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2020年5月 3日 (日)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章18

   万代の巻後編
 それまで皓々と照っていた月が、鈍色の雲に包まれた。
 黄金色に光り輝いて地上を照らしていた月が隠されて、辺りは闇に包まれた。
 漆黒の夜空に、稲妻が光る。
 一瞬闇が斬り割かれ、明るくなったが、また暗くなった。
 どこかでごろごろと音がする。おどろおどろしい響きが、ただならぬ気配を煽る。
 重たく空を覆う雲からは、雨が降ってきた。
 初めはぽつぽつと、雫が一粒二粒程度だった。すぐに雫は増えて、激しく雨音を立てて地上を濡らす。
 雨に濡れた万代の屋敷は、夕方見た時よりも暗く陰鬱に見えた。
 ごろんぼうの後を追ってどろろと百鬼丸がたどり着いたのは、万代の屋敷だった。屋敷の門をくぐった途端、そこは既に地獄と化していた。
 庭には屋敷の下男や侍女が、血まみれになってあちらこちらに倒れていた。誰も彼も、体に鋭い歯型が残り、腕や足を喰いちぎられている。
 ごろんぼうに襲われたのは、一目瞭然だった。
「うううぅ……」
「いたぁい……痛いよぉ……」
「……うふふふ……ふふふ……あはははは……」
 痛みに声にならぬ声で呻く者、泣き叫ぶ者、化け物に襲われた恐怖で気がふれた者、そして、すでに息絶えた者……彼らは皆、痛みと恐怖に顔を歪ませ、驚愕に目を見開き、信じられない――そう言いたげな表情を浮かべていた。
 あまりの惨たらしさに、どろろは顔を歪めた。
 戦が起こるたびに、人が死んでいった。だから、人の躯なんて、数えきれないくらい見てきた。躯を見ることなど、慣れたはずだった。
 だけど……やっぱり慣れない。まして、化け物に殺されて死ぬなんて、理不尽極まりない。
 これ以上誰かを殺させない、逃がすわけにはいかないと、どろろはあちらこちらに目を向けて、化け物の姿を探した。
「あ……あ……た……助けて……」
 母屋の階(きざはし)の下で、雨に濡れ、泥まみれになった豪華な小袖を纏った女が、地面を這いながらこちらに手を伸ばした。どろろと百鬼丸が近づいてみると、それは万代の侍女、右近だった。
 取り乱した右近の顔には、高慢な表情はない。心底怯え切った、ただの女だ。
「大丈夫か、おばちゃん?」
「おい、化け物はどこだ?」
 どろろと百鬼丸が声をかけても、右近はしゃべれない。恐怖に顔を引きつらせ、がくがくと身を震わせるばかりだ。
「ごろんぼうはどこに行った!」
 百鬼丸が重ねて聞くと、右近ははっと正気に返り、
「あ……あそこ……」
 弱々しく屋敷の方を指さした。
 百鬼丸は抜身の双剣を下げながら階を登り、開けっ放しになっている戸から屋敷の中に入った。
 屋敷の中は、外よりも凄惨な現場だった。
 逃げ遅れた侍女の躯がいくつも転がっていて、床も壁も天井も、いたるところに血飛沫が散っている。
 赤い血に交じって、緑色の血が廊下を引きずるようにべっとりとついていた。
 ごろんぼうの血だ。
 どろろと百鬼丸は緑色の血の跡を辿って行くと、そこは万代の部屋だった。
 外では雷がまた光り、ごろごろと音が鳴る。
 いや、雷鳴は外だけではない。中からも聞こえてくる。
「……ごろぉ……ん……」
 低く地を這うような声。
 ごろんぼうの声だ。
「あにき、あの化け物の声がする」
 我知らず、どろろは声が小さくなる。
 百鬼丸は答えない。まっすぐ万代の部屋の方に、見えない目を向けている。
 どろろと百鬼丸は、部屋の中に入った。
 昨日入った時は、梅の花のような甘い香りに満ちていたが、今は生臭い血の匂いが充満している。どろろは血の匂いに顔を歪め、足を止めた。
 匂いがわからない百鬼丸は、血の匂いに怯むことなく、歩みを進める。
 灯火の消えた暗い部屋の中央には、体中に白い布を巻きつけた女がいた。
 女の体からは、ごろんぼうと同じ緑色の、太く大きく膨らんだ尻尾が生えている。犬のように左右に揺れる尾は、それ自体が生き物のようだ。
 白い布を巻いた女は、ごろんぼうが変化した姿か。
 ごろんぼうは、こちらに背を向けて、床に倒れている女の体の上にのしかかっていた。
 倒れている女は、ぴくりとも動かない。すでに息絶えているのは明らかだ。
 顔は見えないが、倒れている女は万代か?
(あんなにきれいだったのに……)
 どろろは万代がごろんぼうに殺されたと思い、義手を抱いた両腕に思わず力を込めた。
 ごろんぼうは、死んでいる女の首筋に顔を埋めた。

 

 ぺちゃぺちゃ――
 ずずっ――
 ぺちゃぺちゃ――
 ずずっ――

 

 何かを舐めて啜っているような音が、部屋に響く。
 女に化けたごろんぼうが、殺した女の血を舐めている?
「ひっ……」
 嫌な想像に、どろろの喉から思わず声が漏れる。
 その密やかな呻き声に、ごろんぼうは女の顔でどろろと百鬼丸の方を振り返った。
 にやりと笑ったその唇は、口紅を塗ったかのように、血に塗れていた。
 化け物が変化したから、どんなに醜い顔かと思っていたが、どろろが思ったほど醜くはなかった。
 むしろ、美しい――
 そして、見覚えのある顔に、どろろは唖然とし、息を飲んでごろんぼうを凝視した。
「ばっ、ばっ、万代?」
 どう見ても、ごろんぼうの顔が万代にしか見えない。
 だが、慈悲深い貴婦人の面影はない。
 つり上がった目は、禍々しく金色に光り、笑った口から血に濡れた白い牙が見える。そして、額には角が二本、生えていた。
「正体を現したな、化け物」
 百鬼丸は唇に笑みを浮かべた。
「そうか……!」
 どろろは悟った。
 ごろんぼうが万代、万代がごろんぼうだったのだ。
 万代は夫を亡くして嘆きのあまり床に就いたと言っていたが、それは嘘だったのだ。
 万代が寝てばかりいたのは、帳(とばり)と夜具で大きな尾を隠すため。そのために病の身を装っていたのだ。
 そもそも病人の部屋で、鼻につくほど強く香を焚くのはおかしい。ひどい臭さのごろんぼうの体臭をごまかすために、香を焚いていたのだ。
 そして、慈悲深い女と化け物と、二つの顔を使い分けて、村を支配していた。
 万代は立ち上がると、ゆらゆらと威嚇するように緑色の尾を揺らす。
「や、やーいっ! この化け物め! なんだい、その尻尾は! へ、へん! おまえなんか、こわかねぇぞ。そんな醜い尻尾、蹴り飛ばしてやらぁ」
 どろろは負けじと、必死に虚勢を張る。だが、鬼面の万代の恐ろしさに、どろろは自然と体が震えてしまう。
「ふ……ふ……ふ……ほほほほほ!」
 万代は高笑いすると、ずい、と一歩踏み出した。
「見たね?」
 低い声で万代が言う。
「もっとよく見せてやろうね……」
 笑いながら万代は体に巻かれた白い布を解いた。
 布が解かれていくにつれ、万代の眼は猫のようにつりあがり、口は大きく裂け、額に生えている二本の白い角はさらに長くなる。そして、身の丈よりも長い黒髪は、老婆のように真っ白になった。
 その時、
「うわぁ! なんてこった!」
「ひでぇ……」
「おい、しっかりしろ!」
 雨音に交じって、万代の屋敷の庭に村人たちの驚愕の声がどろろの耳に聞こえてきた。竹藪の襲撃で生き延びた村人たちが、加勢を募って屋敷に駆け付けてきたようだ。
 庭のあちらこちらに転がる怪我人と死人の多さに狼狽える声に続いて、屋敷の主を案じる声がする。
「万代さまは? 万代さまはどこだ?」
「万代さまーっ!」
「ご無事ですか、万代さまっ」
 そして、美しい女人の安否を確かめようと、万代の部屋の中に入ってきた村人たちは、その場の光景に絶句し――
「ひゃあああああっ!」
「ひぃいいいいいっ!」
「ひぇえええええっ!」
 声を限りに叫んだ。
 白い布を解いた万代は、惜しげもなく男たちの前に裸身を晒した。
 細くしなやかな体に、雪のように白い肌、豊かな胸。だが、その下半身に生える尻尾は、ごろんぼうのものだった。
 緑色の醜い肉の尾を生やした女という、おぞましい姿を見て、村人たちは震えあがった。
 駆けつけた村人たちの悲鳴に合わせて、どろろも叫んだ。
「うわあああっ! あにきぃ!」
「下がれ、どろろ!」
 どろろを庇い、百鬼丸は刀を万代に向けた。
「よくも女と化け物の両方を使い分けて、村人たちを騙したな。これが最後の夜にしてやる。思い知れ!」
「ほーほっほっほっ……」
 万代は、百鬼丸をあざけり笑った。たった一人で何ができようかと。
「我こそは、千年の古(いにしえ)よりこの如月谷に年ふりたる女夜叉(にょやしゃ)にそうろう。あなうらめし。我が尾の変化を見たうえば……一人残らず生かしてはおかぬ!」
 叫ぶと同時に、万代は百鬼丸に向かって襲いかかった。
 牙を剥く鬼女の顔に恐れおののいて、村人たちの恐怖に駆られた叫び声が部屋に響く。
「わあああっ」
「助けてぇーっ!」
「逃げろーっ!」
 我先へと屋敷の外へと逃げ出す村人たち。
 万代の変わり身に驚いたのと怖いのとで、ぎゅっと義肢を抱いたまま立ち尽くすどろろ。
 ただ一人、万代に向かって行ったのは、百鬼丸。
 百鬼丸の双剣が、万代に振り上げられる。
 振り下ろした右の護身の刀が、万代の左肩に斬りつけた。
 だが、万代は猫のように身軽に避けて、刀をかわした。
 すかさず左の退魔の刀で、百鬼丸は万代の右腕を突いた。
「ぎゃあぁつ!」
 悲鳴を上げて万代は後ろに下がった。傷を負った細腕からは、人の赤い血ではない、化け物の緑色の血が滴り落ちた。
「おのれぇっ! よくもやったね! 抜け殻風情が……おまえの体は我らのもの。決して渡さぬ!」
 万代は目を見開き、荒く息を吐きながら百鬼丸に罵声を浴びせ、苛立たしそうに緑色の尾が床を叩く。
「やっぱり、おまえは四十八の魔物の一匹か! 俺の体を返せっ!」
 万代が奪われた体を持っていると知り、百鬼丸はさらに斬り込んだ。百鬼丸の渾身の剣に、万代は逃げる暇も与えられなかった。
 最初に右、続いて左の刀が、万代の肩を突いた。
「うぅ……」
 万代の両手が刀身を掴み、掌から緑色の血を滴らせながら引き抜こうとするのを、百鬼丸は力いっぱい万代に体を押し当てて、抜かせなかった。
 二本の銀の刃が、万代の肩を貫く。
「あ、あ、ああぁっ!」
 哀れさを誘うような声で、女の喉から悲鳴が漏れた。それでも百鬼丸は容赦なく刀を押し付けた。
「返せ……返せ……返せ! 俺の体を返せっ!」
 空から堕ちた星の欠片で作られた刀を掴んだ万代の掌は、火膨れを起こしたかのように赤く爛れた。肩の傷からは、緑色の血が吹き出して白い肌を汚した。
 血走った万代の目が、百鬼丸を睨みつけた。鬼女の形相が、怒りと苦痛に歪んでより険しくなる。
「誰が返すかっ! おまえの体は、契約の代償として我らが得たもの。すでにおまえのものではないわっ!」
 万代は凄まじい怪力でもって我が身を貫く刀を引き抜き、力いっぱい百鬼丸を突き飛ばした。
 百鬼丸は部屋の隅まで吹っ飛ばされた。
 百鬼丸が体勢を立て直す前に、万代は傷ついた身を翻し、凄まじい速さで部屋を飛び出した。
「ま、待てっ!」
 百鬼丸は慌てて起き上がり、万代の後を追った。
 部屋を出た万代は、どたどたと大きく足音を立てながら階を駆け下り、庭へと出た。
 ほとんどの村人は、怪我人を連れて屋敷の外に逃げ出していたが、血気盛んな男たちが十人ばかり、逃げずに庭に残っていた。
 彼らは万代の姿を見るや、門の前に立ちふさがり、手にした鍬や鎌、竹槍で万代を威嚇する。
「待ちやがれ、化け物!」
「逃がすものかっ!」
 それを見た万代は、万事休すと庭の中央で立ち止まる。
「下郎らが!」
 万代は村人たちを怒りに満ちた眼差しで一瞥すると、振り返り、追ってきた百鬼丸と対峙した。
 暗闇を雷が引き裂き、雨が激しく降る中、化け物とそれを追う者が睨み合う。
 万代は牙を剥き、呻くような低い声で怨みの言葉を口にした。
「えぇい、くちおしや、くちおしや……忘れぬぞ。この怨み、忘れぬぞ……おまえの体を八つ裂きにしてくれるわ。おまえの命も、抜け殻の体も、全て私が貰う!」
 万代の体が飛び上がり、百鬼丸に襲いかかった。
「死ぬのはおまえのほうだ!」
 百鬼丸も万代の懐に入り込むように突進した。
 まるで抱きあうように、二人の体がぶつかり――
 万代の牙が、百鬼丸の喉を食い破るより先に、双剣が白い胸に突き刺さる。万代の背から、銀の羽のように二本の刀が貫いた。
 万代の顔から凶暴な表情が消え、驚きと戸惑いが入り交じった顔になった。まるで、あどけない幼子のように。
 万代は百鬼丸の肩越しに雨降る夜空を見上げた。喉から、地獄の底から響いてくるような咆哮が漏れる。
「ごろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ……」
 万代――ごろんぼうの咆哮が途切れると、女の体から力が抜けていくのを感じた百鬼丸は、後ろに下がり、刀を抜いた。
 見開いた万代の目から光が消え、瞼が力なく閉じられた。
 万代の体が、突っ伏すように地面に崩れ倒れる。
 そして……動かなくなった。
「……死んだ……のか? 化け物は、死んだ? やったぁ! やっつけたぞぉ」
 部屋から庭に出て、遠巻きで百鬼丸と万代の死闘を見ていたどろろが、歓喜の声が上がる。
「あにき!」
 義手を抱えたどろろは、小躍りしながら百鬼丸の傍に駆けつけた。
 戦いは終わった。
 刀の血を拭い、どろろに義手をはめてもらう百鬼丸の顔には、勝利の笑みが浮かんでいた。
 能面のように無表情の顔よりも、笑った百鬼丸の顔は、惚れ惚れするほどいい男だと、どろろは我知らず思ったその時――
「わ!」
 村人が叫んだ。
「尻尾が!」
「尻尾に顔が!」
 どろろが振り返ると、村人の言葉通り、ぶよぶよの肉の塊のような尻尾の先端が、蠢き、形を変えていた。
 ふたつ小さく窪んで目ができ、見開いた。肉が盛り上がって鼻ができ、耳ができ、裂けた皴は、大きく開いた口のようになった。
 どう見ても、人の顔にしか見えない。
 緑色の肉の尻尾に浮き上がったその顔は、どろろには万代の顔に似ているように見えた。
 顔ができるにつれて、太く大きな尻尾は、どんどん細く、小さく縮んでいく。

 

 ずるり――

 

 細くなったごろんぼうの尻尾は、蛇のようにうねうねと這いながら、万代の体から離れた。
「まだくたばっていなかったかっ!」
 百鬼丸は左の義手を外し、納めたばかりの退魔の刀を抜いた。
 駆け寄り、逃げようとするごろんぼうの尻尾の先端にできた顔の眉間に刃を突き刺した。
 緑色の顔から、真っ赤な血が花びらのように飛び散る。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
 女の声で、再び断末魔が夜の闇に響いて――やがて、静かになった。

 

 

 雨が降りしきる中、梅枝村の村人たちは、遠巻きに女の亡骸と緑色の肉の塊を囲んだ。
 誰もが黙り込んで、ふたつの躯をじっと見つめている
「あにき……こいつは一体……」
 どろろが恐ろしげに百鬼丸に問うた。
 百鬼丸は義手をはめながら答える。
「俺は以前にも、こんな憑き物の妖怪を片づけたことがある。人面瘡(じんめんそう)と言ってな、ある娘の膝に大きな腫物(はれもの)ができて……それが潰れて、人の顔みたいになって物を言ったり、飯を食ったりするんだ。そいつは切っても、切っても、あとからあとから生えてきた。その腫物には、妖怪がとり憑いていたんだ。この人面瘡も、もっとあくどいやつなんだろう……」
 百鬼丸の説明に、どろろはぶるっと体を震わせた。
「――そ、それじゃ、この女は?」
「化け物が体を借りていただけさ」
 その証拠に、あんなに鬼のように恐ろしげな顔だったのに、万代の死に顔が、可憐で優しげな顔に変わっていた。真っ白だった髪は元の黒髪に戻り、大きく生えていた角も無くなっていた。化け物が体から抜け出したので、元の人間に戻ったのだ。
「谷に住んでいたごろんぼうは、都からやってきた万代の体を乗っ取って、外面(そとづら)は情け深いふりをしながら、村の連中を働かせて搾り取っていた。つまり、生かさず殺さずってわけだ」
「うへぇ……」
 どろろは化け物の悪知恵に、恐れ入った。
 それは村人たちも同じだった。
 突きつけられた真実に、その場の誰もが顔を強張らせ、言葉も出ない。
「そんな……お方さまが、物怪にとり憑かれていたなんて……」
 よろよろと、雨と泥でぐちゃぐちゃに汚れた右近が歩み寄り、万代の亡骸に縋りついて泣いた。
「ああ……お方さま……お可哀想に……殿を亡くされ、物怪にとり憑かれてしまわれた末に、このような惨い最期を……」
 よよよと哀れに泣く姿に、もらい泣きする村人たち。
 どろろも思わず同情した。
 ただ一人、百鬼丸は違った。
(この女……!)
 人の心を読み取る術を持つ百鬼丸だけには、右近が心の奥に潜めていた真実が垣間見えた。

 

 お方さまの様子がおかしい――
 都の戦を逃れて、加賀の国の領地に来てから万代の様子が変わったと、右近は感じていた。
 都にいた頃は、万代は明るく朗らかな人柄であったが、梅枝村に来てからは、口数が少なくなり、どこか冷ややかな感じがしてならなかった。
 初めは慣れない田舎暮らしのせいで、憂鬱になっているのだろうと思った。
 だけど、梅枝村に来て初めての春を迎えた頃だった。
 ある夜、右近は見てしまった。毒々しい緑色の醜い尾が生えている万代が、大納言と契るのを。
 お方さまが、物怪にとり憑かれてしまった!
 右近は愕然としたが、なす術はなかった。
 都であったら、僧都(そうず)に頼んで加持祈祷してもらい、物怪を祓ってもらえたであろう。
 だが、都から遠く離れた加賀で、誰に相談してよいのやら。
 村人たちに知られたら、万代ともども村を追い出されるか、殺されるかもしれない。
 守護の富樫家は兄弟で争っていて、都から来た公家のことなどかまっていられないから、頼ることができない。
 右近は口を噤んでいるしかなかった。
 大納言は妻が化け物にとり憑かれているとは気づいていないのか、それとも化け物に誑かされているのか、毎夜契り……
 夜毎の契りで、万代の緑色の尻尾は、初めは細く短かったが、次第に太く長くなった。
 それと同時に、大納言はやつれ、生気を失い、やがて病み衰えて死んでしまった。
 次に、若い侍女が大納言と同じように病み衰えたと思っていたら、いつの間にか屋敷からいなくなった。
 また一人、二人と侍女が病み衰えてから姿を消すことが続いて、右近は気づいた。
 万代が、万代にとり憑いた化け物が、侍女を喰ったのだ。大納言をとり殺したように。
 周囲には、いなくなった侍女は暇を取ったと右近は言い繕った。
 それから他の侍女も、下男も、家令も、都から一緒に村に来た者たちは、一人ずつ屋敷から消えた。その度に、右近は逃げた、都に帰ったと言った。村人たちは、右近の言葉を信じた。いなくなった者の代わりに、村の者が仕えるようになった。
 そして、都から連れて来た者が右近以外誰もいなくなった時、万代の尻尾は、身の丈よりも長く大きくなり、衣で隠しきれなくなった……

 

 右近の心に秘められていた真相を知って、百鬼丸は唖然とした。
 人に仇なす化け物を野放しにしておくなんて……
 確かに化け物にとり憑かれたと村人たちに知れたら、自分たちの身が危うい。
 ごろんぼうに体を乗っ取られたとはいえ、尻尾が生えた以外は、見た目は万代のままであったから、右近は万代を守ろうとしたのか?
 ――百鬼丸が右近の心の底をさらに覗くと、本心が見えた。

 

(お方さまが人であろうと、化け物であろうと、関係ないわ。高貴なご身分の「お方さま」がいてこそ、仕える私も楽に暮らしていけたのに……お方さまがいなくなった今、どうしたら……いいえ、今度は私が……お方さまと私は、身分は違えども、村の者たちから見たら、都人だもの……大丈夫、うまくやれる……都から来た公家というだけで、とうの昔に没落した家の殿とお方さまをありがたがっていた鄙者を、操ることなどたやすいこと……大納言家の財を管理していたのだって、私だったし……お方さまが大納言家の財宝を恵んでやったのも、私の言葉があったから……商人との取引だって、私のおかげよ……価値を知らぬ愚か者たちは、商人に騙されて安く織物を売っていた……私のおかげでこの村の織物は、高く売れるようになったのよ……村に富と繁栄をもたらしていたのは、私。私こそ、この村の真の主……!)

 

 ――もうこれ以上知りたくない。
 百鬼丸は右近の心から退いた。
 酷い。
 汚い。
 醜い。
 右近が口を噤んでいたのは、万代への忠義からではなかった。
 主が化け物にとり憑かれたと知っても、甘い汁を吸うためにごろんぼうの正体を明かさず、素知らぬ顔で仕えていた右近の凄まじい欲に、百鬼丸は圧倒されていた。
 万代――ごろんぼうも、村人たちに取り入るために、右近を利用できると思ったのであろう。だから、本物の万代を知る右近を殺さずにいたのだ。
 ごろんぼうと右近は、お互いの利害が一致していた。
 この梅枝村の村人たちは、ごろんぼうだけではなく、右近の奴婢(ぬひ)でもあったようだ。
 右近は百鬼丸に本性を知られたことも知らずに、主を失った忠実な侍女の芝居を続けている。雨が降っているから、右近の目元や顔が濡れているのは、雨の雫か涙か、誰にも判別できない。
(人は……こんなにも……)
 人の欲の醜さに、泥のような疲労感を全身に感じた時、
「うっ!」
 突然百鬼丸は、がくんと膝を地面についた。
「あにき! どうかしたのかい?」
 どろろが驚いて声をかけても、百鬼丸は答えない。答えられない。壮絶な痛みがその身に襲っていたから。

 

 百鬼丸が突然倒れたので、どろろは度肝を抜かれた。
 次に驚いたのは、百鬼丸の左耳がぽろりととれて、地面に落ちたことだ。
 同時に百鬼丸は、頭の左側を抑えながら苦悶の表情で地面をのたうつ。
「うわああああああああぁ!」
 百鬼丸の声が、どろろの頭の中に響いた。
 永遠に続くような、一瞬だけのような時が過ぎ、百鬼丸の心の叫びが聞こえなくなって、ぐったりと疲れたように立ち上がった百鬼丸には、左耳が生えていた。
「あにき! 耳が……耳が生えている!」
 どろろは驚きの声を上げながら、百鬼丸と地面に落ちている左耳を見比べた。
 地面に落ちた左耳は、たちまち輝く赤に染まり、石のように固くなっていく。
 舌の時と同じだ。
 どろろは初めて百鬼丸と出会った時に見た光景を思い出した。
 おたまじゃくしの化け物を倒し、百鬼丸は舌を取り戻した。
 偽物の舌は、赤い石になると、粉々になって風に飛んで行ってしまった――
 あの時と同様に、左耳もみるみるうちに深紅の透明な石と化した。

 

 ぴきっ――

 

 石化した耳に、ひびが入る。ひびは耳全体に広がり、砕けて粉々になった。そして、深紅の砂は、雨に濡れた地面にしみ込んで、消えてしまった。
 万代も、四十八の魔物の一匹だったのだ。だから、百鬼丸の奪われた肉体の一部――左耳が戻ったのだ。
「あにき、なあ、あにきったら」
 どろろが声をかけても、百鬼丸は答えず、ただ呆然と立ちすくんでいた。

 

 音が、聞こえる……
 初めに聞こえたのは、雨の音。
 幾千幾万もの雨粒が空から落ちて来て、人に、地面に、木々にぶつかる音が、一斉に百鬼丸の耳に飛び込んできた。
 耳を取り戻したことで、静寂から一気に音の聞こえる状態になって、百鬼丸は戸惑っていた。激しい音の洪水は、百鬼丸にとって、未知の体験だった。
(これが、聞こえる……ということか……)
 雨音に交じって聞こえるのは、何だ?
「大丈夫か、あにき?」
 人の声――どろろの声だ。
「耳を取り戻して、聞こえるようになったんだろ? それとも聞こえてないのか? なあ、どうなんだ? それとも、まだ痛むのか?」
 よく響く、澄んだ声。
 初めて聞くどろろの声は、心地よかった。ずっと聞いていたい。そんな気持ちになる。
 だけど、遠巻きに自分たちを見ている村人たちの声は……
「耳がとれて、また生えた……」
「手や足はどうなってんだ?」
「薄気味悪いやつだ」
「あいつも化け物なのか?」
「化け物だ」
「そうだ、化け物に違いない」
 村人たちの囁く声は、雨音にかき消されそうだが、確かに百鬼丸の耳に聞こえていた。そして、声に出さない心の声も。
(余計なことをしてくれた)
(万代さまがいて、わしらは幸せだったのに……)
(万代さまが化け物だなんて、知りたくなかった!)
(化け物でも、万代さまは金をくれた)
(万代さまが殺されて、これからどうしたらいいんだ)
(こいつらは、金持っていなさそうだし、役には立たんな)
 村人たちが実際に声に出した言葉も、胸の内の本音も、ごろんぼうを退治した感謝の言葉ではなかった。
 百鬼丸を化け物と恐れ、罵る言葉であった。
 いつでも、どこでも、百鬼丸は歓迎されなかった。
 作り物だらけの百鬼丸の体を気味わるがって、冷たく追い払われたことは、一度や二度ではない。
 四十八の魔物に呪われている自分は、他人から見れば、化け物みたいなもの……
 そう気づいてしまった。
 だから、他人からの罵倒も、もう慣れっこになってしまった。人は時として、妖怪よりも冷たくなることがあると知ってしまった。そういうものだと割り切ってしまえば、傷つかなくてすむ――それが、百鬼丸が覚えた心の防御の方法であった。
 だけど、実際に自分への罵倒や悪口を耳で聞くと、こんなにも辛いのか……

 

 雨に濡れて悄然と立ち尽くす百鬼丸に、どろろは困り果てた。このまま雨に濡れたままでは、さすがにまずいと思い、
「なあ、誰か家を貸してくれよ」
 とりあえず百鬼丸を休ませたくて、どろろが手助けを請うために後ろを振り返ると――
村人たちが鎌や斧の刃、竹槍の鋭い切っ先を、警戒するように向けていた。
「な、なんだよ。そんな物騒なもん、こっちに向けるなよ。もう化け物はやっつけちまったんだから、必要ないだろ」
 どろろは拳を上げて抗議する。だが、村人たちは武器を収めようとはしない。冷ややかな顔で、恐怖と畏怖の目で、どろろを――いや、百鬼丸を見つめている。
「早く村を出て行ってくれ」
「化け物の仲間みたいな者を、村に泊めとくわけにゃ、いかねえ」
「迷惑なんだよ」
 口々にどろろを、百鬼丸を罵倒する村人たち。
「なんでぇ。その言い種は! それが化け物を退治した恩人に向かって言う言葉かよ!」
 どろろはいきりたって向かおうとするが、村人の竹槍に後退させられる。

 

 

 村人たちとの間に不穏な空気が流れる光景を、屋敷の屋根から眺めている者がいた。
「呪われた誕生、祝福された死」
「黒い太陽、赤い月」
「熱い氷、冷たい炎」
「手に手を取って結ばれたら」
「扉が開くよ」
「ほう、ほーう」
 そう呟いたのは、頭の先から尻尾の先まで、全身黒い双頭の蛇。
 目だけが、さながら柘榴石のように赤く、燃えるように闇に光っている。
「くっくっくっくっく」
「ふっふっふっふっふ」
 鎌首を上げ、黒光りする艶のある鱗を雨に濡らしながら、双頭の蛇は押し殺した声で笑う。
「面白い」
「実に面白い」
 ごろんぼうを倒した英雄であるはずのどろろと百鬼丸。
 しかし、英雄どころか、化け物として追い出される。
 そのことが、とてつもなく愉快だと笑っている。
「ひとって、なんて愚かなんだろう!」
「だから、芝居が面白い」
「主さまもこの展開に、ご満足であられよう」
「そうでなくっちゃ、お方さまも殺され損」
「あーはっはっは」
「ほーほっほっほ」
 そうして笑いあった後、
「さあ、お知らせせねば」
「お知らせせねば、主さまに」
 そう呟くと、双頭の蛇は、ぶるっと全身を震わせた。

 

 ばきっ――

 

 蛇の体の中から骨が鳴る。

 

 ばきばきっ――

 

 骨が鳴りながら、細長い胴体から四肢が生えた。
 生えたのは四肢だけではない。それぞれの蛇の頭からは、枝分かれした白い角が二本伸び、尖った耳が生えた。顎(あご)には髭が生える。
 背中からは、蝙蝠(こうもり)のように骨に膜を張った大きな羽根が四枚生えた。
 細かった体が、ぶくぶくと膨れて肉づきのよい体になった。
 そして、長い尾を振りながら太く逞しい後足で立ち上がった時、双頭の蛇は、双頭の黒龍へと変化していた。
「おおぉ……」
「ああぁ……」
ため息のような声を漏らしながら、小さな前足が、ゆっくりと花開くように握りしめた掌を開くと、五本の指に鋭い爪が生えていた。
 双頭の黒龍は、体よりも大きな羽根を広げ、二度、三度と力強く羽ばたくと、

 

 とんっ――

 

 後ろ足で軽く屋根を蹴り、ふわりと空に舞い上がった。
 万代の屋敷の上をぐるぐると大きく旋回しながら、双頭の黒龍は声を揃えて歌い出した。

 

  雷が刻んだ契りの証
  四十八の星が流れて堕ちて
  ゆららさららと飛び出せば
  角生ひざらん鬼子
  変成しそこなった龍女
  娑婆に生まれていかがせん
  いかがせん
  始めも果ても限りなきこの世をば
  夢を夢とも知らずして
  この終わりに覚め果てるこそ
  あはれなれ あはれなれ

 

 歌い終わると、双頭の黒龍は首をうねうねとくねらせて雨の降る夜空を飛び、闇の彼方へと消えた。

 

 

 雨に濡れながら村人たちの冷たい視線と武器に囲まれ、百鬼丸は無言で立ち竦んでいた。
 そうして顔を上げた時、
「うるさい! 黙れ!」
 百鬼丸は、叫んだ。思いきり、心の声で――
「うわっ!」
 頭の中に直接響いた百鬼丸の心の声は、怒りと悲しみ、苦痛に満ちていた。その声を聞いた途端、村人たちは武器から手を放し、頭を抱えて倒れた。万代の亡骸に縋って泣いていた右近も、「あれ!」と声を上げて気を失った。
「あ、あ、あ……」
「いてぇ……頭がいてぇ……」
「ううぅ……」
「ええい、なんなんだ……」
「おおおおぉ……」
 百鬼丸の心の叫びを聞いて、その場にいた村人たち全員が、気を失うか、突き刺すような、割れんばかりの激しい頭痛に呻いていた。
 ただ、どろろだけが、村人たちと同じように百鬼丸の叫びを聞いたはずなのに、平気な顔で立っていた。
「あにき……」
 再びどろろの声が百鬼丸を呼んだ。上っ面でもない、下心もない、本心から百鬼丸を心配するどろろの声だけが、百鬼丸が聞いていたい声だった。
 百鬼丸がどろろに振り向いた。
 どろろの目に映った百鬼丸の顔は、弱々しさや苦悶の色は消えていた。
 決意に満ちた、凛とした表情が浮かんでいた。
「行こう、どろろ」
 村を出ていこうと言う百鬼丸に、どろろは驚きの色を隠さない。
「何だよ、あにき! あにきが体を張って、これだけ村のために働いたのに、出ていけって言われたら、はいそうですかと、黙って出ていっちまうのかよ!」
 どろろの抗議に、百鬼丸は何でもないことのように言う。
「気にするな。こんなことは、慣れている」
 ――慣れている。
 その言葉に、どろろはわかった。この梅枝村の村人だけではない、他でも四十八の魔物を倒して体を取り戻すたびに、百鬼丸は人々から化け物と忌み嫌われたのだと。
 盗られた物を取り返すことの、どこがいけない?
 どろろは怒りで体が震えた。
 百鬼丸に理不尽極まりない言いがかりをつける奴ら全てに。
 言いがかりをつけた奴らに、怒ることを諦めてしまった百鬼丸に。
「なんで? なんであにきは怒んないんだ!」
 大声で怒鳴るどろろに、百鬼丸は少し顔をしかめた。大きな声は、耳がわんわんして、頭がくらくらする。
 ぎゃあぎゃあ喚くどろろに、百鬼丸は説明した。
「あいつらに俺のことなんて、知ったことじゃない。俺だって、話す気はない。それに――」
 そして、短く告げた。
「この村には、もう用はない」
 四十八の魔物を倒して体を取り戻したから、この村に留まる理由はない――村を出て行く理由が、追い出されたからではなく、自らの意志であることを百鬼丸は示した。
「後のことは、俺は知らん。こいつらがどうにかすることだ」
 万代という支えを失って、この村をどうするかは、村人たちの問題だ。
 万代の代わりに右近を崇め奉るか、自分たちでなんとかするか、それともどうにもならなくて村を捨てるかは、梅枝村の人間が考えることだ。
 どうなろうと、どろろと百鬼丸には関係のない話だ。
 万代の亡骸に、村人たちに背を向けて、百鬼丸は歩き出した。
 百鬼丸が探し求めるのは、四十八の魔物。望みは全ての魔物を倒して体を取り返す。それだけだ。
 誰に嫌われようと、蔑まれようと、目的を果たすまでは、旅をやめない。
 百鬼丸の背は、そう語っているとどろろは感じた。
 どんどん歩いていく百鬼丸の背中を見て、どろろは呟いた。
「……そうだな。この村がどうなろうと、おいらたちの知ったことじゃない」
 百鬼丸にああ言われては、どろろは怒りの矛先を収めるしかなかった。
 それに、この村にとって、どろろも百鬼丸もどこから来たのかわからないよそ者。
 よそ者を温かく迎え、受け入れる村など、今の世の中には無いのだ。
 辛いことだけど。
 悲しいことだけど。
 だけど、思い煩ってもどうにもならないことはある。それなら、いつまでもくよくよ考えてもしかたのないことだ。
 それよりも、これからどうすべきかを考えることのほうが大事だ。
 百鬼丸は、自分の目的に向かって歩き出している。
 そして、どろろも……
「待てよ、あにき! おいらから逃げようったって、そうはいかねえからな! その刀は、おいらの物だからなぁ!」
 どろろは威勢のよい声を張り上げながら、百鬼丸の後を追い掛けた。

 

 屋敷を出て道を歩いていると、あちらこちらの家々から、呻き声がいくつも聞こえてきた。
「うぉおおおお……」
「い、い、い、痛い……」
「頭いてぇよぉ……」
 ごろんぼうに襲われないように、家に隠れていた者たちの声だった。
 百鬼丸の心の声は、万代の屋敷にいた者だけでなく、この梅枝村中に届いていたのだ。
 しばらくすれば頭痛も治るはずだから、苦悶の声に構わず百鬼丸は歩いていく。追いついたどろろも、百鬼丸の隣に並んで歩いた。
 雨の中、花も実もない暗い梅林の道を二人並んで歩きながら、どろろは空腹を訴えた。
「あーあ、腹減った。昨日からなーんにも喰ってねぇし。ひどい目にあった。ろくな村じゃなかった――あ! 倉から金目の物でも盗っておけばよかった! 迷惑料と化け物退治した手間賃替わりによぉ……おいらとしたことが、ただ働きしちまった」
 一人ぶつぶつ文句を言うどろろに、百鬼丸はぽつんと告げた。
「俺は……あけび、喰いたい」
 百鬼丸の要望に、どろろは百鬼丸の顔を見上げて、にやっと笑った。
「おう、また採ってやるぜ。代わりに、焼き魚頼むな」
「ああ……」
「よし! 約束だぜ! さあ、こんな村とっとと出て行こうぜ」
 朗らかに言うどろろに、何故だかわからないけれど、百鬼丸は安堵を感じていた。
 まるで、失くした物が戻ってきたような……そんな感じだった。
 こうしてどろろと一緒に歩いていると、夜雨は冷たいが、身に纏う小袖についた泥や返り血だけでなく、心の穢れまで洗い流してくれるような気がした。
 我知らず、百鬼丸の顔に笑みが浮かんだ。苦悩も憂いもない、穏やかな微笑みだった。

 

 

 どろろと百鬼丸が梅枝村から去った後、空に伸びた梅の枝に、紅いがくに覆われた蕾が、ひとつだけ大きく膨らんでいた。
 雨に濡れた梅の蕾は、今にも花咲きそうだ。
 狂い咲きの梅の花は、血の色の紅梅か、雪の色の白梅か。
 その花の色を、どろろと百鬼丸は知らない。

 

 

 

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