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2019年4月19日 (金)

どろろ百鬼繚乱草紙 まれびとの章12

   無残帳の巻中編


 長月も十五日になった。
 東名新兵衛の屋敷を襲ってから十日余り。盗品を金に変えるためと、偵察もかねて、火袋は斎吾と十三名ほどの部下を麓の町に送り出した。
 その中に玉虫もいた。
 商人の家で働かされたことがあるという玉虫は、物の真贋を見極めることができた。
 玉虫の見立てで、商人に安値で買い叩かれていたものが、一見すると地味でも、実は値打ち物であったことがわかった。以来、盗品の売買をする際は、商人との交渉役に玉虫も同行することになったのだ。
 残った女たちは、くゆりの家の周りに集まって、先月摘んだ曼殊沙華の花びらで染めた糸で、髪を飾る紐を編んでいる。
「ああ、やっぱり村で染めたようにはいかないねぇ」
 くゆりは手にした糸の染まり具合に、溜め息をついた。
 まほろ村で染めていた頃は、燃えるように鮮やかな紅だが、今年出来上がった糸は、桜の花びらのように淡い紅だ。
「しかたないわ、おばばさま」
「曼殊沙華の花、少ししか咲いてなかったから、とても村にいた頃みたいな色には染まらないわ」
「来年は、もっとたくさん摘みましょう。そしたら、濃い色に染まるわ」
 女たちは口々にくゆりを慰める。
 村を出てからこの隠れ里に腰を落ち着けるまで、曼殊沙華の花びら染めをする余裕などなかった。
 今年は山に咲いていた曼珠沙華の花を摘み、五年ぶりにまほろ村の特産である花びら染めをすることができた。花びらの量が少なくて、思ったような濃さに糸は染まらなかったが、まほろ村の女たちは、皆嬉しくてたまらない。
「一本だと薄い色だけど、編んだら濃く見えるわ。きれいねぇ」
 他の村の出身のお駒は、初めて曼殊沙華の花びら染めの糸で紐を編んで、感嘆の声を漏らした。
「ほんと。きれい」
「きれいきれい」
 幼い子も、村が襲われた時は赤子だったから、お駒同様、編みたての曼殊沙華の花びら染めに目を輝かせ、はしゃいだ。
「今年は五つのお祝いできるわね。今までお祝いできなかった子の分も、編んであげるわ」
 お自夜は女の子たちに微笑んだ。
 まほろ村の女の子は、五歳の年の秋に成長を祝って曼殊沙華の花びら染めの組み紐で髪を結う。だが、四年前に醍醐景光によって村を追い出されて、流離う日々では、とても曼殊沙華の花びら染めで紐を作り、髪を飾って祝うことができなかった。
 五歳の祝いをしてもらえなかった女の子たちは、母や姉のような美しい紐で髪を結わけることに、嬉しい悲鳴をあげた。
「ほんと? 嬉しい!」
「ありがとう、おばさん!」
「おねぇちゃんたちと、お揃いね!」
「さあ、編むわよ」
 美葛は張り切って花びら染めの紐を持っていない妹分の女の子たちのために、紐を編み始めた。
 他の女たちも、丁寧に、心を込めて紐を編む。

 

 女たちがせっせと紐を編んでいる一方、男衆は、のんびり秋の昼下がりを過ごしていた。
 家で昼寝している者、双六に興ずる者、相撲をとる者、それぞれだ。
 火袋と豊作は、切り株に座り、山で採ってきたあけびの実を食べながら、広間で男の子たちが竜木に剣の稽古をつけてもらっているのを眺めていた。
 今、竜木と木刀を交えているのは、恵太だ。両手でしっかり木刀を握りしめ、右に、左にと竜木に打ち込む。
 一方、竜木は右手だけで木刀を握り、余裕で受け止める。
 かーん、かーんと打ち合う音が響き合う。
「がんばれー恵太!」
「竜木にいちゃん、負けるなー」
 子供たちの元気な応援の声が隠れ里に響く。
 火袋と豊作は、子供たちの成長に目を細めながら、あけびをひとつ、ふたつと食べる。
「なあ、火袋」
「なんだ、豊作」
 最後のあけびの果実を口に含んで、たっぷり甘い汁を吸ってから種をぷっと吐き出すと、豊作はこの数日の思いを吐露した。
「斎吾のことなんだが……本当に、考え直したと思うか?」
 侍と手を組むべきだ――酒盛りの夜、そう言った斎吾の強い眼差し。あれは本気の目だった。だから、翌朝あっさり自分の考えを翻して、火袋に謝罪した斎吾に豊作は不信を抱いた。
「斎吾はたった一晩で考えを変えるくらいの、軽い考えで言ったとは思わねぇ。あいつは、諦めていねぇよ」
 火袋もあけびの実の種を吐き出して、言った。
「俺は……信じてぇ。斎吾は昔からの弟分で……仲間だ」
「だがよ……火袋……」
 弟分を、仲間を信じたい火袋の思いはわかるが、子供の頃から知っているからこそ、豊作は斎吾に対する警戒心と漠然とした予感を消すことができない。
 豊作は声を潜めて提案した。
「……白骨岬(はっこつみさき)のあれ――場所を変えたらどうだ? 篝火に痛い思いさせちまったのに、すまないが……いずれ斎吾も勘づくだろう。今、あいつに知られるのは、まずい」
「そうだな。今度、勇魚(いさな)とも相談しよう……」
 豊作の提案を、火袋は拒否しなかった。
 二人だけの相談がまとまった時、
「やあぁっ!」
 恵太の気合の籠った剣が、竜木の木刀を叩き落とした。
「やった……!」
「参った、恵太」
 恵太に一本取られた竜木は、潔く負けを認めた。
「恵太、すげぇや!」
「恵太にいちゃんが、竜木にいちゃんに勝った!」
 子供たちが二人を取り囲んで、称賛の声を上げる。
「強くなったな、恵太」
「よくやった」
 火袋も豊作も、恵太の成長を頼もしく思って微笑み、感嘆の声を漏らした
「ね、おじさんたち! 今度は俺も仕事に連れてって!」
 恵太は火袋と豊作の元に駆け寄ると、野盗の仕事を手伝わせてほしいと懇願した。
 だが、豊作は首を振って反対する。
「駄目だ駄目だ。おめえはまだ十三じゃねぇ」
「竜木にいちゃんが初めて仕事したのは、十四だったよ。俺といくらも変わらないじゃないか。それに、竜木にいちゃんに勝てるようになったら、一緒に仕事に連れて行ってくれるって、豊作おじさん言ったじゃないか」
「一回ぐらい竜木に勝ったからって、自惚れるんじゃねぇ。竜木は手加減していたんだぞ。それに、木刀での勝負なんざ、お遊びだ。真剣で命のやり取りしたことのない小童が一緒じゃ、足手まといだ」
「そんな!」
 叔父と甥の言い合いに、火袋は静かに言った。
「俺たちが留守の間、誰が皆を守るんだ?」
 火袋は諭すように恵太に告げる。
「おまえは強くなった。だからこそ、留守を任せられる。おまえが女子供たちを守らなくて、誰が守るんだ? 外に出て侍どもと戦うだけが、仕事じゃねぇ。女子供たちを守ることも、大事な仕事だ。恵太、わかるな?」
「……はい」
 火袋の説得に、恵太は素直に頷いた。
「さあ、次は誰だ? かかってこい!」
 話が着いたところで、竜木が子供たちに呼びかける。
「よーし、竜木にいちゃん、勝負だ!」
 篝火が小枝を剣代わりに竜木にかかってきた。
「俺も!」
「おいらも!」
 篝火に続いて力弥ら、男の子たち五人が、いっせいに竜木にかかってきた。小枝でぺしぺしと、竜木を叩く。
 幼い子とはいえ、一度にかかってこられては、竜木もかなわない。
「いて、いてて――うわぁ、勘弁してくれ」
 たまらず、竜木は逃げ出した。
「待てーっ、竜木にいちゃん!」
 篝火を先頭に子供たちに追いかけられた竜木を、皆は笑って見ていた。

 

 曼珠沙華の花びら染めの紐が編み上がり、女の子たちはさっそく髪を紐で結ってもらう。
「嬉しいな。おっかちゃんとおねぇちゃんたちとお揃い」
 髪をきれいに結ってもらって、女の子たちはご機嫌だ。互いに髪に結わかれた紐を見せ合う。
 それを見て、お自夜の目にうっすらと涙が浮かんでいるのに気づいたのは、くゆり一人だけだ。
 お自夜は娘たちのことを思い出している。
 同じように我が子を亡くしたくゆりには、それが痛いほどわかる。
 くゆりが気づかわし気に見ていることに気づいたお自夜は、慌てて涙を拭い、朗らかに言った。
「さあ、おやつにしましょう。美葛、他の子供たちも呼んできて」
 お自夜の提案で、女たちは、おやつの支度を始めた。美葛は急いで広間の方に駆けて行き、剣の稽古をしていた男の子たちにも声をかけた。
「皆―っ! おやつよー! おばばのうちに集まってーっ」
 美葛が呼ぶと、竜木を追いかけていた篝火たちは、小枝を放り投げ、歓声を上げてくゆりの家の前に向かった。
「ふう、助かった」
 追い回されていた竜木は、やっと子供たちから解放されてほっと溜息をついた。
 皿に盛られた団子に、子供たちは我先にと手を伸ばした。男の子たちは稽古の合間に火袋たちが採ってきたあけびも食べたが、体を動かしたから、すぐに腹が減る。女の子たちも、母たちに教わって拙いながらも紐を一生懸命編んだから、やっぱりおやつが食べたくなる。
 子供たちの相手をしていた竜木も腹が減っているから、団子に手を伸ばして頬張る様は、大きな子供だ。
 あっという間に皿は空になり、子供たちは黙々と団子を食べた。
 食べている時だけおとなしい子供たちを眺めながら、大人たちも団子を食べた。
「どう、竜木? 綺麗に編めたでしょ?」
 美葛は団子を食べる竜木に、編み上がったばかりの紐を見せたが、
「うん、うまいうまい」
 団子が美味いのか、紐が上手いのか、どちらかわからない言い方をするので、むくれた。
「竜木ったら!」
 怒って美葛は竜木から離れたが、竜木のほうは、何故美葛が怒ったのかわからず、目を丸くする。
「なんで? なんで怒るんだ?」
 我ながら綺麗に編めた紐を竜木が褒めてくれなかったのが面白くない美葛は、ふと、団子を食べ終わった篝火に目を向けた。
 縄で結わいている黒く艶やかな髪が、頭の上で揺れている。縄なんかより、曼殊沙華の花びら染めの紐で飾ったら、きっと篝火に似合う――いいこと思いついたと、美葛は微笑んだ。
「篝火、ちょっとじっとしてね」
 美葛は篝火の髪を解くと、編んだばかりの紐で結い直した。
 薄紅の紐で髪を結ばれた篝火は、美葛の思った通り、可愛く見えた。
「篝火、可愛い。似合うわ」
「ほんと? 美葛ねぇちゃん」
 褒められてまんざらではないので、篝火は得意そうに微笑んだ。
「ほんとだ。篝火、似合う」
「似合うね」
「髪に花びら染めの紐がよく映えるねぇ」
 子供たちも、女たちも、髪を結った篝火を可愛い、似合うと口々に褒めたが、
「女の子みたい、篝火」
 力弥が何気なく言った一言で、のどかな雰囲気は一変した。
「駄目よ、篝火!」
 お自夜が立ちあがり、子供たちの輪にいる篝火の前に立った。恐ろしい物を見たかのように、顔を真っ青にして叫ぶ。
「曼殊沙華の花びら染めは、女だけが着けるものよ! 男の子は駄目!」
 優しいお自夜が、いつになく厳しい口調で叱るので、篝火だけではなく、この場の者全員が団子を食べるのを止め、凍りついた。
「ほどきなさい、篝火!」
「やだ!」
「男の子なんだから、駄目!」
「なんで着けちゃ駄目なんだよ、おっかちゃん! おいらもおっかちゃんたちとお揃いの紐、着けたい!」
「駄目なものは駄目!」
 紐をほどけと言うお自夜と、素直にほどかない篝火。
「お自夜、そんなに怒らなくても……」
「ご、ごめんなさい、お自夜さん……篝火、紐ほどくね」
 火袋が庇い、母子の言い争いの種になった自覚から美葛も謝るが、お自夜も篝火も聞いていない。
 確かに曼殊沙華の花びら染めは、まほろ村では女が身に着ける風習だが、お自夜が激怒するほど厳しい決まりでもない。戯れに男が着けることなどよくあった。だから、お自夜の怒りの理由がわからず、皆が途方に暮れる中、くゆりが助け船を出した。
「おっかさんが怒るのも無理ないよ、篝火」
「どうしてさ、おばば」
 くゆりがお自夜の味方をするので、篝火は頬を膨らませた。
「女の子ばかりきれいな紐で髪を結ってさ。ずるいよ」
 篝火の抗議に、くゆりは説明した。
「男が曼殊沙華の花びら染めの紐を結ぶのは、夫婦(めおと)約束した女から貰った紐でないと駄目だ。まほろ村の男は、みーんな女房になるって約束した女から貰った紐を着けて、祝言をあげるもんだ。このおばばの亭主も、おばばがあげた紐を着けて祝言した。篝火、おまえのおとっちゃんも、じいさまも、そうだった。おまえが美葛から貰った紐着けたら、美葛と夫婦約束したことになるぞ」
「そっか……そうだよね」
 くゆりの言うことに納得した篝火は、うんうんと頷いて、自分で紐をほどいた。そして竜木の方に近寄り、「はい」と紐を差し出した。
「美葛ねぇちゃんの紐は、竜木にいちゃんが着けないとね」
 にっこり笑う篝火に、竜木も同じくらい笑顔で紐を受け取った。
「おう。ありがとな、篝火。美葛、ちゃんと貰ったぞ」
 この成り行きに、美葛は顔を真っ赤に染めて怒鳴った。
「馬鹿! あんたからまだ夫婦になろうって言われてないわ! 順番が逆でしょ!」
「あれ? そうだっけ? 前に言ったと思ったけど」
「言ってないわよ!」
「じゃあ、今言う――」
 竜木は美葛の前に立つと、言った。
「美葛、この紐、俺にくれ。俺と夫婦になってくれ」
 真剣な表情の竜木を前にして、美葛の頬はますます真っ赤になった。
「……そこまで言うんなら、その紐あげてもいいわよ。あんたの女房に、なってあげるわ」
 ぶっきらぼうに、でもはっきりと美葛は答えた。
 その場にいた全員が、わぁっと歓声を上げた。
「めでてぇめでてぇ。立木と美葛が一夫婦になるぞーっ」
 豊作が手を叩き、若い二人が夫婦約束したことを声高に知らせる。
騒ぎを聞いて、何事かと隠れ里の者があちこちからくゆりの小屋の前に集まった。
「どうした? 何があった?」
「二人が祝言あげるぞ」
「誰と誰が夫婦になるって?」
「竜木と美葛だ」
「それはめでたい!」
 竜木と美葛が夫婦になると聞いて、誰もが口々に若い二人を祝す。
「おめでとう!」
「おめでとう、竜木! おめでとう、美葛!」
「にいちゃん、ねぇちゃん、おめでとう!」
 皆が竜木と美葛がいい仲だと知っていても、まほろ村を失ってから、そうした祝い事など一切できなかった。この隠れ里に落ち着いて、ちゃんと祝言を上げて若い二人を祝えるようになったことに、歓喜した。
 ただ一人、お自夜は気まずさから、そっとその場から立ち去った。
「お自夜……」
 後を追おうとする火袋を、くゆりは止めた。自分に任せろ――眼差しでそう告げると、お自夜の後を追った。

 

 歓びの輪から離れ、一人林の中に入ったお自夜は、嗚咽を堪えようと掌で口を覆った。
「う……っ……うう……」
 何かに耐えるように肩を震わせるお自夜の背に、くゆりはそっと声をかけた。
「大丈夫かい、お自夜?」
 労りと慈愛に満ちた優しい声に、お自夜はこらえきれなくなった。
「おばばさま……!」
 くゆりに縋りつき、声を上げて泣いた。
「篝火は、男でなくちゃいけないの――でなければ、死んでしまう! 鬼の子に殺されてしまう!」
「よしよし。わかっているよ。篝火のために怒ったんだよね。あの子のために、おまえはよく頑張っているよ」
 篝火には秘密があった。どうしても知られてはならない秘密が。
 四年前、お自夜は篝火が生まれてから、おしめが外れるようになるまで、火袋以外の誰にも篝火を触らせなかった。世話を手伝おうとする女たちの申し出を、頑なに断った。
子供を失うという惨い経験をしたのだからと、お自夜の警戒心を不快に思う者はなく、お自夜の気持ちを慮って、あえて赤子の世話を手伝おうとはしなかった。
 それでも村を追い出されて流離う中、一人で赤子の世話をするのは大変だ。お自夜が疲れ切ってうとうとした時、くゆりはお自夜を休ませてやりたくて、そっとお自夜の腕からぐずる赤子を抱き上げ、おしめを変えてやろうと産着を脱がせた時、悟ったのだ。お自夜の警戒の理由を。
篝火は、男と女、ふたつの性をその身に刻んでいた。このような体の者を、二形(ふたなり)ということをくゆりは聞いたことがあるが、見るのは初めてだった。
 二形に生まれると、前世の罪の報いだとか、世が乱れるとか言われている。村が攻められたのは、異形の子供が生まれたせいだと言い出す者も出かねない。だから、お自夜は誰にも赤子を触らせなかったのだ。
 秘密をくゆりに知られて、お自夜は泣きながら話した。篝火が生まれた夜の出来事を。

 

「篝火は、女の子として生まれるはずだったの。でも、女の子のままで生まれると、篝火は死ぬって……だから、お坊さまに言われた通り、男になれって願った――願ったのに、私のせいで、こんな体で生まれてしまった……鬼の子を退治しなければ、男になれないのよ!」

 

 御仏の化身のような若い僧侶の予言と、天女のようなあやかしが見せた惨い未来の幻。そして、篝火に背負わされた宿命。
 長く生きていても、仏にもあやかしにも会ったことのない――鬼のような侍には、大勢会ったが――くゆりは、お自夜の話を夢物語のように聞いた。
 だけど、実際に篝火は、男でもあり女でもある、男でもなく女でもない体だ。
 娘二人を失っているお自夜が、一人残った我が子を守ろうと、篝火が男であることを強く願うのも、無理はない。
 くゆりはひたすら我が子を思う母親を、責めることができない。
 泣きじゃくるお自夜の背中を、くゆりは優しく撫でてやる。
「大丈夫。篝火は強い子だ。生き延びることができる。きっと……強い大人になるよ」
 我が子の将来に不安を抱いているお自夜の心を少しでも軽くできればと、くゆりは大丈夫と言い続けることしかできなかった。

 

 

 皆で竜木と美葛を祝福している中、馬の蹄の音が荒々しく隠れ里に響いた。
 馬に乗っているのは、権六だった。
 権六は斎吾と一緒に町に出かけていた筈だ。それが一人馬を飛ばして戻ってきた。ただならぬ様子に、大人も子供も不安と心配な面持ちだ。
「どうした? 何があったんだ」
 火袋が問うと、息を乱しながら馬から降りた権六は、誰もが信じられない言葉を紡いだ。
「み、見つかった……倅……豊作あにきの倅が、見つかった……!」

 

 その夜、火袋とお自夜は恵太を呼んで一緒に夕餉を食べさせた。このまま豊作と住んでいる小屋に帰らせないで、自分たちの小屋に泊らせるつもりだ。
「恵太、ちょっと背中貸して」
 夕餉の後、お自夜は恵太を立たせて、肩幅や背丈を測った。
「大作ちゃんは、どのくらい大きくなったかしらねぇ」
「大作は俺よりふたつ下だけど、昔から体が大きかったから、俺と同じくらいでいいと思うよ、おばさん」
「そうね。男の子はすぐに大きくなるし。恵太と同じ大きさでいいわね」
 母や姉を亡くした子のために、隠れ里の女たちは、衣類の繕い物などを引き受けている。
 今夜、お自夜が縫うのは、豊作の倅、大作の為だ。
 豊作は町から慌てて帰ってきた権六と共に、町へ向かった。理由は、豊作にとってずっと待ち望んでいた情報を得たからだ。
 権六の話によると、麓の町外れの寺に下働きとして来た子供が、まほろ村の生まれだという噂を馴染みの商人から聞いたそうだ。

 

「年の頃や背格好とか聞いてみると、豊作あにきの倅に似ている。しかも、元の名前が大作っていうじゃないか。これは豊作あにきの倅に間違いないって」

 

 四年間探し続けた倅の行方を知って、豊作はさっそく権六と共に山を降りた。すでに時刻は夕暮れ間近で、馬で走っても麓に着くのは夜遅くなる。朝になるまで出発は待つように皆が言ったが、一刻でも早く倅に会いたい豊作は、馬を飛ばして隠れ里を出た。
 恵太も一緒に行きたがったが、火袋が引き止め、豊作が大作を連れて帰るまでは、火袋たちが面倒見ることにしたのだった。
「苦労したでしょうね、大作ちゃん。この四年、どう暮らしていたのかしら……」
 子供一人、人買いに売られ、虐げられただろうと思うと、お自夜は大作の苦労を思って、涙が零れる。
「おっかちゃん、泣かないで」
 篝火は小さな手を伸ばして母の涙を拭った。
「そうだよ、おばさん。これからは、皆で暮らすんだ。大作は、もう独りぼっちじゃないよ」
 恵太もお自夜を慰める。
「そうね……大作ちゃんが見つかってよかったわ」
「そうだ、大作が見つかって、本当によかった」
 火袋は我が事のように、嬉しそうに何度も何度も頷いた。
「うちのねぇちゃんも、早く見つかるといいな」
 篝火が無邪気に言った言葉に、三人とも微笑んで頷いた。
「ああ」
「大作ちゃんと一緒にさらわれた朧火の行方も、これでわかるかもしれない」
「そうだよ、おじさん、おばさん。きっと朧火も見つかるよ」
 明るい光が前途に灯った。
 誰もがそう思った夜も更けてゆく。
 だけど、明日をも知れぬのが、人の世――乱世だった。

 

 漆黒の空に浮かんでいた月が、雲に隠れようとしていた。
 雲が月の光を覆ったのを、馬上の豊作は夜空を見上げて確かめると、舌打ちした。
「急ぐのに、ついてねぇ」
 隠れ里を出て、もうすぐ麓に着く頃だというのに月が隠れてしまっては、山道を歩く馬の足がますます遅くなる。こんなに足の遅い馬だったかと、倅に早く会いたい豊作は、焦る心を抑えられない。
「ほ、豊作あにき、落ち着いて。斎吾のあにきが先に寺に行って、大作を引き取る話をつけているはずだから」
 後ろから突いてくる権六の声さえも、呑気に聞こえてしまう。
 実際は、緊張に権六の声が震えていたのだが。
「そうは言ってもなぁ、やっぱり親父のわしが和尚に会って話さねぇと――」
 その時、前方に気配を感じて豊作は口を噤み、馬を止めた。
 行く手に何者かの影が見える。それも、一人二人ではない。

 

 

 天まで届くような雄叫びが、夜明け近くの隠れ里を揺るがした。
 眠っていた火袋は飛び起きて枕元に置いてあった刀を掴むと、小屋の戸を開けて外を見た。
隠れ里の西の方が、赤々と明るい。揺れる光。あれは、炎の光だ。誰かの小屋が燃えている。失火? 違う!
「野盗どもは、皆殺しだーっ。一人残らず殺せーっ!」
 非情な命令が、火が燃えている方から聞こえてくる。続いて女の悲鳴と、幼子の泣き声が夜空に響いた。
 野盗火袋の一党を抹殺したいと思っているのは、侍や役人。怨みを買っているのは自覚している。どこのどいつがなんて、心当たりがありすぎるが、今日襲って来たのは、この前襲撃した東名新兵衛の義兄で、代官の安西蘭風か。
 どうしてこの隠れ里がわかったのか――その答えを出す前に、火袋は起きたばかりのお自夜たちに向かって叫ぶ。
「逃げるぞ! 代官の兵が来やがった!」
 お自夜はすでに刀を腰に差し、篝火を腕に抱いている。恵太も固い表情で身構えている。
 火袋が先に小屋を飛び出し、先頭を走った。篝火を抱いたお自夜と恵太も後に続く。
 近所の者たちも、慌てふためいて小屋から逃げ出した。
 小屋から飛び出した途端、雨霰のように火矢が飛んできて、小屋の屋根や壁に当たった。すぐに火は小屋に燃え移り、灼熱の舌を伸ばして焼き尽くそうとする。
 続いて武装した雑兵たちが、太刀や槍を手に追いかけてきた。騎馬兵もいる。
「邪魔だ! どけっ!」
 退路を開かんと、火袋は刀を振るった。炎の赤に負けない鮮やかな血が、地面を染めた。
「この侍どもめ! 串刺しにしてやる!」
「どきやがれ!」
 力蔵や竜木たちも、得意の獲物で応戦する。 
 加賀に名の知れた野盗火袋一党は、女子供たちを守り、生き延びようと、必死で戦った。
 しかし、豊作や斎吾ら、戦える男が留守で、隠れ里に残っているのは年寄りがほとんどだ。火袋たちは、数の上で不利だった。
 次から次へと湧いてくる雑兵相手に、斬っても斬ってもきりがなかった。逆に、斬られ、絶命するのは野盗のほうだった。
 男だけではない。女も子供も、野盗の身内ということで、問答無用に殺された。
 そして、襲撃から半刻もしないうちに、隠れ里のほとんどが灼熱の炎に包まれた。
 四年前と同じだ――
 火の粉が降り、黒い煙が充満する中、お自夜はまほろ村が襲われた時と、今の惨劇が同じだと感じていた。
 あの時も、侍が突然攻めて来た。愛しい人、親しい人が大勢殺された。
だけど、今度は守ってみせる。今度こそ――
 お自夜は腕の中に抱いた篝火を一層強く抱きしめながら、火炎地獄と化した隠れ里の中を駆けた。
「お自夜、子供たちを連れて先に洞窟へ逃げろ。俺は侍どもを食い止めてから行く。恵太、お自夜と篝火のこと任せたぞ」
 なんとか追手を振り切って、山の入り口まで来ると、火袋は先に行くよう指示した。
山の奥には、敵が攻めて来た時の為に隠れる洞窟を見つけてあった。そこには食料や武器も隠してある。洞窟に避難すれば、ひとまず安心だ。
 火袋は一人でも多くの仲間を助けるために、隠れ里の方に戻った。
「あんた……無事でね」
 お自夜は亭主の背中を見送ると、篝火をしっかり抱いて山を登り始めた。篝火を抱いているので、次第に歩みが遅くなる。
「おばさん、篝火は俺が背負うよ」
「いいよ、にいちゃん。おいら、歩くよ」
 お自夜を気づかって、恵太は自分が代わりに篝火を背負うと言い、母と恵太の負担になるまいと、篝火はお自夜の腕から降りようとした。
しかし、我が子を守ると固く決意しているお自夜は、首を横に振った。
「大丈夫よ。洞窟まではすぐなんだから」
 手放すまいと、お自夜は篝火の小さな体をいっそう強く抱きしめる。
 お自夜の強い目の光に、篝火も恵太も母親の強さを感じた。
「……わかった。おばさん、がんばって。洞窟まであと少しだよ」
 恵太はお自夜たちを守るように、先に立って歩き出した。篝火は自分の非力さが悔しくて、お自夜の胸に顔を埋めた。
 その時――夜明け前のほのかに明るくなってきた山の中、きらりと光る銀の刀と共に、黒い影が木の影から飛び出した。
「うわぁっ!」
 左肩から二の腕の皮膚が裂け、肉が斬られる痛みに、恵太は絶叫した。斬られた――そう感じながら地面に倒れた恵太が見たのは、自分を見下ろしている雑兵。
「恵太!」
「にいちゃん!」
 すでに山にまで敵が入り込んでいたなんて――お自夜と篝火は悪夢を見ている思いで左肩から血を流して倒れている恵太と、血まみれの刀を持った雑兵を凝視した。
 お自夜は篝火を下ろして後ろにかばうと、腰の刀を抜いた。
「その子から離れろ!」
「女だてらに刀を使う――おまえ、火袋の女房だな?」
 雑兵はお自夜を火袋の女房だと見抜くと、にたりと笑い、呼子笛を吹いた。

 

 ぴぃーっ――

 

 笛の音を合図に、どこからかともなく雑兵が集まってくる。
 五人の雑兵が、お自夜と篝火を囲んだ。
「さあ、刀を捨てておとなしく来い!」
 偉そうに怒鳴りつける雑兵に、お自夜は反撃しようとした――が、
「おっと。この小僧がどうなってもいいのか?」
 恵太の首に刀の切っ先を向けられて、お自夜は反撃できなかった。
「おばさん! 俺に構わず、逃げて!」
 恵太は痛みをこらえながら必死に叫んだ。雑兵が「黙れ!」と怒鳴って、刀の先で首の皮膚を切った。ほんのわずかだが、血が滲む。
「やめて!」
 恵太の血を見て、お自夜は叫んだ。
 篝火を守りたい。だけど、恵太も大事だ。恵太を見捨てることなどできない。
 お自夜の手から、刀が落ちた。
「よーし、おとなしく縛につけ」
 雑兵たちはお自夜と篝火を後ろ手に縛りあげた。
「痛い! 離せよ! こんちくしょうめ!」
 ぎりぎりと容赦なく縄で締められて、篝火はたまらず声を上げた。幼子の柔らかな肌と肉に荒縄の痛みは涙が零れるくらいだ。
 お自夜も縄の痛みに顔を歪ませたが、侍どもに無様な姿を見せるものかと、歯を食いしばり、一言も声を漏らさなかった。
「ううぅ……おばさ……篝火……」
 苦痛に耐えながら、恵太は二人を助けようと、出血する左肩を抑えながら、よろよろと立ち上がった。
 そんな恵太を、兵は槍尻で突いて突き倒した。
 あっけなく飛ばされ、倒れた恵太を、雑兵たちが嘲笑う。
「小僧、代官さまからの伝言だ。火袋に伝えろ――今日の日が沈む頃までに代官屋敷に一人で来い、とな。一人で来なかったら、女房倅は殺す!」

 

 

「代官の屋敷に行ってくる」
 安西蘭風の襲撃から逃れ、洞窟にたどり着いた隠れ里の住人は、火袋を始めとして、くゆり、竜木、美葛、力蔵一家の他、老若男女合わせて二十人足らず。男たちは代官の兵と必死に戦ったが、多くが傷を負い、女子供も含めて仲間のほとんどが殺された。
 そして、火袋の女房倅もまた、安西蘭風に人質にとられ、風前の灯火だった。
 重傷を負いながらも必死に洞窟までたどり着いた恵太から、お自夜と篝火が代官の雑兵たちに連れていかれたことを聞いて、火袋は迷わず一人で代官屋敷に行くことを決意した。
「力蔵、豊作たちが帰ってくるまで、皆を頼む」
「お頭!」
「そんな! 無茶だ!」
「豊作あにきたちが帰って来るまで、待った方が――」
 力蔵も竜木も、他の仲間たちも、火袋を行かせまいと、必死に止める。一人で代官屋敷に行くなんて、殺されに行くようなものだ。
しかし、火袋は、無茶は承知だった。麓の町に行っている豊作や斎吾たちが帰ってくるのを待っていたら、日没まで間に合わない。火袋が指定の時間までに来なかったら、蘭風はきっとお自夜と篝火を殺す。
どんな宝よりも、自分の命よりも、お自夜と篝火が大事だ。火袋は、蘭風と刺し違えてでも二人を助け出す決意だった。
「おじさん……ご……ごめ……ごめんなさい……おばさんと篝火……守れなくて……」
 傷を手当てしてもらった恵太は、起き上がろうとして美葛に止められた。恵太の傷は深く、出血も多かったので、絶対安静にしていなければならない。
 傷の痛みではなく、申し訳なさで泣き出しそうな顔で、恵太は火袋を見上げる。涙で滲んで、火袋の顔がよく見えない。
「大丈夫だ。おまえは傷を治すことを考えろ。おまえを怪我させちまって、豊作にも申し訳ない」
「おじさん……」
「ちょっと代官の野郎と遊んでくるだけだ。なぁに、すぐお自夜と篝火連れて戻ってくるから、心配すんな」
 恵太や心配する仲間たちに、なんでもない風に言って、火袋は笑った。
 火袋はくゆりを始めとする女たちに怪我人の手当と看病を任せると、洞窟を出て行った。
「おじちゃん、気をつけて」
「おばちゃんと篝火、きっと助けてね」
「まってるね」
 篝火の遊び友達の子供たちが、心配そうに、しかし火袋を信じて声援を送った。

 

 火袋が出て行ってすぐ、
「俺も行ってくる」
 そう言って、竜木が立ち上がった。
「あいつらの言う通り、お頭は一人で代官の屋敷に行った。俺は俺で、勝手に行くんだ」
 刀を手に、屁理屈みたいな主張で火袋たちを助けに向かった。
「気をつけて、竜木!」
 お自夜と篝火を助けたい気持ちは同じだ。美葛は竜木を止めなかった。
「俺たちも豊作たちが帰って来たら、助けに行く。それまで無茶するな!」
 力蔵たちも今は一緒に助けに行きたい気持ちを堪えて、竜木を送り出す。
「……神仏がおわすのなら……どうかあの子たちを助けて……」
 くゆりはそっと、火袋親子の無事を祈った。その声は、いつものような元気も威勢の良さもなかった。
 そうして怪我人の手当てや代官屋敷襲撃の準備にてんやわんやしている洞窟内に、誰かが入って来た。
「あ、斎吾おじちゃんだ」
 最初に気づいた力弥が、入り口の方を指さした。
 皆一斉に入り口を見ると、力弥の言う通り、斎吾が入ってきた。
 斎吾だけではない、斎吾と一緒に麓の町に出かけていた玉虫や十三人の仲間たち、豊作と寺に行っていた筈の権六の姿もあった。
 だが、豊作の姿だけがなかった。
 豊作は倅のいる寺に残っているのだろう――恵太も他の者も、そう思い、豊作が一緒に帰ってこないことを疑問に思わなかった。
 ただ、小袖で出かけたはずの斎吾たちが、胴丸を身に着け、刀を腰に下げて武装していることに、違和感があったが、お自夜と篝火が安西蘭風の人質になり、火袋が一人で代官屋敷に向かった一大事の時だ。誰もが素直に斎吾たちが帰ってきたことに安堵した。
「斎吾、大変だ。お自夜さんと篝火が代官の野郎にさらわれて、お頭が――」
 無防備に斎吾に近づいた力蔵は、留守の間に起こった出来事を告げようとした。
だが、最後まで話すことはできなかった。
 斎吾は黙って刀を抜くと、力蔵の胸を刺した。
 力蔵は何が起こったのかわからない、という顔で斎吾を見た。
 にやりと斎吾は力蔵に笑いかけ、さらに刀を深く突き刺した。
「ぐっ……」
 力蔵の背中から血に濡れた刀身が現れる。心の臓を貫かれた力蔵の唇から、呻き声と共に血が溢れた。
 斎吾が刀を抜くと、力蔵は力なく倒れた。
 目の前の出来事が信じられなくて、洞窟内の者は蒼白になり、声も出ない。
 いや、斎吾と、斎吾と一緒に麓から戻ってきた玉虫と仲間たちは、平然と、むしろ楽しそうに喉を鳴らして笑った。
 凍りついていた時を動かしたのは、お駒の絶叫と、力弥の悲鳴だった。
「いやーっ! あんたぁーっ!」
「おとっちゃん!」
 お駒と力弥は力蔵の体にすがり、揺すった。だけど、声を限りに呼んでも力蔵は返事をしない。
「なんてことしやがるんだ、斎吾!」
「気でも狂ったか!」
 男たちは斎吾に罵声を浴びせた。女たちは悲鳴を上げ、子供たちも怯えて泣き出した。
「斎吾! おまえ、おまえは……なんてことを!」
 くゆりが声を震わせながら、斎吾に詰め寄った。
 だが、斎吾の答えは無く、ただ一言、
「うるせぇ、ばばぁ」
 そう毒づき、力蔵の血で赤く染まったばかりの刀を振り上げた。

 

 

 時刻は酉の刻。東の空が暗くなる代わりに、西の空が茜色に染まり始めていた。
 代官屋敷の表には、代官の安西蘭風、義弟の東名新兵衛の他、武装した雑兵たちが待機している。野盗火袋を捕縛するために。
 もうすぐ日が沈む。日が沈んでも火袋が来なかった場合、人質を処刑する段取りだ。
「義兄上、あいつらの処刑を」
 待ちきれず、新兵衛は蘭風に人質の処刑を急かす。財宝を奪われた挙句に屋敷を焼かれて、たとえ女子供でも、野盗は許せない。
 だが、馬の蹄の音が聞こえてきて、新兵衛の望みはかなえられないことを告げる。
 荒々しく走る馬の姿が蘭風たちの視界に入った。馬を操るのは、野盗の火炎夜叉の火袋。
「一人で来たか……」
 蘭風は唇の端を少し上げて笑った。
 代官屋敷の前に馬で乗りつけた火袋は、馬上から怒鳴った。
「糞代官! 俺の女房と子供を返せっ! どこにいるんだーっ!」
「おまえの女房と子供か? 牢の中で震えて泣いているわ。抵抗すると、女房子供を一太刀で斬り捨てるぞ!」
 火袋は蘭風の脅しに従うしかなかった。馬から降り、刀を捨てた途端、一斉に兵たちが飛びかかり、縄をかけた。
 刑場に引きずられた火袋は、今までの襲撃のお返しとばかりに、牛馬の如く鞭で打たれ、棒で叩かれ、拳で殴られ、石を抱かされた。
 鞭が皮膚を裂き、石の重みで骨が軋む。
「ううううぅーっ!」
 呻き声を上げた火袋を指さし、新兵衛は細い目をいっそう細めて、愉快そうに笑う。
「は、は、は! 野盗め! 天に代わって罰してやろう! 義兄上、もっと懲らしめてやりましょうぞ!」
 だが、蘭風は一度拷問を止めさせ、火袋に言った。
「火袋、手を握らぬか?」
 思いがけない言葉に、火袋は自分の耳がおかしくなったのかと思った。
「誰が? 誰とだ?」
「おまえは百姓どもに奪った金を与えているな? 百姓を煽って一揆でも起こすつもりだろうが、わしの配下になったほうが、我らに歯向かうより、得る物は大きいぞ。野盗では、いつまでたってもお尋ね者だ。そうして野垂れ死にするのが関の山だ」
 蘭風は、火袋が百姓に義賊として慕われていることを知っていた。火袋の人望に目を着けて、手なずけたほうが理になると踏んでいた。
「わしと手を握れ、火袋」
「だっ……誰が……」
 蘭風の誘いを聞いて、火袋は耳が穢れたという風に顔を歪ませた。
「おまえらの手下になるもんか! 俺はな、一人になったって、戦うぞ!」
「そう強情を張るな。うんと言えば、女房子供も許してやるぞ」
「いやだ!」
 懐柔しようとする代官の言葉に息も絶え絶えになりながらも、火袋の返事は否、であった。
 断固誘いを拒否する火袋に、蘭風は再び拷問を加えた。

 

 暗く冷たい牢の中で、お互いの温もりだけが寒さと心細さに耐える唯一のものだった。
 捕まってから拷問はされなかったが、石牢の中で母子は不安と恐怖でいっぱいだった。
 火袋が来なかったら、お自夜と篝火は処刑される。
 火袋に助けに来てほしい、でも危険だから来ないでほしいという、相反する思いがお自夜と篝火を苛む。
 お自夜と篝火は、牢の中で身を寄せ合っていたが、夜になって、荒々しい足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
 牢番が扉を開け、誰かをお自夜と篝火がいる牢の中に入れた。
 牢に入ってきた途端、倒れた男は、火袋だった。
 お自夜と篝火を助けに投降した火袋が、代官にどんな酷い仕打ちをされたか、明白だった。顔も体も傷だらけで、意識も朦朧としていた。
「しっかり! あんた!」
「おとっちゃん! おとっちゃん!」
 お自夜と篝火の呼びかけに、火袋は腫れあがった瞼を薄く開け、微笑んだ。
「ふ……ふ……たいしたことはねぇ……あんな程度の拷問で、まいる火袋さまじゃねぇ」
 二人を心配させまいと、強がりを言う火袋だが、心身ともに応えている様子だ。
「なんて酷い仕打ちを……あの代官の奴――」
「おとっちゃん、大丈夫? 痛い?」
 手当をしたくても、牢の中では、ろくに手当などできない。お自夜は悔しそうにその美貌を歪ませ、篝火は心配そうに父を見つめる。
 そんな親子の様子を、嘲る者がいた。
「こうなると、野盗火袋もおしまいだな。女房子供可愛さに、のこのこ捕まりに来たとは、末代までの語り草だ」
 牢番の嘲笑が、牢屋に響く。
「代官さまは、もう貴様らには用はないとよ。明日にも処刑だろうぜ。親子三人、仲良く地獄へ堕ちな」

 

 

 その夜、風が強く吹いた。
 秋の嵐に激しく砂塵が舞う。
 夜が明けて嵐が収まれば、親子三人処刑される。何とか牢を破って逃げ出そうと、火袋とお自夜は考えをめぐらした。しかし、石を積んで造られた牢は頑丈だった。試しに篝火が戸や壁を力いっぱい押してみても、子供の力ではびくともしない。たとえ火袋でも、傷ついた体では牢を破ることはできないし、すぐに騒ぎを聞きつけて、役人どもが駆けつける。力任せでは逃げられない。
 八方塞がりの状況に、火袋は歯ぎしりし、お自夜は我が子だけでも助けたいと、篝火を抱きしめた。

 

 加賀を暴れまわっていた野盗火袋が、囚われの身となっている。
 火袋は徹底的に痛めつけたから、逃げ出すことはできないだろう、仲間もほぼ全滅したから、助けに来ることなどできないだろう――安西蘭風を始めとして、代官屋敷にいる者全員が、そう考えて、油断していた。
 牢番一人に見張りを任せて、蘭風以下の役人たちは、嵐が収まるまでの間、部屋で休んでいた。
 牢番は槍を持って火袋たちの入る牢の前を見張っていたが、壁に寄りかかって立つ姿は、まるでやる気がない様子だ。
 すっかり油断しきっている牢番は、侵入者の気配に気がつかなかった。
 牢の入り口から夜の闇に紛れて入ってきた侵入者は、背を向けていた牢番を羽交い絞めにし、逞しい腕で首を絞め上げた。
「う、ううううぅ……」
 首を絞められて、牢番は蛙が潰れたような声を低く上げた。その声は、風の音にかき消されて外には届かない。
 牢番はそのまま首を絞められ、気が遠くなった。体から力が抜けていく牢番の首を、侵入者はへし折った。

 

 ごきっ――

 

 首の骨が折れる音がする。
 侵入者が腕を離すと、牢番は糸の切れた人形のように転がった。
 牢番の腰にぶら下がっていた鍵を掴み、侵入者は火袋たちが囚われている牢の扉を開けた。
「お頭! お自夜さん! 篝火! 無事か?」
 侵入者は竜木だった。外から代官屋敷の様子を覗い、救出の機会をうかがっていた。そうやって仲間たちが来るのを待っていたが、中々来ない上、火袋たちの処刑が決まってしまった。これ以上待てないと、単独で代官屋敷に侵入したのだ。
「竜木にいちゃん!」
 嬉しくて、篝火は竜木に抱きついた。大きな掌で篝火の頭を撫で、竜木は言った。
「遅くなってすまねぇ。さあ、逃げるぜ!」
 竜木の助けで牢を出た火袋は、倒れている牢番の腰から刀を抜くと、
「お自夜、篝火つれて先に逃げろ。峠で待っているんだ。俺は代官の野郎に礼をしてから行く。竜木、お自夜たちを頼むぞ」
 一人代官屋敷のほうに歩いていった。
「駄目よ、そんな傷で! あんたも一緒に行きましょう!」
「そうだよ。おとっちゃんも行こうよ!」
 お自夜と篝火が止める声は、風が消してしまった。火袋の姿は闇に消えていった。
「俺もお頭と残る。死んだ仲間たちの分も、奴らに礼をしてやらなきゃあ、気がすまねぇ」
 竜木には火袋の考えがわかっていた。お自夜たちが逃げられるまで、火袋は追手を食い止めるつもりだ。拷問を受けて傷だらけの火袋一人では、勝ち目がない。竜木は火袋と共に戦う決意だ。
「先に行ってください、お自夜さん。篝火、美葛にちょっと遅れると言っておいてくれ」
 竜木は篝火に微笑んで言うと、火袋を追って行った。
「あんた……竜木……無事でね。必ず生きて戻って……」
「おとっちゃん……にいちゃん……」
 お自夜と篝火は姿の見えなくなった火袋と竜木に呟いた。

 

 びょうびょうと吹きすさぶ風の中、お自夜に抱かれながら篝火は代官屋敷を見た。
 代官屋敷は嵐にびくともせずに悠然と建っていた。だが、火の手が上がり、強風に炎が屋敷を包むのが目に映った。
 風に乗って、火袋の、竜木の雄叫びが聞こえてきたような気がした。

 

 安全な場所まで逃げなくては――お自夜は必死に歩いた。だが、向かい風が幼子を抱いたお自夜の歩みを遅くさせる。先を急ごうと思っても、思うように足は速まらない。
 一歩一歩、大地を踏みしめるように、お自夜は歩いた。
 そのお自夜の前に立ち塞がったのは、胴丸を身に着け、刀や槍を手にした男達だった。
 敵かと思ったが、男達の先頭に立っていたのは、鼬の斎吾だ。
「斎吾!」
「斎吾のおっちゃん!」
 斎吾の姿を見るなり、お自夜と篝火は張り詰めていた糸が、緩むような安堵を覚えた。斎吾が仲間を連れて、自分達を助けに来てくれたのだ――そう思った。
 だが、
「そこに座ってもらうぜ」
 斎吾が腰の刀を抜いてそう言った時、最後の希望さえも奪われた。

 

 

 

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