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創作二次小説どろろ

2018年9月24日 (月)

次回予告 無残帳の巻

 故郷を追われた者たちは、立ちあがった。

 奪われたものを取り戻すために。

 だが、まつろわぬ者に待っていたのは、裏切りと生き地獄であった。

 親子はまほろばを求めて戦乱の世を流離う。

そして、灼熱の夏と極寒の冬に訪れた永遠の別れ――

 

 次回、『どろろ百鬼繚乱草紙』まれびとの章 無残帳の巻

 

限りなく悲しみ記す無残帳別れの嘆き絶えることなし

 

「おっかちゃん! おいら……もう飯なんかいらん。食べ物なんかいらん。だから、死なないでおくれよう。おっかちゃん!」

 

変成の巻あとがき

 難産の巻だった。

 いろんな意味で。

 

 もう一人の主人公誕生の巻である。

 変成の巻は、原作の無残帖の巻で明らかになるどろろの生い立ちを元に執筆したオリジナルである。

 村の名前は原作で明記されていないので、創作した。

 どろろの両親は火袋とお自夜で、戦に巻き込まれて村は焼かれ、親兄弟も殺されたという設定は原作と同じである。

 どろろは一人っ子ではなく、兄か姉かは不明だが、原作で「私のかあさんも兄弟も上の……ふたりの子供も……おまえたち侍にころされたんだ!!」と言うお自夜の台詞から、お自夜の母とどろろの姉二人を造形した。

 火袋、鼬の斎吾の家族の設定は、創作である。

 

 村人の豊作は、ヒゲオヤジのつもりで執筆した。

原作には出ていないが、手塚治虫のスターシステムを利用した。

 『ブラック・ジャック』25話「灰とダイヤモンド」で百鬼丸とヒゲオヤジは百鬼博士と松方として共演しているが、『ヤング ブラック・ジャック』無残帳編で、百鬼丸演じる百樹丸雄とヒゲオヤジの共演に歓喜した。

あの感動をもう一度、というわけではないが、『どろろ百鬼繚乱草紙』にも、ぜひヒゲオヤジを出したかった。

 ヒゲオヤジには、活躍してもらうつもりである。

 

 豊作の女房の下枝と息子の大作は、『ロック冒険記』のヒゲオヤジの妻シズエと息子大助である。

 

 原作では、景光と火袋たちには直接の関わりはない。

景光が火袋たちの村を攻めた設定は、映画と映画ノベライズを参考にした。

強いきずなで結ばれていたどろろと百鬼丸が、実は仇であったという因果を本小説でも使いたかったからである。

 

 四十八の魔物が百鬼丸から奪った体で作った子供がどろろだという設定は、『冒険王』版の設定からである。

 まさに一心同体とも言うべき主人公たちの結びつきを示す設定は、ゲーム版でも使われたが、いざ執筆する時、疑問が浮かんだ。

 男の子の百鬼丸から、どうして女の子のどろろが生まれたのか。

 単純に考えれば、男の子の体から作られたのなら、男の子が生まれる筈。

 陰陽の乱れのせいとか、色々考えてみたが、手塚作品には『リボンの騎士』や『人間ども集まれ!』などのように、両性具有のキャラクターが登場する。

 どろろも両性具有的存在であることは、中島梓を始め、多くの漫画評論家からも指摘されている。

 という訳で、どろろを両性具有者とした。

 どろろの秘密を百鬼丸が知るのは、ずっと後のことである。

 

 作中歌は、七草の歌は『万葉集』巻八の山上憶良の1537番歌「秋の野に咲きたる花を指折り数ふれば七種の花」と1538番歌「秋の花尾花葛花なでしこの花をみなえしまた藤袴朝顔の花」をアレンジした。

 まほろ村の子守歌の方は、一応オリジナルではあるが、『梁塵秘抄』や『閑吟集』、地蔵和讃などを参考にした。

 どこかで聞いたことがあるような歌詞なのは、過去に似たような歌を聞いたのだろうか。

 

 原作では無残帳の巻に1カットだけしか描かれていないが、『どろろ』といえば曼殊沙華である。

 『ヤング ブラック・ジャック』無残帖編のラストや、ウェブでファンがアップする『どろろ』のイラストで、曼珠沙華の花は、世界観を表すのに効果的に使われている。

 みをこがしの巻でも曼殊沙華は出したが、変成の巻では親子の絆を結ぶ小道具として、曼珠沙華の花びら染めをまほろ村の特産品とした。

 曼珠沙華の花びら染めについては、ネットで検索した彼岸花の草木染めを参考にした。

作中、曼珠沙華の花びら染めで真っ赤に染まるというのは、創作である。

実際は、彼岸花の花で染めると、透明感のあるピンク色となるそうだ。

 

 

 前の巻からずいぶん時間がたってしまったが、なんとか変成の巻を書いた。

 みをこがしの巻までは原作を参考にできたが、ほとんどオリジナルの話の変成の巻は、試行錯誤した。

 その最中に『どろろ』のテレビアニメ化が発表された。

 原作には書かれなかった結末まで描くという。

 となると、二次創作小説で勝手に書くことは、余計なことをしているのではないかと迷った。

書いてはやめ、やめては書いての繰り返しを続けて時間がたってしまった。

だが、先日発表されたあらすじや設定を読んでみて、心は決まった。

来年1月に放送されるアニメも、『どろろ』のファンである一流のクリエイターが手掛けるのであるから、視たら面白いと思うだろう。

だけど、満足はしない。

 これまで制作された虫プロ版アニメ、小説、ゲーム、映画、どれも面白かったが、完全に満足することはなかった。

 続編的漫画『どろろ梵』も『どろろとえんまくん』も同様である。

 10月から月刊チャンピオンREDで連載開始されるリメイク漫画『どろろと百鬼丸伝』は期待大だが、実際は読んでみないとわからない。

 そもそも、伏線を回収していなくても、話が中途半端であろうと、原作者本人が完結宣言したのだから、読者はそれを受け入れるべきである。

 それでもあえて続編を、白黒つけた結末を望む心は、どうしようもない。

 だから、私が想像した『どろろ』の物語を最後まで書き続けよう思う。

 

 

 

*参考文献

手塚治虫文庫全集『リボンの騎士 少女クラブ版』手塚治虫 講談社

 

手塚治虫文庫全集『リボンの騎士』全2巻 手塚治虫 講談社

 

手塚治虫文庫全集『人間ども集まれ!』手塚治虫 講談社

 

『捜神記』竹田晃 東洋文庫 平凡社

 

『新版万葉集 現代語訳付き』二巻 角川文庫 伊藤博役注

一五三七番・一五三八番 山上憶良の秋野の花を詠む二首より

 

『新版古今和歌集現代語訳付き』角川文庫 高田裕彦訳注

 

『梁塵秘抄』新潮日本古典集成 榎克朗校注 新潮社

 

『閑吟集 宗安小歌集』新潮日本古典集成 北川忠彦校注 新潮社

 

『図解日本の装束』井上良太 新紀元社

 

『源氏物語図典』秋山虔・小町谷照彦編 小学館

 

『イラストでわかる日本の仏さま』中経の文庫 日本の仏研究会 KADOKAWA

 

『宙ノ名前』林完次 光琳社出版

 

『「空のカタチ」の秘密』武田康男 ビジュアルだいわ文庫 大和書房

 

 

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章10

   変成の章後編

 木の洞は、暗く静かだった。

 日が高くなっても、光は射しこまず、外の騒々しさから完全にお自夜を遮断している。

 時折、荒々しい足音や、「こっちだ」「あそこだ」という怒鳴り声がした。遠くで女の悲鳴や、子供の泣き声も聞こえた時は、助けることができない申し訳なさと、見つかりたくないという気持ちが交互にお自夜の胸によぎった。

 赤子の為に、待っていてくれる母と娘たちの為に、今見つかる訳にはいかない。

 そんなお自夜の胎の赤子は、もう生まれたいと主張しているかのように、蠢いている。

「まだ……まだよ……まだ生まれては駄目……」

 胎の赤子に言い聞かせるように、お自夜は呟いた。今生まれたら、泣き声で雑兵どもに見つかる上に、生まれるには、ふた月も早い。命の危険が母子ともにあった。

 お自夜の願いと裏腹に、陣痛は鎮まるどころか、酷くなる一方だ。全身汗が吹き出し、痛みに意識が遠くなる。何刻たったのか、それとも何日か――時の感覚もわからなくなる。

 

「助けて! おとっちゃん! おっかちゃん!」

 

 朦朧とする意識の中で、幼い女の子の声が聞こえたような気がした。あれは朧火の声? それとも蛍火?

 気になりながらも、お自夜の意識は闇に堕ちた――

 そうしてどのくらいの時間がたっただろうか。

 お自夜が目覚めた時、不思議なことに、あれほど苦しかった痛みが嘘のように引いていた。早産にならなくてよかったと、お自夜はほっと息を吐いて安堵する。

お自夜は枝の隙間から外を覗った。

 外は日が落ちている。夜の闇が辺りを覆っていた。雑兵たちの気配もない。もう山から下りて行ったのであろう。

お自夜はそっと入り口を塞いであった枝と枯れ葉をどかし、木の洞からそろそろと這い出した。

冷気が肌を刺す秋の夜の山は、静かだった。だから、風が葉を揺らす乾いた音、梟の鳴く声、茂みの中を通る野鼠の足音が、やけに大きく聞こえる。

見上げると、天高く伸びる木々のさらに上、東の空にかかる十五夜の月は、半分雲に隠れている。地上に月の光はほとんど届かない。

 雲に隠れた月は、今のお自夜の心を表しているかのようだ。

 本当なら、今夜はお月見をして、家族そろって団子を食べていたのに――

(朧火と蛍火に団子作ってやれなかったわ。うちの人にも久しぶりにお酒飲ませてあげたかったのに)

 戦はいつも突然始まる。こちらの都合などお構いなしだ。勝手に村に入り込んで戦い、争う。巻き添えになるのはこっちだ。

 家は焼かれ、収穫前の稲は奪われ、挙句、命までとられたらたまらない。

 富樫でも赤松でも、誰が領主でも構わないから、自分たちの喧嘩に巻き込んでほしくないのが本音だ。

 ささやかな幸せを奪った侍たちを、お自夜は憎らしく思う。

(おっかさんたちは、無事に山小屋に着いたかしら。うちの人はどこにいるの? 血の気が多い人だから、雑兵たちに向かっていって、怪我してなければいいんだけれど)

 無事に逃げていて――家族の無事を祈りながら、お自夜は暗い夜の山を登り始めた。

 大きな腹を抱えて暗がりを歩くので、足元がおぼつかない。それでもお自夜は山小屋にたどり着こうと、歩き続けた。早く娘たちに、母に会いたかった。

 ふと、どこからか漂ってきた臭いに、思わずお自夜は足を止めた。

 決して心地よい匂いではない。生臭い、嫌な臭い。お自夜は掌で鼻と口元を覆った。

 わずかな月明かりを頼りに周囲を見回すと、臭いの元は、すぐそこの草むらの中にあった。

 草むらに、あおむけに倒れている老婆がいた。

「おばさ……」

 お自夜は呼びかけて、絶句した。

 暗闇の中でも、恐怖に顔をゆがめ、白く濁った両眼を見開いたまま動かない老婆は、すでにこと切れていた。

この老婆を、お自夜は知っている。火袋のことを「あにき」と呼んで慕ってくれている斎吾の母親だ。二、三年前から寝たり起きたりだったから、お自夜も腹が大きくなる前は、時々家に寄って看病をしたり、家事を手伝っていた。

 斎吾も火袋と一緒に見回り役だったから、斎吾の母は一人で山に逃げても登り切れず、追ってきた雑兵に斬られたのだろう。

(こんなことになるなら、おばさんも一緒に泊まろうって誘えばよかった……)

 斎吾の母に声をかけなかったことを、お自夜は後悔した。母の死を知ったら、斎吾はどんなに嘆くだろうと暗い気分になる。

 そして、それまで抑えていた不安が、お自夜の胸に一気に広がった。万が一、斎吾の母のように母と娘たちが雑兵たちに見つかっていたら――

(そんなことない。おっかさんたちは、ちゃんと山小屋に逃げている。無事だわ)

胸の奥から沸き上がる嫌な予感を何度も何度も否定するが、母と娘たちの顔を見るまでは、お自夜は不安を募らせずにはいられない。

お自夜は再び山小屋を目指して歩き出した。できれば思いっきり駆けて行きたいが、腹が重くて走れない。

 山小屋に向かっているうちに、風が緩やかに吹き始めた。

風に雲が流されていくと、月の光が地上を照らし、木の一本、草の葉一枚まではっきり見えるくらい明るくなっていく。夜の山道を歩くお自夜の行く手を照らすように、雲隠れの月は、徐々にその姿を見せ始めた。

 そして、黄金の月が冷たい光を放って全身を現した時、お自夜は地獄を見た。

 

 月明かりの下にあったのは、人の屍だった。

 それもひとつふたつではない。道の途中、木々の間と、あちらこちらに倒れ転がる屍の数々は、苦悶、驚愕、唖然と、様々な表情で顔を歪ませたまま、無造作に手足を投げ出し、全身血まみれになって倒れている男、女、老人、子供たち。

小さな村だから、お自夜はここに倒れている人たちを、皆知っている。幼馴染みや顔なじみ、隣人に、娘たちの遊び友達、親戚のあの人この人――

そして、見慣れた柄の小袖を着た女が倒れているのを見つけ、お自夜は目を見開いた。

まさか、嘘だ――お自夜は頭で否定するが、すぐにそれが誰かわかった。

「おっかさん!」

 倒れていたのは、お小夜だ。

 お自夜はお小夜の傍に駆け寄った。助け起こすと、お小夜の腕には、蛍火がしっかりと抱かれていた。

「おっかさん、蛍火、しっかりして!」

 お自夜は母の体を揺さぶり、血の気のない娘の頬をさすった。二人とも、無傷ではなかった。二人の着ている小袖は、刀で切り裂かれており、ところどころ赤黒く染まっていた。どんなに名を呼んでも、眼を開けることは無かった。

「起きて、おっかさん! 蛍火! 今年は蛍火の髪結いよ。綺麗な紐染めようねって、言ったじゃない! 蛍火も、朧火とお揃いの紐がいいって言っていたじゃない! だから……だから……死んじゃ駄目っ! 駄目よぉっ!」

 後で会おうねと言って別れたのに。

 もうお小夜も蛍火も、お自夜に笑ってくれない。それが信じられない。

 お自夜は何度も何度も首を振った。目の前の現実が悪い夢としか思えない。

「いや……いや! いやぁああああああああああああああああああああああああああっ!」

 闇と静寂を引き裂く叫びが、お自夜の喉から漏れた。お小夜と蛍火の亡骸にすがって、我を忘れて泣き叫ぶ。

 ――朧火は何処だろう。

泣き叫びながら、お自夜は朧火の姿がここにないことに気づいた。無残に殺された村人たちの亡骸の中に、朧火はいなかった。それならば、朧火はどこかに隠れている?

「あ……あ……おぼ……朧……火……朧火、無事なの? 出て来て! おっかさんよ!」

 お自夜は周囲を見回し、泣きながら朧火の名を叫んだ。母である自分が呼べば、娘はきっと出て来てくれる。

 だけど、お自夜の呼びかけに答えたのは、娘の声ではなかった。

「う……うぅ……お……じ……や……さ……」

 苦しげに呻きながら、でも必死なか細い声が、お自夜を呼ぶ。

 声が聞こえたほうに目を向けると、向こうの草むらに下枝が倒れていた。

「下枝さん!」

 お自夜は下枝の傍に駆け寄った。下枝もまた、全身刀に斬り刻まれていた。青ざめた顔に死の影が浮かんでいる。迫りくる死から引き止める術のないお自夜は、下枝の手を握ってやるしかできない。

「何があったの? どうしてこんな……」

「雑兵どもが……」

 虫の息の下で、下枝はお自夜と別れた後、何があったのか話した。

「……先に登っていた人たちを……お小夜さんと蛍ちゃんを殺した……大作と……朧ちゃんを捕まえて……若い娘さんたちや……他の子供たちも一緒に……連れて……」

 雑兵たちの人狩りに出くわしてしまったなんて――下枝の話に、お自夜は背筋が凍る思いがした。だけど、連れていかれた朧火は、大作は、他の子供たちは、まだ生きている。残された望みに、お自夜の心は絶望の淵から這い上がった。

「じゃあ、朧火は、大作ちゃんは生きているのね? 他に生きている人たちはいるのね?」

 お自夜の問いかけに、下枝は必死に頷いた――頷こうとした。そして、縋るようにお自夜を見つめながら、囁いた。

「ごめん……なさ……守れ……なく……て……」

「下枝さん……」

「おねが……い……大作を……助けて……」

 声にならない声。しかし、お自夜にははっきりわかった。

「わかったわ、下枝さん。きっと子供たちを、皆を助けるわ!」

 お自夜の言葉に、下枝は謝罪と感謝の眼差しを向けた。光を失いつつある瞳から、涙が一滴零れた。

「……あんた……大作……」

 命の灯火が消える寸前、亭主と息子の名を呼ぶと、下枝は静かに目を閉じた。それきり、その瞳を開くことは無かった。

 

「助けに行かなきゃ……朧火……待っていて……」

 下枝を看取ると、お自夜は立ちあがった。木の洞に隠れていた時、聞こえた子供たちの声。あの中に朧火がいたのかもしれない。人買い商人に売られる前に、救い出さなければ。

 身重のお自夜が単身で行っても、助け出すことなどできない。逆に捕まって、奴婢として売られてしまう。しかし、今のお自夜には、娘を助けるという思いしかなかった。

 今、頼りになる火袋はいない。助けに行けるのは母親である自分だ――

 行く前に、お自夜はもう一度お小夜と蛍火の亡骸に視線をむけた。物言わぬ骸と成り果てたその姿を目に焼き付けると、歩き始めた。

 村に戻ろうと、来た道を引き返す。急ぎたいが、気ばかり焦って、足がもつれる。よろめき、転びそうになり、山の斜面の方にお自夜の体が傾いた。

 

 とん――

 

 その時、お自夜は誰かに背中を押された。

「えっ?」

 誰が押したのか、わからない。ここに、生きている人間は、お自夜しかいないはずなのに。

 困惑の中で、お自夜は押されたはずみで山の斜面に倒れた。

「きゃあああっ!」

 そのまま悲鳴を上げながら、お自夜は奈落へと滑り堕ちていく――

 それを薄笑いしながら見つめているのは、異形の者であることを、お自夜は知らない。

 

 

  なぜに血の色 曼殊沙華

  天に在りては白き花

  地に在りては赤き花

  ほんに不思議な花の色

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

 歌が、聞こえる……

 あれは、母が歌っているのか?

 どこか遠くで子守歌が聞こえたような気がして、お自夜が目を開けると、最初に見えたのは、月明かりの下で咲く、血のように赤い花びら。

 お自夜は曼殊沙華の花園の中で倒れていた。

滑り落ちた所は、この山が曼珠山と呼ばれる所以の花園だった。

 なんでもない時なら、月の光に照らされて咲く曼珠沙華を美しいと思えただろう。我が子を奪われたお自夜には、花を愛でる余裕などなかった。

 どのくらい意識を失っていたのか。先程は東の空にあった月は、南の空高く昇り、いつもより大きく見えた。そして、月の光は、真昼のように明るく金色に地上を照らしている。

 早く朧火を助けに行かなくては――体中、打ち身と擦り傷で痛い。腕や足にも血が滲んでいる。それでもお自夜は苦痛を堪え、上体を起こした。

「う――ううっ!」

途端、胎の中で赤子が暴れた――いいや、何か別の生き物が入り込んで、赤子に狼藉を働いているのではないかと思うくらいの激痛に、みぞおちの辺りが押されるように痛くなり、呻きながら腹を抱えた。

心の臓が早鐘を打つ。息が苦しい。脚の間から濡れた感触がする。破水したのだ――続いて赤子が胎から産道のほうに下りてくるのも感じた。

 まさか、滑り落ちた衝撃で産気づいてしまったのか。

 産み月には早い。産婆もいない。山の中で、たった一人で赤子を生むなど、命が危ない。

「まって……駄目……まだなのに……」

 母の願いも聞かず、生まれたいと主張するかのように赤子は胎で蠢く。

「あ……あ――ううぅっ!」

 赤い花びらの褥の中で、獣のように喉の奥で唸り、呻きながら、涙を流しながら、お自夜は生みの苦しみに悶えた。

 お自夜の苦痛と呼応するように、黄金色の月が、左下の端から黒く欠け始めた。

 黒い影は、ゆるゆると月を侵食していった。黄金色の丸い月は半月となり、猫の目のように細い三日月へと姿を変えた。

月が欠けていくにつれ、山は暗く、闇が深くなる。

 闇に包まれながら、お自夜は我が子の無事を願った。

(お願い……無事に生まれて来て……)

 そんなお自夜の耳に聞こえてきたのは、笑い声だった。

「うふふふふ」

「あははは」

「くっくっくっ」

「きゃはははは」

「くすくすくす……」

 笑い声は、空から聞こえる。無邪気な調子の笑い声は、幼い子供のようでもあり、若い娘のようでもあった。

 空を見上げると、闇に白いものが浮かんでいるのがぼんやり見えた。

ひとつ……ふたつ……全部で五つ。

それらがゆっくりと降りてきて、大きく全体がはっきり見える程近づいた時、お自夜は愕然なった。

 虚空から降りてきたのは、人だった。

透き通るような薄い白い衣を豊満な体に羽織った五人の乙女たちが、夜空から舞い降りてきたのだ。

 月の光をそのまま写し取ったかのように輝く黄金色の髪を靡かせながら、乙女たちは白い腕を振り上げ、袖を翻した。

 ふわり。

 ふわり。

羽根のように軽やかに、右へ、左へと宙を舞う。

 乙女たちの動きに合わせて、透ける単の下の豊かな胸が揺れ、袴を履いていない足が、裾から覗く。

 歳の頃は十四から十八くらい。あどけなさが残る顔に、笑みを浮かべながら、可憐に、淫らに、艶めかしく舞う乙女たち。

 空から人が降りてくるなんて――お自夜は自分の正気を疑った。

 悲しみと苦痛のあまり、夢を見ているのか?

だけど、夢でも幻でもない証拠に、舞い踊る乙女たちは、地上から五尺ばかりの高さまで降りると、お自夜を囲むように見下ろした。

乙女たちは、皆咲き誇る花のように美しい。だが、お自夜を見つめる翡翠のように艶のある鮮やかな緑色の瞳には、氷のような光が浮かんでいた。冷ややかな眼差しに慈悲の欠片はない。

そして、嘲りの笑みを浮かべながら、乙女たちは口々に、小鳥が囀るように囁いた。

「生まれてきても、無駄だよ」

「この子は女の子だ」

「弱い女の子だ」

「女だから、男に嬲りものにされる」

「女だから、簡単に殺されるよ」

 赤い紅をひいた唇から漏れるのは、鈴の音を転がすような声で赤子を呪う言葉。

 意地悪な言い様に、お自夜は怒りを覚えた。

「ご覧」

 一人の乙女が闇の彼方を指さして示した。

 闇の中に、ぼうっ……と、何かが朧に浮かんで見えた。

 お自夜が見たのは、薄汚れて、襤褸(ぼろ)のような小袖を着た十歳くらいの女の子の姿だった。

 知らない女の子。だけど、目の大きな可愛い女の子は、朧火にも蛍火にも似た子だった。

(あの子は、わたしの娘?)

 幻に見える女の子は、今生まれようとしている赤子の成長した姿だと、お自夜はわかった。

 女の子は腹を空かせているようだった。食べ物を探して道をうろつき、どこかの屋敷の裏に捨てられていた残飯を拾って、貪るように食べた。そこへ、下卑た男がやってきて、にやにやと嫌な笑いを口元に浮かべながら女の子を見下ろす。そして、女の子に手を伸ばして捕まえると、地面に押し倒し――

「やめて! わたしの娘に触らないで!」

 お自夜は幻に向かって叫んだ。だけど、悪夢は止まらない。

「あ……あ……あ……」

 お自夜に止める術もなく、女の子は無残にも辱められ、壊れた人形のように地面に打ち捨てられた。

 次に見えた幻は、走っている女の子だった。

 必死の形相で走る女の子の後ろを、男が追いかけている。まだ少年といってもいい。黒い絹の小袖を着た少年は、信じられないことに、その両腕から刀を生やしていた。そして、泣きながら逃げるその小さな背に、少年は腕の刀を振り下ろした――

 切り裂かれた女の子の背から、鮮血が花びらのように闇に散る。

「いやぁっ!」

 お自夜は絶叫した。

 惨い。

 惨すぎる。

 まだ幼いのに、あんな目にあうなんて。

 こんなの見たくないと、お自夜は両手で目を覆った。

「ほ、ほ、ほ」

「これでもまだこの子を生むの?」

「この子も姉たちのように嬲られ、殺される運命だ」

「だからね、生まれてこない方がいいよ」

「生まれる前に極楽浄土に行く方が、幸せさ」

 嘲笑う乙女たちの言葉を聞きながら、お自夜は気が遠くなりそうだった。

(こんな惨い運命が、この子を待っているの? それなら生まれないほうがいい? このまま一緒に死んでしまったほうが、この子には幸せなの?)

 苦痛と疲労の中で見せつけられた未来に絶望し、子を生むことを諦めかけたその時、

 

 しゃらん――

 

 涼やかな音が響いた。

 その音を聞いた途端、乙女たちは笑うのを止めた。

「あ、あ、あ」

「ひぃっ」

「きゃあっ」

「いやっ」

「こわぁい!」

 傲慢な美貌を恐怖に引きつらせながら、悲鳴を上げる乙女たち。

 

 しゃらん――

 しゃらん――

 しゃらん――

 

 苛立たしそうに何度か金属の音が鳴ると、短く叱咤する声が聞こえた。

「去れ!」

 途端、鞭打たれたように、乙女たちの体は季節外れの桜の花びらと化し、散った。

断末魔の悲鳴と共に、花びらは夜空に舞い上がり、儚く消えた。

「願いなさい」

 乙女たちを追い払った声は、続いてお自夜を激励する。

「男になれと願いなさい。男に変成できれば、その子は助かりましょう」

 優しく、凛とした声は、聞き覚えがあった。それが誰かは、今のお自夜には思い出せなかった。だが――

 男になれと願えば、娘は助かる――絶望の中で聞いた声は、一縷の望みとなった。

我が子を守るため、迷わずお自夜は願いを口にした。

「お願い――男になって……男に生まれて……誰にも負けない、誰にも殺されない強い男に……!」

 その瞬間、お自夜は見た。月が完全に影に侵食されて、闇が地上を覆ってすぐ、赤黒い月が虚空に現れたのを。

 今宵の惨劇の証のような、血の色の月だった。

 

 血の色の月の下で、力強い産声が天に響いた……

 

 

(生まれた――)

 赤子の泣き声を聞きながら、曼殊沙華の褥に横たわったお自夜は、精も根も尽き果てていた。だけど、赤子の体を清めてやらなければ。臍の緒や後産の処理もしなければ、母子とも死んでしまう。

お自夜は眠っては駄目だと自分を叱咤し、起き上がろうとした。しかし、力が入らない。意識も遠くなる。

 だから、曼珠沙華の花をかき分けて、誰かが近づいてきたのをお自夜は気がつかなかった。

 意識を取り戻した時、赤子の泣き声は生まれた時よりも、いっそう激しかった。

(どうしてそんなに泣いているの?)

お自夜は不思議に思う。恐ろしい現世へ生まれてきてしまったことを、我が子は嘆いているのか?

 お自夜はなんとか半身を起こすと、傍には昨日、あの不吉な予言をした若い僧侶が立っていた。

 あの時はみすぼらしい僧服だったが、今は高位の僧が着る僧綱襟(そうごうえり)の法服に身を包み、金糸で刺繍された絹の袈裟を纏っている。

 十五夜の月は、すでに血の色ではなく、黄金色に戻っていた。清らかな月の光に照らされた僧侶は、輝いて見えた。まるで神仏のように犯し難い雰囲気だ。

そうしてお自夜は気がついた。

さっき五人の乙女たちを追い払った声が、お自夜に願えと言った声が、この僧侶の声だということを。

助けてくれた恩人だとわかると、昨日、僧侶のことを忌まわしく思ったことを、お自夜は恥じた。

(わたしったら、失礼なことを)

 僧侶の腕の中には、身を清められた裸の赤子が抱かれていた。赤子は泣き叫びながら身をよじり、手足を蠢かせている。僧侶に抱かれているのが、嫌がっているように見える。

「わたしの子――」

 お自夜は両腕を伸ばした。僧侶が赤子をお自夜に渡すと、赤子はたちまち泣き止んだ。母の温もりに安堵したのか、おとなしくなり、すやすやと眠り始める。

 赤子の重みを腕にして、お自夜は思わず涙が零れた。月足らずで生まれてきたが、赤子は月満ちて生まれた子と同じように――朧火と蛍火が生まれた時と同じように――大きく、元気な赤子だ。無事に生まれてきてくれて良かったと、安堵してほっと息を吐く。

 お自夜は性別を確認しようと、赤子の股間を覗いた。

 小さいながらも男の印がついている。男の子だ、と思ったが、小さな男根とみつぶくろ)の後ろに、男にはあるはずがないものが見えた。

「この子は……」

 お自夜は戸惑った。女にしかないはずの花弁が、赤子の身に刻まれていた。

 何度見ても、赤子には男の印と女の印が両方ついている。

 我が子は男なのか? 女なのか?

 答えを探すように、お自夜は顔を上げた。憂いに満ちた表情の僧侶と視線が合う。僧侶は憐みの眼差しでお自夜と赤子を見つめていたが、痛ましそうに呟いた。

「変成し損ないましたね」

 僧侶の言葉が、お自夜は理解できない。し損なった? 何を?

 僧侶はお自夜が求める答えを告げた。

「あなたが願ったので、この子は変成男子して生まれる筈でした。しかし、祈りが足りなかったのでしょう。陽の気が陰の気に打ち勝つことができず、このように未完の体で生まれてしまいました」

 だから、男でもあり女でもあり、男でもなく女でもない。

「そんな……」

 お自夜は蒼白になった。あんなに一生懸命、必死に願ったのに――

「わたしのせい? わたしのせいで、この子は……」

 異形の身となった我が子に、お自夜は自分を責める。

そんなお自夜に、僧侶はにっこりと笑って言った。

「安心なさい。鬼の子を倒せば、大丈夫です」

「鬼の子?」

「そうです。この世に生まれた悪しき心の鬼の子、長じれば人々を不幸にし、この世を乱すことになるでしょう。鬼の子を倒せば、その功徳によって、女の印は消え、この子は男になります」

 鬼の子を倒せば、この子は男となる。

 僧侶の言葉は、お自夜には天からのありがたいお告げに聞こえた。

「して、その鬼の子は、どこに?」

 お自夜が尋ねたその時、

 

「お自夜―っ!」

 

 どこからか、自分を呼ぶ声が聞こえた。

「あんた?」

 あれは、火袋の声だ。

 お自夜は声の方に振り返り、それから再び僧侶の方に視線を戻した。

 だが。

 僧侶の姿は跡形もなく消えていた。

 月明かりの下の曼殊沙華の花園の中で、ぽつんとお自夜は赤子と残された。

 

 

「お自夜―っ! 朧火―っ! どこだぁ!」

 火袋は声を限りに女房と娘の名を呼びながら、夜の山を彷徨っていた。

 その目は血走り、凶暴な獣のように獰猛な表情だ。

朝からずっと歩き通しで、岩のように屈強な体を持つ火袋でも、疲労の色が浮かぶ。だけど、火袋は立ち止まるわけにはいかない。女房と娘の姿を見るまでは。

 夜明け前に、醍醐景光率いる軍の突然の襲撃を受けてから、火袋は一緒に村を見回っていた豊作と斎吾、他の男衆と共に、女子供や老人病人を逃がすために雑兵たちと戦った。そして、弱き者たちを守りながら曼珠山の山小屋に逃げ延びた。

 だが、山小屋には何人かの村人が逃げていたが、お自夜と娘たち、義母の姿はなかった。豊作の女房も息子も、斎吾の母親の姿もなかった。

 他の山小屋に逃げているのかもしれない。

 そう思って、火袋は豊作と斎吾と共に、他の山小屋を見て回った。だが、彼らの家族の姿はなかった。彼岸寺にも行ったが、そこは無惨な現場だった。

 火袋たちが見つけたのは、彼岸寺の和尚や弟子の僧たち、そして寺に逃げ込んでいた村人たちの亡骸だった。

 和尚を始めとして、全員首が無かった。

 村の男だけではなく、女子供も、出家者も無残に斬り殺して首をはねた醍醐の兵の残忍さに、火袋たちはさらに怒りを募らせた。

 

 火袋たちがよくよく亡骸を見たならば、体には傷は残っておらず、首は刀で斬られたのではなく、大きな獣の牙で食いちぎられた痕だと気がついたであろう。だが、その時の火袋たちには、そんな余裕は無かった――

 

 それから火袋たちは彼岸寺を後にして、行方知れずの家族を探して山を歩いた。

 そして、夜になって最初に見つけたのは、斎吾の母だった。

 

「おっかぁ!」

 

全身血まみれになって草むらの中に倒れていた老母を見て、斎吾は一瞬呆けていたが、すぐに一声叫ぶと、転がるように駆け寄った。

助け起こした斎吾の母は、すでに冷たくなっていた。

 まさか、うちの女房子供も――

 不吉な予感に火袋と豊作は、母の亡骸にすがって泣く斎吾をそこに残して、まだ行っていない山小屋の方へ向かった。そして、間もなく見つけたのだった。村人たちの亡骸の中に、家族を。

 

「蛍火――おっかさま!」

「うわあああっ! 下枝ぇーっ!」

 

 情け容赦なく斬殺された惨い姿に、火袋も豊作も号泣した。

 だが、火袋は気づいた。

 

「……お自夜――朧火は、どこだ?」

「あ……大作は?」

 

 お自夜と朧火は、この凄惨な現場にいなかった。豊作の息子も、母親の亡骸の傍にはいなかった。

 お自夜も朧火も、豊作の息子も、逃げることができた――まだ生きていると確信し、手分けして行方を追おうと、火袋は豊作と別れて山を彷徨い歩いた。

 真夜中になった頃、丸い月が喰われるように急速に黒く欠けていったが、身を隠すこともせず、立ち止まらずに歩き続けた。

月が影に喰われる不吉さなど恐れなかった。火袋が恐れていたのは、お自夜と朧火の亡骸を見つけてしまうことだけだった。

 火袋の父も母も兄弟姉妹も、飢餓や流行り病、戦で一人残らず死んでしまった。今、火袋の家族と言えるのは、お自夜と娘たち、そしてこれから生まれてくる赤子だけだ。それなのに、一人だって失いたくないのに、幼い娘は殺された。これ以上家族を失いたくない。

「お自夜―っ! 朧火―っ! どこだーっ! 頼む、返事してくれ!」

 暗闇の中で火袋は叫び続けた。

 そして、虚空に赤い月が浮かんだ時、遠くの方で赤子の産声を聞いた。

 俺の子だ――

 火袋は直感した。

 産み月には早いけれど、あの泣き声は我が子だと、頭で思うより先に火袋の足は産声が聞こえてきた方に駆けていた。

 赤い月は、いつしか端の方から光を取り戻し、不吉な血の色から清らかな黄金色に戻った。

「お自夜―っ!」

 女房の名を呼びながら木々を抜けると、曼珠沙華が咲き乱れる花園に出た。

 血を吸ったかのように赤く、燃える篝火のように花開く曼珠沙華の花園の真ん中には、黄金色の月光の下で、裸の赤子を抱くお自夜が立っていた。

 生きていた……!

 お自夜は無事だった。眠っている赤子も大きくて、元気そうだ。

 嬉しすぎて、火袋は涙が出そうになった。せっかくのおめでたに不吉だから、泣くもんかと、我慢し笑おうとした。

「お自夜……」

 泣き笑いの表情で顔を歪ませながら火袋が呼びかけると、

「あんた……」

 お産を終えたばかりのやつれた顔のお自夜は、火袋を見て微笑んだ。

微笑むお自夜の顔を見た瞬間、火袋は笑みを消し、思わず息を飲んで立ち止まった。

この世の者とも思えないほど、美しい女がそこにいた。

着ている麻の単衣は粗末なもので、顔も汗と血と泥に汚れていたが、それでも女の美貌を損なわせない。

(これは……お自夜か? 本当に俺の女房か? 天女の化身じゃねぇのか?)

 もともとお自夜は村一番の器量よしと評判で、自慢の女房だ。だが、一晩会わない間に、お自夜はさらに美しくなっていると火袋は感じた。

ただ美しいだけではない。優しく、慈愛に満ちた微笑みには、何か決意を秘めた強さが滲んでいた。それが誰よりも綺麗で、強くて、怖くて……近づきがたい。

女房に、我が子に会えて嬉しいのに、会えたら抱きしめたいと思っていたのに、火袋はお自夜に近づけなかった。

お自夜は誇らしげに、だけどどこか悲しげに言った。

「生まれたよ……あんたの息子……朧火と蛍火の弟……本当は女の子だったけど、あのお坊さまの言った通り、願ったら男の子になったんだよ……でもね――わたしのお祈りが足りなかったせいで、生まれ損なってしまったの……だから……鬼の子を退治しないと……この子は男の子になれないのよ……」

火袋は、お自夜の言っていることの意味がわからない。生まれた子が男の子であることは理解したが、素直にそう思えない。

 何があった?

 自分がいない間にお自夜の身に何があった?

 朧火はどこだ?

 赤子は本当に男なのか?

 いくつも聞きたいことがあった。しかし、愛おしそうに赤子を抱くお自夜を、火袋はただ黙って見つめるしかできなかった……

 

 

 

 

2018年9月23日 (日)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章9

    変成の章前編

 地獄のような娑婆に、龍女が生まれ堕ちた。

 

 

 話は遡る――

 時は応仁元年三月の晦日。醍醐景光が地獄堂で四十八の魔物と契約してから、四年の月日がたっていた。

 仏師運賀が彫った木彫りの像に封印されていた魔物たちは、生贄の赤子の体から生きた血と肉を得てから、それぞれが好きな場所で自由を謳歌していた。

 再び会うのは、ずっと先か、あるいは永遠にこないはずであった。

 しかし、見過ごせない問題が起きた。そうして虚空の闇の中、四十八の魔物たちが四年ぶりに集った。

「皆、揃ったか?」

 魔物の一体が呼びかけると、残りの四十七体の魔物が一斉に答えた。

「揃った」

「揃った」

「揃ったぞ」

 久方ぶりに会った仲間への挨拶もそこそこに、本題に入る。

「赤子のこと、聞いたか?」

「聞いた」

「聞いた」

「聞いたぞ」

「余計なことをした男がいるとな」

「約束を破りおって!」

「けしからん!」

 怒号が闇を揺るがす。同時に獣のような唸り声や、歯ぎしりする音も響く。

「あの赤子の体は、わしらと景光との約束で貰ったものだ」

「それを我らに断りもなく、代わりの体を勝手に与えるとは」

「許せん!」

 契約の証として体を奪った赤子が、景光に捨てられた後、医師に拾われて命を救われた。

 それはいい。命まで奪うとは魔物たちは言わなかった。封印を解くために生きた血と肉が得られれば、赤子が生まれた後、生きようが死のうがどちらでも構わなかった。

 だが、あろうことか、医師は赤子に作り物の手足を与えて、自由に動けるようにした。

偽物の体とはいえ、五体満足の姿を生贄の子が取り戻すということは、魔物たちには、許しがたい契約違反だった。

「罰を与えねば!」

「その男、八つ裂きにしてくれよう!」

「おお!」

 今すぐ医師を殺そうと意気込む魔物たち。

「まあ、待て」

 それを、ある魔物が止めた。上半身は人の若い男の姿だが、下半身が白銀の鱗に覆われた蛇の魔物だった。

「我らと約束したのは景光。その男は、我らとは何も約束を交わしていない。与えた体も、所詮偽物。本物は、我らの元にある」

「だから、何もするなと言うのか?」

「知らぬとはいえ、勝手をしたからには、仕置きが必要だ」

「そうよ!」

 許すなと言う仲間たちに、蛇の魔物は、

「そうとは言っておらん」

 やんわりと言って、提案する。

「まずは、警告をしてやろう。その男の周りに住む小物どもに、脅かしてやれと命じておく。それであの子を生まれたままの姿に戻すのならよし、そうでないなら、我らの元にある体で、面白い物を作ろう」

「面白い物とはなんだ?」

「我らが貰ったこの体、くっつけてひとつにしたら、一人の子供になる。そうして生まれた子と、あの子が出会ったら、どうする?」

 にたり。

 蛇の魔物は、思わせぶりに笑った。

すぐに言わんとすることを察して、魔物たちに喜びの声が上がった。

「おお! いいぞ!」

「なんて素敵!」

「面白い! 実に面白いことになる!」

体を奪われた子供と、奪った体を与えられた子供。

 奪われた子供は、体を取り戻そうとし、与えられた子供は、体を取り戻されまいとする。

 二人の間に争いが生まれるはずだ。血で血を洗う、殺し合いが。

 それこそ魔物たちが好むものだった。

「よし、皆、体を出せ。子供を作るぞ」

 そうして各々所収している体の一部を出し合い、くっつけた。

だが、奪った体をくっつけてみても、数が足りないのだから、一人前の人間の子供に作り上げるのは難しい。しかも、魂もないのだから、たとえこの世に生まれ堕ちても、心のない、生きているだけの人形にしかなりえない。

「そこらに転がっている死体から、体を足してみようか」

「生きた肉に死肉を足しても、腐ってしまうぞ」

「魂は、その辺に漂っている霊魂を捕まえて体に入れてみようか」

「死霊を入れても、体は腐る」

 そうして思案し、話し合った結果――

「ならば、これから生まれる赤子に体をやろう。さすれば、魂を持った人の子となる」

 奪った体を他の赤子に与えることにした。

「どの子にあげましょうか」

「あまり遠くでは駄目だ。あの子供と出会うことができぬと、意味がない」

「どこがいい?」

「どの子がいい?」

 四十八の魔物たちが闇の中から下界をあちこち見下ろす。そして、一人の女に目を止めた。その身に小さな命を宿した女を。

「見つけた」

「見つけた」

「見つけたぞ」

「なんと可愛らしい子」

「あの女の胎の子がいい」

「あの子に体をやろう」

「ぐふ」

「ぐふ」

「ぐふふふ」

 思い通りに弄ぶ人形を見つけて、満足しそうに喉を鳴らして笑う声が、小波のように闇を揺らした。

 

 四十八の魔物に魅入られたことを知らず、無垢な赤子は母の胎内で育ち――

 

 

  秋の野に咲きたる花を 咲きたる花を

  指折り数えれば 七草の花

 

頭を垂れて秋風に揺れている稲穂が、夕日に照らされていっそう黄金色に輝いていた。

 水を抜いて稲の収穫を待つ田んぼの傍の畦道には、茎を伸ばした曼珠沙華の花が、いくつも咲き乱れている。

深紅の花は、着古した小袖を着て、仲良く手を繋いで歌いながら歩く姉妹を導くようだ。

 姉は六、七歳くらい。腰まで伸ばした髪は、紅色に染められた紐でひとつに結われ、背中で揺れている。

 姉に手を引かれている四、五歳くらいの妹は、肩の辺りまで伸ばした髪が、扇を広げたようにゆらゆらと揺れているのが何とも可愛らしい。

 幼い姉妹の後ろを、少し離れて女がゆっくりと歩いていた。

 女の腹は、膨らみが目立ち始めている。女は愛おしそうに腹を撫でながら、先を歩く姉妹を見つめていた。

 

  ひとつ 萩の花

  ふたつ 尾花

  みっつ 葛花

  よっつ 撫子の花

  いつつ 女郎花

  むっつ 藤袴

  ななつ……

 

「えーと、なんだっけ?」

「おっかちゃん、ななつは、なぁに?」

 秋の七草の数え歌を歌っていた姉妹は、最後の草花がわからなくなって、立ち止まり、後ろを振り向いて女――母に尋ねた。

「朝顔よ」

 母は優しく微笑んで、娘たちに教えた。

「朝顔!」

「そうだ、朝顔だ!」

 姉妹はにっこり笑って続きを歌う。

 

  ななつ 朝顔

  これが秋の七草の 七草の花

 

 ここは加賀の国にある小さな村。

村の名を、まほろ村という。

 二十四歳の若い母は、まほろ村の百姓、火袋(ひぶくろ)の女房のお自夜(じや)だ。

姉妹は娘の朧火(おぼろび)と蛍火(ほたるび)。

お自夜の胎には、あとふた月で生まれる三人目の子供が宿っていた。体が重く、歩くのも億劫になってきたが、胎の赤子が順調に育っていると思えば、嬉しい。これから実家に帰って、母に会えるのも楽しみだ。

 この数年、日照りや冷害が続いて米の収穫は乏しかった。今年はかろうじて稲の実りはよかったが、そこで安心はできない。収穫前の稲を狙う輩は、毎年のようにやってくる。

雀なんかは可愛い方だ。やっかいなのは、人間の方だ。

とくに今年は京の都で大きな戦が始まってからは、領主からの年貢米の要求が去年よりも厳しくなるわ、盗賊や近隣の村の者が米を狙うわ、油断大敵だ。命の糧である米を根こそぎ略奪されたらたまらない。

そういうわけで、収穫の前後には、まほろ村の男衆は交代で何人かが村を見回りすることに決めていた。今夜、火袋は仲の良い豊作(ほうさく)と弟分の斎吾(さいご)と一緒に見回ることになっていた。

 盗賊が忍び込むかもしれない物騒な夜に、家に妊婦と幼い子供たちだけでは危ない。お自夜の実家も母のお小夜(さよ)一人だけだ。せめて母子が一緒の方が安心だからという訳で、火袋が留守の今日、お自夜は娘二人を連れて実家に帰るところであった。

お自夜が先を行く娘たちの見つめながら、ゆっくり歩いていると、

 

しゃらん――

 

どこからか、涼やかな音が鳴った。

音のした方に目をやると、道の向こうの方から誰かが歩いてくるのが見えた。

右手には錫杖を持ち、頭には笠を深く被って顔は見えないが、着ているのは墨染の衣だから、僧侶らしい。

錫杖が地面を突くと、先端の輪が揺れて音が鳴る。

 

しゃらん――

しゃらん――

 

錫杖を突きながら痩身の僧侶は姉妹とすれ違った。そして、そのまま歩いていって、お自夜の横を通り過ぎるかと思われた。

 だが、僧侶はお自夜の前に立ち止まると、笠を上げて顔を見せた。

 歳の頃は二十歳前後の若い男だ。色白で、鄙には稀な眉目秀麗の涼やかな顔立ちをしている。夕日に照らされた顔は、神々しいまでに美しく見える。思わず見惚れたお自夜に、僧侶は柔和な笑みを浮かべて尋ねた。

「お尋ねいたします。彼岸寺(ひがんじ)へはどの道を行けばよろしいでしょうか」

 彼岸寺は、村の西のはずれ、曼珠山(まんじゅやま)にある寺だ。それではこの若い僧侶は、寺に修行に来た旅僧なのだろう――そう思ってお自夜は道を教える。

「お寺は、この道をまっすぐ行ったお山にございますよ」

 僧は「ありがとうございます」と礼を言って、頭を下げた。

 だが、頭を上げた途端、僧侶の顔から急に笑みが消え、両の眼から大粒の涙がほろほろと零れた。

「ど、どうなさいましたか、お坊様」

 突然泣き出した僧侶に、お自夜は困惑した。僧侶は慌てて袖で涙を拭い、謝罪した。

「し、失礼を――ただ、あなたのお子の運命が、痛ましくて……」

 痛ましい?

僧侶の言葉に、お自夜は何が痛ましいのかわからなかった。

 さらに僧侶が涙に目を潤ませながら言うことに、お自夜は絶句する。

「あなたの胎の子は、この世に生まれると、辛く、惨い目に逢う運命が見えました。命数も短くて……それがあまりに哀れで……」

「何を……!」

 お自夜は僧侶の言葉を遮ろうと、口を開いた。

 初めて会った人間――いくら修行を重ねている僧侶といっても、我が子の人生にいいことがない、短命だと言われれば、母として唖然とし、怒りもするのも当然だ。しかし、お自夜の怒りをよそに、

「お子は、女です」

 僧侶は胎の子の性別まで断言し、さらに言った。

「せめて、男であれば、この憂き世を生き延びることができましょう」

 ですから――僧侶はお自夜の眼を覗き込むようにじっと見つめて、真剣な表情で言った。

「この子を生む時、強く願いなさい。男になれ、と――男として生まれよとあなたが願えば、子は龍女のごとく、男に変成(へんじょう)できましょう」

「龍女……ですって」

 『法華経』に曰く、竜宮の主である娑竭羅竜王(しゃかつらりゅうおう)の娘、龍女は、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の教えにより、罪障深いとされる女の身でありながら悟りを開き、男に変じて仏になったという。

 尊い仏の教えだが、願えば簡単に女が変成男子できると、本気で言っているのか?

 驚愕と疑念の眼差しで見返すお自夜に、僧侶はさらに念を押すように言った。拒絶することなど、許さぬと言うように。

「よろしいですね? 必ず願いなさい。さもなければ――」

 そして、恐ろしい予言を告げた。

「この子は死にますよ」

(死ぬ? この子が? 女だから? そんな馬鹿な!)

 我が子の死の宣告に、お自夜は嘘だと叫びたかった。でも、お自夜は何も言い返せなかった。僧侶があまりに真剣で、あまりに美しかったから。

「この子を助けたかったら、あなたが祈り願うことです。それが、この子が助かる唯一の方法です」

 そうして一礼し、曼殊山の方に向かって歩く僧侶の後姿を、お自夜は呆然と見送るしかできなかった。

 

 しゃらん――

 

 錫杖の輪が再び鳴る。

 それまで黄金色だった日の光が、茜色になった。

日が沈む前の空は、燃える炎のように、血のように赤い。夕焼けに照らされた僧侶の後姿は、先程感じた清らかさは微塵もなく、禍々しく見えた。

僧侶の姿が見えなくなり、錫杖の音が聞こえなくなっても、お自夜は動けなかった。

「おっかちゃーん、どうしたの?」

「はやくー。ばぁちゃんのうち、いこうよー」

 母が来ないことに気がついた娘たちが、声をかけるまで、お自夜は立ち尽くしていた。

 

 

 粟の飯に、鍋いっぱいの山芋と茸の煮物。山菜の和え物。それと、黄金色に焼き上がったふわふわの卵焼き。

 里帰りしてきた娘と孫たちに食べさせようと、お小夜が作った精一杯のご馳走が、お自夜たちの前に並べられた。

「さあ、たんとお食べ」

 お小夜が勧める夕餉を、朧火と蛍火は歓声を上げて食べ始めた。育ち盛りの子供は、粟飯を頬張り、煮物に舌鼓を打つ。

 そんな娘たちをよそに、お自夜は一口、二口と箸を動かすが、量は減っていない。

「お自夜、食べないのかい? 食べなきゃ胎の赤子が腹空かせるよ」

 身重のお自夜を気づかって、お小夜は自分の卵焼きをお自夜の前に置いた。

「おっかちゃん、食べて」

 朧火も半分食べた卵焼きを差し出す。蛍火は、三分の一まで食べた卵焼きを見つめていたが、決心して「はい」とお自夜の前に差し出した。

 母と娘たちの気づかいに、お自夜は慌てて言った。

「だ、大丈夫よ。朧火も蛍火も、食べなさい。おっかさんも――」

 心配する母と娘たちを安心させるために、お自夜は山芋の煮物を頬張った。口の中に広がる煮物の味は、子供の頃から食べ慣れた味だった。懐かしく優しい味に安堵し、食欲がわいてきた。

「赤ちゃん、ごはんおいしい?」

 蛍火がお自夜の腹に向かって話しかける。

「そうね。あんたたちの弟か妹も、おいしいって言っているわ」

 お自夜がそう言うと、

「わたし、弟がいい!」

「ほたるは妹がいい!」

 朧火と蛍火は、目をきらきらと輝かせながら、赤子の性別について、やいのやいのと言い始めた。

「妹は蛍火がいるから、今度は弟がいい」

「ほたるも妹ほしい」

「弟の次にしなさいよ」

「いやー」

 食事もそっちのけで、言い争う孫たちに、お小夜はやめな、と止めた。

「今から騒いでも、しかたないだろ。神様仏様がお決めになることなんだから。どっちでも、あんたたちの弟か妹に違いないんだからさ」

 お小夜の言うことはもっともなので、「はい」と返事して、朧火と蛍火はまた食事に戻った。お自夜も箸を動かす。本当は、喉が通らないほど気がかりなことがあるけれど、母と娘たちを心配させまいと、おいしいと言いながら食べた。

 そして、お小夜の心のこもった夕餉を食べ終え、夜もとっぷり暮れた頃、お自夜は娘たちを寝かしつけた。

 娘たちは床に就いたが、中々寝つけない。布団の中でもぞもぞと身じろぎ、目をぱっちり空けている。まだ甘えたい盛りの蛍火だけではなく、姉としていつもはしっかり者の朧火まで、祖母の家に泊まる嬉しさに興奮しているようだ。

「眠くない、おっかちゃん」

「まだ寝たくなーい」

 朧火も蛍火も口々に眠れないと言う。

「今夜寝てないと、明日眠くなって、お月見の団子が食べられないわよ」

 お自夜の言葉に、姉妹は慌てて目を瞑る。明日の晩は八月十五夜だ。一年に一度のお月見は、ご馳走を食べられる数少ない機会だ。寝てしまって団子を食べ損ねる訳にはいかない。

 そんな娘たちのために、お自夜は子守歌を歌い始めた。

 それは母から子へ、代々歌い継がれたまほろ村の子守歌だった。

 

  ひとつ摘んでは父のため

  ふたつ摘んでは母のため

  みっつ恋しいあの人に

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

  なぜに血の色 曼殊沙華

  天に在りては白き花

  地に在りては赤き花

  ほんに不思議な花の色

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

  闇路を照らす 曼珠沙華

  これよりいずこへ参るのか

  奈落の底か まほろばか

  行ってみなけりゃ わかりゃせぬ

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

 眠くないといいつつも、お自夜が最後まで歌わないうちに、幼い姉妹は揃って眠りについた。娘たちの寝顔を可愛く思いながら、お自夜はそっと二人から離れた。

 子供たちが眠ると、お自夜はお小夜と縫い物を始めた。小袖や帯を縫って市で売れば、家計の足しになる。母子は灯火のほのかな明りの下で、一針一針、丁寧に小袖を縫う。

狭い家の中で、灯火がじじ……と燃える音と、外で風が草木を揺らす音だけが聞こえる。

 黙々と縫い物をしているのも疲れるから、子供たちを起こさないように、小声でお喋りを始める。

「曼殊沙華の花も、咲いたねぇ」

「そうね……」

 母の言うことに、お自夜は短く答えた。

 縫い物をしながら、お小夜は嬉しそうに言う。

「蛍火も、今年は髪結いだ。曼殊沙華の花、たんと摘んで、糸を綺麗に染めてやらなきゃな。朧火とお揃いがいいって、言っていたし」

 まほろ村では、秋になると曼殊沙華の花を摘み、鍋で煮て布や糸を染める。曼殊沙華の花びらで染めた糸は薄紅色だが、まほろ村の曼珠沙華だけは、鮮やかな紅色に染まるのだ。

 美しい紅に染まった糸や布は、まほろ村だけでなく、近隣の村や町でも人気だから、結構な高値で売れる。曼殊沙華の花びら染めは、まほろ村の貴重な収入源であった。

そして、まほろ村の女の子は、五歳の年の秋に、曼殊沙華の花びらで染めた糸で作った紐で髪を結んで成長を祝う。

 今年は蛍火の髪結いだ。だけど、娘の晴れの日のための相談をしているのに、お自夜は母の言葉を聞いているのかいないのか、心ここにあらずといった様子だ。

「どうしたんだい、お自夜?」

 さすがに娘の様子がおかしいと、お小夜は不信に思い、尋ねた。我に返ったお自夜は、大丈夫だと答えた。

「別に、なんでもないわ」

「なんでもないなら、どうして縫い目がぐしゃぐしゃなんだい?」

「え……あっ!」

 言われて初めて、お自夜は自分が縫っていた小袖の縫い目が乱れていることに気がついた。おまけに前身と後身を縫い付けてしまっている。これでは売り物にならないどころか、着ることもできない。

 糸をほどきながら、お自夜は夕方の僧侶のことを苦々しく思う。

 あんな戯言、気にしていないつもりだったのに――

 女に生まれたら不幸になるなんて、死ぬなんて、そんなこと、信じられない。

 だけど、もしもあの若い僧侶の言うとおりになったらと、不安でたまらなくなる。今の荒んだ世の中、平穏無事に生き延びることができるのだろうか。

 そんなお自夜を見つめる母の眼差しは、優しい。お小夜は強いて話せとは言わないが、お自夜は話してしまいたくなる。子供の頃から悩み事があると、お小夜に相談して心が楽になったから。

「あのね……おっかさん」

 お自夜は夕方の出来事をお小夜に打ち明けた。

「今日、こっちに来る途中で道を尋ねられたお坊様に、変なこと言われたの」

「どんなことだい?」

「胎の赤子は女だから、生まれる時、男になれって願えと言うのよ。女に生まれたら、苦労するからって……」

 死ぬと言われたことなど、母が心配するから言えない。

「そう言われて、心配になったわけかい?」

「うん……」

「そりゃあ、心配になるわ。お坊様にそんなこと言われたら」

 うんうんとお小夜は頷いた。しかし、娘と一緒になって不安を募らせることはしなかった。

「気にすることはないよ。生まれてくる赤子が、男か女かだなんて、ああだこうだ文句を言うのは、勝手だ。そんなものは天のお決めになったことで、親でも文句は言えないものだ。男であろうが、女であろうが、この世で苦労するのは同じだ。元気に生まれて生きてくれれば、それでええ。生きてさえいてくれれば――」

 そこまで言って、お小夜は口を噤んだ。

女房子供を飢えさせまいと、朝から晩まで働いて、体を壊した夫が死んだ後、お小夜はそれこそ身を削る思いで働き、五人の子供を育てた。だけど……お小夜が生んだ五人の子の中で、残っているのはお自夜だけだ。

長男であるお自夜の兄は、村が戦に巻き込まれた際に兵に殺された。

姉は疫病で嫁入り直前に死んだ。

妹は飢饉の年に飢えて死んだ。

弟も雑兵として戦に駆り出されたあげく戦死し、亡骸さえ戻らなかった。

 苦労して育てた子が、たった一人しか残らなかった哀しみをお小夜は抱えている。

 それに比べたら、自分は我が子を失っていない。お自夜は赤子が生まれる前からあれこれ心配していた自分が恥ずかしくなる。

「そうよね」

 母の言うことに、お自夜は勇気づけられた思いがした。

 我が子に苦労や危険が待ち受けているのなら、母である自分が守る。お小夜が自分を守ってくれたように――お自夜は改めて決意した。

「どちらでもいい――男でも女でも、元気に生まれてくれさえすれば、どちらでもいい」

 お自夜は笑って言い、お小夜も笑顔で頷いた。

「さあ、お自夜も寝な。あとはおっかさんがやっとくから」

 そう言って、お小夜は縫い物を取り上げ、寝床へとお自夜を追いやる。

「さあ、歌ってあげようかね」

 

  ひとつ摘んでは父のため

  ふたつ摘んでは母のため

 

 縫い物をしながら、お小夜は子守歌を歌い始めた。

「やだ、おっかさん。わたし子供じゃないわよ」

 お自夜は笑って抗議したが、

「胎の赤子にも歌ってあげているんだよ」

 そう言って、お小夜は歌うのを止めない。

 

  みっつ恋しいあの人に

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

仕方がないと、お自夜は目を瞑った。母の子守歌を聞きながら、明日は団子をたくさんこさえよう、火袋の為に酒も買ってこようと思いながら、眠りについた。

 夜が明けて、朝になったらいつもどおりの生活が始まるのだと信じて。

 

 

災厄は、突然やって来た。

 

 黄金色の月が西の山に傾き、東の空が薄明るくなった。

 そろそろ夜明けだが、まほろ村の人々は、まだ眠りについていた。一部の男衆は村を見回り、田畑の周囲で篝火をたいて警戒しているが、村の外れの丘に、縦に重ねたふたつ星を三つ並べた旗が、いくつも風に靡いていたことに、気づいていない。

 村人たちに気づかれないように、気配を消して行進してきた騎馬兵と歩兵併せて百余りの軍は、小さな村を攻めるのに十分すぎる数だ。

兵を率いるのは、黒の甲冑を身に纏う男。額に残る十字の傷跡を見たら、加賀、能登、越前界隈では誰もがその名を思い出す。

男の名は、醍醐景光。

加賀の南半国の守護、富樫鶴童丸の家臣の中で、最も残酷で、最も冷酷無比と敵からも味方からも噂されている。

 景光が兵を率いてまほろ村に出陣したのには、理由があった。村人たちにとっては、理不尽な理由が。

 まほろ村は、長年の争いの末、大叔父の泰高から家督を継承した鶴童丸が治める加賀の南半国と、赤松政則が将軍からの恩賞を盾に領地接収を主張する北半国の境近くにあった。

 だから、まほろ村は、富樫家の支配下にある時は、赤松の軍に蹂躙され、赤松家の支配下にある時は、富樫の軍に踏みにじられた。

 そうした状況が何年も続いた中で、今年始まった応仁の乱において、鶴童丸も赤松政則も将軍足利義政が身を置く東軍に属し、一応味方同士になった。

しかし、両家が完全に和睦を結んだわけではない。京の戦いに駆り出されている鶴童丸に代わり、加賀南半国に残る富樫家家臣は、加賀北半国奪還のために、動き出した。

 景光は重臣たちに進言した。

 

「赤松の軍を迎え撃つため、砦を作るべきだ」

 

 加賀北半国を奪還する手始めに、現在赤松家に横領されているまほろ村を潰して砦を作る。村を、田畑を潰しておけば、赤松の戦意喪失に繋がるし、隣国の越前守斯波義廉(しばよしかど)が西軍であったから、そちらに対しての防衛のためにも砦は必要だ。

 村人たちに村を出ていけと、宣告はしない。言ったところで簡単に土地を捨てはしないだろうし、村を奪われまいと、村人たちの抵抗も予想される。たとえおとなしく承諾したとしても、小規模とはいえ、村人たちが移転する為には時も準備も必要だ。その間、敵に気取られて攻められたら、砦を作ることはできなくなる。

 砦を作ることに文句はないが、家臣の間でも、今は敵側に取られているとはいえ、かつて領地であったまほろ村を攻め滅ぼすことに、異議を唱える者はいた。

 だが、

 

「加賀一国を取り戻したくはないのか?」

 

 景光のその言葉で、反対する者はいなくなった。

 支配する側の者にとって、小さな村を潰すことは、加賀の全てを取り戻すことに比べたら、ささやかな犠牲にすぎなかったのだ。

 迅速に砦を作るためだけに、景光はまほろ村を滅ぼしに来た。

 今、馬上から小さな村を見下ろす景光の眼差しは、どこまでも冷たい。村に住む人々の命を、暮らしを奪うことに、心動かされた様子はない。

 そんな甘く、柔らかな感情など、景光はとうの昔に捨ててしまっていた。

 弟を殺された時に。

 我が子を殺した時に。

 あるのはただ、飢餓感――加賀を、天下を、欲しい物を得たいという欲望。

 小さな村を潰して砦を作ることは、景光の望みをかなえるための過程にすぎない。

 歯向かえば殺す。

 力を見せつけなければ、一国をまとめることなど不可能だ。まして、天下取りなど、夢のまた夢だ。

景光は右手を上げ、兵たちに短く告げた。

「放て!」

 景光の号令に、兵たちが放った火矢が、夜明けの空を飛んだ。

 

 

 安らかな眠りは、激しく扉を叩く音と叫び声で破られた。

「お小夜さん! お自夜さん!」

「ばぁちゃん、おばちゃん、朧ちゃん、蛍ちゃん、起きて! 出て来て!」

ただならぬ様子の声は、火袋と一緒に村を見回りしている豊作の女房、下枝(しずえ)とその息子の大作(だいさく)のだ。

「下枝さん?」

「どうしたんだい?」

 お自夜とお小夜は飛び起きて、顔を見合わす。どうしたのか? まさか、見回りの途中で、火袋に何かあったのか――二人が真っ先に心配したのは、火袋のことだった。

「大作ちゃん?」

 遊び友達の大作の呼び声に、朧火も目をこすりながら起き上がる。蛍火だけは、布団の中でぐずっている。

 下枝と大作の狼狽の理由は、すぐにわかった。

「侍たちが攻めて来たのよ!」

「早く逃げよう!」

 二人の言葉に、お小夜はまだ半分眠っている蛍火を抱き上げ、お自夜は朧火の手を引いて、着の身着のまま外に飛び出した。

 外に出ると、同じく着の身着のままの下枝と大作が、真っ青な顔で叫んだ。

「あいつらが、火をつけた!」

 大作の指さす方を見ると、村の東の方で紅蓮の炎で燃えていた。まだ薄暗い空の下、赤い炎は飲み込むように家々を焼いていく。炎と黒煙の中で見え隠れするのは、富樫家の侍大将、醍醐景光の指物だ。

 そして、軍馬と雑兵たちが大地を踏みならす地響きがする。悲鳴と怒号も聞こえた。いくつもの声が、最初は小さく、次第に大きくなってくる。

 逃げろと叫びながら、数名の男や女たちが駆けてくる姿が道の彼方から見えた。慌てふためく彼らの表情は、必死だ。

 以前も富樫と赤松の戦に村が巻き込まれた際、醍醐の兵が情け容赦なく村を蹂躙した。

 あの鬼のような醍醐景光が、また村を攻めて来たのなら、早く避難しなくては――雑兵たちに捕まったら、どんな目にあわされるか。

 戦になれば、最悪殺される。殺されずとも、稲や金品を強奪されるのはもちろん、女子供も手籠めにされ、人買いに売られる。自衛のために百姓たちも刀や槍、弓矢で武装しているが、まほろ村のような小さな村では、数の上ですでに負けている。侍たちの圧倒的な軍備の前には、逃げるしかない。

「山に逃げよう!」

 大作が朧火の手を掴んで引っ張った。村の外れにある曼殊山には、戦が起こった時のために避難する山小屋が用意してある。山小屋には武器や食料が備蓄されている。曼珠山の彼岸寺の和尚も、村人たちを匿ってくれるはずだ。

亭主が留守の今、山に逃げる他ない。

 身重のお自夜を気遣いながら、母子は曼珠山に向かった。

 だが、山に入ると、通い慣れたはずの道は、お自夜には険しく感じられた。足腰の達者な者は、男女を問わず、どんどん山を登っていくが、お自夜たちのような妊婦や足腰の弱い老人、幼い子連れは、どうしても遅れがちになる。気ばかりが急いて、少しも山小屋に近づけない。

「うっ!」

 そんな中で、お自夜は急に腹の痛みを感じて立ち止まった。

 覚えのあるこの痛み。陣痛だ。朧火の時も、蛍火の時も、生まれる前にこんな風に痛みがあった。でも、この子は生まれるにはまだ早い。早いのに――

痛みをこらえ切れず、お自夜は呻き声をあげながらその場にしゃがみこんだ。

「お自夜!」

「大丈夫、おっかちゃん?」

「おっかちゃん!」

「しっかり、お自夜さん!」

「おばちゃん、がんばって!」

 皆が口々に励ましてくれるが、お自夜は立ち上がることができなかった。こんなところで立ち止まる訳にはいかないのに、痛くて足に力が入らない。立てない。歩けない。

 雑兵たちの怒鳴り声がだんだん近くに聞こえてくる。戦の間、山に逃げた村人は追わないというのが不文律だが、雑兵たちは守る気などないらしい。山にまで追いかけて来て、何もかも奪うつもりだ。

「先に……行って……わたしは……後から行くわ……」

 痛みに耐えながら、お自夜は言った。

「このままじゃ……皆見つかる……わたしは、どこかに隠れているから……」

「いや! おっかちゃんと一緒じゃなきゃ、いや!」

「おっかちゃん、いこうよ!」

 朧火と蛍火がお自夜にしがみつき、嫌々と首を振る。

「ばぁちゃんたちと先に行くのよ、朧火、蛍火」

 お自夜は厳しい口調で言った。

「おっかさんは、後から必ず行くからね……いい子で待っていておくれ」

 お自夜一人残すのは心配だ。しかし、このまま全員が残っていたら、雑兵たちに見つかる。非情なようだが、一人でも多く生き延びるためには、足手まといになるお自夜は残って、皆が先に山小屋に避難した方がいい。

「わかった、お自夜」

「気をつけてね」

 お自夜の覚悟に、お小夜と下枝は頷いた。

「おっかさん、朧火と蛍火をお願い――下枝さん、おっかさんたちを頼みます」

「まかせな」

 お小夜は真剣な顔でお自夜の両手をぎゅっと握って約束し、

「心配しないで――お自夜さんも、安心して隠れていて」

 面倒見の良いおおらかな下枝は、こんな時でもお自夜を勇気づけるように微笑んだ。

 残るお自夜の為に、皆で周囲を見回して隠れる場所を探すと、

「ねえ、あそこ! あそこに隠れればいいよ!」

 大作が杉林の奥を指さした。

 大きな杉の木が、二、三本寄り添うように生えていて、根元が空洞になっている。女一人なら、入って隠れられる大きさだった。

「あそこに隠れていたら、侍たちに見つからないよ、おばちゃん」

「そうだね。お自夜、あそこに隠れていな」

 お自夜はお小夜と下枝に支えられながら杉の根元まで歩き、這うように空洞の中に入った。手足を縮こませ、身を丸めると、外から見えないように、子供たちが集めた枯れ枝や落ち葉で入り口を隠した。

「おっかちゃん」

「おっかちゃん」

 朧火と蛍火が、涙を目に浮かべてお自夜を見つめる。痛みに耐えながら、お自夜は精一杯微笑んだ。

「後でね」

 再会を約束して、母子は別れた。

 

 

 

2017年12月 3日 (日)

次回予告 変成の巻

 体を奪われて生まれた子は、作り物の体を得た。

 奪った者たちは、それを許さなかった。

そして、残酷な遊び心で奪った体を他の子に与えた。

奪われた子が苦しむように。

 月が血の色に染まる夜、運命を変えられた子供が生まれた。

 

 次回、『どろろ百鬼繚乱草紙』まれびとの章 変成の巻

 

  緋の色に染まりし月の影のした子の宮いでし変成男子

 

「どちらでもいい――男でも女でも、元気に生まれてくれさえすれば、どちらでもいい」

 

みをこがしの巻あとがき

 みをこがしの巻は、原作単行本「法師の巻」にあたる。

 旅に出た後、どろろと出会う前、百鬼丸は琵琶法師とみおと出会う。

 二人は百鬼丸にとって忘れがたい印象を残すが、百鬼丸にとってみおとの出会いと別れのほうがより強烈な記憶であると思う。

よって、琵琶法師よりみおを前面に出したくて、巻名を変更した。

 

 みおと子供たちのエピソードは、少年サンデー連載版を踏襲した単行本では百鬼丸がどろろに話す回想という形だが、冒険王連載版では現在進行形で描かれている。

 『どろろ百鬼繚乱草紙』では、時間軸が現在進行形で執筆しているので、みをこがしの巻も現在進行形の話とした。

 

 原作では琵琶法師が百鬼丸を寺に連れて来て、説明した後すぐ去っていく。

 子供たちが村の生き残りであると百鬼丸に説明することから、琵琶法師と子供たちが以前からの知り合いだったと思われる。

しかし、いきなり連れて来た旅人を、何の説明も無しに置いて行かれてはみおと子供たちの方も困るだろうし、すぐに仲良くなれるとは思えなかったので、みおと子供たちから琵琶法師は慕われている人物とし、きちんと百鬼丸を紹介して、一晩寺に泊ってから去ると変更した。

 

 子供たちの名前は、原作では明記されていないので全て創作した。

 子供たちの人数は原作では1コマ15人描かれているが、墓の数をみおと合わせて13墓としたかったので、12人に変更した。

 

 百鬼丸が義肢を作れるという設定は、原作単行本から想像した。

 単行本二ひきのサメの巻でイタチと戦った際、百鬼丸は左の義足が壊れ、無情岬の巻まで義足無しの状態であるが、次のミドロの巻では義足は元通りについている。

 これは百鬼丸自身が作り直したという説明がつく。

 ミドロの巻は冒険王連載分で、単行本化の際、無理矢理少年サンデー連載分の無情岬の巻の続きにしたのだが、旅の途中で百鬼丸が義肢を作れる人間に出会える確率は低いと思うので、百鬼丸が寿海に義肢の制作・修理のノウハウを教わったという設定で話を作った。

 

 琵琶法師の名前は、原作では明記されていない。

 アニメと映画でも無名のままで、鳥海版小説では法一と命名されている。

 盲目の琵琶の名人で百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」で有名な蝉丸にあやかり、蝉丸と命名したかったが、『アドベンチャーノベルスどろろ』で蝉丸と命名されていて、真似するみたいなので断念。

 『ブラック・ジャック』126話「座頭医師」と141話「湯治場の二人」に登場した際の役名、琵琶丸にしようかと思ったが、それもどうかと思った。

 そこで古典をあれこれ読んで琵琶に関する名前を探したら、『枕草子』89段に無名という天下の名物である琵琶の記事があった。

 蝉丸と命名できなかったが、蝉丸の持っていた琵琶とも言われている無名にちなんだ名前をつけようと思い、琵琶法師の名を無名丸とした。

 

 作中の歌は、「東へ歩けば」の歌は原作から、他の歌は全て『梁塵秘抄』から採った。

 「舞え舞え蝸牛」の歌は、『梁塵秘抄』巻二の四〇八番歌。

 この歌は、『落窪物語』の小説版、田辺聖子の『おちくぼ物語』(文春文庫)の最後に歌われている。

大団円のラストに効果的だったのが印象深かったので、本作でもあえて使った。

 「遊びをせんとや」の歌は『梁塵秘抄』巻二の三五九番歌である。

 この歌は、大河ドラマ『平清盛』のオープニングと挿入歌として使われているのがすばらしかったので、みおに子守歌代わりに歌わせた。

 

 こうして書いてみると、この創作二次小説は色々な作品から影響を受けて執筆していると我ながら思う。

 

 

 

*参考文献

『梁塵秘抄』新潮日本古典集成 榎克郎注 新潮社

 

『戦国の合戦と武将の絵辞典』 小和田哲夫監修 高橋信幸著 成美堂出版

 

『F-FILES NO.26 図解戦国武将』 池上良太 新紀元社

 

『富樫物語』 北國出版社

 

『よくわかる浄土真宗』角川ソフィア文庫 瓜生中 KADOKAWA

 

『イラストでわかる日本のお寺と神社』中経の文庫 日本の寺社研究会 KADOKAWA

 

『イラストで楽しむ日本の七十二侯』中経の文庫 アフロ KADOKAWA

 

『日本の七十二侯を味わう多楽しむ』王様文庫 広田千悦子 三笠書房 

 

 

*参考サイト

加賀冨樫氏野々市の歴史

http://nanao.sakura.ne.jp/kaga/t-top.html

 

加賀一向一揆

http://kagaikkouikki.web.fc2.com/index.html#takao

 

 

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章8

   みおこがしの巻後編

翌朝、百鬼丸は昨夜思いついたことをみおと子供たちに伝えた。それはとてもいい考えだと思った。

「皆で俺のお父さんの家に行こう。お父さんに皆の傷、診てもらおう。お父さんはいい薬を沢山持っている。刀傷も火傷の痕も、綺麗に消せる。痛くなくなるよ。義手も義足も、俺より上手に作れるから、作ってもらおう」

 百鬼丸の提案に、子供たちは笑顔になった。

「この顔の傷、治るの?」

「火傷の痕、消えて無くなる?」

「にいちゃんみたいに、いろんなもの握れる手、つけてもらいたい」

 傷を負い、体の一部を失った子供たちは、元の体に少しでも戻れる希望に目を輝かせた。

「皆、どうする? 俺と一緒に行く?」

 百鬼丸の問いかけに、子供たちは即答した。

「おれ、行く! 連れてって、百鬼丸にいちゃん!」

「おれも!」

「わたしも!」

「おいらも!」

 子供たちは全員寿海の家に行くことに賛成した。

 ただ一人、みおだけが躊躇していた。

「でも……大勢で押しかけて、迷惑ではないかしら?」

 みおの心配に、百鬼丸は「大丈夫」と断言した。

「お父さんは、病人や怪我人を見捨てない。それに、お父さんの傍なら、俺も安心して旅に出られる」

 百鬼丸がこの世で一番信頼できる人間は、寿海だけだ。寿海なら、みおを、子供たちを任せられる。百鬼丸が四十八の魔物を倒す旅に出ている間、寿海はみおたちを守ってくれるだろう。

 相談の結果、雪が降る前に寿海の家に行くことに決めた。それからは忙しかった。

 幼い子供も連れての旅となると、歩ける距離も日数もかかるはずだから、旅の間の食料を確保しなければならない。百鬼丸は山で鳥や兎を獲り、男の子たちは川で魚を釣り、みおと女の子たちは茸や山菜を摘んだ。集めた食料を保存がきくように干し、燻した。

 無名丸がくれた銭で、町で米や塩も買い、旅の支度は順調にすすんでいた。

 

 旅の支度を始めて五日たった。

 その日の朝も、いつものように百鬼丸は山へ出かけた。剣の修業のついでに薬草を採ってくるつもりだった。

「いってらっしゃい、百鬼丸さん」

「いってらっしゃい、にいちゃん」

「早く帰ってきてねー」

 みおと子供たちが、手を振って送り出してくれた。百鬼丸も手を振って「いってきます」と応えた。

 そうして帰って来たら、百鬼丸がただいまと言って、みおと子供たちがおかえりと言って迎えてくれる。 

 百鬼丸は信じていた。

 

 百鬼丸が出かけてから、本堂の中でみおは食料を入れる袋を縫っていた。ひと針ひと針、丁寧に縫っていく。

 子供たちも出来上がった袋に食料を入れたり、藁で草履を編んだりと、旅支度を手伝っている。小さい子の何人かは、飽きて床に寝転がっているが。

 穏やかな時間が過ぎていた。

 それを破ったのは、突然のことだった。

 馬蹄の音が響いた。

みおと子供たちが慌てて外に飛び出すと、二十人ほどの雑兵が境内に乗り込んでいた。

 腰に刀を、手に槍を持った雑兵たちは、殺気だった気配を放っている。

「やい、小僧ども!」

 顔に無精髭を生やし、鋭い眼光の雑兵頭が、みおと子供たちに怒鳴った。

「ここに砦を作ることになった。早々に立ち退け! 命が惜しければ、消え失せろ!」

「で、出て行けですって?」

 無茶な言い分に、はいそうですかと言えるはずが無かった。

「なんだいっ! ここはおれたちの家だい!」

「あんたたちなんか、用はないわよ!」

「誰が出て行くもんかよう」

「そうだ! 出て行くもんか!」

 子供たちは我が家から追い出されまいと、抗議の声を上げる。

 みおも必死に懇願した。

「お願いです、ここを追い出されたら、行く所がありません……」

 まだ旅の支度が終わっていない。せめてそれまで待ってほしいと頼むが、猶予は与えられなかった。

「今日中にここは更地にする。さっさと立ち退け」

 雑兵たちは聞く耳を持たず、槍や刀を振り回し、子供たちを追い立てる。

「嫌だってばっ」

「絶対に出て行かない!」

 追いかけられながらも、子供たちは外に出て行こうとしない。

 痺れを切らした雑兵頭は、

「醍醐様の命に背くのは、許さん!」

 指揮官の名を上げて恫喝し、

「斬れ――」

 非常な命を下した。

「やめて!」

 みおは子供たちを守ろうと、雑兵たちの前に飛び出した。

 だが、躊躇なく刀は振り下ろされ――

(百鬼丸さん!)

 最期にみおの脳裏に浮かんだのは、笑顔の優しい少年の顔――

 

 

「みお?」

 みおの声が聞こえた――

 思わず百鬼丸は、摘んでいた薬草を落とした。

 いくら百鬼丸が心の声で会話をすることができるといっても、それは相手と向かい合ってか、離れていても近い距離でのこと。山と寺、こんなに離れていてみおの声が聞こえるなんて。

(みおに何かあったのか)

 胸騒ぎがした。

 百鬼丸は山を駆け下りた。

 通い慣れた山道が、今はなんだかいつもより遠く険しい。使いこなせているはずの義足が重たい。焦れば焦るほど、道が長く、寺が遠くに感じて、百鬼丸は焦燥感に捕らわれた。

 この不吉な予感があたらぬようにと願いながら、百鬼丸は寺に戻ったが――

 

 悪夢だった。

 山を降り、寺の前に立った百鬼丸を待っていたのは、悪夢そのものだった。

 寺が燃えている。

 夕闇迫る空の下、紅蓮の炎が寺を飲み込むように、容赦なく包み込んでいる。

 その炎の中から様々な姿の異形の物が、笑いながら飛び出していた。

(まさか、妖怪どもが襲ってきた?)

 百鬼丸は愕然とした。

 百鬼丸の両腕に仕込まれている護身の刀と退魔の刀の気は、持ち主である百鬼丸だけではなく、周りの者も守ってくれる力がある。小物の妖怪なら、手出しできない。だから、安心して留守にしていたのに。

 寿海を襲ったように、四十八の魔物のどれかが、寺を襲ってきたのかもしれない。甘かった――百鬼丸は自分のことを隙だらけと言った無名丸の言葉を今さらながらに思い知る。

(みおは、皆は無事なんだろうか)

 慌てて境内に入ると、百鬼丸はみおでも子供たちでもない人間の気配に気がついた。

(誰だ?)

禍々しい気配がひとつ、ふたつ――二十ほどあった。その中の三人は、以前みおを侮辱したやつらだ。

雑兵たちが仕返しに寺を焼いたのか?

百鬼丸が境内に入ってきたことに気づいた雑兵たちは、寺を焼く前に運び出しておいた食料の荷物の前から、こちらに駆け寄ってきた。百鬼丸を狩ろうとするかのように、取り囲む。

「こいつ、あの化け物の小僧だ!」

「そ、そうだ、こいつだ!」

「早く殺そう!」

 百鬼丸を見たあの三人は、口々に殺せと叫び、刀の切っ先を向ける。

 雑兵たちの中から大柄の男――雑兵頭が一歩前に進んで怒鳴った。

「小僧! 命が惜しくば消えろ! あの小僧どものように死にたくなければな」

 百鬼丸の頭の中が、真っ白になった。雑兵頭の言ったことが、俄かには理解できない。

(死んだ? 誰が死んだ? みおが? 藤吾が? 源次が? 平助が? 清太が? まゆが? さわが? 乙丸が? 幸吉が? 初が? かすみが? ゆうが? るいが?)

「みおーっ!」

 百鬼丸は呼んだ。

「みお! 藤吾! 源次! 平助! 清太! まゆ! さわ! 乙丸! 幸吉! 初! かすみ! ゆう! るい!」

 心の限り、みおと子供たちの名を呼んだ。

 だけど、誰も答えてくれなかった。

「みおは、子供たちはどこだっ!」

 百鬼丸の問いかけに、雑兵頭が顎で示した先は、燃え盛る本堂。

「ちゃんと火葬にしてやった」

 火葬?

 それではあの炎の中に、みおが、子供たちがいるというのか――

 百鬼丸は取り囲む雑兵たちの合間を縫って、燃え盛る本堂に駆け寄った。だが、炎の勢いが強くて、中に入ることができない。

 必死に心の眼を凝らすと、無残に斬られた子供たちの亡骸が、本堂の中央に積み上げられているのがわかった。その中に、みおがいた。

 力無く手足を投げ出したみおの――亡骸があった。

「みおーっ!」

百鬼丸はみおの名を呼んだ。

「みお、起きてくれ。眼を開けてくれ。俺を見てくれ。俺に話しかけてくれ。帰ってきた。俺は帰ってきたのに……どうして逝くんだ! 逝かないでくれ! 俺を一人にしないでくれ! 俺を置いて逝くなーっ!」

 どんなに叫んでも、みおの眼は開くことは無かった。

 動かないみおの体を、炎が飲み込んだ。真っ赤な灼熱の炎は、少女の肌を、肉を容赦なく焼き焦がしていく。

 信じられない。これが現実だなんて、信じられない。悪い夢を見ている思いがして、力が抜ける。百鬼丸は膝をついた。

(みおが死んだなんて嘘だ、嘘だ、嘘だぁっ!)

 目の前の事実に、百鬼丸の心は否定する。だけど、どんなに否定しても、これは現実のことだと理性はわかっている。

 言葉にできない痛みと悲しみと絶望が、百鬼丸を包んだ。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁ!」

 百鬼丸の心の叫びは、その場にいた雑兵たちの心を直撃した。

「うわっ!」

「なんだ?」

「頭の中に、声が聞こえる!」

 百鬼丸の心の声が頭の中に響いて、雑兵たちは激しい頭痛と眩暈を起こした。頭を抱える者、中には膝をついた者もいた。

「……何故……」

 ゆらりと、百鬼丸は立ちあがった。その姿は幽鬼のように凄まじい気配を放っていた。

「何故……みおを殺した……子供たちを殺したんだ……」

頭痛に顔をしかめながらも、雑兵頭は答えた。

「ここは砦になる。だから立ち退けと申したのに、居座ろうとしたから斬った。それがどうしたんだ?」

 か弱い女子供を殺したことを、何でもないことのように言う。百鬼丸は目の前の男が鬼に思えた。

「この人殺しめ……」

 百鬼丸の怨み言を、雑兵頭は鼻で笑った。

「偉そうなことをほざくな、小僧。そいつらは、どうせ親からも見捨てられた役立たずだ。殺したほうが、世の中のためだ」

「違いねぇ」

「娘はいい体してたのに、勿体ねぇことしたな」

「殺す前に、極楽送ってやればよかったなぁ」

 下卑た笑い声がいくつも漏れる。

 一生懸命に生きていることの何が悪い? さんざんみおを弄び、子供たちを苛め抜いたくせに、命まで奪った――砦を作ることが、そんなに大事なのか? 百鬼丸の心に浮かんだのは、怒りだった。

(何故おまえらは生きている。何故おまえらは息をしているのに、命があるのに、みおは、皆は息をしてない。もう笑ってくれない。二度と、二度と、二度と!)

 怒りは殺意となって、百鬼丸を動かした。

「うわああああああっ!」

 百鬼丸は両腕を振り払い、刀を抜いて雑兵頭に飛びかかった。

 銀の刃が炎に照らされて赤く光る。

 両腕を振り上げ、一気に振り下ろす――

 百鬼丸の双剣が、雑兵頭の両腕を斬り落とした。

「ぎゃぁっ!」

 一声叫んで雑兵頭は、切断された両肩から血飛沫を巻き散らしながら、己の流した血だまりの中に真後ろに倒れた。

「ひぃっ!」

「うわあぁあ」

 雑兵たちは、雑兵頭を斬殺した刀を生やした化け物――百鬼丸に恐怖した。

「殺せっ、殺せーっ!」

 化け物を倒さんと、叫びながら槍を突き、刀を振り上げる。

 百鬼丸は両腕の刀を振るって槍を斬り落とし、刀を弾き飛ばした。そして――雑兵たちの胴を、腕を、足を、喉を斬り裂く。

 斬られた個所から血を吹き出しながら、崩れ倒れていく体。

 切断された腕、足が地に散らばる。

 情け容赦なく斬られて、その顔は恐怖と苦痛のあまり、醜く歪む。

 寺を焼く炎が天を焦がす中、殺される雑兵たちの悲鳴が暮れ行く空に響く。

 

 雑兵たちの絶叫に交じって、他に悲鳴が上がっているのを、百鬼丸は知らない。

 それは、無垢な処女(おとめ)が純潔を失った時に発する嘆きの声に似ていた。

 刀が人の肉を斬り、人の骨を断ち、人の血に染まるごとに、悲鳴は大きくなり、やがて咽び泣きに変わった。

 咽び泣く悲しげな声は、だんだん小さくなっていき、ふいに消えた。

変わって聞こえてきたのは、歓喜の声。

「穢れた」

「穢れた」

「刀が穢れた」

「人の肉を斬り、人の血に染まった」

「もはや神剣ではない」

「人斬りの刀よ」

「斬るがいい、殺すがいい」

「穢れた刀は、もはやおまえを守らない」

「守りはしないが、我らを斬る力は残っている。恐ろしや」

「それもまた一興」

「誰があの小僧を壊せるかのう」

「楽しみじゃ」

「楽しみじゃ」

 清らかなものが滅びたことに、心底嬉しそうに闇に潜む者たちは笑いあった。

 その禍々しい嘲笑は、今の百鬼丸には聞こえない。

 

自分に向けられた悪意を知らず、百鬼丸は斬り続けた。

(くたばれ! どいつもこいつも人殺しだ! 極悪人だ!)

 百鬼丸の殺意は、その場の全員――生きている者全てに向けられていた。

「たっ、助けて!」

「悪かった、俺らは命令されただけなんだ!」

 命乞いも心を閉ざした百鬼丸には届かない。

 戦意を失って逃げようとする雑兵も、百鬼丸は追いすがり、後ろから斬りつけた。

(逃がさない――みおを、子供たちを殺した奴は、誰一人逃がさない)

 そうやって斬って、斬って、斬っていくうちに、雑兵たちへの怒りは、いつしか自分に向けられていた。

(どうして俺は救ってやれなかった。みおを、子供たちを、誰一人守れなかった。救えなかった)

 怒りは哀しみに変わり、絶望が百鬼丸の心に満ちた。

やがて日が落ちて、月も星もない夜が訪れた時。

生ある者は、誰もいなくなった。

 百鬼丸以外、誰も。

 燃える寺の前で、全身を返り血に染め、両腕の刀を抜身のまま立ち尽くす百鬼丸の姿は、異形の鬼だった。

 

 にたり。

何かが笑って言った。

「これでいい」

「さあ、行こう」

「夜明けまでにお知らせせねば。我が君に」

「ぐずぐずするな。野を超え、山を越え、谷を越えて、茨をくぐって、藪を抜けて、水に潜って、火を超えて、風より早く、我が君にお伝えするぞ」

「呪われた誕生、祝福された死」

「黒い太陽、赤い月」

「熱い氷、冷たい炎」

「手に手を取って結ばれたら」

「扉が開くよ」

「ほう、ほーう」

 すべてを見届けると、闇の眷属たちは新たな鬼が生まれたことを主に告げる為に、夜の闇に散った。

 

 

 轟音を上げながら寺を焼いた炎は、夜明け前には収まった。寺は完全に黒く焼け崩れ、跡形もない。

 黙って立ち尽くしていた百鬼丸は、ようやく動き出した。

 炎が鎮まったばかりの本堂に入ると、焼け崩れたみおと子供たちの亡骸を見つけた。

 真っ黒に焦げて、骨だけになっている。どの骨が誰なのか、わからない。だけど、ひとつだけ他の髑髏より大きい。

それがみおだと、百鬼丸はわかった。

「み……お……」

 百鬼丸はみおの髑髏を胸にかき抱いた。

泣きたい。

でも、百鬼丸は涙を流すことができない。四十八の魔物に奪われてしまったから。

泣いて哀しみを吐き出せない百鬼丸は、無言でみおと子供たちの骨を集めた。

 このまま焼け跡に置いておけば、みおと子供たちの骨は、雑兵たちが帰ってこないことに不信を持った仲間の兵がやって来て、埋葬されずにどこかに捨てられる。それだけは、絶対に嫌だった。

 そして、みおに思いを告白したあの丘に骨を運んだ。

 皆で遊んだ丘の上、春になったら花が咲き乱れると教えてくれたのは、誰だったか。

 秋の今、夜露に濡れた草に覆われた丘には、花はない。

 萎れかけた曼珠沙華しか、花は無かった。

 数日前、みおに思いを伝えた時には燃えるよう咲いていた曼珠沙華は、ほとんどが色褪せていた。

 百鬼丸は両手で穴を掘った。骨が誰にも見つからないように、辱められないように、荒らされないように、深く、深く――

 みおと子供たちの骨を埋葬すると、まだ色褪せていなかった曼珠沙華の花を一本手折り、出来上がったばかりの墓の前に備えた。

 百鬼丸は膝をつき、みおの墓をかき抱くようにうずくまった。

 体は四十八の魔物に奪われた。

 友達も、初めて好きになった少女も侍に――人間に殺された。

(俺にはもう何も残ってねぇ……みおも……友達も……体も……一切合切奪われた)

 喜びも、楽しみも無くし、哀しみと怒りと憎しみだけが残っている。

 何もかも奪われて、残ったのは作り物の体と空っぽの心だけ。

(抜け殻のような俺なのに、なんで俺は、俺だけは生きている?)

 四十八の魔物も、侍も、許せない。

 だけど、一番許せないのは、自分自身だった。

(奪われたのなら、取り戻せばいい――だけど、魔物を倒して体は取り戻せても、侍を殺しても、みおは、皆は戻ってこない。俺は、どうしたらいい?)

百鬼丸は温かい優しい心は死んで、氷のように冷たい心が生まれたのを感じていた。

 このままここで、みおと子供たちの傍で、死んでしまおうか。何も口にしないでいたら、衰弱して死ぬかもしれない。

 死を思って目を瞑った時、

「死んでは駄目だ!」

「死なないで!」

 二つの声が、百鬼丸の心に叫んだ。

(誰だ?)

 百鬼丸は、暗い虚ろな闇の底から覚醒した。

 ひとつは初めて聞く声だ。もうひとつは――

「みお? みお……なのか?」

 呼びかけた声がみおだったらいいと、我知らず思った。死して霊魂となっても、みおが傍にいて、呼びかけてくれたのだと思いたかった。

(約束を守れなかった俺なのに、死ぬなと――生きろと言ってくれるのか)

 もう一度、呼びかけてくれないかと、百鬼丸は待った。

 夜の闇の底で、百鬼丸は待ち続けた。 

 だが、いつまで待っても、声は聞こえなかった。

 そして、東の空が白み始めた頃――

 百鬼丸は静かに立ち上がった。

(遊びをせんとや……生まれけん……戯れせんとや……生まれ……けん……遊ぶ……子供の……声聞けば……我が身さえもが……)

 みおが歌っていた歌の歌詞を思い出しながら、百鬼丸は歩き出した。

聞きたいと願ったみおの歌。一度も聞くことができず、これからも聞くことができない。一緒に歌うこともできない。

だから、聞こえるようになったら、歌えるようになったら、体を全て取り戻したら――会いに来る、ここに戻ってくる。鎮魂の歌の代わりに、みおの歌を歌う。そう百鬼丸はみおと子供たちの霊魂に誓った。

そのために、四十八の魔物全て倒す。

体を取り戻すだけではなく、この空っぽの心を埋めるために、生きるために残された道は、それしかなかった。

 

 空がうっすらと明るくなっていく。

 朝の光に照らされた真新しい十三の墓が、去っていく百鬼丸を見送っていた。

 

2017年12月 2日 (土)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章7

   みおこがしの巻中編

これからどうしよう――

 日が高くなっても、百鬼丸は寺を出て行かなかった。

廊下に座って考え込んでいた。

 旅立つ気力もなく、そうかといってこのまま寺にいる訳にもいかない。

 無名丸と一緒に出て行かなかった百鬼丸を、みおは咎めなかった。みおは何も言わないが、俺が居座り続けたら迷惑だろうと百鬼丸は思う。

 境内で遊んでいる子供たちも、時折百鬼丸の方を見て警戒の目を向ける。一晩限りの客のはずが、まだ出て行かないことに、不信に思っているのはひしひし感じられた。

 行かなくちゃ――百鬼丸がそう思った時、十歳くらいの、左足が肘から下のない男の子が倒れた。木の棒を杖代わりにしていたのだが、折れてしまったのだ。

 山菜を干していたみおが、男の子に駆け寄った。

「清太(きよた)、大丈夫?」

「平気だい」

 清太と呼ばれた男の子は、気丈に言うが、派手に転んだので、痛そうだ。

 百鬼丸は立ちあがり、清太に近づいた。

「左足を見せてみろ」

「足の傷は、もう治ってら」

 百鬼丸の言葉に、清太はふてくされたような顔をし、どこか怒りに満ちた目で百鬼丸を睨む。

「傷を診るんじゃない。杖が無くても、歩けるようにしてやる」

 百鬼丸の言葉を聞いて、清太は嘲りの笑みを口元に浮かべた。

「足を切ったのに、歩けるわけないだろ」

 百鬼丸は袴の裾を手繰り上げて、清太に己の義足を見せた。

「俺も足を無くした。だから代わりの足を着けている」

 獣の皮を張ってある義足は、一見すると生身の足と変わりがないように見える、だが、よくよく見ると、生身の足とは違う――違和感に気づき、みおも清太も、百鬼丸の足が偽物とわかると、驚いたような表情で百鬼丸の顔と足を見比べる。

 驚いている二人に構わず、百鬼丸は清太の足の長さや太さを図ると、庭に転がっていた木で、固くて丈夫なものを拾って小刀で削り始めた。

 旅に出たら自分で義肢を修理しなければならない。寿海は百鬼丸に義肢の作り方から仕組み、修理の方法まで教えていた。複雑な仕組みのない簡単な義足なら、百鬼丸は一から作ることができる。

 黙々と木を削り、義足を作っている百鬼丸を、見守るみおと清太。いつの間にか、他の子供たちも集まって、百鬼丸を遠巻きに取り囲んでいた。

 二刻ほどで義足が完成した。

 袴の裾を切って紐状にし、清太の左足に義足が外れないように結んだ。清太は不信な眼差しを百鬼丸に向けた。

「こんなもので、ほんとに歩けるのかよ」

「立ってみろ」

 真面目な顔で百鬼丸が促すと、清太は恐る恐る立ち上がった。

「立った……」

「清太が立った」

 子供たちが驚きの声を上げてざわめく。

 一番驚いているのは、清太本人だろう。杖無しで、一人で立てることに、信じられないという表情を顔に浮かべている。

「歩いてみろ」

 百鬼丸に促されて、清太は一歩踏み出した。また一歩、歩く。初めはぎこちなく、ふらふら右左に揺れるが、すぐに慣れてまっすぐ歩き出した。

「歩いた! 清太が歩いた! 歩けるようになった!」

「凄い!」

 子供たちの歓声が空に響いた。

「杖が無くても、おれ……歩けた……」

 清太は喜びのあまり、呆然と呟いた。まだ信じられないという顔をしている。

「慣れれば、走れるようにもなる」

 百鬼丸の言葉に、清太はくしゃくしゃと顔を歪ませた。その目には涙が滲んでいた。

「……にいちゃん……ありがとう……ありがとう……」

 清太の義足を見て、足を無くした子供たちが、一斉に百鬼丸に詰め寄った。

「……おれも、足作って!」

「おいらも!」

「わたしも!」

「いいよ。手も、簡単のやつなら作れるよ」

 百鬼丸が義肢作りを請け負うと、子供たちの歓声はますます大きくなった。

 左目を失った幼い女の子が、残った右目で百鬼丸を見上げて聞いた。

「にいちゃんは、お医者なの?」

「俺のお父さんが、医者だ。お父さんから義足の作り方とか習ったんだ」

「じゃあ、侍じゃないのね? よかったぁ」

 女の子は嬉しそうな笑顔を向けた。他の子供たちも、どこかほっとした表情になる。

百鬼丸は理解した。

 子供たちは、村を攻め滅ぼし、親を殺し、自分たちの体を傷つけた侍を憎んでいた。だから、腰に刀を差していた百鬼丸を侍だと思って警戒していた。

 でも、清太に義足を作り、百鬼丸が自分たちと同じように体の一部を無くしたことを知り、子供たちは百鬼丸を受け入れた。

 仲間だと。

 自分を受け入れてくれた子供たち、自分と同じように、理不尽に体を奪われた子供たちに、せめてできることをしよう――百鬼丸は次の義足を作り始めた。

 

 義足がひとつ出来上がるたびに、笑顔が生まれた。

 

 日が暮れるまで、百鬼丸は木を削り続け、義足を作った。

 さすがに、手足のない子全員の義肢を作ることは無理だった。

「後は明日、な」

「本当?」

「約束だよ!」

 百鬼丸が約束すると、義肢を貰えなかった子たちは、嬉しそうに笑った。

「ご飯よ。皆入って!」

 厨で食事の用意をしていたみおが、庭に出て来て子供たちを呼んだ。子供たちはわっと歓声を上げて我先へと寺の中に入っていく。

 一人残った百鬼丸に、みおが優しく声をかける。

「百鬼丸さんも、早く入って。ずっと手と足を作っていたから、疲れたでしょう?」

「あ、宿代……」

 百鬼丸は慌てて懐に手を突っ込み、銭を出そうとすると、

「いいんです。銭は、無名丸さんが置いて行ってくれました」

 寺を出る前、無名丸はみおに言ったそうだ。

 

「あの若いの、しばらくここにいるかもしれない。置いてやってくれ。何かの役に立つかもしれない」

 

 無名丸が百鬼丸の文も宿賃を払っていたことに驚いたが、百鬼丸がみおたちの役に立つと言っていたことにも百鬼丸は驚いた。

(俺が役に立つ? こんな俺が?)

 さらにみおの言葉が百鬼丸を戸惑わせた。

「たとえ無名丸さんが銭を置いていかなくても、あなたから貰えないわ」

「どうして?」

 耕す田畑もなく、売る品物もないのだから、子供たちを喰わせるために、銭はいくらあっても足りないだろうに。

 百鬼丸の疑問に、みおは微笑んで言った。

「あなたは、子供たちに優しくしてくれた。子供たちに生きる力を取り戻してくれた……無名丸さん以外の人たちは、あの子たちを疎ましがったりしたけど、あなたは違う……」

 百鬼丸が義肢を作ったことで、子供たちの心に希望の灯を灯った――そのことに、みおは心から喜び、感謝していた。

 今までどれだけ辛い目にあったのだろう。どれだけ泣いただろう。みおの言葉から、子供たちが大人から受けた心ない言葉や態度を察し、百鬼丸は憤った。

「だって、皆は悪くない! 悪くないじゃないか! 俺……俺……」

 上手く言えないが、子供たちのために、義肢を作るだけではなく、何かしたかった。

 寿海に守られていた百鬼丸が、誰かを守りたいと思った瞬間だった。

 

 その夜、百鬼丸はみおに己の身の上を話した。四十八の魔物に体を奪われて生まれ、親に捨てられたこと、寿海に拾われ、命を救われたこと、魔物を倒せば体が戻ること、そのために旅をしていること……全部話した。

 みおは黙って静かに聞いてくれた。

 話し終ると、百鬼丸は恐る恐るみおに聞いた。

「俺……もうしばらく、ここにいてもいい?」

 みおは優しく微笑んで、頷いた。

 

 

 百鬼丸はそれ以来、寺で暮らし始めた。

 五日かけて、百鬼丸は子供たちの義肢を作った。

 義足を着けることで、杖が無くても歩けるようになった。

 義手を着けることで、椀を持って食事ができるようになった。

 喜びの声が寺に響いた。

 義肢を作り終えると、百鬼丸はみおと子供たちと一緒に食料を集めに出かけた。山で山菜を、川で魚を獲った。暇な時は、庭で遊んだ。

(無名丸のおっさんは、幸せの国なんかないと言ったけど、俺にはここが幸せの国だ。みおと子供たちがいるこの場所が、俺の幸せの国なんだ)

 四十八の魔物をすべて倒す前に見つけた幸せに、百鬼丸の心は喜びに満たされていた。

 幸せというものは、簡単に壊れるということを知らずに。

 

 災厄は、突然やってきた。

「おう、みおはいるか!」

 横柄な声が、みおを呼んだ。本堂で子供たちの義足の調整をおこなっていた百鬼丸は、何事かと外に出た。

 境内に三人の雑兵が入り込んでいた。髪を無造作に後ろに束ね、胴丸を身に着け、腰には刀を下げた男たちは、無精髭を生やした顔に、にたにたと嫌な笑みを浮かべながらみおに近づく。

 みおは怯える子供たちを庇うように雑兵たちの前に立ち、両手を広げた。

「やめてください! ここには来ないと約束したじゃないですか!」

 みおは声を震わせながらも、凛とした声で雑兵たちに抗議した。

 だが、雑兵たちは必死の表情のみおを嘲笑う。

「なんだ、みお。その言い草は」

「近頃こっちに来ないから、食い物を持ってきてやったんだぞ」

「餓鬼どもの餌が欲しいんだろ?」

 雑兵たちの物言いに、百鬼丸の頭に血が上った。

 みおと子供たちを見下すような言い方をされて、怒りが湧き上がるのを押さえることができなかった。

「おまえらこそ、なんだ!」

 百鬼丸が一喝すると、雑兵たちは見慣れない少年に胡散臭そうな眼を向けてきた。

「みおの男か?」

「まだ小僧じゃねぇか」

「こんな小僧で満足できるのかよ、みお。え?」

 雑兵たちの侮蔑の言葉を、みおは顔を俯いて無言のまま聞いていた。でも、百鬼丸にはわかった。

(みおが、泣いている――)

 傷つかないように、忘れよう、思い出さないようにしようと、みおは己の心を固く閉じていたが、心の隙間から漏れてくるのは、忌まわしい思い出。

 

 ある日突然攻めて来た侍たち。

 一向宗の門徒だ、一揆を企てたと言われて殺される村人たち。

 家が燃やされる。

 衣を剥がされ、押し倒された体にのしかかる男。

 卑猥な笑みを浮かべた顔、顔、顔……

 斬り殺された親兄弟の屍の傍で、獣のような行為を強いられる苦痛と屈辱に泣いた。

 生き残っても、親兄弟を亡くし、住む家も無いから、死んでしまおうかと思った。

 でも、父を、母を亡くし、体にも心にも傷を負った子供たちを、ほうっておけなかった。

だから、嫌だけど、したくないけど、子供たちが飢えて死んでしまうから、親兄弟を殺した侍たちの陣に行って、食べ物を乞い、その見返りとして体を差し出すのを我慢しないといけない――

 

 みおの心に触れて、百鬼丸は心の底から不快な思いをした。それはみおに対してではなく、みおを嬲る男たちに対してだった。

 か弱い少女を弄び、嬲る卑劣さに、殺意さえ覚えた。

 気づくべきだった。戦に苛まれて荒んだ世の中、他人に見返りを求めず食べ物を分けてくれる人間など、いるはずがなかった。無名丸のように損得無しに、劣情を抱かずに、みおに真心で接し、一宿一飯の恩義として銭を渡す人間の方が珍しいのだ。

(みおを泣かせる奴は、許せねぇ!)

 百鬼丸はみおと雑兵の間に割って入った。

「出て行け! ここは、おまえらが来る所じゃない」

 憤怒の表情の百鬼丸を、雑兵たちは若造と侮って、腰の刀を抜いた。

「引っ込んでいろ、小僧!」

「死にたくなければ、おとなしくしていろ」

「それとも、一緒に楽しもうか?」

 下卑た笑い声を上げる雑兵たちに、百鬼丸は我慢ができなかった。

 左手で右手を掴み、強く引いた――

「うわっ!」

「な、なんだ?」

「ばっ、化け物!」

 現れたものを見て、雑兵たちが悲鳴に近い甲高い声を上げた。

 知らない者がみたら、百鬼丸の右腕の肘から下に、刀が生えたように見えただろう。百鬼丸が人前で義手を抜き、刀を晒したのは、これが初めてだった。

 百鬼丸は銀色に光る刀の切っ先を雑兵たちに向けた。

「出て行かなければ、斬る!」

 百鬼丸の異形の姿と、本気の怒りに、雑兵たちは恐れおののいた。慌てて踵を返し、逃げ出した。

 寺の境内に静けさが戻った。

 百鬼丸は静かに息を吐いた。斬るとは言ったものの、人を斬ったことは無かったから、正直おとなしく逃げてくれて助かった。

 雑兵たちがいなくなると、百鬼丸は自分を見つめている子供たちに気づいた。

 皆、畏怖の眼差しを向けているのがわかる。

 みおには両腕に刀を仕込んでいることを話していたが、子供たちには教えていなかった。

(皆も俺を化け物と言うのだろうか)

 さっき雑兵の一人が言った言葉が、百鬼丸の心を不安にさせる。

 だが、心配は無用だった。

「すごい、百鬼丸にいちゃん!」

「あいつら追っ払った!」

「すっきりしたぁ」

「あいつら、威張り散らして嫌な奴らだったんだ」

 子供たちは歓声を上げて百鬼丸を取り囲んだ。

「ね、おれにもにいちゃんみたいに刀着けて」

「みおねえちゃんを泣かせる奴、やっつけてやるんだ」

 作ってもらったばかりの義手を上げて、男の子たちが口々に百鬼丸にねだる。

 子供たちは具体的には何をされたか知らなくとも、みおが雑兵たちに虐められているとわかっていたのだ。だから、雑兵たちを追い払った百鬼丸を怖がるどころか、感謝と憧れの念でいっぱいだ。右腕に刀を生やした百鬼丸が格好良く見えるようだ。

 百鬼丸は言った。

「刀なんか着けなくてもいい。俺が、強くなるから――皆を虐める奴らは、全部追っ払ってやるから――」

 ここに残ると言っているも同然の百鬼丸の言葉に、みおは首を振って拒んだ。

「駄目! あなたはいつまでもここにいてはいけないわ。あなたには大事なことが――」

「俺に、皆より大事なものはない!」

「百鬼丸さん……」

(私は……いやらしい女よ……)

 心の中でみおは言った。百鬼丸に守ってもらう価値のない女だと。

 だから、百鬼丸はみおにだけ心の声で伝えた。

(みおはいやらしくなんかない)

(あなたは知らないのよ……)

(知っている。みおがどれだけ優しいか、どれだけ綺麗か……)

 百鬼丸は見えない目で、子供たち一人一人を、みおを見つめて誓った。

「俺がみおを、皆を守るから――」

 みおの両目から涙が零れた。

 

 

 強くならなければならない、今よりもっと、誰よりも。

 何のために?

 守るために。

 誰を?

 みおを、子供たちを守るために。

 

 次の日、夜が明けきらぬ頃、百鬼丸は皆が起き出す前に外に出た。薄明りの中、寺の裏にある山に入り、一人佇む。

 山の中は鳥の囀る声と風が草木を揺るがす音以外しない。

 ふと、鳥が囀ることを止めた。

 渡る風も止まった。

 静寂の中、百鬼丸は両腕を目の前で交差し、一気に振り払った。

 振り払われた義手が外れ、腕に仕込まれた刀が露になる。

 右腕には護身の刀。

 左腕には退魔の刀。

 空から堕ちてきた星の欠片で作った刀は、神々しいまでに白銀の光を放っている。

「やああああっ」

 百鬼丸は護身の刀で空を突いた。続いて退魔の刀で斬る。

 空を斬る音が山に響く。

 必死に、無心に百鬼丸は刀を振るい続けた。もっと早く、もっと強く、もっと鋭く、もっと激しく、もっと正確に――

 

 百鬼丸の剣術の修業は、次の日も、また次の日も続いた。

今までの修業は、四十八の魔物を倒すため。これからは、みおと子供たちを守るため。

倒すための力だけではなく、守るための強さを百鬼丸は欲していた。

だから、一日たりとて怠けてはならないと、厳しく自分を戒めて、雨の日も、風の日も百鬼丸は日々修業を重ねた。

 

 

百鬼丸が寺に来てから、一月がたとうとしていた。

その頃には、履いていた袴は邪魔だから脱いだ。

小袖の着流しになると、体が軽くなって、剣を振るう時にはさらに動きやすくなった。

身軽になると、百鬼丸の剣はますます冴え、鋭くなった。

 百鬼丸に自信が生まれてきた。

 今度雑兵たちがやって来たら、完膚なきまでにやっつけてやると決心していたが、幸い、寺に押しかけて来ることはなかった。

 もう二度と、みおを陣屋に行かせない、辛い思いをさせない。百鬼丸は子供たちを飢えさせないために、川魚や兎、鳥を獲って来た。

秋が深まると、山では山菜だけではなく、茸が生え、山葡萄などの果実なども豊富に採れるようになった。子供たちと一緒に籠を持って、収穫した。

 冬に備えて野菜を作ろうと、鍬で境内の日当たりのいい所に畑を耕し始めた。

 本堂の隙間を板で塞ぎ、隙間風が入ってこないようにした。

 百鬼丸はひたすら働き、ひたすら剣の修業に打ち込んだ一月だった。

 それはただ魔物を探して彷徨い歩いていた頃より、明確な目的を持って過ごした日々だった。

 

「とんぼ、とんぼ、とまれ」

「じっとして」

「動いちゃだめ」

 夕暮れ時の丘の上を、赤蜻蛉が飛んでいる。

 捕まえようと、子供たちは草の上に止まった赤蜻蛉にそろそろと手を伸ばす。

 が、赤蜻蛉は忍びよる気配を感じて、すっ……と飛んで行ってしまう。

「行っちゃだめ―」

 飛んでいく蜻蛉を追いかけて、義足で走り、義手を空に向かって伸ばして子供たちが駆けていく。

 その姿を見守りながら、百鬼丸とみおは丘の上に並んで座っていた。

 百鬼丸は幸せを感じていた。

 傍にみおがいる。

 それだけなのに、心が何とも言えず温かく、弾んだ。

 子供たちが遊ぶのを見ながら、みおが歌う。

 

  遊びをせんとや生まれけん

  戯れせんとや生まれけん

  遊ぶ子供の声聞けば

  我が身さえこそゆるがるれ

 

(みおの声が……聞きたいな)

 百鬼丸は切望した。

 みおの歌声を聞くだけでなく、みおの顔を見たい、その手に触れて温もりを感じてみたい。みおの作る食事を味わいたい。

 思わず漏らした百鬼丸の心の声は、みおに届いた。

「……あなたは、行ったほうがいいのかもしれない」

 みおの言葉に、百鬼丸は首を振った。

「行かない」

「だって、魔物を倒せば、あなたの体は戻るんでしょう? いつまでもここにいたら……」

「俺は、行かないよ。俺の体より、みおのほうが、皆のほうが、大事だ」

 今の百鬼丸には、自分の体のことよりも、みおと子供たちのことが優先すべきことだった。

「皆は俺の初めての友達で……みおは、俺が一番好きな人だから……」

 百鬼丸は正直な気持ちをみおに告げた。

「俺は、みおが好きだ!」

 唐突な百鬼丸の告白に、みおは大きく眼を見開いた。何かの冗談か、それとも自分に都合のいい錯覚かとも思ったが、百鬼丸の真剣な表情に、本気だと理解した。

 百鬼丸は不安げに聞く。 

「みおは? 俺のこと……」

「わたしは……」

 みおは返事をしてくれなかった。

 ただ、みおの心が温かく百鬼丸の心を濡らすのを感じた。

 それだけでも、十分だった。みおの思いを受け止めた百鬼丸は、みおの手を握り、改めて誓った。

「俺は、きっとみおを幸せにする。いや、皆で幸せになるんだ!」

 義手はみおの手の柔らかさを、温もりを伝えないけれど、か弱い手が、精一杯握り返して応えようとする思いは感じることができた。

 

丘の上では、曼殊沙華の花がいくつも咲いていた。

 秋晴れの空の下、緑の茎をまっすぐ伸ばし、風に揺れながら血のように真っ赤な花びらを広げるように咲いている曼殊沙華は、互いに相手を思う若い二人を祝福するかのようだ。

 だけど。

西に日が傾き、夕焼けが空を赤く染め、東の空の方から闇が少しずつ濃くなる。

 まるで二人の未来に絶望しかないと暗示するかのように。

 

 

 夜が更けて、百鬼丸が幸せな気分で眠りについた頃、昼間は隠れていた妖怪変化、物怪の類が闇から現れた。

 護身の刀と退魔の刀は百鬼丸の腕にしまわれているとはいえ、その神々しい力は弱き妖怪どもには心底恐ろしい。

 妖怪たちはぐるぐる寺の上空を飛び回り、木々の陰から寺を覗っては、ぶつぶつぼやいていた。

「困ったのう」

「困ったのう」

「何が困る?」

「小僧がここに残る気なのは、困ったのう」

「ほんに、困ったのう」

「それの何が悪い? 四十八の――お一方滅せられて四十七になったが――方々にとっては、良いことではないか」

「我が君は、それをお望みではない」

「お望みではない」

「おお、それでは小僧をここから追い出さねば」

「でもどうやって?」

「どうやって小僧を追い出そう」

「脅かしてやろうか」

「あの刀の光が眩しすぎて、我らは近寄れない」

「うっかり近くに寄ったら、我らが塵となり果てる」

「そいつはごめんだ」

「ごめんだ」

「それなら、刀を穢そう」

「どうやって?」

「どうやって?」

 妖怪たちは、ああでもないこうでもないと、知恵を絞った。結果――とてもいい考えが浮かんだと、一匹が言った。

「そうだ。ちょうどあの男が、この近くにおる」

「天下欲しさに我が子を売った男のことか?」

「契約の証を額に刻まれた男のことか?」

「出世しようと、せっせと人殺しに勤しんでいる男のことか?」

「そうだ。あの男の夢で、囁いてやろう」

「何と?」

「ここに砦を作れと――さすれば、戦に勝てるとな。小僧がここを追い出される際に、ひと悶着起こるだろう」

「さすれば、人を斬らずにはいられまい」

「それがいい!」

「それがいい!」

 子供のような無邪気さで、妖怪たちはきゃっきゃっと笑い合い、悪巧みに賛同した。

「小僧がここにいる理由も無くなり、刀も穢れる。一挙両得よ」

「いっそのこと、あの男と小僧を殺し合わせては?」

「それは駄目だ。まだ早い」

「まだあの童とも、出会うてないしのう」

「そうじゃ。とっておきの楽しみは、最後までとっておかねば」

「とっておかねば」

「ではさっそく始めよう」

「始めよう」

 風が吹いた。

 それまでざわざわしていた気配が消え、秋の夜空の下、静寂だけが残った。

 

 

2017年12月 1日 (金)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章6

   みおこがしの巻前編

 その歌声を、聞くことはできない。

 

 

 世の中は、死の気配に満ちている――

 人の世に降り立った百鬼丸が最初に感じたのが、死だった。

 百鬼丸が十四年間育った寿海の庵は山の中にあり、訪れる人も稀であったから、世の中に人がどれほど大勢いて、生きているかということは、寿海から聞いた知識だけでしか知らなかった。

 だから、四十八の魔物を倒すため旅に出て、行く先々の村に、町に、大勢の人の気配を感じた百鬼丸は、素直に人の多さに驚き、世の中というものは、なんてすばらしいんだと、ただ無邪気に喜んでいた。

 しかし、今は乱世。運悪く戦に巻き込まれた村では、無数の屍が転がっていた。

弔われることも、葬られることもなく、野晒しにされた屍は、鴉や山犬に死肉を喰らわれ、白い骨となる。そしていつか砕けて塵となり、風に吹かれて散り果てる。それが無常の世の理(ことわり)であった。

 旅に出てから百鬼丸は、話にしか知らなかった戦を、人の生と死を、より身近に感じるようになった。

 そんな時、百鬼丸は出会った。

 

 

  東へ歩けばぁ風が鳴るぅ

  西へ歩けばぁ雨が降るぅ

  気まぐれ風がおらの匂いを運んだら

  ちょっくらどいてぇおくんなよう

 

歌が、風に乗って運ばれてきた。

 その歌を、耳が聞こえない百鬼丸は聞くことができないが、誰かが歌っていることは感じた。

涼風が吹く秋の朝、百鬼丸は町外れの道を歩いていた。道の向こうからは、琵琶を背負った男が歌を口ずさみ、腰を屈めながら杖を突いて歩いてくる。

それは琵琶法師だった。

 四十代半ばから五十くらいの痩せた男だ。身に纏う衣は、薄汚れて擦り切れた白の単衣と袴。髪を綺麗に剃った坊主頭で、眼は白く濁り、光を失っているようだが、鋭い目元は力強く、侮れない感じがする。歌う口元は楽しげだが、どこか人を揶揄するようだ。それとも、俗世を捨てていながら、琵琶を弾いて人の世を旅する己を笑っているのか――

 百鬼丸と琵琶法師の距離が、だんだんと近づく。

 お互い通りすがりの旅人。

 百鬼丸は気にも留めずに、琵琶法師の横を通り過ぎた――

「そこのお人!」

 急に歌うことを止め、琵琶法師は振り向かずに鋭い声で呼びかけた。

「俺のこと?」

 他に人はいない。立ち止まり、振り返って百鬼丸が尋ねると、

「そう、おめえさんだ」

 琵琶法師は頷いた。

「俺に何か用か?」

 百鬼丸の問いかけに、

「おめえさんにはな、死神の匂いがぷんぷんするぜ」

 琵琶法師は百鬼丸の背負っている業を言い当てた。

 妖怪に憑きまとわれるということは、百鬼丸にとって、この世とあの世の狭間にいるようなものだ。上手いことを言うと思うと同時に、

「……何故わかる?」

 百鬼丸は眉をひそめた。ただの通りすがりの琵琶法師が、どうしてわかったのか――警戒する百鬼丸に、琵琶法師はゆっくり振り返って、向き合った。

 琵琶法師は見えない目で、じっ……と百鬼丸を見つめて言った。

「あっしは眼が見えなくてな……その代りと言っちゃあ、並の人間にはわからねぇ、色々なものを嗅ぎ分ける力があるってことさ」

 百鬼丸の疑問に種明かしをすると、琵琶法師は呆れたような声で言った。

「おめえさんは、たいした災難をしょっている相だぜ。そう……妖怪変化にいつもとっ憑かれている感じだ」

「妖怪は、俺の子供の頃からくっついてきている。もう慣れた。もっと会いたいくらいだ」

「そりゃ変わった趣味だ」

「俺、四十八の魔物を探しているんだ。こないだ一匹やっつけた。あと四十七匹やっつけなけりゃ、俺は幸せにはなれないんだ」

 百鬼丸の言葉に、琵琶法師は、ほう、と声を漏らした。感心したのか、呆れているのか、百鬼丸には琵琶法師の心は読めなかった。

「幸せねぇ……それで、その後はどうする?」

「どっか幸せの国を見つけるのさ」

「そりゃあ、難しい問題だ。第一、それまでおめえさんが、生きているかどうかってことだ」

 琵琶法師は杖で、百鬼丸の腰の刀の鞘をつんつんと突いた。

「おめえさん、武芸のたしなみがおありになるかね?」

 琵琶法師の言葉に、百鬼丸は憤慨した。

 我流とはいえ、剣術の修業はしてきた。すでに四十八の魔物を一体倒した。少なからず剣の腕には自信があった百鬼丸は、「ある」と答えた。

「俺は強くなったから、魔物を倒す旅に出たんだ。俺は、強いんだ――」

「そうかね?」

 百鬼丸が言い終わらないうちに、琵琶法師は流れるような自然な仕草で、杖に仕込んでいた刀を抜いた。

 白刃が百鬼丸のすぐ左横を突く――

 絶叫が響いた。

 百鬼丸が振り向くと、黒と黄色の縞模様の巨大な蜂のような姿の妖怪が、白刃に胸を貫かれていた。

 黒い羽根と、六本もある足を震わせ、赤い眼で恨めしげに琵琶法師を睨みながら、妖怪は後ろに倒れた。

 どうっ……

音を立てて地に倒れた妖怪は、たちまち黒い塵となって、風に吹かれて霧散した。

 百鬼丸は息が止まりそうだった。

 気がつかなかった――妖怪がすぐ近くに来ていたのに、全然気がつかなかった。今まで無事だったのは、両腕に仕込んだ護身の刀と退魔の刀の聖なる気のおかげだ。妖怪の気配に気がつかなかった自分が情けなかった。同時に、気配を消して近づいてきた妖怪を、一突きで倒した琵琶法師の剣技に驚嘆していた。

 恐るべき早業を披露したにも関わらず、何でもないような顔で琵琶法師はゆっくりと刀を鞘に戻し、諭すように言った。

「おめえさんは、隙だらけだ。気をつけたほうがいい」

 それだけ言うと、琵琶法師は踵を返し、何事もなかったかのように歩き出そうとする。

 百鬼丸は地に膝をつき、手をついて琵琶法師に頼んだ。

「お願いします! 俺に剣を教えてください!」

 しかし、琵琶法師の返事はつれなかった。

「おめえさん、何か勘違いしてやねぇかい? あっしは、弟子を取るためにこんなことやってみせたんじゃねぇよ。あっしの剣は、我流だ。めちゃくちゃさ……ただ、おめえさんに言いたいのは……今の世の中はな、幸せの国なんて、ありゃしねぇや。ただ自分だけを頼りにしてりゃ、それでいいのさ。あっしみてぇな男でも、このくれぇはできるんだ。おめえさんにだって、できることだよ――じゃあな」

 琵琶法師はそれだけ言うと、さっさと歩きだした。

「待ってくれ! せめて、おっさんと一緒にいたい」

 百鬼丸が追いかけると、琵琶法師は迷惑千万とばかり、早足で歩いていく。

 百鬼丸は取り残されまいと、必死に追いかけた。しかし、追いかける者と追われる者の距離は、中々縮まらなかった。

 それは海沿いの断崖絶壁の細い道でも変わらなかった。

 

 切り立った断崖の下の海は、波が高く、水飛沫を上げながら、崖から堕ちてくる者を飲み込もうと、慟哭にも似た轟音をさせながら待っている。

 岩肌に強く吹き抜けていく風の音は、獣の唸り声のように響いている。

 

  東へ歩けばぁ風が鳴るぅ

  西へ歩けばぁ雨が降るぅ

 

 百鬼丸は風に吹き飛ばされまいと、岩肌にしがみつくように恐々歩いているのに、琵琶法師は歌を口ずさみながら、飄々と歩く。

 絶壁の縁ぎりぎりに立つ足元のおぼつかなさと、風に吹き飛ばされる恐怖に、百鬼丸は足がすくんだ。

(この道はどこまで続く? どこまで歩いたら安全な所に行けるんだ? おっさんは、どこへ行くんだ?)

 怖くても、百鬼丸は前へ行くことも後ろへ行くこともできない。琵琶法師との距離は、ますます遠くなる。

 

  気まぐれ風が……

 

 風にかき消される歌声。

 断崖絶壁の道に置き去りにされる心細さと、風に吹き飛ばされて海に落ちるかもしれない恐怖が、百鬼丸を追い詰める。

「うわああああぁ!」

 たまらず、百鬼丸の心は叫び声を上げた。声帯のない百鬼丸は、思いきり叫ぶこともできない。はたから見たら、百鬼丸が声も出せずに震えているようにしか見えないだろう。

 でも、声にならない心の叫びは、琵琶法師に届いた。

 その場に突っ伏してしまった百鬼丸の肩を、戻ってきた琵琶法師の手が触れた。

「なんてぇ世話の焼けるお人だ」

 そう言いつつも、琵琶法師の優しさが、手の温もりから百鬼丸に伝わる。

「……おっさん……俺は……俺は、駄目な人間だ……俺の体は、ないとこだらけのうえ、魔物にもとっ憑かれているんだ……魔物を倒せば体は取り戻せるのに、俺は……何もできない! 何も……」

 生まれて初めて百鬼丸は弱音を吐いた。幼い頃、義肢を使いこなすために、血の滲むような訓練を重ねた。その時でさえ、自分は駄目な人間だとは言わなかった。やればできると思っていた。でも、旅に出て独りになって、いかに自分が何もできない人間かと思い知る。

「俺の眼も見えず……耳も聞こえず……口も、鼻も、手も、足も、みんな作り物なんだよ。偽物なんだ……俺には何にもできやしない……」

 百鬼丸の慟哭を、黙って聞いていた琵琶法師は、静かに問うた。

「……そう思いなさるか?」

 百鬼丸は哀しく答える。

「ああ……何にもできやしない……」

「馬鹿な!」

 琵琶法師は一喝した。

「……おめえさんに、見せてぇもんがある。この道の向こうだ……ついて来な」

 

 

 夕日が赤く地上を染める頃、琵琶法師に導かれてたどり着いた所は、村の焼け跡だった。

 真っ黒に焼けた柱が、墓標のようにいくつも立っている。その下には、人の骨がいくつも転がっていた。

 

 加賀では応仁の乱以後、富樫政親と弟の幸千代が家督を巡って争っていたが、政親が浄土真宗本願寺派の一向宗門徒を味方につけたことで幸千代を破り、加賀一国を掌握した。

 これで戦は収まるかと思われたが、政親は一向宗門徒を敵視し始め、弾圧を始めた。

 一向宗が加賀、越中、越前で布教に乗り出したのは、八世蓮如(れんにょ)の頃からである。

 

「本願寺に帰依すれば、極楽往生できる。ひたすら念仏を唱えよ」

 

熱心な布教の結果、相次ぐ飢饉や戦に身も心も疲れ果てていた民の心に、仏への信仰心が深く刻まれた。

一向宗は百姓や町人だけではなく、地侍までも取り込んで、その勢力を拡大させた。

後の世の救済の代償として、年貢や財産、領地まで仏――一向宗に捧げられた。

 これに政親は、危機感を抱いた。

 打倒幸千代のために、一向宗を保護するという約束をしていたが、このまま一向宗をのさばらせておいたら、守護を蔑ろにするに違いない――家臣たちからも、一向宗撲滅の声が上がった。

 政親は一向宗門徒の弾圧を始めたが、一向宗門徒もおとなしく従う訳もなかった。

 一向宗門徒は、百姓らを煽って一揆を起こし、さらに政親の政策に不満を持つ豪族と手を結び、抵抗した。

 こうして、戦はいつ終わるとも知れなかった。

 

「俺に見せたいのは、ここ?」

 旅に出てまだ半月だが、百鬼丸は戦に巻き込まれて焼かれた村を、いくつか知っている。もう珍しくとも何ともない。

 琵琶法師はどういうつもりなのか。

 訝しむ百鬼丸に、琵琶法師は見せたいものはここではないと言う。

「おめえさんに見せたいのは、これじゃねぇ。ここだよ」

 琵琶法師が指さしたのは、焼け残った寺だった。

「今夜はここで泊る」

「ここで?」

 屋根の瓦は残っているが、瓦の隙間から草が生えている。壁は所々崩れて隙間風が吹きそうだ。辛うじて倒壊を免れている寺に、本当に泊まれるのかと、百鬼丸は疑った。旅に出てから夜は宿か、持っていた薬を分けることで百姓の納屋に泊まらせてもらっていたから、焼け寺に泊まっても野宿と変わりないのではないかと思う。

 百鬼丸の疑念にお構いなしに、琵琶法師は焼け崩れた門を通り、慣れた足で寺の境内に入った。

 本堂の前で、三歳から十歳くらいの痩せた小さな子供たちがいた。皆裸足で、あちこち焼け焦げたぼろぼろの小袖を纏っている。

 十二人の子供たちは、思い思いに相撲をとり、石けりをして遊んでいたが、一人がこちらを見て叫んだ。

「あ、無名丸(むみょうまる)のおじさんだ!」

 子供たちは、琵琶法師の名を口々に呼びながら駆け寄ってくる。

「おじさーん!」

「無名丸のおじさん!」

 子供たちは満面の笑みを浮かべ、琵琶法師の周りを取り囲んだ。

「久しぶり。達者だったかい」

 琵琶法師――無名丸は子供たちの出迎えに、にこにこと笑って応じる。

「みおねえちゃん! 名無しのおじさんが来たよ!」

 三歳くらいの女の子が、本堂に向かって叫んだ。五、六歳の女の子が、訂正する。

「違うよ、まゆ。無名丸のおじさんだよ」

「だから、名無しのおじさんでしょ? るいちゃん」

「無名丸だってば」

 二人がやり取りしている間に、本堂から少女が出てきた。歳の頃は、十六、七歳くらいか。他の子供たちと同じく、裸足で粗末な単衣を纏っているが、夕焼けに照らされたその顔は、百鬼丸は見ることができなかったが、美しかった。

 濡れたような黒い瞳、桜の花びらのごとく小さな唇に、優しい笑みを浮かべた少女は、雛には稀な美貌であった。髪は伸び放題、少し日焼けしている顔は、紅ひとつしていないが、少女の美しさを損なうことはなかった。むしろ、ありのままの少女の美しさが際立っていた。

 

 ――この先、どんなに百鬼丸が見たいと願っても、見ることが叶わなかった少女との出会いだった。

 

「いらっしゃい、無名丸さん」

 少女は微笑みながら無名丸を歓迎した。

「また世話になるよ、みおさん。これは宿賃だ」

 無名丸は懐から銭を出すと、少女に渡した。

「まあ、こんなに沢山」

 みおと呼ばれた少女は、掌に乗せられた銭の袋の重さに困惑した。

「いつもより多いじゃありませんか。たいしたおもてなしはできませんのに」

「二人分の宿代だ。今夜はこの若いのも一緒に泊めておくれ。」

 無名丸は百鬼丸を指さした。

「……こちらは?」

 みおは怪訝そうな顔をする。古いが上等の衣を着た少年は、百姓にも町人にも見えない。腰に刀を差してはいるが、どこか世慣れしていない感じがして、侍の子とも言い切れないので、みおは戸惑う。

 顔見知りの無名丸が連れてきたとはいえ、知らない少年に警戒するのは当然だ。

 みおの警戒を解くように、無名丸は説明した。

「この若いのは、あっしと同じ旅の者でな。これも縁だから、連れて来た。ちょいと向こうのほうで会ったばかりだが、悪い奴じゃねぇ。あっしの心眼は、確かだよ」

 百鬼丸は頭を下げた。

「お世話になります。俺、百鬼丸です。旅、しています」

 旅に出て、初めて百鬼丸は己の名を名乗った。何の目的があって旅をしているかは、言わなかった。若い娘に「魔物を探しています」なんて言ったら、驚かれるに決まっている。

 どうせ一晩限りの宿だから、旅の目的など教えて怖がらせることはない――この時の百鬼丸は、長居するつもりはなかった。

 名乗った百鬼丸に、みおは微笑んだ。礼儀正しい百鬼丸の様子に安堵したようだ。

 

 その晩、百鬼丸と無名丸は、みおと女の子たちが作った雑炊を子供たちと一緒に食べた。

 米は少なく、野草で増量した雑炊は、育ち盛りの子供には物足りないだろう。しかし、子供たちは文句言わずに旨そうに喉を鳴らして雑炊をすする。無名丸も舌鼓を打っている。

 舌を四十八の魔物にとられている百鬼丸には、食べ物の味がわからない。だけど、この雑炊は旅に出て初めてのご馳走に思えた。

 子供たちのために、心を込めて作ったみおの思いが感じられたから。

 みおは子供たちに優しく微笑み、子供たちも心からみおを慕っているようだ。

 ここには百鬼丸が知らない温かい家族の姿があった。

 山の庵では食事に不自由したことはなかったが、いつも寿海と二人だけの食事だったので、何となく寂しかった。こんなに大勢と一緒に食事をしたのは初めての経験で、百鬼丸は思いがけず楽しかった。

 食事の後、子供たちが無名丸に歌をねだった。無名丸は平家の物語ではなく、巷で歌われている歌を歌い出した。

 

  舞え舞え蝸牛(かたつむり)

 

「蝸牛!」

 

 無名丸の歌に合わせて、子供たちも声を上げた。

 

  舞わぬものならば

  馬の子や牛の子に蹴させてん

 

「蹴させてん!」

 

  踏み割らせてん

 

「踏み割らせてん!」

 

  まことに美しく舞うたらば

 

「舞うたらば!」

 

  華の園まで遊ばせん

 

「遊ばせん!」

 

 阿弥陀如来の見守る本堂で、低くのびやかな歌声に合わせて、無名丸は琵琶を奏でる。

 軽やかな音色に誘われて、数人の子が中央で踊り出した。他の子供たちも、「それそれ」と声をかけ、手拍子を打つ。

 百鬼丸には歌も琵琶の音も聞こえないけれど、踊りも見えないけれど、子供たちの楽しげな様子に自然と笑みがこぼれる。

 旅に出てから、いつ魔物に出くわすかと、ずっと気を張り詰めていた。廃墟同然の寺で、思いがけず温かいもてなしを受け、子供たちの舞いや歌を披露してもらい、胸が躍るような楽しい思いは、久しぶりであった。

 ふと、百鬼丸は気づいた。

 みお以外、この寺の十二人の子供たちは、体のどこかが傷ついている、欠けている。

 顔や手足に刀傷が残っている子。

片腕のない子。

 片足のない子。

 片目のない子。

 肌が焼けただれた子……

 子供たちの姿は様々であったが、皆が痛々しい体である。

 それなのに、どうしてこんなに明るく、楽しそうにしているんだろう。

 どうして無邪気に笑えるのだろう。

 百鬼丸には不思議だった。

 

 夜が更けて、歌い踊り疲れた子供たちが眠りについた頃、無名丸はぽつり、ぽつりと百鬼丸に話した。

「この春に、戦があってな……攻められて村は全滅だ。この子たちは、この村の生き残りだ……親は殺されたか、生き残っても、子供たちを見捨てて村を出て行った。五体満足の体じゃねぇから、連れて行っても足手まといだと言ってな」

(俺と同じだ――)

 魔物に売られて、体を奪われた挙句、捨てられた百鬼丸。

 戦で命を失う代わりに、体のどこかを失って、足手まといだからと捨てられた子供たち。

 百鬼丸は子供たちの身の上と自分を重ね合わせた。

「みおさんも親兄弟を亡くして独りだ。みおさんは誰もいなくなった寺で、子供たちと住むようになった。食い物は、山で山菜を採り、川で魚を獲ったりしているが、とても足りねぇから、みおさんがあちこちの村を訪ねては、恵んで貰っている。ろくな食い物貰えねぇがな」

 大勢の食べ盛りの子供たちの食料を集めるのに、どれだけ苦労しているだろう。どれほどの屈辱を味わっているだろう。みおと子供たちの境遇に、百鬼丸は胸が疼くように痛んだ。

「この子たちは、気の毒だ。誰もかまっちゃくれねぇんだ。皆で集まって、やっと生きているんだ……だがよ、見なせぇよ。この子達がどんなに一生懸命生きようと頑張っているかを……」

 傷つき、捨てられても、生き残ろうとする子供たち。

(それに比べて、俺は――)

 無名丸の言葉は、鋭い刃のように百鬼丸の心に突き刺さる。

 体を魔物に奪われているから、何もできないと自棄になった自分を、百鬼丸は恥じた。

「え? おめえさんはどこが悪いか知らねぇが、どれだけ妖怪がとっ憑いているか知らねぇが、それだけ育ってこれたんだ。何故一人で頑張ってみねぇんだい?」

 無名丸がそこまで言った時、子供の泣き声が夜の静寂を破って、本堂に響いた。

「かあちゃん――かあちゃん、どこ? 置いてかないで」

 夢を見たのか、幼い子が起きて泣き出した。

「おっかあ」

「おかあちゃん」

 一人が泣き出すと、それにつられて幼い子供たちは次々とぐずり出しり、泣き出した。

「どうしたの。夢でも見たの?」

「かあちゃん――みおかあちゃん」

「大丈夫よ。ここにいるわ」

 みおが最初に泣き出した幼子の傍らに寝そべり、優しく抱いて静かな声で歌い出した。

 

  遊びをせんとや生まれけん

  戯れせんとや生まれけん

 

 無名丸は歌に合わせて、そっと撥で琵琶の弦を弾いた。

 

 酸――

 

 優しく、寄り添うように。

 

  遊ぶ子供の声聞けば

  我が身さえこそゆるがるれ

 

 子供たちを眠りへと誘う子守歌と琵琶の音は、夜の闇の中を静かに響いた。

 百鬼丸には、みおの歌声も無名丸の琵琶の音も聞こえないけれど……聞こえない歌声と音色に、泣き出したいほど胸が疼くように痛んだ。

 

 翌朝、無名丸は寺から去った。

「縁があったら、またいつか会いやしょうぜ……」

 別れ際、無名丸はそう言い残した。そうして歌いながら歩いていく無名丸の後を、百鬼丸は追わなかった。追うことができなかった。

 

 

2017年11月13日 (月)

次回予告みをこがしの巻

 奪われた体を取り戻すために、四十八の魔物を倒す旅に出た百鬼丸。

 旅の空の下、琵琶法師に導かれて出会ったのは、初めての友と初めての思い人。

聞くことができない琵琶法師の歌に人の世を思い、聞くことができない少女の歌に恋する喜びを知った。

だが、幸せは無残に打ち砕かれた。

 

次回、『どろろ百鬼繚乱草紙』まれびとの章 みをこがしの巻

 

  いくさ火が乙女のみをこがし魂(たま)の行方はいづこへ消ゆる

 

「俺は、みおが好きだ!」

 

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