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2019年9月 6日 (金)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章14

   どろろの巻前編
 この出会いが運命だとは、知らなかった。

 

 

 夏の熱が残る暑い秋の昼だった。
 風は渺茫(びょうぼう)たる荒野を激しく吹き抜けていく。
 草を、木の葉を嬲るように嫋々(じょうじょう)と吹く秋風の音は、誰の嘆きの声か。
 乾いた地面の上には、躯が転がっている。
 躯はひとつだけではない。ふたつ、みっつ……正確な数は知れぬが、少なくとも百以上の数の躯が、草葉の陰に散らばっている。
 手足のない躯。
 首がない躯。
 斬り割かれた腹から、五臓六腑をぶちまけている躯。
 すでに骨となった躯。
 矢で射られた、槍で貫かれた、刀で斬られたと、死因は様々だが、戦で死んだのは同じだ。
 敵も味方も関係ない。
 乱世では、天に日輪があるように、地には骸があるのが当然のようだった。
 ここしばらく雨が降らぬせいで乾いた大地は、雨水の代わりとばかりに流れ出た血を吸いこんだ。
 人の血を吸った地面の跡は、黒い染みとなり、すぐに砂埃が覆い隠す。
 その生きとし生ける者のない荒野を、歩く者があった。
 一歩一歩、大地を踏みしめて歩くのは、年の頃は十五歳くらいの少年だった。
 少年は腰に刀を二本差し、着ている衣は黒い絹の小袖だ。二枚の大きな葉の間から茎を伸ばした蓮の蕾が、銀糸であちらこちらに刺繍されている。
 だが、袖や裾、襟元など、所々が擦り切れ、破れていた。よくよく見れば、小袖のところどころに赤茶や、黒い染みがある。
 染みは、元は紅の血であった。
 水で洗っただけでは落ちない、血が染みた衣類を着替えることもせずに、そのまま身に纏っているところをみると、ひとつの所に落ち着くことのない流れ者、旅人のようだ。
 だが、その容貌は、冴えた三日月のように秀麗であった。切れ長の目元、綺麗に通った鼻筋、強い意志をたたえた唇。それでいて、女々しいところは微塵も無く、あまたの戦いを勝ち抜いてきた証のように、厳しい表情を浮かべている。
 だけど、眼窩に広がる地平の彼方を見ているようでいて、少年の眼差しは何故か虚ろだ。
 どこを、何を見ているのか。
 二つの目には生気がなく、まるで陶器のような作り物めいた感じであった。
 荒野を吹く風は、容赦なく少年を嬲る。頭の後ろで結い上げた黒髪が、乱れて蠢く。
 それでも少年は歩みを止めない。
 その時、どこからか、少年の歩みを止める声がした。
「やい、待てっ」
 少年が立ち止まると、草の影から声の主が現れた。左目に刀の鍔で眼帯をした大柄の男だ。
 男は一人だけではなかった。
 少年の回りを八人の男が取り囲んだ。八人とも、胴丸を着け、手には鞘から抜いた刀を持っている。
 その身なりから、逃亡した雑兵か、この辺りを縄張りとする盗賊か。
 戦が終われば骸から刀や鎧、衣や褌まで、金目になりそうな物は全て剥ぎ取り、荒野を通る者は襲って金を奪う。そんなところだ。
 眼帯をした男が首領らしい。少年を威嚇するように言った。
「ここを通ることはならん。この先は我々の棲み処だ」
 首領に追従するように、他の男たちも怒鳴った。
「そうだ。帰れ、帰れ!」
「通りたければ、銭を払え!」
 男たちの恫喝に少年は怯むことなく、ただ無言でいた。
「なんだ、こいつは」
 脅しても、怯えることも歯向かうこともしない。何の反応も見せない少年に、男たちは怒りよりも薄気味悪さを感じた。
 銭も持っていなさそうだし、さっさと殺して身ぐるみ剥いでしまおうかと思った時、首領が少年の腰に差された刀に目を付けた。
 にたりと笑って、首領は言った。
「小僧。その刀、どこで拾った? かなりの業物らしいな。そいつをよこせ! 素直に渡せば、命だけは助けてやる」
 だが、男の言葉に、少年は従う素振りを見せなかった。ただつまらぬ虫けらでも見るような表情で、男たちを眺めている――ようだったが、実際見ているのか、見ていないのか、目の焦点が合っていない。
 その不敵な面構えに、男たちはよけい苛立った。
「若造が偉そうにしやがって」
「思い知らせてやる!」
 男たちの考えが一致した。
「斬れっ!」
 首領の声を合図に、男たちが一斉に少年に襲いかかった。
 身を守るように、少年は両腕を顔の前で交差させた。さすがに怖くなったのかと、男たちは思ったが、違った。
 少年が交差した腕を降りはらった次の瞬間――両腕が、肘から先がすっぽり外れた。
 草むらに転がる二本の腕。
 腕が取れた少年の肘から先は、白銀の刀が生えていた。
 少年の腕に仕込まれた双剣は、空から堕ちてきた星の欠片で打った刀であった。
 右の腕には邪気を払い、病を癒すという護身の刀。
 左の腕には魔を倒す退魔の刀。
 この刀の主こそ、四十八の魔物に奪われた体を取り戻すために旅をする百鬼丸であった。
 刀は鞘ではなく、百鬼丸の腕に仕込まれていたことに、男たちは度肝を抜かれて立ち止まった。唖然と口を開き、惚けた様子で百鬼丸を見つめる。
 男たちが呆然と立ちすくむ中、百鬼丸の両腕に仕込まれた刃が日に煌めき、黄金色の光を放った。
 
 荒野に断末魔の絶叫が響いた。
 静寂が戻ったのも束の間、すぐにぎゃあぎゃあと鴉の鳴き声が、空の彼方から聞こえてきた。
 風が運んだ血の匂いを嗅ぎつけ、死んだばかりの新鮮な肉を喰いに、鴉の群れが空を覆う。
 荒野に転がる八人の躯。
 どの躯も、自分が殺されたことが信じられないという風に目を見開いたままか、化け物でも見たかのように恐れと驚きの表情を顔に貼りつけて事切れている。
 刀に付いた血を拭い、義手を嵌めると、百鬼丸は自分が殺したばかりの躯を振り返りもせずに、再び歩き出した。
 行く手を阻む邪魔者に、興味はない。百鬼丸が会いたいのは、体を奪った四十八の魔物だけだ。
 百鬼丸が立ち去ると、鴉の群れが一斉に空から舞い降りて、躯に群がった。

 

 

 文明九年の十一月、東西両軍が講和し、京都の幕府が正式に終戦を宣言して、十一年にも長きに渡って続いた応仁の乱は、一応終わった。
 だが、ちっともめでたくない。
 一度広がった戦火は、諍いは、簡単には消えはしなかった。
 この加賀の国でも、応仁の乱をきっかけに、守護の座と家督を巡って富樫政親と幸千代の兄弟が争った。
 文明六年に政親が本願寺門徒の協力を得て、幸千代を破ったことで争いは終結したかに思えたが、今度は政親と本願寺門徒との争いが始まった。
 幸千代を倒すために本願寺門徒に協力を求めた際、政親は本願寺を保護すると約束していた。だが、百姓商人から地侍、豪族まで信仰の下に集まり、守護を上回る影響力を持った本願寺を恐れた政親は、掌を返したように本願寺門徒を弾圧した。
 当然、本願寺門徒は抵抗する。一向一揆が各地で起きるようになった。
 本願寺門徒だけではない。
 幸千代派の残党や、富樫家支配に反旗を翻す地侍、朝倉孝景と争って加賀に逃げてきた越前守護代の甲斐敏光とも政親は戦わなければならなかった。
 加賀の国中、あちらこちらで敵だらけ。
 だから、文明十年の八月になっても、戦はまだ終わっていない。

 

 

 死の気配に満ちた荒野を抜けると、そこは小さな村だった。
 今の時期なら田畑には稲や作物が実っているが、あるのは乾いた土だけ。
 どの家も屋根に穴が空いていたり、土壁がひび割れている。
 人の気配はない。
 代わりに白い人の骨が、道のあちこちに転がっている。
 村人は殺されたのか、飢え死にしたのか。
 どんな理由にせよ、この村も死に満ちていた。
 まるで、我こそがこの村の主のような顔で木の枝に止まっている無数の鴉だけが、百鬼丸を迎え入れた。
 一声も鳴かず、鴉どもは凶暴な目付きで百鬼丸を見下ろしている。
 不信な侵入者と見ているのか、新たな餌と見ているのか。
 鴉の視線を気にせず、百鬼丸は風を避けるために適当な家の傍に座った。
 子供の頃から使い慣れた義肢も、時には重たく感じる。特に、刀を仕込んでいる義手は。
 刀がどんなに重たくとも、我慢できる。肌身離さず、誰にも奪われないように、百鬼丸の身を守り、敵を倒すために養父が仕込んでくれたのだから。
 休めばまた歩き出せる。
 そうして座って、しばし身を休めていた。
 風は、相変わらず強く吹く。
 目も見えず、耳も聞こえない百鬼丸には、いつでもどこでも暗闇の中の静寂だが、我が身に吹きつける風が、強いことはわかる。
 だが、強く吹いていた風が、ぴたりとやんだ。

 

 ずるり――

 

 どこからともなく、何か重たい物でも引きずる音がした。
 同時に鴉どもが羽音を立てて飛び立った。きゃあきゃあと、怯えた声で鳴きながら、逃げるように虚空に飛んで遠ざかっていく。

 

 ずるり――
 ずるり――

 

 地を引きずる音は、どこに行くのか。

 

 ずるり――
 ずるり――

 

 それはだんだんと、百鬼丸の方に近づいてくる。
 ――来る。
 そう感じたその瞬間、百鬼丸は左の義手を外して駆け出した。
 刀を振り払い、一刀の下に地を引きずる音の主を斬った。
「ぎゃああああああぁっ!」
「ぎゃああああああぁっ!」
 ふたつの悲鳴が揃って響く。

 

 ごぼり――

 

 絶叫に交じって、切断面から湧水が吹き出すような音がした。吹き出したのは、真っ赤な血。
 己の血に染まりながら悶えるそれは、人ではなかった。
 しかし、獣でもなかった。
 生き物でさえなかった。
 百鬼丸が斬ったのは、稲藁(いなわら)で編んだ草鞋(わらじ)だった。
「ひい、ひい、ひいいいいいっ」
「ひい、ひい、ひいいいいいっ」
 草鞋は哀れな声で叫びながら、左右同じようにのたうち、どこから血を吹き出すのか不思議なくらい大量の血を流す。
 やがて、血が止まると、草鞋は静かになり、動かなくなった。

 

 しゅわしゅわしゅわ……

 

 白い蒸気が草鞋から出てきた。
 蒸気の中で、草鞋は小さく縮んでいき、溶けて無くなった。
 血だまりだけが、地面に残った。
 百鬼丸は懐から手拭いを出すと刀の血を拭った。地に転がっている義手を拾って腕に嵌め、刀は鞘である義手に収まった。
 百鬼丸は人には見えない妖怪どもに向かって言う。
「……いつまでも俺につきまとったって、無駄だぜ。俺は、旅をやめる気はないんだからな。四十八の魔物、全部倒して体を取り戻すまでは……俺は絶対やめないからな!」
 天啓を聞き、四十八の魔物に奪われた体を取り戻すために百鬼丸が旅に出てから、一年がたっていた。
 この一年の間に、百鬼丸は十四の魔物を倒した。そのつど、髪の毛を始め、奪われた体を取り戻していった。
 四十八の魔物を倒して体を取り戻す。
 それだけが、百鬼丸が生きる理由だった。
「さて……いくとするかね」
 今度こそ邪魔者がいなくなった筈である。
 そう思っても、すぐにまた邪魔が入ることは、百鬼丸自身が誰よりも知っていたことだが……

 

 

 ひたひたひた……

 

 後ろから何かがついてくる……
 村を出てすぐに、百鬼丸は旅を邪魔する者の気配に気づいた。
 足取り軽く、一定の距離を取って、それは百鬼丸の歩みに合わせて後をついてくる。

 

 ひたひた……

 

 百鬼丸は足を止めた。

 

 ひた――

 

 追跡者も止まった。
「まだ後をつけて来るのか! いい加減にしろ!」
 百鬼丸が後ろを振り返ると、道の向こうにいたのは、手足の長い、痩せた犬であった。墨染めの喪服よりも、月の無い闇夜よりも黒い毛の犬だった。
 黒犬は金の瞳で百鬼丸を見ると、白い歯を覗かせ、にやっと笑った。そして、百鬼丸に向かって牙を剥き出し、唸り声も漏らさず向かって来た。
 駆け寄る黒犬の顔が、笑い顔から次第に凶暴な顔になってくる。百鬼丸を喰い殺さんとする明確な意志が、ひしひしと表れている。
 百鬼丸に噛みつこうと、黒犬の口が大きく開かれ、赤い口の中の白い牙が覗く。
 百鬼丸は左の義手を外し、牙より冷たく光る白銀の刀を黒犬の口の中に突き刺した。

 

 ぐさっ――

 

 乾いた布に刺したかのような軽い手ごたえが、刀を通じて百鬼丸に伝わる。
 黒犬は声もなく痙攣した。獣ならば、呻くだろう、血を吐くだろう。だが、黒犬は刀で口から喉を貫かれても、一声も漏らさず、一滴の血も流すことはなかった。
 百鬼丸が刀を引くと、黒犬は襤褸布が落ちるように乾いた音を立てて地に倒れた。
 倒れた途端、黒犬の口からは血の代わりに、白い蒸気が出てきた。蒸気は口だけではない、体中から湧いて出てくる。

 

 しゅうしゅうしゅう……

 

 音をたてながら上がる蒸気の中で、黒犬の毛が抜け落ち、皮が爛れるように溶けていく。さらに肉さえも溶けて、白い骨だけになった。
「まったく……どいつもこいつも!」
 旅を邪魔するようにつきまとう妖怪に、百鬼丸は苛立つ。
 子供の頃から妖怪につきまとわれていたから、諦め半分、慣れ半分。だが、会うなら四十八の魔物のどいつかに出会いたい。
 前に魔物を倒して体を取り戻したのは、春の終わり。それから肝心の四十八の魔物を見つけることはできず、今は葉月の七日。もう半年近くも百鬼丸は体を取り戻せていない。
 こんなに長いこと四十八の魔物を見つけることができないと、百鬼丸はただひとつの願いだけで頭の中がいっぱいになる。
 早く――早く会いたい。
 その思いは、まるで恋い焦がれているような情熱を孕んでいた。

 

 

 焦れる百鬼丸を、陰から見ている者たちがいた。
 それは人ではなかった。
 草の陰から、木の陰から、百鬼丸をじっと見つめているのは、異形の者たち。
 虫のような、獣のような、鳥のような妖怪どもが、ぶつぶつ呟いていた。
「こっちだよ」
「こっちだよ」
「そっちじゃないよ」
 妖怪どもの声は、人にはわからない。聞いたとしても、鼠の鳴き声か、鳥の囀りか、虫の声、あるいは風の音と思うであろう。
「こっちにいるよ」
「こっちにいるよ」
「あの子はこっちにいるよ」
 妖怪どもは百鬼丸を誰と会わせたいのか。
 妖怪どもは教えたいように、煽るように、面白がるように呟く。
 それでいて、百鬼丸に悟られないように、妖怪どもは距離を取っている。
 百鬼丸の持つ護身の刀と退魔の刀が怖いから、近寄ってこない。
 だから、百鬼丸は妖怪どもが何を呟いているのか知らない。
 ただ四十八の魔物を求めて歩いていくだけだ。

 

 

 日が南天の空から西にやや傾いた頃、百鬼丸は川の畔に着いた。
 緩やかに流れる川を渡るための橋が架かっていた。こちら側には四十八の魔物はいなかったから、百鬼丸は橋を渡って向こう岸へ行くことにした。
 足の向くまま、気の向くまま、行けるとこならどこでも行く。それで四十八の魔物が見つかるなら、その方角は百鬼丸には吉だ。
 そうして橋を渡り、真ん中まで歩いたところで、川下の方から人がやってくる気配を感じて足を止めた。
 向こう岸の川原の草を踏みながら近づいてくるのは、一人……二人……全部で七人。
 足早に、いや、必死に走っている。
 先頭を走っているのは、子供らしい。歳の頃は十歳くらい。長く伸びた髪を束ねて、紐で頭の上で結わき、前髪は垂らした男の子だ。身に纏う衣は、膝上までの短い小袖で、元の色も何だったのかわからないくらい、黒く汚れている。かなり着古しているのか、袖は肩から破れて無くなっているし、裾もぼろぼろだ。
 その後ろを、着流しの小袖の裾を尻で端折り、体格のいい六人の男たちがついて来る――のではない、追いかけているのだ。
 六人が六人とも怒気を隠さず、獲物を捕らえようとする獣のように、必死に、執念深く子供を追いかけていた。
 先頭の男が、子供に向かって叫んだ。
「待てーっ! どろろーっ!」
 子供の名に、百鬼丸は思わず興味を引かれた。
(どろろ? 変わった名だな)

 

 どろろ。
 百鬼丸は知らなかったが、この辺りでは盗人のことを、どろろという。
 親から貰った名前はちゃんとあった。だけど、盗人に名前なんかないとばかりに、この子供は誰にも――百鬼丸にも――本当の名を名乗らなかった。
 出会った時にどろろと呼ばれていたから、百鬼丸は子供をどろろと呼び、子供も百鬼丸にどろろと呼ばれれば、返事をした。
 だから、百鬼丸はどろろというのが子供の名前だと思っていた。後に子供の本当の名前を知っても、変わらずどろろと呼び続けた。子供もそれが当然とばかりに受け入れた。
 こうして百鬼丸と巡り合ったこの時から、名無しの盗人の子供の名は、どろろとなった。

 

 どろろは、同じ年頃の男の子と比べれば小さいが、鼠か栗鼠のようにすばしっこい。そのまま追ってくる男たちから逃げ切れるかと思ったが、運の悪いことに、濡れた石に足を滑らせて、盛大に転んでしまった。
「うわっ!」
 すばしっこいことには自信のあるどろろは、思わぬ失態に焦った。擦りむいた膝は痛いが、かまっていられぬ。早く逃げなくては――と、起き上がろうとしたが、そこを追いついた先頭の男が、どろろの襟を掴んだ。
「捕まえたぞ! このどろろめ!」
 逞しい腕で、どろろの小さな痩せた体が高く持ち上げられる。
 どろろは逃げようと手足をじたばたさせた。
 しかし、振り回す手や、足掻く足は、男の体に一撃を与えることはない。
「うわっ! 離せよ!」
 どろろは叫んだが、やっと捕まえた盗人を、はいそうですかと離すわけがない。
「誰が離すか! 俺らの上がり、盗りやがって! 今日という今日こそは、勘弁ならねぇ!」
 お仕置きする気満々の男の言葉に、どろろはすかさず反論した。
「へん! 盗られるおめぇらのほうが間抜けなんだよ! 弱い者虐めをする悪党野郎から盗って、何が悪い! おいらは天下一の大盗賊だぞ。貧乏人から盗むような人でなしじゃねぇ!」
 男たちはこの辺りを縄張りにしている、ならず者たちだ。道を往来する村人や商売人に、野盗から守ってやる代わりに金払え、でなきゃ通さないぞ、商売できなくしてやるぞ、と因縁をつけて銭を巻き上げていた。
 どろろが盗んだのは、ならず者たちの銭だった。
 子供が盗める金額は微々たるものだ。しかし、塵も積もればなんとやら。他人から取り上げた銭だというのに、まるで自分が汗水働いて稼いだかのように盗られた銭を惜しむのが人の欲深さというものか。
「屁理屈こねるな、どろろ!」
 男は雑巾を投げ捨てるかのように、思いきりどろろを川原に叩きつけた。小石交じりの地面に倒されて、どろろは全身が痛いが、歯を食いしばって悲鳴を上げなかった。大きな目で、男を睨み上げる。
 それが可愛げがないとばかりに、髪の毛を掴まれて無理やり立たされ、大きな拳で頬を殴られた。
 左頬が痛い。血の味が口の中で滲む。
 容赦のないたった一発の拳で、どろろの体が吹っ飛んだ。
「やっちまえ!」
「俺たちを舐めるとどうなるか、思い知らせてやる!」
 追いついた仲間五人も、どろろに拳を向けた。
 殴られるたびに、右に、左にと、小さな体が揺れる。
 どろろの体が地面に倒れ伏し、蹴られても何の反応も見せなくなると、ようやく男たちは気がすんだのか、
「もう二度と悪さをするなよ! どろろ!」
 と捨て台詞を吐いて背を向けた。
 そこで大人しくしていればいいものを、どろろは立ち上がるのもやっとだというのに、小石を手に取ると、男たちの背中に投げつけた。
 小石は最初にどろろを捕まえた男の背中に当たった。大して痛くもないが、どろろが逆らったことが気に入らず、顔を真っ赤にし、鬼のように怒り狂った。
「またやったな!」
 激怒する男に向かって、どろろは舌をべーと出して笑い、また小石を投げた。
 男の左頬に小石がかすり、赤い血の筋が滲んだ。
「もう勘弁できねぇ!」
男が怒鳴った。
「二度と悪さしねぇように、川に沈めてやる!」
 その提案に、仲間たちが賛同する。
「おう、それがいい!」
「やっちまえ!」
 小石をぶつけられた男は、逃げるどろろを追いかけ、再び捕まえた。そして、ざぶざぶと川に入っていくと、今度は反撃も喚く暇も与えず、両腕に力を込めてどろろの体を川に沈めた。
「うっぷっ!」
 自分を川に沈めようとする男の顔が、悪鬼のようだと思いながら、川に沈められまいと、どろろは必死に顔を水面から上げた。
 でも、体にどんなに力を込めても、男の大きな手からは、逃げ出すことができない。
 男はどろろを嬲るように、川に沈めては引き上げ、また川に沈めた。それを何度か繰り返すうちに、全身ずぶ濡れのどろろの体からは、力が徐々に抜けていく。
(いやだ――おいら、死にたくない――死にたくない――死にたくない!)
 川に沈められたどろろの心の叫びに応えたのは、天の声だったのか。
「待てっ!」

 

 他人に関わるつもりはないので、どろろと男たちの争いを静観していた百鬼丸だったが、大きな体の男たちに殴られるどろろに、亡くした友の姿が重なった。
 侍に虐められ、あげくに殺された十二人の小さな友だち。
 あの友だちと同じようにどろろも殺されると思った途端、百鬼丸はたまらずどろろを川に沈めようとした男たちを制止した。
 男たちは、突然聞こえてきた百鬼丸の声に、どろろを川に沈めることを中断し、きょとんとした。
「え?」
「頭いてぇ」
「どっから聞こえた?」
「誰だ? 誰が喋った?」
「頭の中、きんきんする……」
「声……が、頭の中で響いた?」
 百鬼丸の心の声は、他人には頭の中で直接響く。初めての経験に戸惑いながら、男たちは周囲を見回した。
 百鬼丸は橋の欄干から身を乗り出して、男たちに語りかけた。
「どうしてその子を殺すんだ。そんな小さな子、殺したって、おまえさんらの得になるわけじゃあるまい」
 口を動かしているので、男たちには百鬼丸が喋っているように見える。頭の中に直接声が響いたと気がつかないまま、どろろを川に沈めることを咎めた少年に、余計なことを言うなと怒鳴った。
「おまえの知ったことじゃねぇ。ひっこんでいろ!」
 そして口々に、どろろの悪行の数々を訴えた。
「聞きな、若造。このどろろはな……」
「疫病神よ!」
「こいつは子供なんて可愛気のあるもんじゃねえんだ! 人間の皮ぁ被った鼠よ! 人は騙す、物は盗む、嫌がらせはする。とんでもねぇ奴だ!」
「おまけに、どんなに痛い目にあわせても、けろりとしてまた盗みを働くんだ」
「こんなふてぇやつ、ぶっ殺したほうが、世の中の為さ」
「わかったか!」
 もともと盗みはどこでも誰でも重罪だ。たかが子供とはいえ、どろろの盗みに、男たちはどれだけ腹に据えかねていたのか察することができるほどの怒りようだ。
 しかし、百鬼丸はどろろが殺されるのを放っておけなかった。
 百鬼丸は妥協策を提案した。
「どこか、遠くに捨ててきたらどうだ?」
 しかし、男たちは百鬼丸の提案を即座に却下した。
「捨てるくらいなら、苦労はしねぇや。どこに捨てたって、迷惑するのは同じだ」
「どうしても殺すってのかい? 死んだら、おまえたちを恨むぜ」
 人を殺したら祟られる恐れもあると、百鬼丸は忠告したが、
「かまうもんか!」
「今の世の中はな、簡単に何千何万も人が死ぬんだ。どろろの一人や二人なんかに、いちいちかまっちゃいられねぇよ」
「皆、さっさとこいつを沈めちまおうぜ」
「おう!」
 川原に残っていた者も、ぐったりとなっているどろろを沈めようと、川の中にざぶざぶと入った。
「おっと、待ちな!」
 百鬼丸はこちらに近づく妖気を感じて、男たちに警告した。
「来るぞ……」
 何が来るのかと、男たちは怪訝な顔をする。
「魔物だ……魔物がこちらにやってくる」
「魔物だぁ?」
 百鬼丸の言葉に、男たちは呆れた顔で百鬼丸を見上げる。
「……だんだん近くなってくる」
「ちっ。子供騙しみてぇな脅かしはやめな」
 真面目な顔して何を言っているんだと、男たちは百鬼丸を嘲笑った。
 しかし、急に日が翳ってきた。川を渡る風が、さっきよりも冷たくなり、男たちは身を震わせた。
 秋とはいえ、こんなに寒くなるなんて、おかしい。得体のしれない恐怖に、男たちはどろろを川に沈めることも忘れた。
 その時、川の上流から何かが流れてきた。木の小枝や葉、藁などが絡まって固まった塵のようだ。
 塵は男の一人の近くまで流れてきた。見ると、塵の隙間から白地に赤と金色で染められた花模様の衣が見えた。
「おっ、綺麗な柄だな」
 上等な衣だ、高く売れそうだ――そう思って、衣を獲ろうと手を伸ばした。
「それに触るな!」
 百鬼丸の静止も間に合わなかった。
 その瞬間、塵の下から、衣が生き物のように水面から立ち上がった。
 水しぶきを上げながら現れたのは、白く滑らかな肌の生き物だった。
 でっぷり太った胴体に、大きな頭が乗っている。顔いっぱいに口が大きくて、見た目は水掻きのある手と足が生えた、蛙になる前のおたまじゃくしだ。これが掌で捕まえられる大きさなら、可愛い。しかし、目の前に現れたのは、後ろ足で立つと身の丈三尺はある大きさだ。
 男が衣だと思ったのは、おたまじゃくしの化け物の体の模様だったのだ。花柄の派手な模様では目立つので、塵の下に隠れていたのだ。
 その姿を現したおたまじゃくしの化け物は、でかい図体に似合わず、小さな黒いつぶらな瞳でちらっと川の中で立ちすくむ男たちと、拘束されているどろろを見た。
 にたっ。
 うまそうな餌を見つけた――そんな風に、小さな口が嬉しそうに歪んで、笑ったように見えた。
 おたまじゃくしの化け物と目が合って、呆然と固まっていた男たちは我に返った。
「ぎゃぁーっ!」
「出たーっ!」
「逃げろ!」
「ひいいーっ!」
「邪魔だ、どけっ!」
「お、お助けぇ!」
 男たちは、もうどろろのことなど放り投げて、我先へと岸に上がろうとした。
 だが、おたまじゃくしの化け物は、息を吹き込んだ紙袋のように、どんどん体が大きく膨らんだ。
 おたまじゃくしの化け物は、橋の欄干よりも高く、小山のように大きく膨らむと、大きく口を開けて、撫子色の舌を長く伸ばした。
 しゅるっと伸びた舌は、鞭のようにしなやかに男の体に巻きついた。そして、軽々と男を持ち上げ、口の中に引きずりこんだ。
「わーっ!」
 舌は一本だけではない。二本、三本と口から伸びて、次々と男たちを捕まえては、大きな口の中に、ぽいっ、ぽいっと放り込んだ。
六人全員を口の中に頬張ると、おたまじゃくしの化け物は口を閉じ、

 

 ごっくん――

 

 喉を鳴らして男たちを丸飲みした。
「うわぁーっ!」
「出してくれぇっ!」
「だ、誰か助けてくれっ!」
「おっかぁ!」
「いやだいやだいやだ!」
「死にたくなーい!」
 さっきまで子供相手に威張り散らし、殴っていたが、おたまじゃくしの化け物の腹の底に堕ちた六人の男たちは、声を限りに泣き叫んだ。
 それもすぐに絶叫に変わった。
「ぎゃーっ!」
「あちちちち!」
「熱い! 熱いぃぃっ!」
「溶ける!」
「か、体が……」
「体が……と……と……とけ……」
 おたまじゃくしの化け物の胃袋の壁から、強い酸が染み出してきた。全身に酸を浴びた男たちは、皮膚が焼け爛れ、血が吹き出す。肉が溶け、骨が剥き出しになる。
 絶叫しながら足掻き、のたうつ男たちは、やがて声も出なくなる。胃袋の中で重なりあうように倒れ、動かなくなった。
「けろけろけろ」
 おたまじゃくしの化け物は、大きな長い尾鰭を左右に振りながら鳴いた。男六人を一度に食べて、満足したかに見えたが、まだ足りなさそうに、次の獲物を探して、右に、左にと瞳を蠢かした。
 おたまじゃくしの化け物は、川底に尻もちをついて唖然と口を開けているどろろに狙いをつけた。
 男たちが丸飲みされている間に、ようやく意識がはっきりしてきたどろろは、おたまじゃくしの化け物を見て、心底魂消た。こんな化け物、見たことがない!
 生まれて初めて化け物を見たどろろは、男たちが丸飲みされた様子を目撃して、呆然とするしかなかった。
 おたまじゃくしの化け物は、肉の柔らかそうな子供という、とっておきのご馳走を捕まえるために、三本の舌を同時にどろろに向かって伸ばした。
「うわああぁっ!」
 目の前に迫った舌に、どろろは叫んだ。
 逃げなきゃ自分も喰われる!
 立ち上がるどろろの目の前に、おたまじゃくしの化け物の舌の先端が迫る。
 その時、左の義手を外して橋の上から川に飛び降りた百鬼丸が、退魔の刀で舌を三本同時に斬り落とした。
 百鬼丸が川に着水するのと同時に、斬り落とされた舌は、切断面から血を滲ませながら三本とも川に落ちて沈んだ。
「え……?」
 襲い来る魔の舌から逃れたと安堵する暇もなく、左腕から刀を生やした姿の百鬼丸に、どろろはさらに目を見開いた。
(う、腕に刀が生えてる!)
 腕が刀の少年は、鬼の化身か?
 百鬼丸はあんぐりと大きく口を開けているどろろに、左腕の義手を手渡した。
「ひゃっ!」
 いきなり腕を渡されて、どろろは狼狽えた。しかし、すぐに腕が生身のものではなく、よくできた作り物だと気づいた。
 何かの皮を張って見た目は人の腕と変わりないが、金属の細工物だ。
「こいつは一体……」
「持っていろ」
 百鬼丸は腕を振り、右の義手も外してどろろに渡すと、おたまじゃくしの化け物に向かっていった。
「きゅえぇぇぇっ! きゅえぇぇぇっ! きゅえぇぇぇっ!」
 舌を斬られた痛みにおたまじゃくしの化け物は、奇怪な声で叫びながら、子供のように両手を振り回し、足で地団駄を踏み、尻尾をばたばたと振って悶えた。
おたまじゃくしの化け物の巨体が、尻尾が、橋柱にぶつかる。その衝撃に耐えかねて、丸太の橋柱が傾き、橋が崩れ始めた。
「うわっ、あぶねーっ!」
 どろろは百鬼丸の腕を抱いたまま、川原に逃げ――百鬼丸は、板や木片が雨霰の如く降ってくる中、おたまじゃくしの化け物に向かっていった。
「げこっ! げこっ! げこっ!」
 おたまじゃくしの化け物は、怒りの声を上げながら体をさらに膨らませた。手足は小さいまま、鞠のように真ん丸になると、その巨体からは信じられないほど軽やかに跳ねて、自分の舌を斬り落とした百鬼丸に向かった。
「やぁっ!」
 百鬼丸は跳躍し、おたまじゃくしの化け物に向かって落下するのと同時に、双剣で斬り下げた。
 おたまじゃくしの化け物の腹に、十文字の傷が刻まれた。

 

 ぷしゅーっ――
 
 傷口から空気が抜ける音が勢いよくする。それと同時におたまじゃくしの化け物は、どんどん痩せ細り、おたまじゃくしというよりも、蜥蜴(とかげ)のような姿になる。
「きゅぅうううううっ!」
 苦悶の声を上げながら、おたまじゃくしの化け物は、餅が伸びるように両手を長く伸ばして、百鬼丸を捕らえようとする。百鬼丸は、右へ、左へと飛んで、軽やかにおたまじゃくしの化け物の手を交わしながら、双剣を白い巨体に刀を振るった。
 刀で肌を斬り割かれ、肉を突き刺されるたびに、おたまじゃくしの化け物の巨体は、傷口から溢れるように血が流れた。白い肌も、赤と金の花模様も、血に濡れて元の色と模様がわからなくなる。
 そして、おたまじゃくしの化け物の全身が真っ赤に染まった時、
「やあぁぁぁぁぁっ!」
 思いきり飛びあがって、百鬼丸はおたまじゃくしの化け物の眉間に、退魔の刀を突き刺した。
「きゅうううううぅーっ!」
 おたまじゃくしの化け物は、長く伸ばした手を縮め、天に向かって甲高い声で一声鳴いた。そして、ぐらりと体が横に倒れ始めた。
 百鬼丸は刀を抜いて後ろに下がった。
 おたまじゃくしの化け物が川に倒れ込んだ衝撃で、水飛沫が高く上がる。
 水飛沫を浴びながら、百鬼丸はおたまじゃくしの化け物が、頭からゆっくりと溶けだすのを確認した。
 頭だけでなない。小さな短い手足も、痩せ細った体も、皮膚が溶け、真っ赤な肉を露になりながらどろどろと溶ける。そして、肉が全て溶けた時、音もなく全身の骨が崩れ、ばらばらになって川に落ちた。
 様々な部位の骨が落ちて、水面に大小いくつもの輪ができた。
 それもすぐに川の流れにかき消され、無くなった。

 

 

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