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2019年9月 7日 (土)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章15

   どろろの巻後編
「ふーっ……」
 百鬼丸の義手を腕に抱いて川原に逃げていたどろろは、おたまじゃくしの化け物が退治されたのを見て、やっと安堵の溜め息をついた。
 危機は去った。
 もう安心だと思った途端、恐怖は消えた。
(すげぇや。あの化け物をあっという間に倒しちまった。あいつ、何者だ?)
 大抵の者なら、両腕に刀を生やした少年に抱くのは、畏怖や奇異だ。しかし、どろろは並の子供ではなかった。怯えた心を抱く代わりに、好奇心がむくむくと湧いた。
 百鬼丸はおたまじゃくしの化け物の息の根を止めると、川から上がり、どろろの方に近づいてきた。
 百鬼丸はどろろの前で立ち止まると、黙って右の刀の切っ先をどろろに向けた。
「ひっ」
 白銀に光る刀の鋭さを間近に見て、どろろは思わず怯んだ。
 斬られるのかと思ったが、百鬼丸は短く告げた。
「俺の腕」
 百鬼丸は義手を返せと言っているのだとわかり、どろろは怖がった自分が恥ずかしく、照れ臭いので、
「なんだよ、それならそうと言えよ。いきなり刀向けることないだろ」
 と、ぶつぶつ言いながらも、刀が収めやすいように、義手の断面を百鬼丸に向けた。
 百鬼丸は左右順に義手の鯉口の部分に刀を差し入れてはめると、何度か手を握っては広げた。
 そうして双剣が鞘である義手に収まると、百鬼丸は両腕に刀を生やした鬼ではなく、人にしか見えない。
 他人の顔の美醜なんかどうでもいいと思っているどろろであったが、こうして近くで百鬼丸の見ると、整った顔立ちに思わず惚れ惚れする。涼しげな切れ長の目と、綺麗に通った鼻筋は、少女のような顔でいて、凛々しさが冴えわたる。
 だけど――十五くらいの年頃にしては、どこか暗い、深淵の闇を感じさせる。
 月も星もない夜の空よりも暗い、漆黒の闇。
 どうしてこんなに暗い、深い闇を纏えるのだろう。そして、闇の中に何が潜んでいるのだろう――普通なら怖気づく百鬼丸の闇に、どろろは興味が湧いた。

 

 わからなかった。
 百鬼丸への興味が、思いが、本当は何と呼ぶのか、この時のどろろには、まだわからなかった。

 

 我知らず、どろろがじっと百鬼丸を見ていたその時、急に百鬼丸は両手で口元を覆って苦しみ出した。
「な……なんだ? どうしたんだ?」
 百鬼丸は整った顔に苦悶の表情を浮かべていた。だが、呻き声も出さずに口元を抑えながら、絶叫するかのように喉をのけぞらせた。
「あああああああぁっ!」
 どろろは凄まじい叫び声を聞いた。耳で聞いたのではない。それでも確かに聞こえた。頭の中に直接響いたのは、百鬼丸の声。
 そして、百鬼丸は両手をついて膝をつき、口から何かを吐き出した。
 川原に吐き出されたのは、薄紅色の塊。
 それは、舌だった。
「わあっ! 舌が、舌が千切れた!」
 百鬼丸がおたまじゃくしの化け物の舌を斬ったから、祟られて舌がとれちまったのかと、どろろは思った。
 驚愕と困惑に立ちすくむどろろをよそに、百鬼丸は大きく息をするように肩を上下していたが、やがてゆっくりと立ち上がった。
 さっきまで苦痛に悶えていたのに、平然と、何でもない顔をしている。
 いや、百鬼丸の顔には、明るい、喜びの表情が浮かんでいた。
「だ……大丈夫なのかよ? 舌取れちまって、痛くねぇのか?」
 一応命の恩人だから、どろろは百鬼丸を気遣うように声をかけた。だけど、恐る恐るといった感じは隠せない。
 驚くのも無理ないと、百鬼丸はほろ苦く思う。
 それまでの純粋な喜びの笑みは消え、すぐに自虐的な微笑みに変わった。
 舌が取れてしまったせいで、こんな怖い顔して笑うのかとどろろは思い、下を向いて百鬼丸が吐き出した舌を見た。
「えっ?」
 どろろは唖然とした。百鬼丸が吐き出した舌は、薄紅色だったはずなのに、木苺のような透けた鮮やかな赤になっていた。続いて燃える炎のように輝く赤に色が変わる。
 色が変わっただけではない。柔らかな舌は、石のように固くなっていく。
 そして、とうとう舌は真紅の石となった。
 舌の形そのままで石と化したので、人が作った細工物としか思えない。とてもさっきまで生の肉の塊であったとは、誰も信じないだろう。
 思わず手を伸ばして、どろろが石化した舌を拾おうとした時、

 

 ぴきっ――

 

 石化した舌に、一筋のひびが入った。

 

 ぴきぴきぴきっ――

 

 ひびは音を立てながら、蜘蛛の巣が広がるように次々と広がっていく。
 そして、表面から内部までひびが入った舌は、

 

 ぱりん――

 

 一瞬にして砕けて、砂となった。
 その時、風が吹いた。
 真紅の砂は、どこからともなく吹いた風に吹かれて形が崩れた。そして、風に舞い散って、跡形もなくなった。
「なんだ? なんだ? なんだ?」
 どろろは百鬼丸と舌があった地面を交互に見比べた。百鬼丸は変わらず平然としている。
 百鬼丸はどろろを、自分を嘲笑うかのように、べーと舌を出した。
 血色のよい綺麗な舌を見て、どろろは呆気にとられた。
「舌がある……」
「今までの舌は、役目を終えた。だから消えた」
「へ?」
 百鬼丸の説明に、訳がわからないどろろ。
「これが、俺の本来の舌だ。あの化け物は、俺から舌を奪った魔物だ。俺は化け物から俺の体を取り戻した。今までの舌は、役目を終えたから消えたんだ」
 どろろは、目を丸くして百鬼丸の話を聞いている。どこまで理解したのかわからないが、百鬼丸はこれ以上詳しい話をする気はなかった。
 四十八の魔物を倒し、百鬼丸が体を取り戻したところを目撃して、喜んでくれたのは寿海だけだった。後は皆、魔物から助けてもらったことも忘れ、百鬼丸を恐れおののいた。
 どろろだって、化け物に襲われて、怖かったはずだ。たまたま助けただけの子供を、これ以上怖がらせて何になる。
 久しぶりに体の一部を取り戻して気分がいいのに、化け物と罵られて怖がられるのは、不愉快だ。
「化け物は倒したから、もう大丈夫だぞ、どろろ。さあ、どこへでも行っちまいな」
 これっきり、どろろとは会うこともないだろう――百鬼丸はさっさと歩き出した。どこかで濡れた衣と体を乾かさないと思いながら、百鬼丸はもうどろろのことなど頭の隅にもなかった。
 後に残されたどろろは、びしょ濡れのまま、ぽつんと立ち尽くし、百鬼丸の後姿を見送っていた。

 

 

 再び歩き出した百鬼丸。
 その後ろをつけてくるのは、死霊か、妖怪か、魑魅魍魎か。
 だが。
 今は別の者が百鬼丸の後をついて来ていた。
 近すぎず、遠すぎず、距離を取って百鬼丸をつけるのは……
 
「どうしてついて来るんだ?」
 秋の陽は短い。
 今日もまた陽は沈み逝こうとしていた。
 赤い夕日に照らされて、百鬼丸の影が道に伸びている。
 その少し離れた後ろには、百鬼丸のよりは小さな影がついていく。
 影の主は、どろろだった。
 どろろが百鬼丸の後を追いかけていたのだ。
 後をつけているのが妖怪ではなく、どろろだと気づくと、百鬼丸は驚いた。化け物に喰われかけたというのに、腕が外れて刀を生やした鬼を見たというのに、何故どろろはついて来る? 子供の好奇心か?
 昼過ぎから夕方まで歩いているうちに、百鬼丸もどろろも濡れた衣は乾いていたが、そんなに長い時間、なぜついてきたという疑問が百鬼丸の心にいっぱいになる。
 どろろの意図がわからず、百鬼丸はとうとう立ち止まって、どろろに聞いた。
「へへへのへへへのへへへのへ。ちょっくら用があっから、ついて来るんだよ」
 どろろは百鬼丸の前に駆け寄ってくると、にっと笑って、百鬼丸の腕を指さして言った。
「おめえのその腕にくっついている刀よぉ。あの切れ味はよほどの名刀と睨んだが、どうだい?」
 何を言い出すかと思ったら、どろろは百鬼丸の腕に仕込まれた刀のことを口にしたので、百鬼丸は、おまえに関係ないことだと言わんばかりの表情を浮かべる。
 睨みつけられても、どろろに怖気づいた様子はない。
 それどころか、どろろは百鬼丸が仰天するようなことを言ってのけた。
「あの切れ味見たら、痺れたよ。その刀、貰おうと思ってさ」
「何? もらうだと? おまえがこの刀を? 冗談じゃねぇ」
 どろろの台詞は、野盗に襲われようと、死霊妖怪につきまとわれようと、いつも冷静さを失わなかった百鬼丸を唖然とさせるのに充分であった。
 どろろの方は、自信たっぷりに百鬼丸を見上げて言った。
「おいらは天下一の大盗賊だぜ。一旦狙ったものは、雨が降ろうが、槍が降ろうが、盗らなきゃ大盗賊の名が廃るんだい」
 大口もここまで叩けば、怒りを通り越して感心してしまう。百鬼丸はどろろを諦めさせるために、説得を試みた。
「ふざけるな。この刀は俺の腕にくっついているんだぞ。盗ろうったって、盗れやしねぇよ。諦めな」
 しかし、どろろは聞く耳を持たない。
「そうはいかねえ。きっと取ってみせるぜ。おめえが眠っている間とかに、すらっと盗ってみせらぁ」
「どろろ、俺の後ろにくっついていると、ろくなことはないぞ」
「てやんでぇ。そんな脅しに引き下がるおいらじゃねぇやい」
「俺には妖怪がつきまとっているんだぞ。俺に関わったら、命がないぞ。さっき川で見たろう! あんなのが、いつも俺を狙っているんだ!」
 さっきのおたまじゃくしの化け物に襲われた恐怖を思い出したのか、どろろは一瞬びくっと肩を震わせた。
 だけど、すぐに陽気に答える。
「へ、へーん。あんなもん、怖がってたら、仕事ができるかってんだい」
 いくら言ってもどろろは諦める様子はなかった。どろろの図太さに説得する気が失せた百鬼丸は、もうどろろを無視することに決めた。一応、「ついてくるな!」と釘を刺しておいたが、無駄である。ひょこひょこと、どろろはついてくる。
 こちらのほうに来たのは凶だった。
 四十八の魔物に出くわして、舌を取り戻したはいいが、まさか子供の盗人につきまとわれるとは。
 百鬼丸は別の道を行けばよかったと、後悔していた。

 

 妖怪だけでもうんざりしているのに、刀を盗ろうと子供までがつきまとうので、苛立たしい百鬼丸とは反対に、いい獲物が見つかったと、足取り軽く歩くどろろ。
 だが、どろろの足を止めるものがあった。
「ん? 何だ?」
 蓬々(ほうほう)に生えた草の間から、さやさやと密やかな音を立てて蔓が伸び、どろろの足に巻きついた。そして、どろろを地面に引き倒した蔓は、どろろの手に、足に、体に、蛇のように絡みついてくる。
 蔓には拳ほどの大きさの蕾があった。毒々しいまでの赤紫色の蕾は、みるみるうちに大きく膨らんで、赤子の頭ほどの大きさの花を咲かせた。
 広げた蝶の羽のような、四枚の花弁の花だ。肉厚の花弁の中央には、小さな鋭い牙が、びっしりと生えている。開いた花の姿は、まるでどろろを喰おうとするかのよう――いや、喰おうとしている。
 花は大きく花弁を広げ、蔓茎を伸ばしてどろろに迫った。
「わわわわわっ!」
妖怪!
「言わんこっちゃねぇ!」
 百鬼丸が駆けつけ、どろろを捕らえる蔓を、右腕の刀で薙ぎ払った。
 続いて百鬼丸は花を斬り落とした。
「きゃああああああっ!」
 女のような甲高い声で、花は絶叫した。
 地面に落ちた赤紫の花は、みるみるうちに茶色に色が変わり、萎びて枯れ果てた。
「わあーん! わあーあーあーあー」
 妖怪花に襲われて、さすがに怖かったのか、どろろが声を上げて泣き出した。そうやって泣いていると、歳相応の子供らしく思えて、百鬼丸の情け心を動かした。
「泣くな。泣くな……だから言ったんだ」
 しかし、百鬼丸が慰めた途端、どろろは泣きやんで、けろりと笑い出した。
「へへへのへ……」
 百鬼丸は、少しでもどろろに可愛げのあるところがあると思った自分を罵倒した。
(甘かった……!)
 百鬼丸の堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしろ! おまえにかまっているほど、俺は暇でも物好きでもねぇ!」
 どろろを追い払うため、百鬼丸は決めた。
「いいか、どろろ! これをよく見ろ!」
 百鬼丸は両手で目の辺りを覆い、続いてどろろに掌を差し出して見せた。
 百鬼丸の気迫に、どろろは訳が判らないまま、百鬼丸の掌に目を向けた。
「わーっ! 目、目が……」
 百鬼丸の掌にあったのは、ふたつの目玉。
 百鬼丸の顔を見ると、目玉があった所に虚ろな穴が穿たれている。
「どうだ。驚いたろう、どろろ」
 地面に座り込んだどろろに、百鬼丸が可笑しさをこらえながら言う。
「これで俺が盲目だってことが判っただろう……その目は入れ目だ。ほんの飾りさ。だが、おまえが今何をしているか、ちゃんと判るぜ」
 驚きのあまり、声も出ないどろろに、百鬼丸はさらに追い撃ちをかけるように告げた。
「目だけじゃねぇ……この耳も、舌と同じで、秘術で作られた作りもんさ。ほんとは、おまえの声は聞こえねぇんだけど……おまえが言おうとしていることは、俺の頭に感じるんだ。だから、耳があるのと同じさ」
(……ば、化け物……)
 どろろの心に浮かんだのは、人ではないものに対する言葉。
「化け物か……確かにその通りだな……赤子の時は、人とは言えなかったし……」
 どろろが何も言っていないのに、百鬼丸はどろろの声が聞こえたかのように呟く。百鬼丸の言うとおり、百鬼丸は心を読み取ることができるのだと、どろろは理解した。
 百鬼丸は義眼を眼窩に戻すと、どろろに向かって告げた。
「この手も、足も、目も、耳も、鼻も、全部作り物だ……俺の体は、四十八か所が作り物でできている……」
 すっかり怖気づいたどろろに、百鬼丸は呪われた身の上を語り始めるのだった。

 

 

「俺はな……赤子の時、盥に乗ってどっかから流されてきたんだそうだ……」

 

 その時、どろろの脳裏に色々な草が生えている川辺が浮かんだ。まるで、その場にいて、見えているかのように――
 続いて見えたのは、顔はわからないが、体の大きな男。
 男は何か大事そうに抱えている。

 

「俺を拾ってくれたのは、寿海という医者だった……薬草を摘みにきて、俺を見つけてくれたのさ」

 

 男が腕に抱えているのは、生まれて間もない、だけど瀕死の状態の赤子だ。
 赤子には手も足も無かった。丸い小さな頭には、本来は目や耳や鼻や唇があるべきところに、ぽこりと穴が開いている。
 無残な姿に、とても人の赤子とは思えない。だけど、どろろは赤子だとわかった。赤子以外の何者でもないと。

 

「寿海は、立派な学問と腕を持っていた医者だった。泣くこともできない、体中ないとこだらけの俺に、秘薬で五臓六腑を作って俺の命を救って育ててくれた。そして、俺が三つの年に、俺の目が見えなくても、耳が聞こえなくても、周りのことがわかること、声を使わなくても人の心に語りかけることができることに気づいて、義手や義足、義眼を夜も寝ずに作ってくれた……」

 

 どろろの脳裏に、一人の子供の姿がぼんやりと浮かんだ。
 体中が作り物の、だけど生きようと懸命に立ち、よろよろと歩いている男の子。
 歩くのもやっとの男の子は、やがて元気に走り始めた……

 

「寿海のおかげで、俺は人として生きることができるようになった。あの人は俺の恩人だ。俺はあの人が本当の父のように思えたし、あの人も俺を心から慈しんでくれた。あの人に拾われて、あの人に育てて貰えて俺は幸運だった」
 それまで無表情だった百鬼丸の顔に、懐かしむような、穏やかな柔らかい表情が浮かんだ。それは養父への親愛や敬愛の念からくるものだと、どろろはすぐにわかった。
「拾ってくれたおとっちゃんのこと、本当に大好きだったんだな」
 どろろの言葉に、微笑みを浮かべて百鬼丸は素直に頷いた。旅に出る前までは、一番好きなのは誰かと問われれば、寿海だった。旅に出てからは、寿海と同じくらい、いいや、それ以上に好きな人と出会い、守りたい、幸せにしたいと願い、誓ったが……
 百鬼丸は微笑みを消し、すぐに硬い表情で話を続けた。
「だけど……」

 

 どろろは見えたような気がした。小さな庵の周囲に、何やら得体のしれない物が潜んでいるのを。
 庵の外だけではない、鳥とも獣とも虫ともつかぬ、異形の物が部屋のあちらこちらにいる。

 

「いつしか妖怪が俺につきまとうようになった。俺が他の子供と同じ姿でいるのが気に入らないと、散々嫌がらせをしやがった。そこで護符として、寿海は空から堕ちてきた星の欠片で打った刀を俺にくれた」
「おめえの腕にくっついている刀が、星の欠片で作った刀だな! ただの刀じゃねぇと思っていたが、やっぱりかなりの名刀なんだ! おいら、わかってたぜ」
 百鬼丸の両腕に仕込まれた刀が、空から堕ちてきた星の欠片で打った名刀と知り、神妙な面持ちで百鬼丸の話を聞いていたどろろの表情が、がらりと一変した。
 腰を抜かしていたが、しゃんと立ち上がり、目を煌(きら)星(ぼし)のように輝かせ、刀を盗む気満々の顔で百鬼丸の両腕を凝視する。
 怖がらせるつもりだったのに、かえってどろろの心を煽ってしまったかと、百鬼丸は危ぶみながら話した。
「邪気を払う護身の刀とあらゆる魔を倒す退魔の刀を持ったおかげで、妖怪どもの嫌がらせは収まった。だが……俺は家を出なければならない時が来た」
「なんで?」
「俺が十四の年、雨宿りしたお堂で天の声を聞いた。その声は、俺が生まれる時に、四十八の魔物に呪われて、俺から体の四十八か所を奪っていったと告げた。四十八の魔物を倒すことができれば、奪われた体を取り戻して、俺は人並みの体に戻れるのだと――」
 そこで百鬼丸は話を中断した。体を取り戻せるかもしれない喜びを思い出して、何とも言えない気分になる。
 あの時は、喜びしかなかった。
 だけど、体を取り戻していくたびに、心は暗く、重い気分になっていった……
「そ……それから?」
 どろろに先を促されて、百鬼丸は話を続けた。
「俺は急いで家に帰った。寿海が危ない目にあっていることも知らず、一人前の体になれるかもしれないことに浮かれていた」
「おとっちゃんに、なんかあったのかい?」
 寿海が危険にあったと聞いて、どろろは心配そうに顔を曇らせた。
 百鬼丸は険しい表情で告げた。
「俺が留守の間、患者に化けて、四十八の魔物の一匹がやって来ていたんだ」
「ひえっ!」
「俺が人らしく生きるのは、あいつら魔物にとって、契約違反なんだとよ。俺を生まれたままの姿に戻せと、寿海を脅しに来た」

 

 どろろの脳裏に浮かんだのは、鬼女の豊かな黒髪が蛇のように蠢いて、寿海の首を絞める光景だった。
 鬼女のつり上がった目は獣のように恐ろしく、唇は血のように赤く、白い牙は鋭く尖っている。
 そして、腰の刀を抜いて、鬼女を斬る百鬼丸の姿――

 

「俺は魔物を倒した。その時、俺の髪が戻った。天の声は本当だったと思い知った」
 どろろは百鬼丸の髪をじっと見つめた。黒く艶やかな髪は、まるで慈しむような優しい風に吹かれて、緩やかに靡く。
「俺は天の声のことを寿海に話した。それから寿海は俺に最後の手術をしてくれた。誰にも奪われないように、腕に刀を仕込んでくれた。義足も戦うために必要な細工をしてくれた。そして、俺は四十八の魔物を倒す旅に出たんだ……だから、いつでもどこでも、妖怪どもにつきまとわれているのさ。俺の旅を邪魔するために、な」

 

 

 百鬼丸の話が終わった頃、日は沈み、赤く染まっていた西の空が、濃い藍に変わっていた。夕日の残光が、ほのかに闇に残っている。
 もうすぐ人ならざる者が、妖(あやかし)の類が闇から現れる時であることを、百鬼丸は知っていた。
「あれを見な」
 どろろは百鬼丸が指さしたほうを見ると、いつの間にか一匹の大猿が、道の向こうで座っていて、こちらを窺っていた。
 薄ら笑いを浮かべている大猿は、目が白く濁っていて、生気がない。
「あれは妖怪だ。猿の死骸にとり憑いて、俺を見張っているんだ」
 どろろにはただの猿にしか見えないが、百鬼丸にはそれが四十八の魔物の手先であることは判っていた。
「これで俺の話は終わりだ。おめえには縁のない人間だ。刀は諦めて、行っちまいな。これ以上俺にくっついていると、命の保証はしないぜ」
 そうどろろに言うと、百鬼丸は左腕を掴んで刀を抜いた。薄明りの中で、退魔の刀は刀身を光らせる。
 そして、百鬼丸は悪意の笑いを浮かべている大猿に向かって斬りかかった。
 にたにた笑っていた大猿は、切っ先が迫った瞬間、目をかっと見開き、
「しゃーっ!」
 威嚇する声を上げ、鋭い歯を生やした口を大きく開けながら、百鬼丸に飛びかかった。
 百鬼丸は横に刀を振るい、喰いかからんとする大猿の首を斬り落とした。

 

 ごろり――
 
 糸が切れた人形のように大猿の胴体は倒れ、一刀両断された大猿の首は、道に血をまき散らしながら転がった。
 ごろごろと転がって、大猿の首は止まった。こちらを向いた大猿の顔には、百鬼丸を嘲笑うかのような笑みが浮かんでいた。
「きゃっ、きゃっ、きゃっ、きゃっ」
 そして、けたたましく笑う大猿の首から蒸気が上がる。白い蒸気の中で、大猿の首も、胴体も、毛が抜けて、肉が溶けていく。やがて笑い声も消え、最後に白い骨だけが残った。
 この光景を声もなく、じっと見つめていたどろろだったが、大猿を斬った百鬼丸がどろろの方を振り振り返ると、
「あはははは」
 楽しそうに、高らかに笑った。
 耳が聞こえない百鬼丸は、どろろの笑い声が聞こえない。だけど、笑ったことだけは気配でわかる。
 何故ここで笑う?
 今度こそ、怖がって逃げるだろうと思っていた百鬼丸は、どろろの反応に面食らった。
 どろろは言い放った。
「聞けば聞くほど、面白いや」
(面白い? 俺の話が?)
 百鬼丸が身の上話を話したのは、旅で出会った琵琶法師と、誰よりも優しい、愛しい少女だけだったが、二人ともどろろのように笑い飛ばしはしなかった。真摯に百鬼丸の身の上話を聞いてくれた。
 だから、自分の話のどこが面白いのかと、百鬼丸は真剣に悩んだ。
 悩む百鬼丸に、どろろは何でもないといった風に言う。
「なあ、そんな話でおいらがその刀をあきらめると思うかい? 今の世の中、戦や病で、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、手足を無くした奴は、いくらでもいらぁ。珍しくとも何ともないや。体を盗った奴が、侍か化け物かの違いなだけだろ? それに、化け物全部退治したら、刀は用無しになるんだから、そん時は、すらっと盗んで見せらぁ。その刀、ますます盗み甲斐が出てきたよ。星の欠片で作った刀なんて名刀、見逃すわけにはいかないさ。大盗賊の面子にかけて、絶対手に入れてやるぜ」
(こいつは……!)
 もはや、百鬼丸は唖然とするしかなかった。この自信は、どこから来るんだ――
 どろろに何を言っても無駄。そのことを悟ると、百鬼丸は一気に疲れた。体から力が抜けそうだ。どろろを説得する気力も無くなった。
 だけど不思議なことに、どろろの口上に、百鬼丸の胸には何か閃くものがあった。
 ないとこだらけの体の百鬼丸を、どろろは憐れむことも、蔑むこともしなかった。百鬼丸を百鬼丸として認め、あるがまま受け入れている――寿海のように、みおのように、無名丸のように、十二人の幼い友たちのように。
 そんな人間には、久しぶりに出会った。
 しかし、相手は刀を狙う盗人。心通わせる相手になりうるはずが無い。
 他人に期待することをとっくに諦めていた百鬼丸は、胸の奥から沸き上がろうとしている思いを押し殺した。
 旅の空の下で出会った行きずりの子供。
 どろろはそれ以上でもそれ以下でもない。
 百鬼丸はそう断じた――そう遠くない日に、自分にとって、どろろが唯一無二の、かけがえのない存在になるとも知らずに。
 刀を盗むと意気込むどろろだが、子供の気まぐれだ、そのうち飽きるだろう、飽きてくれと願いながら百鬼丸は歩き出した。
「おい、待てよー」
 置いて行かれまいと、どろろは慌てて百鬼丸の後を追いかけた。
「ついて来るなっ!」
 隣に並んで歩くどろろを、百鬼丸は疎ましく思って怒るが、
「気にしない、気にしない。へっへ……」
 さんざん怖い目にあったというのに、忠告もされたのに、どろろはどこ吹く風といった様子だ。笑って百鬼丸を見上げる。
「呆れた奴だ!」
 こんな奴は、初めてだ――とんでもない奴につきまとわれてしまったと、百鬼丸は憂鬱になるのであった。
 苦り切った表情の百鬼丸に、不敵な笑みを浮かべるどろろ。
 夕闇の中を、秋の風が吹く。風の中を、何処へともなくどろろと百鬼丸は並んで歩いていった。
 見送るのは、百鬼丸が斬った大猿のしゃれこうべだけ。
 夜空には、十五夜にはまだ早い、半月が銀色に光っていた。満たされぬ心と体を抱えた旅人を乗せる舟のように。
 
 これが、どろろと百鬼丸の出会いと、永遠に続く旅の始まりだった。

 

 

 けたけたけた――

 

 夜も更けて、上弦の半月が雲に隠れて闇が濃くなる。
 星も見えない漆黒の夜空。
 地上は一面の闇。
 それは魑魅魍魎、妖怪変化の蠢く世界だ。
 ふいに、道に残されていた大猿のしゃれこうべが、歯を鳴らし始めた。その音は、まるで楽しそうに笑っているかのようだ。
 歯が鳴るのに合わせて、どこからともなく、囁く声がした。
 それは地の底から、空の果てから、いくつも聞こえてくる。
「出会うたぞ」
「出会うたぞ」
「二人が出会うたぞ」
 囁く声は、様々だ。野太くしわがれた声、張りのある若々しい声、鈴の音を転がすような澄んだ声、艶めいて華やかな声、あどけない声と、老若男女問わない。
 しかし、どの声も禍々しい響きで、嬉しさを隠しきれない子供のようにはしゃいでいる。
 百鬼丸とどろろ。
 四十八の魔物に呪われた子と、空から堕ちた星の欠片で作られし刀を狙う子が出会ったことに、明らかに喜んでいた。
「呪われた誕生、祝福された死」
「黒い太陽、赤い月」
「熱い氷、冷たい炎」
「手に手を取って結ばれたら」
「扉が開くよ」
「ほう、ほーう」
 雲の隙間から覗く微かな月の光に照らされて、木影が地面に映る。しかし、影は得体のしれない何かに見えた。
 頭に角を生やした鼠のような小さな獣かと思えば、背中に翼を広げた蜥蜴だったり、獣の足を生やした鳥のようにも見える。
 いずれにせよ、どれもこれも同じ姿形ではない。
 異形の影が、蠢いた。
 妖怪たちが、夜の闇に紛れて出てきたのであった。
「さあ、始まるぞ」
 妖怪たちは、輪になって大猿のしゃれこうべを囲むと、待ちに待った芝居がいよいよ始まることを、高らかに宣言する。
「皆の衆、しかとじっくりご覧あれ」
「鬼子と龍女が演じるこの芝居、かつてないほど珍しい喜劇である」
「ずいぶん焦らしたな」
「お楽しみはこれからさ」
「素敵!」
「ひゅーひゅー!」
 どっと歓声が上がる。それぞれが、思い思いに飛んだり跳ねたりして、期待と喜びを表す。
「どうなるかの?」
「どうなるかの?」
「あの二人、どうなるかの?」
「殺し合うのかの?」
「睦み合うのかの?」
「なるようになるさ!」
 弾けるような笑い声が闇に響いた。
「あははははは!」
「いひひひひひ!」
「うふふふふふ!」
「えへへへへへ!」
「おほほほほほ!」
 そして、嘲笑に続いて声を揃えて妖怪たちは歌う。

 

  雷が刻んだ契りの証
  四十八の星が流れて堕ちて
  ゆららさらら
  ゆららさららと飛び出せば
  角生ひざらん鬼子
  変成しそこなった龍女
  娑婆に生まれていかがせん
  いかがせん
  始めも果ても限りなきこの世をば
  夢を夢とも知らずして
  この終わりに覚め果てるこそ
  あはれなれ あはれなれ

 

 歌が終わると同時に、夜風が吹いた。
 風に枝が揺れ、葉擦れの音が大きく鳴った。
 途端――それまでにぎやかに歌い、おしゃべりしていた妖怪たちは沈黙した。
 そして、何処へと消えたのか。
 異形の影を映していた木影は、何の変哲もない木の枝や葉の形に戻った。

 

 けたけたけた――
 けたけたけた――
 けたけたけた――

 

 残された大猿のしゃれこうべが歯を鳴らす音だけが、夜の静寂に響いた。
 いつまでも、いつまでも……

 

 

 

 

 

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