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2020年6月11日 (木)

風葉和歌集 序

 倭歌(やまとうた)である和歌は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が詠んだ、

  八雲立つ出雲八重垣妻ごめに八重垣作るその八重垣を

 の歌に始まり、楢(なら)の葉と同じ名を持つ奈良の都の平城帝の宮に歌が集められて『万葉集』が編纂されて以来、和歌は信太(しのだ)の森の千の枝よりも多く、勅撰和歌集などに選ばれることも浦の浜木綿(はまゆう)のように度重なった。
 だが、作り物語の歌というものは、嘘を言うことに慣れた人の言い出したことばかりなので、真面目な所では表立って出すべきではない。
 なので、和歌の浦の磯に掻き捨てられた藻屑のように、書き捨てられた物語歌は、虚しく積り、安積山(あさかやま)の谷陰に永遠に人に知られずにいる埋れ木の如く、朽ち果ててしまいそうになってしまった。


 物語の歌の心を思えば、このままで良いはずが無い。

 この世の中に生きる人は、物語を作ることは多い。
 だから、見る人にも飽きられず、聞くことも多いことを、はっきりと誰とは言わないけれど、後の世に言い伝えて、善い物語を慕い、悪い物語を戒める手掛かりになりそうなことばかり記し残しておけば、一途に物語は嘘ばかり書いてあると断言するのも、事実に合わないのではないか。


 中でも、物語の歌の風情を思うに、
 花の色に隔つる露を恨み、(注1)
 同じ御垣に鳥の音を待ち、(注2)
 菖蒲草を引いて辛さに泣き声を上げ、(注3)
 撫子を見て露のように涙を添え、(注4)
 古里の萩の葉を思って夕風に乱れた心を言づけ、(注5)
 雲居を渡る雁に友を慕い、(注6)
 露枯れゆく草の原に問うべき人の行方を失い、(注7)
 小塩山の雪に残る古き足跡を訪ね、(注8)
 峰の朝日のような千年の栄光を約束し、(注9)
 中身が空っぽのうつせ貝のように、虚しい亡骸を嘆く心言葉(注10)――
 このように、多くの物語の歌は、ある物に事寄せて詠んだそへ歌に倣って、歌の親たる難波津の歌(注11)の流れに通じているから、外には浅い言葉を表現して、花の色も鳥の音も捨てず、内には深き心を込めて、男女の恋も恨みも知らせようと詠んでいる。

 夏衣がただ単衣(ひとえ)であるように、ただひとつの事柄を詠む和歌よりも、泡沫(うたかた)のようでも多くの意味を込めた物語の歌の方が、しみじみとした趣は添えられているのではないだろうか。


 このような次第であったところ、我が君大宮院(注12)が、二人の皇子が次々と帝位に即かれて天下の国母と仰がれてから二十五年(注13)になり、後深草帝、亀山帝の居られる内裏の春の花が、枝々に咲き続ける色を楽しまれ、後嵯峨院の仙洞御所の秋の月が、夜な夜な射し添う光を愛でられる暇に、諸々のことをお見捨てにはならない。
 ということで、新旧の物語の中より掻き集められた歌を、人知れず深い山に隠れ住む私(注14)のもとへ、秋風が吹く頃に大宮院から届けられたので驚いたところ、
「この物語の歌を基にして、さらに優れた歌を選んで追加し、部立て、巻を分け、歌に詞書を整えて奉るように」
 との仰せがあった。

 荒小田(あらおだ)の波のように、片糸を縒るように、かえすがえすも、思いもよらぬ仰せであったが、最上川(もがみがわ)上れば下る稲舟の否というように、お断りするのは恐れ多いことだから、雁の列のように物語の歌を書き連ねることになった。


 部立は、
 春の「鶯の初音を聞く」の歌(注15)より始めて、
 夏の「神山の葵をかざし」の歌(注16)、
 秋の「鹿の音に深きあはれを知り」の歌(注17)、
 冬の「夜半の時雨を思ひやる」の歌(注18)に至るまで春夏秋冬の部を並べ、
 神仏の誓いを述べた神祗、釈教の部、
 別れ、旅の心を詠んだ離別の部、羈旅(きりょ)の部、
 朝の露(注19)、夕べの雲(注20)に世を悲しむ哀傷の部を、
 千年の寿命を持つ鶴(注21)や、双葉の松に君を祝う(注22)賀の部を、
 涙の色を袖に隠し(注23)、辛さを添えて憂いを嘆く恋の部を、
 糸竹の声(注24)――琵琶や琴、筝の琴などの音に思いを述べ、
 親子の道に心惑わし(注25)、
 あるいは、雑の部として、長歌、物名(注26)、折句(注27)、連歌などのように様々な歌まで、全部で千歌余りを集めて二十巻とした。

 あの『古今和歌集』の仮名序に倣って、歌の六種(むくさ)の風、そへ歌の流れを汲む物語歌集ということで、風の言の葉の和歌集――『風葉和歌集』と名づけた。


 さても、『うつほ物語』の「なすこそ神」という歌(注28)は、『拾遺和歌集』(注29)に入り、『住吉物語』の「これを入相」という連歌(注30)は、『後拾遺和歌集』雑二に小一条院(注31)の歌として入っている。

 このような例は多いけれど、どれも物語の方が先に歌が作られているから、『風葉和歌集』から漏らすべきではないので、今これらの歌を除くことはしない。


 この物語というものは、長柄(ながら)の橋の如く古い頃から作られ、葦垣のように近い世に作り出された物語も、浜の真砂のように数多くあり、鴫(しぎ)の羽搔きのように書ききれない。
 蓬(よもぎ)が島と言われる蓬莱島(ほうらいとう)ではないけれど、題名だけを聞いて探しても、得ることができない物語も多く、花の園に入りながら手折ることができない梢のように、優れた物語があっても全て歌集に納めることができなかった。
 なので、身の過ちを残し、人の非難を受けることは逃れようもないことはわかっているけれども、こうしてこの度集め選ばれた物語歌が、吉野の滝のように絶えず、瑞垣のように末永く世に伝わり残ったならば――
 物語を作る人は、誰と知られずとも、誰と知られても、この物語歌集が選定された時に物語が見つかったことを喜び、物語を今の世に見ることができ、その名を聞き伝える人も、大宮院が初めて物語歌集を作られたので、和歌の道は栄えていくことを思い……
 大空の月日の影ものどかに巡り、我が国の四方の海の波の音も静かになることを願わずにはいられない。(注32)


 文永(ふみなが)しという意味の文永(ぶんえい)八年、降ったり降らなかったりする神無月の時雨の頃、この『風葉和歌集』を大宮院に奉ったのである。


注1『風葉和歌集』巻一春上・十九番歌。散逸物語「ひいこかしづく」より。花の色と霞を詠んだ歌。
※以下春夏秋冬・賀・恋部の歌の内容を略述し、和歌集の特色を記している。

注2巻一春上・二十四番歌。散逸物語「末葉の露」より。御垣と鳥(鶯)を詠んだ歌。

注3巻三夏・一六三~一六六番歌。「石清水物語」・散佚物語「深山隠れ」「物妬み」「葦の八重噴き」より。全て菖蒲草と嘆きを詠んだ歌。

注4巻三夏・一九六・一九七番歌。「源氏物語」より。撫子と露を詠んだ歌。

注5巻五秋上・二二九番歌。「夜の寝覚」より。古里の萩の葉と風を詠んだ歌。

注6巻五秋下・二八六~二九〇番歌。「風につれなき」「源氏物語」・散逸物語「親子の中」「萩に宿借る」「みづから悔ゆる」「袖濡らす」より。雲居や雁を詠んだ歌。

注7巻六冬・三八五番歌。「狭衣物語」より。霜、草の原、尋ね人を詠んだ歌。

注8巻六冬・四三二番歌。「源氏物語」より。小塩山と雪と古き跡を詠んだ歌。

注9巻十賀・七一五番歌。散逸物語「御垣が原」より。峰の朝日と千代の光を詠んだ歌。

注10巻十四恋四・一〇三八番歌。散逸物語「海人の苅る藻」より。うつせ貝と虚しき殻を詠んだ歌。

注11「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の歌。古今和歌集仮名序では、そへ歌の例として挙げられる。

注12後嵯峨天皇皇后、西園寺姞子。後深草・亀山天皇の母。

注13後深草天皇即位から風葉和歌集選進の寛元四年から文永八年までを指す。

注14風葉和歌集選者。大宮院の女房たちが集めた歌を藤原為家が撰したとする説が有力。為家は藤原定家の子。『続後撰和歌集』『続古今和歌集』の選者。側室は『十六夜日記』の阿仏尼。孫娘は大宮院女房、大宮院権中納言京極為子。

注15巻一春上の巻頭歌・一番歌。散逸物語「浪の締結ふ」より。立春の鶯の初音を聞く歌。

注16巻三夏・一四八番歌。散逸物語「忍ぶ草」より。葵祭に神山の麓で挿頭を詠んだ歌。

注17巻五秋下・三〇六番歌。「風につれなき」より。鹿の音に秋のあはれを詠んだ歌。

注18巻六冬・三七七番歌。「夜の寝覚」より。夜半の時雨を詠んだ歌。

注19巻九哀傷・六二三番歌。散逸物語「玉藻に遊ぶ」より。露を詠んで死者を悼む歌。

注20巻九哀傷・六六〇番歌。「浜松中納言物語」散佚首巻より。夕べの雲に荼毘に付された死者を悼む歌。

注21巻十賀・七〇三番歌。散逸物語「ひちぬ石間」より。鶴を詠んで五十日の祝いに赤子の千年の長寿を寿ぐ歌。

注22巻十賀・七一六番歌。散逸物語「御垣が原」より。双葉の松を詠んで赤子の千年の長寿を寿ぐ歌。

注23巻十一恋一・七八一番歌。「風につれなき」より。涙で色変わる袖を詠んだ歌。

注24巻十七雑二・一二五三番歌~一二五五番歌。「松浦宮物語」「浜松中納言物語」より。琴、琵琶を弾いた時に詠まれた歌。

注25巻十七雑二・一二八二~一二八四番歌。散逸物語「あたり去らぬ」「浪の標結ふ」「朝倉」より。親が子を思う心の闇を詠んだ歌。

注26物の名を詠みこんだ歌のこと。

注27物の名を各句の頭に詠みこんだ歌。

注28巻十二恋二・八四〇番歌。『うつほ物語』祭の使巻・詠み人源仲頼。

注29『拾遺和歌集』巻五に「題しらず」「詠み人しらず」として収録されている。

注30『住吉物語』で姫君の乳母子の侍従が「暁の鐘の音こそ聞こゆなれ」と言い、姫君に恋する男君の少将が「これを入相と思はましかば」と応じる。『風葉和歌集』現存本にはない歌。欠巻の巻十九・二十に収録されていたか?

注31三条天皇皇子、敦明親王。後一条天皇即位時に皇太子に立てられたが、藤原道長の圧力で辞退した後、准太上天皇として院号を授けられる。

注32『風葉和歌集』撰進された文永八年は、弘長元年に元の使節が国書を持参して日本を訪れて以来、元の襲撃を警戒していた最中であった。それで『風葉和歌集』選者は、序の末尾に国家安寧を願う文が記した。後の文永十一年に元軍が日本を襲来、文永・弘安の役が起こった。


参考文献
『中世王朝物語・御伽草子辞典』「作品解説 風葉和歌集の稿」(神田龍身・西沢正史編 勉誠出版)

『新版古今和歌集 現代語訳付き』「仮名序」(高田祐彦訳注 角川文庫)

『殴り合う貴族たち』「10小一条院敦明親王、受領たちを袋叩きにする」(繁田信一 文春文藝ライブラリー)

『中世王朝物語全集11 雫ににごる 住吉物語』笠間書院

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