもないわ」

「なんでもないなら、どうして縫い目がぐしゃぐしゃなんだい?」

「え……あっ!」

 言われて初めて、お自夜は自分が縫っていた小袖の縫い目が乱れていることに気がついた。おまけに前身と後身を縫い付けてしまっている。これでは売り物にならないどころか、着ることもできない。

 糸をほどきながら、お自夜は夕方の僧侶のことを苦々しく思う。

 あんな戯言、気にしていないつもりだったのに――

 女に生まれたら不幸になるなんて、死ぬなんて、そんなこと、信じられない。

 だけど、もしもあの若い僧侶の言うとおりになったらと、不安でたまらなくなる。今の荒んだ世の中、平穏無事に生き延びることができるのだろうか。

 そんなお自夜を見つめる母の眼差しは、優しい。お小夜は強いて話せとは言わないが、お自夜は話してしまいたくなる。子供の頃から悩み事があると、お小夜に相談して心が楽になったから。

「あのね……おっかさん」

 お自夜は夕方の出来事をお小夜に打ち明けた。

「今日、こっちに来る途中で道を尋ねられたお坊様に、変なこと言われたの」

「どんなことだい?」

「胎の赤子は女だから、生まれる時、男になれって願えと言うのよ。女に生まれたら、苦労するからって……」

 死ぬと言われたことなど、母が心配するから言えない。

「そう言われて、心配になったわけかい?」

「うん……」

「そりゃあ、心配になるわ。お坊様にそんなこと言われたら」

 うんうんとお小夜は頷いた。しかし、娘と一緒になって不安を募らせることはしなかった。

「気にすることはないよ。生まれてくる赤子が、男か女かだなんて、ああだこうだ文句を言うのは、勝手だ。そんなものは天のお決めになったことで、親でも文句は言えないものだ。男であろうが、女であろうが、この世で苦労するのは同じだ。元気に生まれて生きてくれれば、それでええ。生きてさえいてくれれば――」

 そこまで言って、お小夜は口を噤んだ。

女房子供を飢えさせまいと、朝から晩まで働いて、体を壊した夫が死んだ後、お小夜はそれこそ身を削る思いで働き、五人の子供を育てた。だけど……お小夜が生んだ五人の子の中で、残っているのはお自夜だけだ。

長男であるお自夜の兄は、村が戦に巻き込まれた際に兵に殺された。

姉は疫病で嫁入り直前に死んだ。

妹は飢饉の年に飢えて死んだ。

弟も雑兵として戦に駆り出されたあげく戦死し、亡骸さえ戻らなかった。

 苦労して育てた子が、たった一人しか残らなかった哀しみをお小夜は抱えている。

 それに比べたら、自分は我が子を失っていない。お自夜は赤子が生まれる前からあれこれ心配していた自分が恥ずかしくなる。

「そうよね」

 母の言うことに、お自夜は勇気づけられた思いがした。

 我が子に苦労や危険が待ち受けているのなら、母である自分が守る。お小夜が自分を守ってくれたように――お自夜は改めて決意した。

「どちらでもいい――男でも女でも、元気に生まれてくれさえすれば、どちらでもいい」

 お自夜は笑って言い、お小夜も笑顔で頷いた。

「さあ、お自夜も寝な。あとはおっかさんがやっとくから」

 そう言って、お小夜は縫い物を取り上げ、寝床へとお自夜を追いやる。

「さあ、歌ってあげようかね」

 

  ひとつ摘んでは父のため

  ふたつ摘んでは母のため

 

 縫い物をしながら、お小夜は子守歌を歌い始めた。

「やだ、おっかさん。わたし子供じゃないわよ」

 お自夜は笑って抗議したが、

「胎の赤子にも歌ってあげているんだよ」

 そう言って、お小夜は歌うのを止めない。

 

  みっつ恋しいあの人に

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

仕方がないと、お自夜は目を瞑った。母の子守歌を聞きながら、明日は団子をたくさんこさえよう、火袋の為に酒も買ってこようと思いながら、眠りについた。

 夜が明けて、朝になったらいつもどおりの生活が始まるのだと信じて。

 

 

災厄は、突然やって来た。

 

 黄金色の月が西の山に傾き、東の空が薄明るくなった。

 そろそろ夜明けだが、まほろ村の人々は、まだ眠りについていた。一部の男衆は村を見回り、田畑の周囲で篝火をたいて警戒しているが、村の外れの丘に、縦に重ねたふたつ星を三つ並べた旗が、いくつも風に靡いていたことに、気づいていない。

 村人たちに気づかれないように、気配を消して行進してきた騎馬兵と歩兵併せて百余りの軍は、小さな村を攻めるのに十分すぎる数だ。

兵を率いるのは、黒の甲冑を身に纏う男。額に残る十字の傷跡を見たら、加賀、能登、越前界隈では誰もがその名を思い出す。

男の名は、醍醐景光。

加賀の南半国の守護、富樫鶴童丸の家臣の中で、最も残酷で、最も冷酷無比と敵からも味方からも噂されている。

 景光が兵を率いてまほろ村に出陣したのには、理由があった。村人たちにとっては、理不尽な理由が。

 まほろ村は、長年の争いの末、大叔父の泰高から家督を継承した鶴童丸が治める加賀の南半国と、赤松政則が将軍からの恩賞を盾に領地接収を主張する北半国の境近くにあった。

 だから、まほろ村は、富樫家の支配下にある時は、赤松の軍に蹂躙され、赤松家の支配下にある時は、富樫の軍に踏みにじられた。

 そうした状況が何年も続いた中で、今年始まった応仁の乱において、鶴童丸も赤松政則も将軍足利義政が身を置く東軍に属し、一応味方同士になった。

しかし、両家が完全に和睦を結んだわけではない。京の戦いに駆り出されている鶴童丸に代わり、加賀南半国に残る富樫家家臣は、加賀北半国奪還のために、動き出した。

 景光は重臣たちに進言した。

 

「赤松の軍を迎え撃つため、砦を作るべきだ」

 

 加賀北半国を奪還する手始めに、現在赤松家に横領されているまほろ村を潰して砦を作る。村を、田畑を潰しておけば、赤松の戦意喪失に繋がるし、隣国の越前守斯波義廉(しばよしかど)が西軍であったから、そちらに対しての防衛のためにも砦は必要だ。

 村人たちに村を出ていけと、宣告はしない。言ったところで簡単に土地を捨てはしないだろうし、村を奪われまいと、村人たちの抵抗も予想される。たとえおとなしく承諾したとしても、小規模とはいえ、村人たちが移転する為には時も準備も必要だ。その間、敵に気取られて攻められたら、砦を作ることはできなくなる。

 砦を作ることに文句はないが、家臣の間でも、今は敵側に取られているとはいえ、かつて領地であったまほろ村を攻め滅ぼすことに、異議を唱える者はいた。

 だが、

 

「加賀一国を取り戻したくはないのか?」

 

 景光のその言葉で、反対する者はいなくなった。

 支配する側の者にとって、小さな村を潰すことは、加賀の全てを取り戻すことに比べたら、ささやかな犠牲にすぎなかったのだ。

 迅速に砦を作るためだけに、景光はまほろ村を滅ぼしに来た。

 今、馬上から小さな村を見下ろす景光の眼差しは、どこまでも冷たい。村に住む人々の命を、暮らしを奪うことに、心動かされた様子はない。

 そんな甘く、柔らかな感情など、景光はとうの昔に捨ててしまっていた。

 弟を殺された時に。

 我が子を殺した時に。

 あるのはただ、飢餓感――加賀を、天下を、欲しい物を得たいという欲望。

 小さな村を潰して砦を作ることは、景光の望みをかなえるための過程にすぎない。

 歯向かえば殺す。

 力を見せつけなければ、一国をまとめることなど不可能だ。まして、天下取りなど、夢のまた夢だ。

景光は右手を上げ、兵たちに短く告げた。

「放て!」

 景光の号令に、兵たちが放った火矢が、夜明けの空を飛んだ。

 

 

 安らかな眠りは、激しく扉を叩く音と叫び声で破られた。

「お小夜さん! お自夜さん!」

「ばぁちゃん、おばちゃん、朧ちゃん、蛍ちゃん、起きて! 出て来て!」

ただならぬ様子の声は、火袋と一緒に村を見回りしている豊作の女房、下枝(しずえ)とその息子の大作(だいさく)のだ。

「下枝さん?」

「どうしたんだい?」

 お自夜とお小夜は飛び起きて、顔を見合わす。どうしたのか? まさか、見回りの途中で、火袋に何かあったのか――二人が真っ先に心配したのは、火袋のことだった。

「大作ちゃん?」

 遊び友達の大作の呼び声に、朧火も目をこすりながら起き上がる。蛍火だけは、布団の中でぐずっている。

 下枝と大作の狼狽の理由は、すぐにわかった。

「侍たちが攻めて来たのよ!」

「早く逃げよう!」

 二人の言葉に、お小夜はまだ半分眠っている蛍火を抱き上げ、お自夜は朧火の手を引いて、着の身着のまま外に飛び出した。

 外に出ると、同じく着の身着のままの下枝と大作が、真っ青な顔で叫んだ。

「あいつらが、火をつけた!」

 大作の指さす方を見ると、村の東の方で紅蓮の炎で燃えていた。まだ薄暗い空の下、赤い炎は飲み込むように家々を焼いていく。炎と黒煙の中で見え隠れするのは、富樫家の侍大将、醍醐景光の指物だ。

 そして、軍馬と雑兵たちが大地を踏みならす地響きがする。悲鳴と怒号も聞こえた。いくつもの声が、最初は小さく、次第に大きくなってくる。

 逃げろと叫びながら、数名の男や女たちが駆けてくる姿が道の彼方から見えた。慌てふためく彼らの表情は、必死だ。

 以前も富樫と赤松の戦に村が巻き込まれた際、醍醐の兵が情け容赦なく村を蹂躙した。

 あの鬼のような醍醐景光が、また村を攻めて来たのなら、早く避難しなくては――雑兵たちに捕まったら、どんな目にあわされるか。

 戦になれば、最悪殺される。殺されずとも、稲や金品を強奪されるのはもちろん、女子供も手籠めにされ、人買いに売られる。自衛のために百姓たちも刀や槍、弓矢で武装しているが、まほろ村のような小さな村では、数の上ですでに負けている。侍たちの圧倒的な軍備の前には、逃げるしかない。

「山に逃げよう!」

 大作が朧火の手を掴んで引っ張った。村の外れにある曼殊山には、戦が起こった時のために避難する山小屋が用意してある。山小屋には武器や食料が備蓄されている。曼珠山の彼岸寺の和尚も、村人たちを匿ってくれるはずだ。

亭主が留守の今、山に逃げる他ない。

 身重のお自夜を気遣いながら、母子は曼珠山に向かった。

 だが、山に入ると、通い慣れたはずの道は、お自夜には険しく感じられた。足腰の達者な者は、男女を問わず、どんどん山を登っていくが、お自夜たちのような妊婦や足腰の弱い老人、幼い子連れは、どうしても遅れがちになる。気ばかりが急いて、少しも山小屋に近づけない。

「うっ!」

 そんな中で、お自夜は急に腹の痛みを感じて立ち止まった。

 覚えのあるこの痛み。陣痛だ。朧火の時も、蛍火の時も、生まれる前にこんな風に痛みがあった。でも、この子は生まれるにはまだ早い。早いのに――

痛みをこらえ切れず、お自夜は呻き声をあげながらその場にしゃがみこんだ。

「お自夜!」

「大丈夫、おっかちゃん?」

「おっかちゃん!」

「しっかり、お自夜さん!」

「おばちゃん、がんばって!」

 皆が口々に励ましてくれるが、お自夜は立ち上がることができなかった。こんなところで立ち止まる訳にはいかないのに、痛くて足に力が入らない。立てない。歩けない。

 雑兵たちの怒鳴り声がだんだん近くに聞こえてくる。戦の間、山に逃げた村人は追わないというのが不文律だが、雑兵たちは守る気などないらしい。山にまで追いかけて来て、何もかも奪うつもりだ。

「先に……行って……わたしは……後から行くわ……」

 痛みに耐えながら、お自夜は言った。

「このままじゃ……皆見つかる……わたしは、どこかに隠れているから……」

「いや! おっかちゃんと一緒じゃなきゃ、いや!」

「おっかちゃん、いこうよ!」

 朧火と蛍火がお自夜にしがみつき、嫌々と首を振る。

「ばぁちゃんたちと先に行くのよ、朧火、蛍火」

 お自夜は厳しい口調で言った。

「おっかさんは、後から必ず行くからね……いい子で待っていておくれ」

 お自夜一人残すのは心配だ。しかし、このまま全員が残っていたら、雑兵たちに見つかる。非情なようだが、一人でも多く生き延びるためには、足手まといになるお自夜は残って、皆が先に山小屋に避難した方がいい。

「わかった、お自夜」

「気をつけてね」

 お自夜の覚悟に、お小夜と下枝は頷いた。

「おっかさん、朧火と蛍火をお願い――下枝さん、おっかさんたちを頼みます」

「まかせな」

 お小夜は真剣な顔でお自夜の両手をぎゅっと握って約束し、

「心配しないで――お自夜さんも、安心して隠れていて」

 面倒見の良いおおらかな下枝は、こんな時でもお自夜を勇気づけるように微笑んだ。

 残るお自夜の為に、皆で周囲を見回して隠れる場所を探すと、

「ねえ、あそこ! あそこに隠れればいいよ!」

 大作が杉林の奥を指さした。

 大きな杉の木が、二、三本寄り添うように生えていて、根元が空洞になっている。女一人なら、入って隠れられる大きさだった。

「あそこに隠れていたら、侍たちに見つからないよ、おばちゃん」

「そうだね。お自夜、あそこに隠れていな」

 お自夜はお小夜と下枝に支えられながら杉の根元まで歩き、這うように空洞の中に入った。手足を縮こませ、身を丸めると、外から見えないように、子供たちが集めた枯れ枝や落ち葉で入り口を隠した。

「おっかちゃん」

「おっかちゃん」

 朧火と蛍火が、涙を目に浮かべてお自夜を見つめる。痛みに耐えながら、お自夜は精一杯微笑んだ。

「後でね」

 再会を約束して、母子は別れた。

 

 

 

2017年12月 3日 (日)

次回予告 変成の巻

 体を奪われて生まれた子は、作り物の体を得た。

 奪った者たちは、それを許さなかった。

そして、残酷な遊び心で奪った体を他の子に与えた。

奪われた子が苦しむように。

 月が血の色に染まる夜、運命を変えられた子供が生まれた。

 

 次回、『どろろ百鬼繚乱草紙』まれびとの章 変成の巻

 

  緋の色に染まりし月の影のした子の宮いでし変成男子

 

「どちらでもいい――男でも女でも、元気に生まれてくれさえすれば、どちらでもいい」

 

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