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創作二次小説どろろ

2020年5月 3日 (日)

次回予告 雨宿りの巻

 十六夜の月を隠した雲は、袖を濡らす涙のように雨を降らした。
 降りしきる雨を避け、草の庵でしばし雨宿りすることにしたどろろと百鬼丸。
 秋の夜は長く、夜明けは遠い。
 雨が降る音を聞いていると、狂おしく、悲しい気持ちになるのは何故か。
 物思いに沈む百鬼丸の心を慰めるのは、どろろの歌声だった。

 

 次回『どろろ百鬼繚乱草紙』まれびとの章 雨宿りの巻

 

  我が心濡らす涙の雫かなせめて今宵は雨宿りせん

 

「……その歌は……めでたい時に歌う歌なのか?」

 

 

万代の巻あとがき

 令和二年初の『どろろ百鬼繚乱草紙』である。
 主役二人が初めて組んでの妖怪退治。
 カラーアニメ版の万代の巻が、展開が早くてあっという間に片づいてしまったのが物足りなかったので、こだわって納得がいくまで書いていたら、完成まで長時間かかり、ページ数も多くなった。
 この執筆ペースだといつ完成するかわからないので、もっと早く書かないといけないと焦るのだが。
 思い通りにならないのが人生。

 

 万代の巻は、基本原作通りで筋は変えていないが、いつものように、思いきり加筆はした。

 

 冒頭の魚採りシーンは、普通は魚を釣ったんだろうということになるが、釣り道具を持っていない百鬼丸がどうやって魚を採ったのかという素朴な疑問から展開。
 カラー版アニメでは、百鬼丸が刀で刺して採るという方法だった。
 本創作二次小説では、一応聖なる刀という設定なので、刀を魚採りに使うという採り方にはしたくなかったので、シンプルに手づかみにした。
 魚の手づかみ、やってやれないことはない。

 

 どろろと百鬼丸があけびを採って食べるシーンは、原作にはないが、カラー版アニメで二人が美味しそうに食べていたので、書いてみたかったから書いた。

 

 どろろが歌う歌は、「閑吟集」五十二・五十三・五十四・五十五番歌から採った。

 

 原作では、どろろと百鬼丸が村にやって来てから万代を倒すまで二日かかっているので、時間の短縮をした。
 原作では百鬼丸が盗まれた金を見つけた後、翌日に化け物が村を襲うが、本創作二次小説では、竹藪ですぐに化け物が襲ってきた「どろろと百鬼丸伝」を参考に時間を早めた。
 よって、どろろと百鬼丸は村に来てから約十二時間で化け物退治したことになる。
 カラーアニメ版は、井戸から脱出してすぐに退治した。

 

 金小僧の設定は、原作のまま金の精とした。
 虫プロ版アニメ・辻真先版小説・「どろろと百鬼丸伝」も、金の精となっている。
 カラー版アニメでは、万代が殺したお遍路が化けた設定で、六部殺しバージョンになっていた。
 金の精と殺人の被害者。
 どちらが怖いかというと、被害者が化けた妖怪のほうが、共犯者の罪悪感と恐怖が増すと思うが、本創作二次小説では、村人は万代と金小僧の正体を知らないという原作沿いの設定なので、金小僧は金の精のままにした。

 

 村の名前は、原作では言及されていない。
 原作で万代が正体を告げた時、「この如月谷に年ふりたる女夜叉にそうろう」とあるので、如月→春→梅の連想で梅枝村と命名した。
 よって、村の名産が梅というのは、創作である。

 

 どろろと百鬼丸が最初に出会う村人は、手塚治虫スターシステムからチックとタックのつもりで書いた。
ちょい役だが、「ジャングル大帝」や「火の鳥ヤマト編」など、登場作品でいい味のあるコンビなので、登場してもらった。

 

 万代の出自は、原作では村が化け物に荒らされた後、「万代さまがおいでになって、村にキフをしてくださいました」とあるだけで、どこの誰とも、村とどんな縁があってやって来たのか説明がない。
 辻真先版小説では、どこからかやって来たお姫様、「どろろと百鬼丸伝」では、村の庄屋の娘という設定になっている。
 カラーアニメ版では、万代が村を乗っ取ったことで、権力を握っている。
 絶大な権力を握るために、万代は村に大金を与えた訳だが、それなりの身分がなければ村人も信用しないと思った。
 本創作二次小説では、応仁の乱以後、公家が京から地方へ避難した史実を基に、万代の出自を大納言の妻という設定にした。

 

 万代の夫の大納言、京極六条光次と侍女の右近は、オリジナルキャラクター。
 手塚治虫スターシステムによる演者は、大納言は「ミクロイドS」のノラキュラ、右近は「人間昆虫記」十村十志子。
 万代は尻尾を隠すため、病を装っていたが、それなら病人の世話をする者が必要になる。
 万代の正体を知っていたカラー版アニメならともかく、正体を知らない村人が、病人の世話をしないというのは不自然である。
 そこで、最低一人は共犯者がいなければならないということで、万代の侍女、右近のキャラクターを配置した。
 たった一人の共犯者と村中の人間が共犯者。
 どちらにしても、人間の欲深さは恐ろしい。

 

 化け物の名前は、サンデー版と単行本版では無かったが、冒険王版で「ごろんぼう」と命名されていたので、そこからとった。
 ごろんぼうという名前の妖怪は、探した限り見つからなかったので、手塚治虫の創作と思われる。
 なぜ手塚治虫はごろんぼうと命名したのか気になるが、資料が残っていないので、ごろんぼうの「ごろん」が雷鳴のような声に聞こえるので、村人がごろんぼうと呼ぶようになったと創作した。
 プレイステーション版では、タタリと命名されている。

 

 百鬼丸が取り戻した体は、原作では右腕だが、今後も両腕に刀を仕込んだアクションを書きたいので、左耳に変更。
 辻真先版小説でも耳を取り戻している。
 虫プロ版アニメとプレイステーション2版では左足、カラー版アニメでは神経、「どろろと百鬼丸伝」では両目を取り戻した。
 生まれて初めて音を、人の声を聞いた人間の反応としては、原作や虫プロ版アニメでは百鬼丸は嬉々としていたが、映画やカラー版アニメのように驚き、うるさがるのが正解か。
 個人差もあるだろうし、当事者にしかわからない。
 なので、本創作二次小説の百鬼丸は耳を取り戻しても、過度に喜びも厭いもしないが、耳で聞くことに慣れない感じにはした。

 

 本巻にて百鬼丸は万代を倒したわけだが、村人からは英雄どころか化け物と同一視されて追い出される。
 神話では、化け物を退治したら英雄として歓迎される。
しかし、万代の正体を知らずに恩人と崇めていた村人にとって、万代は神であり、百鬼丸を追い出したのは、万代を殺した百鬼丸は神殺しの大罪人だった。
 辻真先版小説と「どろろと百鬼丸伝」では、万代の正体を知らなかった方がよかったと村人に言わせている。
 カラー版アニメでも、十二の鬼神は百鬼丸の体を奪った魔と、国の繁栄をもたらす神の両方の面を持っている。
 魔物による被害が大きいにもかかわらず、もたらされる富と繁栄を甘受する人間にとって、魔物退治した百鬼丸は、人助けどころかお節介なことをしたことになる。
 万代の巻を書いていて、百鬼丸は魔物退治の英雄と神殺しの罪人の二面性を持っていると思った。

 

 

 今の世の中、未知の病が流行り、誰もが怯え恐れている。
 勇気を持って戦う人たちもいる。
 病に対する恐怖から、差別や偏見をする人もいる。
 自分は大丈夫だろうと油断して、享楽に耽る人もいる。
 何を優先させるかは人それぞれだが、一番に大切なのは、命を守ること。
 自分の命も。
 誰かの命も。
 それはいつでも、どこでも、変わらないことだと思う。

 

 

*参考文献
『新版月と暮らす 月を知り、月のリズムで』藤井旭 誠文堂新光社

 

『宙ノ名前』林完次 光琳社出版

 

『冒険手帳 火の起こし方から、イカダの組み方まで』谷口尚規・著 石川球太・画

 

『夜食のススメ 東京自給自足生活』茸本朗 星海社新書

 

『四季の摘み菜12カ月 健康野草の楽しみ方と料理法』平谷けいこ ヤマケイ文庫

 

『日本の七十二侯を味わう楽しむ』広田千悦子 三笠文庫

 

『イラストで楽しむ日本の七十二侯』アフロ 中経の文庫

 

『にほんのいきもの暦』公益財団法人日本生態系協会 角川文庫

 

『閑吟集 宗安小歌集』新潮日本古典集成 北川忠彦校注 新潮社
 「閑吟集」五十二・五十三・五十四・五十五番歌

 

『国宝「源氏物語絵巻」を読む』清水婦久子 和泉書院
 第七章復元模写の問題点

 

『日本の色・世界の色』永田泰弘監修 ナツメ社

 

『図解 日本の装束』池上良太 新紀元社

 

『かさねの色目 ――平安の配彩美――』長崎盛輝 京都書院

 

『調香師の手帖 香りの世界をさぐる』中村祥二 朝日文庫

 

『戦国時代のハローワーク 職業図鑑』株式会社ライブ編 カンゼン

 

『中世武士選書第23巻 朝倉孝景 戦国大名朝倉氏の礎を築いた猛将』佐藤圭 戎光祥出版

 

『最新研究が教えてくれる! あなたの知らない戦国史』辰巳出版

 

『幻想世界の住人たちⅣ〈日本編〉』多田克己 新紀元文庫

 

『図説日本未確認生物事典』笠間良彦 角川ソフィア文庫

 

『怪獣生物学入門』倉谷滋 インターナショナル新書

 

 

 

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章18

   万代の巻後編
 それまで皓々と照っていた月が、鈍色の雲に包まれた。
 黄金色に光り輝いて地上を照らしていた月が隠されて、辺りは闇に包まれた。
 漆黒の夜空に、稲妻が光る。
 一瞬闇が斬り割かれ、明るくなったが、また暗くなった。
 どこかでごろごろと音がする。おどろおどろしい響きが、ただならぬ気配を煽る。
 重たく空を覆う雲からは、雨が降ってきた。
 初めはぽつぽつと、雫が一粒二粒程度だった。すぐに雫は増えて、激しく雨音を立てて地上を濡らす。
 雨に濡れた万代の屋敷は、夕方見た時よりも暗く陰鬱に見えた。
 ごろんぼうの後を追ってどろろと百鬼丸がたどり着いたのは、万代の屋敷だった。屋敷の門をくぐった途端、そこは既に地獄と化していた。
 庭には屋敷の下男や侍女が、血まみれになってあちらこちらに倒れていた。誰も彼も、体に鋭い歯型が残り、腕や足を喰いちぎられている。
 ごろんぼうに襲われたのは、一目瞭然だった。
「うううぅ……」
「いたぁい……痛いよぉ……」
「……うふふふ……ふふふ……あはははは……」
 痛みに声にならぬ声で呻く者、泣き叫ぶ者、化け物に襲われた恐怖で気がふれた者、そして、すでに息絶えた者……彼らは皆、痛みと恐怖に顔を歪ませ、驚愕に目を見開き、信じられない――そう言いたげな表情を浮かべていた。
 あまりの惨たらしさに、どろろは顔を歪めた。
 戦が起こるたびに、人が死んでいった。だから、人の躯なんて、数えきれないくらい見てきた。躯を見ることなど、慣れたはずだった。
 だけど……やっぱり慣れない。まして、化け物に殺されて死ぬなんて、理不尽極まりない。
 これ以上誰かを殺させない、逃がすわけにはいかないと、どろろはあちらこちらに目を向けて、化け物の姿を探した。
「あ……あ……た……助けて……」
 母屋の階(きざはし)の下で、雨に濡れ、泥まみれになった豪華な小袖を纏った女が、地面を這いながらこちらに手を伸ばした。どろろと百鬼丸が近づいてみると、それは万代の侍女、右近だった。
 取り乱した右近の顔には、高慢な表情はない。心底怯え切った、ただの女だ。
「大丈夫か、おばちゃん?」
「おい、化け物はどこだ?」
 どろろと百鬼丸が声をかけても、右近はしゃべれない。恐怖に顔を引きつらせ、がくがくと身を震わせるばかりだ。
「ごろんぼうはどこに行った!」
 百鬼丸が重ねて聞くと、右近ははっと正気に返り、
「あ……あそこ……」
 弱々しく屋敷の方を指さした。
 百鬼丸は抜身の双剣を下げながら階を登り、開けっ放しになっている戸から屋敷の中に入った。
 屋敷の中は、外よりも凄惨な現場だった。
 逃げ遅れた侍女の躯がいくつも転がっていて、床も壁も天井も、いたるところに血飛沫が散っている。
 赤い血に交じって、緑色の血が廊下を引きずるようにべっとりとついていた。
 ごろんぼうの血だ。
 どろろと百鬼丸は緑色の血の跡を辿って行くと、そこは万代の部屋だった。
 外では雷がまた光り、ごろごろと音が鳴る。
 いや、雷鳴は外だけではない。中からも聞こえてくる。
「……ごろぉ……ん……」
 低く地を這うような声。
 ごろんぼうの声だ。
「あにき、あの化け物の声がする」
 我知らず、どろろは声が小さくなる。
 百鬼丸は答えない。まっすぐ万代の部屋の方に、見えない目を向けている。
 どろろと百鬼丸は、部屋の中に入った。
 昨日入った時は、梅の花のような甘い香りに満ちていたが、今は生臭い血の匂いが充満している。どろろは血の匂いに顔を歪め、足を止めた。
 匂いがわからない百鬼丸は、血の匂いに怯むことなく、歩みを進める。
 灯火の消えた暗い部屋の中央には、体中に白い布を巻きつけた女がいた。
 女の体からは、ごろんぼうと同じ緑色の、太く大きく膨らんだ尻尾が生えている。犬のように左右に揺れる尾は、それ自体が生き物のようだ。
 白い布を巻いた女は、ごろんぼうが変化した姿か。
 ごろんぼうは、こちらに背を向けて、床に倒れている女の体の上にのしかかっていた。
 倒れている女は、ぴくりとも動かない。すでに息絶えているのは明らかだ。
 顔は見えないが、倒れている女は万代か?
(あんなにきれいだったのに……)
 どろろは万代がごろんぼうに殺されたと思い、義手を抱いた両腕に思わず力を込めた。
 ごろんぼうは、死んでいる女の首筋に顔を埋めた。

 

 ぺちゃぺちゃ――
 ずずっ――
 ぺちゃぺちゃ――
 ずずっ――

 

 何かを舐めて啜っているような音が、部屋に響く。
 女に化けたごろんぼうが、殺した女の血を舐めている?
「ひっ……」
 嫌な想像に、どろろの喉から思わず声が漏れる。
 その密やかな呻き声に、ごろんぼうは女の顔でどろろと百鬼丸の方を振り返った。
 にやりと笑ったその唇は、口紅を塗ったかのように、血に塗れていた。
 化け物が変化したから、どんなに醜い顔かと思っていたが、どろろが思ったほど醜くはなかった。
 むしろ、美しい――
 そして、見覚えのある顔に、どろろは唖然とし、息を飲んでごろんぼうを凝視した。
「ばっ、ばっ、万代?」
 どう見ても、ごろんぼうの顔が万代にしか見えない。
 だが、慈悲深い貴婦人の面影はない。
 つり上がった目は、禍々しく金色に光り、笑った口から血に濡れた白い牙が見える。そして、額には角が二本、生えていた。
「正体を現したな、化け物」
 百鬼丸は唇に笑みを浮かべた。
「そうか……!」
 どろろは悟った。
 ごろんぼうが万代、万代がごろんぼうだったのだ。
 万代は夫を亡くして嘆きのあまり床に就いたと言っていたが、それは嘘だったのだ。
 万代が寝てばかりいたのは、帳(とばり)と夜具で大きな尾を隠すため。そのために病の身を装っていたのだ。
 そもそも病人の部屋で、鼻につくほど強く香を焚くのはおかしい。ひどい臭さのごろんぼうの体臭をごまかすために、香を焚いていたのだ。
 そして、慈悲深い女と化け物と、二つの顔を使い分けて、村を支配していた。
 万代は立ち上がると、ゆらゆらと威嚇するように緑色の尾を揺らす。
「や、やーいっ! この化け物め! なんだい、その尻尾は! へ、へん! おまえなんか、こわかねぇぞ。そんな醜い尻尾、蹴り飛ばしてやらぁ」
 どろろは負けじと、必死に虚勢を張る。だが、鬼面の万代の恐ろしさに、どろろは自然と体が震えてしまう。
「ふ……ふ……ふ……ほほほほほ!」
 万代は高笑いすると、ずい、と一歩踏み出した。
「見たね?」
 低い声で万代が言う。
「もっとよく見せてやろうね……」
 笑いながら万代は体に巻かれた白い布を解いた。
 布が解かれていくにつれ、万代の眼は猫のようにつりあがり、口は大きく裂け、額に生えている二本の白い角はさらに長くなる。そして、身の丈よりも長い黒髪は、老婆のように真っ白になった。
 その時、
「うわぁ! なんてこった!」
「ひでぇ……」
「おい、しっかりしろ!」
 雨音に交じって、万代の屋敷の庭に村人たちの驚愕の声がどろろの耳に聞こえてきた。竹藪の襲撃で生き延びた村人たちが、加勢を募って屋敷に駆け付けてきたようだ。
 庭のあちらこちらに転がる怪我人と死人の多さに狼狽える声に続いて、屋敷の主を案じる声がする。
「万代さまは? 万代さまはどこだ?」
「万代さまーっ!」
「ご無事ですか、万代さまっ」
 そして、美しい女人の安否を確かめようと、万代の部屋の中に入ってきた村人たちは、その場の光景に絶句し――
「ひゃあああああっ!」
「ひぃいいいいいっ!」
「ひぇえええええっ!」
 声を限りに叫んだ。
 白い布を解いた万代は、惜しげもなく男たちの前に裸身を晒した。
 細くしなやかな体に、雪のように白い肌、豊かな胸。だが、その下半身に生える尻尾は、ごろんぼうのものだった。
 緑色の醜い肉の尾を生やした女という、おぞましい姿を見て、村人たちは震えあがった。
 駆けつけた村人たちの悲鳴に合わせて、どろろも叫んだ。
「うわあああっ! あにきぃ!」
「下がれ、どろろ!」
 どろろを庇い、百鬼丸は刀を万代に向けた。
「よくも女と化け物の両方を使い分けて、村人たちを騙したな。これが最後の夜にしてやる。思い知れ!」
「ほーほっほっほっ……」
 万代は、百鬼丸をあざけり笑った。たった一人で何ができようかと。
「我こそは、千年の古(いにしえ)よりこの如月谷に年ふりたる女夜叉(にょやしゃ)にそうろう。あなうらめし。我が尾の変化を見たうえば……一人残らず生かしてはおかぬ!」
 叫ぶと同時に、万代は百鬼丸に向かって襲いかかった。
 牙を剥く鬼女の顔に恐れおののいて、村人たちの恐怖に駆られた叫び声が部屋に響く。
「わあああっ」
「助けてぇーっ!」
「逃げろーっ!」
 我先へと屋敷の外へと逃げ出す村人たち。
 万代の変わり身に驚いたのと怖いのとで、ぎゅっと義肢を抱いたまま立ち尽くすどろろ。
 ただ一人、万代に向かって行ったのは、百鬼丸。
 百鬼丸の双剣が、万代に振り上げられる。
 振り下ろした右の護身の刀が、万代の左肩に斬りつけた。
 だが、万代は猫のように身軽に避けて、刀をかわした。
 すかさず左の退魔の刀で、百鬼丸は万代の右腕を突いた。
「ぎゃあぁつ!」
 悲鳴を上げて万代は後ろに下がった。傷を負った細腕からは、人の赤い血ではない、化け物の緑色の血が滴り落ちた。
「おのれぇっ! よくもやったね! 抜け殻風情が……おまえの体は我らのもの。決して渡さぬ!」
 万代は目を見開き、荒く息を吐きながら百鬼丸に罵声を浴びせ、苛立たしそうに緑色の尾が床を叩く。
「やっぱり、おまえは四十八の魔物の一匹か! 俺の体を返せっ!」
 万代が奪われた体を持っていると知り、百鬼丸はさらに斬り込んだ。百鬼丸の渾身の剣に、万代は逃げる暇も与えられなかった。
 最初に右、続いて左の刀が、万代の肩を突いた。
「うぅ……」
 万代の両手が刀身を掴み、掌から緑色の血を滴らせながら引き抜こうとするのを、百鬼丸は力いっぱい万代に体を押し当てて、抜かせなかった。
 二本の銀の刃が、万代の肩を貫く。
「あ、あ、ああぁっ!」
 哀れさを誘うような声で、女の喉から悲鳴が漏れた。それでも百鬼丸は容赦なく刀を押し付けた。
「返せ……返せ……返せ! 俺の体を返せっ!」
 空から堕ちた星の欠片で作られた刀を掴んだ万代の掌は、火膨れを起こしたかのように赤く爛れた。肩の傷からは、緑色の血が吹き出して白い肌を汚した。
 血走った万代の目が、百鬼丸を睨みつけた。鬼女の形相が、怒りと苦痛に歪んでより険しくなる。
「誰が返すかっ! おまえの体は、契約の代償として我らが得たもの。すでにおまえのものではないわっ!」
 万代は凄まじい怪力でもって我が身を貫く刀を引き抜き、力いっぱい百鬼丸を突き飛ばした。
 百鬼丸は部屋の隅まで吹っ飛ばされた。
 百鬼丸が体勢を立て直す前に、万代は傷ついた身を翻し、凄まじい速さで部屋を飛び出した。
「ま、待てっ!」
 百鬼丸は慌てて起き上がり、万代の後を追った。
 部屋を出た万代は、どたどたと大きく足音を立てながら階を駆け下り、庭へと出た。
 ほとんどの村人は、怪我人を連れて屋敷の外に逃げ出していたが、血気盛んな男たちが十人ばかり、逃げずに庭に残っていた。
 彼らは万代の姿を見るや、門の前に立ちふさがり、手にした鍬や鎌、竹槍で万代を威嚇する。
「待ちやがれ、化け物!」
「逃がすものかっ!」
 それを見た万代は、万事休すと庭の中央で立ち止まる。
「下郎らが!」
 万代は村人たちを怒りに満ちた眼差しで一瞥すると、振り返り、追ってきた百鬼丸と対峙した。
 暗闇を雷が引き裂き、雨が激しく降る中、化け物とそれを追う者が睨み合う。
 万代は牙を剥き、呻くような低い声で怨みの言葉を口にした。
「えぇい、くちおしや、くちおしや……忘れぬぞ。この怨み、忘れぬぞ……おまえの体を八つ裂きにしてくれるわ。おまえの命も、抜け殻の体も、全て私が貰う!」
 万代の体が飛び上がり、百鬼丸に襲いかかった。
「死ぬのはおまえのほうだ!」
 百鬼丸も万代の懐に入り込むように突進した。
 まるで抱きあうように、二人の体がぶつかり――
 万代の牙が、百鬼丸の喉を食い破るより先に、双剣が白い胸に突き刺さる。万代の背から、銀の羽のように二本の刀が貫いた。
 万代の顔から凶暴な表情が消え、驚きと戸惑いが入り交じった顔になった。まるで、あどけない幼子のように。
 万代は百鬼丸の肩越しに雨降る夜空を見上げた。喉から、地獄の底から響いてくるような咆哮が漏れる。
「ごろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ……」
 万代――ごろんぼうの咆哮が途切れると、女の体から力が抜けていくのを感じた百鬼丸は、後ろに下がり、刀を抜いた。
 見開いた万代の目から光が消え、瞼が力なく閉じられた。
 万代の体が、突っ伏すように地面に崩れ倒れる。
 そして……動かなくなった。
「……死んだ……のか? 化け物は、死んだ? やったぁ! やっつけたぞぉ」
 部屋から庭に出て、遠巻きで百鬼丸と万代の死闘を見ていたどろろが、歓喜の声が上がる。
「あにき!」
 義手を抱えたどろろは、小躍りしながら百鬼丸の傍に駆けつけた。
 戦いは終わった。
 刀の血を拭い、どろろに義手をはめてもらう百鬼丸の顔には、勝利の笑みが浮かんでいた。
 能面のように無表情の顔よりも、笑った百鬼丸の顔は、惚れ惚れするほどいい男だと、どろろは我知らず思ったその時――
「わ!」
 村人が叫んだ。
「尻尾が!」
「尻尾に顔が!」
 どろろが振り返ると、村人の言葉通り、ぶよぶよの肉の塊のような尻尾の先端が、蠢き、形を変えていた。
 ふたつ小さく窪んで目ができ、見開いた。肉が盛り上がって鼻ができ、耳ができ、裂けた皴は、大きく開いた口のようになった。
 どう見ても、人の顔にしか見えない。
 緑色の肉の尻尾に浮き上がったその顔は、どろろには万代の顔に似ているように見えた。
 顔ができるにつれて、太く大きな尻尾は、どんどん細く、小さく縮んでいく。

 

 ずるり――

 

 細くなったごろんぼうの尻尾は、蛇のようにうねうねと這いながら、万代の体から離れた。
「まだくたばっていなかったかっ!」
 百鬼丸は左の義手を外し、納めたばかりの退魔の刀を抜いた。
 駆け寄り、逃げようとするごろんぼうの尻尾の先端にできた顔の眉間に刃を突き刺した。
 緑色の顔から、真っ赤な血が花びらのように飛び散る。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
 女の声で、再び断末魔が夜の闇に響いて――やがて、静かになった。

 

 

 雨が降りしきる中、梅枝村の村人たちは、遠巻きに女の亡骸と緑色の肉の塊を囲んだ。
 誰もが黙り込んで、ふたつの躯をじっと見つめている
「あにき……こいつは一体……」
 どろろが恐ろしげに百鬼丸に問うた。
 百鬼丸は義手をはめながら答える。
「俺は以前にも、こんな憑き物の妖怪を片づけたことがある。人面瘡(じんめんそう)と言ってな、ある娘の膝に大きな腫物(はれもの)ができて……それが潰れて、人の顔みたいになって物を言ったり、飯を食ったりするんだ。そいつは切っても、切っても、あとからあとから生えてきた。その腫物には、妖怪がとり憑いていたんだ。この人面瘡も、もっとあくどいやつなんだろう……」
 百鬼丸の説明に、どろろはぶるっと体を震わせた。
「――そ、それじゃ、この女は?」
「化け物が体を借りていただけさ」
 その証拠に、あんなに鬼のように恐ろしげな顔だったのに、万代の死に顔が、可憐で優しげな顔に変わっていた。真っ白だった髪は元の黒髪に戻り、大きく生えていた角も無くなっていた。化け物が体から抜け出したので、元の人間に戻ったのだ。
「谷に住んでいたごろんぼうは、都からやってきた万代の体を乗っ取って、外面(そとづら)は情け深いふりをしながら、村の連中を働かせて搾り取っていた。つまり、生かさず殺さずってわけだ」
「うへぇ……」
 どろろは化け物の悪知恵に、恐れ入った。
 それは村人たちも同じだった。
 突きつけられた真実に、その場の誰もが顔を強張らせ、言葉も出ない。
「そんな……お方さまが、物怪にとり憑かれていたなんて……」
 よろよろと、雨と泥でぐちゃぐちゃに汚れた右近が歩み寄り、万代の亡骸に縋りついて泣いた。
「ああ……お方さま……お可哀想に……殿を亡くされ、物怪にとり憑かれてしまわれた末に、このような惨い最期を……」
 よよよと哀れに泣く姿に、もらい泣きする村人たち。
 どろろも思わず同情した。
 ただ一人、百鬼丸は違った。
(この女……!)
 人の心を読み取る術を持つ百鬼丸だけには、右近が心の奥に潜めていた真実が垣間見えた。

 

 お方さまの様子がおかしい――
 都の戦を逃れて、加賀の国の領地に来てから万代の様子が変わったと、右近は感じていた。
 都にいた頃は、万代は明るく朗らかな人柄であったが、梅枝村に来てからは、口数が少なくなり、どこか冷ややかな感じがしてならなかった。
 初めは慣れない田舎暮らしのせいで、憂鬱になっているのだろうと思った。
 だけど、梅枝村に来て初めての春を迎えた頃だった。
 ある夜、右近は見てしまった。毒々しい緑色の醜い尾が生えている万代が、大納言と契るのを。
 お方さまが、物怪にとり憑かれてしまった!
 右近は愕然としたが、なす術はなかった。
 都であったら、僧都(そうず)に頼んで加持祈祷してもらい、物怪を祓ってもらえたであろう。
 だが、都から遠く離れた加賀で、誰に相談してよいのやら。
 村人たちに知られたら、万代ともども村を追い出されるか、殺されるかもしれない。
 守護の富樫家は兄弟で争っていて、都から来た公家のことなどかまっていられないから、頼ることができない。
 右近は口を噤んでいるしかなかった。
 大納言は妻が化け物にとり憑かれているとは気づいていないのか、それとも化け物に誑かされているのか、毎夜契り……
 夜毎の契りで、万代の緑色の尻尾は、初めは細く短かったが、次第に太く長くなった。
 それと同時に、大納言はやつれ、生気を失い、やがて病み衰えて死んでしまった。
 次に、若い侍女が大納言と同じように病み衰えたと思っていたら、いつの間にか屋敷からいなくなった。
 また一人、二人と侍女が病み衰えてから姿を消すことが続いて、右近は気づいた。
 万代が、万代にとり憑いた化け物が、侍女を喰ったのだ。大納言をとり殺したように。
 周囲には、いなくなった侍女は暇を取ったと右近は言い繕った。
 それから他の侍女も、下男も、家令も、都から一緒に村に来た者たちは、一人ずつ屋敷から消えた。その度に、右近は逃げた、都に帰ったと言った。村人たちは、右近の言葉を信じた。いなくなった者の代わりに、村の者が仕えるようになった。
 そして、都から連れて来た者が右近以外誰もいなくなった時、万代の尻尾は、身の丈よりも長く大きくなり、衣で隠しきれなくなった……

 

 右近の心に秘められていた真相を知って、百鬼丸は唖然とした。
 人に仇なす化け物を野放しにしておくなんて……
 確かに化け物にとり憑かれたと村人たちに知れたら、自分たちの身が危うい。
 ごろんぼうに体を乗っ取られたとはいえ、尻尾が生えた以外は、見た目は万代のままであったから、右近は万代を守ろうとしたのか?
 ――百鬼丸が右近の心の底をさらに覗くと、本心が見えた。

 

(お方さまが人であろうと、化け物であろうと、関係ないわ。高貴なご身分の「お方さま」がいてこそ、仕える私も楽に暮らしていけたのに……お方さまがいなくなった今、どうしたら……いいえ、今度は私が……お方さまと私は、身分は違えども、村の者たちから見たら、都人だもの……大丈夫、うまくやれる……都から来た公家というだけで、とうの昔に没落した家の殿とお方さまをありがたがっていた鄙者を、操ることなどたやすいこと……大納言家の財を管理していたのだって、私だったし……お方さまが大納言家の財宝を恵んでやったのも、私の言葉があったから……商人との取引だって、私のおかげよ……価値を知らぬ愚か者たちは、商人に騙されて安く織物を売っていた……私のおかげでこの村の織物は、高く売れるようになったのよ……村に富と繁栄をもたらしていたのは、私。私こそ、この村の真の主……!)

 

 ――もうこれ以上知りたくない。
 百鬼丸は右近の心から退いた。
 酷い。
 汚い。
 醜い。
 右近が口を噤んでいたのは、万代への忠義からではなかった。
 主が化け物にとり憑かれたと知っても、甘い汁を吸うためにごろんぼうの正体を明かさず、素知らぬ顔で仕えていた右近の凄まじい欲に、百鬼丸は圧倒されていた。
 万代――ごろんぼうも、村人たちに取り入るために、右近を利用できると思ったのであろう。だから、本物の万代を知る右近を殺さずにいたのだ。
 ごろんぼうと右近は、お互いの利害が一致していた。
 この梅枝村の村人たちは、ごろんぼうだけではなく、右近の奴婢(ぬひ)でもあったようだ。
 右近は百鬼丸に本性を知られたことも知らずに、主を失った忠実な侍女の芝居を続けている。雨が降っているから、右近の目元や顔が濡れているのは、雨の雫か涙か、誰にも判別できない。
(人は……こんなにも……)
 人の欲の醜さに、泥のような疲労感を全身に感じた時、
「うっ!」
 突然百鬼丸は、がくんと膝を地面についた。
「あにき! どうかしたのかい?」
 どろろが驚いて声をかけても、百鬼丸は答えない。答えられない。壮絶な痛みがその身に襲っていたから。

 

 百鬼丸が突然倒れたので、どろろは度肝を抜かれた。
 次に驚いたのは、百鬼丸の左耳がぽろりととれて、地面に落ちたことだ。
 同時に百鬼丸は、頭の左側を抑えながら苦悶の表情で地面をのたうつ。
「うわああああああああぁ!」
 百鬼丸の声が、どろろの頭の中に響いた。
 永遠に続くような、一瞬だけのような時が過ぎ、百鬼丸の心の叫びが聞こえなくなって、ぐったりと疲れたように立ち上がった百鬼丸には、左耳が生えていた。
「あにき! 耳が……耳が生えている!」
 どろろは驚きの声を上げながら、百鬼丸と地面に落ちている左耳を見比べた。
 地面に落ちた左耳は、たちまち輝く赤に染まり、石のように固くなっていく。
 舌の時と同じだ。
 どろろは初めて百鬼丸と出会った時に見た光景を思い出した。
 おたまじゃくしの化け物を倒し、百鬼丸は舌を取り戻した。
 偽物の舌は、赤い石になると、粉々になって風に飛んで行ってしまった――
 あの時と同様に、左耳もみるみるうちに深紅の透明な石と化した。

 

 ぴきっ――

 

 石化した耳に、ひびが入る。ひびは耳全体に広がり、砕けて粉々になった。そして、深紅の砂は、雨に濡れた地面にしみ込んで、消えてしまった。
 万代も、四十八の魔物の一匹だったのだ。だから、百鬼丸の奪われた肉体の一部――左耳が戻ったのだ。
「あにき、なあ、あにきったら」
 どろろが声をかけても、百鬼丸は答えず、ただ呆然と立ちすくんでいた。

 

 音が、聞こえる……
 初めに聞こえたのは、雨の音。
 幾千幾万もの雨粒が空から落ちて来て、人に、地面に、木々にぶつかる音が、一斉に百鬼丸の耳に飛び込んできた。
 耳を取り戻したことで、静寂から一気に音の聞こえる状態になって、百鬼丸は戸惑っていた。激しい音の洪水は、百鬼丸にとって、未知の体験だった。
(これが、聞こえる……ということか……)
 雨音に交じって聞こえるのは、何だ?
「大丈夫か、あにき?」
 人の声――どろろの声だ。
「耳を取り戻して、聞こえるようになったんだろ? それとも聞こえてないのか? なあ、どうなんだ? それとも、まだ痛むのか?」
 よく響く、澄んだ声。
 初めて聞くどろろの声は、心地よかった。ずっと聞いていたい。そんな気持ちになる。
 だけど、遠巻きに自分たちを見ている村人たちの声は……
「耳がとれて、また生えた……」
「手や足はどうなってんだ?」
「薄気味悪いやつだ」
「あいつも化け物なのか?」
「化け物だ」
「そうだ、化け物に違いない」
 村人たちの囁く声は、雨音にかき消されそうだが、確かに百鬼丸の耳に聞こえていた。そして、声に出さない心の声も。
(余計なことをしてくれた)
(万代さまがいて、わしらは幸せだったのに……)
(万代さまが化け物だなんて、知りたくなかった!)
(化け物でも、万代さまは金をくれた)
(万代さまが殺されて、これからどうしたらいいんだ)
(こいつらは、金持っていなさそうだし、役には立たんな)
 村人たちが実際に声に出した言葉も、胸の内の本音も、ごろんぼうを退治した感謝の言葉ではなかった。
 百鬼丸を化け物と恐れ、罵る言葉であった。
 いつでも、どこでも、百鬼丸は歓迎されなかった。
 作り物だらけの百鬼丸の体を気味わるがって、冷たく追い払われたことは、一度や二度ではない。
 四十八の魔物に呪われている自分は、他人から見れば、化け物みたいなもの……
 そう気づいてしまった。
 だから、他人からの罵倒も、もう慣れっこになってしまった。人は時として、妖怪よりも冷たくなることがあると知ってしまった。そういうものだと割り切ってしまえば、傷つかなくてすむ――それが、百鬼丸が覚えた心の防御の方法であった。
 だけど、実際に自分への罵倒や悪口を耳で聞くと、こんなにも辛いのか……

 

 雨に濡れて悄然と立ち尽くす百鬼丸に、どろろは困り果てた。このまま雨に濡れたままでは、さすがにまずいと思い、
「なあ、誰か家を貸してくれよ」
 とりあえず百鬼丸を休ませたくて、どろろが手助けを請うために後ろを振り返ると――
村人たちが鎌や斧の刃、竹槍の鋭い切っ先を、警戒するように向けていた。
「な、なんだよ。そんな物騒なもん、こっちに向けるなよ。もう化け物はやっつけちまったんだから、必要ないだろ」
 どろろは拳を上げて抗議する。だが、村人たちは武器を収めようとはしない。冷ややかな顔で、恐怖と畏怖の目で、どろろを――いや、百鬼丸を見つめている。
「早く村を出て行ってくれ」
「化け物の仲間みたいな者を、村に泊めとくわけにゃ、いかねえ」
「迷惑なんだよ」
 口々にどろろを、百鬼丸を罵倒する村人たち。
「なんでぇ。その言い種は! それが化け物を退治した恩人に向かって言う言葉かよ!」
 どろろはいきりたって向かおうとするが、村人の竹槍に後退させられる。

 

 

 村人たちとの間に不穏な空気が流れる光景を、屋敷の屋根から眺めている者がいた。
「呪われた誕生、祝福された死」
「黒い太陽、赤い月」
「熱い氷、冷たい炎」
「手に手を取って結ばれたら」
「扉が開くよ」
「ほう、ほーう」
 そう呟いたのは、頭の先から尻尾の先まで、全身黒い双頭の蛇。
 目だけが、さながら柘榴石のように赤く、燃えるように闇に光っている。
「くっくっくっくっく」
「ふっふっふっふっふ」
 鎌首を上げ、黒光りする艶のある鱗を雨に濡らしながら、双頭の蛇は押し殺した声で笑う。
「面白い」
「実に面白い」
 ごろんぼうを倒した英雄であるはずのどろろと百鬼丸。
 しかし、英雄どころか、化け物として追い出される。
 そのことが、とてつもなく愉快だと笑っている。
「ひとって、なんて愚かなんだろう!」
「だから、芝居が面白い」
「主さまもこの展開に、ご満足であられよう」
「そうでなくっちゃ、お方さまも殺され損」
「あーはっはっは」
「ほーほっほっほ」
 そうして笑いあった後、
「さあ、お知らせせねば」
「お知らせせねば、主さまに」
 そう呟くと、双頭の蛇は、ぶるっと全身を震わせた。

 

 ばきっ――

 

 蛇の体の中から骨が鳴る。

 

 ばきばきっ――

 

 骨が鳴りながら、細長い胴体から四肢が生えた。
 生えたのは四肢だけではない。それぞれの蛇の頭からは、枝分かれした白い角が二本伸び、尖った耳が生えた。顎(あご)には髭が生える。
 背中からは、蝙蝠(こうもり)のように骨に膜を張った大きな羽根が四枚生えた。
 細かった体が、ぶくぶくと膨れて肉づきのよい体になった。
 そして、長い尾を振りながら太く逞しい後足で立ち上がった時、双頭の蛇は、双頭の黒龍へと変化していた。
「おおぉ……」
「ああぁ……」
ため息のような声を漏らしながら、小さな前足が、ゆっくりと花開くように握りしめた掌を開くと、五本の指に鋭い爪が生えていた。
 双頭の黒龍は、体よりも大きな羽根を広げ、二度、三度と力強く羽ばたくと、

 

 とんっ――

 

 後ろ足で軽く屋根を蹴り、ふわりと空に舞い上がった。
 万代の屋敷の上をぐるぐると大きく旋回しながら、双頭の黒龍は声を揃えて歌い出した。

 

  雷が刻んだ契りの証
  四十八の星が流れて堕ちて
  ゆららさららと飛び出せば
  角生ひざらん鬼子
  変成しそこなった龍女
  娑婆に生まれていかがせん
  いかがせん
  始めも果ても限りなきこの世をば
  夢を夢とも知らずして
  この終わりに覚め果てるこそ
  あはれなれ あはれなれ

 

 歌い終わると、双頭の黒龍は首をうねうねとくねらせて雨の降る夜空を飛び、闇の彼方へと消えた。

 

 

 雨に濡れながら村人たちの冷たい視線と武器に囲まれ、百鬼丸は無言で立ち竦んでいた。
 そうして顔を上げた時、
「うるさい! 黙れ!」
 百鬼丸は、叫んだ。思いきり、心の声で――
「うわっ!」
 頭の中に直接響いた百鬼丸の心の声は、怒りと悲しみ、苦痛に満ちていた。その声を聞いた途端、村人たちは武器から手を放し、頭を抱えて倒れた。万代の亡骸に縋って泣いていた右近も、「あれ!」と声を上げて気を失った。
「あ、あ、あ……」
「いてぇ……頭がいてぇ……」
「ううぅ……」
「ええい、なんなんだ……」
「おおおおぉ……」
 百鬼丸の心の叫びを聞いて、その場にいた村人たち全員が、気を失うか、突き刺すような、割れんばかりの激しい頭痛に呻いていた。
 ただ、どろろだけが、村人たちと同じように百鬼丸の叫びを聞いたはずなのに、平気な顔で立っていた。
「あにき……」
 再びどろろの声が百鬼丸を呼んだ。上っ面でもない、下心もない、本心から百鬼丸を心配するどろろの声だけが、百鬼丸が聞いていたい声だった。
 百鬼丸がどろろに振り向いた。
 どろろの目に映った百鬼丸の顔は、弱々しさや苦悶の色は消えていた。
 決意に満ちた、凛とした表情が浮かんでいた。
「行こう、どろろ」
 村を出ていこうと言う百鬼丸に、どろろは驚きの色を隠さない。
「何だよ、あにき! あにきが体を張って、これだけ村のために働いたのに、出ていけって言われたら、はいそうですかと、黙って出ていっちまうのかよ!」
 どろろの抗議に、百鬼丸は何でもないことのように言う。
「気にするな。こんなことは、慣れている」
 ――慣れている。
 その言葉に、どろろはわかった。この梅枝村の村人だけではない、他でも四十八の魔物を倒して体を取り戻すたびに、百鬼丸は人々から化け物と忌み嫌われたのだと。
 盗られた物を取り返すことの、どこがいけない?
 どろろは怒りで体が震えた。
 百鬼丸に理不尽極まりない言いがかりをつける奴ら全てに。
 言いがかりをつけた奴らに、怒ることを諦めてしまった百鬼丸に。
「なんで? なんであにきは怒んないんだ!」
 大声で怒鳴るどろろに、百鬼丸は少し顔をしかめた。大きな声は、耳がわんわんして、頭がくらくらする。
 ぎゃあぎゃあ喚くどろろに、百鬼丸は説明した。
「あいつらに俺のことなんて、知ったことじゃない。俺だって、話す気はない。それに――」
 そして、短く告げた。
「この村には、もう用はない」
 四十八の魔物を倒して体を取り戻したから、この村に留まる理由はない――村を出て行く理由が、追い出されたからではなく、自らの意志であることを百鬼丸は示した。
「後のことは、俺は知らん。こいつらがどうにかすることだ」
 万代という支えを失って、この村をどうするかは、村人たちの問題だ。
 万代の代わりに右近を崇め奉るか、自分たちでなんとかするか、それともどうにもならなくて村を捨てるかは、梅枝村の人間が考えることだ。
 どうなろうと、どろろと百鬼丸には関係のない話だ。
 万代の亡骸に、村人たちに背を向けて、百鬼丸は歩き出した。
 百鬼丸が探し求めるのは、四十八の魔物。望みは全ての魔物を倒して体を取り返す。それだけだ。
 誰に嫌われようと、蔑まれようと、目的を果たすまでは、旅をやめない。
 百鬼丸の背は、そう語っているとどろろは感じた。
 どんどん歩いていく百鬼丸の背中を見て、どろろは呟いた。
「……そうだな。この村がどうなろうと、おいらたちの知ったことじゃない」
 百鬼丸にああ言われては、どろろは怒りの矛先を収めるしかなかった。
 それに、この村にとって、どろろも百鬼丸もどこから来たのかわからないよそ者。
 よそ者を温かく迎え、受け入れる村など、今の世の中には無いのだ。
 辛いことだけど。
 悲しいことだけど。
 だけど、思い煩ってもどうにもならないことはある。それなら、いつまでもくよくよ考えてもしかたのないことだ。
 それよりも、これからどうすべきかを考えることのほうが大事だ。
 百鬼丸は、自分の目的に向かって歩き出している。
 そして、どろろも……
「待てよ、あにき! おいらから逃げようったって、そうはいかねえからな! その刀は、おいらの物だからなぁ!」
 どろろは威勢のよい声を張り上げながら、百鬼丸の後を追い掛けた。

 

 屋敷を出て道を歩いていると、あちらこちらの家々から、呻き声がいくつも聞こえてきた。
「うぉおおおお……」
「い、い、い、痛い……」
「頭いてぇよぉ……」
 ごろんぼうに襲われないように、家に隠れていた者たちの声だった。
 百鬼丸の心の声は、万代の屋敷にいた者だけでなく、この梅枝村中に届いていたのだ。
 しばらくすれば頭痛も治るはずだから、苦悶の声に構わず百鬼丸は歩いていく。追いついたどろろも、百鬼丸の隣に並んで歩いた。
 雨の中、花も実もない暗い梅林の道を二人並んで歩きながら、どろろは空腹を訴えた。
「あーあ、腹減った。昨日からなーんにも喰ってねぇし。ひどい目にあった。ろくな村じゃなかった――あ! 倉から金目の物でも盗っておけばよかった! 迷惑料と化け物退治した手間賃替わりによぉ……おいらとしたことが、ただ働きしちまった」
 一人ぶつぶつ文句を言うどろろに、百鬼丸はぽつんと告げた。
「俺は……あけび、喰いたい」
 百鬼丸の要望に、どろろは百鬼丸の顔を見上げて、にやっと笑った。
「おう、また採ってやるぜ。代わりに、焼き魚頼むな」
「ああ……」
「よし! 約束だぜ! さあ、こんな村とっとと出て行こうぜ」
 朗らかに言うどろろに、何故だかわからないけれど、百鬼丸は安堵を感じていた。
 まるで、失くした物が戻ってきたような……そんな感じだった。
 こうしてどろろと一緒に歩いていると、夜雨は冷たいが、身に纏う小袖についた泥や返り血だけでなく、心の穢れまで洗い流してくれるような気がした。
 我知らず、百鬼丸の顔に笑みが浮かんだ。苦悩も憂いもない、穏やかな微笑みだった。

 

 

 どろろと百鬼丸が梅枝村から去った後、空に伸びた梅の枝に、紅いがくに覆われた蕾が、ひとつだけ大きく膨らんでいた。
 雨に濡れた梅の蕾は、今にも花咲きそうだ。
 狂い咲きの梅の花は、血の色の紅梅か、雪の色の白梅か。
 その花の色を、どろろと百鬼丸は知らない。

 

 

 

2020年5月 2日 (土)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章17

   万代の巻中編
 ――という訳で、どろろと百鬼丸は村の隅にある小屋に閉じ込められた。
 小屋の中央に大きな木枠に囲まれた井戸があり、どろろと百鬼丸は、仲良く揃って丸太の柱に縛りつけられた。
 扉が絞められ、鍵がかけられる。
「ばかやろー! 知らねぇって言ってんのに、これはないだろ! くそったれ!」
 小屋に連れて来られる間も、小屋に着いてからも、村人たちが去った後も、どろろはずっと大声で喚き罵った。
 だけど、どんなに喚いても、縄を解いてくれるわけではない。疲れるだけだ。
 散々喚いて喉も乾いたし、腹も空いて疲れたどろろは、ようやく静かになった。
「ちぇっ。面白くねぇ」
 何も盗んでいないうちに捕まえられて、閉じ込められた。おまけに閉じ込められた小屋の中は、灯ひとつないから暗いし、床なんか張っていないから地面が剥き出しなので、固いし冷たいし、座っていて尻が痛い。おまけに井戸に蓋をしていないので、湿気で体がじめじめする。面白くないことこの上ない。
 百鬼丸のほうは、怒りも苛立ちも見せず、ただ黙って座しているだけだ。
 縛られたまま、無言で時がたつのを待つ哀れな囚人二人。
 いつしか日が暮れて、灯のない暗い小屋の中は、闇が濃くなる。
「なあ……」
 沈黙に耐えかねて、どろろは百鬼丸に声をかけた。そして、疑問を口にする。
「あにき、おいらぁ、なんだかさっぱり訳がわかんねぇや。あの万代って女、なんだって金小僧のことを、しつこく聞いたんだ? 一体……」
「静かにしろ!」
 どろろのおしゃべりを百鬼丸は遮った。
「井戸の底に何かいる!」
「えっ?」
 どろろは口を閉ざして耳を澄ますと、

 

 ぴちゃ……
 ぴちゃ……
 ぽちゃり……

 

 井戸の方から雫が垂れる音が聞こえた。

 

 ……ずるっ――
 ……ずずず――
 ……ずるっ――

 

 続いて、何か重い物を引きずるような音がする。

 

 ずるっ――
 ずずず――
 ずるっ――

 

 初めは小さかった音も、だんだん大きくなってきている。
 何かが井戸から上がってくるのだ。
 音が近くなるにつれて、どろろは井戸の底から立ち上ってくる匂いに気づいた。
 甘い花の香りの中に、獣臭い匂いが交じっている。それがひどく鼻につく。
(うわ……くさ……っ)
 あまりの臭さに鼻が曲がりそうだ。どろろは気分が悪くなりそうになる。
 百鬼丸は見えない目で、じっと井戸を凝視する。

 

 ずるずるずる――
 ずる――
 ぎい――
 がしっ――

 

 井戸からぶよぶよと太くて短い指を持った大きな手が現れ、井戸の枠縁を掴んだ。続いて、もうひとつ手が枠縁にかけられる。
 両手でがっちりと枠縁を掴むと、雫を振りまきながら体全身が井戸から現れた。
 その時、雲に隠れていた月が夜空に現れた。
 明かり取りの窓の隙間から、金色の光が小屋の中に差し込んだ。月の光が、井戸から現れたものの姿を照らす。
「ああっ!」
 どろろは叫んだ。
 体中から雫を滴らせて現れたのは、この世の醜さをかき集めてこさえたような化け物だった。
 正面を向いた顔は、大きな鼻が真ん中についていて、猿のように皴だらけ。口は蛙か山椒魚(さんしょううお)のように大きく、瞳のない白濁した丸い目は、爛々(らんらん)と金色に光っている。
 およそ六尺はあろう化け物は、蝦蟇(がま)のような太く短い四肢で、太った蜥蜴(とかげ)のような巨体を支えている。月光にぬめぬめと照る深緑色の肌は、小さな疣(いぼ)にびっしり覆われ、首のまわりには、先端が赤子の手のような触手が数えきれないほど生えていた。
 化け物の姿に、どろろは声を失う。
 こんな醜い物、初めて見た!
 化け物は縛られたどろろと百鬼丸を見て、薄く口を開いた。小さな細かい鋭い歯と、血のように赤い舌先が見える。
 ――うまそうな獲物を見つけた。
 どろろには、化け物がそんな風に笑ったように見えた。
 井戸から這い上がってきた化け物は、ゆっくりと二人のほうに近づいてきた。
「あ、あ、あにきーっ! こっちへ来る! あいつ、おいらたちを喰う気だ!」
「俺たちは、あいつの生贄かっ!」
 どろろと百鬼丸は、小屋に閉じ込められた真の理由を悟った。
 化け物が一歩歩くたびに、何故か白い布が巻きつけられている太く長い尻尾が、ゆらゆらと揺れる。
 化け物の舌が、長く伸びて口からだらりと下がった。
「……ぐ……ぐふ……ふ……ふ……」
 哀れな生贄を嘲っているのか、化け物は生臭い息を吐きながら喉を鳴らし、笑うような声を漏らす。
 このままでは喰われる!
 どろろは逃げようと体を捩ったが、固く縛られた縄は、簡単には解けないし、千切れることもない。
「うわあああぁーっ!」
 恐怖が極限に達した時、どろろは声を限りに叫んだ。
 それを合図に、化け物が後ろ足で立ち上がり、飛びかかってきた。化け物の大きく開いた口が、迫る――
 どろろが目を瞑った瞬間、隣で縛られていた百鬼丸の気配が消えた。
 先に百鬼丸が喰われたのかと思ったが、違った。
「やああああぁっ!」
 百鬼丸は義手から双剣を抜き、地を蹴って化け物の懐深く体当たりした。
「があーっ! ぎゃぎゃぎゃっ!」
 化け物の悲鳴が響く。
 目を開いたどろろのが見たのは、百鬼丸の両腕の刀が、化け物の胸に深々と突き刺さった場面だった。
 傷口から緑色の血が流れる。
 手ごたえはあった。
 深手を負った化け物は倒れるかと思い、そのまま百鬼丸は刀を引いた。そして、とどめにもう一度刺そうとしたが、化け物は前足を横に振って百鬼丸を払いのけ、その巨体に似合わず、俊敏に身を翻した。
「ごろぉーん!」
 雷鳴が轟くような声で一声吠えると、化け物の巨体は吸い込まれるように井戸の中へ消えた。
「しまった! 逃がしたかっ」
 百鬼丸が井戸に駆け寄った時には、化け物の姿は井戸の底の闇に消えていた。
「確かに手応えがあったはずだが……」
「あにき、井戸の中、調べて見ようぜ」
 百鬼丸はどろろの縄を斬ると、それまで自分たちの自由を奪っていた縄を命綱にし、石を摘んだ壁を伝って井戸の底へと降りた。後からどろろもするすると縄を滑り降りた。
「うわぁ、暗いな」
 月の光が辛うじて届くかと思われる深い井戸を降りると、底の方は真っ暗で、どろろには何も見えない。水がほとんど枯れた底は、苔がびっしりと生えているのが足裏の湿った感触でわかる。
「ん?」
 足先に、細くて硬い感触の物が触れる。どろろは木の枝かと思ったが、暗闇に慣れてきた目には、それが枝なんかではないことが見て取れた。
 闇に浮かぶ白い物。
 それは骨だった。人の腕の骨だった。
「あにき、骨だっ」
 井戸の底には、人骨が転がっていた。骨は一体二体だけではない。大人から子供のものまで、数えきれないくらいあった。
 埋葬されずに井戸の底に捨て置かれたしゃれこうべの暗い虚ろな眼窩が、どれもこれも、恨めしそうに見える。
「骨がいっぱいだ。あの化け物に喰われたんだ」
「おれたちの先客らしいな」
 どろろより先に井戸の底に転がっているのが何かを悟っていた百鬼丸は、冷静に答えた。
「……あの万代って女は、『いつものように井戸の小屋へ閉じ込めて』と言いやがった。今までに何人も、ここに連れてこられて、あの化け物の餌食にされたんだ」
 だが、そうする理由が判らない。金小僧に何かを聞いた者がこの小屋に閉じ込められて、化け物の餌食とするのは何故だ?
 しかし、百鬼丸が思案する間もなく、どろろが何か見つけた。
「あにき、横穴があるぜ!」
 井戸の底には、一間ほどの高さの筒状の横穴が掘られていた。
 穴からは、風が吹いている。
 つまり、穴は吹き抜けになっている。吹き抜けになっているということは、どこかに通じているのだ。
 この穴を通って逃げた化け物を追うために、百鬼丸は横穴に入った。
「待ってくれよ、あにき」
 どろろも慌てて後に続く。
「こんな真っ暗な穴の中を、よく歩けるな」
 暗い穴の中を迷わず歩いていく百鬼丸に、どろろが感心すると、百鬼丸は何でもないと答える。
「俺には明るいも暗いも関係ねぇ」
 生まれた時から暗闇の中にいる百鬼丸にとって、生まれ持った直感により、灯があっても無くても道はわかる。
 そんなもんかと納得するどろろ。
 やがて、横穴が行き止まりになった。
 百鬼丸は用心深く手を伸ばして上を探ると、板があった。
「ここが出口か」
 押してみると、板が動いた。予想通り、板は出入り口の戸であった。
 穴から出ると、そこは倉の中だった。棚に唐櫃(からびつ)がいくつも置かれていて、一見すると調度類をしまっておくための倉のようだ。
 どろろが蓋を開けて中を見ると、瑠璃や珊瑚、瑪瑙といった宝石に、象牙や螺鈿(らでん)の櫛、絵が描かれた檜扇(ひおうぎ)、色とりどりの絹の衣があった。
 高価な品の数々は、鄙には似つかわしくない。
「ここは……あの万代って女の屋敷かい?」
 どろろの問いに答えず、百鬼丸は黙って倉の扉に手をかけた。
 倉の扉には、鍵はかかっていなかった。扉を開けて外に出ると、夜空には十六夜の月が照っている。
 月下に大きな屋敷が建っているのが見えた。見覚えのある屋敷は、夕方連れてこられた万代の屋敷だ。
 周囲を見回して、どろろは見つけた。地面に緑色の血が、屋敷の方に向かって点々と残っているのを。
「あれ、化け物の血だ」
「化け物が逃げ込んだ先は、ここだ」
 緑色の血の跡を辿って行くと、母屋の裏の戸に続いていた。
 妻戸を開け、中に入る。
 抜き足、差し足、忍び足。
 しかし、どろろは腑に落ちない。
「変だなぁ。あの化け物がお屋敷の中でうろちょろしていたら、すぐに誰かに見つかって、大騒ぎになるだろうに」
 屋敷の者は、皆寝静まっているらしい。化け物にも、侵入者にも気がついていない――と思った時、どろろと百鬼丸は人の気配に気づいた。
 灯火が、向こうの方で闇を照らす。女の影が壁に映る。
 用心のために、侍女が屋敷を見回りしていたのだ。
「やべぇ!」
「しまった、見つかる!」
 どろろと百鬼丸は慌てて隠れようとしたが、時遅し。
「きゃあぁっ! 盗人(どろろ)!」
 侵入者を見つけて、侍女が声を限りに叫ぶ。
「誰か、誰か来てーっ! どろろよーっ!」
 けたたましいほどの悲鳴に、眠りについていた屋敷の者たちが目を覚ました。
「どろろですって?」
「大変!」
「怖いわ」
「早く、早く捕まえて!」
 ざわざわと、女たちの悲鳴が聞こえてくる。
それが呼び水となって、外で警備をしていた男たちが屋敷の中に入ってくる。
「どろろだって?」
「どこだ? どろろめ!」
 これでは化け物を追うどころではない。ここは一旦退散するしかない。
「やばい!」
「逃げるぞ、どろろ」
 どろろと百鬼丸は今入った戸から、慌てて逃げ出した。

 

 

「うう……ううぅ……うう……」
 侵入者に屋敷の外も中も大騒ぎしている最中、寝所で休んでいた主の万代は、獣のように呻き、低く声を漏らしていた。
 眠りを邪魔されて、不機嫌なのであろうか。
 それとも、どこか苦しいのであろうか。
「お方さま! お屋敷に盗人が!」
「ば、万代さま、ご無事でございますか?」
 部屋の外で控えていた右近と若い侍女が、主の無事を確かめに声をかける。
 だが、万代は返事をしない。
「お方さま?」
「万代さま?」
 心配になって、右近と侍女は顔を見合わせた。
「お方さま、どうかなされましたか?」
 重ねて右近が声をかけると、
「……捕らえよ……」
 万代の声が聞こえた。いつもとは違う、唸るように低くしゃがれたその声は、怒りに満ちたていた。
「あやつらを捕らえよ! 我が前に連れてくるのだ!」
 万代の怒号に、右近も侍女も鞭打たれたように肩をすくませると、警備の男衆に命令を伝えに、足早に部屋の前から立ち去った。
 部屋の中では、寝所の上で万代が半身を起こして両目を見開いていた。
 その双眸は、漆黒の闇の中で金色に輝いていた。
「許さぬ……許さぬぞ……抜け殻が……」
 怨みのこもった声で呟き、衾を払いのけて立ちあがると、万代は夜着を脱ぎ捨てた。
 雪のように白く輝くばかりの裸身が闇に浮かぶ。
「ふふ……ふ……うふふふふふ……」
 万代は笑いながら、枕元に置いてあった白絹を体に巻きつけていき……

 

 

 玲瓏と透明に光り輝く望月の下、どろろと百鬼丸は走っていた。
 その二人を、万代の屋敷の警備をしていた男たちが追いかける。
 追手の村人は、始めは五人ほどであったが、追いかける最中、家々の戸を叩いて、
「万代さまのお屋敷にどろろが入った!」
「どろろを捕まえろ!」
と叫んだものだから、万代さまの一大事とばかりに、追手は腕に覚えのある若い男から、まだ足腰の丈夫な初老の翁まで、その数は二十人にまで増えていた。
「待てーっ、どろろ!」
「どろろ!」
 どろろ、どろろと叫ぶ男たちに、逃げながら百鬼丸は思う。どうしてあいつらは、どろろの名前を知っているんだろう――
 しかし、すぐに百鬼丸は気づく。
 あいつらは、どろろだけではなく、俺のことも「どろろ」と呼んでいる、と。
 百鬼丸は初めてわかった。
 どろろとは、今共に逃げている子供の名ではなく、盗人のことを言うことに。
 その時、
「捕まえたぞ、どろろめっ!」
 どろろが追いついてきた男に襟首を掴まれ、高く体を持ち上げられた。
「うわあっ!」
 手足をじたばたさせて暴れるどろろに、村人たちは夕方井戸の小屋に閉じ込めた子供だと気がついた。
「こいつは、万代さまの所に連れて行った小僧だ!」
「なんで小屋から逃げられたんだ?」
「縄を抜けて、こともあろうに万代さまのお屋敷に忍び込むなんて、とんでもねぇ食わせ者だ!」
 小屋から逃げたこと、万代の屋敷に忍び込んだことが、よほど腹に据えかねたらしい。村人たちの怒りは、炎が燃え上がるように一気に激しくなった。
「殺せ!」
「殴り殺しちまえ!」
「そうだ、生かしておいたら、ためにならねぇ」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
 口々に物騒な台詞を叫ぶ村人たち。
 このままではどろろが殺される――
 異常なまでの殺意を感じ取って、百鬼丸は胸の前に腕を交差させ、義手を振り払い、刀を抜いた。どろろを救わんと、刀を月の光に煌めかせながら引き返す。
「やめろっ! やめねぇと、斬るぞ!」
 突然頭の中で声が響いてきんきんすると思ったら、腕から刀を生やした鬼が現れて、村人たちは悲鳴を上げた。
「でたーっ!」
「ば、化け物!」
「この野郎!」
 腰を抜かす者、気絶する者、百鬼丸に向かって棒を振り上げてかかってくる者と、村人たちの反応は様々だ。
 百鬼丸は右の護身の刀を振り上げて、正面から殴りかかろうとした男の棒を一刀両断に斬った。それだけで男は足が萎え、へなへなとしゃがみこんだ。
 次に百鬼丸は、どろろを捕まえている男に向かって言った。
「そいつを放せっ!」
 鬼気迫る百鬼丸の様子に、どろろを捕まえていた男は、慌てて手を離す。
 高く吊り上げられて、急に手を離されたので、どろろはうまく着地できなくて、尻もちをついた。
「いってぇ……」
 痛む尻を摩りながら、どろろは立ち上がり、百鬼丸の方に駆け寄った。
「あにき!」
 百鬼丸はどろろを後ろに庇うと、怯える村人たちに向かって刃を向け、問い詰めた。
「聞きたいことがある。さあ、話せ! あの万代って女は何者だ。井戸の小屋に現れた化け物はなんだ? それから金小僧のことも話せ! さあ!」
 話さなければ、斬られる――
 そう感じた村人たちは、震えながら代わる代わる答えた。
「ば……万代さまは、大納言、京極六条光次(きょうごくろくじょうみつつぐ)さまの奥方さまで……」
「十年前、京の都の戦を避けて、大納言さまとこの村においでになられたんじゃ」

 

 応仁元年に起こった応仁の乱で京の都は戦場となり、民と同様に、公家たちも戦火に焼け出された。
 そこで公家たちは、所有する荘園(しょうえん)がある地方の国々に下向した。
 京に近い奈良や和泉の国だけではなく、遠い加賀や越前にまで逃げてきた公家は、少なくなかった。
 応仁の乱以後の度重なる戦の混乱で、荘園からの収入が断たれた公家たちは、守護や守護代、有力な国人(こくじん)に、学問や家に伝わる歌、文学、蹴鞠(けまり)などの芸能を伝授して、庇護を受けた。
 公家の下向は、地方の国々に文化を花開かせるきっかけとなった。

 

 百鬼丸の心に、村人たちが見た光景が流れ込んできた。

 

 お供を何人も引き連れた牛車が、梅枝村の中を通っていく。
 屋敷に到着して、よれよれの烏帽子(えぼし)を頭に被った直衣姿(のうしすがた)の男と、色鮮やかな打掛を羽織った女が牛車から降りた。
 男がくたびれて貧相な顔つきなのとは対照的に、女はまるで天女のように美しい。
 村中の男も女も、老人も若者も、皆が都から来た高貴な奥方に魅了された……

 

「大納言さまは、村に来られて一年足らずで、病にかかられて亡くなられてしまわれたが、万代さまは、大納言さまが亡くなられた後も、この村に留まられた」

 

 夫を亡くした奥方――万代は、涙に暮れる日々をおくった。戦乱が収束したから都に帰ろうと勧める家令や侍女たちだが、夫の終焉の地を離れたくないと、万代は首を横に振る。
 田舎暮らしに辟易していた家令や下男、侍女たちは、万代を見捨てて一人、また一人と屋敷から出て行く。
 万代の傍に残ったのは、右近と呼ばれる侍女だけ。
 独り寂しく残され、悲しみのあまり床に臥せるようになった万代を、村中の者がおいたわしいと同情した。
 なんとかお慰めしようと、村人たちは万代に贈り物をした。
 春には村に咲く梅の花の枝を、夏には梅の実の酒を、秋には梅干しを、冬には梅の枝を煮詰めた染料で染めた絹糸で薄紅色の布を織り、献上した。
 村人たちの真心に、万代の悲しみは癒されて……

 

「わしらの心を込めたお見舞いのお礼にと、万代さまは大納言さまが遺されたお金を、村の貧しい者へお恵みになり……」
「道を開いたり、橋をかけたり、今までにどんなにわしらをお助けくだされたか、わかりゃせぬ」
「女たちが織った布が、もっと高く売れるようにと、京で流行りの織り方を教えてくだり、その上、布を高く買い取るようにと、商人と話をつけてくだされた」
「本当に、女菩薩(にょぼさつ)のようなお方だぁ……」
 村人たちは、万代のことを話す間、うっとりと、夢見るような表情をしていた。まるで神仏を崇めるかのような――いいや、恋する女のことを話しているみたいだ。
 だが……
 続く話には、たちまち暗い表情になった。
「この如月谷は、昔はどうしようもない荒れ地だった。それをわしらの爺さまの代から開墾して村を作り上げた。それこそ、飯もろくに喰えず、辛い年が何年も続いたもんじゃ」
「それでも、どうやら畑もでき、田に水も引けて、万代さまのおかげで商いも上向きになり、これからやっと楽になると思った途端、五年前、突然化け物が現れて……」
「村を荒らしたんだ!」
 そこまで話して村人たちは皆、涙に咽び泣いた。化け物に襲われた時の恐怖と、その後の悲哀と苦渋を思い出して、泣かずにはいられないようだ。
「それから?」
 百鬼丸に促されて、村人たちは泣きながら話を続けた。
「化け物は、ごろんごろんと、雷の音のように吠えながら如月谷の奥からやって来る」
「それでおらたちは、化け物のことをごろんぼうと呼ぶようになったんだが……」
「ごろんぼうは、女子供も関係なく喰い殺し、おれらが稼いだ金を、根こそぎ持って行きやがった」
「万代さまがおらなんだら、わしらはとっくに飢え死にじゃい」
「万代さまは、村を荒らされたわしらを憐れみ下さり、金をくだされた。万代さまのお情けに、わしらは再び豊かな暮らしに戻そうと、血の滲むほど働いた」
「そうやって、村の暮らし向きが上向き始めた頃になって、またごろんぼうが現れて……金を奪い、また万代さまに恵んで貰って……」
 つまり、稼いでは奪われ、奪われては稼いでの繰り返し。
 生殺しの状態が梅枝村の村人たちを苦しめていた。
 井戸から出てきてどろろと百鬼丸を襲った化け物については、これでわかった。
 百鬼丸は続けて問う。
「それで、金小僧というのは?」
「金小僧のことは、わしらはよく知らん」
「見た者によると、黄金色(こがねいろ)に光っていると言うから、金小僧と呼んでいるんだが」
「いつの間にか、この村だけではなく、近くの村にも突然出て来て、人を脅かすんじゃ」
「そのうちに、金小僧が出た後は、決まってごろんぼうも現れることに万代さまは気がつかれた」
「金小僧はごろんぼうの手先に違いないと、万代さまがおっしゃった」
「金小僧を見たら、そいつも化け物の仲間になってしまうに違いないと――」
「だから、わしらは万代さまのお言いつけで、金小僧を見た者を万代さまのところへ連れていくのじゃ」
「万代さまが、金小僧を見た者が化け物にとり憑かれていないかどうか、見極めると仰せになるんで……」
「わしらは万代さまの仰せのままに、井戸の小屋に連れて行くだけじゃ」
 村人たちの話を聞いているうちに、どろろは怒りがこみ上げてきた。
「そうして金小僧を見たやつは、皆あの化け物に喰わせて、村が襲われないようにしたわけかい? 自分たちさえ助かれば、それでいいってのかい? ええっ!」
 どろろの指摘は図星らしく、村人たちは、黙って項垂れる。
 後ろめたくて、何も反論できない村人たちに、百鬼丸は告げた。
「金小僧か。あいつ、俺に昨夜面白いことを囁いたぞ」
 にやりと笑って、百鬼丸は種明かしした。万代が知りたがっていたことを。
「やろうかあ、やろうかあ――昨夜、金小僧は俺にそう言ったんだ」
「何をやるって?」
 どろろが目を丸くして尋ねる。
「それで俺はな、くれるんならよこせって言ってやった。そしたら、ある場所を教えてくれたんだ」

 

 

「あにき、金小僧はここに来いって言ったのかい?」
「黙ってついてこい」
 抜身の刀を下げたまま、先頭に立って歩く百鬼丸の後ろを、百鬼丸の義手を抱いたどろろがついて行く。
 さらにその後ろを、梅枝村の村人たちが、こわごわ歩いていた。
 百鬼丸に連れられて、どろろと村人たちが来たのは、村の外れにある竹林だった。
 満月は天の真上に昇っていた。昼かと思うほど明るい月の下、地面に落ちている笹の葉を踏みしめ竹藪を奥深く入っていくと、鈴の音が聞こえ始めてきた。

 

 ちりーん――
 ちりりーん――

 

 金小僧の鈴の音だ。
「あにき! あれ、昨夜のあいつだ!」
 どろろが指さした方に、案の定、金小僧は鈴を鳴らしながら座っていた。
「やろうかあ。やろうかあ」
 月の光に照らされて、金色に光る金小僧は、昨夜百鬼丸に囁いた通りの言葉を呟きながら、鈴を鳴らしている。
「でた!」
「金小僧だ!」
「逃げろっ! とり殺されるぞ!」
 我先へと逃げようとする村人たちを、百鬼丸は引き止めた。
「待て! 金小僧は、何か教えようとしているんだ」
 百鬼丸の言う通り、金小僧は薄笑いを浮かべながら、自分が座っているところの地面を指さした。それから急に金小僧の体は小さくなり始めた。
金小僧は人々の目の前で、どんどんどんどん縮んでいって、しまいには影も形もなくなってしまった。
「うわ……消えた!」
 どろろは金小僧が夢幻のように消えてしまい、びっくり仰天する。
 村人たちも、怖がって声もなく震えるばかり。
 百鬼丸だけが、金小僧が消えた跡の所に近づき、頷くと、
「そうか……よし、ここを掘ってみろ」
 と言った。
「掘ったら何が出てくるんだ?」
「誰かの骨でも出てくるんかよう?」
 まだ怯えている村人たちに、「とにかく掘ってみろ!」と百鬼丸は言うばかり。
 鍬を持っていた男が、百鬼丸に言われた通り、金小僧が消えた跡を掘った。
 土を掘って、掘って、掘って……鍬の先端が、何か固いものにあたった。土をどかすと、そこから光輝くものが出てきた。
「銭だっ!」
「ほ、ほ、ほんとだっ!」
「こ、こりゃ、夢ではあるまいな?」
 金貨、銀貨、銅貨がざっくざく。
それも十や二十ではない。数えきれないほどの枚数の銭が穴から出て来て、驚きの声を上げる村人たち。
 全て、ごろんぼうに奪われた銭だった。
「おおーっ! ほんとに金じゃ。おらたちの金じゃ」
「うわっはーい! 金が戻ったぞ!」
「金を盗られたやつは、集まれー!」
 竹藪の中は、村人たちの喜びの声に包まれた。
 銭が戻って歓喜乱舞する村人たちを横目に、どろろは百鬼丸に聞いた。
「誰がこんなところに金を隠したんだい。あにき」
 百鬼丸は言った。
「俺にはもう目星がついている」

 

 

 銭が見つかった喜びが一段落すると、村人たちはさっきとは打って変わってどろろと百鬼丸に感謝した。
「ありがたや、ありがたや」
「金を見つけてくださり、かたじけない!」
「助かりました!」
 神仏を拝まんばかりに手を合わせ、
「ところで……」
 次に口にしたのは、疑問だった。
「あの金小僧というのは、なんだったんだ?」
 村人たちの疑問に、百鬼丸はあっさり答えた。
「ああ、金小僧か。あれはな……金の精なんだ。古い品物には、魂が宿る。金小僧も、土の中に埋められて、出たくてしょうがなくなったので、掘り出してくれと、ああして姿を現して訴えていたんだ。もう掘り出したから、金小僧は二度と出て来やしねぇよ」
 百鬼丸の言葉に、村人たちはよかったよかったと言い合う。
「金が戻ったんなら、何も言うことねぇや」
「そういえば、金小僧は、姿を見せても、おらたちに悪さはしなかったな」
「じゃあ……金小僧がごろんぼうの手先だっていうのは、万代さまの見込み違いだったってことかい?」
「そうだったってことだな」
 これで万事解決したかのような物言いをする村人たちに、百鬼丸は冷や水を浴びせるような一言を告げた。
「あの万代って女は、食わせ物だっ!」
 菩薩、天女とも崇めている万代のことを罵倒されて、村人たちはそれまでの喜びの表情から一転、憤怒の表情を浮かべて百鬼丸に喰ってかかった。
「そんな馬鹿な!」
「めっそうもねえ!」
「万代さまほど、情け深いお方はいやしねえ!」
「そんなら、なんで万代さまは、わしらにお金をくださるんだ!」
 拳をふりあげて激怒し、反論する村人たちに、百鬼丸は挑発するように言った。
「それは万代に直接聞いてみるんだな。まずは――化け物を倒すのが先だ!」
 その時、どこからか風が吹いた。
「ん? この臭い……」
 どろろは風が運んできた臭いに、きょろきょろと首を廻らした。花の香りと獣臭が混じったようなひどい臭いは、さっき井戸の小屋で嗅いだものだ。
「あそこだ」
 百鬼丸が左腕を上げ、退魔の刀の切っ先を示した方を見ると――暗い竹林の奥に、金色に光る玉がふたつ見えた。
「あれは……」
 見覚えのある光の玉に、どろろは息を飲んだ。さっき井戸の小屋で見た、化け物の目玉と同じだ。
「ひぇっ」
「でっ、でたぁっ!」
「ごろんぼうだ! ごろんぼうが出たぞ!」
 光の玉の正体に気づいた村人たちの喉から、振り絞るような絶叫がいくつも響いた。
「逃げろーっ!」
「喰い殺されるぞっ」
 金よりも命が大事と、村人たちは掘り出したばかりの銭を捨てて、慌てて逃げ出す。
 だが、竹林から先端が鋭く斬られた竹が飛んできた。それは一本だけではない。何本も、何本も雨霰の如く、戦の最中よりも数多くの竹槍が、村人たちを串刺しにせんと飛んでくる。
「うわぁっ!」
「ぎゃああぁ!」
「ひぃいいいっ!」
 竹槍を避け切れなかった哀れな犠牲者の絶叫が、竹林に響く。
 肩や足にかすった程度なら運がいい。竹槍に心の臓を貫かれた者は、力なく地面に倒れ伏し、こと切れた。
「うわ、うわ、うわ!」
 どろろは義手を抱えながら、降ってくる竹槍の間を素早く走って避け、なんとか身を守る。
 そして、百鬼丸は――

 

「やあぁぁぁっ!」
 百鬼丸は牙のように襲いかかる竹槍を双剣で薙ぎ払い、光る目玉の主の前に躍り出た。
「ふぅーっ、ふぅーっ、ふぅーっ……」
 生臭い息を吐きながら、緑色の巨体の化け物が竹林に座っていた。先程井戸の小屋で百鬼丸に斬られた傷は、既に塞がっている。ぎらぎらと目を輝かせ、白い布を巻いた尻尾を振る様子は、怒りに燃えているかのようだ。
「いたな……」
 百鬼丸はごろんぼうに向かって告げた。
「おい、化け物! 俺は、おまえのような奴と出会うのを楽しみにしているんだ。一日でも早く、体を取り戻したくてな!」
 ごろんぼうは首のまわりに生えている触角で、傍に生えている竹を掴んで次々折り、百鬼丸に投げつけた。
 空を切って、鋭い竹槍の切っ先が何本も百鬼丸に迫る。
 百鬼丸は前進しながら刀を振るって、竹槍を斬り捨てた。
「今までに十五匹倒した。おまえで十六匹目だ! 覚悟しな!」
「ごろごろごろ――ごろおおおおおおおぉっん!」
 空を轟かせるように吠えると、ごろんぼうは触手を一斉に伸ばした。
 蔓のように長く伸びた触手は、右から、左から百鬼丸の体を捕らえようとまとわりつく。
 赤子の手のような触角の先端が、百鬼丸の腕に、足に、体に吸い付くように張りついた。
「邪魔だっ!」
 百鬼丸は触手を双剣で斬っては払い、払っては斬りを繰り返す。
「ごろおおおおおおおぉっん!」
 ごろんぼうは百鬼丸を嘲笑うかのように、大きな口を開けて吠えた。
 その時を百鬼丸は逃さなかった。
 百鬼丸はその場にしゃがみこみ、左の義足の爪先をごろんぼうに向けた。
「これでもくらえ!」
 奥の手、いや、奥の足とでもいうべきか――
 百鬼丸は腹に力を入れて筋肉を収縮し、義足の足首を外した。そして、外した義足の中に仕掛けられている放射器に入れておいた水を、発射口からごろんぼうに吹きかけた。

 

 ぷしゅっ――

 

 勢いよく飛び出した水は、大口を開けていたごろんぼうの赤い舌に命中した。
「ぐうううっ――ぐうううううううぅっ! ぎゃぁぁっ! ぐぇぇぇっ」
 舌に水がかかった途端、火傷を負ったかのように火膨れを起こし、ごろんぼうは絶叫した。
 百鬼丸の義足に入っていたのは、ただの水ではなかった。生き物なら皮を焦がし、肉を焼く劇薬――養父の寿海が与えてくれた焼き水だ。
 ごろんぼうは、舌が焼ける傷みに竹を何本も巨体でなぎ倒しながらのたうち回った。

 

 ぷしゅっ――
 ぷしゅっ――
 ぷしゅっ――

 

 百鬼丸は義足から焼き水を放出し続けた。いきよいよく飛び出す焼き水は、ごろんぼうの顔にかかった。
「ぐお、お、おおぅ、ぐぉう、う、う……」
 ごろんぼうは焼きただれた顔を前足で覆い、身を捩らせて苦悶の声を漏らす。同時に巨体がしゅうしゅうと音を立て、白い蒸気を上げながら縮んでいった。
 そして、焼き水の威力がおさまって、蒸気が消えた時、ごろんぼうの体はすっかり縮んでしまっていた。
 三尺ほどに体が小さくなったごろんぼうが、背を向けたその瞬間――
「やーっ!」
 義足をはめた百鬼丸は、地を蹴って飛び上がり、右の護身の刀をごろんぼうの背中に突き刺した。傷口からは毒々しい緑色の血が吹き出し、地面の上の枯れ葉色の笹の葉を染める。
「ぎぃいいいいいいいっ!」
 悲鳴を上げてのけ反ったごろんぼうは、大きく体を振って百鬼丸を払いのけた。そして、白い布が巻かれていた尻尾を、ぴんと直立に立ち上げると、そのまま頭と尻が逆になったかのように走り出した。
 ごろんぼうの尻尾に巻かれている白い布の先端からは、女の黒髪のような長い毛が生えている。まるで女が逃げ出しているかのような後ろ姿だ。
 竹林に隠れていたどろろは、ごろんぼうの変化に驚きの声を上げる。
「なんだ? 化け物が女みたいになったぞ」
 ごろんぼうは、傷つき倒れている村人たちの合間を縫って、凄まじい速さで竹林を駆け抜けていく。
「逃がすものかっ!」
 百鬼丸はごろんぼうの後を追って走り出した。
「おおぉーい、あにき! 待てよー!」
 どろろも義手を抱えつつ、置いて行かれまいと、懸命に走りながら百鬼丸の後を追った。

 

 

 

2020年5月 1日 (金)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章16

   万代の巻前編
 嘘にまみれ、翻弄されるばかりのこの世の中、真実は決して甘くはない。

 

 

 西に沈みゆく日に照らされて、川原に生える薄(すすき)の穂が黄金色に輝いている。
 夕風に吹かれ、招くかのように揺れる薄は、誰を誘っているのか。
 濃藍から墨色に変わりゆく東の空に昇る、真ん丸い金の月か。
 今宵は八月十五夜。中秋の名月だ。
 家がある者は、秋の草花を飾り、団子や芋を供えて収穫を感謝しつつ月を愛でることもできるが、草を枕に眠るのが当たり前の宿無しの旅人で、四十八の魔物を退治することだけが生きる目的の百鬼丸には、そうした行事は無縁だ。興味もない。
 今宵の眠る場所として、百鬼丸は月に照らされた川原を選んだ。
 流れる川から少し離れた所に、百鬼丸は大きめの石を集めて円陣に置くと、中央に乾いた小枝や枯草を集めて火を熾した。
 辺りが暗くなっていく中で、炎が弾ける音と共に揺らぎながら、赤々と燃え上がる。
 火の熱で焚き火が消えることはないと判断すると、百鬼丸は川の中に入った。
 川の流れはゆるやかで、義足のくるぶし程の深さだ。川の真ん中で立ち止まると、百鬼丸はじっと立ち尽くした。
 清流の中には、鮎がゆうゆうと泳いでいる。生身の足なら、鮎は近寄ってこないだろう。しかし、気配を消して立つ百鬼丸の足元に、鮎は寄ってきた。
 今だ――
 百鬼丸は川の中に右手を突っ込んだ。続いて左手も。
 百鬼丸の両手は、鮎を握っていた。義手の中で、鮎は悶えるように蠢く。握りつぶさないように力を加減しながら、鮎を掴んだまま両手を川から上げた。
 並の人間なら、とても川を泳ぐ魚を手づかみで捕まえるなんて芸はできない。
 人並み外れた勘のするどい百鬼丸だからこそ、できるのだ。
 そうやって百鬼丸は五匹の鮎を捕まえると、焚き火の前に座った。
 鮎の鱗を取り、小刀で腹を開いて内臓を出す。用意しておいた木の小枝を串にして刺し、焚き火の前で焼き始めた。
 燃え盛る炎にあぶられて、鮎の身が焼け、香ばしい匂いを醸し出す。
 鼻を取り戻していない百鬼丸にはその匂いはわからないが、少し離れた草むらで、こちらを覗っている盗人には、とてつもなく魅力的な匂いだ。
(ああ……うまそうだな……)
 盗人――どろろは、百鬼丸の両腕に仕込まれている刀を狙って、この数日間ずっと百鬼丸の後をつけていた。
 百鬼丸はどろろを追い払うため、呪われた身の上話を聞かせた。
 四十八の魔物にあちこち体を奪われた上に、妖怪変化につきまとわれていると知れば、怖気づくに違いない――
 そう思ったのだが。
 百鬼丸の思惑に反して、どろろは怖がるどころか、面白がった。それどころか、嬉々として百鬼丸について来る。
 百鬼丸は驚き呆れた。それでも初めの三日は、子供のことだから、そのうち飽きて刀も諦めるだろうと軽く考えていた。
 だが、四日目も、五日目もどろろはついて来た。
 そこで百鬼丸は、子供の足では険しい急な坂の山道を歩いた。人の多い街中で、どろろがよそ見をした隙に走り出した。そうやって、どろろを巻こうとした。
 しかし、どろろはどんな道でも百鬼丸に着いてきた。百鬼丸の姿が見えなくなっても、何処に百鬼丸が行くのか予想し、先回りして待っていた。
 そんなどろろに、百鬼丸は無理に追い払うことはしなくなった。どろろを道連れと認めた訳ではない。どろろの執念深さに、根負けしただけだ。
 でも、今どろろが欲しいのは、刀よりも鮎のほうだった。
 なにせ、宿無しの盗人がまともな食事にありつけることなどめったにない。この数日どろろが口にしたのは、町で盗んだ握り飯に、道に生えている草とか葉っぱとか、蝗(いなご)、芋虫なんかの類だ。百鬼丸が焼く鮎は、久しぶりに見るご馳走だ。
 鮎の皮がじりじりと焼け、脂が滴る。
(もう食べ頃だ。それ以上焼くと、味が落ちる!)
 そうか、食べ頃か――
 どろろの心の声は、百鬼丸に届いていた。ひっそりと笑うと、百鬼丸は鮎を手に取って、口に運んだ。
 体を奪った四十八の魔物のうち、百鬼丸が今まで倒したのは十五体。
 取り戻した体の中に、歯があった。
 油が滴る鮎の身を歯で噛み切り、舌に乗せた。
(美味い!)
 一口食べた途端、百鬼丸は鮎の味に破顔した。
 もちろん今までにも鮎を食べたことがある。だが、偽物の舌では味を感じることができなかった百鬼丸には、食べるということは、生きるために必要なことで、それ以上でもそれ以下でもなかった。食べ物には、美味い不味いの違いがあるということは、知識として知っているが、経験したことはなかった。
 この数日、どろろを巻くのに必死だったから、舌を取り戻してから食べた物は、携帯食の強飯(こわいい)や、そこらに生えている紫蘇(しそ)、どくだみの葉っぱ程度だった。それでも、味わうことの喜びを感じたが、今食べている焼きたての鮎は、比べ物にならないくらい、美味い――
 食べる楽しさというものを、百鬼丸は初めて理解した。
 鮎は百鬼丸の好物のひとつとなった。
 夢中で一匹平らげると、もう一匹鮎にかぶりついた。こんなに美味いのなら、何匹でも食べられそうだ。
 だけど、食べすぎは体に良くない。
 百鬼丸の胃袋は、まだ寿海の作った偽物だから、空腹と満腹の違いがわからない。
 一度に食べる量はこれくらい――と、自制しなくては、際限なく食べてしまう。
 鮎は三匹だけ食べて、あとは我慢する。
(こんなに美味いんだったら、もっと食べさせてやりたかったな……)
 骨だけになった三匹の鮎を前に、百鬼丸は亡き友と、愛しい人を思う。
 百鬼丸が鮎を川から釣って帰ると、皆喜んで食べていた……
 百鬼丸は、草むらから身を乗り出さんばかりにこちらを見ているどろろに気配を向けた。もはや身を隠すことを忘れて、どろろは残った二匹の鮎だけを見つめている。
 食べ頃を教えてもらった礼だ――
「おい、どろろ!」
 百鬼丸はどろろに呼びかけた。
「ひゃっ!」
 鮎ばかりに気を取られていたどろろは、いきなり呼ばれてびっくりして、肩を震わせながら声を上げた。出会ってからずっと百鬼丸はどろろのことなど無視していたから、まさか呼ばれるとは思っていなかった。
「おまえも喰わねぇか」
 百鬼丸の申し出に、どろろは思わず草むらから出て来て、「いいのかい?」と尋ねた。
「俺一人じゃ余っちまう。もったいねぇから、おまえが喰え」
「そういうことなら、喰ってやらぁ」
 嬉々としてどろろは焚き火の前に座ると、遠慮なく鮎を手にとった。
「あち……あっち……こりゃ美味いや……ふう……ふう……」
 大きく口を開いて焼きたての鮎にかぶりつくどろろは、心の底から嬉しそうだ。
 うまそうに鮎を食べるどろろに、百鬼丸は胸の奥がきゅっと痛む。
 その痛みが嬉しいからなのか、哀しいからなのか、よくわからない。
 そんな百鬼丸の心を知らないどろろは、二匹の鮎を平らげると、足を投げ出し、満足そうに腹をさすった。
「あーうまかった。ごちそうさん。ありがとよ、あにき」
 あにき。
 どろろからの初めての呼び方に、百鬼丸は面食らった。大して親しくないのに、あにきと呼ばれると、なんだか気恥ずかしいような、奇妙な気分になる。
「俺はおまえのあにきじゃねぇ」
 と答えると、
「じゃあ、何て名前だい?」
 どろろはさらに突っ込んでくる。
 どろろと百鬼丸が出会ってから十日近くたっていたが、お互いの名を知らないままであった。
 名乗り合っていないから、当然と言えば当然だ。
 どろろは親から貰った名前を隠して生きてきたから、どろろが名前ではなく盗人のことだとは知らない百鬼丸の勘違いを訂正しなかったし、百鬼丸は百鬼丸で、自分の刀を狙う盗人に名乗る気は微塵もなかった。
 おまえに教える気はないとばかり、百鬼丸は心を閉ざす。
 しかし、それで諦めるどろろではなかった。
「なんだよう。教えてくれぇんなら、ずっとあにきって呼び続けるぞ。いいか、あにき。わかったか、あにき。よう、あにき、あにき、あにきってば!」
 あにきと連呼するどろろに、百鬼丸は聞こえないけど疎ましくなって、とうとう――
「百鬼丸だ」
 名を教えた。
「ひゃっきまる」
 どろろが百鬼丸の名を呟いた。
 その時、どろろの脳裏に百本の木が粘土細工のように、ぐにっと輪っかになっている絵が浮かんだのを、百鬼丸は敏感に感じ取った。
「違う! 百の木の丸じゃなくて、百の鬼の丸だ!」
 百鬼丸が即座にどろろの脳裏に浮かんだ名前の意味を否定すると、
「うん、わかったよ。百鬼丸のあにき!」
 どろろはにっこり笑って答えた。
 それが癪に触って、百鬼丸はむきになって否定する。
「俺はおまえのあにきじゃねぇって言ってるだろう! 第一、おまえは俺の刀をねらってらあ」
「そうそう。よく覚えてます。あと何日かでその刀はおいらのもんになる……」
 この子供、無邪気なのか、ずうずうしいのか。
いけしゃあしゃあと言うどろろに、百鬼丸は、
「勝手にしろっ!」
 と言うしかなかった。

 

 夜も更けて、十五夜の月は天高く上り、地上を明るく照らしていた。
 静かに流れる川の水面には、月がゆらゆらと映っている。
 焚き火を挟んで、どろろと百鬼丸は冷たく硬い砂利の上に横になった。
 間もなく、どろろは寝息を立てて眠りに落ちた。
 腹いっぱい焼き魚を食べて、久しぶりに飢えに苦しまずに眠れて、どろろは満足だ。
 百鬼丸のほうは、何故か眠れなかった。
 傍にいるのが盗人だから、安心して眠るというには無理がある。
 だけど、盗人への警戒心だけではない、どろろへの感情に百鬼丸は困惑していた。
 旅に出てから独りでいることのほうが当たり前だったから、寿海以外の誰かと二人きりでいるということが慣れない上に、刀を狙うどろろのことが煩わしい――はずだった。
 今だって、どろろが眠っている隙に、どこかに行けばいい。なのに、できない。どろろを置いて行くことが、悪いことでもしている気になってしまう。
 それどころか、どろろがいることに、不愉快ではない。安堵の気持ちさえある。
 それが百鬼丸には不思議だった。
(なんでだ? なんであいつのことが気になるんだ?)
 そうして眠れないまま、どのくらいの時がたっただろうか。
 焚き火の火は、いつしか勢いを失い、消えた。
 白い煙が細い筋となって夜の空に昇っていく。
 黄金の月の光だけが、旅人二人を照らす。

 

 

 ……ち……りーん……

 

 何か聞こえる……
 どろろの眠りを覚ましたのは、本当に微かな音だった。
 皓々と輝く十五夜の月の下、どろろは起きて周囲を見渡し、耳を澄ますと、川上のほうから音は聞こえてくる。

 

 ちりーん――

 

 鈴を鳴らすような音に、鈴虫でも鳴いているのかとどろろは思ったが、次第に大きくなってくる音は、虫の声のように儚げなものではなかった。

 

 ちりーん――
 ちりーん――
 ちりーん――

 

 金属が鳴るその音は、明確な意志を持って、誰かが鳴らしている。
 鈴の音?
 誰だ?
 誰が来る?
「あにき……あにき……なんか、変な音がするぜ」
 どろろは消えてしまった焚き火の向こうで寝ているはずの百鬼丸に声をかけると、百鬼丸はすでに起きていた。半身を起こし、厳しい表情で、川のほうをじっと見えない目で見つめていた。どろろの呼びかけに、何の反応もみせない。

 

 ちりーん――
 ざぶ――
 ちりーん――
 ざぶ――

 

 鈴の音と共に、川の中を歩いているのだろうか、水をかき分けて歩く音が聞こえる。
 月光の中で、闇に何かの影が浮かんだ。
 大きな人影。
 右手には、四弁の花を広げたような形の鈴を持っている。

 

 ちりーん――
 ちりーん――
 ちりりーん――

 

 水をかき分けながら川の中を歩く人影は、鈴を振りながら岸に上がってきた。
 どろろは目を見開き、息を飲んだ。
 川の中からぬっと現れたのは、人ではなかった。
 一見して、身の丈六尺はあろう大男だが、右の肩肌脱いだ小袖を纏った体は、枯れ枝のように細身で、しかも金色に朧に光っている。そして、華奢な体の割に、大きすぎる俵型の大きな頭。薄ら笑いしている顔には、無数のしわが横に刻まれ、瞳のない、白い小さな細い目は、皴の中に埋まっているように見えた。
「あ、あ、あ、妖怪!」
 どろろの喉から、かすれた声が漏れた。妖怪に出くわすのは、おたまじゃくしの化け物、人食い花に続いて三度目だが、まだ慣れない。度肝を抜かれるほど驚くのは、無理はない。
 岸に上がった黄金色に光る大男は、二人の方に近づいてきた。

 

 ちりん――

 

 一足歩くごとに、鈴が鳴る。
「あにき! 妖怪だ! 早く斬っちまえよ!」
 恐怖にかすれた声で、どろろは慌てて百鬼丸をけしかけるが、百鬼丸は座したまま、じっと大男のほうを向いたままだ。
「なんで刀抜かないんだよ? あにき!」
 百鬼丸が刀を抜く気配を見せないので、どろろは右手に小石を握った。大男がいつ襲ってきても、反撃できるように身構える。
 大男は百鬼丸の前で立ち止まると、覗き込むように百鬼丸に顔を近づけて、囁いた。
「やろうかぁ。やろうかぁ」
 大きな体の割に、か細い声だ。
 百鬼丸は答えた。
「くれるんなら、よこせ」
 百鬼丸の答えに、大男はさらに囁いた。
「……如月谷(きさらぎだに)……梅枝村(うめがえむら)……裏の……た…け……や……ぶ……」
 それだけ言うと、大男は今来た川へと引き返した。そして、川を歩いて鈴の音と共に彼方へと去っていった。

 

 ちりーん――
 ちりーん――
 ちりーん――
 ……ちりーん――

 

 

 日が昇り、雲ひとつない秋晴れの空の下、朝の挨拶でもしているかのように、ちゅちゅ、ちゅちゅと雀たちが可愛げに鳴き交わしながら飛んでいる。
 夜が明けきらないうちに、百鬼丸は川原を後にして歩き出した。朝飯も喰わないでと、ぶつぶつ文句を言いながら、どろろは慌てて百鬼丸の後ろをついていく。
「なあ、あにき。昨夜のあの変な奴、なんだ? 盗人……じゃないよな。体が光っていたし。妖怪だったよな? なんで斬っちまわなかったんだ?」
 夜中に突如現れた黄金色に光る大男の正体が何なのか、どろろは百鬼丸の背に向かって尋ねたが、返事はない。
 どろろの存在など認識していないかのように、ただ黙々と、無表情で百鬼丸は歩いている。
「ちぇっ。なんでぇ、真面目くさって」
 いくら話しかけても、百鬼丸が返事もしない、振り返りもしないので、どろろも口を噤んで黙々と歩いていたが、沈黙に耐えかねた口からは、小鳥が囀るかのように歌が漏れてきた。

 

  ただ何ごともかごとも
  夢幻や水の泡
  笹の葉に置く露の間に
  味気なの世や

 

 歌の文句は、子供が歌うには皮肉めいている。
 でも、明るく澄んだ歌声は、爽やかな風に乗って、青い空の上に漂う雲にまで届くようだ。
 だけど――
 百鬼丸にはその歌声は聞こえない。
 どろろの歌だけでなく、聞きたいと願い、二度と聞けない愛しい少女の歌も。
(みお……!)
 誰よりも愛しい、恋しい名を百鬼丸は心の中で叫んだ。
 口の中で、何も食べていないのに苦い味が広がった。
 百鬼丸の心知らず、どろろは歌う。

 

 夢幻や、南無三宝(なむさんぽう)
  くすむ人は見られぬ
  夢の夢の、夢の世を、うつつ顔して
  何せうぞ、くすんで
  一期は夢よ、ただ狂へ

 

 朝飯も食べずに歩き続けて、昼になるとさすがに腹が空いた。
 何か喰えるものでもないかと、どろろはきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていると、木の枝に絡まっている蔓から、紫色のあけびの実がぶら下がっているのを見つけた。
「やった! あけびだ!」
どろろはあけびがぶら下がっている木の下に駆け寄ると、手を伸ばして大きそうなのを一個もいだ。
 百鬼丸は、そんなどろろを置いて、どんどん行こうとする。
「おい、待てよ! 受け取れ!」
どろろは百鬼丸に声をかけると、もいだばかりのあけびを放り投げた。
 反射的に百鬼丸は両手であけびを受け止めた。
(なんだ?)
 怪訝そうな顔をする百鬼丸に、どろろは笑って言った。
「あけび、うめぇぞ」
言い終わる前に、どろろはもう一個もぎ、ふたつに割ってあけびにかぶりついた。
「うんめぇ! 甘い!」
 熟したあけびの白い果肉は、甘く、ぷるぷるに柔らかい。口に吸って甘みを堪能すると、ぷっと種を吐き出した。
 甘いと聞いて、百鬼丸もあけびを割った。
 甘い味は、まだ経験していない。恐る恐る、あけびの果肉を口に含み、舌の上に乗せる。果汁が溢れ、口の中いっぱいに広がる味に、百鬼丸は破顔した。
「美味い!」
「な?」
 それを見て、どろろはどうだと言わんばかりの笑みを浮かべる。
「種はかじるなよ、不味いからな」
 どろろの助言どおりに、百鬼丸はあけびの果肉だけを吸ってから、種を吐き出す。
 しばしの間、どろろと百鬼丸があけびの実を咀嚼する音、汁を啜る音、種を口から飛ばす音が響いた。
(これが、甘い……か)
 しみじみと甘露な味に感動しつつ、実を食べるのに夢中になって、うっかり皮もかじってしまった。
「うわっ!」
 あけびの皮の苦さに、百鬼丸は顔をしかめた。果肉はこんなに甘いのに、皮は喰えたもんじゃないと、渋い表情になる。
 どろろは人差し指を立てて、ちっちっと振りながら言った。
「あけびの皮は、苦いぜ。覚えておきな」
「もっと早く言え」

 

 

 和気あいあいとあけびを食べるどろろと百鬼丸を、誰も見ていない筈だった。
 近くに人の気配はない。
 だが、地を這う者が、少し離れた林の陰から二人をじっと見つめていた。
 見ているのは、誰か。
 地面に映る影は、細長い体の蛇の姿だ。
 しかし、鎌首もたげている蛇の頭はふたつ。
 ひとつの体にふたつの頭を持つ、双頭の蛇であった。
「あれあれ?」
 と左の頭の蛇が野太い声で言い、
「おやおや?」
 と右の頭の蛇が甲高い声で言う。
 妖魔を退け滅することができる刀を持つ少年と、刀を盗まんと欲する子供が、あけびを分け合って仲良く食べていることに、驚きの声を上げた。
「仲がいいな」
「仲がいいね」
 左右の蛇の頭が揃って言う。
「つまらん。仲良しになっているなんて」
「つまらない。仲良しになっているなんて」
 どろろと百鬼丸が険悪な関係になることを望む言葉には、明らかに悪意がこもっている。
 そして、どうやって二人の仲を引き裂こうかと話し合う。
「あの変成しそこないの龍女の体のことを、抜け殻の鬼の子に教えてやろうか。そうすれば、殺し合うに違いない」
 と左の頭が言えば、
「それは駄目。まだ早いよ」
 と右の頭が止める。
「まだ早いか」
「主さまは、長くお楽しみになりたいの」
「そうだな。楽しみは、長いほうが良い」
「見世物は、まだ始まったばかり」
「それに、もうすぐあのお方さまのお住まいが近くなる」
「そうそう」
「我らが差し出がましいことをしたら、お方さまに喰われてしまう」
「おお、怖い怖い」
 怖いと言いつつ、笑いを含んだ声は、さほど怖がっていないようだ。
「くふふふふ」
「うふふふふ」
 左右揃って無邪気に笑った後、
「お方さまにお任せしよう」
「そうしよう」
 結論が出たところで、双頭の蛇の影は地を這い、林の奥へと引っ込み、何処かへと姿を消した。

 

 

 あけびを完食すると、どろろは唇の片端をにやりと上げて言った。
「これで、貸し借りなしだ」
 あけびは、昨夜の鮎の礼か。
 案外、義理堅い――と百鬼丸が思っていたら、
「一宿一飯の恩義はちゃんと返したから、これで心置きなく、いつでも刀、盗れるぜ」
 そうどろろが言い放ったのには、呆れた。
 腹も満たされて、再び歩き出したどろろと百鬼丸。
 それからは、休みもとらずにずんずん歩いて、歩いて、ようやく百鬼丸が立ち止まったのは、日が西に傾きかけた頃。
 そこは山の谷間にある、小さな村の入り口だった。
 梅枝村と彫られている木の板が、木の棒に打ち付けられていた。
 村に入ると、道なりに見上げるばかりに大きな梅の木が植えられていた。
 何本も、何本も、数えきれないほどの梅の木に、春ならば、さぞかし花が見頃であろうと思われる。
 が、季節は秋。花も葉もない。日が陰ってきて、黒く艶のある細い枝が茜色の空に伸びる姿は、何だか恐ろしい。
 ただの木の枝なのに、なんで怖く見えるのか、どろろは不気味に思う。
(この村に、妖怪……がいるのか? だから、こんなに怖いのか?)
 蔓の妖怪に喰われかけた経験があるから、どろろは内心びくびくしていた。
「なあ、あにき……この村……なんか薄気味悪い」
 どろろが言っても、百鬼丸は答えない。
 百鬼丸のほうは、平然としている。
 そのまま黙って歩いていると、

 

 とんとん――
 からり――
 とん――
 からり――

 

 家々からは、乾いた木が軽妙に当たる音が聞こえてきた。
 規則正しく鳴る音に、機織りしている音だと、どろろにはわかった。

 

 とんとん――
 からり――
 とん――
 からり――

 

 この村では織物が盛んなのであろう。機を織る音は、あちらこちらから聞こえてくる。
 道の向こうから、三十前後の痩せた背の高い男と、やや小太りで背の低い男が、談笑しながら道を歩いているのが見えた。
「うちの分は、今日中には織り上がるぞ」
「それじゃあ、明日にでも町に売りに行けるな」
 商売の話でもしている男たちの着ている小袖は、こざっぱりとしていて、それほど着古した感じはしない。衣を買い替える余裕があるくらい、この村は豊かなのであろう。
(一仕事できそうだな)
 怖いのも忘れて、どろろはにやりと笑う。仕事というのは、もちろん盗みだ。
 貧しい者からは盗らず、金を持っている者から盗る。
 これがどろろの盗人としての信条だ。
 まだ百鬼丸の刀は盗れそうにないから、とりあえず、この村で一仕事しようかとどろろが企んでいると、男たちがどろろと百鬼丸に気づいた。立ち止まり、怪訝そうな顔で二人を見る。
 みすぼらしい格好の、見知らぬ子供が二人。一人は刀を腰に差している。これは怪しいと、よそ者を警戒している。
 男たちは、恐る恐るどろろと百鬼丸のほうに近寄って来た。
 おずおずと、背の高い男が尋ねた。
「おめえさんたち、旅のお方かね」
「そうだよ」
 と、どろろが答え、
「ここは、如月谷の梅枝村か?」
 百鬼丸が村の名を尋ねると、背の高い男は戸惑った風に答えた。
「そ、そうだが……」
 小太りの男がさらに聞いた。
「……妙なことを聞くが、おめえさんたち、鈴を持った奴を見なかったか?」
 鈴を持った男――昨夜の大男のことか。
「ああ、見たよ。ちりんちりんと鈴を鳴らしながら歩いていた、でかい大男だった。だけど、おいらが睨んだら、さっさと逃げちまったぜ」
 どろろが胸を張って得意そうに答えた。その途端――男たちの顔色が変わった。
「なんだって?」
「そりゃ、金小僧(かねこぞう)だ!」
 青ざめた顔で、男たちは揃って悲鳴を上げる。
 男たちの狼狽ぶりに、どろろは訳がわからない。鈴を持った大男を見たことぐらいで、どうしてこんなに驚くのか。
 百鬼丸のほうは、変わらず無表情だ。
「おおぉーい、みんなぁ! 金小僧だ! 金小僧が出たぞぉーっ!」
 痩せた男が大声で呼びかけると、機を織る音が一斉に止まった。そして、家々から老若男女を問わず、村人たちが出てきた。
「金小僧だって?」
「金小僧が出たのか?」
「大変だわ!」
「戸締りをしろ!」
「女子供は、家から出るな!」
「坊や、家に入って!」
 悲鳴と怒号が響き、村中がてんやわんやと大騒ぎになる。
「な、なんだい……」
 どろろと百鬼丸が出くわした大男――金小僧というらしい――を、どうして村人たちはこんなに恐れおののいているのか。
 そして、ますます訳がわからないのは、
「おい、皆の衆! こいつらをふんじばれ!」
「万代(ばんだい)さまのお屋敷へ引っ立てろ!」
 村人たちが、一斉に襲いかかって、自分たちを捕まえたことだ。
「おい、どうしておいらたちを縛るんだよ!」
 当然どろろは大きな声を上げて抗議する。
 だが、どろろがいくら喚いても、村人達は有無を言わせず、縄できりきりと後ろ手に縛りあげた。
 捕らわれたどろろと百鬼丸は、村人たちに牛馬のように縄で引っ張られていく。
「なんだよーっ! ふざけんな! いきなりひとを縛りやがって! おいらたちが何をしたっていうんだい! まだ盗ってないのに!」
 大声で喚き、不当な拘束に文句を言うどろろとは反対に、百鬼丸のほうはがっくりと首をうなだれている。その姿は、村人たちには哀れな囚人に見えたが――
 どこかに連れて行かれる道中、うなだれている百鬼丸の顔を見上げたどろろは、思わず喚くのをやめた。
 百鬼丸は、笑っていた。
 咎なく縛られているにも関わらず、唇には薄ら笑いを浮かべていた。
 とても嬉しそうに。
 声を出すことができたなら、笑い声を上げていたかもしれない。
「あにき……」
 何故笑っていられる?
 百鬼丸の顔に浮かぶ凶暴な笑みを見て、どろろは背筋が凍る。
(どろろ……)
 ふいに、頭の中で百鬼丸の声が響いた。
 百鬼丸は口を堅く閉ざし、顔を俯いているので、村人たちには百鬼丸の心の声には聞こえない。
 百鬼丸は、どろろにだけ心の声で話しかけているのだ。
(おまえは何も喋るな)
「へ?」
(何を聞かれても、知らないと言え。いいな)
 それだけ伝えると、それっきり百鬼丸は心を閉ざし、どろろに詳しい理由を語ることはしなかった。

 

 

 どろろと百鬼丸が連れてこられたのは、村のはずれにある屋敷だった。
 それは、山奥の谷間の村には不似合いなほど大きな屋敷だった。
 門をくぐると、公家の屋敷のように中央に大きな母屋があり、左右に対の屋がそれぞれ配置され、渡殿で繋がっている。
 屋敷の中に入り、長い廊下を歩いたずっと奥の間まで来ると、妻戸の前には萌黄色(もえぎいろ)の小袖に梔子色(くちなしいろ)の打掛を羽織った女が座っていた。
 白粉を顔に塗りたくっているので、唇に引いた紅が一層赤く見える。
 どろろと百鬼丸を連れた村人たちに気づくと、女は「この汚い小僧らは、何者?」と言いたげに口を開きかけたが、すぐに口を閉ざし、切れ長の目をいっそう細くして凝視する。
 村人が女に声をかけた。
「右近(うこん)さま、万代さまにお取次ぎを」
「金小僧を見たやつらです」
 村人たちの言葉に、右近と呼ばれた女は、なるほどと頷くと、戸の向こうに声をかけた。
「お方さま――」
 右近は気取った声で来訪者の訪れを告げる。
「村の者たちが、怪しい者どもを連れて参りました」
「ご苦労さま。目通りを許します」
 右近の呼びかけに、部屋から落ち着いた艶のある女の声が聞こえた。
 右近が妻戸を開けると、部屋で焚いている香(こう)の甘い香りがどろろの鼻をくすぐった。その匂いは、秋には咲かない花の香りに似ていた。
花に例えるならば、満開に咲く梅の香りだ。
 部屋の奥に、四方に帳を垂らした御帳台があった。御帳台の中には、寝具の上で半身を起こした女がいた。
 具合が悪いのか、女は体に衾(ふすま)を引きかけ、大きくてぶ厚い柔らかそうな布の枕に背をもたれかけたまま、どろろと百鬼丸に顔を向けた。
(あっ……!)
 どろろは思わず叫び出しそうになった。灯火に映る女の顔が、あまりに美しかったから。
 年の頃は三十前後か。
 白の衣を重ね着ているからか、青ざめた顔の白さが際立っている。
 形のよい柳の眉に、綺麗に通った鼻筋、黒く濡れたような瞳は、どこか愁いを帯びていて、紅を薄く差した唇は、花びらを思わせる。
 額髪は顔の線に沿ってゆらゆらとこぼれかかり、後ろ髪は身の丈よりも長く豊かで、ほんの一筋も乱れなく黒々として艶やかだ。
 臥せっているとはいえ、女の容姿は少しも病み衰えた感じはない。物腰や風情は、あくまでも気高く、こちらが恥ずかしくなるくらい品があって、艶めかしく、美しさは類ない。まるで、匂い立つ白梅の花が咲きこぼれるようだ。
 しかし――
 ただの綺麗な女というには、得体のしれない気配をどろろは感じていた。
 何と言ったらいいのかわからないが、綺麗すぎて怖い。
 この世の者ではないような……背筋が冷たくなるような、凄まじい感じがしてならない。
 どろろと百鬼丸は、拘束されたまま、冷たい床に座らせられた。
「万代さま、金小僧を見たという者たちを連れて来ました」
 村人たちは膝をついて、うやうやしく女に頭を垂れて告げた。
 この女が屋敷の主、万代であった。
「お気の毒に……でも、縄を解いてあげるわけにはいきませぬ」
 万代は縛られたどろろと百鬼丸を見て、痛まし気に口を開いた。
 鈴を転がすような声に、村人たちはうっとりとする。鼻の下を伸ばし、頬が緩む。
(おっかちゃん!)
 どろろも優しく声をかけられて、我知らず、万代に母の面影を重ねた。
 だが、
「訳を聞こうか……」
 目も見えず、耳も聞こえない百鬼丸は、女の美貌と声に惑わされることなく、冷静に自分たちを捕らえた訳を尋ねる。
「あなたたちが見た鈴を持った男は、金小僧と言って、人ではありません」
「ふぇっ! 人じゃない? じゃあ、妖怪?」
 万代の言葉に、どろろが驚いてすっとんきょうな声を出す。昨夜の大男が、やっぱり妖怪だったとわかると、今さらながらに驚きが蘇る。
 万代は頷き、重々しく言った。
「そう……物怪(もののけ)です。今までに、この村の者や旅人が、何人も金小僧を見ています。金小僧は、あなたたちのどちらかに話しかけたはずです。どんなことを言いましたか? 教えてください」
「……おいらぁ、なんにも聞かなかったよ」
 万代の問いに、どろろは先程百鬼丸に言われた通り、何も知らないと、首を横に振った。
「そちらの方は?」
 次に万代は百鬼丸に尋ねたが、百鬼丸は黙っていた。「早くお答えしろ!」と百鬼丸の縄尻を持った村人が、いらいらと怒鳴りつける。
 それでも中々百鬼丸は答えなかった。じっと見えない目で万代を長いこと見つめて、ようやく答えた。
「知らねぇ……俺は、何も聞かなかった」
「知らないはずはありません。正直に言わなければ、縄は解いてあげませんよ」
 万代は重ねて問うが、百鬼丸は知らないと答えた。
「さあ、おっしゃい。隠しても、あなたがたには何の得にもなりませんよ」
「知らねぇものは、知らねぇ」
 万代が何度問うても、百鬼丸の答えは変わらなかった。
「しかたがないこと」
 埒があかないと判断した万代は、村人たちに命じた。
「いつものように、井戸の小屋へ閉じ込めておきなさい」

 

 

 

2019年9月 7日 (土)

次回予告 万代の巻

 十五夜の月が輝く夜、鈴が鳴る……
 鈴の音に導かれてどろろと百鬼丸が訪れたのは、世にも美しき女人が治める村だった。
 作物が実り、村の特産品も売れて豊かな村は、この世の極楽浄土かまほろばか。
 だが、人に仇なす化け物が、村に暗い影を落としていた。
 どろろと百鬼丸の戦いが、今始まる。

 

 次回『どろろ百鬼繚乱草紙』まれびとの章 万代(ばんだい)の巻

 

  面影は菩薩のごとき万代のそのうつし身は変化のものか

 

「やろうかぁ……やろうかぁ……」

 

 

どろろの巻あとがき

 やっと二人が出会った。
 倒すべき魔物が十二の鬼神に変更になったアニメの方は、とっくに鬼神退治が終わって体を全て取り戻し、主人公二人は新たな旅へと旅立った。
 こちらの創作二次小説は、これからが本番。

 

 どろろの巻は、原作の百鬼丸の巻の主人公たちの出会いをメインにしている。
 いじめられているどろろを百鬼丸が助け、刀を狙ってつきまとうどろろを追い払うために身の上を話すという、出会いの基本は原作と一緒である。
 現在進行形にアレンジしているので、すでに前の巻で書いた百鬼丸の生い立ちやみおとの出会いを改めて百鬼丸が語ると、蛇足になりかねないので、全てどろろに語ることはしなかった。
 どろろがみおたちのことを知るのは、もう少し後になる。

 

 原作からの変更点は、原作のゴミ妖怪を、おたまじゃくしもどきの化け物にしたことである。
 原作通りゴミ妖怪のままでは、原作や虫プロ版アニメの緩やかな動きの中の怖さ、「どろろと百鬼丸伝」の死霊がとりついたゴミのぬるぬる感、カラー版アニメの泥鬼のスピーディな動きを文章で表現するのはできない。
たとえ書けたとしても、先行作品とまるきり同じだと二番煎じになってつまらないので、変更した。
 どろろに襲いかかる草も、草だけでは地味な感じがしたので、イメージとして蘭の花の妖怪に変更した。
 どちらも手塚アニメのメタモルフォーゼを意識したつもりだが、文章で手塚アニメの変身シーンを再現するのは難しい。
 アクションシーンも脳内再生したとおりに書けなかったのは、心残り。
 精進あるのみ。

 

 今回のどろろの巻では、百鬼丸は四十八の魔物の一体であるおたまじゃくしの化け物から舌を取り戻したが、原作や虫プロ版アニメ、リブート版コミックス「どろろと百鬼丸伝」では、ゴミに死霊がとりついただけなので、百鬼丸は何も取り戻せていない。
 辻真先版小説や映画、カラー版アニメ、SFリブートコミックス版の「サーチアンドデストロイ」では、主人公二人が出会った際に、体を取り戻している。
 出会いの際に、百鬼丸が魔物を退治して体を取り戻した場面をどろろが目撃するという設定は、読者・視聴者としても衝撃が強い。
 辻版小説では声、映画では右足、カラー版アニメでは皮膚、「サーチアンドデストロイ」では舌を取り戻している。
 どろろの巻で百鬼丸が取り戻す体の部位は、先行作品と被らないようにしたかったが、次の巻で舌を取り戻した後の百鬼丸を書きたかったので、当初考えていたとおり舌にした。
 「サーチアンドデストロイ」で舌を取り戻すシーンが描かれていたので、正直言って、「テヅコミ」創刊前から創作二次小説を考え、書いているこちらとしては、先を越された感いっぱいである。
 「テヅコミ」買わなきゃよかったとまで思ったが、やっぱり「サーチアンドデストロイ」面白いので、さっさと執筆しなかった自分の遅筆を恨むばかりなり。

 

 この巻で、どろろはどろろと名づけられた。
 どろろが本名だった原作とは違って、この創作二次小説では親からつけてもらった名前は別にあるので、どうやってどろろと呼ばれるようになったかを考えた。
 映画では名無しの盗賊だったどろろは、妖怪小僧の意味であるどろろの名前の響きが気にいって自分の呼び名にした。
 原作者である手塚治虫は、息子か息子の友達が「どろぼうのことを片言でどろろうと言ったのをヒント」に主人公の名前をどろろにした。
 鳥海尽三版小説でも、「どろろうと言った」エピソードを取り入れて、幼い頃に孤児になって親からつけてもらった名前を憶えていなかったから、どろろという名前になったことになっている。
 どろろの名前には泥棒の意味を込めたかったが、「どろろうと言った」からどろろという名前になったという設定をそのまま使わず、二人が出会った場所では、盗人のことをどろろと言い、出会った時、どろろと呼ばれていたからそれが名前だと百鬼丸が勘違いしたという設定にした。
 ちなみにネットで調べた限り、泥棒のことをどろろという所は現実にはないので念のため。
 いずれにせよ、本名であろうとあだ名であろうと、タイトルロールであり、もう一人の主人公で、運命の相手となるのだから、百鬼丸が呼ぶ名前は、どろろでなければならない。

 

 次巻からは原作通りに書くのだが、アニメやリブート作では大いに設定変更されているので、面白くなれば変えてもいいかな、という気になっている。
 これまでさんざんオリジナルキャラと設定入れて書いておいてなんだが。
 とりあえず、原作を尊重するか、自分の創作意欲の赴くままに書くかは、書いてみないとわからない。

 

 

 *参考文献
『宙ノ名前』林完次 光琳社出版

 

『「空のカタチ」の秘密』ビジュアルだいわ文庫 竹田康男 大和書房

 

『新版月と暮らす。月を知り、月のリズムで』藤井旭 誠文堂新光社

 

『幻想世界の住人たちⅣ〈日本編〉』新紀元文庫 多田克己 新紀元社

 

『図説日本未確認生物事典』角川ソフィア文庫 笠間良彦 KADOKAWA

 

 

 

 

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章15

   どろろの巻後編
「ふーっ……」
 百鬼丸の義手を腕に抱いて川原に逃げていたどろろは、おたまじゃくしの化け物が退治されたのを見て、やっと安堵の溜め息をついた。
 危機は去った。
 もう安心だと思った途端、恐怖は消えた。
(すげぇや。あの化け物をあっという間に倒しちまった。あいつ、何者だ?)
 大抵の者なら、両腕に刀を生やした少年に抱くのは、畏怖や奇異だ。しかし、どろろは並の子供ではなかった。怯えた心を抱く代わりに、好奇心がむくむくと湧いた。
 百鬼丸はおたまじゃくしの化け物の息の根を止めると、川から上がり、どろろの方に近づいてきた。
 百鬼丸はどろろの前で立ち止まると、黙って右の刀の切っ先をどろろに向けた。
「ひっ」
 白銀に光る刀の鋭さを間近に見て、どろろは思わず怯んだ。
 斬られるのかと思ったが、百鬼丸は短く告げた。
「俺の腕」
 百鬼丸は義手を返せと言っているのだとわかり、どろろは怖がった自分が恥ずかしく、照れ臭いので、
「なんだよ、それならそうと言えよ。いきなり刀向けることないだろ」
 と、ぶつぶつ言いながらも、刀が収めやすいように、義手の断面を百鬼丸に向けた。
 百鬼丸は左右順に義手の鯉口の部分に刀を差し入れてはめると、何度か手を握っては広げた。
 そうして双剣が鞘である義手に収まると、百鬼丸は両腕に刀を生やした鬼ではなく、人にしか見えない。
 他人の顔の美醜なんかどうでもいいと思っているどろろであったが、こうして近くで百鬼丸の見ると、整った顔立ちに思わず惚れ惚れする。涼しげな切れ長の目と、綺麗に通った鼻筋は、少女のような顔でいて、凛々しさが冴えわたる。
 だけど――十五くらいの年頃にしては、どこか暗い、深淵の闇を感じさせる。
 月も星もない夜の空よりも暗い、漆黒の闇。
 どうしてこんなに暗い、深い闇を纏えるのだろう。そして、闇の中に何が潜んでいるのだろう――普通なら怖気づく百鬼丸の闇に、どろろは興味が湧いた。

 

 わからなかった。
 百鬼丸への興味が、思いが、本当は何と呼ぶのか、この時のどろろには、まだわからなかった。

 

 我知らず、どろろがじっと百鬼丸を見ていたその時、急に百鬼丸は両手で口元を覆って苦しみ出した。
「な……なんだ? どうしたんだ?」
 百鬼丸は整った顔に苦悶の表情を浮かべていた。だが、呻き声も出さずに口元を抑えながら、絶叫するかのように喉をのけぞらせた。
「あああああああぁっ!」
 どろろは凄まじい叫び声を聞いた。耳で聞いたのではない。それでも確かに聞こえた。頭の中に直接響いたのは、百鬼丸の声。
 そして、百鬼丸は両手をついて膝をつき、口から何かを吐き出した。
 川原に吐き出されたのは、薄紅色の塊。
 それは、舌だった。
「わあっ! 舌が、舌が千切れた!」
 百鬼丸がおたまじゃくしの化け物の舌を斬ったから、祟られて舌がとれちまったのかと、どろろは思った。
 驚愕と困惑に立ちすくむどろろをよそに、百鬼丸は大きく息をするように肩を上下していたが、やがてゆっくりと立ち上がった。
 さっきまで苦痛に悶えていたのに、平然と、何でもない顔をしている。
 いや、百鬼丸の顔には、明るい、喜びの表情が浮かんでいた。
「だ……大丈夫なのかよ? 舌取れちまって、痛くねぇのか?」
 一応命の恩人だから、どろろは百鬼丸を気遣うように声をかけた。だけど、恐る恐るといった感じは隠せない。
 驚くのも無理ないと、百鬼丸はほろ苦く思う。
 それまでの純粋な喜びの笑みは消え、すぐに自虐的な微笑みに変わった。
 舌が取れてしまったせいで、こんな怖い顔して笑うのかとどろろは思い、下を向いて百鬼丸が吐き出した舌を見た。
「えっ?」
 どろろは唖然とした。百鬼丸が吐き出した舌は、薄紅色だったはずなのに、木苺のような透けた鮮やかな赤になっていた。続いて燃える炎のように輝く赤に色が変わる。
 色が変わっただけではない。柔らかな舌は、石のように固くなっていく。
 そして、とうとう舌は真紅の石となった。
 舌の形そのままで石と化したので、人が作った細工物としか思えない。とてもさっきまで生の肉の塊であったとは、誰も信じないだろう。
 思わず手を伸ばして、どろろが石化した舌を拾おうとした時、

 

 ぴきっ――

 

 石化した舌に、一筋のひびが入った。

 

 ぴきぴきぴきっ――

 

 ひびは音を立てながら、蜘蛛の巣が広がるように次々と広がっていく。
 そして、表面から内部までひびが入った舌は、

 

 ぱりん――

 

 一瞬にして砕けて、砂となった。
 その時、風が吹いた。
 真紅の砂は、どこからともなく吹いた風に吹かれて形が崩れた。そして、風に舞い散って、跡形もなくなった。
「なんだ? なんだ? なんだ?」
 どろろは百鬼丸と舌があった地面を交互に見比べた。百鬼丸は変わらず平然としている。
 百鬼丸はどろろを、自分を嘲笑うかのように、べーと舌を出した。
 血色のよい綺麗な舌を見て、どろろは呆気にとられた。
「舌がある……」
「今までの舌は、役目を終えた。だから消えた」
「へ?」
 百鬼丸の説明に、訳がわからないどろろ。
「これが、俺の本来の舌だ。あの化け物は、俺から舌を奪った魔物だ。俺は化け物から俺の体を取り戻した。今までの舌は、役目を終えたから消えたんだ」
 どろろは、目を丸くして百鬼丸の話を聞いている。どこまで理解したのかわからないが、百鬼丸はこれ以上詳しい話をする気はなかった。
 四十八の魔物を倒し、百鬼丸が体を取り戻したところを目撃して、喜んでくれたのは寿海だけだった。後は皆、魔物から助けてもらったことも忘れ、百鬼丸を恐れおののいた。
 どろろだって、化け物に襲われて、怖かったはずだ。たまたま助けただけの子供を、これ以上怖がらせて何になる。
 久しぶりに体の一部を取り戻して気分がいいのに、化け物と罵られて怖がられるのは、不愉快だ。
「化け物は倒したから、もう大丈夫だぞ、どろろ。さあ、どこへでも行っちまいな」
 これっきり、どろろとは会うこともないだろう――百鬼丸はさっさと歩き出した。どこかで濡れた衣と体を乾かさないと思いながら、百鬼丸はもうどろろのことなど頭の隅にもなかった。
 後に残されたどろろは、びしょ濡れのまま、ぽつんと立ち尽くし、百鬼丸の後姿を見送っていた。

 

 

 再び歩き出した百鬼丸。
 その後ろをつけてくるのは、死霊か、妖怪か、魑魅魍魎か。
 だが。
 今は別の者が百鬼丸の後をついて来ていた。
 近すぎず、遠すぎず、距離を取って百鬼丸をつけるのは……
 
「どうしてついて来るんだ?」
 秋の陽は短い。
 今日もまた陽は沈み逝こうとしていた。
 赤い夕日に照らされて、百鬼丸の影が道に伸びている。
 その少し離れた後ろには、百鬼丸のよりは小さな影がついていく。
 影の主は、どろろだった。
 どろろが百鬼丸の後を追いかけていたのだ。
 後をつけているのが妖怪ではなく、どろろだと気づくと、百鬼丸は驚いた。化け物に喰われかけたというのに、腕が外れて刀を生やした鬼を見たというのに、何故どろろはついて来る? 子供の好奇心か?
 昼過ぎから夕方まで歩いているうちに、百鬼丸もどろろも濡れた衣は乾いていたが、そんなに長い時間、なぜついてきたという疑問が百鬼丸の心にいっぱいになる。
 どろろの意図がわからず、百鬼丸はとうとう立ち止まって、どろろに聞いた。
「へへへのへへへのへへへのへ。ちょっくら用があっから、ついて来るんだよ」
 どろろは百鬼丸の前に駆け寄ってくると、にっと笑って、百鬼丸の腕を指さして言った。
「おめえのその腕にくっついている刀よぉ。あの切れ味はよほどの名刀と睨んだが、どうだい?」
 何を言い出すかと思ったら、どろろは百鬼丸の腕に仕込まれた刀のことを口にしたので、百鬼丸は、おまえに関係ないことだと言わんばかりの表情を浮かべる。
 睨みつけられても、どろろに怖気づいた様子はない。
 それどころか、どろろは百鬼丸が仰天するようなことを言ってのけた。
「あの切れ味見たら、痺れたよ。その刀、貰おうと思ってさ」
「何? もらうだと? おまえがこの刀を? 冗談じゃねぇ」
 どろろの台詞は、野盗に襲われようと、死霊妖怪につきまとわれようと、いつも冷静さを失わなかった百鬼丸を唖然とさせるのに充分であった。
 どろろの方は、自信たっぷりに百鬼丸を見上げて言った。
「おいらは天下一の大盗賊だぜ。一旦狙ったものは、雨が降ろうが、槍が降ろうが、盗らなきゃ大盗賊の名が廃るんだい」
 大口もここまで叩けば、怒りを通り越して感心してしまう。百鬼丸はどろろを諦めさせるために、説得を試みた。
「ふざけるな。この刀は俺の腕にくっついているんだぞ。盗ろうったって、盗れやしねぇよ。諦めな」
 しかし、どろろは聞く耳を持たない。
「そうはいかねえ。きっと取ってみせるぜ。おめえが眠っている間とかに、すらっと盗ってみせらぁ」
「どろろ、俺の後ろにくっついていると、ろくなことはないぞ」
「てやんでぇ。そんな脅しに引き下がるおいらじゃねぇやい」
「俺には妖怪がつきまとっているんだぞ。俺に関わったら、命がないぞ。さっき川で見たろう! あんなのが、いつも俺を狙っているんだ!」
 さっきのおたまじゃくしの化け物に襲われた恐怖を思い出したのか、どろろは一瞬びくっと肩を震わせた。
 だけど、すぐに陽気に答える。
「へ、へーん。あんなもん、怖がってたら、仕事ができるかってんだい」
 いくら言ってもどろろは諦める様子はなかった。どろろの図太さに説得する気が失せた百鬼丸は、もうどろろを無視することに決めた。一応、「ついてくるな!」と釘を刺しておいたが、無駄である。ひょこひょこと、どろろはついてくる。
 こちらのほうに来たのは凶だった。
 四十八の魔物に出くわして、舌を取り戻したはいいが、まさか子供の盗人につきまとわれるとは。
 百鬼丸は別の道を行けばよかったと、後悔していた。

 

 妖怪だけでもうんざりしているのに、刀を盗ろうと子供までがつきまとうので、苛立たしい百鬼丸とは反対に、いい獲物が見つかったと、足取り軽く歩くどろろ。
 だが、どろろの足を止めるものがあった。
「ん? 何だ?」
 蓬々(ほうほう)に生えた草の間から、さやさやと密やかな音を立てて蔓が伸び、どろろの足に巻きついた。そして、どろろを地面に引き倒した蔓は、どろろの手に、足に、体に、蛇のように絡みついてくる。
 蔓には拳ほどの大きさの蕾があった。毒々しいまでの赤紫色の蕾は、みるみるうちに大きく膨らんで、赤子の頭ほどの大きさの花を咲かせた。
 広げた蝶の羽のような、四枚の花弁の花だ。肉厚の花弁の中央には、小さな鋭い牙が、びっしりと生えている。開いた花の姿は、まるでどろろを喰おうとするかのよう――いや、喰おうとしている。
 花は大きく花弁を広げ、蔓茎を伸ばしてどろろに迫った。
「わわわわわっ!」
妖怪!
「言わんこっちゃねぇ!」
 百鬼丸が駆けつけ、どろろを捕らえる蔓を、右腕の刀で薙ぎ払った。
 続いて百鬼丸は花を斬り落とした。
「きゃああああああっ!」
 女のような甲高い声で、花は絶叫した。
 地面に落ちた赤紫の花は、みるみるうちに茶色に色が変わり、萎びて枯れ果てた。
「わあーん! わあーあーあーあー」
 妖怪花に襲われて、さすがに怖かったのか、どろろが声を上げて泣き出した。そうやって泣いていると、歳相応の子供らしく思えて、百鬼丸の情け心を動かした。
「泣くな。泣くな……だから言ったんだ」
 しかし、百鬼丸が慰めた途端、どろろは泣きやんで、けろりと笑い出した。
「へへへのへ……」
 百鬼丸は、少しでもどろろに可愛げのあるところがあると思った自分を罵倒した。
(甘かった……!)
 百鬼丸の堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしろ! おまえにかまっているほど、俺は暇でも物好きでもねぇ!」
 どろろを追い払うため、百鬼丸は決めた。
「いいか、どろろ! これをよく見ろ!」
 百鬼丸は両手で目の辺りを覆い、続いてどろろに掌を差し出して見せた。
 百鬼丸の気迫に、どろろは訳が判らないまま、百鬼丸の掌に目を向けた。
「わーっ! 目、目が……」
 百鬼丸の掌にあったのは、ふたつの目玉。
 百鬼丸の顔を見ると、目玉があった所に虚ろな穴が穿たれている。
「どうだ。驚いたろう、どろろ」
 地面に座り込んだどろろに、百鬼丸が可笑しさをこらえながら言う。
「これで俺が盲目だってことが判っただろう……その目は入れ目だ。ほんの飾りさ。だが、おまえが今何をしているか、ちゃんと判るぜ」
 驚きのあまり、声も出ないどろろに、百鬼丸はさらに追い撃ちをかけるように告げた。
「目だけじゃねぇ……この耳も、舌と同じで、秘術で作られた作りもんさ。ほんとは、おまえの声は聞こえねぇんだけど……おまえが言おうとしていることは、俺の頭に感じるんだ。だから、耳があるのと同じさ」
(……ば、化け物……)
 どろろの心に浮かんだのは、人ではないものに対する言葉。
「化け物か……確かにその通りだな……赤子の時は、人とは言えなかったし……」
 どろろが何も言っていないのに、百鬼丸はどろろの声が聞こえたかのように呟く。百鬼丸の言うとおり、百鬼丸は心を読み取ることができるのだと、どろろは理解した。
 百鬼丸は義眼を眼窩に戻すと、どろろに向かって告げた。
「この手も、足も、目も、耳も、鼻も、全部作り物だ……俺の体は、四十八か所が作り物でできている……」
 すっかり怖気づいたどろろに、百鬼丸は呪われた身の上を語り始めるのだった。

 

 

「俺はな……赤子の時、盥に乗ってどっかから流されてきたんだそうだ……」

 

 その時、どろろの脳裏に色々な草が生えている川辺が浮かんだ。まるで、その場にいて、見えているかのように――
 続いて見えたのは、顔はわからないが、体の大きな男。
 男は何か大事そうに抱えている。

 

「俺を拾ってくれたのは、寿海という医者だった……薬草を摘みにきて、俺を見つけてくれたのさ」

 

 男が腕に抱えているのは、生まれて間もない、だけど瀕死の状態の赤子だ。
 赤子には手も足も無かった。丸い小さな頭には、本来は目や耳や鼻や唇があるべきところに、ぽこりと穴が開いている。
 無残な姿に、とても人の赤子とは思えない。だけど、どろろは赤子だとわかった。赤子以外の何者でもないと。

 

「寿海は、立派な学問と腕を持っていた医者だった。泣くこともできない、体中ないとこだらけの俺に、秘薬で五臓六腑を作って俺の命を救って育ててくれた。そして、俺が三つの年に、俺の目が見えなくても、耳が聞こえなくても、周りのことがわかること、声を使わなくても人の心に語りかけることができることに気づいて、義手や義足、義眼を夜も寝ずに作ってくれた……」

 

 どろろの脳裏に、一人の子供の姿がぼんやりと浮かんだ。
 体中が作り物の、だけど生きようと懸命に立ち、よろよろと歩いている男の子。
 歩くのもやっとの男の子は、やがて元気に走り始めた……

 

「寿海のおかげで、俺は人として生きることができるようになった。あの人は俺の恩人だ。俺はあの人が本当の父のように思えたし、あの人も俺を心から慈しんでくれた。あの人に拾われて、あの人に育てて貰えて俺は幸運だった」
 それまで無表情だった百鬼丸の顔に、懐かしむような、穏やかな柔らかい表情が浮かんだ。それは養父への親愛や敬愛の念からくるものだと、どろろはすぐにわかった。
「拾ってくれたおとっちゃんのこと、本当に大好きだったんだな」
 どろろの言葉に、微笑みを浮かべて百鬼丸は素直に頷いた。旅に出る前までは、一番好きなのは誰かと問われれば、寿海だった。旅に出てからは、寿海と同じくらい、いいや、それ以上に好きな人と出会い、守りたい、幸せにしたいと願い、誓ったが……
 百鬼丸は微笑みを消し、すぐに硬い表情で話を続けた。
「だけど……」

 

 どろろは見えたような気がした。小さな庵の周囲に、何やら得体のしれない物が潜んでいるのを。
 庵の外だけではない、鳥とも獣とも虫ともつかぬ、異形の物が部屋のあちらこちらにいる。

 

「いつしか妖怪が俺につきまとうようになった。俺が他の子供と同じ姿でいるのが気に入らないと、散々嫌がらせをしやがった。そこで護符として、寿海は空から堕ちてきた星の欠片で打った刀を俺にくれた」
「おめえの腕にくっついている刀が、星の欠片で作った刀だな! ただの刀じゃねぇと思っていたが、やっぱりかなりの名刀なんだ! おいら、わかってたぜ」
 百鬼丸の両腕に仕込まれた刀が、空から堕ちてきた星の欠片で打った名刀と知り、神妙な面持ちで百鬼丸の話を聞いていたどろろの表情が、がらりと一変した。
 腰を抜かしていたが、しゃんと立ち上がり、目を煌(きら)星(ぼし)のように輝かせ、刀を盗む気満々の顔で百鬼丸の両腕を凝視する。
 怖がらせるつもりだったのに、かえってどろろの心を煽ってしまったかと、百鬼丸は危ぶみながら話した。
「邪気を払う護身の刀とあらゆる魔を倒す退魔の刀を持ったおかげで、妖怪どもの嫌がらせは収まった。だが……俺は家を出なければならない時が来た」
「なんで?」
「俺が十四の年、雨宿りしたお堂で天の声を聞いた。その声は、俺が生まれる時に、四十八の魔物に呪われて、俺から体の四十八か所を奪っていったと告げた。四十八の魔物を倒すことができれば、奪われた体を取り戻して、俺は人並みの体に戻れるのだと――」
 そこで百鬼丸は話を中断した。体を取り戻せるかもしれない喜びを思い出して、何とも言えない気分になる。
 あの時は、喜びしかなかった。
 だけど、体を取り戻していくたびに、心は暗く、重い気分になっていった……
「そ……それから?」
 どろろに先を促されて、百鬼丸は話を続けた。
「俺は急いで家に帰った。寿海が危ない目にあっていることも知らず、一人前の体になれるかもしれないことに浮かれていた」
「おとっちゃんに、なんかあったのかい?」
 寿海が危険にあったと聞いて、どろろは心配そうに顔を曇らせた。
 百鬼丸は険しい表情で告げた。
「俺が留守の間、患者に化けて、四十八の魔物の一匹がやって来ていたんだ」
「ひえっ!」
「俺が人らしく生きるのは、あいつら魔物にとって、契約違反なんだとよ。俺を生まれたままの姿に戻せと、寿海を脅しに来た」

 

 どろろの脳裏に浮かんだのは、鬼女の豊かな黒髪が蛇のように蠢いて、寿海の首を絞める光景だった。
 鬼女のつり上がった目は獣のように恐ろしく、唇は血のように赤く、白い牙は鋭く尖っている。
 そして、腰の刀を抜いて、鬼女を斬る百鬼丸の姿――

 

「俺は魔物を倒した。その時、俺の髪が戻った。天の声は本当だったと思い知った」
 どろろは百鬼丸の髪をじっと見つめた。黒く艶やかな髪は、まるで慈しむような優しい風に吹かれて、緩やかに靡く。
「俺は天の声のことを寿海に話した。それから寿海は俺に最後の手術をしてくれた。誰にも奪われないように、腕に刀を仕込んでくれた。義足も戦うために必要な細工をしてくれた。そして、俺は四十八の魔物を倒す旅に出たんだ……だから、いつでもどこでも、妖怪どもにつきまとわれているのさ。俺の旅を邪魔するために、な」

 

 

 百鬼丸の話が終わった頃、日は沈み、赤く染まっていた西の空が、濃い藍に変わっていた。夕日の残光が、ほのかに闇に残っている。
 もうすぐ人ならざる者が、妖(あやかし)の類が闇から現れる時であることを、百鬼丸は知っていた。
「あれを見な」
 どろろは百鬼丸が指さしたほうを見ると、いつの間にか一匹の大猿が、道の向こうで座っていて、こちらを窺っていた。
 薄ら笑いを浮かべている大猿は、目が白く濁っていて、生気がない。
「あれは妖怪だ。猿の死骸にとり憑いて、俺を見張っているんだ」
 どろろにはただの猿にしか見えないが、百鬼丸にはそれが四十八の魔物の手先であることは判っていた。
「これで俺の話は終わりだ。おめえには縁のない人間だ。刀は諦めて、行っちまいな。これ以上俺にくっついていると、命の保証はしないぜ」
 そうどろろに言うと、百鬼丸は左腕を掴んで刀を抜いた。薄明りの中で、退魔の刀は刀身を光らせる。
 そして、百鬼丸は悪意の笑いを浮かべている大猿に向かって斬りかかった。
 にたにた笑っていた大猿は、切っ先が迫った瞬間、目をかっと見開き、
「しゃーっ!」
 威嚇する声を上げ、鋭い歯を生やした口を大きく開けながら、百鬼丸に飛びかかった。
 百鬼丸は横に刀を振るい、喰いかからんとする大猿の首を斬り落とした。

 

 ごろり――
 
 糸が切れた人形のように大猿の胴体は倒れ、一刀両断された大猿の首は、道に血をまき散らしながら転がった。
 ごろごろと転がって、大猿の首は止まった。こちらを向いた大猿の顔には、百鬼丸を嘲笑うかのような笑みが浮かんでいた。
「きゃっ、きゃっ、きゃっ、きゃっ」
 そして、けたたましく笑う大猿の首から蒸気が上がる。白い蒸気の中で、大猿の首も、胴体も、毛が抜けて、肉が溶けていく。やがて笑い声も消え、最後に白い骨だけが残った。
 この光景を声もなく、じっと見つめていたどろろだったが、大猿を斬った百鬼丸がどろろの方を振り振り返ると、
「あはははは」
 楽しそうに、高らかに笑った。
 耳が聞こえない百鬼丸は、どろろの笑い声が聞こえない。だけど、笑ったことだけは気配でわかる。
 何故ここで笑う?
 今度こそ、怖がって逃げるだろうと思っていた百鬼丸は、どろろの反応に面食らった。
 どろろは言い放った。
「聞けば聞くほど、面白いや」
(面白い? 俺の話が?)
 百鬼丸が身の上話を話したのは、旅で出会った琵琶法師と、誰よりも優しい、愛しい少女だけだったが、二人ともどろろのように笑い飛ばしはしなかった。真摯に百鬼丸の身の上話を聞いてくれた。
 だから、自分の話のどこが面白いのかと、百鬼丸は真剣に悩んだ。
 悩む百鬼丸に、どろろは何でもないといった風に言う。
「なあ、そんな話でおいらがその刀をあきらめると思うかい? 今の世の中、戦や病で、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、手足を無くした奴は、いくらでもいらぁ。珍しくとも何ともないや。体を盗った奴が、侍か化け物かの違いなだけだろ? それに、化け物全部退治したら、刀は用無しになるんだから、そん時は、すらっと盗んで見せらぁ。その刀、ますます盗み甲斐が出てきたよ。星の欠片で作った刀なんて名刀、見逃すわけにはいかないさ。大盗賊の面子にかけて、絶対手に入れてやるぜ」
(こいつは……!)
 もはや、百鬼丸は唖然とするしかなかった。この自信は、どこから来るんだ――
 どろろに何を言っても無駄。そのことを悟ると、百鬼丸は一気に疲れた。体から力が抜けそうだ。どろろを説得する気力も無くなった。
 だけど不思議なことに、どろろの口上に、百鬼丸の胸には何か閃くものがあった。
 ないとこだらけの体の百鬼丸を、どろろは憐れむことも、蔑むこともしなかった。百鬼丸を百鬼丸として認め、あるがまま受け入れている――寿海のように、みおのように、無名丸のように、十二人の幼い友たちのように。
 そんな人間には、久しぶりに出会った。
 しかし、相手は刀を狙う盗人。心通わせる相手になりうるはずが無い。
 他人に期待することをとっくに諦めていた百鬼丸は、胸の奥から沸き上がろうとしている思いを押し殺した。
 旅の空の下で出会った行きずりの子供。
 どろろはそれ以上でもそれ以下でもない。
 百鬼丸はそう断じた――そう遠くない日に、自分にとって、どろろが唯一無二の、かけがえのない存在になるとも知らずに。
 刀を盗むと意気込むどろろだが、子供の気まぐれだ、そのうち飽きるだろう、飽きてくれと願いながら百鬼丸は歩き出した。
「おい、待てよー」
 置いて行かれまいと、どろろは慌てて百鬼丸の後を追いかけた。
「ついて来るなっ!」
 隣に並んで歩くどろろを、百鬼丸は疎ましく思って怒るが、
「気にしない、気にしない。へっへ……」
 さんざん怖い目にあったというのに、忠告もされたのに、どろろはどこ吹く風といった様子だ。笑って百鬼丸を見上げる。
「呆れた奴だ!」
 こんな奴は、初めてだ――とんでもない奴につきまとわれてしまったと、百鬼丸は憂鬱になるのであった。
 苦り切った表情の百鬼丸に、不敵な笑みを浮かべるどろろ。
 夕闇の中を、秋の風が吹く。風の中を、何処へともなくどろろと百鬼丸は並んで歩いていった。
 見送るのは、百鬼丸が斬った大猿のしゃれこうべだけ。
 夜空には、十五夜にはまだ早い、半月が銀色に光っていた。満たされぬ心と体を抱えた旅人を乗せる舟のように。
 
 これが、どろろと百鬼丸の出会いと、永遠に続く旅の始まりだった。

 

 

 けたけたけた――

 

 夜も更けて、上弦の半月が雲に隠れて闇が濃くなる。
 星も見えない漆黒の夜空。
 地上は一面の闇。
 それは魑魅魍魎、妖怪変化の蠢く世界だ。
 ふいに、道に残されていた大猿のしゃれこうべが、歯を鳴らし始めた。その音は、まるで楽しそうに笑っているかのようだ。
 歯が鳴るのに合わせて、どこからともなく、囁く声がした。
 それは地の底から、空の果てから、いくつも聞こえてくる。
「出会うたぞ」
「出会うたぞ」
「二人が出会うたぞ」
 囁く声は、様々だ。野太くしわがれた声、張りのある若々しい声、鈴の音を転がすような澄んだ声、艶めいて華やかな声、あどけない声と、老若男女問わない。
 しかし、どの声も禍々しい響きで、嬉しさを隠しきれない子供のようにはしゃいでいる。
 百鬼丸とどろろ。
 四十八の魔物に呪われた子と、空から堕ちた星の欠片で作られし刀を狙う子が出会ったことに、明らかに喜んでいた。
「呪われた誕生、祝福された死」
「黒い太陽、赤い月」
「熱い氷、冷たい炎」
「手に手を取って結ばれたら」
「扉が開くよ」
「ほう、ほーう」
 雲の隙間から覗く微かな月の光に照らされて、木影が地面に映る。しかし、影は得体のしれない何かに見えた。
 頭に角を生やした鼠のような小さな獣かと思えば、背中に翼を広げた蜥蜴だったり、獣の足を生やした鳥のようにも見える。
 いずれにせよ、どれもこれも同じ姿形ではない。
 異形の影が、蠢いた。
 妖怪たちが、夜の闇に紛れて出てきたのであった。
「さあ、始まるぞ」
 妖怪たちは、輪になって大猿のしゃれこうべを囲むと、待ちに待った芝居がいよいよ始まることを、高らかに宣言する。
「皆の衆、しかとじっくりご覧あれ」
「鬼子と龍女が演じるこの芝居、かつてないほど珍しい喜劇である」
「ずいぶん焦らしたな」
「お楽しみはこれからさ」
「素敵!」
「ひゅーひゅー!」
 どっと歓声が上がる。それぞれが、思い思いに飛んだり跳ねたりして、期待と喜びを表す。
「どうなるかの?」
「どうなるかの?」
「あの二人、どうなるかの?」
「殺し合うのかの?」
「睦み合うのかの?」
「なるようになるさ!」
 弾けるような笑い声が闇に響いた。
「あははははは!」
「いひひひひひ!」
「うふふふふふ!」
「えへへへへへ!」
「おほほほほほ!」
 そして、嘲笑に続いて声を揃えて妖怪たちは歌う。

 

  雷が刻んだ契りの証
  四十八の星が流れて堕ちて
  ゆららさらら
  ゆららさららと飛び出せば
  角生ひざらん鬼子
  変成しそこなった龍女
  娑婆に生まれていかがせん
  いかがせん
  始めも果ても限りなきこの世をば
  夢を夢とも知らずして
  この終わりに覚め果てるこそ
  あはれなれ あはれなれ

 

 歌が終わると同時に、夜風が吹いた。
 風に枝が揺れ、葉擦れの音が大きく鳴った。
 途端――それまでにぎやかに歌い、おしゃべりしていた妖怪たちは沈黙した。
 そして、何処へと消えたのか。
 異形の影を映していた木影は、何の変哲もない木の枝や葉の形に戻った。

 

 けたけたけた――
 けたけたけた――
 けたけたけた――

 

 残された大猿のしゃれこうべが歯を鳴らす音だけが、夜の静寂に響いた。
 いつまでも、いつまでも……

 

 

 

 

 

2019年9月 6日 (金)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章14

   どろろの巻前編
 この出会いが運命だとは、知らなかった。

 

 

 夏の熱が残る暑い秋の昼だった。
 風は渺茫(びょうぼう)たる荒野を激しく吹き抜けていく。
 草を、木の葉を嬲るように嫋々(じょうじょう)と吹く秋風の音は、誰の嘆きの声か。
 乾いた地面の上には、躯が転がっている。
 躯はひとつだけではない。ふたつ、みっつ……正確な数は知れぬが、少なくとも百以上の数の躯が、草葉の陰に散らばっている。
 手足のない躯。
 首がない躯。
 斬り割かれた腹から、五臓六腑をぶちまけている躯。
 すでに骨となった躯。
 矢で射られた、槍で貫かれた、刀で斬られたと、死因は様々だが、戦で死んだのは同じだ。
 敵も味方も関係ない。
 乱世では、天に日輪があるように、地には骸があるのが当然のようだった。
 ここしばらく雨が降らぬせいで乾いた大地は、雨水の代わりとばかりに流れ出た血を吸いこんだ。
 人の血を吸った地面の跡は、黒い染みとなり、すぐに砂埃が覆い隠す。
 その生きとし生ける者のない荒野を、歩く者があった。
 一歩一歩、大地を踏みしめて歩くのは、年の頃は十五歳くらいの少年だった。
 少年は腰に刀を二本差し、着ている衣は黒い絹の小袖だ。二枚の大きな葉の間から茎を伸ばした蓮の蕾が、銀糸であちらこちらに刺繍されている。
 だが、袖や裾、襟元など、所々が擦り切れ、破れていた。よくよく見れば、小袖のところどころに赤茶や、黒い染みがある。
 染みは、元は紅の血であった。
 水で洗っただけでは落ちない、血が染みた衣類を着替えることもせずに、そのまま身に纏っているところをみると、ひとつの所に落ち着くことのない流れ者、旅人のようだ。
 だが、その容貌は、冴えた三日月のように秀麗であった。切れ長の目元、綺麗に通った鼻筋、強い意志をたたえた唇。それでいて、女々しいところは微塵も無く、あまたの戦いを勝ち抜いてきた証のように、厳しい表情を浮かべている。
 だけど、眼窩に広がる地平の彼方を見ているようでいて、少年の眼差しは何故か虚ろだ。
 どこを、何を見ているのか。
 二つの目には生気がなく、まるで陶器のような作り物めいた感じであった。
 荒野を吹く風は、容赦なく少年を嬲る。頭の後ろで結い上げた黒髪が、乱れて蠢く。
 それでも少年は歩みを止めない。
 その時、どこからか、少年の歩みを止める声がした。
「やい、待てっ」
 少年が立ち止まると、草の影から声の主が現れた。左目に刀の鍔で眼帯をした大柄の男だ。
 男は一人だけではなかった。
 少年の回りを八人の男が取り囲んだ。八人とも、胴丸を着け、手には鞘から抜いた刀を持っている。
 その身なりから、逃亡した雑兵か、この辺りを縄張りとする盗賊か。
 戦が終われば骸から刀や鎧、衣や褌まで、金目になりそうな物は全て剥ぎ取り、荒野を通る者は襲って金を奪う。そんなところだ。
 眼帯をした男が首領らしい。少年を威嚇するように言った。
「ここを通ることはならん。この先は我々の棲み処だ」
 首領に追従するように、他の男たちも怒鳴った。
「そうだ。帰れ、帰れ!」
「通りたければ、銭を払え!」
 男たちの恫喝に少年は怯むことなく、ただ無言でいた。
「なんだ、こいつは」
 脅しても、怯えることも歯向かうこともしない。何の反応も見せない少年に、男たちは怒りよりも薄気味悪さを感じた。
 銭も持っていなさそうだし、さっさと殺して身ぐるみ剥いでしまおうかと思った時、首領が少年の腰に差された刀に目を付けた。
 にたりと笑って、首領は言った。
「小僧。その刀、どこで拾った? かなりの業物らしいな。そいつをよこせ! 素直に渡せば、命だけは助けてやる」
 だが、男の言葉に、少年は従う素振りを見せなかった。ただつまらぬ虫けらでも見るような表情で、男たちを眺めている――ようだったが、実際見ているのか、見ていないのか、目の焦点が合っていない。
 その不敵な面構えに、男たちはよけい苛立った。
「若造が偉そうにしやがって」
「思い知らせてやる!」
 男たちの考えが一致した。
「斬れっ!」
 首領の声を合図に、男たちが一斉に少年に襲いかかった。
 身を守るように、少年は両腕を顔の前で交差させた。さすがに怖くなったのかと、男たちは思ったが、違った。
 少年が交差した腕を降りはらった次の瞬間――両腕が、肘から先がすっぽり外れた。
 草むらに転がる二本の腕。
 腕が取れた少年の肘から先は、白銀の刀が生えていた。
 少年の腕に仕込まれた双剣は、空から堕ちてきた星の欠片で打った刀であった。
 右の腕には邪気を払い、病を癒すという護身の刀。
 左の腕には魔を倒す退魔の刀。
 この刀の主こそ、四十八の魔物に奪われた体を取り戻すために旅をする百鬼丸であった。
 刀は鞘ではなく、百鬼丸の腕に仕込まれていたことに、男たちは度肝を抜かれて立ち止まった。唖然と口を開き、惚けた様子で百鬼丸を見つめる。
 男たちが呆然と立ちすくむ中、百鬼丸の両腕に仕込まれた刃が日に煌めき、黄金色の光を放った。
 
 荒野に断末魔の絶叫が響いた。
 静寂が戻ったのも束の間、すぐにぎゃあぎゃあと鴉の鳴き声が、空の彼方から聞こえてきた。
 風が運んだ血の匂いを嗅ぎつけ、死んだばかりの新鮮な肉を喰いに、鴉の群れが空を覆う。
 荒野に転がる八人の躯。
 どの躯も、自分が殺されたことが信じられないという風に目を見開いたままか、化け物でも見たかのように恐れと驚きの表情を顔に貼りつけて事切れている。
 刀に付いた血を拭い、義手を嵌めると、百鬼丸は自分が殺したばかりの躯を振り返りもせずに、再び歩き出した。
 行く手を阻む邪魔者に、興味はない。百鬼丸が会いたいのは、体を奪った四十八の魔物だけだ。
 百鬼丸が立ち去ると、鴉の群れが一斉に空から舞い降りて、躯に群がった。

 

 

 文明九年の十一月、東西両軍が講和し、京都の幕府が正式に終戦を宣言して、十一年にも長きに渡って続いた応仁の乱は、一応終わった。
 だが、ちっともめでたくない。
 一度広がった戦火は、諍いは、簡単には消えはしなかった。
 この加賀の国でも、応仁の乱をきっかけに、守護の座と家督を巡って富樫政親と幸千代の兄弟が争った。
 文明六年に政親が本願寺門徒の協力を得て、幸千代を破ったことで争いは終結したかに思えたが、今度は政親と本願寺門徒との争いが始まった。
 幸千代を倒すために本願寺門徒に協力を求めた際、政親は本願寺を保護すると約束していた。だが、百姓商人から地侍、豪族まで信仰の下に集まり、守護を上回る影響力を持った本願寺を恐れた政親は、掌を返したように本願寺門徒を弾圧した。
 当然、本願寺門徒は抵抗する。一向一揆が各地で起きるようになった。
 本願寺門徒だけではない。
 幸千代派の残党や、富樫家支配に反旗を翻す地侍、朝倉孝景と争って加賀に逃げてきた越前守護代の甲斐敏光とも政親は戦わなければならなかった。
 加賀の国中、あちらこちらで敵だらけ。
 だから、文明十年の八月になっても、戦はまだ終わっていない。

 

 

 死の気配に満ちた荒野を抜けると、そこは小さな村だった。
 今の時期なら田畑には稲や作物が実っているが、あるのは乾いた土だけ。
 どの家も屋根に穴が空いていたり、土壁がひび割れている。
 人の気配はない。
 代わりに白い人の骨が、道のあちこちに転がっている。
 村人は殺されたのか、飢え死にしたのか。
 どんな理由にせよ、この村も死に満ちていた。
 まるで、我こそがこの村の主のような顔で木の枝に止まっている無数の鴉だけが、百鬼丸を迎え入れた。
 一声も鳴かず、鴉どもは凶暴な目付きで百鬼丸を見下ろしている。
 不信な侵入者と見ているのか、新たな餌と見ているのか。
 鴉の視線を気にせず、百鬼丸は風を避けるために適当な家の傍に座った。
 子供の頃から使い慣れた義肢も、時には重たく感じる。特に、刀を仕込んでいる義手は。
 刀がどんなに重たくとも、我慢できる。肌身離さず、誰にも奪われないように、百鬼丸の身を守り、敵を倒すために養父が仕込んでくれたのだから。
 休めばまた歩き出せる。
 そうして座って、しばし身を休めていた。
 風は、相変わらず強く吹く。
 目も見えず、耳も聞こえない百鬼丸には、いつでもどこでも暗闇の中の静寂だが、我が身に吹きつける風が、強いことはわかる。
 だが、強く吹いていた風が、ぴたりとやんだ。

 

 ずるり――

 

 どこからともなく、何か重たい物でも引きずる音がした。
 同時に鴉どもが羽音を立てて飛び立った。きゃあきゃあと、怯えた声で鳴きながら、逃げるように虚空に飛んで遠ざかっていく。

 

 ずるり――
 ずるり――

 

 地を引きずる音は、どこに行くのか。

 

 ずるり――
 ずるり――

 

 それはだんだんと、百鬼丸の方に近づいてくる。
 ――来る。
 そう感じたその瞬間、百鬼丸は左の義手を外して駆け出した。
 刀を振り払い、一刀の下に地を引きずる音の主を斬った。
「ぎゃああああああぁっ!」
「ぎゃああああああぁっ!」
 ふたつの悲鳴が揃って響く。

 

 ごぼり――

 

 絶叫に交じって、切断面から湧水が吹き出すような音がした。吹き出したのは、真っ赤な血。
 己の血に染まりながら悶えるそれは、人ではなかった。
 しかし、獣でもなかった。
 生き物でさえなかった。
 百鬼丸が斬ったのは、稲藁(いなわら)で編んだ草鞋(わらじ)だった。
「ひい、ひい、ひいいいいいっ」
「ひい、ひい、ひいいいいいっ」
 草鞋は哀れな声で叫びながら、左右同じようにのたうち、どこから血を吹き出すのか不思議なくらい大量の血を流す。
 やがて、血が止まると、草鞋は静かになり、動かなくなった。

 

 しゅわしゅわしゅわ……

 

 白い蒸気が草鞋から出てきた。
 蒸気の中で、草鞋は小さく縮んでいき、溶けて無くなった。
 血だまりだけが、地面に残った。
 百鬼丸は懐から手拭いを出すと刀の血を拭った。地に転がっている義手を拾って腕に嵌め、刀は鞘である義手に収まった。
 百鬼丸は人には見えない妖怪どもに向かって言う。
「……いつまでも俺につきまとったって、無駄だぜ。俺は、旅をやめる気はないんだからな。四十八の魔物、全部倒して体を取り戻すまでは……俺は絶対やめないからな!」
 天啓を聞き、四十八の魔物に奪われた体を取り戻すために百鬼丸が旅に出てから、一年がたっていた。
 この一年の間に、百鬼丸は十四の魔物を倒した。そのつど、髪の毛を始め、奪われた体を取り戻していった。
 四十八の魔物を倒して体を取り戻す。
 それだけが、百鬼丸が生きる理由だった。
「さて……いくとするかね」
 今度こそ邪魔者がいなくなった筈である。
 そう思っても、すぐにまた邪魔が入ることは、百鬼丸自身が誰よりも知っていたことだが……

 

 

 ひたひたひた……

 

 後ろから何かがついてくる……
 村を出てすぐに、百鬼丸は旅を邪魔する者の気配に気づいた。
 足取り軽く、一定の距離を取って、それは百鬼丸の歩みに合わせて後をついてくる。

 

 ひたひた……

 

 百鬼丸は足を止めた。

 

 ひた――

 

 追跡者も止まった。
「まだ後をつけて来るのか! いい加減にしろ!」
 百鬼丸が後ろを振り返ると、道の向こうにいたのは、手足の長い、痩せた犬であった。墨染めの喪服よりも、月の無い闇夜よりも黒い毛の犬だった。
 黒犬は金の瞳で百鬼丸を見ると、白い歯を覗かせ、にやっと笑った。そして、百鬼丸に向かって牙を剥き出し、唸り声も漏らさず向かって来た。
 駆け寄る黒犬の顔が、笑い顔から次第に凶暴な顔になってくる。百鬼丸を喰い殺さんとする明確な意志が、ひしひしと表れている。
 百鬼丸に噛みつこうと、黒犬の口が大きく開かれ、赤い口の中の白い牙が覗く。
 百鬼丸は左の義手を外し、牙より冷たく光る白銀の刀を黒犬の口の中に突き刺した。

 

 ぐさっ――

 

 乾いた布に刺したかのような軽い手ごたえが、刀を通じて百鬼丸に伝わる。
 黒犬は声もなく痙攣した。獣ならば、呻くだろう、血を吐くだろう。だが、黒犬は刀で口から喉を貫かれても、一声も漏らさず、一滴の血も流すことはなかった。
 百鬼丸が刀を引くと、黒犬は襤褸布が落ちるように乾いた音を立てて地に倒れた。
 倒れた途端、黒犬の口からは血の代わりに、白い蒸気が出てきた。蒸気は口だけではない、体中から湧いて出てくる。

 

 しゅうしゅうしゅう……

 

 音をたてながら上がる蒸気の中で、黒犬の毛が抜け落ち、皮が爛れるように溶けていく。さらに肉さえも溶けて、白い骨だけになった。
「まったく……どいつもこいつも!」
 旅を邪魔するようにつきまとう妖怪に、百鬼丸は苛立つ。
 子供の頃から妖怪につきまとわれていたから、諦め半分、慣れ半分。だが、会うなら四十八の魔物のどいつかに出会いたい。
 前に魔物を倒して体を取り戻したのは、春の終わり。それから肝心の四十八の魔物を見つけることはできず、今は葉月の七日。もう半年近くも百鬼丸は体を取り戻せていない。
 こんなに長いこと四十八の魔物を見つけることができないと、百鬼丸はただひとつの願いだけで頭の中がいっぱいになる。
 早く――早く会いたい。
 その思いは、まるで恋い焦がれているような情熱を孕んでいた。

 

 

 焦れる百鬼丸を、陰から見ている者たちがいた。
 それは人ではなかった。
 草の陰から、木の陰から、百鬼丸をじっと見つめているのは、異形の者たち。
 虫のような、獣のような、鳥のような妖怪どもが、ぶつぶつ呟いていた。
「こっちだよ」
「こっちだよ」
「そっちじゃないよ」
 妖怪どもの声は、人にはわからない。聞いたとしても、鼠の鳴き声か、鳥の囀りか、虫の声、あるいは風の音と思うであろう。
「こっちにいるよ」
「こっちにいるよ」
「あの子はこっちにいるよ」
 妖怪どもは百鬼丸を誰と会わせたいのか。
 妖怪どもは教えたいように、煽るように、面白がるように呟く。
 それでいて、百鬼丸に悟られないように、妖怪どもは距離を取っている。
 百鬼丸の持つ護身の刀と退魔の刀が怖いから、近寄ってこない。
 だから、百鬼丸は妖怪どもが何を呟いているのか知らない。
 ただ四十八の魔物を求めて歩いていくだけだ。

 

 

 日が南天の空から西にやや傾いた頃、百鬼丸は川の畔に着いた。
 緩やかに流れる川を渡るための橋が架かっていた。こちら側には四十八の魔物はいなかったから、百鬼丸は橋を渡って向こう岸へ行くことにした。
 足の向くまま、気の向くまま、行けるとこならどこでも行く。それで四十八の魔物が見つかるなら、その方角は百鬼丸には吉だ。
 そうして橋を渡り、真ん中まで歩いたところで、川下の方から人がやってくる気配を感じて足を止めた。
 向こう岸の川原の草を踏みながら近づいてくるのは、一人……二人……全部で七人。
 足早に、いや、必死に走っている。
 先頭を走っているのは、子供らしい。歳の頃は十歳くらい。長く伸びた髪を束ねて、紐で頭の上で結わき、前髪は垂らした男の子だ。身に纏う衣は、膝上までの短い小袖で、元の色も何だったのかわからないくらい、黒く汚れている。かなり着古しているのか、袖は肩から破れて無くなっているし、裾もぼろぼろだ。
 その後ろを、着流しの小袖の裾を尻で端折り、体格のいい六人の男たちがついて来る――のではない、追いかけているのだ。
 六人が六人とも怒気を隠さず、獲物を捕らえようとする獣のように、必死に、執念深く子供を追いかけていた。
 先頭の男が、子供に向かって叫んだ。
「待てーっ! どろろーっ!」
 子供の名に、百鬼丸は思わず興味を引かれた。
(どろろ? 変わった名だな)

 

 どろろ。
 百鬼丸は知らなかったが、この辺りでは盗人のことを、どろろという。
 親から貰った名前はちゃんとあった。だけど、盗人に名前なんかないとばかりに、この子供は誰にも――百鬼丸にも――本当の名を名乗らなかった。
 出会った時にどろろと呼ばれていたから、百鬼丸は子供をどろろと呼び、子供も百鬼丸にどろろと呼ばれれば、返事をした。
 だから、百鬼丸はどろろというのが子供の名前だと思っていた。後に子供の本当の名前を知っても、変わらずどろろと呼び続けた。子供もそれが当然とばかりに受け入れた。
 こうして百鬼丸と巡り合ったこの時から、名無しの盗人の子供の名は、どろろとなった。

 

 どろろは、同じ年頃の男の子と比べれば小さいが、鼠か栗鼠のようにすばしっこい。そのまま追ってくる男たちから逃げ切れるかと思ったが、運の悪いことに、濡れた石に足を滑らせて、盛大に転んでしまった。
「うわっ!」
 すばしっこいことには自信のあるどろろは、思わぬ失態に焦った。擦りむいた膝は痛いが、かまっていられぬ。早く逃げなくては――と、起き上がろうとしたが、そこを追いついた先頭の男が、どろろの襟を掴んだ。
「捕まえたぞ! このどろろめ!」
 逞しい腕で、どろろの小さな痩せた体が高く持ち上げられる。
 どろろは逃げようと手足をじたばたさせた。
 しかし、振り回す手や、足掻く足は、男の体に一撃を与えることはない。
「うわっ! 離せよ!」
 どろろは叫んだが、やっと捕まえた盗人を、はいそうですかと離すわけがない。
「誰が離すか! 俺らの上がり、盗りやがって! 今日という今日こそは、勘弁ならねぇ!」
 お仕置きする気満々の男の言葉に、どろろはすかさず反論した。
「へん! 盗られるおめぇらのほうが間抜けなんだよ! 弱い者虐めをする悪党野郎から盗って、何が悪い! おいらは天下一の大盗賊だぞ。貧乏人から盗むような人でなしじゃねぇ!」
 男たちはこの辺りを縄張りにしている、ならず者たちだ。道を往来する村人や商売人に、野盗から守ってやる代わりに金払え、でなきゃ通さないぞ、商売できなくしてやるぞ、と因縁をつけて銭を巻き上げていた。
 どろろが盗んだのは、ならず者たちの銭だった。
 子供が盗める金額は微々たるものだ。しかし、塵も積もればなんとやら。他人から取り上げた銭だというのに、まるで自分が汗水働いて稼いだかのように盗られた銭を惜しむのが人の欲深さというものか。
「屁理屈こねるな、どろろ!」
 男は雑巾を投げ捨てるかのように、思いきりどろろを川原に叩きつけた。小石交じりの地面に倒されて、どろろは全身が痛いが、歯を食いしばって悲鳴を上げなかった。大きな目で、男を睨み上げる。
 それが可愛げがないとばかりに、髪の毛を掴まれて無理やり立たされ、大きな拳で頬を殴られた。
 左頬が痛い。血の味が口の中で滲む。
 容赦のないたった一発の拳で、どろろの体が吹っ飛んだ。
「やっちまえ!」
「俺たちを舐めるとどうなるか、思い知らせてやる!」
 追いついた仲間五人も、どろろに拳を向けた。
 殴られるたびに、右に、左にと、小さな体が揺れる。
 どろろの体が地面に倒れ伏し、蹴られても何の反応も見せなくなると、ようやく男たちは気がすんだのか、
「もう二度と悪さをするなよ! どろろ!」
 と捨て台詞を吐いて背を向けた。
 そこで大人しくしていればいいものを、どろろは立ち上がるのもやっとだというのに、小石を手に取ると、男たちの背中に投げつけた。
 小石は最初にどろろを捕まえた男の背中に当たった。大して痛くもないが、どろろが逆らったことが気に入らず、顔を真っ赤にし、鬼のように怒り狂った。
「またやったな!」
 激怒する男に向かって、どろろは舌をべーと出して笑い、また小石を投げた。
 男の左頬に小石がかすり、赤い血の筋が滲んだ。
「もう勘弁できねぇ!」
男が怒鳴った。
「二度と悪さしねぇように、川に沈めてやる!」
 その提案に、仲間たちが賛同する。
「おう、それがいい!」
「やっちまえ!」
 小石をぶつけられた男は、逃げるどろろを追いかけ、再び捕まえた。そして、ざぶざぶと川に入っていくと、今度は反撃も喚く暇も与えず、両腕に力を込めてどろろの体を川に沈めた。
「うっぷっ!」
 自分を川に沈めようとする男の顔が、悪鬼のようだと思いながら、川に沈められまいと、どろろは必死に顔を水面から上げた。
 でも、体にどんなに力を込めても、男の大きな手からは、逃げ出すことができない。
 男はどろろを嬲るように、川に沈めては引き上げ、また川に沈めた。それを何度か繰り返すうちに、全身ずぶ濡れのどろろの体からは、力が徐々に抜けていく。
(いやだ――おいら、死にたくない――死にたくない――死にたくない!)
 川に沈められたどろろの心の叫びに応えたのは、天の声だったのか。
「待てっ!」

 

 他人に関わるつもりはないので、どろろと男たちの争いを静観していた百鬼丸だったが、大きな体の男たちに殴られるどろろに、亡くした友の姿が重なった。
 侍に虐められ、あげくに殺された十二人の小さな友だち。
 あの友だちと同じようにどろろも殺されると思った途端、百鬼丸はたまらずどろろを川に沈めようとした男たちを制止した。
 男たちは、突然聞こえてきた百鬼丸の声に、どろろを川に沈めることを中断し、きょとんとした。
「え?」
「頭いてぇ」
「どっから聞こえた?」
「誰だ? 誰が喋った?」
「頭の中、きんきんする……」
「声……が、頭の中で響いた?」
 百鬼丸の心の声は、他人には頭の中で直接響く。初めての経験に戸惑いながら、男たちは周囲を見回した。
 百鬼丸は橋の欄干から身を乗り出して、男たちに語りかけた。
「どうしてその子を殺すんだ。そんな小さな子、殺したって、おまえさんらの得になるわけじゃあるまい」
 口を動かしているので、男たちには百鬼丸が喋っているように見える。頭の中に直接声が響いたと気がつかないまま、どろろを川に沈めることを咎めた少年に、余計なことを言うなと怒鳴った。
「おまえの知ったことじゃねぇ。ひっこんでいろ!」
 そして口々に、どろろの悪行の数々を訴えた。
「聞きな、若造。このどろろはな……」
「疫病神よ!」
「こいつは子供なんて可愛気のあるもんじゃねえんだ! 人間の皮ぁ被った鼠よ! 人は騙す、物は盗む、嫌がらせはする。とんでもねぇ奴だ!」
「おまけに、どんなに痛い目にあわせても、けろりとしてまた盗みを働くんだ」
「こんなふてぇやつ、ぶっ殺したほうが、世の中の為さ」
「わかったか!」
 もともと盗みはどこでも誰でも重罪だ。たかが子供とはいえ、どろろの盗みに、男たちはどれだけ腹に据えかねていたのか察することができるほどの怒りようだ。
 しかし、百鬼丸はどろろが殺されるのを放っておけなかった。
 百鬼丸は妥協策を提案した。
「どこか、遠くに捨ててきたらどうだ?」
 しかし、男たちは百鬼丸の提案を即座に却下した。
「捨てるくらいなら、苦労はしねぇや。どこに捨てたって、迷惑するのは同じだ」
「どうしても殺すってのかい? 死んだら、おまえたちを恨むぜ」
 人を殺したら祟られる恐れもあると、百鬼丸は忠告したが、
「かまうもんか!」
「今の世の中はな、簡単に何千何万も人が死ぬんだ。どろろの一人や二人なんかに、いちいちかまっちゃいられねぇよ」
「皆、さっさとこいつを沈めちまおうぜ」
「おう!」
 川原に残っていた者も、ぐったりとなっているどろろを沈めようと、川の中にざぶざぶと入った。
「おっと、待ちな!」
 百鬼丸はこちらに近づく妖気を感じて、男たちに警告した。
「来るぞ……」
 何が来るのかと、男たちは怪訝な顔をする。
「魔物だ……魔物がこちらにやってくる」
「魔物だぁ?」
 百鬼丸の言葉に、男たちは呆れた顔で百鬼丸を見上げる。
「……だんだん近くなってくる」
「ちっ。子供騙しみてぇな脅かしはやめな」
 真面目な顔して何を言っているんだと、男たちは百鬼丸を嘲笑った。
 しかし、急に日が翳ってきた。川を渡る風が、さっきよりも冷たくなり、男たちは身を震わせた。
 秋とはいえ、こんなに寒くなるなんて、おかしい。得体のしれない恐怖に、男たちはどろろを川に沈めることも忘れた。
 その時、川の上流から何かが流れてきた。木の小枝や葉、藁などが絡まって固まった塵のようだ。
 塵は男の一人の近くまで流れてきた。見ると、塵の隙間から白地に赤と金色で染められた花模様の衣が見えた。
「おっ、綺麗な柄だな」
 上等な衣だ、高く売れそうだ――そう思って、衣を獲ろうと手を伸ばした。
「それに触るな!」
 百鬼丸の静止も間に合わなかった。
 その瞬間、塵の下から、衣が生き物のように水面から立ち上がった。
 水しぶきを上げながら現れたのは、白く滑らかな肌の生き物だった。
 でっぷり太った胴体に、大きな頭が乗っている。顔いっぱいに口が大きくて、見た目は水掻きのある手と足が生えた、蛙になる前のおたまじゃくしだ。これが掌で捕まえられる大きさなら、可愛い。しかし、目の前に現れたのは、後ろ足で立つと身の丈三尺はある大きさだ。
 男が衣だと思ったのは、おたまじゃくしの化け物の体の模様だったのだ。花柄の派手な模様では目立つので、塵の下に隠れていたのだ。
 その姿を現したおたまじゃくしの化け物は、でかい図体に似合わず、小さな黒いつぶらな瞳でちらっと川の中で立ちすくむ男たちと、拘束されているどろろを見た。
 にたっ。
 うまそうな餌を見つけた――そんな風に、小さな口が嬉しそうに歪んで、笑ったように見えた。
 おたまじゃくしの化け物と目が合って、呆然と固まっていた男たちは我に返った。
「ぎゃぁーっ!」
「出たーっ!」
「逃げろ!」
「ひいいーっ!」
「邪魔だ、どけっ!」
「お、お助けぇ!」
 男たちは、もうどろろのことなど放り投げて、我先へと岸に上がろうとした。
 だが、おたまじゃくしの化け物は、息を吹き込んだ紙袋のように、どんどん体が大きく膨らんだ。
 おたまじゃくしの化け物は、橋の欄干よりも高く、小山のように大きく膨らむと、大きく口を開けて、撫子色の舌を長く伸ばした。
 しゅるっと伸びた舌は、鞭のようにしなやかに男の体に巻きついた。そして、軽々と男を持ち上げ、口の中に引きずりこんだ。
「わーっ!」
 舌は一本だけではない。二本、三本と口から伸びて、次々と男たちを捕まえては、大きな口の中に、ぽいっ、ぽいっと放り込んだ。
六人全員を口の中に頬張ると、おたまじゃくしの化け物は口を閉じ、

 

 ごっくん――

 

 喉を鳴らして男たちを丸飲みした。
「うわぁーっ!」
「出してくれぇっ!」
「だ、誰か助けてくれっ!」
「おっかぁ!」
「いやだいやだいやだ!」
「死にたくなーい!」
 さっきまで子供相手に威張り散らし、殴っていたが、おたまじゃくしの化け物の腹の底に堕ちた六人の男たちは、声を限りに泣き叫んだ。
 それもすぐに絶叫に変わった。
「ぎゃーっ!」
「あちちちち!」
「熱い! 熱いぃぃっ!」
「溶ける!」
「か、体が……」
「体が……と……と……とけ……」
 おたまじゃくしの化け物の胃袋の壁から、強い酸が染み出してきた。全身に酸を浴びた男たちは、皮膚が焼け爛れ、血が吹き出す。肉が溶け、骨が剥き出しになる。
 絶叫しながら足掻き、のたうつ男たちは、やがて声も出なくなる。胃袋の中で重なりあうように倒れ、動かなくなった。
「けろけろけろ」
 おたまじゃくしの化け物は、大きな長い尾鰭を左右に振りながら鳴いた。男六人を一度に食べて、満足したかに見えたが、まだ足りなさそうに、次の獲物を探して、右に、左にと瞳を蠢かした。
 おたまじゃくしの化け物は、川底に尻もちをついて唖然と口を開けているどろろに狙いをつけた。
 男たちが丸飲みされている間に、ようやく意識がはっきりしてきたどろろは、おたまじゃくしの化け物を見て、心底魂消た。こんな化け物、見たことがない!
 生まれて初めて化け物を見たどろろは、男たちが丸飲みされた様子を目撃して、呆然とするしかなかった。
 おたまじゃくしの化け物は、肉の柔らかそうな子供という、とっておきのご馳走を捕まえるために、三本の舌を同時にどろろに向かって伸ばした。
「うわああぁっ!」
 目の前に迫った舌に、どろろは叫んだ。
 逃げなきゃ自分も喰われる!
 立ち上がるどろろの目の前に、おたまじゃくしの化け物の舌の先端が迫る。
 その時、左の義手を外して橋の上から川に飛び降りた百鬼丸が、退魔の刀で舌を三本同時に斬り落とした。
 百鬼丸が川に着水するのと同時に、斬り落とされた舌は、切断面から血を滲ませながら三本とも川に落ちて沈んだ。
「え……?」
 襲い来る魔の舌から逃れたと安堵する暇もなく、左腕から刀を生やした姿の百鬼丸に、どろろはさらに目を見開いた。
(う、腕に刀が生えてる!)
 腕が刀の少年は、鬼の化身か?
 百鬼丸はあんぐりと大きく口を開けているどろろに、左腕の義手を手渡した。
「ひゃっ!」
 いきなり腕を渡されて、どろろは狼狽えた。しかし、すぐに腕が生身のものではなく、よくできた作り物だと気づいた。
 何かの皮を張って見た目は人の腕と変わりないが、金属の細工物だ。
「こいつは一体……」
「持っていろ」
 百鬼丸は腕を振り、右の義手も外してどろろに渡すと、おたまじゃくしの化け物に向かっていった。
「きゅえぇぇぇっ! きゅえぇぇぇっ! きゅえぇぇぇっ!」
 舌を斬られた痛みにおたまじゃくしの化け物は、奇怪な声で叫びながら、子供のように両手を振り回し、足で地団駄を踏み、尻尾をばたばたと振って悶えた。
おたまじゃくしの化け物の巨体が、尻尾が、橋柱にぶつかる。その衝撃に耐えかねて、丸太の橋柱が傾き、橋が崩れ始めた。
「うわっ、あぶねーっ!」
 どろろは百鬼丸の腕を抱いたまま、川原に逃げ――百鬼丸は、板や木片が雨霰の如く降ってくる中、おたまじゃくしの化け物に向かっていった。
「げこっ! げこっ! げこっ!」
 おたまじゃくしの化け物は、怒りの声を上げながら体をさらに膨らませた。手足は小さいまま、鞠のように真ん丸になると、その巨体からは信じられないほど軽やかに跳ねて、自分の舌を斬り落とした百鬼丸に向かった。
「やぁっ!」
 百鬼丸は跳躍し、おたまじゃくしの化け物に向かって落下するのと同時に、双剣で斬り下げた。
 おたまじゃくしの化け物の腹に、十文字の傷が刻まれた。

 

 ぷしゅーっ――
 
 傷口から空気が抜ける音が勢いよくする。それと同時におたまじゃくしの化け物は、どんどん痩せ細り、おたまじゃくしというよりも、蜥蜴(とかげ)のような姿になる。
「きゅぅうううううっ!」
 苦悶の声を上げながら、おたまじゃくしの化け物は、餅が伸びるように両手を長く伸ばして、百鬼丸を捕らえようとする。百鬼丸は、右へ、左へと飛んで、軽やかにおたまじゃくしの化け物の手を交わしながら、双剣を白い巨体に刀を振るった。
 刀で肌を斬り割かれ、肉を突き刺されるたびに、おたまじゃくしの化け物の巨体は、傷口から溢れるように血が流れた。白い肌も、赤と金の花模様も、血に濡れて元の色と模様がわからなくなる。
 そして、おたまじゃくしの化け物の全身が真っ赤に染まった時、
「やあぁぁぁぁぁっ!」
 思いきり飛びあがって、百鬼丸はおたまじゃくしの化け物の眉間に、退魔の刀を突き刺した。
「きゅうううううぅーっ!」
 おたまじゃくしの化け物は、長く伸ばした手を縮め、天に向かって甲高い声で一声鳴いた。そして、ぐらりと体が横に倒れ始めた。
 百鬼丸は刀を抜いて後ろに下がった。
 おたまじゃくしの化け物が川に倒れ込んだ衝撃で、水飛沫が高く上がる。
 水飛沫を浴びながら、百鬼丸はおたまじゃくしの化け物が、頭からゆっくりと溶けだすのを確認した。
 頭だけでなない。小さな短い手足も、痩せ細った体も、皮膚が溶け、真っ赤な肉を露になりながらどろどろと溶ける。そして、肉が全て溶けた時、音もなく全身の骨が崩れ、ばらばらになって川に落ちた。
 様々な部位の骨が落ちて、水面に大小いくつもの輪ができた。
 それもすぐに川の流れにかき消され、無くなった。

 

 

2019年4月20日 (土)

次回予告 どろろの巻

 死が愛しき人と分かち、心は死んだ。
 奪われた体を取り戻すために、空っぽの心を抱えて百鬼丸は独り憂き世を彷徨う。
 誰も愛さず、誰からも愛されない――はずだった。
 だが、運命の半身との出会いが、本当の旅の始まりだった。
 この出会い、凶か吉か。

 

 次回、『どろろ百鬼繚乱草紙』まれびとの章 どろろの巻

 

  さだめとも知らぬままにてめぐり逢ふどろろとはいかなる契りあるのやら

 

「おいらは天下一の大盗賊だぜ。一旦狙った獲物は、雨が降ろうが、槍が降ろうが、盗らなきゃ大盗賊の名が廃るんだい」

 

 

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