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2018年9月24日 (月)

どろろ百鬼繚乱草紙まれびとの章10

   変成の章後編

 木の洞は、暗く静かだった。

 日が高くなっても、光は射しこまず、外の騒々しさから完全にお自夜を遮断している。

 時折、荒々しい足音や、「こっちだ」「あそこだ」という怒鳴り声がした。遠くで女の悲鳴や、子供の泣き声も聞こえた時は、助けることができない申し訳なさと、見つかりたくないという気持ちが交互にお自夜の胸によぎった。

 赤子の為に、待っていてくれる母と娘たちの為に、今見つかる訳にはいかない。

 そんなお自夜の胎の赤子は、もう生まれたいと主張しているかのように、蠢いている。

「まだ……まだよ……まだ生まれては駄目……」

 胎の赤子に言い聞かせるように、お自夜は呟いた。今生まれたら、泣き声で雑兵どもに見つかる上に、生まれるには、ふた月も早い。命の危険が母子ともにあった。

 お自夜の願いと裏腹に、陣痛は鎮まるどころか、酷くなる一方だ。全身汗が吹き出し、痛みに意識が遠くなる。何刻たったのか、それとも何日か――時の感覚もわからなくなる。

 

「助けて! おとっちゃん! おっかちゃん!」

 

 朦朧とする意識の中で、幼い女の子の声が聞こえたような気がした。あれは朧火の声? それとも蛍火?

 気になりながらも、お自夜の意識は闇に堕ちた――

 そうしてどのくらいの時間がたっただろうか。

 お自夜が目覚めた時、不思議なことに、あれほど苦しかった痛みが嘘のように引いていた。早産にならなくてよかったと、お自夜はほっと息を吐いて安堵する。

お自夜は枝の隙間から外を覗った。

 外は日が落ちている。夜の闇が辺りを覆っていた。雑兵たちの気配もない。もう山から下りて行ったのであろう。

お自夜はそっと入り口を塞いであった枝と枯れ葉をどかし、木の洞からそろそろと這い出した。

冷気が肌を刺す秋の夜の山は、静かだった。だから、風が葉を揺らす乾いた音、梟の鳴く声、茂みの中を通る野鼠の足音が、やけに大きく聞こえる。

見上げると、天高く伸びる木々のさらに上、東の空にかかる十五夜の月は、半分雲に隠れている。地上に月の光はほとんど届かない。

 雲に隠れた月は、今のお自夜の心を表しているかのようだ。

 本当なら、今夜はお月見をして、家族そろって団子を食べていたのに――

(朧火と蛍火に団子作ってやれなかったわ。うちの人にも久しぶりにお酒飲ませてあげたかったのに)

 戦はいつも突然始まる。こちらの都合などお構いなしだ。勝手に村に入り込んで戦い、争う。巻き添えになるのはこっちだ。

 家は焼かれ、収穫前の稲は奪われ、挙句、命までとられたらたまらない。

 富樫でも赤松でも、誰が領主でも構わないから、自分たちの喧嘩に巻き込んでほしくないのが本音だ。

 ささやかな幸せを奪った侍たちを、お自夜は憎らしく思う。

(おっかさんたちは、無事に山小屋に着いたかしら。うちの人はどこにいるの? 血の気が多い人だから、雑兵たちに向かっていって、怪我してなければいいんだけれど)

 無事に逃げていて――家族の無事を祈りながら、お自夜は暗い夜の山を登り始めた。

 大きな腹を抱えて暗がりを歩くので、足元がおぼつかない。それでもお自夜は山小屋にたどり着こうと、歩き続けた。早く娘たちに、母に会いたかった。

 ふと、どこからか漂ってきた臭いに、思わずお自夜は足を止めた。

 決して心地よい匂いではない。生臭い、嫌な臭い。お自夜は掌で鼻と口元を覆った。

 わずかな月明かりを頼りに周囲を見回すと、臭いの元は、すぐそこの草むらの中にあった。

 草むらに、あおむけに倒れている老婆がいた。

「おばさ……」

 お自夜は呼びかけて、絶句した。

 暗闇の中でも、恐怖に顔をゆがめ、白く濁った両眼を見開いたまま動かない老婆は、すでにこと切れていた。

この老婆を、お自夜は知っている。火袋のことを「あにき」と呼んで慕ってくれている斎吾の母親だ。二、三年前から寝たり起きたりだったから、お自夜も腹が大きくなる前は、時々家に寄って看病をしたり、家事を手伝っていた。

 斎吾も火袋と一緒に見回り役だったから、斎吾の母は一人で山に逃げても登り切れず、追ってきた雑兵に斬られたのだろう。

(こんなことになるなら、おばさんも一緒に泊まろうって誘えばよかった……)

 斎吾の母に声をかけなかったことを、お自夜は後悔した。母の死を知ったら、斎吾はどんなに嘆くだろうと暗い気分になる。

 そして、それまで抑えていた不安が、お自夜の胸に一気に広がった。万が一、斎吾の母のように母と娘たちが雑兵たちに見つかっていたら――

(そんなことない。おっかさんたちは、ちゃんと山小屋に逃げている。無事だわ)

胸の奥から沸き上がる嫌な予感を何度も何度も否定するが、母と娘たちの顔を見るまでは、お自夜は不安を募らせずにはいられない。

お自夜は再び山小屋を目指して歩き出した。できれば思いっきり駆けて行きたいが、腹が重くて走れない。

 山小屋に向かっているうちに、風が緩やかに吹き始めた。

風に雲が流されていくと、月の光が地上を照らし、木の一本、草の葉一枚まではっきり見えるくらい明るくなっていく。夜の山道を歩くお自夜の行く手を照らすように、雲隠れの月は、徐々にその姿を見せ始めた。

 そして、黄金の月が冷たい光を放って全身を現した時、お自夜は地獄を見た。

 

 月明かりの下にあったのは、人の屍だった。

 それもひとつふたつではない。道の途中、木々の間と、あちらこちらに倒れ転がる屍の数々は、苦悶、驚愕、唖然と、様々な表情で顔を歪ませたまま、無造作に手足を投げ出し、全身血まみれになって倒れている男、女、老人、子供たち。

小さな村だから、お自夜はここに倒れている人たちを、皆知っている。幼馴染みや顔なじみ、隣人に、娘たちの遊び友達、親戚のあの人この人――

そして、見慣れた柄の小袖を着た女が倒れているのを見つけ、お自夜は目を見開いた。

まさか、嘘だ――お自夜は頭で否定するが、すぐにそれが誰かわかった。

「おっかさん!」

 倒れていたのは、お小夜だ。

 お自夜はお小夜の傍に駆け寄った。助け起こすと、お小夜の腕には、蛍火がしっかりと抱かれていた。

「おっかさん、蛍火、しっかりして!」

 お自夜は母の体を揺さぶり、血の気のない娘の頬をさすった。二人とも、無傷ではなかった。二人の着ている小袖は、刀で切り裂かれており、ところどころ赤黒く染まっていた。どんなに名を呼んでも、眼を開けることは無かった。

「起きて、おっかさん! 蛍火! 今年は蛍火の髪結いよ。綺麗な紐染めようねって、言ったじゃない! 蛍火も、朧火とお揃いの紐がいいって言っていたじゃない! だから……だから……死んじゃ駄目っ! 駄目よぉっ!」

 後で会おうねと言って別れたのに。

 もうお小夜も蛍火も、お自夜に笑ってくれない。それが信じられない。

 お自夜は何度も何度も首を振った。目の前の現実が悪い夢としか思えない。

「いや……いや! いやぁああああああああああああああああああああああああああっ!」

 闇と静寂を引き裂く叫びが、お自夜の喉から漏れた。お小夜と蛍火の亡骸にすがって、我を忘れて泣き叫ぶ。

 ――朧火は何処だろう。

泣き叫びながら、お自夜は朧火の姿がここにないことに気づいた。無残に殺された村人たちの亡骸の中に、朧火はいなかった。それならば、朧火はどこかに隠れている?

「あ……あ……おぼ……朧……火……朧火、無事なの? 出て来て! おっかさんよ!」

 お自夜は周囲を見回し、泣きながら朧火の名を叫んだ。母である自分が呼べば、娘はきっと出て来てくれる。

 だけど、お自夜の呼びかけに答えたのは、娘の声ではなかった。

「う……うぅ……お……じ……や……さ……」

 苦しげに呻きながら、でも必死なか細い声が、お自夜を呼ぶ。

 声が聞こえたほうに目を向けると、向こうの草むらに下枝が倒れていた。

「下枝さん!」

 お自夜は下枝の傍に駆け寄った。下枝もまた、全身刀に斬り刻まれていた。青ざめた顔に死の影が浮かんでいる。迫りくる死から引き止める術のないお自夜は、下枝の手を握ってやるしかできない。

「何があったの? どうしてこんな……」

「雑兵どもが……」

 虫の息の下で、下枝はお自夜と別れた後、何があったのか話した。

「……先に登っていた人たちを……お小夜さんと蛍ちゃんを殺した……大作と……朧ちゃんを捕まえて……若い娘さんたちや……他の子供たちも一緒に……連れて……」

 雑兵たちの人狩りに出くわしてしまったなんて――下枝の話に、お自夜は背筋が凍る思いがした。だけど、連れていかれた朧火は、大作は、他の子供たちは、まだ生きている。残された望みに、お自夜の心は絶望の淵から這い上がった。

「じゃあ、朧火は、大作ちゃんは生きているのね? 他に生きている人たちはいるのね?」

 お自夜の問いかけに、下枝は必死に頷いた――頷こうとした。そして、縋るようにお自夜を見つめながら、囁いた。

「ごめん……なさ……守れ……なく……て……」

「下枝さん……」

「おねが……い……大作を……助けて……」

 声にならない声。しかし、お自夜にははっきりわかった。

「わかったわ、下枝さん。きっと子供たちを、皆を助けるわ!」

 お自夜の言葉に、下枝は謝罪と感謝の眼差しを向けた。光を失いつつある瞳から、涙が一滴零れた。

「……あんた……大作……」

 命の灯火が消える寸前、亭主と息子の名を呼ぶと、下枝は静かに目を閉じた。それきり、その瞳を開くことは無かった。

 

「助けに行かなきゃ……朧火……待っていて……」

 下枝を看取ると、お自夜は立ちあがった。木の洞に隠れていた時、聞こえた子供たちの声。あの中に朧火がいたのかもしれない。人買い商人に売られる前に、救い出さなければ。

 身重のお自夜が単身で行っても、助け出すことなどできない。逆に捕まって、奴婢として売られてしまう。しかし、今のお自夜には、娘を助けるという思いしかなかった。

 今、頼りになる火袋はいない。助けに行けるのは母親である自分だ――

 行く前に、お自夜はもう一度お小夜と蛍火の亡骸に視線をむけた。物言わぬ骸と成り果てたその姿を目に焼き付けると、歩き始めた。

 村に戻ろうと、来た道を引き返す。急ぎたいが、気ばかり焦って、足がもつれる。よろめき、転びそうになり、山の斜面の方にお自夜の体が傾いた。

 

 とん――

 

 その時、お自夜は誰かに背中を押された。

「えっ?」

 誰が押したのか、わからない。ここに、生きている人間は、お自夜しかいないはずなのに。

 困惑の中で、お自夜は押されたはずみで山の斜面に倒れた。

「きゃあああっ!」

 そのまま悲鳴を上げながら、お自夜は奈落へと滑り堕ちていく――

 それを薄笑いしながら見つめているのは、異形の者であることを、お自夜は知らない。

 

 

  なぜに血の色 曼殊沙華

  天に在りては白き花

  地に在りては赤き花

  ほんに不思議な花の色

  摘んでゆこかな 曼殊沙華

 

 歌が、聞こえる……

 あれは、母が歌っているのか?

 どこか遠くで子守歌が聞こえたような気がして、お自夜が目を開けると、最初に見えたのは、月明かりの下で咲く、血のように赤い花びら。

 お自夜は曼殊沙華の花園の中で倒れていた。

滑り落ちた所は、この山が曼珠山と呼ばれる所以の花園だった。

 なんでもない時なら、月の光に照らされて咲く曼珠沙華を美しいと思えただろう。我が子を奪われたお自夜には、花を愛でる余裕などなかった。

 どのくらい意識を失っていたのか。先程は東の空にあった月は、南の空高く昇り、いつもより大きく見えた。そして、月の光は、真昼のように明るく金色に地上を照らしている。

 早く朧火を助けに行かなくては――体中、打ち身と擦り傷で痛い。腕や足にも血が滲んでいる。それでもお自夜は苦痛を堪え、上体を起こした。

「う――ううっ!」

途端、胎の中で赤子が暴れた――いいや、何か別の生き物が入り込んで、赤子に狼藉を働いているのではないかと思うくらいの激痛に、みぞおちの辺りが押されるように痛くなり、呻きながら腹を抱えた。

心の臓が早鐘を打つ。息が苦しい。脚の間から濡れた感触がする。破水したのだ――続いて赤子が胎から産道のほうに下りてくるのも感じた。

 まさか、滑り落ちた衝撃で産気づいてしまったのか。

 産み月には早い。産婆もいない。山の中で、たった一人で赤子を生むなど、命が危ない。

「まって……駄目……まだなのに……」

 母の願いも聞かず、生まれたいと主張するかのように赤子は胎で蠢く。

「あ……あ――ううぅっ!」

 赤い花びらの褥の中で、獣のように喉の奥で唸り、呻きながら、涙を流しながら、お自夜は生みの苦しみに悶えた。

 お自夜の苦痛と呼応するように、黄金色の月が、左下の端から黒く欠け始めた。

 黒い影は、ゆるゆると月を侵食していった。黄金色の丸い月は半月となり、猫の目のように細い三日月へと姿を変えた。

月が欠けていくにつれ、山は暗く、闇が深くなる。

 闇に包まれながら、お自夜は我が子の無事を願った。

(お願い……無事に生まれて来て……)

 そんなお自夜の耳に聞こえてきたのは、笑い声だった。

「うふふふふ」

「あははは」

「くっくっくっ」

「きゃはははは」

「くすくすくす……」

 笑い声は、空から聞こえる。無邪気な調子の笑い声は、幼い子供のようでもあり、若い娘のようでもあった。

 空を見上げると、闇に白いものが浮かんでいるのがぼんやり見えた。

ひとつ……ふたつ……全部で五つ。

それらがゆっくりと降りてきて、大きく全体がはっきり見える程近づいた時、お自夜は愕然なった。

 虚空から降りてきたのは、人だった。

透き通るような薄い白い衣を豊満な体に羽織った五人の乙女たちが、夜空から舞い降りてきたのだ。

 月の光をそのまま写し取ったかのように輝く黄金色の髪を靡かせながら、乙女たちは白い腕を振り上げ、袖を翻した。

 ふわり。

 ふわり。

羽根のように軽やかに、右へ、左へと宙を舞う。

 乙女たちの動きに合わせて、透ける単の下の豊かな胸が揺れ、袴を履いていない足が、裾から覗く。

 歳の頃は十四から十八くらい。あどけなさが残る顔に、笑みを浮かべながら、可憐に、淫らに、艶めかしく舞う乙女たち。

 空から人が降りてくるなんて――お自夜は自分の正気を疑った。

 悲しみと苦痛のあまり、夢を見ているのか?

だけど、夢でも幻でもない証拠に、舞い踊る乙女たちは、地上から五尺ばかりの高さまで降りると、お自夜を囲むように見下ろした。

乙女たちは、皆咲き誇る花のように美しい。だが、お自夜を見つめる翡翠のように艶のある鮮やかな緑色の瞳には、氷のような光が浮かんでいた。冷ややかな眼差しに慈悲の欠片はない。

そして、嘲りの笑みを浮かべながら、乙女たちは口々に、小鳥が囀るように囁いた。

「生まれてきても、無駄だよ」

「この子は女の子だ」

「弱い女の子だ」

「女だから、男に嬲りものにされる」

「女だから、簡単に殺されるよ」

 赤い紅をひいた唇から漏れるのは、鈴の音を転がすような声で赤子を呪う言葉。

 意地悪な言い様に、お自夜は怒りを覚えた。

「ご覧」

 一人の乙女が闇の彼方を指さして示した。

 闇の中に、ぼうっ……と、何かが朧に浮かんで見えた。

 お自夜が見たのは、薄汚れて、襤褸(ぼろ)のような小袖を着た十歳くらいの女の子の姿だった。

 知らない女の子。だけど、目の大きな可愛い女の子は、朧火にも蛍火にも似た子だった。

(あの子は、わたしの娘?)

 幻に見える女の子は、今生まれようとしている赤子の成長した姿だと、お自夜はわかった。

 女の子は腹を空かせているようだった。食べ物を探して道をうろつき、どこかの屋敷の裏に捨てられていた残飯を拾って、貪るように食べた。そこへ、下卑た男がやってきて、にやにやと嫌な笑いを口元に浮かべながら女の子を見下ろす。そして、女の子に手を伸ばして捕まえると、地面に押し倒し――

「やめて! わたしの娘に触らないで!」

 お自夜は幻に向かって叫んだ。だけど、悪夢は止まらない。

「あ……あ……あ……」

 お自夜に止める術もなく、女の子は無残にも辱められ、壊れた人形のように地面に打ち捨てられた。

 次に見えた幻は、走っている女の子だった。

 必死の形相で走る女の子の後ろを、男が追いかけている。まだ少年といってもいい。黒い絹の小袖を着た少年は、信じられないことに、その両腕から刀を生やしていた。そして、泣きながら逃げるその小さな背に、少年は腕の刀を振り下ろした――

 切り裂かれた女の子の背から、鮮血が花びらのように闇に散る。

「いやぁっ!」

 お自夜は絶叫した。

 惨い。

 惨すぎる。

 まだ幼いのに、あんな目にあうなんて。

 こんなの見たくないと、お自夜は両手で目を覆った。

「ほ、ほ、ほ」

「これでもまだこの子を生むの?」

「この子も姉たちのように嬲られ、殺される運命だ」

「だからね、生まれてこない方がいいよ」

「生まれる前に極楽浄土に行く方が、幸せさ」

 嘲笑う乙女たちの言葉を聞きながら、お自夜は気が遠くなりそうだった。

(こんな惨い運命が、この子を待っているの? それなら生まれないほうがいい? このまま一緒に死んでしまったほうが、この子には幸せなの?)

 苦痛と疲労の中で見せつけられた未来に絶望し、子を生むことを諦めかけたその時、

 

 しゃらん――

 

 涼やかな音が響いた。

 その音を聞いた途端、乙女たちは笑うのを止めた。

「あ、あ、あ」

「ひぃっ」

「きゃあっ」

「いやっ」

「こわぁい!」

 傲慢な美貌を恐怖に引きつらせながら、悲鳴を上げる乙女たち。

 

 しゃらん――

 しゃらん――

 しゃらん――

 

 苛立たしそうに何度か金属の音が鳴ると、短く叱咤する声が聞こえた。

「去れ!」

 途端、鞭打たれたように、乙女たちの体は季節外れの桜の花びらと化し、散った。

断末魔の悲鳴と共に、花びらは夜空に舞い上がり、儚く消えた。

「願いなさい」

 乙女たちを追い払った声は、続いてお自夜を激励する。

「男になれと願いなさい。男に変成できれば、その子は助かりましょう」

 優しく、凛とした声は、聞き覚えがあった。それが誰かは、今のお自夜には思い出せなかった。だが――

 男になれと願えば、娘は助かる――絶望の中で聞いた声は、一縷の望みとなった。

我が子を守るため、迷わずお自夜は願いを口にした。

「お願い――男になって……男に生まれて……誰にも負けない、誰にも殺されない強い男に……!」

 その瞬間、お自夜は見た。月が完全に影に侵食されて、闇が地上を覆ってすぐ、赤黒い月が虚空に現れたのを。

 今宵の惨劇の証のような、血の色の月だった。

 

 血の色の月の下で、力強い産声が天に響いた……

 

 

(生まれた――)

 赤子の泣き声を聞きながら、曼殊沙華の褥に横たわったお自夜は、精も根も尽き果てていた。だけど、赤子の体を清めてやらなければ。臍の緒や後産の処理もしなければ、母子とも死んでしまう。

お自夜は眠っては駄目だと自分を叱咤し、起き上がろうとした。しかし、力が入らない。意識も遠くなる。

 だから、曼珠沙華の花をかき分けて、誰かが近づいてきたのをお自夜は気がつかなかった。

 意識を取り戻した時、赤子の泣き声は生まれた時よりも、いっそう激しかった。

(どうしてそんなに泣いているの?)

お自夜は不思議に思う。恐ろしい現世へ生まれてきてしまったことを、我が子は嘆いているのか?

 お自夜はなんとか半身を起こすと、傍には昨日、あの不吉な予言をした若い僧侶が立っていた。

 あの時はみすぼらしい僧服だったが、今は高位の僧が着る僧綱襟(そうごうえり)の法服に身を包み、金糸で刺繍された絹の袈裟を纏っている。

 十五夜の月は、すでに血の色ではなく、黄金色に戻っていた。清らかな月の光に照らされた僧侶は、輝いて見えた。まるで神仏のように犯し難い雰囲気だ。

そうしてお自夜は気がついた。

さっき五人の乙女たちを追い払った声が、お自夜に願えと言った声が、この僧侶の声だということを。

助けてくれた恩人だとわかると、昨日、僧侶のことを忌まわしく思ったことを、お自夜は恥じた。

(わたしったら、失礼なことを)

 僧侶の腕の中には、身を清められた裸の赤子が抱かれていた。赤子は泣き叫びながら身をよじり、手足を蠢かせている。僧侶に抱かれているのが、嫌がっているように見える。

「わたしの子――」

 お自夜は両腕を伸ばした。僧侶が赤子をお自夜に渡すと、赤子はたちまち泣き止んだ。母の温もりに安堵したのか、おとなしくなり、すやすやと眠り始める。

 赤子の重みを腕にして、お自夜は思わず涙が零れた。月足らずで生まれてきたが、赤子は月満ちて生まれた子と同じように――朧火と蛍火が生まれた時と同じように――大きく、元気な赤子だ。無事に生まれてきてくれて良かったと、安堵してほっと息を吐く。

 お自夜は性別を確認しようと、赤子の股間を覗いた。

 小さいながらも男の印がついている。男の子だ、と思ったが、小さな男根とみつぶくろ)の後ろに、男にはあるはずがないものが見えた。

「この子は……」

 お自夜は戸惑った。女にしかないはずの花弁が、赤子の身に刻まれていた。

 何度見ても、赤子には男の印と女の印が両方ついている。

 我が子は男なのか? 女なのか?

 答えを探すように、お自夜は顔を上げた。憂いに満ちた表情の僧侶と視線が合う。僧侶は憐みの眼差しでお自夜と赤子を見つめていたが、痛ましそうに呟いた。

「変成し損ないましたね」

 僧侶の言葉が、お自夜は理解できない。し損なった? 何を?

 僧侶はお自夜が求める答えを告げた。

「あなたが願ったので、この子は変成男子して生まれる筈でした。しかし、祈りが足りなかったのでしょう。陽の気が陰の気に打ち勝つことができず、このように未完の体で生まれてしまいました」

 だから、男でもあり女でもあり、男でもなく女でもない。

「そんな……」

 お自夜は蒼白になった。あんなに一生懸命、必死に願ったのに――

「わたしのせい? わたしのせいで、この子は……」

 異形の身となった我が子に、お自夜は自分を責める。

そんなお自夜に、僧侶はにっこりと笑って言った。

「安心なさい。鬼の子を倒せば、大丈夫です」

「鬼の子?」

「そうです。この世に生まれた悪しき心の鬼の子、長じれば人々を不幸にし、この世を乱すことになるでしょう。鬼の子を倒せば、その功徳によって、女の印は消え、この子は男になります」

 鬼の子を倒せば、この子は男となる。

 僧侶の言葉は、お自夜には天からのありがたいお告げに聞こえた。

「して、その鬼の子は、どこに?」

 お自夜が尋ねたその時、

 

「お自夜―っ!」

 

 どこからか、自分を呼ぶ声が聞こえた。

「あんた?」

 あれは、火袋の声だ。

 お自夜は声の方に振り返り、それから再び僧侶の方に視線を戻した。

 だが。

 僧侶の姿は跡形もなく消えていた。

 月明かりの下の曼殊沙華の花園の中で、ぽつんとお自夜は赤子と残された。

 

 

「お自夜―っ! 朧火―っ! どこだぁ!」

 火袋は声を限りに女房と娘の名を呼びながら、夜の山を彷徨っていた。

 その目は血走り、凶暴な獣のように獰猛な表情だ。

朝からずっと歩き通しで、岩のように屈強な体を持つ火袋でも、疲労の色が浮かぶ。だけど、火袋は立ち止まるわけにはいかない。女房と娘の姿を見るまでは。

 夜明け前に、醍醐景光率いる軍の突然の襲撃を受けてから、火袋は一緒に村を見回っていた豊作と斎吾、他の男衆と共に、女子供や老人病人を逃がすために雑兵たちと戦った。そして、弱き者たちを守りながら曼珠山の山小屋に逃げ延びた。

 だが、山小屋には何人かの村人が逃げていたが、お自夜と娘たち、義母の姿はなかった。豊作の女房も息子も、斎吾の母親の姿もなかった。

 他の山小屋に逃げているのかもしれない。

 そう思って、火袋は豊作と斎吾と共に、他の山小屋を見て回った。だが、彼らの家族の姿はなかった。彼岸寺にも行ったが、そこは無惨な現場だった。

 火袋たちが見つけたのは、彼岸寺の和尚や弟子の僧たち、そして寺に逃げ込んでいた村人たちの亡骸だった。

 和尚を始めとして、全員首が無かった。

 村の男だけではなく、女子供も、出家者も無残に斬り殺して首をはねた醍醐の兵の残忍さに、火袋たちはさらに怒りを募らせた。

 

 火袋たちがよくよく亡骸を見たならば、体には傷は残っておらず、首は刀で斬られたのではなく、大きな獣の牙で食いちぎられた痕だと気がついたであろう。だが、その時の火袋たちには、そんな余裕は無かった――

 

 それから火袋たちは彼岸寺を後にして、行方知れずの家族を探して山を歩いた。

 そして、夜になって最初に見つけたのは、斎吾の母だった。

 

「おっかぁ!」

 

全身血まみれになって草むらの中に倒れていた老母を見て、斎吾は一瞬呆けていたが、すぐに一声叫ぶと、転がるように駆け寄った。

助け起こした斎吾の母は、すでに冷たくなっていた。

 まさか、うちの女房子供も――

 不吉な予感に火袋と豊作は、母の亡骸にすがって泣く斎吾をそこに残して、まだ行っていない山小屋の方へ向かった。そして、間もなく見つけたのだった。村人たちの亡骸の中に、家族を。

 

「蛍火――おっかさま!」

「うわあああっ! 下枝ぇーっ!」

 

 情け容赦なく斬殺された惨い姿に、火袋も豊作も号泣した。

 だが、火袋は気づいた。

 

「……お自夜――朧火は、どこだ?」

「あ……大作は?」

 

 お自夜と朧火は、この凄惨な現場にいなかった。豊作の息子も、母親の亡骸の傍にはいなかった。

 お自夜も朧火も、豊作の息子も、逃げることができた――まだ生きていると確信し、手分けして行方を追おうと、火袋は豊作と別れて山を彷徨い歩いた。

 真夜中になった頃、丸い月が喰われるように急速に黒く欠けていったが、身を隠すこともせず、立ち止まらずに歩き続けた。

月が影に喰われる不吉さなど恐れなかった。火袋が恐れていたのは、お自夜と朧火の亡骸を見つけてしまうことだけだった。

 火袋の父も母も兄弟姉妹も、飢餓や流行り病、戦で一人残らず死んでしまった。今、火袋の家族と言えるのは、お自夜と娘たち、そしてこれから生まれてくる赤子だけだ。それなのに、一人だって失いたくないのに、幼い娘は殺された。これ以上家族を失いたくない。

「お自夜―っ! 朧火―っ! どこだーっ! 頼む、返事してくれ!」

 暗闇の中で火袋は叫び続けた。

 そして、虚空に赤い月が浮かんだ時、遠くの方で赤子の産声を聞いた。

 俺の子だ――

 火袋は直感した。

 産み月には早いけれど、あの泣き声は我が子だと、頭で思うより先に火袋の足は産声が聞こえてきた方に駆けていた。

 赤い月は、いつしか端の方から光を取り戻し、不吉な血の色から清らかな黄金色に戻った。

「お自夜―っ!」

 女房の名を呼びながら木々を抜けると、曼珠沙華が咲き乱れる花園に出た。

 血を吸ったかのように赤く、燃える篝火のように花開く曼珠沙華の花園の真ん中には、黄金色の月光の下で、裸の赤子を抱くお自夜が立っていた。

 生きていた……!

 お自夜は無事だった。眠っている赤子も大きくて、元気そうだ。

 嬉しすぎて、火袋は涙が出そうになった。せっかくのおめでたに不吉だから、泣くもんかと、我慢し笑おうとした。

「お自夜……」

 泣き笑いの表情で顔を歪ませながら火袋が呼びかけると、

「あんた……」

 お産を終えたばかりのやつれた顔のお自夜は、火袋を見て微笑んだ。

微笑むお自夜の顔を見た瞬間、火袋は笑みを消し、思わず息を飲んで立ち止まった。

この世の者とも思えないほど、美しい女がそこにいた。

着ている麻の単衣は粗末なもので、顔も汗と血と泥に汚れていたが、それでも女の美貌を損なわせない。

(これは……お自夜か? 本当に俺の女房か? 天女の化身じゃねぇのか?)

 もともとお自夜は村一番の器量よしと評判で、自慢の女房だ。だが、一晩会わない間に、お自夜はさらに美しくなっていると火袋は感じた。

ただ美しいだけではない。優しく、慈愛に満ちた微笑みには、何か決意を秘めた強さが滲んでいた。それが誰よりも綺麗で、強くて、怖くて……近づきがたい。

女房に、我が子に会えて嬉しいのに、会えたら抱きしめたいと思っていたのに、火袋はお自夜に近づけなかった。

お自夜は誇らしげに、だけどどこか悲しげに言った。

「生まれたよ……あんたの息子……朧火と蛍火の弟……本当は女の子だったけど、あのお坊さまの言った通り、願ったら男の子になったんだよ……でもね――わたしのお祈りが足りなかったせいで、生まれ損なってしまったの……だから……鬼の子を退治しないと……この子は男の子になれないのよ……」

火袋は、お自夜の言っていることの意味がわからない。生まれた子が男の子であることは理解したが、素直にそう思えない。

 何があった?

 自分がいない間にお自夜の身に何があった?

 朧火はどこだ?

 赤子は本当に男なのか?

 いくつも聞きたいことがあった。しかし、愛おしそうに赤子を抱くお自夜を、火袋はただ黙って見つめるしかできなかった……

 

 

 

 

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