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2016年12月 1日 (木)

贋作とりかへばや1

  この物語は風に散る桜の花びらのように、とうの昔に失われてしまった。
 昔の人の言うことには、この物語は言葉の続き具合など悪く、話の内容も恐ろしげで、大袈裟な感じだが、斬新で感心できる点もあるとのことだ。
 思わずしみじみとした話などもあるようだ。
 歌も悪くはないらしい。
 この物語の歌のいくつかと、作り変えた物語は今も残っている。
 そこから失われた物語の内容について、多くの人があれこれ記しているので、まとめてみようと思い立ち、筆を執ってみた次第である。
 元の本に劣るであろうが、どうしても書きたく思って。

 いつの頃であろうか、権大納言で大将を兼任している人がいた。
 容貌、才能、心構えを始め、人柄、世の評判も並々ならないので、何事についても不満があるはずがない身の上なのに、人知れぬ心の内の物思いは、まったく尽きることがないという。
 北の方は、宮の姫君である。
 玉の台の権大納言の北の方への愛情は誰よりも深く、疎かに思わずに大切に思っていた中で、宮の上が懐妊し、嬉しい限りである。
「どうか安産でありますように」
 と、神仏に祈ったおかげか、世に二つとない玉のように光る男君が生まれた。
 しかし、宮の上はまだ苦しんでいる。
 どうしたことかと思っているうちに、それほど経たないうちに、また同じような赤子が生まれ出た。
 こちらは姫君で、とても美しく生まれてきたので、珍しいことだと思うこと限りない。
「今まで子供がいなかったのに、まことにめでたいこと。これぞ末は大臣か后か」
 宮の上の様子がとても優れているのを満足していた玉の台の権大納言は、今は美しい子供が一度に二人生まれたことで、ますます宮の上と離れがたく思った。
 若君と姫君の容貌が、どちらもすばらしく、ただ同じように見えるので、取り違えてしまいそうに似ている。
 同じ場所で一緒に育っては具合も悪いだろうと玉の台の権大納言は考えて、子供たちに母代をつけることにした。
 若君は源宰相の娘に預け、姫君は藤中納言の娘に預けた。
 こうして別々の母代に育てられたのは、まことに良い事である。
 若君と姫君は同じように見える容貌だが、若君は上品で香り立つように気高く、優美な感じに見える。
 姫君は華々しく朗らかで、見ていて飽きることないほど、あたりにこぼれ散る愛らしさなどは、今から似る者がないのであった。
 兄妹も、だんだん成長していくにつれ、香りの若君はあきれるほど恥ずかしがり屋で、女房などにさえ、慣れ親しんだ者にしか顔を見せない。
 父の玉の台の権大納言にも、よそよそしく恥ずかしいとばかり思っている。
 ようやく漢籍を習わせ、男子としての教養などを教えようとしても、その気にならず、ただとても恥ずかしいとばかり思って、御帳台の内に籠り、絵を描いたり、雛遊び、貝覆いなどをしたりしている。
 玉の台の権大納言はこれを見て、とてもあきれたことだと思って、いつも怒ったので、香りの若君はおしまいには涙をこぼして、情けなく辛いと思いつつ、ただ母や乳母、それ以外は幼い女童などにだけ会う。
 その他の女房などが御前に参上しようとすれば、几帳にくるまるように身を隠して、恥ずかしい、辛いばかり思うのを、玉の台の権大納言は、
「大層変わった子だ」
 と思い嘆く。
 また、華の姫君のほうは、今からとてもやんちゃで、めったに部屋の中でおとなしくしていない。
 外に出ては、若い男や童などと、毬、小弓などをして遊んでいた。
 屋敷に人々が集まって漢詩文を作り、笛を吹き、歌を謡うなどする時も、走り出してきて、一緒に誰が教えた訳でもないのに琴や笛の音なども上手に吹き、弾き鳴らしたりする。
 漢詩文を口ずさみ、謡ったりするのを、参上した殿上人、上達部たちは褒めて可愛がりながら、音楽や朗詠なども教えてあげたりする。
 そうして、
「こちらの対のお子を姫君と聞いていたのは、間違いであった」
 などと皆思っていた。
 玉の台の権大納言が居合わせている折は、取り押さえてでも華の姫君を隠すのだが、人々が参上すると、父が装束を着替えている間に、華の姫君は真っ先に走り出てきて慣れ親しみ、遊ぶので、中々止めることができないので、人々はただ姫君を若君とのみ思いこんで、面白がり、可愛がるので、玉の台の権大納言もそう思わせたままにした。
 内心では、まったくもって情けなく、かえすがえす、若君と姫君の二人を、
「取り替えたい」
 と思っているのであった。
 そうこう言いつつも、子供たちが幼いうちは、今に直るであろうと玉の台の権大納言は自分を慰めながら過ごしていた。
 だが、そろそろ十歳を過ぎた頃になっても、やはり変わらず同じ様子なので、
「これはいったいどうすればよいのか」
 と、時がたつにつれて嘆くより他にできない。
 それでも年月が過ぎれば子供たちも男女の別もわかるであろうと待っていたが、全く変わらないとわかると、やはり、実に珍しい、世の例にないことだという心地がする。
 玉の台の権大納言は、今は軽々しい外泊もふさわしくない程の重い身分となったので、屋敷を広く造り、西、東の対に香りの若君と華の姫君を住まわせて、寝殿を玉の台のように磨いて夫婦の住まいにした。
 この寝殿に一緒に住んで暮らす素晴らしい北の方がいるのに、子供たちがああなのは、やはり残念なことである。
 子供たちのことは、今は世間の人が誤解するままに、華の姫君を若君、香りの若君を姫君と呼ぶようになった。

 春のつれづれの頃、物忌でのんびりとすごしていた昼、玉の台の権大納言は、香りの姫君のいる西の対に渡ると、例のごとく、香りの姫君は御帳台の内にいて、筝の琴をこっそり弾きすさんでいるようであった。
 女房たちなどは、あちこちに集まって、碁、双六などを打って、大層のんびりしている。
 玉の台の権大納言は、几帳を押しやって、
「なぜこうも籠ってばかりいて。盛りの花の美しさもご覧なさい。女房達も、あまりに気が滅入ってつまらなそうではないか」
 と言って、浜床に寄りかかるように座れば、香りの姫君の髪は、身の丈よりも七、八寸ほど長いので、秋に花薄の穂が出ているような風情に感じる。
 裾のほうは柔らかくなよなよとなびきかかりながら、物語に「扇を広げたような」と大げさに語られているように多くはないが、
「これこそ親しみやすい髪である。古のかぐや姫も、気高く、親しみやすさという点では、この姫ほどではなかったのではないか」
 と見るにつけては、涙に目もくれながら、香りの姫君の近くに寄り、
「これは、どうしてこんな風になってしまったのか」
 と、涙を目にいっぱいに浮かべて髪をかきやると、香りの姫君はとても恥ずかしく思いっている様子で、汗をかいて、顔の色は紅梅が咲き出したかのように美しく、涙も落ちそうに見える目元が、とても心苦しげなので、玉の台の権大納言も、ますます涙がこぼれて、つくづくと悩みは忘れて愛おしく見つめている。
 そうはいっても、男だから恥ずかしいので、香り姫君は顔に化粧をしていないのだが、わざわざ念入りに化粧をしたかのような色艶である。
 額髪も汗に濡れてもつれて、わざと捻ったかのように形よく額にこぼれかかり、可憐で愛敬がある。
 白粉で真っ白に塗った顔は、ひどく気味が悪いものだ、こうして素顔を見るのがいいのだと、玉の台の権大納言は見るのであった。
 香りの姫君は十二歳になっているけれど、未熟で劣ったところもなく、すらりとした優美な様は、限りない。
 桜襲の柔らかく着慣れた袿を六枚ほど重ねた上に、葡萄染めの織物の袿と、派手ではない衣を着こなしている。
 香りの姫君の人柄を引き立てて、袖口、裾の褄までが趣がある。
「なんとも残念だ、尼などにして、仏に仕えさせたほうが良いのであろうか」
 と見るにつけても、玉の台の権大納言は口惜しく、涙にかき暮れている。
  いかなりし昔の罪と思ふにもこの世にいとどものぞ悲しき*1
(どんな前世の罪の報いなのかと思うにつけても、現世でのこの子のことで、ますます悲しくなってくる)

 玉の台の権大納言は西の対に渡ると、横笛の音が、すごく澄んで聞こえてくる。
 空に響き上るように聞こえるので、玉の台の権大納言も心が騒ぎ、
「珍しい音色だ。これも若君が吹いているのだろう」
 と聞いていると、また心が乱れそうになるけれど、さりげない風にして華の若君の部屋を覗いてみれば、華の若君は演奏を止め、かしこまって笛を置いた。
 桜襲、山吹の襲など、華の若君はいろいろな色の袿に、萌葱の織物の狩衣、葡萄染めの織物の指貫を着て、顔はとてもふくよかで顔色は非常に清らかに美しくて、目元は上品で、どことなく鮮やかに匂い満ちるように美しく、愛敬さは指貫の裾まで零れ落ちるようである。
 ずっと見つめていたくて、目を離せないので、見ているうちに、落ちる涙も嘆かわしさも忘れられて、微笑んでしまう華の若君の様子を、
「ああ、悲しい。この子も元の女として大切に育てていたら、どれほどすばらしく、美しい事であろうに」
 と玉の台の権大納言は胸も潰れそうで、華の若君の髪も、これは長さこそ劣っているけれど、裾などは扇を広げたかのようで、背丈には少し短いくらいに零れかかる姿形、頭の形など、見るごとに微笑まずにはいられないけれど、心の内は悲しさで暗くなる。
 華の若君の部屋には、大層身分の高い人の子供などが大勢いて、碁、双六を打ち、華やかに笑いあって、鞠、小弓などで遊んでいるのも、女の子としてはとても変わっていて珍しい事である。
「ああ、困った。さても、これはこのままではよくない。今はどうすることもできないが、今さら女の子として取り扱うことも無理なようだ。この子も法師にして世間には出さず、後世の務めをさせるのがよいだろう」
 と思うが、
「子供たちの心は、またそうと決まっていないのであろうな。これほど優れた才能を持って生まれた宿世なのだから、今少し二人の言い分があるに違いない。心からの深い道心ではないのに出家したら、すべて台無しにして人生を送るとしたら、よくないことだ」
 などと思い悩む。
「世に類ない困った宿世だな」
 と、繰り返し思い知る。
 このような貴族の若君たちは、自然とだらしがないところがあるが、華の若君は非常にしっかりしていて、今から頼もしく、頭も賢くて、朝廷の補佐役になるべく育っている。
 琴笛の音色も、天地を響かせる様子は、とても珍しいくらいすばらしい。
 読経を唱え、歌を謡い、漢詩などを朗詠する声は、また、本当に斧の柄も朽ちて、故郷に帰るのも忘れてしまいそうなすばらしさである。
 何事も不足な所がない華の若君の有様を、父君がこのように思い乱れているのも、大層気の毒なことである。
 このように華の若君の才能、容貌の優れていることは、だんだん世の評判になり、朱雀帝、春宮にも聞こえて、
「そのように何事にも優れた子らしいのに、今まで殿上などもさせず、人と交わろうとさせなかったとは」
 と、非常に興味を持って、玉の台の権大納言にも度々意向を伝えたけれど、父君はますます胸が潰れそうで、情けなく、きまり悪いので、
「いまだに幼い有様でして」
 そう奏上して取り合わないのを、朱雀帝は、
「童姿を人目に触れさせたくはないのであろう」
 と思い、華の若君を五位に叙し、早く元服させて参内させるようにと、度々催促するので、いかなる言い訳を言って参内させない訳にはいかなくなった。
「こうなれば、ただなるようになるしかない。これも前世からの約束なのであろうから、このような形にしても、それぞれそういう宿世なのだろう」
 と、玉の台の権大納言は必死に自分を納得させて、今年は香りの姫君の裳着、華の若君の元服の準備を急ぐ。

解説
 今本では権大納言の北の方は、源宰相の娘と藤中納言の娘の二人である。
 源宰相の娘が若君の母で、藤中納言の娘が姫君の母である。
 主人公の母親としては、夫の愛情がさほどでもないという今本の設定は異例である。
 よって、本復元小説では『有明の別れ』の主人公の設定を参考に、宮腹の姫君を北の方とした。
 また、木村朗子氏が指摘されているように、異母兄妹なのに容貌が酷似している点は不自然である。
 同母なら、「兄妹が瓜二つという設定も同じ屋敷で育つのも合理的で都合がいい、後の入れ替えの際、母親の取り換え問題が生じる面倒はない」との木村氏の指摘は納得できる。
 また、容貌の酷似で「最も理想的なのは双生児」という設定も木村氏はあげている。
 平安・中世の物語で『苔の衣』『木幡の時雨』に双子が登場しているので、古本の兄妹も双子だったという可能性は捨てきれない。
 そこで、本復元小説では、古本では権大納言には仲睦まじい高貴な正妻がいて、子供たちは双子だったという設定にした。
参考書籍
『恋する物語のホモセクシュアリティ』第八章『住吉物語』と『とりかへばや』(木村朗子著 青土社)

*1
今本で父の玉の台の権大納言の歌は、この歌のみで、古本で歌われたのかは不明である。
 父親の嘆きを表した歌として、本復元小説で採る。
 

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