フォト
無料ブログはココログ

鉱石パワーストーン本

観てから読む?読んでから観る?映画ドラマ本

映像化してほしい本

手塚治虫本

« 令和1年を振り返り | トップページ | どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章17 »

2020年5月 1日 (金)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章16

   万代の巻前編
 嘘にまみれ、翻弄されるばかりのこの世の中、真実は決して甘くはない。

 

 

 西に沈みゆく日に照らされて、川原に生える薄(すすき)の穂が黄金色に輝いている。
 夕風に吹かれ、招くかのように揺れる薄は、誰を誘っているのか。
 濃藍から墨色に変わりゆく東の空に昇る、真ん丸い金の月か。
 今宵は八月十五夜。中秋の名月だ。
 家がある者は、秋の草花を飾り、団子や芋を供えて収穫を感謝しつつ月を愛でることもできるが、草を枕に眠るのが当たり前の宿無しの旅人で、四十八の魔物を退治することだけが生きる目的の百鬼丸には、そうした行事は無縁だ。興味もない。
 今宵の眠る場所として、百鬼丸は月に照らされた川原を選んだ。
 流れる川から少し離れた所に、百鬼丸は大きめの石を集めて円陣に置くと、中央に乾いた小枝や枯草を集めて火を熾した。
 辺りが暗くなっていく中で、炎が弾ける音と共に揺らぎながら、赤々と燃え上がる。
 火の熱で焚き火が消えることはないと判断すると、百鬼丸は川の中に入った。
 川の流れはゆるやかで、義足のくるぶし程の深さだ。川の真ん中で立ち止まると、百鬼丸はじっと立ち尽くした。
 清流の中には、鮎がゆうゆうと泳いでいる。生身の足なら、鮎は近寄ってこないだろう。しかし、気配を消して立つ百鬼丸の足元に、鮎は寄ってきた。
 今だ――
 百鬼丸は川の中に右手を突っ込んだ。続いて左手も。
 百鬼丸の両手は、鮎を握っていた。義手の中で、鮎は悶えるように蠢く。握りつぶさないように力を加減しながら、鮎を掴んだまま両手を川から上げた。
 並の人間なら、とても川を泳ぐ魚を手づかみで捕まえるなんて芸はできない。
 人並み外れた勘のするどい百鬼丸だからこそ、できるのだ。
 そうやって百鬼丸は五匹の鮎を捕まえると、焚き火の前に座った。
 鮎の鱗を取り、小刀で腹を開いて内臓を出す。用意しておいた木の小枝を串にして刺し、焚き火の前で焼き始めた。
 燃え盛る炎にあぶられて、鮎の身が焼け、香ばしい匂いを醸し出す。
 鼻を取り戻していない百鬼丸にはその匂いはわからないが、少し離れた草むらで、こちらを覗っている盗人には、とてつもなく魅力的な匂いだ。
(ああ……うまそうだな……)
 盗人――どろろは、百鬼丸の両腕に仕込まれている刀を狙って、この数日間ずっと百鬼丸の後をつけていた。
 百鬼丸はどろろを追い払うため、呪われた身の上話を聞かせた。
 四十八の魔物にあちこち体を奪われた上に、妖怪変化につきまとわれていると知れば、怖気づくに違いない――
 そう思ったのだが。
 百鬼丸の思惑に反して、どろろは怖がるどころか、面白がった。それどころか、嬉々として百鬼丸について来る。
 百鬼丸は驚き呆れた。それでも初めの三日は、子供のことだから、そのうち飽きて刀も諦めるだろうと軽く考えていた。
 だが、四日目も、五日目もどろろはついて来た。
 そこで百鬼丸は、子供の足では険しい急な坂の山道を歩いた。人の多い街中で、どろろがよそ見をした隙に走り出した。そうやって、どろろを巻こうとした。
 しかし、どろろはどんな道でも百鬼丸に着いてきた。百鬼丸の姿が見えなくなっても、何処に百鬼丸が行くのか予想し、先回りして待っていた。
 そんなどろろに、百鬼丸は無理に追い払うことはしなくなった。どろろを道連れと認めた訳ではない。どろろの執念深さに、根負けしただけだ。
 でも、今どろろが欲しいのは、刀よりも鮎のほうだった。
 なにせ、宿無しの盗人がまともな食事にありつけることなどめったにない。この数日どろろが口にしたのは、町で盗んだ握り飯に、道に生えている草とか葉っぱとか、蝗(いなご)、芋虫なんかの類だ。百鬼丸が焼く鮎は、久しぶりに見るご馳走だ。
 鮎の皮がじりじりと焼け、脂が滴る。
(もう食べ頃だ。それ以上焼くと、味が落ちる!)
 そうか、食べ頃か――
 どろろの心の声は、百鬼丸に届いていた。ひっそりと笑うと、百鬼丸は鮎を手に取って、口に運んだ。
 体を奪った四十八の魔物のうち、百鬼丸が今まで倒したのは十五体。
 取り戻した体の中に、歯があった。
 油が滴る鮎の身を歯で噛み切り、舌に乗せた。
(美味い!)
 一口食べた途端、百鬼丸は鮎の味に破顔した。
 もちろん今までにも鮎を食べたことがある。だが、偽物の舌では味を感じることができなかった百鬼丸には、食べるということは、生きるために必要なことで、それ以上でもそれ以下でもなかった。食べ物には、美味い不味いの違いがあるということは、知識として知っているが、経験したことはなかった。
 この数日、どろろを巻くのに必死だったから、舌を取り戻してから食べた物は、携帯食の強飯(こわいい)や、そこらに生えている紫蘇(しそ)、どくだみの葉っぱ程度だった。それでも、味わうことの喜びを感じたが、今食べている焼きたての鮎は、比べ物にならないくらい、美味い――
 食べる楽しさというものを、百鬼丸は初めて理解した。
 鮎は百鬼丸の好物のひとつとなった。
 夢中で一匹平らげると、もう一匹鮎にかぶりついた。こんなに美味いのなら、何匹でも食べられそうだ。
 だけど、食べすぎは体に良くない。
 百鬼丸の胃袋は、まだ寿海の作った偽物だから、空腹と満腹の違いがわからない。
 一度に食べる量はこれくらい――と、自制しなくては、際限なく食べてしまう。
 鮎は三匹だけ食べて、あとは我慢する。
(こんなに美味いんだったら、もっと食べさせてやりたかったな……)
 骨だけになった三匹の鮎を前に、百鬼丸は亡き友と、愛しい人を思う。
 百鬼丸が鮎を川から釣って帰ると、皆喜んで食べていた……
 百鬼丸は、草むらから身を乗り出さんばかりにこちらを見ているどろろに気配を向けた。もはや身を隠すことを忘れて、どろろは残った二匹の鮎だけを見つめている。
 食べ頃を教えてもらった礼だ――
「おい、どろろ!」
 百鬼丸はどろろに呼びかけた。
「ひゃっ!」
 鮎ばかりに気を取られていたどろろは、いきなり呼ばれてびっくりして、肩を震わせながら声を上げた。出会ってからずっと百鬼丸はどろろのことなど無視していたから、まさか呼ばれるとは思っていなかった。
「おまえも喰わねぇか」
 百鬼丸の申し出に、どろろは思わず草むらから出て来て、「いいのかい?」と尋ねた。
「俺一人じゃ余っちまう。もったいねぇから、おまえが喰え」
「そういうことなら、喰ってやらぁ」
 嬉々としてどろろは焚き火の前に座ると、遠慮なく鮎を手にとった。
「あち……あっち……こりゃ美味いや……ふう……ふう……」
 大きく口を開いて焼きたての鮎にかぶりつくどろろは、心の底から嬉しそうだ。
 うまそうに鮎を食べるどろろに、百鬼丸は胸の奥がきゅっと痛む。
 その痛みが嬉しいからなのか、哀しいからなのか、よくわからない。
 そんな百鬼丸の心を知らないどろろは、二匹の鮎を平らげると、足を投げ出し、満足そうに腹をさすった。
「あーうまかった。ごちそうさん。ありがとよ、あにき」
 あにき。
 どろろからの初めての呼び方に、百鬼丸は面食らった。大して親しくないのに、あにきと呼ばれると、なんだか気恥ずかしいような、奇妙な気分になる。
「俺はおまえのあにきじゃねぇ」
 と答えると、
「じゃあ、何て名前だい?」
 どろろはさらに突っ込んでくる。
 どろろと百鬼丸が出会ってから十日近くたっていたが、お互いの名を知らないままであった。
 名乗り合っていないから、当然と言えば当然だ。
 どろろは親から貰った名前を隠して生きてきたから、どろろが名前ではなく盗人のことだとは知らない百鬼丸の勘違いを訂正しなかったし、百鬼丸は百鬼丸で、自分の刀を狙う盗人に名乗る気は微塵もなかった。
 おまえに教える気はないとばかり、百鬼丸は心を閉ざす。
 しかし、それで諦めるどろろではなかった。
「なんだよう。教えてくれぇんなら、ずっとあにきって呼び続けるぞ。いいか、あにき。わかったか、あにき。よう、あにき、あにき、あにきってば!」
 あにきと連呼するどろろに、百鬼丸は聞こえないけど疎ましくなって、とうとう――
「百鬼丸だ」
 名を教えた。
「ひゃっきまる」
 どろろが百鬼丸の名を呟いた。
 その時、どろろの脳裏に百本の木が粘土細工のように、ぐにっと輪っかになっている絵が浮かんだのを、百鬼丸は敏感に感じ取った。
「違う! 百の木の丸じゃなくて、百の鬼の丸だ!」
 百鬼丸が即座にどろろの脳裏に浮かんだ名前の意味を否定すると、
「うん、わかったよ。百鬼丸のあにき!」
 どろろはにっこり笑って答えた。
 それが癪に触って、百鬼丸はむきになって否定する。
「俺はおまえのあにきじゃねぇって言ってるだろう! 第一、おまえは俺の刀をねらってらあ」
「そうそう。よく覚えてます。あと何日かでその刀はおいらのもんになる……」
 この子供、無邪気なのか、ずうずうしいのか。
いけしゃあしゃあと言うどろろに、百鬼丸は、
「勝手にしろっ!」
 と言うしかなかった。

 

 夜も更けて、十五夜の月は天高く上り、地上を明るく照らしていた。
 静かに流れる川の水面には、月がゆらゆらと映っている。
 焚き火を挟んで、どろろと百鬼丸は冷たく硬い砂利の上に横になった。
 間もなく、どろろは寝息を立てて眠りに落ちた。
 腹いっぱい焼き魚を食べて、久しぶりに飢えに苦しまずに眠れて、どろろは満足だ。
 百鬼丸のほうは、何故か眠れなかった。
 傍にいるのが盗人だから、安心して眠るというには無理がある。
 だけど、盗人への警戒心だけではない、どろろへの感情に百鬼丸は困惑していた。
 旅に出てから独りでいることのほうが当たり前だったから、寿海以外の誰かと二人きりでいるということが慣れない上に、刀を狙うどろろのことが煩わしい――はずだった。
 今だって、どろろが眠っている隙に、どこかに行けばいい。なのに、できない。どろろを置いて行くことが、悪いことでもしている気になってしまう。
 それどころか、どろろがいることに、不愉快ではない。安堵の気持ちさえある。
 それが百鬼丸には不思議だった。
(なんでだ? なんであいつのことが気になるんだ?)
 そうして眠れないまま、どのくらいの時がたっただろうか。
 焚き火の火は、いつしか勢いを失い、消えた。
 白い煙が細い筋となって夜の空に昇っていく。
 黄金の月の光だけが、旅人二人を照らす。

 

 

 ……ち……りーん……

 

 何か聞こえる……
 どろろの眠りを覚ましたのは、本当に微かな音だった。
 皓々と輝く十五夜の月の下、どろろは起きて周囲を見渡し、耳を澄ますと、川上のほうから音は聞こえてくる。

 

 ちりーん――

 

 鈴を鳴らすような音に、鈴虫でも鳴いているのかとどろろは思ったが、次第に大きくなってくる音は、虫の声のように儚げなものではなかった。

 

 ちりーん――
 ちりーん――
 ちりーん――

 

 金属が鳴るその音は、明確な意志を持って、誰かが鳴らしている。
 鈴の音?
 誰だ?
 誰が来る?
「あにき……あにき……なんか、変な音がするぜ」
 どろろは消えてしまった焚き火の向こうで寝ているはずの百鬼丸に声をかけると、百鬼丸はすでに起きていた。半身を起こし、厳しい表情で、川のほうをじっと見えない目で見つめていた。どろろの呼びかけに、何の反応もみせない。

 

 ちりーん――
 ざぶ――
 ちりーん――
 ざぶ――

 

 鈴の音と共に、川の中を歩いているのだろうか、水をかき分けて歩く音が聞こえる。
 月光の中で、闇に何かの影が浮かんだ。
 大きな人影。
 右手には、四弁の花を広げたような形の鈴を持っている。

 

 ちりーん――
 ちりーん――
 ちりりーん――

 

 水をかき分けながら川の中を歩く人影は、鈴を振りながら岸に上がってきた。
 どろろは目を見開き、息を飲んだ。
 川の中からぬっと現れたのは、人ではなかった。
 一見して、身の丈六尺はあろう大男だが、右の肩肌脱いだ小袖を纏った体は、枯れ枝のように細身で、しかも金色に朧に光っている。そして、華奢な体の割に、大きすぎる俵型の大きな頭。薄ら笑いしている顔には、無数のしわが横に刻まれ、瞳のない、白い小さな細い目は、皴の中に埋まっているように見えた。
「あ、あ、あ、妖怪!」
 どろろの喉から、かすれた声が漏れた。妖怪に出くわすのは、おたまじゃくしの化け物、人食い花に続いて三度目だが、まだ慣れない。度肝を抜かれるほど驚くのは、無理はない。
 岸に上がった黄金色に光る大男は、二人の方に近づいてきた。

 

 ちりん――

 

 一足歩くごとに、鈴が鳴る。
「あにき! 妖怪だ! 早く斬っちまえよ!」
 恐怖にかすれた声で、どろろは慌てて百鬼丸をけしかけるが、百鬼丸は座したまま、じっと大男のほうを向いたままだ。
「なんで刀抜かないんだよ? あにき!」
 百鬼丸が刀を抜く気配を見せないので、どろろは右手に小石を握った。大男がいつ襲ってきても、反撃できるように身構える。
 大男は百鬼丸の前で立ち止まると、覗き込むように百鬼丸に顔を近づけて、囁いた。
「やろうかぁ。やろうかぁ」
 大きな体の割に、か細い声だ。
 百鬼丸は答えた。
「くれるんなら、よこせ」
 百鬼丸の答えに、大男はさらに囁いた。
「……如月谷(きさらぎだに)……梅枝村(うめがえむら)……裏の……た…け……や……ぶ……」
 それだけ言うと、大男は今来た川へと引き返した。そして、川を歩いて鈴の音と共に彼方へと去っていった。

 

 ちりーん――
 ちりーん――
 ちりーん――
 ……ちりーん――

 

 

 日が昇り、雲ひとつない秋晴れの空の下、朝の挨拶でもしているかのように、ちゅちゅ、ちゅちゅと雀たちが可愛げに鳴き交わしながら飛んでいる。
 夜が明けきらないうちに、百鬼丸は川原を後にして歩き出した。朝飯も喰わないでと、ぶつぶつ文句を言いながら、どろろは慌てて百鬼丸の後ろをついていく。
「なあ、あにき。昨夜のあの変な奴、なんだ? 盗人……じゃないよな。体が光っていたし。妖怪だったよな? なんで斬っちまわなかったんだ?」
 夜中に突如現れた黄金色に光る大男の正体が何なのか、どろろは百鬼丸の背に向かって尋ねたが、返事はない。
 どろろの存在など認識していないかのように、ただ黙々と、無表情で百鬼丸は歩いている。
「ちぇっ。なんでぇ、真面目くさって」
 いくら話しかけても、百鬼丸が返事もしない、振り返りもしないので、どろろも口を噤んで黙々と歩いていたが、沈黙に耐えかねた口からは、小鳥が囀るかのように歌が漏れてきた。

 

  ただ何ごともかごとも
  夢幻や水の泡
  笹の葉に置く露の間に
  味気なの世や

 

 歌の文句は、子供が歌うには皮肉めいている。
 でも、明るく澄んだ歌声は、爽やかな風に乗って、青い空の上に漂う雲にまで届くようだ。
 だけど――
 百鬼丸にはその歌声は聞こえない。
 どろろの歌だけでなく、聞きたいと願い、二度と聞けない愛しい少女の歌も。
(みお……!)
 誰よりも愛しい、恋しい名を百鬼丸は心の中で叫んだ。
 口の中で、何も食べていないのに苦い味が広がった。
 百鬼丸の心知らず、どろろは歌う。

 

 夢幻や、南無三宝(なむさんぽう)
  くすむ人は見られぬ
  夢の夢の、夢の世を、うつつ顔して
  何せうぞ、くすんで
  一期は夢よ、ただ狂へ

 

 朝飯も食べずに歩き続けて、昼になるとさすがに腹が空いた。
 何か喰えるものでもないかと、どろろはきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていると、木の枝に絡まっている蔓から、紫色のあけびの実がぶら下がっているのを見つけた。
「やった! あけびだ!」
どろろはあけびがぶら下がっている木の下に駆け寄ると、手を伸ばして大きそうなのを一個もいだ。
 百鬼丸は、そんなどろろを置いて、どんどん行こうとする。
「おい、待てよ! 受け取れ!」
どろろは百鬼丸に声をかけると、もいだばかりのあけびを放り投げた。
 反射的に百鬼丸は両手であけびを受け止めた。
(なんだ?)
 怪訝そうな顔をする百鬼丸に、どろろは笑って言った。
「あけび、うめぇぞ」
言い終わる前に、どろろはもう一個もぎ、ふたつに割ってあけびにかぶりついた。
「うんめぇ! 甘い!」
 熟したあけびの白い果肉は、甘く、ぷるぷるに柔らかい。口に吸って甘みを堪能すると、ぷっと種を吐き出した。
 甘いと聞いて、百鬼丸もあけびを割った。
 甘い味は、まだ経験していない。恐る恐る、あけびの果肉を口に含み、舌の上に乗せる。果汁が溢れ、口の中いっぱいに広がる味に、百鬼丸は破顔した。
「美味い!」
「な?」
 それを見て、どろろはどうだと言わんばかりの笑みを浮かべる。
「種はかじるなよ、不味いからな」
 どろろの助言どおりに、百鬼丸はあけびの果肉だけを吸ってから、種を吐き出す。
 しばしの間、どろろと百鬼丸があけびの実を咀嚼する音、汁を啜る音、種を口から飛ばす音が響いた。
(これが、甘い……か)
 しみじみと甘露な味に感動しつつ、実を食べるのに夢中になって、うっかり皮もかじってしまった。
「うわっ!」
 あけびの皮の苦さに、百鬼丸は顔をしかめた。果肉はこんなに甘いのに、皮は喰えたもんじゃないと、渋い表情になる。
 どろろは人差し指を立てて、ちっちっと振りながら言った。
「あけびの皮は、苦いぜ。覚えておきな」
「もっと早く言え」

 

 

 和気あいあいとあけびを食べるどろろと百鬼丸を、誰も見ていない筈だった。
 近くに人の気配はない。
 だが、地を這う者が、少し離れた林の陰から二人をじっと見つめていた。
 見ているのは、誰か。
 地面に映る影は、細長い体の蛇の姿だ。
 しかし、鎌首もたげている蛇の頭はふたつ。
 ひとつの体にふたつの頭を持つ、双頭の蛇であった。
「あれあれ?」
 と左の頭の蛇が野太い声で言い、
「おやおや?」
 と右の頭の蛇が甲高い声で言う。
 妖魔を退け滅することができる刀を持つ少年と、刀を盗まんと欲する子供が、あけびを分け合って仲良く食べていることに、驚きの声を上げた。
「仲がいいな」
「仲がいいね」
 左右の蛇の頭が揃って言う。
「つまらん。仲良しになっているなんて」
「つまらない。仲良しになっているなんて」
 どろろと百鬼丸が険悪な関係になることを望む言葉には、明らかに悪意がこもっている。
 そして、どうやって二人の仲を引き裂こうかと話し合う。
「あの変成しそこないの龍女の体のことを、抜け殻の鬼の子に教えてやろうか。そうすれば、殺し合うに違いない」
 と左の頭が言えば、
「それは駄目。まだ早いよ」
 と右の頭が止める。
「まだ早いか」
「主さまは、長くお楽しみになりたいの」
「そうだな。楽しみは、長いほうが良い」
「見世物は、まだ始まったばかり」
「それに、もうすぐあのお方さまのお住まいが近くなる」
「そうそう」
「我らが差し出がましいことをしたら、お方さまに喰われてしまう」
「おお、怖い怖い」
 怖いと言いつつ、笑いを含んだ声は、さほど怖がっていないようだ。
「くふふふふ」
「うふふふふ」
 左右揃って無邪気に笑った後、
「お方さまにお任せしよう」
「そうしよう」
 結論が出たところで、双頭の蛇の影は地を這い、林の奥へと引っ込み、何処かへと姿を消した。

 

 

 あけびを完食すると、どろろは唇の片端をにやりと上げて言った。
「これで、貸し借りなしだ」
 あけびは、昨夜の鮎の礼か。
 案外、義理堅い――と百鬼丸が思っていたら、
「一宿一飯の恩義はちゃんと返したから、これで心置きなく、いつでも刀、盗れるぜ」
 そうどろろが言い放ったのには、呆れた。
 腹も満たされて、再び歩き出したどろろと百鬼丸。
 それからは、休みもとらずにずんずん歩いて、歩いて、ようやく百鬼丸が立ち止まったのは、日が西に傾きかけた頃。
 そこは山の谷間にある、小さな村の入り口だった。
 梅枝村と彫られている木の板が、木の棒に打ち付けられていた。
 村に入ると、道なりに見上げるばかりに大きな梅の木が植えられていた。
 何本も、何本も、数えきれないほどの梅の木に、春ならば、さぞかし花が見頃であろうと思われる。
 が、季節は秋。花も葉もない。日が陰ってきて、黒く艶のある細い枝が茜色の空に伸びる姿は、何だか恐ろしい。
 ただの木の枝なのに、なんで怖く見えるのか、どろろは不気味に思う。
(この村に、妖怪……がいるのか? だから、こんなに怖いのか?)
 蔓の妖怪に喰われかけた経験があるから、どろろは内心びくびくしていた。
「なあ、あにき……この村……なんか薄気味悪い」
 どろろが言っても、百鬼丸は答えない。
 百鬼丸のほうは、平然としている。
 そのまま黙って歩いていると、

 

 とんとん――
 からり――
 とん――
 からり――

 

 家々からは、乾いた木が軽妙に当たる音が聞こえてきた。
 規則正しく鳴る音に、機織りしている音だと、どろろにはわかった。

 

 とんとん――
 からり――
 とん――
 からり――

 

 この村では織物が盛んなのであろう。機を織る音は、あちらこちらから聞こえてくる。
 道の向こうから、三十前後の痩せた背の高い男と、やや小太りで背の低い男が、談笑しながら道を歩いているのが見えた。
「うちの分は、今日中には織り上がるぞ」
「それじゃあ、明日にでも町に売りに行けるな」
 商売の話でもしている男たちの着ている小袖は、こざっぱりとしていて、それほど着古した感じはしない。衣を買い替える余裕があるくらい、この村は豊かなのであろう。
(一仕事できそうだな)
 怖いのも忘れて、どろろはにやりと笑う。仕事というのは、もちろん盗みだ。
 貧しい者からは盗らず、金を持っている者から盗る。
 これがどろろの盗人としての信条だ。
 まだ百鬼丸の刀は盗れそうにないから、とりあえず、この村で一仕事しようかとどろろが企んでいると、男たちがどろろと百鬼丸に気づいた。立ち止まり、怪訝そうな顔で二人を見る。
 みすぼらしい格好の、見知らぬ子供が二人。一人は刀を腰に差している。これは怪しいと、よそ者を警戒している。
 男たちは、恐る恐るどろろと百鬼丸のほうに近寄って来た。
 おずおずと、背の高い男が尋ねた。
「おめえさんたち、旅のお方かね」
「そうだよ」
 と、どろろが答え、
「ここは、如月谷の梅枝村か?」
 百鬼丸が村の名を尋ねると、背の高い男は戸惑った風に答えた。
「そ、そうだが……」
 小太りの男がさらに聞いた。
「……妙なことを聞くが、おめえさんたち、鈴を持った奴を見なかったか?」
 鈴を持った男――昨夜の大男のことか。
「ああ、見たよ。ちりんちりんと鈴を鳴らしながら歩いていた、でかい大男だった。だけど、おいらが睨んだら、さっさと逃げちまったぜ」
 どろろが胸を張って得意そうに答えた。その途端――男たちの顔色が変わった。
「なんだって?」
「そりゃ、金小僧(かねこぞう)だ!」
 青ざめた顔で、男たちは揃って悲鳴を上げる。
 男たちの狼狽ぶりに、どろろは訳がわからない。鈴を持った大男を見たことぐらいで、どうしてこんなに驚くのか。
 百鬼丸のほうは、変わらず無表情だ。
「おおぉーい、みんなぁ! 金小僧だ! 金小僧が出たぞぉーっ!」
 痩せた男が大声で呼びかけると、機を織る音が一斉に止まった。そして、家々から老若男女を問わず、村人たちが出てきた。
「金小僧だって?」
「金小僧が出たのか?」
「大変だわ!」
「戸締りをしろ!」
「女子供は、家から出るな!」
「坊や、家に入って!」
 悲鳴と怒号が響き、村中がてんやわんやと大騒ぎになる。
「な、なんだい……」
 どろろと百鬼丸が出くわした大男――金小僧というらしい――を、どうして村人たちはこんなに恐れおののいているのか。
 そして、ますます訳がわからないのは、
「おい、皆の衆! こいつらをふんじばれ!」
「万代(ばんだい)さまのお屋敷へ引っ立てろ!」
 村人たちが、一斉に襲いかかって、自分たちを捕まえたことだ。
「おい、どうしておいらたちを縛るんだよ!」
 当然どろろは大きな声を上げて抗議する。
 だが、どろろがいくら喚いても、村人達は有無を言わせず、縄できりきりと後ろ手に縛りあげた。
 捕らわれたどろろと百鬼丸は、村人たちに牛馬のように縄で引っ張られていく。
「なんだよーっ! ふざけんな! いきなりひとを縛りやがって! おいらたちが何をしたっていうんだい! まだ盗ってないのに!」
 大声で喚き、不当な拘束に文句を言うどろろとは反対に、百鬼丸のほうはがっくりと首をうなだれている。その姿は、村人たちには哀れな囚人に見えたが――
 どこかに連れて行かれる道中、うなだれている百鬼丸の顔を見上げたどろろは、思わず喚くのをやめた。
 百鬼丸は、笑っていた。
 咎なく縛られているにも関わらず、唇には薄ら笑いを浮かべていた。
 とても嬉しそうに。
 声を出すことができたなら、笑い声を上げていたかもしれない。
「あにき……」
 何故笑っていられる?
 百鬼丸の顔に浮かぶ凶暴な笑みを見て、どろろは背筋が凍る。
(どろろ……)
 ふいに、頭の中で百鬼丸の声が響いた。
 百鬼丸は口を堅く閉ざし、顔を俯いているので、村人たちには百鬼丸の心の声には聞こえない。
 百鬼丸は、どろろにだけ心の声で話しかけているのだ。
(おまえは何も喋るな)
「へ?」
(何を聞かれても、知らないと言え。いいな)
 それだけ伝えると、それっきり百鬼丸は心を閉ざし、どろろに詳しい理由を語ることはしなかった。

 

 

 どろろと百鬼丸が連れてこられたのは、村のはずれにある屋敷だった。
 それは、山奥の谷間の村には不似合いなほど大きな屋敷だった。
 門をくぐると、公家の屋敷のように中央に大きな母屋があり、左右に対の屋がそれぞれ配置され、渡殿で繋がっている。
 屋敷の中に入り、長い廊下を歩いたずっと奥の間まで来ると、妻戸の前には萌黄色(もえぎいろ)の小袖に梔子色(くちなしいろ)の打掛を羽織った女が座っていた。
 白粉を顔に塗りたくっているので、唇に引いた紅が一層赤く見える。
 どろろと百鬼丸を連れた村人たちに気づくと、女は「この汚い小僧らは、何者?」と言いたげに口を開きかけたが、すぐに口を閉ざし、切れ長の目をいっそう細くして凝視する。
 村人が女に声をかけた。
「右近(うこん)さま、万代さまにお取次ぎを」
「金小僧を見たやつらです」
 村人たちの言葉に、右近と呼ばれた女は、なるほどと頷くと、戸の向こうに声をかけた。
「お方さま――」
 右近は気取った声で来訪者の訪れを告げる。
「村の者たちが、怪しい者どもを連れて参りました」
「ご苦労さま。目通りを許します」
 右近の呼びかけに、部屋から落ち着いた艶のある女の声が聞こえた。
 右近が妻戸を開けると、部屋で焚いている香(こう)の甘い香りがどろろの鼻をくすぐった。その匂いは、秋には咲かない花の香りに似ていた。
花に例えるならば、満開に咲く梅の香りだ。
 部屋の奥に、四方に帳を垂らした御帳台があった。御帳台の中には、寝具の上で半身を起こした女がいた。
 具合が悪いのか、女は体に衾(ふすま)を引きかけ、大きくてぶ厚い柔らかそうな布の枕に背をもたれかけたまま、どろろと百鬼丸に顔を向けた。
(あっ……!)
 どろろは思わず叫び出しそうになった。灯火に映る女の顔が、あまりに美しかったから。
 年の頃は三十前後か。
 白の衣を重ね着ているからか、青ざめた顔の白さが際立っている。
 形のよい柳の眉に、綺麗に通った鼻筋、黒く濡れたような瞳は、どこか愁いを帯びていて、紅を薄く差した唇は、花びらを思わせる。
 額髪は顔の線に沿ってゆらゆらとこぼれかかり、後ろ髪は身の丈よりも長く豊かで、ほんの一筋も乱れなく黒々として艶やかだ。
 臥せっているとはいえ、女の容姿は少しも病み衰えた感じはない。物腰や風情は、あくまでも気高く、こちらが恥ずかしくなるくらい品があって、艶めかしく、美しさは類ない。まるで、匂い立つ白梅の花が咲きこぼれるようだ。
 しかし――
 ただの綺麗な女というには、得体のしれない気配をどろろは感じていた。
 何と言ったらいいのかわからないが、綺麗すぎて怖い。
 この世の者ではないような……背筋が冷たくなるような、凄まじい感じがしてならない。
 どろろと百鬼丸は、拘束されたまま、冷たい床に座らせられた。
「万代さま、金小僧を見たという者たちを連れて来ました」
 村人たちは膝をついて、うやうやしく女に頭を垂れて告げた。
 この女が屋敷の主、万代であった。
「お気の毒に……でも、縄を解いてあげるわけにはいきませぬ」
 万代は縛られたどろろと百鬼丸を見て、痛まし気に口を開いた。
 鈴を転がすような声に、村人たちはうっとりとする。鼻の下を伸ばし、頬が緩む。
(おっかちゃん!)
 どろろも優しく声をかけられて、我知らず、万代に母の面影を重ねた。
 だが、
「訳を聞こうか……」
 目も見えず、耳も聞こえない百鬼丸は、女の美貌と声に惑わされることなく、冷静に自分たちを捕らえた訳を尋ねる。
「あなたたちが見た鈴を持った男は、金小僧と言って、人ではありません」
「ふぇっ! 人じゃない? じゃあ、妖怪?」
 万代の言葉に、どろろが驚いてすっとんきょうな声を出す。昨夜の大男が、やっぱり妖怪だったとわかると、今さらながらに驚きが蘇る。
 万代は頷き、重々しく言った。
「そう……物怪(もののけ)です。今までに、この村の者や旅人が、何人も金小僧を見ています。金小僧は、あなたたちのどちらかに話しかけたはずです。どんなことを言いましたか? 教えてください」
「……おいらぁ、なんにも聞かなかったよ」
 万代の問いに、どろろは先程百鬼丸に言われた通り、何も知らないと、首を横に振った。
「そちらの方は?」
 次に万代は百鬼丸に尋ねたが、百鬼丸は黙っていた。「早くお答えしろ!」と百鬼丸の縄尻を持った村人が、いらいらと怒鳴りつける。
 それでも中々百鬼丸は答えなかった。じっと見えない目で万代を長いこと見つめて、ようやく答えた。
「知らねぇ……俺は、何も聞かなかった」
「知らないはずはありません。正直に言わなければ、縄は解いてあげませんよ」
 万代は重ねて問うが、百鬼丸は知らないと答えた。
「さあ、おっしゃい。隠しても、あなたがたには何の得にもなりませんよ」
「知らねぇものは、知らねぇ」
 万代が何度問うても、百鬼丸の答えは変わらなかった。
「しかたがないこと」
 埒があかないと判断した万代は、村人たちに命じた。
「いつものように、井戸の小屋へ閉じ込めておきなさい」

 

 

 

« 令和1年を振り返り | トップページ | どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章17 »

創作二次小説どろろ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 令和1年を振り返り | トップページ | どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章17 »

最近のトラックバック

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30