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2019年4月18日 (木)

どろろ百鬼繚乱草紙 まれびとの章11

   無残帳の巻前編

 

 嘆きの声を聞いたのは、ただ一人。

 

 

 誰かを殺し、誰かに殺される――戦はその繰り返し。

 いつになったら戦は終わるのだろう。

 その問いに、答えられる者はいない。

 

 時は文明三年長月の初め。応仁の乱が始まってから、四年の月日がたっていた。

 四年もたったというのに、戦は終わっていなかった。飽きもせず、いや、飽きてはいるが、終わることができずにいた。

 秩序は失われ、乱れに乱れたこの世の中、持たざる者が生き延びるためには……

 

 

 星が煌めく漆黒の夜空に、月が昇った。

 透き通るような光を放っている細身の銀の月だ。

 地上を照らすには、あまりにささやかな月の光。地上には闇が満ちている。

 昼間は残暑が厳しいが、長月にもなると、夜は涼しい。涼風と闇に包まれて、人々は秋の夜の静けさの中で、夢を見ないくらい寝入っている。

 だが、どこからか馬の蹄の音だけが、静かに聞こえてきた。

 暗闇から現れたのは、馬に乗った男たちだった。

 その数は二十人。

 歳の頃は二十から三十の半ばくらい。一人だけ頭巾を被って顔を隠しているが、どいつもこいつも目つきは鋭く、獰猛な面構えだ。無精髭を生やした顔には切り傷があちこち刻まれ、髪は伸び放題で荒縄で無造作に結んでいるだけ。

 装束も小袖に動きやすい裁付袴をはき、脚絆を着けているのは一緒だが、他はてんでばらばらだ。胴丸を着けている者、女物の派手な色と柄の小袖を着ている者までいる。

 獲物も太刀や槍の他、斧や鎌を手にしたり、金砕棒を背に背負っていたりする。

 どう見ても、荒くれ者の集まりだ。

 特に先頭の馬の男は、身の丈六尺はある、岩のような逞しい体躯の大男だ。年は三十前後。鋭い眼差しは、いかつい容貌をさらに凶暴に見せている。

 やがて、町外れで先頭の馬が止まる。後続の馬も皆止まった。

 そこからは、正面の門に松明を立てた武家屋敷が見える。

 武家屋敷は、加賀の国の南部、深雪野(みゆきの)一帯を治める代官、安西蘭風(あんざいらんふう)の妹婿、東名新兵衛(とうなしんべえ)の屋敷だ。

 応仁の乱以後、年貢の取り立てが厳しくなったが、蘭風は他のどの代官よりも百姓から年貢を搾り取った。そして、守護に納めるはずの米の一部を、密かに隠して懐を潤した。

 代官の義弟ということで、新兵衛もうまい汁を吸っているともっぱらの評判だ。

 男は後ろを振り返り、言った。

「おまえら、女子供には手を出すなよ。男は侍じゃなかったら見逃せ。それ以外は皆殺せ」

 先頭の男は、荒くれ男たちを率いる野盗の首領だ。仕事の前、部下に掟を言うのが、いつもの口癖だった。

「はい」

「ああ」

「わかりました」

 口々に答える部下たちに、首領は頷き、太刀を抜いて叫んだ。

「いくぜ、野郎ども! 盗られた物を、盗り返せ!」

「おう!」

 歓声を上げながら、野盗の群れは正面の門に向かって馬を一斉に走らせる。

 遠くから聞こえてきた突然の蹄の音に、門前で見張りをしていた兵たちが、何事かと槍を構えた。怒涛のように騎馬の一団が、夜の闇に浮かぶのが見えてくる。

「何者だ!」

 門を破らせまいと、兵たちが槍を構え、弓を引いて守りを固める。だが、兵たちの矢が放たれる前に、馬上から雨霰のごとく矢が降ってきた。体中に矢を射られた門番の兵たちは、反撃する暇も与えられずに、ばたばたと倒れた。

 門番を倒すと、細身の男が一人馬から滑り降りた。軽々と塀を乗り越えると、内側から門扉を開け放つ。

 途端、仲間の馬が、一塊になってどっと屋敷内に押し入った。

「曲者!」

「出会え! 出会え!」

 夜襲に気づいて、屋敷の内から、ある者は鎧に身を固め、ある者は寝間着で、侍たちが叫びながら蜘蛛の子を散らしたように、飛び出してきた。侵入者に向かって槍を、刀を構える。

「ここを東名新兵衛さまのお屋敷と知っての狼藉か? 早々に出て行けっ!」

 恫喝する兵たちに、首領は動じることなく、血に飢えた獣のように凶暴な表情で薄笑いしながら名乗った。

「俺は、火炎夜叉(かえんやしゃ)の火袋だ! この世にのさばるおまえら悪鬼どもを、退治しにきたのさ!」

 

 火炎夜叉の二つ名を持つ首領――その前身は、四年前、加賀の守護、富樫政親の家臣である醍醐景光に攻め滅ぼされたまほろ村の火袋だった。

 まほろ村の村人たちは、そのほとんどが殺され、捕らえられた若い女や子供は、人買いに売られた。

 辛うじて逃げて生き延びたのは、老若男女合わせて百人ばかり。これだけの数の人間がまとまって焼け出されても、誰も助けてくれはしない。他の村も、まほろ村と同じくらい貧しかったから、よそ者の面倒を見る余裕はなかったのだ。

 生きるためには、食べ物を求めて、ただ流離うしかなかった。

 流離いの中で、故郷を追われた一団は、理由は様々だが、その数を減らしていった。

 焼き討ちの際に負った傷が治らずに、落命した者。

 持病が悪化して命尽きた者。

 食べるものがなくて餓死した者。

 冬の寒さに凍え死んだ者。

 明日に希望を見いだせず、自ら命を絶った者。

 我と我が身が生き延びるために、自ら袂を分かって去った者……

 最終的に残ったのは、半分にも満たない。

 このままでは全滅する。

 惨めな暮らしから脱するために、生き延びるために、野盗になるしかなかった。

 野盗となっても、貧しい民百姓からは盗らず、狙うのは武家屋敷ばかりだった。

 まほろ村の者たちにとって、一番憎いのは村を攻め滅ぼした景光と、その主人である富樫政親。そして、自分たちの都合で勝手な理由で戦をし、民百姓に迷惑かける侍全てだ。

 自分たちは大事な物を侍に盗られた。盗るのなら、盗った相手から盗る。

家族を殺され、故郷を、家を、田畑を無くし、誰に頼ることもできない者たちが、恨みと憎しみと悲しみと貧しさの末に出した結論が、これだった。

 いつしか金目の物を奪い、人を殺すことに何の抵抗も無くなっていった。

 そうして火袋を首領とした野盗の一団は、四年たった今では、加賀中に名を知られ、恐れられるようになった。

 

「火炎夜叉?」

「ひっ、火袋?」

「あの野盗の!」

 火袋の名を聞いて、侍たちが怯んだ。その隙をついて、火袋は馬から降りるや、白刃を閃かせた。

 健気に火袋に向かって来た若い侍の左肩から腹にかけて、斜めに斬った。

 驚愕の表情で、若侍が崩れ倒れる。すかさず火袋は、若侍の後方の侍の胸を突く。心の臓を貫かれた侍は、刀が引き抜かれたと同時に、同輩の亡骸の上に倒れた。二人の血が混じり合い、地面を濡らす。

「うわあああぁつ」

 怒号と悲鳴――野盗と侍、どちらからともなく上がった。

 それが合図だった。

 戦いが始まった。いいや、虐殺だ。

 野盗たちは、火袋に言われたとおり、女子供には手出しをせず、近隣の村から雇われた下男たちは、見逃した。

 だが、侍には、勇猛果敢に立ち向かった者も、命惜しさに逃げ出す者も関係なく、容赦しなかった。

 恰幅の良い体に黒装束を纏い、両手に握った刀を振るうたびに鼻から下に伸びた二股の黒髭が揺れるのは、黒阿修羅(くろあしゅら)の豊作。火袋の右腕で、野盗の副首領だ。

 細身の体で、獲物を狙う獣のように素早く動き回り、にたにたと笑みを浮かべながら人を斬るのは、火袋の一の弟分、鼬(いたち)の斎吾。

 逞しい腕で槍を操り、一度に三人もの侍を串刺しにしたのは、百舌鳥(もず)の力蔵(りきぞう)。

 両刃の大剣を軽々と振り回し、草を薙ぎ払うように侍を斬殺する若者は、野盗の中で一番若い十八歳、草薙ぎの竜木(たつき)。

 他の野盗たちも、牙を剥いた獣のごとく、暴れまくる。

 恐怖と断末魔の悲鳴が絶えることなく響く。

 闇の中で刀がぶつかり合う音が響き、火花が飛ぶ。刀で斬られ、槍で突かれ、金棒で殴られた侍たちの死骸が、ごろごろと転がる。血の匂いが充満し、野盗たちの凶暴な心を煽った。

 土足で屋敷の中に入り込むと、男たちの怒号と、女たちの甲高い悲鳴と泣き声が、ますます大きくなる。

「おらおらおら! おまえらが盗っていったお宝返しやがれ!」

「俺たちから年貢を搾り取って、自分たちはいい生活たぁ、盗人猛々しいとはこのことだ!」

「返してもらうぜ!」

 返せ、返せと叫びながら、部屋の棚や箱にしまってある貨幣や絹の衣、宝石、目についた品物は、手あたり次第奪っていく野盗たち。

「お、いい女だな」

「嫌―っ! 助けて―っ!」

 野盗の一人が、逃げ遅れた若い侍女の腕を掴んで引き寄せた。

「よせ!」

 すかさず火袋が怒鳴りつけ、狼藉を働こうとした手下を、問答無用で張り倒した。手加減ない張り手に、手下の体格のいい体が部屋の奥の方まで吹っ飛ぶ。

「女子供には手を出すなと言っただろう! 権六(ごんろく)!」

「お、お頭――すんません。もうしません。許してください」

 打たれた頬を摩りながら、権六は平謝りした。だが、火袋の激怒はすさまじく、抜身の刀の切っ先が、権六に向けられた。普段の火袋は、大らかで細かいことにこだわらないが、掟を破った者には容赦ない。以前も女を手籠めにした手下が、火袋に問答無用で斬り殺されたことがあった。

このままでは、殺される――権六の恐怖が頂点に達した時、

「お頭、後で俺がきつく言っておきますから、許してやってくださいよ――」

 向こうの部屋からやって来た斎吾が、火袋をなだめた。

 一の弟分の言うこととはいえ、火袋は、はいそうですかと言わなかった。

「見逃すわけにはいかねぇ。おふくろを、女房を、娘を、姉を、妹を侍どもにさらわれ、嬲り者にされた俺たちが、女子供に手を出すなんざ、下の下の下だ! たとえ野盗に落ちぶれたとしても、やっちゃあいけねぇことなんだ!」

「これで本当にやっちまっていたら、お頭が手出す前に、俺が権六のことぶっ殺してまさぁ。だけど、ちょいと女の腕を掴んだだけで殺していたら、仲間は一人もいなくなっちまう。権六も独りもんだから、つい魔が差しただけだ。嫁でも貰えば、こんな真似しねぇよ」

「そ、そうです! だから、勘弁してください、お頭!」

 怒鳴りながら怒りを募らせる火袋だったが、斎吾の言い分に耳を傾ける理性はあった。

 斎吾の言い分も一理ある。

 斎吾の仲裁と、顔を青ざめながら必死に謝罪する権六に、先程よりは冷静になった火袋は、ちっと舌打ちし、

「次はないぞ」

 と言い捨てた。そして、部屋の隅で震えている女に早く行けと声をかけ、その場を去った。

 女は見逃してもらえると理解すると、脱兎のごとく部屋を飛び出した。

 部屋には権六と、斎吾だけが残された。命拾いし、ほっと安堵の息を吐く権六だが、その顔には不満の表情が浮かんでいた。

 そして、斎吾の目にも……

 

「た……た……助けてくれ! 助けて……」

 乱闘の中、一人の男が喚きながら屋敷から庭に飛び出してきた。髷は解けて髪はばらばら、小袖は乱れ、袴は脱げてしまっている。

 乱闘の最中、刀は折れた。それなりに武術の心得があるといっても、刀を失っては、めちゃくちゃ暴れまくる野盗にはかなわない。

 主君の東名新兵衛は、妻子とともにさっさと屋敷から逃げ出した。残っているのは家臣だけ。助けが来るまで主不在の屋敷を守るほどの忠義心は――ない。

 命あっての物種だ。這うように逃げる男の前に、頭巾を被った野盗が立ち塞がった。

 頭巾から覗く冷たい目が、侍を見下ろす。

「こ、殺さないでくれ!」

  刀を構えた頭巾の野盗に、男は神仏に祈るように両手を合わせ、哀れな声を出しながら命乞いした。

「頼む。お願い申す! わしは、まだ死にたくない! わしには家内と二人の子供が待っている……死ぬわけにはいかないんだ! 子供は、まだ十にもならないんだ! 命だけは、お助けください。お助けくだされば、この檜垣絃十郎(ひがきげんじゅうろう)、必ずご恩返しいたします! わしも……家内も、子供たちも……きっと、あなたのご恩は忘れません。だから……」

 地面に手をついて頭を下げて命乞いを続ける男に、

「わたしの子供も、十にもなっていなかった……!」

 頭巾の野盗は、絞り出すように呟いた。

 その声は、女の声だった。

 頭巾の野盗が男だと思っていた男は、驚いて顔を上げる。

 頭巾から覗く黒く濡れたような両目は、強い炎に揺れていた。

 深く怨み、強く憎み、熱い怒りの眼差しに、男の体は凍り付いた。

「わたしの娘は、まだ五つだったのに、殺された……」

 頭巾の野盗は、一歩踏み出した。

 逃げねば――男は尻をついたまま後ずさりしようとした。でも、足に力が入らない。動けない。立てない。

 沸き上がる恐怖が男の全身から力を奪っていた。こんなに凄まじい殺気を、憎悪をぶつけられたことなど、戦場でもなかったから。

  男は上ずった声で、必死に叫んだ。

「あ、あなたの子を殺したのは、私じゃない!」

 そう、この頭巾の野盗とは、初めて会った。だから、恨まれる筋合いはないのだが、

「同じだ!」

 頭巾の野盗は聞く耳を持たない。

「娘だけじゃない、わたしのおっかさんも、兄弟も……おまえたち侍に殺されたんだ!」

 絶叫と共に、頭巾の野盗は刀を振り下ろした。

 白銀の刃がきれいな光の弧を描く。

「うわああっ! お綾(あや)! 玲瓏丸(れいろうまる)! 蜜王丸(みつおうまる)!」

 妻子の名を呼ぶ男の首に、刃が喰い込んだ。

 肉を斬り、骨を断つ音が鈍く響き、

 

 ごろん――

 

 地面に重たい音がした。

 斬り落とされた侍の首が、地面に落ちて転がっていった。悲しみと無念の入り交じった表情を浮かべる首。その目には、血の涙が滲んでいた。

  首を失った胴体は、切断面から勢いよく血飛沫を上げながら前に倒れた。

 

 襲撃から半刻もたたぬうちに、屋敷のあちらこちらから火の手が上がった。

 屋敷の灯火が倒れたせいなのか、それとも野盗が放火したのか。

 真っ赤な炎が真昼のように辺りを照らし、黒い煙が竜の如く夜空に昇っていく。

「さあ、引き上げるぞ」

 米や金目の物などを奪うと、野盗たちは紅蓮の炎に背を向けて、夜の闇の奥へと消えていった。屋敷の女子供、下男たちも、我先へと逃げ出す。

 燃え上がる屋敷に残ったのは、物言わぬ骸だけ。

 惨劇の起きた地上を見下ろす月は、笑っていた。

 

 

 深雪野の人里離れた山奥の谷間に、木々を切り開いて建てた小屋があった。

 地面を少し掘り下げて柱を立て、壁のない、茅葺きの屋根を乗せただけの小屋だ。

 小屋は、あちこちに三十軒ほど建っていた。小屋の前では、子供たちが鬼ごっこや石けりをして遊んでいる。無邪気な笑い声が、小さな集落に響く。

 そろそろ日が沈みかけ、西の空が茜色に染まり始めた頃、どこからか歌声が聞こえた。

 

  ひとつ摘んでは父のため

  ふたつ摘んでは母のため

  みっつ恋しいあの人に

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

 明るく、朗らかで、元気な澄んだ歌声は、集落の上空の方から聞こえてくる。

 高く伸びた木の上に、歌声の主はいた。

 枝に座って失われたまほろ村の子守歌を歌っているのは、四、五歳の子供だった。

 膝までの丈の短い麻の小袖を纏い、長く伸びた髪を頭のてっぺんで結わき、前髪を額に垂らしているので、可愛い顔立ちがより引き立っている。だけど、黒い大きな目は、やんちゃ坊主であることを物語っている。

 

  なぜに血の色 曼殊沙華

  天に在りては白き花

  地に在りては赤き花

  ほんに不思議な花の色

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

 足をぶらぶらさせながら、子守歌を歌っていた男の子は、木々の向こうに見える山道を見つめていた。

 彼は待っているのだ。この世で一番好きな人たちが帰ってくるのを。

 

  闇路を照らす 曼珠沙華

  これよりいづこへ参るのか

  奈落の底か まほろばか

  行ってみなけりゃ わかりゃせぬ

  摘んでゆこかな……

 

 おしまいまで歌い終わる前に、男の子は歌うのを止めた。遠くにちら、と動く影を見たからだ。目を凝らし、影が近づくのを見つめる。影はひとつふたつではない。群れだ。そして、集落に通じる山道を走るのが、騎馬の一団だとわかるや、男の子は満面に笑みを浮かべ、小猿のようにするすると木の幹を伝って降りた。

 軽やかに地面に着地し、

「おーい! みんな! おとっちゃんたちが帰ってきたぞー!」

 遊んでいた子供たちや、小屋に向かって叫ぶ。

「ほんと?」

「うわぁーい!」

「おとっちゃんが帰ってきた!」

 子供たちが歓声を上げる。

 夕餉の支度をしていた女たちや、のんびりくつろいでいた老人たちも、呼びかけに小屋から出てきた。

「ほんとかい、篝火(かがりび)!」

 小屋から出てきた一人――十六、七の若い娘が、よほど驚いたのか、黒い大きな眼を見開き、夕餉の支度に持っていた木のしゃもじを右手に握ったままだ。

「ほんとだよ、美葛(みくず)ねえちゃん。おとっちゃんたちの馬が、見えたんだ」

 そう答えると、男の子――篝火は出迎えの為に、広場のある方へと向かって駆けて行った。

「おれたちも行こう!」

 篝火の後を追うように、子供たちも走った。

「竜木……やっと帰ってきた」

 美葛も微笑んで、しゃもじを放り投げて走り出した。

 皆が揃って出迎えるのは、昨夜、麓の東名新兵衛の屋敷を襲った野盗火袋の一味。

 この者たちは、まほろ村の生き残りで、野盗の家族だ。

 ここは野盗たちの隠れ里だった。男たちが野盗稼業をしている間、女子供や年寄りが待つ場所として、樵や猟師さえ近づかない深い山の奥に、小屋を建て、去年から住み着いていた。

 留守番をしていた者たちが広場に来ると、既に野盗たちが馬で帰還していた。武家屋敷から奪った金銀財宝、絹の反物などを馬から降ろし始めている。

「おかえり! おとっちゃん! おっかちゃん!」

 馬から降りてきた火袋と頭巾の女に、真っ先に駆け寄ったのは、篝火だった。

「おう、篝火。帰ったぞ」

 火袋はその大きな掌で、篝火の頭をがしがしと乱暴に撫でた。髪がくしゃくしゃになりながらも篝火は嬉しそうに笑う。

「ただいま、篝火。いい子にしてたかい? おばばさまの言うこと、ちゃんと聞いていた?」

 女は頭巾をとった。火袋の女房、お自夜の顔が現れた。昨夜、命乞いをした侍の首を無慈悲にはねたとは思えないほど、優しく慈愛に満ちた眼差しでお自夜は篝火を抱きしめる。

「してたさぁ、おっかちゃん」

 篝火は大威張りで母に報告する。

 

 月が血の色に染まった四年前の八月十五夜の夜、篝火はお自夜が絶望と悲しみの中で産み落とした子だ。

 姉娘は、雑兵にさらわれて助けることもかなわず、行方知れずになった。

 妹娘は、祖母と共に無残に殺された。

 だから、たった一人残った我が子を、火袋もお自夜も愛おしんでいた。篝火がいなかったら、絶望のあまり死んでしまっていたかもしれない。

 この子を守るためだったら、盗賊だろうが人殺しだろうが、なんにでもなってみせる――

 強い決意が、善良な百姓だった火袋を野盗の首領にし、優しい女だったお自夜を、人を殺すことを厭わぬ夜叉にした。

 

 篝火と同じように、子供たちは父を、女たちは夫を、恋人を出迎える。

 

「ただいま、お駒(こま)、力弥(りきや)」

「おかえりなさい、おまえさん。無事でよかった」

「おとっちゃん、おかえり!」

 土産を手にした力蔵を、女房のお駒は安堵の表情で、六歳の息子の力弥は満面の笑みで迎える。

「ほら、お駒。この反物で一張羅でもでも縫いな。力弥、土産は菓子だぞ。うますぎて頬っぺた落ちないようにな」

「うわぁ。おとっちゃん、ありがと!」

 

 威風堂々と馬から降りてきた竜木を、美葛は眩しそうに見つめていた。だが、目が合った途端、竜木がにやりと笑ったので、はっと頬を赤らめ、ぷいと横を向いた。

「ずいぶん遅かったのね。下手をしたんじゃないかと思ったわ」

 無事に帰ってきた恋人に、嬉しいけれど素直になれない。美葛は憎まれ口を叩く。そんな美葛に、竜木は笑って言う。

「そんなわけないだろ、美葛――俺を誰だと思っている? 草薙ぎの竜木さまだぜ」

「はっ――それより、獲物はどうだったの?」

「昨夜の獲物は、代官の弟の屋敷だったから、随分貯めこんでいた。ごっそりお宝頂いてきたぜ。おまえに似あいそうな櫛、見つけた」

「見せて!」

 恋人に素直にはなれないけど、綺麗な物には弱い美葛だった。

 

「豊作おじさん、おかえりなさい!」

 女房を亡くした独り身の豊作は、子供たちの中で年長の十三歳の少年が出迎えた。豊作の姉夫婦の忘れ形見、恵太(けいた)だ。

 四年前、両親を醍醐景光の兵に殺された恵太は、同じく女房を殺され、息子をさらわれた叔父の豊作に引き取られた。姉夫婦が遺したたった一人の甥で、息子の大作と歳が近く、兄弟のように仲良しだった恵太を、豊作は慈しみ、親代わりとして育てた。恵太も、もとからあった豊作への親しみと感謝の念が強くなり、今では二人は本当の父子のようだ。

「あーくたびれた。一杯飲みてぇ。恵太、酒くれ、酒」

 昨夜の盗賊稼業で疲労困憊の豊作は、出迎えてくれた甥にさっそく酒を要求する。

「ちゃんと用意してあるよ。でも飲みすぎちゃ駄目だよ」

 恵太は苦笑しながら叔父の飲みすぎを心配する。

 

「お疲れ様です、斎吾あにき」

 親兄弟も女房子供もいない斎吾は、留守役からの出迎えに、「おう」と答えた。

「留守中、変わりはなかったか?」

「はい、あにき」

 火袋の一の弟分として、豊作に次いで信頼されている斎吾は、里の警備も任されていた。自分が留守の間の確認も怠らない。

 

 そうやって無事の帰還の喜びを、水を差すような嘆きが遮った。

「情けないねぇ。他人の物を盗んで喜んでいるとは。落ちぶれたもんだい」

 曲がった腰に、杖を突きながら憎まれ口を叩いてやって来たのは、皴だらけの顔を不愉快そうに歪ませる白髪頭の老婆だった。

 すでに七十には届こうとしている老婆は、まほろ村の最長老、くゆりだ。

「おばばさま、篝火が世話になったな」

「お世話さまでした、おばばさま」

 火袋とお自夜は、くゆりに留守の間の礼を言った。

 火袋とお自夜が留守の間、くゆりが一人になる篝火を預かっていた。年寄りが小さな子供の面倒をみるなど大変だが、殺しても死なないと言われるほど気力と丈夫さが取りえのくゆりは、親たちが忙しい時は、すすんで篝火や他の子供たちの世話を買って出ていた。

「ふん、今日も殺されずに帰ってきたかい。運がいいことだ。でも、いつか神様仏様の罰が下るよ」

 くゆりの言うことはもっともなので、火袋もお自夜も神妙な顔になる。

 だけど、若者には、年寄りの小言はたまらない。

「俺らは盗られたもん盗り返しただけだぜ、おばばさま」

 竜木がくゆりに反論する。

「盗られたもんは、盗り返す。それのどこが悪いんだ」

「そうよ、おばばさま」

 竜木の言い分に美葛が頷き、他の者たちも同意する。

「先に盗ったのは、あいつら侍なんだから」

「悪いのは、侍どもだわ」

「そうだそうだ」 

 若者たちの言い分に、くゆりは天を仰いだ。

 侍を恨む気持ちはわかる。長い人生の中で、くゆりも親兄弟を始め、亭主も、息子も、娘も、孫、曾孫、玄孫全て侍に殺されてしまった。身内を喪い、生まれ育った村さえ追い出されて、恨みがないわけではない。だからといって、野盗に落ちぶれてもいいものか。

「まったく! 他人様の物を盗ったら、罰が当たるぞ!」

 生まれた時から知っている、孫のような若者たちが悪事に手を染めることが、くゆりはどうにも我慢できない。

 しかし、生きるためと、復讐のための道を選んだ者たちに、年寄の言葉は耳に届かない。 聞いていられないとばかり、舌打ちしたり、横を向いたりする。

 なおも言い募ろうと、くゆりが口を開いた時、

「うん、おばばさま。おばばさまの言うことは、ごもっともだが、話は後にしてくれよ。わしたち、腹が減ってしかたがないんだ」

 豊作がくゆりをなだめ、

「さあ、飯だ飯だ。今夜は酒盛りだ!」

 火袋が酒盛りを宣言すると、男たちの歓声が上がった。

「やったぁ!」

「飲むぞー!」

 その声に応えるように、

「酒の用意は、できているわよ!」

「子供たち、運ぶの手伝って!」

 女たちも、支度に忙しく動き回る。

 皆、くゆりの説教から逃げるように酒盛りの準備を始めたので、くゆりは苦虫を噛み潰したように口をへの字に曲げてむくれたが、それ以上何も言わなかった。

 

 日が沈んだ広場に、薪がやぐらに組まれた。火を着けると夜空を焦がさんばかりに赤い炎が燃え上がる。

 火の周囲を皆で囲んで、遅い夕餉が始まった。

 川で採って来た鮎や山で捕まえた兎の肉を焼き、山菜の和え物、茸汁、握り飯を腹いっぱい喰う。それから男たちは酒を飲み、女子供は、武家屋敷から奪って来た珍しい菓子に舌鼓を打つ。

「おっかちゃん。うめぇな、この餅。甘いや」

 篝火はにこにこしながら、中に蜜をたっぷり包んだ餅菓子を頬張る。そんな篝火に、お自夜は嬉しそうに微笑む。

「喉に詰まるわよ。ゆっくりお食べ。たくさんあるから、慌てなくてもいいのよ」

 我が子に好きなだけ菓子を食べさせてやれる。それがお自夜にはとても嬉しい。上の二人の娘たちには、できなかったから……

 火袋も、篝火の旺盛な食欲を肴に、機嫌よく酒を飲む。

 他の親たちも、同じだ。野盗に落ちぶれたが、我が子に腹いっぱい食べさせられる今の暮らしに、まほろ村の生き残りの彼らは満足していた。

 まほろ村での暮らしは、田畑を耕し、心身を磨り減らすように働いた。

 それでも暮らしは楽ではなかった。この戦乱の世だ。何度も戦に巻き込まれては、村は焼かれ、田も畑も踏み潰された。親兄弟、子供達も虫けらみたいに殺された。

 戦に怯え、いつも腹を空かせていた頃に比べたら、今の暮らしは極楽みたいだ。

 男たちは、酒が入ってほろ酔い気分だ。とくに酒豪の豊作は、酒を飲む量が誰よりも多いので、最初に顔が真っ赤になった。

 そんな豊作の顔を指さして、篝火が笑った。

「髭のおっちゃん、赤鬼になってらぁ」

 篝火の指摘に、皆がどっと笑う。

「そうね」

「そうだな」

「黒阿修羅の豊作が、赤阿修羅の豊作になっているぞ」

 皆で笑って、笑って、もっと気分が良くなってきたところで、豊作が歌いだす。

 

  我が赤いのは酒の咎ぞ

  赤鬼と思うなよ

  怖がらずに我に馴染んでくれませば

  面白い奴と思し召せ

 

 他の者たちも、手を叩き、豊作と一緒に歌う。

 男も女も、大人も子供も、今が楽しければいいじゃないか――そんな風に、強く、したたかに、だけどどこか悲しみが垣間見える笑みで歌っていた。

 家族を奪われ、生まれ育った村も追い出され、流離った日々。

 死んでしまえばよかったと思うほど辛くても、やはり死にたくなくて、この憂き世を生きる。

 生きるのならば、楽しまねば。

 そうでなければ、生きていけないとばかりに、声を張り上げて歌う。

 

  我もそなたの姿見りゃ

  姿見りゃ

  恐ろしげなれど

  可愛い我が女房殿

 

 歌が一段落したところで、それまで黙って座って見ていた女が立ち上がり、焚き火の前に進んだ。

 女は燃え上がる炎を背に、歌い、踊り始める。

 

  遊びをせんとや生まれけん

  戯れせんとや生まれけん

  遊ぶ子供の声聞けば我が身さえこそゆるがるれ

 

 艶やかな声で歌いながら、緩やかに袖を翻して舞う女は、二十歳をひとつかふたつ超えたくらいか。日に焼けた他の女たちとは違い、手入れの怠っていない白い肌は透き通るくらい眩しく、髪は黒く濡れているようだ。三日月のように形の良い細い眉の下に、切れ長の目が艶めかしく光る。

 ちら、と誘うような眼差しを向けられた男たちは、とろんとした目で見つめ、鼻の下をだらしなく伸ばした。女房持ちは、亭主のだらしなさに怒った女房にどつかれて正気になるが、またすぐに女に見惚れる。

「何を惚けているのさ!」

 肘鉄を喰らわせたばかりなのに、また女に見惚れた竜木の腕を、美葛は思いきりつねった。

「いて、てててっ!」

 あまりの痛さに、竜木は半分涙目になり、

「侍よりも、美葛のほうが怖いよ」

 と余計なことを呟いて、平手で両頬を叩かれた。

 男たちが見惚れるのも、無理はない。

 女の美貌は、器量よしと言われるお自夜や、美葛に負けぬほどだ。

 女はまほろ村の者ではなかった。今年の春、人買い商人から火袋たちが助けた女だった。

 四年前、醍醐景光に襲われたまほろ村の者たちは、生き残った男衆を集め、山小屋に隠してあった武器を手に、さらわれた女子供たちを取り戻そうした。

 だが、富樫の軍の中でも最強を誇る醍醐景光の軍に隙は無かった。堪え切れずに、無謀にも攻撃をした者は、犬死した。

 結局、人買いに売られる女子供たちを助け出すことはできなかった。

 野盗となってからは、あちこちの町で、村で、まほろ村の者がいないか聞いて回った。時には人買い商人を襲ったが、家族を見つけることも、行方を知ることもできなかった。

 その代わり、捕まえられていた者たちが、親元や故郷に戻れる手配をしたのだが、この女一人だけが、野盗の仲間になることを望んだ。

 

「童の時、二親(ふたおや)を亡くし、人買いに売られて十年以上国を離れて、あたしには、もはや帰る家もありません。親を殺した侍が憎いです。侍と戦うあなたがたと、一緒にお連れください。」

 

 そういうことならと、火袋たちは女を受け入れた。野盗稼業を始めて四年もたつと、仲間の半分は、まほろ村以外の村の出身だった。

 侍を仇と思う者なら、誰でも仲間。

 その考えの下に、百舌鳥の力蔵一家のように戦で村を焼け出された者や、家族を殺された者らが、仲間に加わったのだ。

 女は玉虫(たまむし)と名乗った。

 それが本名なのか、誰も知らない。

 

 食べて、飲んで、歌って、踊るうちに夜も更けた。子供たちは、そろそろ眠る時間だ。父親におやすみを言って、母親に付き添われて先に小屋に帰って眠る。

 篝火もお自夜に言われて床に入ったが、横になってもすぐには眠れなかった。

 大人は皆が起きているのに、子供だという理由で寝かされるのは、つまらない。

 添い寝してくれているお自夜に、篝火は尋ねる。

「大人はいいな。おいらも早く大人になりたい。そしたら、夜も起きていてもいいし、侍をやっつけに行けるのに。ね、おっかちゃん。おいら、いつ侍やっつけに行ってもいいの?」

 侍は皆を虐める悪い奴。だからやっつけに行く。

 篝火は両親の野盗稼業をそう聞いていた。くゆりは、野盗稼業を悪いことだと言っているが、悪い奴らをやっつけるのが、どうして悪いのか、篝火にはわからない。

「駄目。もっと大きくなってから」

 もっとも、まだ幼子の篝火が野盗稼業に加わることなど、お自夜が認めるはずがない。

 それでも篝火は食い下がる。

「どのくらい大きくなったらいいの? 竜木にいちゃんくらい?」

「そうね……鬼の子を退治できるくらい……強く……大きくなったらね……」

 お自夜は静かに呟いた。

 鬼の子を退治しなければならない。

 いつの頃からか、ずっとお自夜から聞かされていること。

 何故鬼の子を退治しなければならないのか、篝火はわからなかったが、母に繰り返し聞かされてきた言葉を疑うことはなかった。

「……うん……わかった……」

 お腹いっぱいになって、そろそろ眠くなってきた篝火は、素直に頷いた。

「おやすみ、篝火」

 お自夜はそう言って話を打ち切り、静かに子守歌を歌い始めた。

 

  ひとつ摘んでは父のため

  ふたつ摘んでは母のため

  みっつ恋しいあの人に

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

 お自夜の歌声を聞きながら、篝火は眠りに落ちていった。

 

 

 子供たちが眠った後も、大人はお楽しみの時間は続く。

 歌い踊り、どんちゃん騒ぎは終わらない。

 篝火を寝かしつけたお自夜は、広場に戻って火袋の隣に座った。あまり飲みすぎないように、見張るためだ。

 案の定、火袋は大きな鉢を盃代わりに、ぐびぐびと濁り酒を飲んでいた。

 その隣に、存分に歌って踊って、酔いが回った斎吾が、足を伸ばしてぺたんと座る。

「あーいい気分だ、お頭」

「なんだ、斎吾。もう降参か」

「まだまだ」

「よーし、なら飲め」

 火袋は持っていた鉢を斎吾に渡し、酌をしてやる。

「おっとっと」

 たっぷりと注がれた酒が零れないように鉢を両手で持ちながら、斎吾は口元に運び、ぐいっと一気に飲み干す。

「いい飲みっぷりだ」

「お頭もどうぞ」

 斎吾も鉢を返して、火袋に酌をする。

 喉を鳴らして火袋が酒を飲み干したところで、斎吾が呟いた。

「お頭……ぼつぼつ心を決めたらどうで?」

 いつもは飄々とした喋り方をする斎吾が、真面目な声で言うので、火袋は目を丸くした。

「心を決める? どういうことだ?」

 心はとっくに決まっている。侍を倒し、民百姓が暮らせる国を作る。四年前に決めたことだった。何を今さらと、火袋が訝しく思うと、斎吾はじれったそうに言った。

「こんな野盗なんかでくすぶっちゃいねぇで、天下をとる気になったらどうなんで……」

「何?」

「お頭なら、天下をとれる力も度胸もある。なのに、いつまでも野盗のままでいいんですかい?」

「それは、おめぇ……俺に侍になれってことか?」

 斎吾の言葉に、即座に抗議したのはお自夜だった。

「何を言うの、斎吾!」

 お自夜の声に驚いて、歌が止み、踊っていた皆の動きが止まる。広間はしん、と静かになった。何事かと、お自夜の方に注目が集まる。

「おまえって、昔のことを忘れたの? 皆みじめで、苦しかった頃のことを……」

 お自夜は皆の注目に気づかず、わなわなと体を震わせながら、信じられないといった表情で、斎吾に言い募る。

「わたしは覚えている。あんたのおっかさまや、わたしのおっかさん、蛍火、下枝さん、皆がむごい殺され方をされたかを……」

 目を閉じれば、お自夜は思い出す。愛しい人たちの死に顔を。

「う……ううっ……」

 お自夜の言葉に、豊作が真っ先に涙をこぼした。酔っているから余計涙もろくなっているわけではない。豊作は素面の時も、殺された女房を思うと、泣かずにはいられないのだ。

「……おっかさん……ねえちゃん……」

 竜木も母と姉を思い出して俯いた。竜木も四年前、まほろ村が襲われた際、母と姉を殺された。

 美葛は涙をこぼさないように、顔を上げて夜空を見上げる。親兄弟皆殺しにされた悲しさを、歯を食いしばり、両手を握りしめてこらえた。

 両手で口元を抑え、身を震わせるお駒を、力蔵は優しく肩を抱いた。

 まほろ村の出身の者も、そうでない者も、侍に殺された家族を思って悲しみと怒りを必死にこらえていた……

 母親のことを言われて、斎吾も一瞬だけ顔を強張らせた。だが、すぐに何でもない顔になって、呑気な声で言った。

「もう忘れてしまいましたなあ……姐さん」

 責めるような眼差しのお自夜を横目に、斎吾は盃を傾ける。

 あまりの無情さに、四年前、母親の亡骸にすがって泣いていた男だとは、思えない。息子がこれでは、斎吾の母親は草葉の陰で泣いているだろう。お自夜はあきれて涙も出ない。

「なさけないねぇ。あの頃、何度戦に巻き込まれて、侍たちにひどい仕打ちをされたか……覚えてないの? 村は焼かれるし、田も畑も踏みつぶされるし……わたしたちは逃げ回るだけだったわ。このままでは皆死んでしまう、何とか生きのびなくちゃ、村を取り戻さなくちゃと、皆で立ち上がって、誓ったんじゃないの。侍と戦うって……皆、侍を憎んだわ。仇だもの……だから、わたしたちと同じように、侍に生まれた村から追い出された力蔵さんたちが、仲間になってくれた。なのに、おまえはおっかさまのことも、村のことも、もう心の中にないのね」

「悲しむな、お自夜。俺たちの初めの気持ちは変わらねぇよ。なあ、斎吾?」

 嘆くお自夜を慰め、火袋は斎吾に同意を求めるが、斎吾はつまらなそうに舌打ちする。

「姐さん、いつまでも泣いていたって、仕方ないでしょうが――お頭も、古い考えは捨てて、これからは、侍と手を組んで、出世しなきゃあ……」

「やかましい!」

 斎吾の言葉に、とうとう火袋は怒りを爆発させた。

 火袋は持っていた鉢を斎吾に投げつけた。斎吾が避けて地面に落ちた鉢が、大きな音を立てて割れる。

 火袋は斎吾の襟元を掴み、引き寄せた。

「もう一度言ってみろ! 斎吾っ! 侍と手を組むだと? ふざけるな! この恥知らずめっ。二度とそんなことを言ってみろ。その口に刀をぶち込んでやるぞ!」

「何度でも言いますわ! 侍と組んで、出世するべきだ! 死ぬまで野盗なんざ、俺はごめんだ!」

「何をっ!」

 火袋は、野盗に落ちぶれた身を恥じてはいなかった。他人の物を盗み、刀を振り回しても、百姓には手を出さない、襲うのは武家屋敷だけと決めているのも、初めの頃の気持ちが変わっていないからだ。

 火袋の心根を、民百姓は知っていた。だから、野盗といえども、火袋を恐れてはいなかった。むしろ、横暴な侍を懲らしめてくれている恩人と、崇めているくらいだった。

 生きるためだけではなく、人々の支持があるから、火袋は野盗をしていられる。ここに集う仲間は、自分と同じ志を持っていると思っていた。なのに、他でもない、弟分の斎吾が、出世のために侍と手を組めという――

 信じられない思いが火袋の胸に広がる。

(こいつは誰だ? 本当に斎吾なのか? 斎吾にそっくりの誰かなのか?)

 子供の頃からの可愛い弟分、頼りになる仲間だったはずの斎吾。

 しかし、今火袋の前にいるのは、火袋とは違う考えを持つ――敵か?

 火袋の憤怒の眼差しに、斎吾は目をそらさずに睨み返す。

「この大馬鹿野郎っ!」

 火袋の拳が斎吾の頬を殴った。斎吾の右頬が赤く腫れ、唇の端から血が滲む。殴られて頭がくらくらしているはずだが、怯まず、斎吾も火袋に掴みかかる。

「やめて、あんた! 斎吾!」

 お自夜の静止も聞かず、火袋と斎吾は取っ組み合いの殴り合いを始める。それまで息を飲んで見守っていた女たちの喉から、悲鳴が上がる。いつになく激怒している火袋と、本気で火袋に反抗している斎吾に、度肝を抜かれて男たちは唖然とする。

 しかし、殴り合いのあまりの激しさに、これはただ事ではないと、豊作が割って入り、力自慢の力蔵と竜木が二人を引き剥がしにかかった。

「二人とも、やめろ!」

「斎吾、やめるんだ!」

「落ち着いてください、お頭!」

 ようやく火袋と斎吾を引き離すことに成功したが、二人はおとなしくならない。渾身の力で押さえつけていないと、また殴り合いをしかねない。

 歯をむき出し、目をぎらぎら見開いて、火袋と斎吾は睨みあったままだ。

「ああ……どうしよう……」

 お自夜たちを始め、誰もがおろおろとしている中、一人くゆりだけ冷静だった。

「美葛、桶に水を汲んでおいで」

「は、はい!」

 水瓶から桶に水を汲んできた美葛は、それからくゆりに言われたとおりに行動した――

 

 ぎりぎりと歯ぎしりをし、燃えるような目で互いを睨みあう火袋と斎吾。

 そんな二人に、文字通り水が差された。

「うわっ!」

「つ、冷てぇ!」

「酒じゃねぇのかよ」

「水だぁ」

「ひでーよぉ、美葛ぅ」

 対峙していた火袋と斎吾に、美葛は桶の水を思いっきりぶちまけたのだ。

 頭から水をかけられて、火袋も斎吾も全身びしょびしょだ。巻き添えで、豊作と力蔵と竜木も、濡れ鼠となる。

「頭を冷やしな、小僧ども」

 くゆりは世間では恐れられている野盗の火袋たちを、幼子に対するように一喝する。

「喧嘩するなら、素面でおやり。さあ、帰って着替えな」

 濡れて冷たいし寒い上に、最長老のくゆりの命令に、誰も逆らえない。

「さあ、帰るわよ、あんた。濡れたまんまじゃ風邪ひくわ」

 すかさずお自夜は火袋の腕を引っ張って、帰宅を促す。

 火袋はまだ斎吾に言いたいことがあったが、寒いのと、酔いも醒めていたので、おとなしくお自夜に従って、広場を後にした。

「う~冷たい」

「あんたも着替えなくちゃ――」

「あーあ、ひでぇ目にあった」

「ごめんね、竜木」

 力蔵も竜木も、それぞれ女房恋人に連れられて、着替えに帰った。

「ああ、すっかり酔いが醒めちまった。飲み直すか」

 豊作は焚き火の近くに寄って、濡れた小袖を乾かしながら酒を飲もうとしたが、くゆりに叱られた。

「おまえも家にお帰り! 恵太は、きっと寝ないで待っているんだから。叔父思いの孝行者を、心配させちゃいけないよ!」

 杖でぺしぺしと尻をひっぱたかれて、豊作は「わかった、帰る。帰るよ!」と、逃げるように帰って行った。

「斎吾――」

 おまえも家に帰れとくゆりが振り返った時、すでに斎吾の姿は広場から消えていた。

 焚き火の炎は変わらず紅蓮に燃え上がり、残った者たちはまだ不安げな表情を浮かべていた。

 ただ一人、玉虫だけが舌で唇をぺろりと舐めると、微笑んだ。

 その微笑みは、獲物を見つけた獣に似ていた。

 

 

「おお、いてぇ……馬鹿力で殴りやがって、お頭のやつ……」

 自分の小屋に戻った斎吾は、濡れた小袖を脱ぎ、手拭いで体を拭きながら、ここにはいない火袋を罵倒する。

「せっかくの力を使わずにして、なにが火炎夜叉だ。宝の持ち腐れだ」

 しゃべると切れた口の中が痛い。殴られた頬も、冷やさなければ腫れたままだ。水を汲んで手拭いを濡らそうと思った時、小屋の入り口に人の気配がした。

 振り返ると、入り口には女の影が見えた。

 立っていたのは、玉虫だった。小屋の中の灯台に照らされて、不思議と輝いて見える女の立ち姿に、斎吾は思わず見惚れた。

「斎吾さん、大丈夫? ずいぶんひどく殴られたけど」

優しい、甘い声で囁きながら中に入って来た玉虫に、斎吾は戸惑った。玉虫は斎吾と特に親しいわけではないのに、どうして来たんだ?

美形の玉虫に言い寄る男は多い。しかし、玉虫は誰の女房恋人になってはいない。誰のものにもならないが、気に入った男とは、誰でも寝る。

 独り者ならともかく、女房持ちとも寝たとか寝ないとか――そんな話が絶えない。

 だから、玉虫に対する女たちの評判は、すこぶる悪い。

 女の美貌に興味がないわけではなかったが、斎吾は玉虫を口説こうとも、親しくなろうとも思わなかった。この女は危険だと、初めて会ったときから感じていたから。

 警戒する斎吾の頬に、玉虫は両手で触れた。女の細く滑らかな手は、冷たくて腫れた頬に心地よかった。

「お頭もひどいわ。こんなに殴らなくてもいいじゃない。斎吾さんは、お頭や皆の為を思って言ったのに……」

 玉虫の言葉に、斎吾は驚きと共に、喜びが沸き上がった。

「わかってくれるか、玉虫」

 玉虫が微笑みながら頷く。

「お頭の志は立派だけれど、野盗は野盗よ。今日は無事でも、明日はどうなるか……」

 俺と同じ考えだ――

 そう感じた瞬間、斎吾の中から玉虫への警戒も不信もどこかに吹き飛んでしまった。

「そうだ。いくら綺麗ごとを言ったって、このままじゃ、ただのお尋ね者だ。役人に捕まったら、牢にぶち込まれるだけじゃねぇ、処刑される。そんなの、俺は嫌だ!」

 熱く語る斎吾の胸に、玉虫はしな垂れかかった。

 その時、灯台の油が切れたのか、ふっと灯火が消えた。

 暗闇の中で、甘い匂いのする女の肉の柔らかさを衣越しに感じ、斎吾の体が熱くなる。

「何とかお頭を説得しないと……」

 熱に浮かされて、斎吾はうわごとのように呟いた。醒めたと思っていた酒の酔いが、まだ残っていたのか、それとも獣の欲が目覚めたのか、斎吾にはわからない。

 そんな斎吾の耳に花びらのような唇を寄せて、玉虫が囁く。

「それよりも……ねぇ……斎吾さんがお頭になったほうが……うまくいくんじゃない?」

 女の囁きは、甘くて、心地よくて、斎吾は抗うことなどできなかった。

 

 

 翌朝、斎吾は火袋に謝罪した。

「頭を冷やして一晩考えた。俺が間違っていた。お頭、すまなかった」

 率直な謝罪に、火袋も怒りを鎮めた。

 火袋と斎吾は和解した。

 誰もがそう思い、穏やかな日々が過ぎた。

 

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